『アジャストメント』 マット・デイモンの功罪

 マット・デイモンが主演することの功罪は何だろうか?
 映画『アジャストメント』において、主演俳優としてマット・デイモンを迎えたことのメリットは、何といってもそのおかげで映画への注目が高まり、宣伝もしやすくなったことだろう。日本版のポスターはマット・デイモン一人が大きく描かれ、マット・デイモンが主演であることの他には何の情報ももたらさない。作品内容は下手に宣伝するとネタばらしになってしまう類のものなので、マット・デイモンが主演でなければ配給会社は何を宣伝したらいいか困ったかもしれない。

 ひるがえってマット・デイモンが主演することのデメリットは、ズバリ、映画について先入観を持たれてしまうことだろう。
 マット・デイモンはボーン・シリーズや『グリーン・ゾーン』等により、アクション俳優としての印象が強い。その彼を前面に押し出して、あえて意味不明にした邦題の脇に「操作された《運命》に、逆らえ。」なんて惹句を付けられたら、どんな陰謀と闘うアクション物なんだと、観客の期待は高まってしまうだろう。
 配給会社としては、その見当違いの期待を狙っているのだろうが。


 一方、先入観ということでは原作者フィリップ・K・ディックも同様かもしれない。
 初の映画化作品『ブレードランナー』をはじめ、『トータル・リコール』や『マイノリティ・リポート』といった映画からは、タフな主人公が活躍するアクションとサスペンスに富んだ物語が思い浮かぶ。ハリウッドで映画化したら、どんな原作であってもアクションやサスペンスになりがちではあるが、とりわけフィリップ・K・ディックの場合は、その小説世界を映像化するよりも、アクションやサスペンスのネタ元と見られがちなようだ。

 私はそれほどフィリップ・K・ディックに詳しいわけではないのだが、その乏しい読書歴から申せば、ディックの小説の主人公はタフでもマッチョでもなく、どちらかといえばうじうじした冴えない男であろう。
 そんな男が、世界に信じられるものがなく、自分さえも信じられず、途方にくれながらやっぱりうじうじしている。そんな作品ではないだろうか。


 『アジャストメント』も、意外にうじうじした映画である。
 主人公の職業は、大スターのマット・デイモンに相応しく、不動産のセールスマンから上院議員候補へ変更されているが、彼は議員としての政治活動よりも運命の女性と結ばれることを重視する。

 ここにマット・デイモンを主演に迎えたデメリットがある。
 主人公が冴えないセールスマンなら、仕事をうっちゃらかして理想の女性の許へ駆けつけるのも判らないではない。しかし、マット・デイモンに相応しく主人公にスター性を付与したおかげで、選挙を放り出す議員候補は常軌を逸しているように見えてしまう。
 本作は、マット・デイモンに『ボーン・アルティメイタム』等の脚本を提供したジョージ・ノルフィの初監督作品だからマット・デイモンも出演を承諾したのかもしれないし、そんなマット・デイモンにジョージ・ノルフィ監督なりに配慮した結果が上院議員候補という役柄なのかもしれないが、ちょっと主人公がカッコよくなり過ぎである。

 とはいえ、世界の謎を暴いたり、大きな陰謀に立ち向かうことよりも、運命の女性との出会いにこだわるのは、(SF雑誌の読者の多くを占める)冴えない男たちの願望を体現していると云えよう。ヒロインが、身近な仕事仲間の男性ではなく、よく知りもしない主人公を選んでくれるのも、夢見がちな男の願望だ。主役の男女は、周囲の異性には脇目も振らず、運命的な結びつきを信じているのである。
 実は原作者フィリップ・K・ディックは、5回も結婚と離婚を繰り返している。それが、運命的な出会いを求めた結果だと云うつもりはないが、『アジャストメント』の主人公たちが、運命の相手と一緒になるために他の人とあっさり別れてしまうのはいささか皮肉である。

