『GANTZ』 このスーツを見よ!
映画の楽しみの一つは、エンドクレジットだろう。そこには、他では得られない情報や種明かしがある。
エンドクレジットを見れば、公式サイトをはじめとした宣伝では紹介していないけれど実は有名俳優が出演していたりすることが判るし、映画の中の風景を撮影した場所も説明される。
だいたい私が鑑賞前に映画について知っているのはタイトルと監督名くらいなので、誰が何をやっているかはエンドクレジットではじめて知ることが多い。
なのに、その重要なエンドクレジットはどんどん流れていってしまうから、映画の中でも一番しっかり観ないといけないところだ。
映画『GANTZ』でも、エンドクレジットを観ていたら驚きの名前があった。
特殊衣装 竹田団吾
考えてみれば当然だ。
主人公が着用するガンツスーツは、おいそれと作れるものではない。竹田団吾氏の参画があってのものだろう。
『GANTZ』において、竹田団吾氏はガンツスーツのデザイン及び制作を担当している。
もちろん、ガンツスーツのデザインの基は原作マンガに描かれているが、絵に描いてカッコいい衣装と、実際に人が着こなせてカッコいい衣装とは違う。
ここが案外難しいところで、絵ではカッコいい装飾が、実際の衣装にしてみるとゴテゴテした余計な飾りになってしまったりする。はたまた、絵に描き込まれていた皺やひだや光沢や陰がなくなると、のっぺりとしたつまらない衣装でしかなかったりする。
特にSFやファンタジーの衣装は風変わりなものが多く、デザイナーの画力のおかげでカッコ良く見えているだけのこともあるのだ。
制作上の問題もある。デザインが現実離れしていれば、着衣としてしっくりくるものを作るのは困難だ。何しろ、これまで作られたことのない衣装なのだから、まともに服に見えないかもしれない。
そんな衣装にまつわる多くの課題を、見事にクリアするのが竹田団吾氏だ。
まず、そのデザインがカッコいい。
その上、カッコ良さばかりではなく、着衣としても自然に見えるデザインだ。
さらに、それを現実の衣装として仕立て上げる技術も確かである。
そこには、役者として衣装をまとって演技していた経験が生きているのかもしれない。
竹田団吾氏が所属する劇団☆新感線の芝居を長年観続けて、衣装の変遷を目の当たりにしてきた今、ガンツスーツは一つの到達点に感じる。
『GANTZ』の登場人物たちは、ガンツスーツを着てアクションするわけだから、とうぜん動きやすくなければならない。体に密着しているので、余計なものは排除しなければならない。とはいえ、SFらしいギミックの魅力も欲しい。もちろん、ヒーローのコスチュームなのだから、なんてったってカッコ良くなければならない。
これらの課題をデザイナーとしても制作者としてもクリアしてくれるのが、竹田団吾氏だ。
このガンツスーツ、公式サイトによれば、試作から5パターンを経て完成したという。
カッコいいだけではない。そこには、主人公たちの行為が正義なのか悪なのか判らない、ダークな雰囲気も醸し出す。
そして、質感たっぷりの武器や不気味なガンツ等、見事な出来の小道具大道具と相まって、竹田団吾氏によるガンツスーツが映画を盛り上げている。
ひとつ我がままを云わせてもらえば、役者としての竹田団吾氏をまた見たい。
もう一度舞台を踏んでもらえないものだろうか。
『GANTZ』 [か行]
『GANTZ : PERFECT ANSWER』
監督/佐藤信介 アクション監督/下村勇二
出演/二宮和也 松山ケンイチ 吉高由里子 本郷奏多 夏菜 田口トモロヲ 山田孝之 伊藤歩 綾野剛
日本公開/1作目:2011年1月29日 2作目:2011年4月23日
ジャンル/[SF] [アクション] [サスペンス]
エンドクレジットを見れば、公式サイトをはじめとした宣伝では紹介していないけれど実は有名俳優が出演していたりすることが判るし、映画の中の風景を撮影した場所も説明される。
だいたい私が鑑賞前に映画について知っているのはタイトルと監督名くらいなので、誰が何をやっているかはエンドクレジットではじめて知ることが多い。
なのに、その重要なエンドクレジットはどんどん流れていってしまうから、映画の中でも一番しっかり観ないといけないところだ。
映画『GANTZ』でも、エンドクレジットを観ていたら驚きの名前があった。
特殊衣装 竹田団吾
考えてみれば当然だ。
主人公が着用するガンツスーツは、おいそれと作れるものではない。竹田団吾氏の参画があってのものだろう。
『GANTZ』において、竹田団吾氏はガンツスーツのデザイン及び制作を担当している。
もちろん、ガンツスーツのデザインの基は原作マンガに描かれているが、絵に描いてカッコいい衣装と、実際に人が着こなせてカッコいい衣装とは違う。
ここが案外難しいところで、絵ではカッコいい装飾が、実際の衣装にしてみるとゴテゴテした余計な飾りになってしまったりする。はたまた、絵に描き込まれていた皺やひだや光沢や陰がなくなると、のっぺりとしたつまらない衣装でしかなかったりする。
特にSFやファンタジーの衣装は風変わりなものが多く、デザイナーの画力のおかげでカッコ良く見えているだけのこともあるのだ。
制作上の問題もある。デザインが現実離れしていれば、着衣としてしっくりくるものを作るのは困難だ。何しろ、これまで作られたことのない衣装なのだから、まともに服に見えないかもしれない。
そんな衣装にまつわる多くの課題を、見事にクリアするのが竹田団吾氏だ。
まず、そのデザインがカッコいい。
その上、カッコ良さばかりではなく、着衣としても自然に見えるデザインだ。
さらに、それを現実の衣装として仕立て上げる技術も確かである。
そこには、役者として衣装をまとって演技していた経験が生きているのかもしれない。
竹田団吾氏が所属する劇団☆新感線の芝居を長年観続けて、衣装の変遷を目の当たりにしてきた今、ガンツスーツは一つの到達点に感じる。
『GANTZ』の登場人物たちは、ガンツスーツを着てアクションするわけだから、とうぜん動きやすくなければならない。体に密着しているので、余計なものは排除しなければならない。とはいえ、SFらしいギミックの魅力も欲しい。もちろん、ヒーローのコスチュームなのだから、なんてったってカッコ良くなければならない。
これらの課題をデザイナーとしても制作者としてもクリアしてくれるのが、竹田団吾氏だ。
このガンツスーツ、公式サイトによれば、試作から5パターンを経て完成したという。
カッコいいだけではない。そこには、主人公たちの行為が正義なのか悪なのか判らない、ダークな雰囲気も醸し出す。
そして、質感たっぷりの武器や不気味なガンツ等、見事な出来の小道具大道具と相まって、竹田団吾氏によるガンツスーツが映画を盛り上げている。
ひとつ我がままを云わせてもらえば、役者としての竹田団吾氏をまた見たい。
もう一度舞台を踏んでもらえないものだろうか。
![GANTZ [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/416pdDcKw6L._SL160_.jpg)
『GANTZ : PERFECT ANSWER』
監督/佐藤信介 アクション監督/下村勇二
出演/二宮和也 松山ケンイチ 吉高由里子 本郷奏多 夏菜 田口トモロヲ 山田孝之 伊藤歩 綾野剛
日本公開/1作目:2011年1月29日 2作目:2011年4月23日
ジャンル/[SF] [アクション] [サスペンス]

【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画】
【genre : 映画】
『人生万歳!』 楽しい映画をありがとう!
