『ステキな金縛り』と鬼十則

 【ネタバレ注意】

 『ステキな金縛り』を英訳すれば、さしずめ「It's a Wonderful Binding」だろうか。もちろんこれは「It's a Wonderful Life」、すなわちフランク・キャプラ監督の『素晴らしき哉、人生!』のもじりである。
 1946年制作の名作『素晴らしき哉、人生!』については、いまさら私が説明するまでもないだろう。日本での公開は1954年2月のこと。この年、宮城から上京した小野寺少年は、『素晴らしき哉、人生!』に登場する二級天使をパクっ……もとい二級天使にインスパイアーされて、12月発売の『漫画少年』誌にそのものズバリ『二級天使』というマンガを発表している。様々な映画や小説をパクっ……もといインスパイアーされて、ギネスに認定されるほど多くのマンガを発表した石森章太郎(後の石ノ森章太郎)のデビュー作である。
 日本のマンガ、テレビ、アニメにおける石ノ森章太郎の存在の大きさを考えれば、そのデビューのネタ元……もとい影響を及ぼした『素晴らしき哉、人生!』の偉大さが判ろうというものである。

 アメリカ映画協会が2006年に選出した感動の映画ベスト100では、『素晴らしき哉、人生!』が第1位で『スミス都へ行く』が第5位と、フランク・キャプラ作品が二つも上位に入っている。
 その二作へのオマージュをたっぷり捧げた映画が、三谷幸喜監督・脚本の『ステキな金縛り』である。
 主人公の父の好きな映画が『スミス都へ行く』ということから父がたいへんな正義漢であろうことが判るし、向こうの世界から来た男の好きな映画が『素晴らしき哉、人生!』だというのだから、ただもうニヤニヤするばかりである。

 とはいえ、『ステキな金縛り』と『素晴らしき哉、人生!』の類似点をいちいち指摘するのは野暮というものだろう。いや、一番類似しているのは、『ステキな金縛り』もまた笑いと涙と感動に溢れた素晴らしい作品だということである。
 違うのは、『素晴らしき哉、人生!』よりも笑いの占める割合が大きいところだろうか。
 驚くべきは、大笑いするシーンと大泣きするシーンが同じ箇所であることだ。同じシーンを見ながら、ある観客は笑うだろうし、ある観客は泣くだろう。私はといえば、泣きながら笑っていた。こんな経験はしたことがない。


 本作は、失敗続きの弁護士が最後のチャンスとして難事件の訴訟に取り組む物語である。
 どんな映画かは、公式サイトで三谷幸喜監督がみずから述べている。曰く、「ワクワクする法廷ミステリー」「ドキドキするホラームービー」「大爆笑の幽霊コメディー」「主人公エミの成長物語」「まさかまさかの感動ドラマ」「でもそれだけじゃない」「とにかく観れば分かる」!

 主人公の成長物語という点では、劇中、彼女に足りないのは自信だと諭される場面がある。
 そのやりとりを見ながら、私は電通の鬼十則を思い出した。電通の4代目社長吉田秀雄氏が定めたビジネスの十の心得は、職業人であれば誰しも目にしたことがあるだろう。鬼十則を励みにしている人も多いはずだ。
 その第8則に、自信について書かれている。

 8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。

 この映画には、仕事が上手くいかない人が何人も登場する。世の中には幽霊を見られる人と見られない人がおり、見られる条件の一つは仕事が上手くいってないことだという設定なのである。
 そんな人を、幽霊が背中を押し(押せないけど)、手助けしてくれる(手は出せないけど)。
 この映画は、三谷幸喜監督が述べたことに加えて、ものごとが上手くいかない人への応援歌でもあるのだ。


 やがて仕事が上手くいけば、条件の一つが解消されて幽霊は見えなくなる。
 それはいささか寂しいが、現世での生活が充実することでもある。
 エンドクレジットに流れる深津絵里さんと西田敏行さんのデュエット曲「ONCE IN A BLUE MOON(ごくまれに)」に聞き惚れながら、観客はもう決して幽霊を見ることのない主人公の充実した生活に思いを馳せることだろう。