 本作の原題は『The Adjustment Bureau』(調整局)だ。
 調整する側の物語としては、これまでにも『永遠の終り』や『時空監視官出動!』等、多くの作家が優れた小説を著している。
 本作は、調整される側にスポットを当てつつ、結局はごく個人的な男女の出来事を描いた点で、タフでマッチョなヒーローが跋扈する映画よりはディックらしくまとまったと思うのだが、いかがだろうか。


アジャストメント(デジタル・コピー付) [Blu-ray]アジャストメント』  [あ行]
監督・制作・脚本/ジョージ・ノルフィ  原作/フィリップ・K・ディック
出演/マット・デイモン エミリー・ブラント アンソニー・マッキー ジョン・スラッテリー マイケル・ケリー テレンス・スタンプ
日本公開/2011年5月27日
ジャンル/[SF] [サスペンス] [ロマンス]
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『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』 観てはいけないこれだけの理由

 もしもあなたにお子さんがいて、『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズを観たいとせがまれても、あなたはお子さんを止めなければならない。
 とりわけ、あなたが善良な米国市民で、日曜日にはきちんと教会へ行き、食事の前のお祈りも欠かさない立派な家庭を築こうと願うのであれば、なおのこと、こんなものを観せてはいけない。

 あなたの子供は聞き分けの良い子だ。次のように云えばきっと理解するだろう。

 「この映画の主人公は海賊だぞ。法の支配に盾つくならず者だ、悪者だ。海賊が中心の映画なんてけしからんよ。」
 「しかも海賊たちは改心しないんだ。処罰されることもない。それどころか、海賊に味方するのがいい人で、法を執行するのは悪い人として描かれてる。犯罪者がのうのうと逃げのびる映画なんて、子供は観ちゃいかん。」
 「その上、海の女神だの怪物だの、あり得ないものが出てくるじゃないか。神というのは天にまします我らが父だけなのだ。あんな怪物を、主が創造なさると思うか。創世記には、あんな怪物のことは一言だって書かれちゃいない。」
 「船乗りたちが永遠にさまようだって?永遠というのは神のみがもたらすものだ。神のいないところで永遠に生きたり、死ぬはずの人間を不死身にしてはいかん。」
 「こんな映画を観るのは不信心者だ。魔術だの魔法使いだのと反キリスト教的なものが出てくるハリー・ポッター・シリーズは、ローマ教皇だって批判している。海の女神だの怪物だのが出てくる『パイレーツ・オブ・カリビアン』も、良識ある家庭では観せんのだ。」
 「よりによって、ディズニーがこんな映画を作るとは信じられん。そりゃあディズニーアニメにはこれまでも魔女や魔法使いが出ることはあったさ。でも悪い魔女は必ず罰が当たったし、良い魔法使いはちょっと手助けをするだけですぐに引っ込んだ。ディズニーランドの「カリブの海賊」だって、海賊どもを英雄視するアトラクションじゃなかったはずだ。」
 「それがどうだ。『パイレーツ・オブ・カリビアン』ときたら、海賊が主人公ときたもんだ。改心しないし、処罰もされないし、その上……。」

 「ちょっと待ってよ、パパ。今度は違うんだ。4作目の『生命(いのち)の泉』は違うんだよ。」

 「え、何だって? 4作目には宣教師が出てくるのか。海賊や怪物どもの中にあって、宣教師が思いやりや優しさを示すのか。」
 「しかもスペイン艦隊が出るって!あのカトリック教国が、正しい信仰を示すために船を出すんだな。」
 「そうか、やっと安心して観られる映画になったな。3作目までは教育に悪いって、教会でも噂になっていたんだよ。でも、さすがはディズニーだ。」


 もしも、あなたが信心深い米国市民なら、『パイレーツ・オブ・カリビアン』を3作目まででやめてはいけない。
 信仰をきちんと教える4作目まで観ることだ。

 この4作目は新三部作の始まりだって?
 結構じゃないか。いかがわしい魔術や魔法使いが打ち負かされるなら、善良な米国市民は支持しよう。


パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉 DVD+ブルーレイセット [Blu-ray]パイレーツ・オブ・カリビアン/生命(いのち)の泉』  [は行]
監督/ロブ・マーシャル 制作/ジェリー・ブラッカイマー
出演/ジョニー・デップ ペネロペ・クルス ジェフリー・ラッシュ イアン・マクシェーン サム・クラフリン アストリッド・ベルジュ=フリスベ ケヴィン・R・マクナリー キース・リチャーズ リチャード・グリフィス ジュディ・デンチ
日本公開/2011年5月20日
ジャンル/[アドベンチャー] [アクション] [コメディ]

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『プリンセス トヨトミ』 その仕事の費用対効果は?