もう上映期間も終了間際だというのに、映画館は意外に混んでいた。私と同じように考えた人が多いのだろうか。
時間の都合がつかないので、『人生万歳!』のロードショーに行くのは見送ろう、いったんはそう考えた。
しかし、本作は恵比寿ガーデンシネマの最後の上映作品だ。
なんとか恵比寿で観たい。
そう考え直して、映画館に足を運んだのである。
『人生万歳!』は格差婚を描いた作品だ。
男女を隔てる壁は様々だが、この映画で問題となるのは知性の格差だ。自称天才の元物理学者と、ミスコン荒らしをしていた無教養な田舎娘との、「知性格差婚」の日々が綴られる。
これがもう爆笑なんである。二人のすれ違った会話がおかしくてたまらない。
彼らを取り巻く人々も楽しい。典型的な共和党支持者がコロリと転向してしまう様は愉快である。
そして誰もが変化を恐れない。変化を受け入れ、それを楽しんでいる。その姿には大いに励まされ、そしてやっぱり笑ってしまう。
本作はウディ・アレンの監督40作目だが、ウディ・アレン本人は出演していない。けれども、ヘンなオヤジが早口でまくしたてるのを聞いていれば、ウディ・アレンを見るようで嬉しくなる。
こうして恵比寿ガーデンシネマの最後の作品に楽しい思いをさせてもらったが、正直なところ、私はあまりこの映画館を利用していない。
近場のシネコンでSF映画やアクション映画を見れば満足の私にとって、恵比寿ガーデンシネマはいささか敷居が高かったし、恵比寿ガーデンプレイスという街そのものが、私なんぞにはお洒落すぎるように感じた。
だが、恵比寿ガーデンシネマはいい映画館だった。
館内がきれいだとか、客席の座り心地がいいとか、良い点はたくさんあるが、最も感心したのは場内を飲食禁止にしていたことだ。もっとも、水分補給が断たれると困る人がいるためか、さすがに飲み物の持ち込みだけは許可するようになったが、食べ物は最後まで禁止し続けた。
当然の配慮だと思う。
映画は映画館で観るようにしている私だが、その思いを挫けさせるのが観客のマナーである。
上映中に喋る人や、前の座席に足がぶつかっても平気な人は困りものだが、一番気になるのが場内で食べる人だ。包装をいじる音が響く上、咀嚼する音まで聞こえてくるし、臭いも漂ってくる。
映画館は映画を観るところなんだから、たかだか2時間程度の上映中にポップコーン等を食べなきゃいけない理由はないはずだが、なぜかみなさん手に手に食べ物を持って客席にやってくる。特に、お昼頃や夜の上映では、食事を兼ねている人も見受けられる。
私は、うるさい人が近くにいたらすかさず注意することを心掛けているものの、こちらも映画を観ている身なので、声をかけるタイミングに悩む。映画に集中したいと思いつつ、周囲の動向にも気を配り、タイミングを見計らうのは大きなストレスだ。映画の印象にも影響する。
この問題を解決する決定打は簡単なことだ。飲食禁止にすれば良いのである。
ところが、それがなかなか出来ない。理由の一つは、映画館の経営において飲食物の売り上げが重要だからだろう。映画館は映画のチケット代だけを収益としているわけではない。映画館にとっては、ジュースを飲んでポップコーンを食べて、パンフレットやグッズを買う客はいい客だ。
でも、飲食をうるさく感じる人がいるのも事実なので、映画館側は、開封の音をさせずに食べられるようポップコーンをカップに盛ったり、音のしにくい包装を工夫したりしている。にもかかわらず、外部から飲食物を持ち込む客が後を絶たない。困ったものだ。
そんな中、ハッキリと食べることを禁止した恵比寿ガーデンシネマに、私は敬意を払っていた。この映画館なら、安心して映画に浸れると信じていた。
それなのに、恵比寿ガーデンシネマが休館するのはたいへん残念である。
これまで、面白い映画の数々を気持ちよく観ることができたのは、スタッフのみなさんをはじめ多くの方のご尽力によるものだろう。
ここに感謝を表したい。
『人生万歳!』 [さ行]
監督・脚本/ウディ・アレン
出演/ラリー・デヴィッド エヴァン・レイチェル・ウッド パトリシア・クラークソン ヘンリー・カヴィル エド・ベグリー・Jr
日本公開/2010年12月11日
ジャンル/[コメディ]
http://bookmarks.yahoo.co.jp/bookmarklet/showpopup?t='+encodeURIComponent(document.title)+'&u='+encodeURIComponent(location.href)+'&ei=UTF-8','_blank','width=550,height=480,left=100,top=50,scrollbars=1,resizable=1',0);">
