『ビューティフル アイランズ』 巧さとズルさは紙一重?

 2000年代に、地球温暖化ブームがあった。
 ピークは、2008年の洞爺湖サミットの頃だったろうか。サミットでは、G8の首脳が地球温暖化の対策を話し合った。
 これは、大雑把に云えば、次のような考えが流布していたためである。

  (1) 地球の気温は上昇している。
  (2) 二酸化炭素は増大している。
  (3) (1)の原因は(2)である。
  (4) (2)の原因は、人類文明が二酸化炭素を排出しているからである。
  (5) 人類文明による二酸化炭素の排出を抑制すれば、(2)を抑えられ、ひいては(1)を抑えられる。

 ちなみに、洞爺湖サミットのWebサイトは「エコモード」である。「エコモード」とは、画面の容量を抑えることで消費電力の低減を目指した、環境配慮型のサイトだそうだ。


 2010年公開の映画『Beautiful Islands ビューティフル アイランズ』は、地球温暖化ブームを背景にしている。

 制作に3年を要したこのドキュメンタリーは、水害に悩む三つの島を取り上げる。南太平洋の島国ツバルと、イタリアの都市ヴェネツィア、米国のシシマレフ島である。
 前半に登場するツバルの学校では、先生が黒板に絵を描きながら、温暖化により氷河が溶け、海面が上昇し、ツバルが水没する、と子供たちに教えている。
 そして、ツバルの道が水没する様や、ヴェネツィアのサンマルコ広場を高潮が覆う様や、シシマレフ島の氷の上の家屋が倒壊した様が映し出される。
 なかでも、国土のほとんどが海抜3m以下であるツバルは、「50年後には国が沈む」と云われてることが紹介される。


 ベタな連想で恐縮だが、私はこの映画を見ながら『日本沈没』を思い出した。
 1970年代前半に、大ブームを巻き起こした作品である。
 地殻の活動により日本列島が海に沈むという未曾有の事態に直面した日本人が、その状況にどう反応し、行動するかを描いた作品だ。
 1973年に刊行された小松左京氏の小説はベストセラーになり、同年の映画も大ヒット、翌年にはテレビドラマも放映された。2006年に再映画化されたことは記憶に新しい。

 ご覧になった方は承知だろうが、1973年と2006年の2つの映画には、極めて大きな違いがある。
 出来不出来は別にして、2006年の映画は『日本沈没』とは云えない、と私は思っている。

 『日本沈没』が衝撃的で、ブームを巻き起こしたのは、日本列島が沈むという、まさに地球規模の現象を取り上げたからだ。
 描かれるのは、これまで日本人が営々として築き上げたものが、地球の変動の前ではなすすべもなく崩壊していく、その無力さだ。そして同時に、人類ごときには推し量ることのできない地球の偉大さと、大自然への畏れだ。
 多くの日本人には神の審判という宗教的な考え方はないだろうが、地球そのものによって国土を取り上げられる物語は、まさしく最後の審判にも等しい衝撃だったろう。

 奇しくも1973年は、高度経済成長を突き進んできた日本人が、第一次オイルショックによって冷水を浴びせられた年である。
 『日本沈没』は、経済情勢も含めた世相にマッチしたのだろう。
 この作品は、小松左京氏の本来の構想では、ユダヤ人のように国を失い、世界をさまよう日本人を描くためのプロローグだったそうだが、沈没に至るまでの物語だけで、当時の日本人には充分に衝撃だった(『日本沈没 第二部』は、2006年の刊行を待たねばならなかった)。


 ところが、2006年の映画『日本沈没』はまったく逆のアプローチだった。
 日本が沈没するという予測に対して、人々は災害を食い止めるために努力するのだ。
 これはすなわち、人間の力は、地球規模の現象をも左右できるという発想である。
 科学技術の進展によるのか、精神文化の変化によるのか、原作から30年以上のときを経て、人間と地球の立場は逆転していた。

 もちろんこれには、日本が置かれた立場の変化も影響しているだろう。
 1973年は、オイルショックに見舞われたとはいえ、まだまだ日本は昇り調子だった。だからこそ、足元を見つめ直す作品に意義があった。
 ところが2006年は、失われた20年の真っ只中である。すでに日本は国際社会で沈没し、浮上する気配がない。
 作り手たちは、日本人が頑張れば国の沈没は防げるという物語を、観客に届けたかったのかも知れない。