 世の中には、その実態があまり知られていない職業、あるいは誤解されている職業が少なくない。会計検査院の仕事も、そんな一つかもしれない。

 『プリンセス トヨトミ』のように会計検査院の調査官が主人公となる映画は、おそらく珍しいだろう。
 だから、映画の前半、調査官が行政機関や公益法人等に乗り込んで検査する場面は、なかなか興味深い。エンドクレジットには取材協力として会計検査院の名もあるので、実際の検査もこのように行われるのかもしれない。
 しかし出来上がった映画は、はたして会計検査院の姿を正しく伝えているだろうか。

 会計検査院とは、その名のとおり行政機関等を対象に会計検査をする組織である。企業の会計を公認会計士が監査するように、行政機関等に対しては会計検査院が検査するのである。
 では、どのような観点で検査を行うかというと、会計検査院の平成21年度決算検査報告には、次の6点が挙げられている。

 (ア)決算の表示が予算執行等の財務の状況を正確に表現しているかという正確性の観点
 (イ)会計経理が予算、法律、政令等に従って適正に処理されているかという合規性の観点
 (ウ)事務・事業の遂行及び予算の執行がより少ない費用で実施できないかという経済性の観点
 (エ)同じ費用でより大きな成果が得られないか、あるいは費用との対比で最大限の成果を得ているかという効率性の観点
 (オ)事務・事業の遂行及び予算の執行の結果が、所期の目的を達成しているか、また、効果を上げているかという有効性の観点
 (カ)その他会計検査上必要な観点

 映画の中では調査官たちが山のような書類を前に電卓を叩いており、これは上の観点のうち(ア)に挙げられた正確性の検査であろう。そして調査官たちは見事に書類の虚偽を暴いたりするのだが、これは(イ)の合規性に該当しよう。
 もちろんこれらも会計検査院の重要な仕事ではあろうが、珍しく会計検査院を取り上げた映画であるからこそ、(ウ)~(カ)の観点が描写されないのは残念だ。これでは映画の観客は、会計検査院の調査官が犯罪捜査を行っているかのような印象を抱くだろう。

 やはり会計検査院をモデルにしたテレビドラマ『黄金の豚 - 会計検査庁 特別調査課 - 』も行政機関等の不正を暴く話であり、まるで行政機関等が悪の巣窟のような描かれ方であった。
 たしかに行政機関とて、民間同様に不正はあろう。たとえば警察の不正・腐敗については、映画『ポチの告白』がたっぷりと見せてくれる。不正・腐敗を暴く取り組みが必要なのは当然だ。
 しかし、このように会計検査院の活動の一面ばかりがクローズアップされるのは、はたして適切だろうか。


 ここで会計検査院の実績を見てみよう。
 平成21年度決算検査報告の第1章第2節「検査結果の大要」によれば、会計検査院による検査の結果、不当事項として指摘された金額は202億2859万円である。
 不当事項とはいかないまでも、何かしらの意見を表示したり、処置を要求した事項等を加えると、指摘金額は1兆7904億8354万円に上る。202億円に比べると2桁も多い。
 映画やテレビで書類の虚偽を暴く姿は判りやすくて痛快だが、そのようにして指摘した金額は会計検査院の成果の中では1%程度でしかないのである。会計検査院の仕事はこれまで映画やテレビではあまりスポットライトが当たってこなかったので、映画界・テレビ界としては開拓する余地の大きい分野であろうが、調査官がまるで犯罪捜査をしているかのような映像作品が広まるのが会計検査院にとって良いことかどうか。

