『デイブレイカー』に学ぶ3倍オモシロくする方法

 抜群に面白いSFの一つとして『スラン』を挙げることに反対する人はいないだろう。A・E・ヴァン・ヴォークトが1940年に発表したこの傑作小説に魅入られた人は多い。
 新人類が活躍する『スラン』の後継といえるのが、たとえば石森章太郎氏の『イナズマン』や竹宮恵子氏の『地球(テラ)へ…』であり、その類似が指摘される作品としてはフィリップ・K・ディックの『ユービック』がある。

 これらに共通するのは何か?
 超能力者が登場すること?
 それももちろん共通点だが、物語の構造を決める大きな共通項がある。

 『スラン』は、従来の人類とは異なる新種「スラン」が主人公だ。スランたちの特徴は額から伸びた触毛である。ところが、触毛のない"新スラン"が出現したことから物語は急展開する。
 触毛が伸びた超能力者をそのまま絵にした作品が『イナズマン』であろうが、ここには人類を絶滅させようとする新人類が登場する。その新人類の大人たちに対抗するのが、新人類の子供たち「少年同盟」である。
 『地球(テラ)へ』も従来の人類と新人類「ミュウ」との相克を描くが、ミュウの中でもさらに旧世代と新世代との対立がある。
 そして『ユービック』では、通常の人間とは異なる多数の超能力者がいる時代に、超能力を封じる「不活性者」が活躍する。

 以上を俯瞰すればお気づきだろう。
 これらの作品の持つダイナミズム、それは三つ巴の構図から成っている。
 一般に、多くの作品が追う者(狩る者)と追われる者(狩られる者)の対立を軸にするのに対し、ここに挙げた作品は三つ巴の争いによる意外性と躍動感が魅力なのだ。


 『デイブレイカー』もこの構図をしっかりと踏襲している。
 本作は人間対ヴァンパイアの戦いを描きつつも、ヴァンパイアを襲う「サブサイダー」が登場することで物語の緊張を高めている。
 人間、ヴァンパイア、サブサイダーは、捕食について次の関係にある。

  人間: ヴァンパイアの食糧とされる。サブサイダーには襲われない。
  ヴァンパイア: 人間を食糧とする。サブサイダーの食糧とされる。
  サブサイダー: ヴァンパイアを食糧とする。人間は襲わない。

 そして、その能力も他者と比較すると一長一短である。

  人間: 昼でも行動できる。老いれば死ぬ。
  ヴァンパイア: 老いることがなく、寿命は無限。太陽の下では行動できない。
  サブサイダー: 驚異的な身体能力を持つ。知能、言語能力が劣る。

 お判りのように、『渇き』や『ぼくのエリ 200歳の少女』等でヴァンパイアの特徴とされる「不死性」と「驚異的な身体能力」が、本作ではヴァンパイアとサブサイダーに分けられている。そのため、ヴァンパイアは不死ではあるものの、人間同様に武装しなければ戦えない。丸腰のところをサブサイダーに襲われたらひとたまりもない。
 だから、ヴァンパイアである主人公は、昼は自由に行動できない上、夜はサブサイダーの襲撃を恐れる。不老不死でありながら、スリリングなことこの上ない。

 この三つ巴は、単に三つの勢力が出てくればいいわけではない。多数の勢力がいても、結局ふた手に分かれてしまうなら三つ巴のダイナミズムは味わえない。さりとて、三つを超える多数の勢力が入り乱れては、話が判りにくくなってしまう。
 三つの勢力それぞれが他者とは明確に異なる能力と性癖を持ち、共存することが叶わない中で、いずれが支配するか白黒つけねばならないからこそ面白い。
 そして『デイブレイカー』は、この三つ巴の醍醐味を存分に堪能できる作品である。


 さらに面白いことに、三者の立場は固定ではない。
 通常のヴァンパイア物と同じように、本作では血を吸ったり吸われたりすることで次のように変異する。

  人間 → ヴァンパイア → サブサイダー

 この不安定さがヴァンパイア映画やゾンビ映画の面白さだが、本作を特徴付けているのは、この変異が不可逆性ではないことだ。
 もしも「人間→ヴァンパイア→サブサイダー」という変異が、必ずしも矢印の方向だけではないとしたら……。