 ところで、電通の鬼十則には、吉田望氏が作った裏十則というパロディがある。とても秀逸なパロディで、こちらの方がうなずけるかもしれない。
 その第8則は次のとおりである。

 8)自信を持つな。自信を持つから君の仕事は煙たがられ嫌がられ、そしてついには誰からも相手にされなくなる。

 厳に戒めたいものである。


ステキな金縛り Blu-rayスペシャル・エディション(特典DVD付3枚組)ステキな金縛り』  [さ行]
監督・脚本/三谷幸喜
出演/深津絵里 西田敏行 阿部寛 竹内結子 浅野忠信 草なぎ剛 中井貴一 市村正親 小日向文世 小林隆 KAN 木下隆行 山本亘 山本耕史 戸田恵子 浅野和之 生瀬勝久 梶原善 阿南健治 近藤芳正 佐藤浩市 深田恭子 篠原涼子 唐沢寿明
日本公開/2011年10月29日
ジャンル/[コメディ]
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【theme : コメディ映画
【genre : 映画

tag : 三谷幸喜 深津絵里 西田敏行 阿部寛 竹内結子 浅野忠信 草なぎ剛 中井貴一 市村正親 小日向文世

『ミケランジェロの暗号』 国ごとの違いは何か?

 配給会社の宣伝が、本来の作品の狙いとは別の路線で展開されるのはままあることだ。
 『恋するベーカリー』なんて、まるでパン屋さんのラブロマンスのごとき邦題と、主演女優の笑顔のポスターによって、あたかも洒落た恋愛劇のような売り方をされていた。
 オーストリアとルクセンブルクの合作映画『ミケランジェロの暗号』も、作品内容とは乖離したイメージが広められている一例である。
 たとえば本邦の allcinema ONLINE では、本作のジャンルを「サスペンス/ミステリー」としている。一方、Amazon.comが提供するIMDbでは、「コメディ/ドラマ」に分類している。ちなみにドイツ語版Wikipediaでは、本作のカテゴリを「第二次世界大戦/ホロコースト/歴史/ドラマ」としている。よりによってホロコーストとコメディとは……?

 これらを見ると、まるで捉えどころのない映画のようである。
 実態としては、なんとこの映画はいずれの要素をも併せ持つ……という希有な作品なのだが、『ミケランジェロの暗号』にサスペンスやミステリーを期待するのは、『恋するベーカリー』に洒落た恋愛劇を期待するのと同じくらい似合わない。

 そもそも、『ミケランジェロの暗号』なるミステリー的な邦題が作品内容を表していない。
 原題は「Mein bester Feind」、英題は「My Best Enemy」だ。直訳すれば「我が最良の敵」。本来ならば「我が最良の友」と表現するところを捻っており、この題なら本作がコメディであることも一目瞭然である。
 映画を観た方なら納得する題名だろう。


 『ミケランジェロの暗号』は、ナチス台頭期のオーストリアを舞台にした、二人の男の愛憎劇だ。彼らはユダヤ人とヨーロッパ人の幼馴染。その立場が変転するおかしさの中に、歴史の残酷な断面を描いて見せる。
 主人公のヴィクトル・カウフマンは裕福なユダヤ人画商だ。もう一人の主人公ルディ・スメカルは、カウフマン家の使用人の息子である。カウフマン家に育ててもらったルディだが、内心は金持ちへのルサンチマンが強い。
 ところが時代はナチスの台頭を許し、オーストリアにもその脅威が迫ってくる。カウフマン家はユダヤ人であるがために迫害され、ルディは自分の方が優位な立場にいることを知る。
 ここで二人の立場は逆転したかに思われたが、物語は二転三転、ユダヤ人のヴィクトルはナチスの威を借る愉快さを知り、ヨーロッパ人のルディは強制収容所の悲惨さを知る。