 それでも、作り手と受け手の脳裏には、人間が地球規模の現象に関与できるという思いがあったのは間違いない。


 あいにく私は地球温暖化説にはうといので、上に挙げた(1)~(5)の是非をコメントすることはできない。
 せいぜい、この説には懐疑的な見方もあることを聞いたくらいだ。
 ともあれ、地球全体の気候変動の原因を人類に帰する考え方は、きわめて今日的なものであるとは云えるだろう。

 改めて我々のいる環境を見れば、いまは氷河期の真っ最中である。
 地球誕生以来、氷河期は何度も繰り返され、4千万年前にまた始まった。グリーンランドや南極が雪と氷に覆われ、多くの動植物が住めない土地になってしまった。
 そんな時代に我々は生きている。

 もちろん、氷河期だからといって、すべての地表が氷河に覆われるわけではない。
 地球は常に、気温や海水準の変動を繰り返している。
 約6千年前、日本で云えば縄文時代には、海面が今より3~5メートル高く(縄文海進)、埼玉県の南部及び東部まで海だった。
 平安時代にも海面は上昇しており(平安海進)、12世紀初頭は現在より約50センチメートルも高かった。


 これからも気候の変動はあるだろうし、その原因に人類がどれだけ関係するのかは判らないが、『ビューティフル アイランズ』の作り手が、上の(1)~(5)の説すべてを支持しているのは明らかだ。
 しかし映画の中では、温暖化問題を突き上げたり、対策を声高に主張するようなことはない。

 本作が映し出すのは、ツバルで遊ぶ少女や、ヴェネツィアで将来を語る少年や、シシマレフで猟に出る大人たちだ。
 映画にはナレーションもBGMもなく、淡々と人々の暮らしを映し続ける。
 たびたびの水害に見舞われながらも、人々は変わらぬ日常を過ごしているのだ。

 我々とて同じだろう。
 沖縄や鹿児島に住む人は、毎年のように台風に襲われて、来年も再来年もまた襲われるに違いないのに、やっぱりそこに住み続ける。熊谷の人は、気温が40度に達しても、相変わらず熊谷に住んでいる。東京に住む人は、近い将来に大きな地震があると云われているのに、引っ越そうとはしない。
 地震も台風も知らない国の人には、日本に住むなんて奇行に見えるかも知れないが、我々はこれからも住み続けるだろう。
 10世紀以上にわたって水害が続いているヴェネツィアの人々のように。

 この映画が巧いのは、三つの国の生活の記録に徹していることだ。
 「50年後に国が沈む」という問題に正面から切り込むのではなく、「50年後に国が沈む」と云われた人々がどう暮らしているかを見つめている。
 この違いは大きい。

 もしもツバルが水没したら、この映画はツバルが存在したころの貴重な記録となるだろう。
 たとえツバルが水没しなくても、21世紀初頭の島国の生活を後世に伝えるものとして、やはり貴重な記録だろう。
 50年後、100年後に、地球の気温がどう変わり、三つの島がどのような行く末をたどったとしても、記録映画としての価値が毀損することはない。
 そこが『ビューティフル アイランズ』の巧いところだ。
 いや、ズルいところか。


 ところで、『ビューティフル アイランズ』を制作していた3年のあいだに、重要なことが起こっている。
 太陽黒点の増減の周期が乱れたのである。

 太陽黒点は11年周期で増減するが、しばしば数十年にわたって黒点が減少したままになることがある。
 そして、太陽黒点が減少しているあいだは、地球も寒冷化するという。
 たとえば、1645年から1715年にかけて太陽黒点が減少した時期(マウンダー極小期)には、小氷期が発生し各地で厳冬に悩まされた。 
 1790年から1820年にも太陽黒点は減少し(ダルトン極小期)、やはり気候は寒冷化した。

 そして、太陽黒点の少ない期間に突入する前には、11年周期に乱れが生じるという。
 本来なら黒点は、2007年頃に最小になり、2011年頃には最多になるはずだったが、2008~2009年も黒点は少ないままで、周期は12.6年に延びてしまった。
 そのため、また黒点の極小期が生じて、地球の気温が下がるかも知れないと云われている(2010年7月1日 読売新聞 夕刊)。


 はたして21世紀後半の地球はどうなっているのか、それを見届けるのは、ウミガメと遊んでいたツバルの少女だ。


ビューティフル アイランズ ~気候変動 沈む島の記憶~ [DVD]Beautiful Islands ビューティフル アイランズ』  [は行]
監督・プロデューサー・編集/海南友子
エグゼクティブプロデューサー/是枝裕和
日本公開/2010年7月10日
ジャンル/[ドキュメンタリー]
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『インセプション』 金を賢く使う方法

 夢枕獏著「サイコダイバー・シリーズ」が、遂に実写映画化!