時間の都合がつかないので、『人生万歳!』のロードショーに行くのは見送ろう、いったんはそう考えた。
しかし、本作は恵比寿ガーデンシネマの最後の上映作品だ。
なんとか恵比寿で観たい。
そう考え直して、映画館に足を運んだのである。
『人生万歳!』は格差婚を描いた作品だ。
男女を隔てる壁は様々だが、この映画で問題となるのは知性の格差だ。自称天才の元物理学者と、ミスコン荒らしをしていた無教養な田舎娘との、「知性格差婚」の日々が綴られる。
これがもう爆笑なんである。二人のすれ違った会話がおかしくてたまらない。
彼らを取り巻く人々も楽しい。典型的な共和党支持者がコロリと転向してしまう様は愉快である。
そして誰もが変化を恐れない。変化を受け入れ、それを楽しんでいる。その姿には大いに励まされ、そしてやっぱり笑ってしまう。
本作はウディ・アレンの監督40作目だが、ウディ・アレン本人は出演していない。けれども、ヘンなオヤジが早口でまくしたてるのを聞いていれば、ウディ・アレンを見るようで嬉しくなる。
こうして恵比寿ガーデンシネマの最後の作品に楽しい思いをさせてもらったが、正直なところ、私はあまりこの映画館を利用していない。
近場のシネコンでSF映画やアクション映画を見れば満足の私にとって、恵比寿ガーデンシネマはいささか敷居が高かったし、恵比寿ガーデンプレイスという街そのものが、私なんぞにはお洒落すぎるように感じた。
だが、恵比寿ガーデンシネマはいい映画館だった。
館内がきれいだとか、客席の座り心地がいいとか、良い点はたくさんあるが、最も感心したのは場内を飲食禁止にしていたことだ。もっとも、水分補給が断たれると困る人がいるためか、さすがに飲み物の持ち込みだけは許可するようになったが、食べ物は最後まで禁止し続けた。
当然の配慮だと思う。
映画は映画館で観るようにしている私だが、その思いを挫けさせるのが観客のマナーである。
上映中に喋る人や、前の座席に足がぶつかっても平気な人は困りものだが、一番気になるのが場内で食べる人だ。包装をいじる音が響く上、咀嚼する音まで聞こえてくるし、臭いも漂ってくる。
映画館は映画を観るところなんだから、たかだか2時間程度の上映中にポップコーン等を食べなきゃいけない理由はないはずだが、なぜかみなさん手に手に食べ物を持って客席にやってくる。特に、お昼頃や夜の上映では、食事を兼ねている人も見受けられる。
私は、うるさい人が近くにいたらすかさず注意することを心掛けているものの、こちらも映画を観ている身なので、声をかけるタイミングに悩む。映画に集中したいと思いつつ、周囲の動向にも気を配り、タイミングを見計らうのは大きなストレスだ。映画の印象にも影響する。
この問題を解決する決定打は簡単なことだ。飲食禁止にすれば良いのである。
ところが、それがなかなか出来ない。理由の一つは、映画館の経営において飲食物の売り上げが重要だからだろう。映画館は映画のチケット代だけを収益としているわけではない。映画館にとっては、ジュースを飲んでポップコーンを食べて、パンフレットやグッズを買う客はいい客だ。
でも、飲食をうるさく感じる人がいるのも事実なので、映画館側は、開封の音をさせずに食べられるようポップコーンをカップに盛ったり、音のしにくい包装を工夫したりしている。にもかかわらず、外部から飲食物を持ち込む客が後を絶たない。困ったものだ。
そんな中、ハッキリと食べることを禁止した恵比寿ガーデンシネマに、私は敬意を払っていた。この映画館なら、安心して映画に浸れると信じていた。
それなのに、恵比寿ガーデンシネマが休館するのはたいへん残念である。
これまで、面白い映画の数々を気持ちよく観ることができたのは、スタッフのみなさんをはじめ多くの方のご尽力によるものだろう。
ここに感謝を表したい。
![人生万歳! [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51SzNeGumFL._SL160_.jpg)
監督・脚本/ウディ・アレン
出演/ラリー・デヴィッド エヴァン・レイチェル・ウッド パトリシア・クラークソン ヘンリー・カヴィル エド・ベグリー・Jr
日本公開/2010年12月11日
ジャンル/[コメディ]


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【theme : 恋愛映画・ロマンティックコメディ】
【genre : 映画】
tag : ウディ・アレンラリー・デヴィッドエヴァン・レイチェル・ウッドパトリシア・クラークソンヘンリー・カヴィルエド・ベグリー・Jr
『白いリボン』 恋の行方も?