 とりわけ印象的なのは、ナチス親衛隊の制服に身を包んだヴィクトルのセリフだ。
 「君がこの制服を欲しがったのが判るよ」
 ユダヤ人にこんなことを云わせるとは――ナチスの親衛隊に入ることに理解を示すようなセリフを書くとは、驚くべき脚本である。そこには、ナチス親衛隊をただ非人間的な憎むべき存在とばかりみなすのではなく、そこにいるのも血の通った人間であり、紆余曲折を経ていまの立場に至ったことをおもんぱかる気持ちがある。
 一方、ユダヤ人が強制収容所送りになることに疑問を感じていなかったルディも、収容所に薬がないことを嘆き、食事は残飯同然だと不平を垂れる。

 監督・脚色を担当したヴォルフガング・ムルンベルガーは、公式サイトで次のように語っている。
---
この時代を舞台にした映画は、いつもユダヤ人は犠牲者として描かれていた。それにうんざりしていると語ったユダヤ人もいたんだ。でも成立させるのは簡単じゃなかった。
(略)
映画のどこを非難されるかわからない。常に自分に問いかけ、スタッフとも話合ったよ。ナチスを人間味をもって描き過ぎていないか、とかね。でも映画に出てくるナチスが、すべて同じように描かれなければいけないのだろうか? その時々で個人の人間性は存在したはずなんだ。でもナチスの恐怖の前ではなかったことにされてしまう。こういう考えを受け入れる時期が来ているのか分からないけど。(原文ママ)
---

 しばしば私たちは、相手の立場になって考えなさいと諭される。
 それはもっともな教えではあるのだが、いったい私たちはどれだけ実践できているだろうか。大きな問題が生じたときに、誰かを敵とみなして糾弾するのではなく、相手の立場も考慮しながら検証することがはたしてできているだろうか。


 本作の見どころは、相手の立場になったときの行動を、二人の男優が実に楽げに演じていることだ。
 戦争による緊張がみなぎる中で、それぞれが生き延びるために騙し合い、化かし合い、立場を偽って行動する。その愛憎入り混じる演技合戦が面白い。
 その演技合戦は、あえていうなら三谷幸喜原作・脚本の『笑の大学』のノリである。

 とりわけ彼らの表情がいい。
 本作は騙し合うゲームのような趣もあるが、勝ったとか負けたとか、嬉しいとか悔しいといった感情で観客を興奮させることを良しとしない。
 それよりも、長年の親友だったはずなのに敵同士になってしまった二人の男が、相手を許さないけど憎まないところ、出し抜かれてもまるでエールを贈るかのような表情をしてしまうところにグッとくる。

 いつか映画の中だけでなく、すべての人々が積年の恨みを超えてエールを送り合える日がくるだろうか。


ミケランジェロの暗号 [Blu-ray]ミケランジェロの暗号』  [ま行]
監督・脚色/ヴォルフガング・ムルンベルガー
出演/モーリッツ・ブライブトロイ ゲオルク・フリードリヒ ウーズラ・シュトラウス マルト・ケラー ウーヴェ・ボーム ウド・ザメル ライナー・ボック メラーブ・ニニッゼ カール・フィッシャー クリストフ・ルーザー セルゲ・ファルク
日本公開/2011年9月10日
ジャンル/[サスペンス] [コメディ] [ドラマ] [戦争]
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【theme : ヨーロッパ映画
【genre : 映画

tag : ヴォルフガング・ムルンベルガー モーリッツ・ブライブトロイ ゲオルク・フリードリヒ ウーズラ・シュトラウス マルト・ケラー ウーヴェ・ボーム ウド・ザメル ライナー・ボック メラーブ・ニニッゼ カール・フィッシャー