 もう、ここまで設定ができたなら、面白くならないはずがない。
 あとは、この設定を生かしきるだけである。


 たとえば、太陽の下では行動できないヴァンパイアが、昼日中にカーチェイスするところなど、なぜいままで映画にしなかったのか不思議なほど愉快なシーンだ。
 これは、これまでヴァンパイアは「不死性」と「驚異的な身体能力」の両方を兼ね備えてると思うからできなかったアクションだ。本作では、ヴァンパイアといえどもクルマで移動し、事故を起こせば死んでしまう設定があるから撮れる。
 これぞコロンブスの卵というやつだろう。

 三つ巴の構図がきちんとできれば、そこから面白いシークエンスが次々に生まれる。
 本作がその好例である。


デイブレイカー [Blu-ray]デイブレイカー』  [た行]
監督・脚本/マイケル・スピエリッグ、ピーター・スピエリッグ
出演/イーサン・ホーク ウィレム・デフォー サム・ニール クローディア・カーヴァン マイケル・ドーマン イザベル・ルーカス
日本公開/2010年11月27日
ジャンル/[SF] [ホラー] [アクション]
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『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』 ここから何が変わるのか?

 かつて彼らは可愛らしかった。
 魔法魔術学校の制服を着て、大人顔負けの活躍をする彼らの姿は、微笑ましかった。
 ハリー・ポッターとロン・ウィーズリーとハーマイオニー・グレンジャーの3人である。

 しかし、続編が作られるにつれて彼らが成長していくと、一作目と同じわけにはいかなくなった。
 視覚的なことでいえば、一つには制服が似合わなくなった。外見もさることながら、思春期の男女がいつも制服姿では、内面を表現しにくい。
 また、市場にもそぐわないだろう。ハリー・ポッターシリーズの原作は英文学であり、英国を舞台にしているものの、これはアメリカ映画なのだ。最大の客層である米国の青少年にとって、ハリーたちがいつまでも制服なんてものを着ていたらクールではないだろう。
 だから、シリーズが進むと、ハリーたちは制服を着崩すようになり、また私服で活躍する機会が増えた。

 とはいえ、学校に制服がある以上、まったく着ないわけにはいかない。
 学校が舞台である限り。

 だが、『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』は、遂に学校から解放された。
 これまで、作品世界はホグワーツ魔法魔術学校とその周辺が中心だったけれど、本作には学校が全然出てこない。
 したがって、ハリーとロンとハーマイオニーは制服を着る必要がなく、彼らの成長と性格と役割に相応しいファッションを身にまとうことができるのである。

 これは映画の作り手にとって、ありがたいに違いない。
 服装とは、登場人物を特徴づける要素なのに、主人公たちに同じデザインの制服を着せざるを得なかったのだから。せめて、『スター・トレック』のクルーのように役割ごとに色でも変えられれば良いのだが、学校の制服というのは画一的なものである。
 シリーズ当初は、魔法魔術学校そのものが物珍しく、学校の秘密を探ることに主人公も観客も夢中になったが、回を重ねれば学校は世界を制約するものでしかない。現実の人生と同じように。

 まして、これまでのハリー・ポッターシリーズには一つのパターンがあった。
 ハリーたちの学校に風変わりな教師がやってきては、ハリーがその教師及び腰巾着たちと対決するという、永井豪氏が『へんちんポコイダー』で作り上げたパターンだ。
 しかし、教師が強敵なのは、子供たちがまだ幼いからだ。彼らが成長し、それに見合って物語のスケールも広がり、複雑さを増してくると、このパターンを続けるのは難しくなっていた。
 そして本作では、とうとうこのパターンを捨て去った。『へんちんポコイダー』がパターンを守り続けたがゆえに次第に尻つぼみになっていったのとは対照的である。