 ウィキペディアにサイコダイブの説明がある。
 それは、人の精神に潜り込み(ダイブし)、対象の持つ記憶情報を入手すること、対象の隠されたトラウマを発見すること、そこから派生して精神操作まで行うことが可能という技術である。
 これを行う者を、サイコダイバーという。

 『インセプション』は、超A級のサイコダイバーたるレオナルド・ディカプリオが活躍する物語である。
 …というのは冗談だが、『インセプション』もサイコダイバー・シリーズも、発想は近いものがある。
 ことほどさように人間の精神に入り込むというアイデアは、作家を魅了するようだ。
 フィリップ・K・ディックの小説『ユービック』も、精神世界が複合的に絡み合う傑作だった。


 『インセプション』は、監督・脚本・製作を務めるクリストファー・ノーランにとって、デビュー作の『フォロウィング』(1998年)以来のオリジナル作品である。
 公式サイトによれば、クリストファー・ノーラン監督は10年近く前から本作の構想を練り始めたという。10年近く前といえば、『メメント』(2000年)の完成後まもなくということか。

 『メメント』から本作のあいだに起こったことは、記憶に新しい。
 監督作『バットマン ビギンズ』の大ヒットと、その続編『ダークナイト』の歴代6位(2010年7月現在)という超大ヒットにより、クリストファー・ノーランはヒットメーカーとして世界中が認める存在になった。

 こうして名実ともに功成し遂げたクリストファー・ノーランが久しぶりに放つオリジナル作品に、注目が集まらないはずはない。
 とすれば、構想を練り始めた10年前に比べて、変わったのは何か。
 出資金の増加である。
 クリストファー・ノーランの新作に出資することでリターンを求める者が殺到したことは、想像に難くない。
 『インセプション』の制作費は1.6億ドル。『メメント』の9百万ドルに比べれは、実に18倍である。

 だから、『インセプション』は豪勢だ。
 出演陣は、レオナルド・ディカプリオをはじめとする有名俳優が勢ぞろい。誰もかれも主役級だ。マイケル・ケインなんて「出番はそれだけでいいの?」と心配になってしまう。
 そして派手なCGIによる大スペクタクル!
 想像の世界は何でもありなので、奇妙キテレツな世界が現出する。

 しかし、本作の魅力はそんなところにはない。
 もちろん豪華俳優陣や派手な映像も目を引くが、それがこの映画の核ではない。
 俳優陣は金で用意できる。派手な映像も金をかければ実現できる。それら表層をはぎ取っていくと、最後にただ一つ残るものがある。

 「アイデア」である。

 このアイデアを核に、優れた脚本とセンスのいい演出で映画にすれば、傑作になることは必至だ。
 あとは、観客を喜ばせるためのデコレーションである。

 街が折れ曲がるシーンは、たいへん見栄えのする「絵」なので、予告編の中心になったが、ストーリー上はあまり重要ではない。ここまで派手にしなくても、この映画は充分に成立する。
 もしも『メメント』の公開直後に、本作の十分の一の制作費で取り組んでも、やっぱり傑作だっただろう。
 なにしろこの10年というもの、クリストファー・ノーランの頭と腕は冴えきっている。


 とはいえ、この10年は無駄ではない。
 なんといっても大予算の使い方が上手い。
 製作のエマ・トーマスは、公式サイトで「クリス(引用者註:クリストファー・ノーラン)は、この数年で大作映画を監督することについて多くを学び、それがこの映画で実っているの。」と語っている。

 目の前に大金があると、人間だれしもつまらない使い方をするものだ。
 カーチェイスに車をじゃんじゃん投入したり、銃撃戦をミサイルの撃ち合いに変えたり、ビルを次々に爆破したり。そんな物量作戦で観客の目を奪いたいくなる。
 そして、投入した物量に安心して、筋運びや見せ方の工夫をおざなりにしてしまう。