『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』に欠けているもの

 【ネタバレ注意】

 『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』の記事に、Max-Tさんより『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』に関するコメントをいただいた。
 コメント欄に返事を書いていたのだが、いささか長文になってしまったので別の記事として取り上げることにした。
 以下は、Max-Tさんのコメントへの返信として書いたものである。

---
 Max-Tさん、コメントありがとうございます。

 時間があれば『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』も観てやってください。興行成績第1位を驀進する『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』に比べて『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』は初登場6位と淋しい成績です。
 たしかに『猿の惑星:創世記』の猿アクションは刺激的で、ヒットするのも判らないではありません。
 ただ、私としては『猿の惑星:創世記』の感想は複雑です。
 まず私は世評に比べて1968年の第一作をあまり評価していません。故中島梓氏も書いていたことですが、猿たちが英語を喋っているのにテイラーはここがどこだか判らなかったんかい!というラストのガッカリ感が大きいからです(^^;

 とはいえ、時間的な円環構造を持ったシリーズ物という類まれなる構成はたいへん面白く、その点は高く評価しています。つまり私は、円環構造を前面に打ち出した三作目、四作目を重視しているのです(一般的には三作目以降の評価はがた落ちのようですが)。それぞれ単体で観て面白いかどうかは別にして、三作目と四作目があるからこそ、奇抜なシリーズを構成できたのだと思います。


 さて『猿の惑星:創世記』についてですが、人間に育てられたシーザーが、長じて人間に反逆する様を描いた作品なので、位置づけとしては四作目の『猿の惑星・征服』(1972年)に相当するかと思います。
 そして『猿の惑星・征服』の特徴といえば、制作当時の時代背景を色濃くにじませていることが挙げられます。すなわち、『猿の惑星・征服』において人間から虐げられる猿たちの姿は、現実の黒人差別を重ね合わせており、人間に反旗を翻す猿たちはブラックパワーの象徴でした。
 このように社会的・政治的メッセージ色の強い四作目をベースにしながら今の時代に新作を作るとしたら、はたしてどのような主張を打ち出すのか。私の興味はもっぱらその点でした。

 ところが映画の序盤で、シーザー及びその母猿が持つ、他の猿と異なる特徴が紹介されて驚きました。他の猿よりも賢い母猿とシーザーを特徴づけるのは、緑色の目だというのです。
 緑の目は白人の特徴です。劇中、高い知能を有するシーザーの目が何度もアップになりますが、そこで映し出されるのはまぎれもなく白人の目です。
 シーザーがゴリラやオランウータン等さまざまな種類の猿を糾合してそのリーダーに収まる様子は、あたかも白人が異人種を従えてリーダーとなるかのようです。
 ましてや、登場する黒人が悪者扱いで、それほど悪いことをしたわけでもないのに、("白人"に率いられた)猿たちに殺されてしまうなんて、60~70年代だったら暴動の引き金にもなろうかというところです。

 もちろん、シーザーの目が白人の目そのものなのは、シーザー役のアンディ・サーキスが白人だからであり、目の演技を忠実に反映させるためなのでしょう。でも、現在の技術をもってすれば、目の色もコントロールできたと思うのです。
 少なくとも、目の色の違いが、他者より知的であることを示すなど、今どきこんな表現を採用するとは驚きです。
 それは、シーザーと同じような目の色のルパート・ワイアット監督にとっては、とても自然な発想だったのかもしれません。客席を埋める白人の観客も、違和感無くシーザーに感情移入するかもしれません。
 しかし、『猿の惑星・征服』が人種差別問題を扱ったSF映画だと思っていた私には、シーザーの「白人の目」が気になって仕方ありませんでした。
 別に映画に社会的・政治的メッセージなんてなくてもいいのでしょうが、どうにも2010年代にこの作品を世に送り出すことの意義が読み取れませんでした。

 オフィシャルサイトによれば、ワイアット監督は本作について「後戻りできないところまで到達してしまった僕らの文明について描いている」「自ら破滅を招く"人類への警鐘"」と語っています。そういう映画は50年代以降たくさん作られてきたので、どれをリメイクしても監督の考えは描けるでしょうが、『猿の惑星・征服』は違うだろうと思うのです。