 さらに本作は、ハリー、ロンそしてハーマイオニーの3人の内面を掘り下げる物語でもある。
 家族と別れ、教師の助けも借りず、3人で脅威に立ち向かっていく。
 それは、登場人物の成長に見合った物語であるとともに、役者たちの年齢にも釣り合っており、これまでの制服を脱ぎ棄てるにはうってつけの内容だ。


 そして、彼らが決別するのは制服だけではない。
 彼らは学校周辺に近づかず、荒野をさまようことになる。
 それはイングランドの北部、『嵐が丘』の舞台ともなったヨークシャーの肌寒い荒地だ。
 『嵐が丘』でヒースクリフとキャサリンの激情が交叉したこの土地は、ハリーとロンとハーマイオニーの愛憎に相応しい。カメラは、これまでのシリーズには見られなかった遠景で3人を捉え、荒涼たる大地や湖を自由自在に俯瞰していく。
 観客は、スクリーンに広がる荒野を目にしたとき、過去の作品がいかに狭い世界に閉ざされていたかを知るだろう。

 そうだ、青年は荒野をめざすのだ。


ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1 (1枚組) [DVD]ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』  [は行]
監督/デヴィッド・イェーツ  脚本/スティーヴン・クローヴス
出演/ダニエル・ラドクリフ ルパート・グリント エマ・ワトソン ヘレナ・ボナム=カーター ロビー・コルトレーン トム・フェルトン レイフ・ファインズ ブレンダン・グリーソン リチャード・グリフィス ジョン・ハート ジェイソン・アイザックス ヘレン・マックロリー ビル・ナイ アラン・リックマン デヴィッド・シューリス ジュリー・ウォルターズ
日本公開/2010年11月19日
ジャンル/[ファンタジー]
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『バトル・ロワイアル3D』 刀狩りがなかったら?

 【ネタバレ注意】

 凄い人だな、と思う。深作欣二監督という人は。
 『バトル・ロワイアル』を2000年に公開したとき、この人は70歳である。
 『火宅の人』のような人間ドラマをものした人ならば、もう老成した作品を撮ってもおかしくない。70歳といえば、黒澤明監督が『影武者』を撮った歳なのだから。
 しかし深作監督は、『バトル・ロワイアル』という禍々しくもエネルギッシュな世界に踏み込んでいる。
 多くの人が語ってきたことだろうが、今更ながら深作欣二監督の凄さを感じずにはいられない。


 さて、『バトル・ロワイアル3D』は、孤島に放り出された中学生たち42人が、生き残りをかけて殺し合う凄惨な物語だ。
 彼らはそれぞれ、機関銃から鍋のフタまで、威力がバラバラな武器を渡されている。

 日本では、豊臣秀吉による刀狩り以来、暴力的手段を持つ権利は一部の層に限られてきた
 その層とは、武士階級のような身分であったり、軍・警察のような職業であったりと時代により変遷してはいるものの、誰もが武器を持ったり、何の統制も受けずに暴力を振るったりすることが禁じられてから、4世紀以上が経っている。
 それまでは百姓も僧侶も槍や刀を振り回していたのだが、4世紀以上も経つと、武器を持つのが特殊なことに思えてくる。もちろん武器が溢れる世の中よりも、武器の所持が禁止されている方が平和で良いのだが、それは日本の法制が効力を発揮する範囲においてだ。

 この規制を撤廃した特区を描いたのが、『バトル・ロワイアル』という作品である。
 それがどのような経過をたどるかは、現実の事件からうかがい知ることができる。『東京島』のモデルになった「アナタハンの女王事件」がそれだ。
 絶海の孤島アナタハンに取り残された日本人の男女32人は、国家の法制が届かない地で、銃を帯びるのも射殺するのも自由だった。そこでは争いが収まらず、人々は数年の間に次々と死んでいったという。