 しかし、『インセプション』はストイックなのだ。
 あくまで、勝負するのは腕と頭である。
 脚本と演出と撮影と編集と、そして音響の素晴らしさで、視覚と聴覚を存分に刺激するスリリングなシーンを作り上げ、観客を映画の世界に引きずり込む。


 ノーランは、つまらない使い方はしないが、必要なものには金を惜しまない。
 公式サイトによれば、劇中で1台に見える白いバンは、実際は13台もあるという。車内シーン用、外観用、横転用、水中用等の役目に応じて、いろんな修正を加えたそうだ。
 また、映画にうってつけの風景を求めて、撮影した場所は4大陸、6ヶ国に及ぶという。
 たとえば、冒頭のシーンは六本木周辺でなくても良さそうなものだが、ノーラン監督は東京の活気をとらえたくて、わざわざロケしたそうだ。

 俳優についても、単にネームバリューで集めたわけではない。
 ジョセフ・ゴードン=レヴィットはジェームズ・フランコがスケジュール調整できなかったための起用、エレン・ペイジはエヴァン・レイチェル・ウッドが断ったための起用だが、主役はレオナルド・ディカプリオしか考えられなかったという。
 また、渡辺謙さんが演じたサイトーは、ノーラン監督が彼のために創ったキャラクターだ。
---
「僕は謙とまた仕事をしたかったので、この役を特に彼のために書いたんだ。『バットマンビギンズ』での彼との仕事はとても気持ちのいいものだった。でも、あのときは彼の出番がずっと少なくて、一緒に過ごす時間も少なかったから、今回はもっと大きな役を彼に演じてもらいたかったんだ。」
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 さらに、本作が優れているのは、人間の精神という、とても観念的・哲学的な題材を扱いながら、アクション重視のエンターテイメントを踏み外さない点だ。
 映像にもリアリティを求め、作り物めいた世界には陥らない。
 CGIを前面に押し出すのは、意図的に嘘っぽいシーンにしたいときだけだ。
 いまどきはCGIを使えばどんな世界でもスクリーンに映し出せるのに、先に述べた街が折れ曲がるシーンを除けば、CGIの使用はつつましやかである。

 このことは公式サイトに詳しい。
---
ノーランは(略)スタッフ全員に、できる限り CGIを最小限にとどめ、実際に撮影できる方法を考えるよう要請したのだ。「どの映画でも、できるだけカメラで実際に撮影することが僕にとってはとても重要なんだ。(略)このストーリーが夢のさまざまな状態を扱っているとはいえ、どのレベルにおいても、その世界が具体的なものに感じられることが非常に大事なんだ。なぜなら、夢の中にいるとき、人はそれを現実として受け入れるからだよ。だから、雪山でスキーのチェイスをしようが、水中に潜ろうが、無重力状態のシミュレーションであろうが、僕はほんとうにギリギリまで、実際に撮影したかったんだ」とノーラン。
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 ギリギリまで実際に撮影するため、金を惜しみなく投入したことが、この映画にリアリティを与え、抜群に面白くしているのは間違いない。


インセプション Blu-ray & DVDセット (初回限定生産)インセプション』  [あ行]
監督・脚本・製作/クリストファー・ノーラン  製作/エマ・トーマス
出演/レオナルド・ディカプリオ 渡辺謙 ジョセフ・ゴードン=レヴィット マリオン・コティヤール エレン・ペイジ トム・ハーディ ディリープ・ラオ キリアン・マーフィ トム・ベレンジャー マイケル・ケイン
日本公開/2010年7月23日
ジャンル/[SF] [サスペンス] [アクション]
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『エアベンダー』 シャマランの高度な挑戦

 M・ナイト・シャマラン監督は、極めて難度の高いプロジェクトに挑んだ。

 『エアベンダー』は、シャマラン監督にとって初の原作付きの映画である。
 多くの場合、映画の原作になるのは小説やマンガだろう。ゲームのこともある。
 すなわち、映像作品ではないものが多い。
 だから、原作のファンが映像化された作品を見て、喜んでもガッカリしても、それはあくまでファンが抱いていたイメージに比べてのものである。
 小説やマンガをアニメや実写映画にしたら、違いがあるのは当たり前のことだ。