【ネタバレ注意】
涙を流す少年のアップ。ポスターのこんなモノクロ写真を見て、私はてっきり『白いリボン』は暗くて退屈な映画だろうと思い込んでしまった。よもやミステリ仕立てでワクワクさせる、こんなに面白い映画だとは思わなかったのだ。
白いリボンを、スクリーンに映して見せるのは難しかろう。言葉で「白」といっても、人が思い浮かべるのはクリーム色に近いものや青味がかったもの等、様々だ。ましてや、それが無垢と正直の象徴となれば、わずかな汚れや、照明が作る翳りすら許されない。
だから映画『白いリボン』が、モノクロなのは理に適っている。
本作は、スクリーンに色を映すのではなく、観客に「このリボンは白い」と想像させる。
映画から色彩を剥ぎ取った本作は、さらに音楽も剥ぎ取り、カットバックのような技巧も剥ぎ取り、舞台となる村を可能な限りむき出しにする。
そこに描かれるのは、どこにでも誰にでもある、ごくごく普通の欺瞞と悪意とコミュニケーションの断絶である。例えば、あなたの陰口を発した者や広めた者が誰なのかあなたには判らないように、例えば、学校であなたの上履きを隠した者がいつまで経っても裁かれることはないように、あなたを取り巻く悪意が確かに存在しても、名指しで指摘することはできない。ただ、周囲の悪意のみがひしひしと感じられる。
本作は、そんなことをあなたに思い出させ、緊張を強いるだろう。
白いリボンは、牧師が子供たちにを結んだものだ。
かつて子供たちが産まれたばかりのころにも、無垢でいるようにと白いリボンを結んだという。そしてまた、子供たちが不正直だと感じるとリボンを結ぶ。リボンが解かれるのは、子供たちが無垢と正直さを身に付けたときだ。
しかし、あにはからんや人間は無垢になったりしない。正直にもならない。牧師が厳しく躾ければ躾けるほど、子供たちは欺瞞と悪意を成長させる。
劇中に登場する無垢な人間、それは大人の云うことが良く判らない幼児である。傷ついた小鳥を救おうと無邪気に振る舞う幼児は、まだ牧師の厳しい躾けを経験していない。
しかし、幼児といえども「死」の概念を理解し、大人が嘘つきであることを知ったとき、みずからも反抗することを知る。
牧師は欺瞞の象徴だ。
人々、とりわけ家族に厳格さを求め、罪深いことから目を背けようとする。その欺瞞と厳しさこそが家族を苦しめているのに、気付こうともしない。
一方、欲望の象徴とも云えるのが医者だ。彼は自分の欲望のままに生き、人を傷つけることも気にしない。
医者も牧師も人の生死にかかわる職業であり、村人の尊敬を集めている。映画は、そんな彼らの対照的な本性を描きつつ、いずれも無垢でも正直でもない人物として象徴的である。
さらに本作には、豊かな貴族や貧しい小作人たちが配置され、いずれの家庭にも欺瞞と悪意とコミュニケーションの断絶が存在することを描き、貴族の腐敗や貧民の困窮といった偏った物語になることを慎重に避けている。
少年も少女も青年も大人たちも、各々がそれぞれの悪意を放ち続ける。
本作で唯一ホッとさせられるのは、教師と乳母との愛情だ。しかし、それとて絶対ではない。二人のコミュニケーションは断絶しており、乳母は二人だけで森に行くことを拒む。
これらの場面に観客は不安を募らせ、それと同時にセリフでは語られない背後にあるものを想像してドキドキしてくる。
なにしろ、教師が語る後日談には、彼ら二人の行く末すら出てこない。あぁ、恋の行方も観客の想像に託されるとは。
やがて村にサラエボ事件の報が届く。
ときは1914年、この一報により、忌まわしいその村はどこかの知らない土地ではなく、私たちの住むところと歴史に繋がった世の中の一部なのだと思い知らされる。
この映画の素晴らしいところは、カタルシスがないことだろう。
なぜなら私たちの毎日には、カタルシスなんかないのだから。
『白いリボン』 [さ行]
監督・脚本/ミヒャエル・ハネケ
出演/クリスティアン・フリーデル レオニー・ベネシュ ウルリッヒ・トゥクール フィオン・ムーテルト
日本公開/2010年12月4日
ジャンル/[ミステリー] [ドラマ]
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涙を流す少年のアップ。ポスターのこんなモノクロ写真を見て、私はてっきり『白いリボン』は暗くて退屈な映画だろうと思い込んでしまった。よもやミステリ仕立てでワクワクさせる、こんなに面白い映画だとは思わなかったのだ。
白いリボンを、スクリーンに映して見せるのは難しかろう。言葉で「白」といっても、人が思い浮かべるのはクリーム色に近いものや青味がかったもの等、様々だ。ましてや、それが無垢と正直の象徴となれば、わずかな汚れや、照明が作る翳りすら許されない。
だから映画『白いリボン』が、モノクロなのは理に適っている。
本作は、スクリーンに色を映すのではなく、観客に「このリボンは白い」と想像させる。
映画から色彩を剥ぎ取った本作は、さらに音楽も剥ぎ取り、カットバックのような技巧も剥ぎ取り、舞台となる村を可能な限りむき出しにする。
そこに描かれるのは、どこにでも誰にでもある、ごくごく普通の欺瞞と悪意とコミュニケーションの断絶である。例えば、あなたの陰口を発した者や広めた者が誰なのかあなたには判らないように、例えば、学校であなたの上履きを隠した者がいつまで経っても裁かれることはないように、あなたを取り巻く悪意が確かに存在しても、名指しで指摘することはできない。ただ、周囲の悪意のみがひしひしと感じられる。
本作は、そんなことをあなたに思い出させ、緊張を強いるだろう。
白いリボンは、牧師が子供たちにを結んだものだ。
かつて子供たちが産まれたばかりのころにも、無垢でいるようにと白いリボンを結んだという。そしてまた、子供たちが不正直だと感じるとリボンを結ぶ。リボンが解かれるのは、子供たちが無垢と正直さを身に付けたときだ。
しかし、あにはからんや人間は無垢になったりしない。正直にもならない。牧師が厳しく躾ければ躾けるほど、子供たちは欺瞞と悪意を成長させる。
劇中に登場する無垢な人間、それは大人の云うことが良く判らない幼児である。傷ついた小鳥を救おうと無邪気に振る舞う幼児は、まだ牧師の厳しい躾けを経験していない。
しかし、幼児といえども「死」の概念を理解し、大人が嘘つきであることを知ったとき、みずからも反抗することを知る。
牧師は欺瞞の象徴だ。
人々、とりわけ家族に厳格さを求め、罪深いことから目を背けようとする。その欺瞞と厳しさこそが家族を苦しめているのに、気付こうともしない。
一方、欲望の象徴とも云えるのが医者だ。彼は自分の欲望のままに生き、人を傷つけることも気にしない。
医者も牧師も人の生死にかかわる職業であり、村人の尊敬を集めている。映画は、そんな彼らの対照的な本性を描きつつ、いずれも無垢でも正直でもない人物として象徴的である。
さらに本作には、豊かな貴族や貧しい小作人たちが配置され、いずれの家庭にも欺瞞と悪意とコミュニケーションの断絶が存在することを描き、貴族の腐敗や貧民の困窮といった偏った物語になることを慎重に避けている。
少年も少女も青年も大人たちも、各々がそれぞれの悪意を放ち続ける。
本作で唯一ホッとさせられるのは、教師と乳母との愛情だ。しかし、それとて絶対ではない。二人のコミュニケーションは断絶しており、乳母は二人だけで森に行くことを拒む。
これらの場面に観客は不安を募らせ、それと同時にセリフでは語られない背後にあるものを想像してドキドキしてくる。
なにしろ、教師が語る後日談には、彼ら二人の行く末すら出てこない。あぁ、恋の行方も観客の想像に託されるとは。
やがて村にサラエボ事件の報が届く。
ときは1914年、この一報により、忌まわしいその村はどこかの知らない土地ではなく、私たちの住むところと歴史に繋がった世の中の一部なのだと思い知らされる。
この映画の素晴らしいところは、カタルシスがないことだろう。
なぜなら私たちの毎日には、カタルシスなんかないのだから。
![白いリボン [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/515EN3Z2YEL._SL160_.jpg)
監督・脚本/ミヒャエル・ハネケ
出演/クリスティアン・フリーデル レオニー・ベネシュ ウルリッヒ・トゥクール フィオン・ムーテルト
日本公開/2010年12月4日
ジャンル/[ミステリー] [ドラマ]


『ヤコブへの手紙』 世の中から必要とされていないのは誰だ?