 実のところ、平成21年度の会計検査院自身の支出済歳出額が163億4432万円に及んでいる。不当事項の発見と指摘は重要な業務だが、163億円超を費やして指摘した不当事項が202億円では、あまり効率の良い活動とは思えない。
 それどころか、平成20年度の不当事項の指摘金額は123億2993万円しかないので、各機関からこの金銭を返還させるよりも、会計検査院が何も活動せずに平成20年度の歳出決算額164億円を返還する方が国庫のためとさえ云える。

 したがって、会計検査院の活動としては(ウ)の経済性や(エ)の効率性、(オ)の有効性の観点がたいへん重要なのだ。
 ところが、平成21年度決算検査における指摘金額の総計1兆7904億8354万円も、どれほどの成果なのか評価は難しい。
 検査の対象は、107兆円以上の一般会計、377兆円以上の特別会計1兆円以上の政府関係機関の決算額である。合計486兆円以上の金額を対象に検査して、指摘金額が約1.8兆円だ。割合にして、わずか0.37%。
 民間企業で、コストの見直しを検討する部署が全社売上の0.37%に相当する程度の施策しか打ち出せなかったら、その部署は存続が危ういだろう。

 もちろん、会計検査院の調査官諸氏は極めて優秀なはずだ。
 64.1万人の国家公務員と多数の公益法人職員に対して、会計検査院の調査官又は調査官補が約970人で足りるのか、といったところに検討すべき課題があるのかもしれない。


 そうは云っても唯一の検査機関であり、大きな成果が望まれる会計検査院の調査官が、大阪にある怪しい財団法人と対決するのが『プリンセス トヨトミ』である。
 その財団法人が国から得ている補助金は5億円。はたしてその5億円は、国の支出として適切なのかが問題となる。

 国家財政486兆円以上のうちの5億円という数字が、本作のスケール感を如実に表している。
 ちなみに、大阪市の年間予算は3兆9354億円なので、5億円を巡って国と攻防を繰り広げなくても、大阪市民の協力があれば捻出できる金額であろう。
 戦国の世からの歴史を紐解きながら「大阪国」の秘密に迫る本作は、壮大なスケールを予感させながらも、金額に換算するととてもチープなのである。それこそが本作の肝と云える。

 大阪と国家を取り上げた作品としては、先に公開された『さらば愛しの大統領』がある。
 その記事でも述べたことだが、大阪が一つの国として立ち上がるという発想は、歴史的経緯からすれば逆である。大阪を中心とした京阪神地域は、本来、日本の首都に名乗りを上げてもおかしくない。
 だが『プリンセス トヨトミ』では、そんな大それた構想が描かれることはない。
 印象に強く残るのは、美味そうなお好み焼きとたこ焼きと串かつである。


 さて、珍しく会計検査院を取り上げた『プリンセス トヨトミ』だが、おそらく劇中の仕事ぶりに戸惑うのは、他ならぬ会計検査院の方々かもしれない。
 日本の映画やテレビドラマでは、公務員に命令違反をさせたり、ルールを破らせて、それを肯定的に描くことが間々あるが、本作の調査官もいささか個人的裁量の度が過ぎるようだ。
 正確性、合規性を重んじる調査官諸氏は、劇中の調査官の活躍をどう見るだろうか。


プリンセス トヨトミ Blu-rayスタンダード・エディション [Blu-ray]プリンセス トヨトミ』  [は行]
監督/鈴木雅之
出演/堤真一 綾瀬はるか 岡田将生 沢木ルカ 森永悠希 笹野高史 和久井映見 中井貴一
日本公開/2011年5月28日
ジャンル/[コメディ] [ミステリー] [ファンタジー]
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『戦火の中へ』 ここだけの話

 あえて『戦火の中へ』の問題を指摘するなら、面白すぎることだろう。

 この映画は、朝鮮戦争を戦った学生たちの実話を基にしている。
 今でこそ、38度線でにらみ合ったまま休戦状態となっているが、1950年の開戦当初は北朝鮮が優勢で、韓国側は半島の南端まで追い詰められていた。韓国軍及び国連軍は、戦力のすべてを最重要拠点に集中せざるを得ず、他の拠点の兵士はみな移動することになった。
 そうして兵士たちがいなくなった地域に、学徒兵だけが取り残された。ろくに銃を撃ったことすらない71人の学徒兵たちは、敵の影を警戒しながら、軍司令部の置かれた学校に寝泊りした。
 そこへ、破竹の勢いの北朝鮮軍が攻め込んでくるのである!