 しかし原作が映像作品の場合は、ちょっと違う。より比較しやすいので、ファンから不評を被りやすい。
 それでも映画化される作品はある。
 たとえば、テレビアニメ『弱虫クルッパー』(1969年~)を実写映画にした『スクービー・ドゥー』(2002年)や、『原始家族フリントストーン』(1960年~)を実写映画にした『フリントストーン/モダン石器時代』(1994年)だ。
 しかしこれらのテレビアニメは初出から数十年を経て、受け手がすっかり世代交代している。
 また、もともとストーリーテリングで引っ張る作品ではないから、実写映画も単に一つのエピソードが加わるだけにすぎない。
 ファンの反発も和らげやすいだろう。

 映画化されたテレビドラマ『チャーリーズ・エンジェル』(1976年~)や『特攻野郎Aチーム』(1983年~)も、基本は1話完結だから、映画ではちょっと豪華な1エピソードを作れば良い。

 日本のテレビアニメ『タイムボカンシリーズ ヤッターマン』(1977年~)を実写映画にした『ヤッターマン』(2009年)が、まさしくテレビシリーズの1エピソードのような作りなのも、料理の仕方を心得ているからだろう。

 その点、テレビアニメ『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』(1984年~)を実写映画にした『トランスフォーマー』(2007年)は、前述した作品に比べれば物語性がある。
 しかし幸いなことに、トランスフォーマーシリーズは20年以上続くあいだに何度も設定がリセットされ、原作そのものに一貫したストーリーがなくなっている。
 だから実写映画で何を描こうが、並行して存在するトランスフォーマー物の一つとして受け入れられる。


 ところがM・ナイト・シャマラン監督は、4つの世界を巻き込んだ壮大な戦いの物語に挑戦した。
 原作となるテレビアニメ『アバター 伝説の少年アン』は、完結までに61話を要した大長編である。
 しかもエミー賞アニー賞受賞しまくり、2008年に完結したばかりの、云ってみれば、ファンの熱気が冷めやらぬ作品に挑んだのである。

 このプロジェクトは、第3シーズンまで作られた原作を1シーズンごとに1本の映画にして、全三部作とする構想だが、一作目に相当する第1シーズンだけでも20話ある(他にパイロット版1話がある。)。

 どう頑張っても、原作ファンからは原作と違うと反発され、原作を知らない人からは駆け足だとか掘り下げ不足だとか非難されるのが目に見えている。

 定評のある小説やマンガを映画化するなら企画としては安全なのに、M・ナイト・シャマランはずっとオリジナルで勝負し続け、はじめて原作を付けたと思えばこんな難しいプロジェクトだ。
 なんとも挑戦的な男である。


 案の定、M・ナイト・シャマラン監督が送り出した『エアベンダー』の「第一の書:水」は、米国での評価が滅法悪い。
 IMDbでは10点満点中4.3点、Rotten Tomatoesに至っては好意的な評が8%しかない(2010年7月19日現在)。

 私は原作アニメを見ていないので、原作ファンの気持ちを代弁することはできない。
 だが、本作はそんなにガッカリする出来だろうか。

 そもそもM・ナイト・シャマラン監督の魅力とは何だろう。
 『シックス・センス』が大ヒットしたので、そのストーリーテリングに魅了された人も多いだろうが、ストーリーに注目していると、その後のシャマラン作品に失望続きとなりかねない。
 それはIMDbの得票が如実に物語っている(いずれも2010年7月19日現在)。

  『シックス・センス』 (1999) …8.2
  『アンブレイカブル』 (2000) …7.3
  『サイン』 (2002) …6.9
  『ヴィレッジ』 (2004) …6.6
  『レディ・イン・ザ・ウォーター』 (2006) …5.8
  『ハプニング』 (2008) …5.2
  『エアベンダー』 (2010) …4.3

 まったくのところ右肩下がりである。

 しかしM・ナイト・シャマラン監督の魅力は、ストーリーテリングもさることながら、その演出力だろうと私は思う。
 何もないはずなのに何かありそうに思わせる演出、静かなのに何か聞こえてきそうな演出、そういったものがシャマラン監督の魅力であり、やりたいことなのではないだろうか。
 だから前作『ハプニング』なんて、物語の起伏そっちのけで何かが迫ってくる雰囲気作りに徹しており、IMDbの評価の低さにかかわらず、私は気に入っている。