【ネタバレ注意】
場内は号泣であった。
たった1時間15分の映画の中に、人を、人生を深く考えさせるものが詰まっていた。
『ヤコブへの手紙』の内容は驚くほどシンプルだ。
主要な役者は三人しかいない。盲目の老牧師ヤコブ、ヤコブに手紙を読み聞かせることが仕事のレイラ、手紙を届ける郵便配達人、それだけだ。ほぼすべてのシークエンスが牧師館で描かれており、まるで舞台劇のようなシンプルさだ。
にもかかわらず、本作は実に映画らしい輝きに満ちている。
大きく映し出される食器や皺だらけの手、裏庭に座るヤコブとレイラに降り注ぐ陽の光、そして雨上がりのぬかるんだ地面など、私たちが見落としがちなもの、気にしないであろうものを、丹念に拾い集めて画面に収めている。
その寂しさと静けさに満ちた光景は、映画ならではのものだろう。
セリフも多くはない。
恩赦により12年ぶりに刑務所を出たレイラは寡黙だし、ヤコブ牧師は信仰は口にするものの雄弁ではない。郵便配達人はたまにしか訪ねてこない。
だからこそ、一つひとつのセリフが大切だ。
そして多くの沈黙が、もう一人のことを思わせる。
この映画には、主要な役者は三人しかいないのだが、もう一人重要なキャラクターがいる。
神だ。
神の御業により、ヤコブとレイラは大きく変わる。
『ヤコブへの手紙』というタイトルから判るように、本作は新約聖書の「ヤコブの手紙」(ヤコブ書)を意識している。それはイエスの兄弟ヤコブが書いたといわれ、信仰を持つ者に必要な行いを説いたものだ。特に第2章26節の「行いのない信仰は死んだものである。」という点が、本作にかかわるところだろう。
本作のヤコブ牧師の信仰はどのようなものか。
彼は、子供の頃から聖書を読んでもらうのが大好きだった。すぐに聖書を覚えてしまい、人々に聖書の内容を教えてあげるようになる。そして長じて牧師となり、今では祈りを求めて届いた手紙に、聖書の文言を引用しながら返信している。
だが、それは単に聖書に詳しいというだけのことではないのか。
もはや、寂れてしまった村に教会を訪れる人はおらず、洗礼式も結婚式も執り行うことはない。牧師館の外の世界と彼を結ぶのは、ただ祈りを求める手紙だけである。
手紙が届くことだけを心の支えとしている彼は、あまりにも孤独であった。
一方レイラは、ある意味で超人である。
彼女は信仰を必要としない。神に祈ることもない。誰にも頼らないし、誰からも頼られるつもりはない。一人で超然と生きていこうとしている。
しかし、それは無理な相談だ。人との接点をすべて断ち切ったら、生きる場所がなくなってしまう。
彼女も、ただひたすらに孤独なのだ。
神の御業、それはただ手紙を止めることだった。
ヤコブに手紙が届かなくなることで、彼の世界との繋がりは完全に途絶えてしまう。
クラウス・ハロ監督は、「まず主人公には『世の中から必要とされていない人』を考えた」そうだ。
誰も訪れることがなく、誰からも手紙が届かないヤコブ牧師は、世の中から必要とされていない。ヤコブに手紙を読むことが仕事のレイラも、世の中から必要とされていない。
このむごい仕打ちの中で、ヤコブは改めて信仰と向き合い、不信心者と語り合うという牧師としての大事な行為を得る。
レイラは、罪を告白し許しを請う。この行為こそ懺悔である。
手紙が届かないのは苦痛だが、二人はその先に光を見るのだ。
クラウス・ハロ監督は、思春期になって信仰が自分の中で大切なものになったという。
---
(新約聖書の)「ローマ人への手紙」という本を読みました。弱い者でも神の救いがあるというメッセージが書かれていました。それまでは、頑張って到達点にたどり着かないと神の恵みは受けられないと思っていました。でもそうではなくて、神の恵みは誰でも等しく受けられることを知りました。
---
本作は、信仰に向かい合う作品だ。
とはいえ、本作を観て泣いた観客が、必ずしも敬虔なキリスト教徒というわけではないだろう。
それでも本作に感動するのは、作り手の込めた想いが普遍的だからだ。
クラウス・ハロ監督はこうも述べている。
「誰の役にも立たない人間はいない。世の中からまったく必要とされなくなってしまったと自分には思えたとしても、存在意義はある」
『ヤコブへの手紙』 [や行]
監督・脚本/クラウス・ハロ 原案/ヤーナ・マッコネン
撮影/トゥオーモ・フートリ
出演/カーリナ・ハザード ヘイッキ・ノウシアイネン ユッカ・ケイノネン エスコ・ロイネ
日本公開/2011年1月15日
ジャンル/[ドラマ]
http://bookmarks.yahoo.co.jp/bookmarklet/showpopup?t='+encodeURIComponent(document.title)+'&u='+encodeURIComponent(location.href)+'&ei=UTF-8','_blank','width=550,height=480,left=100,top=50,scrollbars=1,resizable=1',0);">
場内は号泣であった。
たった1時間15分の映画の中に、人を、人生を深く考えさせるものが詰まっていた。
『ヤコブへの手紙』の内容は驚くほどシンプルだ。
主要な役者は三人しかいない。盲目の老牧師ヤコブ、ヤコブに手紙を読み聞かせることが仕事のレイラ、手紙を届ける郵便配達人、それだけだ。ほぼすべてのシークエンスが牧師館で描かれており、まるで舞台劇のようなシンプルさだ。
にもかかわらず、本作は実に映画らしい輝きに満ちている。