 この攻防戦が滅法面白い。
 多勢に無勢ながら善戦する彼らには、それでなくても肩入れしてしまう。ましてや、こちらは寄せ集めの学生たち、相手は北朝鮮の正規軍だ。手に汗握るとはこのことだ。

 学徒兵のメンバーには、お約束通りの連中が揃っている。
 生真面目でプレッシャーを抱えた主人公と、反抗的なライバル、そして太ったお銚子者や、まだ小さな弟分など、『科学忍者隊ガッチャマン』等に代表される伝統にのっとり、説明しなくても役どころが判る面々だ。
 学生服の彼らがボロボロになって戦うアクションシーンは、『クローズZERO』シリーズをエスカレーションしたかのような迫力だ。


 そしてまたアクション物やヒーロー物の魅力といえば、敵軍団の強大さだ。
 『超人機メタルダー』の例もあるように、ヒーロー側の描写は薄くても、敵組織の構成や階級、キャラクターそれぞれの個性が際立っていれば、充分に面白い作品になる。

 『戦火の中へ』では北朝鮮軍が敵組織に当たるのだが、単に命令を受けて行軍するだけの部隊ではない。これまたヒーロー物のお約束のように、一人だけ白い軍服を着た非常に目立つ少佐がおり、彼が北朝鮮の部隊を率いている。
 少佐は、本部の命令に黙って従うような男ではない。自分なりの論理と倫理を持ち、戦略上必要と思えば自分の判断で軍を動かしてしまう傑物だ。
 サイドカーにふんぞり返って、部隊に指示する少佐の姿は、敵役として充分すぎるほどの貫録だ。まさしく、典型的なヒーロー物の敵軍団である。
 『戦火の中へ』は、ヒーロー物、アクション物として、鉄板の作りなのだ。


 それが気になるところではある。
 朝鮮戦争はいまだ終わってはいない。1950年当時の戦いの経験者も存命している。
 そんな中で、『戦火の中へ』を戦争アクションとして楽しんでしまっていいものだろうか。

 もちろん、イ・ジェハン監督は勧善懲悪のエンターテインメントとして描こうとしているわけではない。
 映画には、辛く、悲惨なシーンもあるし、北朝鮮側の描き方にしても、少年兵の悲劇的なエピソードを織り込んだり、一人ひとりは人間くさく親しみが持てることを匂わせたりしている。
 また、捕虜になった者がせっかく無事に帰ってきたのに、無事を喜ぶどころかおめおめと戻ってきたことを非難する場面など、日本人にも通じる悲しい性質も描かれる。

 とはいえ、同時にアクション物として優れているのも確かなのだ。
 公式サイトによれば、イ・ジェハン監督は本作をオファーされたとき「骨太なドラマと強烈なアクションによる新境地へ踏み出したい」と考えていたという。

 そういえば、かつて戦争映画はしばしばアクション映画でもあった。
 たとえば、第二次世界大戦前のリビアを舞台にした『砂漠のライオン』(1981年)がそうだった。植民地支配に抵抗する激しい戦いを見ながら、こんなに血湧き肉踊っていいのだろうかと思ったものだ。


 どうも戦争映画と聞くと、頭を垂れたり、しかつめらしい顔をすべき気持ちになってしまう。とりわけ『戦火の中へ』は、いささか縁遠いリビアのことではなく、日本人にも関係の深い隣国のことなのだ。
 本作は、もちろんそのような受け止め方もできるし、宣伝も戦争の過酷さを打ち出している。だから、戦争のことや南北の分断について語る方が相応しいのかもしれない。