 だから、『猿の惑星:創世記』がとてもテンポ良くまとまった娯楽作品であり、とりわけ樹上の移動シーンなど猿らしさを生かした演出に特筆すべきものがあることを認めながらも、今ひとつこの作品が腹に落ちないのです。

 そんなこんなでブログには取り上げていませんでした。


 ところで、実のところ私は『猿の惑星』シリーズ以上に、円谷プロ制作のテレビドラマ『SFドラマ 猿の軍団』(1974年)の方が好きでした。放映当時は『宇宙戦艦ヤマト』の裏番組だったのでご覧になっていないでしょうが(私は『猿の軍団』を見ていたので『宇宙戦艦ヤマト』には再放送で燃えました)、小松左京、豊田有恒、田中光二の3氏が原作者に名を連ねるだけあって、当時珍しい本格的なSFドラマでした。
 『猿の惑星:創世記』では、攻撃的なチンパンジーに本来は温和なゴリラが同調してしまうなど、彼らの生態を考えるといささか疑問を感じるところがありますが、『猿の軍団』は猿たちの特徴に応じた派閥が形成されて政治ドラマ風の色合いもあり、子供向け番組にしてはずいぶんと意欲的な内容だったと記憶しています。

 『猿の惑星:創世記』のヒットを受けて、円谷プロが『猿の軍団:創世記』なんて作ってくれれば嬉しいのですが:-)


猿の惑星:創世記(ジェネシス) [DVD]猿の惑星:創世記(ジェネシス)』  [さ行]
監督/ルパート・ワイアット
出演/ジェームズ・フランコ フリーダ・ピント ジョン・リスゴー ブライアン・コックス トム・フェルトン アンディ・サーキス
日本公開/2011年10月7日
ジャンル/[SF] [アクション] [サスペンス]
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【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画
【genre : 映画

tag : ルパート・ワイアット ジェームズ・フランコ フリーダ・ピント ジョン・リスゴー ブライアン・コックス トム・フェルトン アンディ・サーキス

『大脱走』は脱走を描いた映画ではない

 【ネタバレ注意】

 スティーヴ・マックィーン演じるヒルツ大尉は、捕虜収容所の独房に入れられるたび、コンクリートの壁に野球ボールをぶつけて一人でキャッチボールをしている。ボールのぶつかる音が独房の外まで響く。いつまでもいつまでも。
 それが『大脱走』の描くものだ。この映画の象徴的なシーンであり、作り手の思いが込められている。

 『大脱走』は、第二次世界大戦中のドイツの捕虜収容所から連合軍の兵士たちが脱走を試みる物語である。厳しくも冷静な所長が目を光らせる中、捕虜たちは知恵を絞り、チームワークを発揮し、脱走するべく行動する。映画は敵味方とも魅力的な人物を配し、あの手この手の脱走作戦と監視兵との駆け引きに、3時間近い長丁場を飽きさせない。
 まさに戦争映画が娯楽たり得る好例である。

 そう、捕虜たちにとっては、脱走するのも戦争なのだ。
 彼らは、捕虜になっても脱走することでドイツ軍の後方を撹乱し、前線で戦う自軍を有利に導くように指示されているのである。
 だから本作を、自由を夢見て努力する物語だと思うと本質を見誤る。

 とうぜん、好きこのんで捕虜を続ける者はいない。誰もが自由を渇望する。
 捕虜の中には、自由を求めるあまり、脱走が阻まれると錯乱して命を落とす者も出る。
 しかし、多くの者は一度や二度の失敗では諦めない。冒頭、収容所長が捕虜たちのプロフィールを読み上げる場面では、捕虜たち誰もが数えるのも嫌になるほど脱走を試み続けていることが紹介される。
 これまでヒルツは17回も脱走を試みている。他の面々も数多い。しばしば収容所を抜け出すことには成功するが、結局誰もが捕らえられて収容所に戻される。
 映画は、彼らに手を焼いたドイツが、二度と脱走できないように特別に建設した収容所が舞台となる。
 それでもヒルツたちは脱走を試みる。脱走を試み続ける。