大きく映し出される食器や皺だらけの手、裏庭に座るヤコブとレイラに降り注ぐ陽の光、そして雨上がりのぬかるんだ地面など、私たちが見落としがちなもの、気にしないであろうものを、丹念に拾い集めて画面に収めている。
その寂しさと静けさに満ちた光景は、映画ならではのものだろう。
セリフも多くはない。
恩赦により12年ぶりに刑務所を出たレイラは寡黙だし、ヤコブ牧師は信仰は口にするものの雄弁ではない。郵便配達人はたまにしか訪ねてこない。
だからこそ、一つひとつのセリフが大切だ。
そして多くの沈黙が、もう一人のことを思わせる。
この映画には、主要な役者は三人しかいないのだが、もう一人重要なキャラクターがいる。
神だ。
神の御業により、ヤコブとレイラは大きく変わる。
『ヤコブへの手紙』というタイトルから判るように、本作は新約聖書の「ヤコブの手紙」(ヤコブ書)を意識している。それはイエスの兄弟ヤコブが書いたといわれ、信仰を持つ者に必要な行いを説いたものだ。特に第2章26節の「行いのない信仰は死んだものである。」という点が、本作にかかわるところだろう。
本作のヤコブ牧師の信仰はどのようなものか。
彼は、子供の頃から聖書を読んでもらうのが大好きだった。すぐに聖書を覚えてしまい、人々に聖書の内容を教えてあげるようになる。そして長じて牧師となり、今では祈りを求めて届いた手紙に、聖書の文言を引用しながら返信している。
だが、それは単に聖書に詳しいというだけのことではないのか。
もはや、寂れてしまった村に教会を訪れる人はおらず、洗礼式も結婚式も執り行うことはない。牧師館の外の世界と彼を結ぶのは、ただ祈りを求める手紙だけである。
手紙が届くことだけを心の支えとしている彼は、あまりにも孤独であった。
一方レイラは、ある意味で超人である。
彼女は信仰を必要としない。神に祈ることもない。誰にも頼らないし、誰からも頼られるつもりはない。一人で超然と生きていこうとしている。
しかし、それは無理な相談だ。人との接点をすべて断ち切ったら、生きる場所がなくなってしまう。
彼女も、ただひたすらに孤独なのだ。
神の御業、それはただ手紙を止めることだった。
ヤコブに手紙が届かなくなることで、彼の世界との繋がりは完全に途絶えてしまう。
クラウス・ハロ監督は、「まず主人公には『世の中から必要とされていない人』を考えた」そうだ。
誰も訪れることがなく、誰からも手紙が届かないヤコブ牧師は、世の中から必要とされていない。ヤコブに手紙を読むことが仕事のレイラも、世の中から必要とされていない。
このむごい仕打ちの中で、ヤコブは改めて信仰と向き合い、不信心者と語り合うという牧師としての大事な行為を得る。
レイラは、罪を告白し許しを請う。この行為こそ懺悔である。
手紙が届かないのは苦痛だが、二人はその先に光を見るのだ。
クラウス・ハロ監督は、思春期になって信仰が自分の中で大切なものになったという。
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(新約聖書の)「ローマ人への手紙」という本を読みました。弱い者でも神の救いがあるというメッセージが書かれていました。それまでは、頑張って到達点にたどり着かないと神の恵みは受けられないと思っていました。でもそうではなくて、神の恵みは誰でも等しく受けられることを知りました。
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本作は、信仰に向かい合う作品だ。
とはいえ、本作を観て泣いた観客が、必ずしも敬虔なキリスト教徒というわけではないだろう。
それでも本作に感動するのは、作り手の込めた想いが普遍的だからだ。
クラウス・ハロ監督はこうも述べている。
「誰の役にも立たない人間はいない。世の中からまったく必要とされなくなってしまったと自分には思えたとしても、存在意義はある」
![ヤコブへの手紙 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51HBsivC6tL._SL160_.jpg)
監督・脚本/クラウス・ハロ 原案/ヤーナ・マッコネン
撮影/トゥオーモ・フートリ
出演/カーリナ・ハザード ヘイッキ・ノウシアイネン ユッカ・ケイノネン エスコ・ロイネ
日本公開/2011年1月15日
ジャンル/[ドラマ]


『犬とあなたの物語 いぬのえいが』が含む問題点
犬が登場する映画は数々あれど、愛犬家が本当に満足する作品は案外少ない。犬が好きであればあるほど、作りもののエピソードに違和感を覚えるからだろう。
そんな中、愛犬魂の弾けっぷりに愛犬家も大満足だった『いぬのえいが』が、5年を経て再登場した。
前作『いぬのえいが』では11ものエピソードが楽しめたように、今回の『犬とあなたの物語 いぬのえいが』も6つの話を収めたオムニバスだ。
1. 『あきら!』
2. 『愛犬家をたずねて。』
3. 『DOG NAP』
4. 『お母さんは心配症』
5. 『犬の名前』
6. 『バニラのかけら』
前作よりも少ないじゃないかと心配するには及ばない。『愛犬家をたずねて。』は、「~おりこう~」「~ごはん~」「~写真~」「~散歩~」の4エピソードからなっているので、計9頭のワンちゃんと人間たちの悲喜こもごもを楽しむことができる。
前作ほどバラエティに富んではいないが、構成は前作同様、1~4までが楽しい小品、5及び6でしみじみと締めくくる。少しでも犬が好きな人なら、6編のどれかが(おそらく全部が)琴線に触れることだろう。
これだけエピソードを詰め込んでも上映時間が88分で済んでいるのは、長崎俊一監督を除いた5監督がCMディレクターだからだろうか。これまたCM関係で活躍する山田慶太氏が、前作そして『さらば愛しの大統領』に続いて愉快な脚本を提供している。