 『バトル・ロワイアル』では、数年なんて悠長なことはいわず、幾つかのルールを導入することで事件の展開を加速し、3日間の激闘を描く。

 孤島に放り出された者たちは、その行動から幾つかのパターンに類型化できる。

 ・個人の力のみで現状を打開しようとする場合 →破滅
 ・現状の打開を諦める場合 →破滅
 ・他者との協調を重視するも、協調を破る者を内在する場合 →破滅
 ・他者との協調を重視するも、何らの暴力的手段を持たずに和平を呼びかけるだけの場合 →破滅
 ・他者との協調を重視するも、自衛に充分な暴力的手段を持たない場合 →破滅

 すなわち生き残るためには、他者の暴力に見合うだけの暴力的手段をみずからも保持し、暴力的手段に訴える勢力から自衛できるようにした上で、他者と協調することが必要である。

 なんだ、当たり前のことだ。
 まさに国際社会が、このような姿であろう。
 我々は地球という孤島に、たった193ヶ国余りで放り出された状態である。ここには、刀狩りを行う絶対的な専制君主はいない。誰もが武器を持てるし、武器を使用することができる。各自の武器の量や威力に差があるのも周知の事実。

 さて、我々はどうやって生き延びようか。


バトル・ロワイアル [DVD]バトル・ロワイアル3D』  [は行]
監督/深作欣二  脚本/深作健太
出演/藤原竜也 前田亜季 山本太郎 栗山千明 柴咲コウ 安藤政信 塚本高史 高岡蒼佑 宮村優子 美波 深浦加奈子 ビートたけし 前田愛
日本公開/2010年11月20日 (『バトル・ロワイアル』は2000年12月16日公開)
ジャンル/[アクション] [サスペンス] [学園]

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『うまれる』の平仮名 『玄牝』の読めない漢字

 あまりドキュメンタリーを観たことがないので、正直なところ『うまれる』には面食らった。
 CGによるイメージシーンや、アニメーションのキャラクターたちはもとより、まるで天国のような光に溢れたインタビュー場所や、場面を盛り上げる歌声等、とても作り込んだ作品で、「ドキュメンタリー」という言葉から私が思い浮かべるものとは異なっていた。
 少なくとも、『玄牝(げんぴん)』のような、音楽もナレーションも排して素材を活かした作品とは、ずいぶんと違う。

 しかし、人が産まれる、人を産むということを、知らない人はいない。正確を期さないと、誤って受け取られるものでもない。
 それよりも本作は、「うまれる」ことを巡る男女たちの想いを大切にしており、その想いを伝える上ではイメージシーン等も必要だ。そう判断しての作り込みだろう。


 奇しくも公開日が重なった『うまれる』と『玄牝(げんぴん)』だが、どちらも人が産まれることを取り上げたドキュメンタリーでありながら、アプローチがまったく異なるのは興味深い。
 『うまれる』が生命の誕生を巡る人々の想い全般を描くのに対し、『玄牝(げんぴん)』は出産に焦点を絞り、そこから関係者の人生をあぶり出す。
 『うまれる』が立場の異なる人々のインタビューで構成するのに対し、『玄牝(げんぴん)』はただ一つの病院を撮り続ける。

 先に挙げた作り込みの有無もあり、まったくタイプの異なる二作だが、私がもっとも興味を惹かれたのは出産シーンの編集の仕方であった。
 『うまれる』では、女性が陣痛に顔を歪めるところや、陣痛をこらえながらクルマで運ばれるところ、そして産院に着いてからも痛さに絶叫するところなどが描かれる。その痛みは、男性には未知のものだ。出産を経験することのない男性は、陣痛を経験せざるを得ない女性に、畏敬の念を抱くとともに恐縮する。豪田トモ監督は、出産を見守るしかない男性を代表して、妊婦の痛みを余すところなく伝えようとする。男性にはできない、これほどたいへんなことをしてくれている、その想いを観客にもしっかり伝える。
 これに対して『玄牝(げんぴん)』の河直美監督は、自身が出産を経験済みなこともあろうが、陣痛なんて重視しない。それよりも、出産の喜びや素晴らしさを描くことに集中する。出産シーンでは、痛みや辛さを感じるカットはほとんどなく、子供がツルツルと出てくるように見える。
 男性には、こうは撮れない。出産時の痛みや辛さを省略するなんて、不遜に感じてしまうだろう。当の女性の想いはともかく。