 この映画の眼目は、もちろん捕虜たちの脱走が成功するか否かだ。
 しかし、必ずしも脱走して喜ぶ映画ではない。
 そもそも『大脱走』というタイトルにもかかわらず、これは脱走を描く映画ではないのだ。脱走を試み続けることが本作の主題である。


 彼らの任務は、自軍に逃げ帰ってくることではない。
 自軍に戻れればそれにこしたことはないが、たとえ戻れなくても脱走によりドイツ軍の後方を撹乱し、その捜索に少なからぬドイツ兵が駆り出されて本来の任務に支障をきたせば、脱走したことには意味がある。

 そればかりではない。
 脱走を企んだことが発覚すれば独房行きだ。17回も脱走を試みて、18回目、19回目に挑戦するヒルツは独房王とまであだ名されている。
 しかしヒルツは何度独房に入れられようと、決して嘆いたり意気消沈したりはしない。それどころか一人でキャッチボールを続けながら、不敵な面構えで笑みすら浮かべている。
 独房生活がいかに辛いか、この映画でそこは掘り下げていないが、人間が社会的な生き物であることを考えれば、孤独を強いられるのが残酷な刑であることは容易に察しがつく。同じくスティーヴ・マックィーン主演の『パピヨン』では、独房生活のためにマックィーンは白髪頭になってしまう。
 にもかかわらず、懲りずに脱走を試みて独房入りを繰り返す彼は、脱走が阻まれて錯乱する捕虜とは明らかに考え方が違う。
 彼にとっては、脱走が阻まれることも独房に入れられることも織り込み済みなのだ。そうでなければ、独房に入れられて笑ってはいられない。

 本作の作り手が描きたいのも、見事に脱走を遂げる者たちの成功譚ではない。それが証拠に、本作では脱走に成功した喜びや爽快感は描かれない。
 本作は収容所の捕虜たちの群像劇であるから、脱走する者、できない者、途中で捕まる者、殺される者等、彼らはさまざまな末路をたどる。映画のモデルになった史実によれば、脱走したのは76名、そのうち50名が殺害され、12名が収容所に戻され、帰国の途につけたのはわずか3名しかいないという。
 そんな中、本作でもっともアッサリしているのが、脱走して無事に逃げ延びる者の描き方だ。本来ならば数少ない成功者としてヒーロー扱いしてもおかしくないのに、映画は彼らの行く末にはほとんど触れない。
 脱走することが目的の映画だったら、なんともオチのない終わり方に感じられよう。


 終盤、脱走者の多くが殺され、残りの者たちは連れ戻されたことで、捕虜の一人が「やる価値があったんだろうか」と尋ねる。
 それに答えて、先任将校は云う。「考え方次第だ」と。
 脱走に成功し帰国できることを目的とするなら、多大な犠牲者を出したこの脱走作戦は失敗である。他方、ドイツ軍の後方撹乱という意味では、脱走者の捜索に投入されたドイツ兵は7万人にも及ぶそうだから、成果ありといえるかもしれない。
 ただ、何よりも大事なのは、脱走を試みないで漫然と囚われの生活を送るなど、彼ら自身が良しとしなかったということだ。

 同じく塀の中に囚われた者たちの映画に、『ショーシャンクの空に』がある。
 この作品を取り上げて、私は「明日が今日と同じであれば、今日が充実すれば明日も充実する道理である」と書いた。
 本作にも同じことが云えよう。何度失敗を繰り返してもまた挑み続ける、その不屈の闘志こそが主題なのだ。