さらに豪華な出演陣の演技も楽しい。エピソード1~4の出演者は全員カメオ出演のようなものだが、とりわけ、顔が映らない上に公式サイトでも紹介されていない天海祐希さんが、凛とした声で中尾彬さんをどやしつけるのは面白い。
愛犬家が眉をひそめる場面がないわけではない。
犬に人間と同じものを食べさせたり(犬の消化器官は人間と異なるので、人間と同じものを食べさせては体に良くない)、散歩の際に犬に先頭を歩かせたり(犬の方が人間より上位だと思い込んでしまう)、散歩中に犬がしたオシッコを水で流さなかったり(すぐに水で流せば臭いは半減する)、犬を店先に繋いで買い物に行ったりと(犬を盗んでくださいと云ってるようなものだ)、これから犬を飼う人が真似したら困る描写が幾つかある。
しかしそれ以上に、犬と生活することの楽しさ、素晴らしさに溢れている。
そして本作には、現代日本ならではの問題提起も含まれている。
それが3番目のエピソード『DOG NAP(うたた寝)』だ。
ここでは、飼い犬を略取して身の代金をせしめようとする犯人と、警察との攻防が描かれる。そこで考えさせられるのは、内野聖陽さん演じる渡辺警部が鋭く看破した犯人の意図だ。
ペットと暮らす人にとって、ペットは家族同然だろう。略取されれば、身の代金を払ってでも無事に返してもらいたいと考えるのは当然だ。
しかしながら、身の代金目的略取等の罪を定める刑法第225条の2には、次のように書かれている(強調は引用者)。
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第二百二十五条の二 近親者その他略取され又は誘拐された者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じてその財物を交付させる目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、無期又は三年以上の懲役に処する。
2 人を略取し又は誘拐した者が近親者その他略取され又は誘拐された者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じて、その財物を交付させ、又はこれを要求する行為をしたときも、前項と同様とする。
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そう。身の代金目的略取等の罪は、人を略取したときのみ適用される。ペットを連れ去ることは対象外だ。
もしもペットを略取し、これを殺傷したとしても、適用されるのは「動物の愛護及び管理に関する法律」第44条だろう。2011年1月現在、その罰則は1年以下の懲役又は百万円以下の罰金でしかない。刑法第225条の2に定める無期又は3年以上の懲役に比べればずいぶん軽い。
ペットの略取に窃盗罪を適用しても、刑法第235条により10年以下の懲役又は五十万円以下の罰金となるだけだ。身の代金の要求に脅迫罪を適用しても、刑法第222条により2年以下の懲役又は三十万円以下の罰金となるのみである。
いずれにしても、人の略取に比べれば刑は軽い。
つまり『DOG NAP』の犯人たちは、ペットが人間同様に愛されていながら刑罰は軽いそのギャップを利用し、ローリスクな犯行で金を得ようと企んだのだ。
こんにち、日本における犬・猫の飼育頭数は2147万頭を超え、15歳未満の人口1691万人(2010年8月1日現在)を大きく上回る。
ペットの略取を企む者には、チャンスがゴロゴロ転がっているわけだ。
本作は、飼い犬を略取した事件をコミカルに描いている。
しかし、実は笑いごとではない。
「誘拐 犬」でググれば多くの事件がヒットするように、可愛いからと他人のペットを連れ去る者、転売目的でさらう者が現実に存在するのだ。
「犬好きに悪い人はいない。」
『東のエデン』で聞かれたセリフが、本作にも登場する。
映画の中では、犬好きは善人だ。そして警察は、犬を保護するために全力を注いでくれる。
残念ながら、今はまだそれは夢物語だが、いずれ現実にできるだろうか。
『犬とあなたの物語 いぬのえいが』 [あ行]
『あきら!』
監督/水落豊 脚本/山田慶太
出演/中尾彬 天海祐希 近藤春菜 箕輪はるか
『愛犬家をたずねて。』
監督/中西尚人 脚本/山田慶太
出演/青木裕子 篠田麻里子 堀内敬子 生瀬勝久 小倉智昭 森下能幸
『DOG NAP』
監督・脚本/川西純
出演/内野聖陽 鶴見辰吾 戸田菜穂
『お母さんは心配症』
監督/石井聡一 脚本/山田慶太
出演/高畑淳子 鈴木ちなみ
『犬の名前』
監督/長崎俊一 脚本/太田愛
出演/大森南朋 松嶋菜々子 坂井真紀 矢柴俊博 林遼威 斎藤歩
『バニラのかけら』
監督/江藤尚志 脚本/山田慶太
出演/北乃きい 芦田愛菜 ちはる
日本公開/2011年1月22日
ジャンル/[ドラマ] [コメディ] [ファミリー] [犬]
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そんな中、愛犬魂の弾けっぷりに愛犬家も大満足だった『いぬのえいが』が、5年を経て再登場した。
前作『いぬのえいが』では11ものエピソードが楽しめたように、今回の『犬とあなたの物語 いぬのえいが』も6つの話を収めたオムニバスだ。
1. 『あきら!』
2. 『愛犬家をたずねて。』
3. 『DOG NAP』
4. 『お母さんは心配症』
5. 『犬の名前』
6. 『バニラのかけら』