 『エアベンダー』では、その卓越した演出力で、4つの世界の華麗な「絵」を見せてくれる。
 氷を割って突き進む鉄の船、切り立った山に築かれた寺院、氷で作られた城塞都市、それら見たこともない世界が、スクリーンに鮮やかに映し出される。

 通常、異世界を舞台にした作品でも、1本の映画に出せる世界や国は多くない。2時間の映画で世界観をきちんと提示しようと思えば、せいぜい『スター・ウォーズ』の3惑星だろう。
 ところが『エアベンダー』では大盤振る舞いで多くの国が登場する。
 惹句には「4つの王国。1つの運命。」なんて書かれているが、実は4つの王国ではない。
 4つのエレメント、すなわち気・水・土・火のそれぞれに国があるだけでなく、さらに北と南に分かれていたりする。

 劇中で詳しい説明はないのだが、この世界では「火の国」が赤道付近に一つある。そして北半球に「北の気の国」、南半球に「南の気の国」があり、北極圏に「北の水の国」、南極圏に「南の水の国」があるのだ。
 詳しくは地図をご覧いただくとして、これら多くの国からなる広大な世界を、縦横に駆け巡り、それぞれを「絵」で見せてくれるのが、この映画の最大の魅力である。


 そしてキャラクターの造形は、いかにもM・ナイト・シャマランらしい。
 原作のアンは、子供向け作品の主人公らしく元気一杯の男の子のようだが、映画のアンはやや内向的で、大きな使命の重圧に耐えようとしている。

 思えば、シャマランの映画の登場人物はいつでも深刻そうで、人好きのするタイプではない。
 たとえば、『イエスマン “YES”は人生のパスワード』や『(500)日のサマー』でゾーイ・デシャネルのファンになる人はいても、『ハプニング』で彼女のファンになる人はいないのではないか。
 それが良くも悪くもシャマラン監督の持ち味で、本作のようなキャラクター物では不利に作用しているかも知れないが、しかしそれも含めてシャマラン監督が重視している"自分らしさ"なのだろう。


 修行僧たる少年が、特殊能力を持つ仲間とともに旅する姿は、『西遊記』の三蔵法師一行を思わせなくもないが、その仲間たちが伝統的な武術を駆使するのも面白い。
 『アバター 伝説の少年アン』の解説によれば、水を操るウォーターベンダーは太極拳、土を操るアースベンダーは洪家拳、火を操るファイアーベンダーは少林拳、そして気を操るエアベンダーは八卦掌のファイティングスタイルを採用しているという。
 すべてのエレメントを操るアバターになるには、太極拳、洪家拳、少林拳、八卦掌を習得する必要があるわけで、これはたいへんなことである。

 幾つもの異世界と、何種類もの武術とが入り乱れ、正義と悪の戦いを描いた痛快活劇の中に、東洋的な修行を織り交ぜる、それが『エアベンダー』の世界なのだ。


 そもそもM・ナイト・シャマランが『アバター 伝説の少年アン』を知ったのは、彼の娘がハロウィンのときにカタラ(ウォーターベンダーの少女)の扮装をしたがったからだという。
 これは、スティーヴン・スピルバーグが子供とトランスフォーマーのオモチャで遊んでいて、その映画化を思い立ったことを髣髴とさせる。

 ぜひM・ナイト・シャマランには、Rotten Tomatoesの評価なんか気にせず、自身の子供のためにも三部作を完成させて欲しい。
 久しぶりに1億ドル以上を稼いだんだし。

エアベンダー ブルーレイ&DVDセット(2枚組) [Blu-ray]エアベンダー』  [あ行]
監督・脚本/M・ナイト・シャマラン
出演/ノア・リンガー デヴ・パテル ニコラ・ペルツ ジャクソン・ラスボーン クリフ・カーティス セイチェル・ガブリエル
日本公開/2010年7月17日
ジャンル/[アドベンチャー] [ファンタジー] [アクション]

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『借りぐらしのアリエッティ』 なぜベンツに乗っているのか?