 今日もヒルツは失敗して独房に入れられる。
 しかし、彼はまたも不敵な笑みを浮かて、コンクリートの壁にボールをぶつける。ボールのぶつかる音は独房の外まで響き、決してやむことはない。いつまでもいつまでも。


大脱走 (アルティメット・エディション) [DVD]大脱走』  [た行]
監督・制作/ジョン・スタージェス  原作/ポール・ブリックヒル
出演/スティーヴ・マックィーン ジェームズ・ガーナー リチャード・アッテンボロー ジェームズ・コバーン チャールズ・ブロンソン デヴィッド・マッカラム ハンネス・メッセマー ドナルド・プレザンス トム・アダムス ジェームズ・ドナルド
日本公開/1963年8月10日
ジャンル/[アクション] [戦争]
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【theme : アメリカ映画
【genre : 映画

tag : ジョン・スタージェス スティーヴ・マックィーン ジェームズ・ガーナー リチャード・アッテンボロー ジェームズ・コバーン チャールズ・ブロンソン デヴィッド・マッカラム ハンネス・メッセマー ドナルド・プレザンス トム・アダムス

『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』 戦争かアクションかヒーローか?

 ナチスが繰り出す超兵器を相手に、羽付きヘルメットの大男が戦う物語――といっても、手塚治虫著『ビッグX』ではない。
 キャプテン・アメリカといっても、『イージー・ライダー』のピーター・フォンダでもなければ、スタントマンのイーブル・クニーブルでもない。
 本家本元、第二次世界大戦時代に米国の戦意を高揚させたヒーローを、生誕から70年を経てスクリーンに映し出したのが『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』である。

 この時代錯誤のヒーローをいかにして現代向けの作品にするのか、私は不安と期待を抱いて待っていた。
 キャプテン・アメリカ――通称キャップの問題は、ただ単に初出が古いということではない。1941年3月の"Captain America Comics"の創刊はたしかに古いものの、もっと古いスーパーマン(1938年)やバットマン(1939年)の新作映画が今でも作られているのだから、古いことは問題ではない。
 それよりもキャップの特徴である、星条旗をあしらったコスチューム、そして「アメリカ大尉」という名前、ヒトラーを殴る絵を表紙にしたデビューの仕方、それら*米国の*愛国心を象徴する彼のキャラクターそのものが、現代の映画市場には不向きに感じられたのだ。

 もちろん、星条旗をあしらったコスチュームでナチズムと戦ったのは彼だけではない。キャップと同時期に誕生したワンダーウーマンだって星条旗そのものの扮装をまとってナチス・ドイツと戦った。
 そんなヒーローたちの中にあって、キャップの特徴は、彼が軍人であり、軍の任務としてスーパーヒーローになったことだ。米国のスーパーヒーローはみんな米国のために戦っているが、キャップはその最右翼なのである。
 そんな戦意高揚マンガとしてのキャップの出自をいまさら描いて、世界の映画市場が受け入れるとも思えない。
 だから、戦時中の活躍はすっぱり割愛し、冷凍睡眠から目覚めて以降の現代の活躍を描いた方が観客には受けるだろうと思っていた。

 ところが、『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』は1942年を舞台とし、キャプテン・アメリカ誕生の歴史をしっかりと描いている。
 そして、彼の名前やコスチュームが米国への愛国心を高めるためのものであることを、観客にきちんと説明している。
 この映画の制作陣は、まさに正々堂々とキャプテン・アメリカの映画化に取り組んだのである。


 では、米国への愛国心を背負ったヒーローが、時代錯誤にならないように制作陣はどんな手を打ってきたのか。実際、映画の冒頭ではアンクル・サムの「I WANT YOU」なんてポスターが目に付いて、本作の方向性について心配させられる。

 かなめは軍隊の描き方だ。
 2011年に公開された『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』や『世界侵略:ロサンゼルス決戦』は、軍隊をヒーロー然と描いていた。いささか鼻につくくらいに。その描き方を成立させるために、敵は非人間――異星人であった。人間とは似ても似つかない異星人が敵であればこそ、地球人は誰しも軍隊側に感情移入できる。
 だが、第二次世界大戦を背景とする本作で、その手は使えない。