 けれども、それにしては面白すぎるのだ。
 『クローズZERO』のように、学生が殴りあうだけのフィクションであれば、どれだけ血にまみれても割り切って楽しめるのに、本作が実話に基づき、多くの犠牲を出した事件であることを考えると、なんだか「面白い」と口にするのがはばかられる。

 イ・ジェハン監督も論評しにくい映画を作ってくれたものだ。
 だから私が『戦火の中へ』を観てワクワクしてしまったことは、ここだけの内緒である。


戦火の中へ [Blu-ray]戦火の中へ』  [さ行]
監督/イ・ジェハン  脚本/イ・マニ
出演/チェ・スンヒョン (T.O.P) クォン・サンウ チャ・スンウォン キム・スンウ パク・ジニ キム・ヘソン ムン・ジェウォン
日本公開/2010年2月19日
ジャンル/[戦争] [ドラマ] [アクション]
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『わたしを離さないで』 訴えられるのは誰か?

わたしを離さないで [Blu-ray] 【ネタバレ注意】

 『わたしを離さないで』の中には、実に無意味な問いが出てくる。
 それは、「彼らは心を持っているか」という問いかけだ。
 もちろん、本作はこの設問を追及するものではない。追求するまでもない。ただ、そんな問いを設定してしまう人がいることを悲しく描くだけだ。

 クローン技術による生物の誕生は、単に無性生殖がなされたというに過ぎない。私たちは有性生殖により遺伝子の多様性を確保するが、子を産み増殖するだけなら有性である必要はない。
 私たちが有性生殖したにもかかわらず遺伝子の多様性を確保しなかった例としては、一卵性双生児がある。一卵性双生児はそれぞれ同じ遺伝子を有しているが、だからといって心のありようが他の人と違うわけではない。

 クローンは、"オリジナル"の生物とほとんど同じ遺伝子を持つ[*]。しかし、たとえ一卵性双生児であっても指紋すら一致しないのに、ほとんど同じ遺伝子を持ったから何だというのだろう。
 クローンの誕生には人の技術が介在するが、そのことと誕生した生命に何の関係があろう。
 にもかかわらず、クローン技術で生まれた者は3年程度しか生きられないとか、偏見もはなはだしい映画が作られている。

 かつては双子ですら、一人で生まれた者とは違うと考えられた時代がある。
 日本でも、同性の双子はたたりをもたらすと恐れられ、どちらか一人を殺す風習があったという。
 今ではこのような恐るべき風習が許されないように、クローンを特別視することも許されないだろう。


 現在はまだクローン技術により誕生した人間はいないと考えられる。
 しかるに、彼らに対する差別はすでに始まっている。
 それは、しばしば見かける「クローン人間」という表記である。「人間」という語と「クローン」という語を合成することで、まるで彼らを一般の人間とは区別すべきものであるかのような印象を与えている。
 双子の遺伝子が等しいからといって、彼らを「一卵性双生人間」と呼んだりはしないし、誕生に際して人手による技術が介在したからといって、「対外受精人間」と呼んだり「帝王切開人間」と呼んだりはしない。
 そんな呼び方は、はなはだ不自然であり、人権侵害ですらあると私たちは知っている。なのに、「クローン人間」という表記はまかり通っている。

 クローンについてはまだまだ研究が必要だろうし、社会的にも議論を重ねるべきだろうが、かつて双子が生まれると一人を殺していたような偏見・迷信だけは許してはならないだろう。


 『わたしを離さないで』においては、クローン技術により誕生した人間が、他の人間と何ら変わらぬ感情を持ち、恋をし、希望にすがり、絶望に落胆する様が描かれる。彼らの成長を丹念に追うことで、観客は彼らに感情移入し、「心を持っているか」なんて問いが無意味であると痛感する。