 『うまれる』が男性から見た出産なら、『玄牝(げんぴん)』は女性が語る経験である。 


 「生れてすみません」と詩に書いたのは寺内寿太郎だが、『うまれる』に登場する親たちは、子供に対して「来てくれて、ありがとう」「私たちを選んでくれて、ありがとう」と感謝する。
 『玄牝(げんぴん)』においても、女性たちが子を産んだ直後に「ありがとう」と口にするのが印象的だ。
 そこには、私ごときが論評する余地はない。

 ただ一つ、気になる会話があった。

 『うまれる』に登場した夫は、出産の際に妻のそばにいたいと思った。
 しかし彼の仕事は、毎日のように外出や出張が続いており、休みを取れそうにない。
 思い悩んだ彼は、上司に相談する。
 上司の返答は次のようなものであった。

 「子供を産んで売上が伸びるの?伸びるんだったらいいよ、どんどん産んでもらって。違うでしょ?だったらどうすればいいか、考えれば判るでしょ。」

 なんとも淋しいことである。


うまれる かけがえのない、あなたへうまれる』  [あ行]
監督・企画・撮影/豪田トモ
ナレーション/つるの剛士
日本公開/2010年11月6日
ジャンル/[ドキュメンタリー]

玄牝(げんぴん)』  [か行]
監督・撮影・構成/河直美
日本公開/2010年11月6日
ジャンル/[ドキュメンタリー]


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『機動警察パトレイバー THE MOVIE』 20年前の幻想の国

 日本も変わったものだ。
 劇場版パトレイバー全作の一挙上映会に参加して、つくづく感じた。

 『機動警察パトレイバー THE MOVIE』及び『機動警察パトレイバー2 the Movie』は、時代と世代を色濃く反映させた作品である。
 公開時期は、前者が1989年、後者が1993年だ。つまり、前者はバブル景気の真っ最中に作られ、後者はバブル崩壊の影響がようやく深刻になりつつあるころに作られている。
 この作品は、バブル崩壊前の、失われた20年に苦しむ前の日本だから作れたものだ。

 物語の背景には東京の大規模開発がある。レイバー(と呼ばれる搭乗型マシン)を大量投入しての建設工事は、まさしく当時の現実のような景気の良さだが、もちろん私が云うのはそんなことではない。
 タイトルから判るとおり、本作は警察官が主人公である。劇場版らしく事件は派手で大規模で、警察や自衛隊、在日米軍まで巻き込んでいる。そして企業は強く、金儲けに邁進しており、犯罪者たちは理念を抱いて国家に挑む。
 平たくいえば、みんな元気なのである。

 『機動警察パトレイバー2 the Movie』の犯罪者は、警察や自衛隊を混乱させ、国のあり方を揺るがそうとする。見方を変えれば、国家というものが、理念を抱いた者によって挑戦されるほど巨大な存在であるということだ。映画の作り手はそう考えたからこそ、この対立軸を設定したのだろう。
 警察内の対立、あるいは警察と自衛隊との対立も、それぞれが強者であればこそ絵になるのだ。映画は、おそらく無自覚のうちに、前提条件として強く大きな国家を思い描いている。
 押井守監督をはじめとした作り手は、日本という国が強く大きいと思っていた。だからこそ、国が登場すれば戦い甲斐があり、映画としてもスケールが増すと思っていた。


 しかし、失われた20年を経た私たちには、国の違う姿が見える。
 政権は1年程度しか持ちこたえられず、警察は腐敗ぶりをさらしてきた。
 政府は情報管理もままならず、警察から自衛隊からも、重要な情報が漏れ続けている。
 米国の存在感も低下しつつあり、子供が親に反抗するように反米を唱える時代ではなくなった。子供が親に反抗するのは、親が強い庇護者だからである。強くもなく、庇護者でもなかったら、反抗する相手にはならないのだ。