 また、『スターシップ・トゥルーパーズ』では軍隊を皮肉を交えて戯画化していたが、本作でそんなことをしてはキャップを否定的に描くことになりかねない。キャップはみずから志願して兵士になるのだから。

 そこで本作の制作陣が選んだのは、茶化すことだ。
 派手なコスチュームで人前に出ても喜ぶのは子供だけ、戦地の軍人にはなんら響かないという滑稽さを通して、安易な戦意高揚作品になることを避け、かといって軍隊を否定することも避け、楽しく茶化す。そのさじ加減が実に上手い。


 ここは、監督に起用されたジョー・ジョンストンの持ち味でもあろう。
 スター・ウォーズシリーズの視覚効果で名を上げたジョー・ジョンストン監督だから、スピーディで派手な映像作りはお手のもののはずだ。迫力ある戦闘シーンで観客を興奮させることもできただろう。
 けれども本作を見れば、ジョー・ジョンストンは『ロケッティア』の監督であり、『アイアン・ジャイアント』のデザインワークスを担当していたことを思い出す。『ロケッティア』はナチス台頭期を舞台にした好青年の冒険物語、『アイアン・ジャイアント』は小さな村での心優しいロボットの物語だった。いずれも派手なアクションを売りにする映画ではない。

 本作も、レトロな雰囲気やちょっと奇妙な兵器などが楽しめる作品だ。
 アクションもあることはあるが、それはあくまでキャプテン・アメリカが正義感を体現するためのシチュエーションでしかない。ジョー・ジョンストンは戦時中の米軍の活躍を描きながら、好戦的な雰囲気になりそうなところは茶化したり、はぐらかしたりして、正義感でいっぱいのヒーロー物から踏み外さない。
 敵もナチス・ドイツそのものではなく、ナチスから逸脱したレッドスカルとその一党ということにして、万国万人にアピールできる作品に仕上げている。

 実のところ私は、キャップを現代に通用する作品にするのは極めて困難だと思っていた。しかしそれはまったくの杞憂であった。
 それどころか、第二次世界大戦当時を舞台にしたおかげで、キャップの武骨なロマンスが違和感なく織り込まれ、思いがけなくも感動的な展開になっている。


 時代を描くに当たっての細部へのこだわりも楽しい。
 劇中、米軍が入手した情報を、MI6に知らせるように指示する場面がある。なぜ、米軍が英国の情報機関に調査を依頼するのか劇中では説明がないが、これは長い諜報活動の歴史を持つ英国に比べて、米国にはそもそもろくな情報機関がなかったためである。
 当時の状況を踏まえた脚本に、ニヤリとする方も多いだろう。


 さて、1941年に出版されたキャプテン・アメリカは、ヒトラーを殴って世論を煽ったが、米国は戦争については中立を守り続けた。先に私はキャプテン・アメリカを戦意高揚マンガと表現したが、所詮マンガの力で戦争を始められるわけもない。マンガなんてそんなものである。
 キャプテン・アメリカの登場から9ヶ月後、米国の重い腰を上げさせ、遂に戦争を始めさせたのは、真珠湾を攻撃した日本であった。


キャプテン・アメリカ [DVD]キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』  [か行]
監督/ジョー・ジョンストン
出演/クリス・エヴァンス トミー・リー・ジョーンズ ヒューゴ・ウィーヴィング ヘイリー・アトウェル セバスチャン・スタン ドミニク・クーパー トビー・ジョーンズ スタンリー・トゥッチ サミュエル・L・ジャクソン ニール・マクドノー デレク・ルーク ケネス・チョイ
日本公開/2011年10月14日
ジャンル/[アクション] [アドベンチャー] [SF]
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【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画
【genre : 映画

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