 さて、そんなことをわざわざ描くのは何のためだろう?
 一般の人間と変わらぬ恋や心の動きを描写するなら、あえてクローンという設定を導入する必要はない。
 劇中で、彼らがクローンであることは取り立てて謎ではなく、そこからたいしてサスペンスが生まれるわけでもない。どこかにオリジナルの遺伝子を持つ人間がいるはずだが、それを云ったらすべての人間には男親、女親というオリジナルの遺伝子を持つ人間(ただし半分ずつ)がいるわけで、"オリジナル"を気にする彼らは、まだ見ぬ親のことを考える孤児にも相当しよう。 
 そうだ。本作で描かれる多くのことは、クローンを持ち出さなくても描けるのだ。


わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫) では、本作の特徴はどこにあるのか。
 それは、クローン技術により誕生した人間たちの中ではなく、彼らを取り巻く環境にある。
 本作では、クローン技術により人間を生み出し、その臓器を部品として利用することで人々が長寿を得ている。主人公たちは、数回の手術で臓器を提供すると、生きることもかなわなくなって「終了」する。彼らはその運命に抵抗するでもなく、粛々と手術を受けて臓器を提供し続け、その多くが20代で命を落とす。

 この映画は、SFでもあり恋愛物でもあり青春物でもあるかもしれない。
 しかし、あえて一つのジャンルに分類するなら、本作は余命物である。自分や親しい人が余命いくばくもない状況で、その運命にどう向きあい、残された時間をどう過ごすか。
 おそらく本作の作り手は、一人や二人ではなく、多くの若者が生まれたときから死ぬことを義務付けられている、そんなシチュエーションが欲しくてこの設定を考えたのだろう。

 「生まれたときから死ぬことを義務付けられている」――おかしな表現だ。すべての人間はいつか死ぬことが義務付けられている。生まれたときから。
 本作はそれを、ちょっと早く、青少年のうちから感じざるを得ない人々を主人公とすることで、人間の生を浮き彫りにしようとしているのだ。


 それにしても、彼らが抵抗しないのはなぜだろう?
 治療不能の病魔に侵されたわけでもなく、予測不能の事故に遭ったわけでもなく、彼らは人の手で臓器を取られ、命を失っているのに、なぜ抵抗しないのか?
 それには幾つか理由があろう。
 生まれる前からの制度として、常識として、確立していたら、個人がそれに抗うのは容易ではない。周囲のみんなが粛々と受け入れているのだ、そもそも抗うことを思いつきもしないだろう。

 だが、おそらく最も大きな理由は、彼らが臓器を提供することで存在を認められるからだ。
 人は誰しも承認されたいという欲求がある。誰かに認められたい、存在を肯定されたいと願っている。
 臓器の提供は、人々の長寿を実現するための大事な要素であり、本作の世界の制度ではクローンとして誕生した彼らだけが担える役割であると思われる。
 生まれたときから、彼らを可愛がる親はなく、褒められたり、将来を期待されることもない。スポーツで声援を受けるでもなく、芸術で称賛されるでもない。料理が上手くできたとか、テストの点数が上がったということで喜ばれたことすらない。
 そんな彼らが唯一求められるのが臓器を提供することであったなら、そのことを通じてしか彼らの存在を気にかけてもらえないとしたら、彼らは臓器を提供する外に何ができるというのだろう。

 主人公たちは、臓器を抜き取られることを搾取だとか虐げだとは思っていない。彼らがそのことを口にするとしたら、献身とか貢献という言葉を使うだろう。


 劇中、彼らは必至に証明しようとする。自分たちには愛があると。
 愛情を注がれたことがない彼らは、愛があることを証明しなければならないと思ってしまう。何と悲しいことか。

 「わたしを離さないで」――それはあまりにも悲痛な叫びである。
 私たちの周りにも、そう訴えている人がいないだろうか。


[*] 核移植によるクローンでは、ミトコンドリアは未受精卵由来のものとなるため、最初の受精卵のものとは異なる


わたしを離さないで [Blu-ray]わたしを離さないで』  [わ行]
監督/マーク・ロマネク  原作/カズオ・イシグロ
出演/キャリー・マリガン アンドリュー・ガーフィールド キーラ・ナイトレイ シャーロット・ランプリング サリー・ホーキンス
日本公開/2010年3月26日
ジャンル/[ドラマ] [青春] [SF]
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