 かつて、国家は強大で、若者は反体制を唱えた時代があった。
 監督の押井守氏は1951年生まれ、脚本の伊藤和典氏は1954年生まれだから、あさま山荘に立てこもった連合赤軍のメンバーと同世代である。1947年から1949年までのベビーブームに生まれた団塊の世代にはちょっと遅れているものの、当時、国家はまだまだ反抗するに足る相手であったろう。
 この映画は、「強く大きな国家」という幻想があった時代、幻想を抱いた世代の産物なのである。


 面白いことに、劇場版第3作『WXIII 機動警察パトレイバー』が封切られたのは2002年3月だ。制作開始よりおよそ9年弱の年月を経ての公開だそうである。
 つまり、1990年代末期から2001年までのITバブルの時代に作られたわけだ。
 1953年生まれの高山文彦監督は、背景画に米帝国主義に反対する立て看板を挿入したりして、押井守監督と同世代であることを強調しつつ、ここでもまた警察や自衛隊や米軍の暗躍を描く。
 やはり国家権力をネタにするには、景気が良くて国が元気でないといけないということか。


 とはいえ、いまだに強く大きな国家を求める人はいるようだ。
 社会・経済への国の介入を求める人たちが前提にしているのは、国には介入する力と満足な結果をもたらす能力があるという想いだ。
 しかし、2010年公開の『東のエデン 劇場版 II Paradise Lost』では、大学生の春日が過去のものを「唾棄すべき団塊の世代の遺物」と云い捨て、学生仲間の起業に加わる。
 「会社も国も守ってくれない。結局頼れるのは、家族と友達しかいないんだ」
 こう語る20~30代の男女にとって、大企業や国家にアプローチする本作は、あまりにも幻想的に見えることだろう。
 彼らは、水戸黄門がいつでも印籠を出せるわけではないことを知っているのだ。


 ただ、事実は小説より奇なりとはよく云ったものだ。
 本作では、日本の混乱に乗じて米軍が干渉してくることを懸念するセリフがしばしば語られる。
 しかし、こんな懸念は無用だった。
 2007年に『CIA秘録』が出版され(邦訳は2008年)、今では与野党の有力者がCIAから資金援助を得て活動していたことが知られている。日本の政財界の大物たちはCIAのエージェントだったのだ。いまさら米国の干渉を懸念するまでもない。
 ここにも、日本はまだ干渉されてないという幻想があったのだ。


機動警察パトレイバー 劇場版 [Blu-ray]機動警察パトレイバー THE MOVIE』  [き行]
監督/押井守  脚本/伊藤和典  原作/ヘッドギア
出演/古川登志夫 冨永みーな 大林隆介 榊原良子 井上瑶 池水通洋 二又一成 郷里大輔 千葉繁 阪脩
日本公開/1989年7月15日
ジャンル/[アクション] [サスペンス] [ロボット]

機動警察パトレイバー2 the Movie』  [き行]
監督/押井守  脚本/伊藤和典  原作/ヘッドギア
出演/古川登志夫 冨永みーな 大林隆介 榊原良子 池水通洋 二又一成 郷里大輔 千葉繁 阪脩 竹中直人 根津甚八
日本公開/1993年8月7日
ジャンル/[SF] [サスペンス] [戦争]

WXIII 機動警察パトレイバー』  [た行]
総監督/高山文彦  監督/遠藤卓司  脚本/とり・みき  原作/ヘッドギア
出演/綿引勝彦 平田広明 田中敦子 穂積隆信 古川登志夫 冨永みーな 大林隆介 池水通洋 二又一成 郷里大輔
日本公開/2002年3月30日
ジャンル/[SF] [犯罪] [ロボット]

ミニパト』全3話  [ま行]
監督/神山健治  脚本/押井守
出演/大林隆介 榊原良子 千葉繁
日本公開/『WXIII 機動警察パトレイバー』と同時上映
ジャンル/[コメディ]
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