前作よりも少ないじゃないかと心配するには及ばない。『愛犬家をたずねて。』は、「~おりこう~」「~ごはん~」「~写真~」「~散歩~」の4エピソードからなっているので、計9頭のワンちゃんと人間たちの悲喜こもごもを楽しむことができる。
前作ほどバラエティに富んではいないが、構成は前作同様、1~4までが楽しい小品、5及び6でしみじみと締めくくる。少しでも犬が好きな人なら、6編のどれかが(おそらく全部が)琴線に触れることだろう。
これだけエピソードを詰め込んでも上映時間が88分で済んでいるのは、長崎俊一監督を除いた5監督がCMディレクターだからだろうか。これまたCM関係で活躍する山田慶太氏が、前作そして『さらば愛しの大統領』に続いて愉快な脚本を提供している。
さらに豪華な出演陣の演技も楽しい。エピソード1~4の出演者は全員カメオ出演のようなものだが、とりわけ、顔が映らない上に公式サイトでも紹介されていない天海祐希さんが、凛とした声で中尾彬さんをどやしつけるのは面白い。
愛犬家が眉をひそめる場面がないわけではない。
犬に人間と同じものを食べさせたり(犬の消化器官は人間と異なるので、人間と同じものを食べさせては体に良くない)、散歩の際に犬に先頭を歩かせたり(犬の方が人間より上位だと思い込んでしまう)、散歩中に犬がしたオシッコを水で流さなかったり(すぐに水で流せば臭いは半減する)、犬を店先に繋いで買い物に行ったりと(犬を盗んでくださいと云ってるようなものだ)、これから犬を飼う人が真似したら困る描写が幾つかある。
しかしそれ以上に、犬と生活することの楽しさ、素晴らしさに溢れている。
そして本作には、現代日本ならではの問題提起も含まれている。
それが3番目のエピソード『DOG NAP(うたた寝)』だ。
ここでは、飼い犬を略取して身の代金をせしめようとする犯人と、警察との攻防が描かれる。そこで考えさせられるのは、内野聖陽さん演じる渡辺警部が鋭く看破した犯人の意図だ。
ペットと暮らす人にとって、ペットは家族同然だろう。略取されれば、身の代金を払ってでも無事に返してもらいたいと考えるのは当然だ。
しかしながら、身の代金目的略取等の罪を定める刑法第225条の2には、次のように書かれている(強調は引用者)。
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第二百二十五条の二 近親者その他略取され又は誘拐された者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じてその財物を交付させる目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、無期又は三年以上の懲役に処する。
2 人を略取し又は誘拐した者が近親者その他略取され又は誘拐された者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じて、その財物を交付させ、又はこれを要求する行為をしたときも、前項と同様とする。
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そう。身の代金目的略取等の罪は、人を略取したときのみ適用される。ペットを連れ去ることは対象外だ。
もしもペットを略取し、これを殺傷したとしても、適用されるのは「動物の愛護及び管理に関する法律」第44条だろう。2011年1月現在、その罰則は1年以下の懲役又は百万円以下の罰金でしかない。刑法第225条の2に定める無期又は3年以上の懲役に比べればずいぶん軽い。
ペットの略取に窃盗罪を適用しても、刑法第235条により10年以下の懲役又は五十万円以下の罰金となるだけだ。身の代金の要求に脅迫罪を適用しても、刑法第222条により2年以下の懲役又は三十万円以下の罰金となるのみである。
いずれにしても、人の略取に比べれば刑は軽い。
つまり『DOG NAP』の犯人たちは、ペットが人間同様に愛されていながら刑罰は軽いそのギャップを利用し、ローリスクな犯行で金を得ようと企んだのだ。
こんにち、日本における犬・猫の飼育頭数は2147万頭を超え、15歳未満の人口1691万人(2010年8月1日現在)を大きく上回る。
ペットの略取を企む者には、チャンスがゴロゴロ転がっているわけだ。
本作は、飼い犬を略取した事件をコミカルに描いている。
しかし、実は笑いごとではない。
「誘拐 犬」でググれば多くの事件がヒットするように、可愛いからと他人のペットを連れ去る者、転売目的でさらう者が現実に存在するのだ。
「犬好きに悪い人はいない。」
『東のエデン』で聞かれたセリフが、本作にも登場する。
映画の中では、犬好きは善人だ。そして警察は、犬を保護するために全力を注いでくれる。
残念ながら、今はまだそれは夢物語だが、いずれ現実にできるだろうか。

『あきら!』
監督/水落豊 脚本/山田慶太
出演/中尾彬 天海祐希 近藤春菜 箕輪はるか
『愛犬家をたずねて。』
監督/中西尚人 脚本/山田慶太
出演/青木裕子 篠田麻里子 堀内敬子 生瀬勝久 小倉智昭 森下能幸
『DOG NAP』
監督・脚本/川西純
出演/内野聖陽 鶴見辰吾 戸田菜穂
『お母さんは心配症』
監督/石井聡一 脚本/山田慶太
出演/高畑淳子 鈴木ちなみ
『犬の名前』
監督/長崎俊一 脚本/太田愛
出演/大森南朋 松嶋菜々子 坂井真紀 矢柴俊博 林遼威 斎藤歩
『バニラのかけら』
監督/江藤尚志 脚本/山田慶太
出演/北乃きい 芦田愛菜 ちはる
日本公開/2011年1月22日
ジャンル/[ドラマ] [コメディ] [ファミリー] [犬]