 ジブリのアニメが好きだと云う人がいるが、それは本当にジブリのアニメなのだろか?
 ジブリのアニメが好きな人に具体的な作品名を聞くと、『となりのトトロ』や『天空の城ラピュタ』が挙がる。
 しかしそれらは宮崎駿監督作品である。

 私も宮崎駿氏がかかわったアニメは好きだ。
 『どうぶつ宝島』も『赤胴鈴之助』も好きだし、バスター・キートンをパクった『ルパン三世』[*1]も好きだ。
 もちろん、『太陽の王子 ホルスの大冒険』をはじめ、高畑勲氏の作品も大好きである。
 だから、ジブリの作品に好きなものは多いが、それらは宮崎駿作品であったり、高畑勲作品であったりする。
 ジブリに限らず、両氏がどこに所属していてもその作品は好きだ。
 近藤喜文監督の『耳をすませば』も素晴らしいが、何しろ近藤氏は『赤毛のアン』の作画監督だ。素晴らしいに決まっている。

 だから私にとっては、好きなクリエイターがジブリにいるのであって、ジブリというスタジオの作品が好きなわけではない、と思っていた。
 もちろん、宮崎監督も高畑監督も一人ではアニメを作れないから、スタジオ全体の総合力あっての作品だろうが、それでも「ジブリが好き」とまでは云えなかった。


 しかし今回、米林宏昌氏の監督作品である『借りぐらしのアリエッティ』を観て、ジブリはすごいと痛感した。

 本作で、宮崎駿氏は「企画・脚本」とクレジットされている。
 企画書を書いて、脚本を書いて、それから鈴木敏夫プロデューサーに請われて次の5つのストーリーボードを描いたそうである[*2]。
 ・荒れた庭
 ・小人たちの部屋
 ・家の外観
 ・翔君の部屋
 ・ドールハウス

 すなわち、アニメーターとしても演出家としても参画していない。
 宮崎駿氏は自作の脚本も手がけているが、いつもは氏の頭の中で演出プランも一体になっての脚本だろう。脚本だけが人手に渡るのは極めて珍しい。

 鈴木プロデューサーは『借りぐらしのアリエッティ』の公式サイトで、次のような心配を表明している。
---
制作ですが、いまのところは、順調に推移していますが、心配の種はただひとつ、宮さんのことです。宮さんがいつ何時、この作品に乱入してくるのか。麻呂(引用者註:米林宏昌監督)のことが気になっているに違いないからです。
---

 しかし完成作品でも宮崎駿氏のクレジットは「企画・脚本」にとどまった。
 「乱入」はなかったようである。

 にもかかわらず、本作は長年にわたって宮崎作品に親しんできた人に違和感のない映画になっている。
 たとえば、アリエッティがバッグにものを入れるとき、膝を少し曲げてバッグを支える脚の角度。
 あるいは、(ジムシーに良く似た)スピラーが弓を引くときに、髪の毛や毛皮が逆立つ感じ。
 宮崎駿という超人的なアニメーターがいなくても、これらの動きを見られるとは、観客として幸せである。

 本作は、ジブリの人々が先達に学び、すでに高度なレベルにあることを改めて実感させてくれる。


 その『借りぐらしのアリエッティ』は、人間の少年・翔と小人の少女アリエッティとの出会いを描いた作品だ。
 二人の関係は、いささか歪んだものである。

 「君たちは滅びゆく種族なんだ。」
 翔は、アリエッティに向かってそう語りながら微笑んでいる。
 これに対して、アリエッティは憤慨するのだが、それはもっともだろう。たとえ図星でも、失礼な言い草だ。
 しかし翔は、微笑んだまま執拗に種の絶滅について語る。病気を抱えて、死期を予感している翔[*3]は、小人たちを絶滅寸前と決め付けて勝手に共鳴しているのだ。
 アリエッティは、そんな翔の言葉を受け入れない。

 この場面は米林監督がセリフを書き足したそうである[*2]。
 翔とアリエッティ、人間と小人との関係を、端的に示したセリフだろう。


 ところで『借りぐらしのアリエッティ』には、制作上の仕掛けがある。

 たとえば、食事の場面では、翔が箸でご飯と味噌汁を食べるのに、貞子とハルという二人の老婦人は、ナイフとフォークでステーキを食べている。
 料理は全員同じもので、三人の前にはそれぞれ箸とナイフとフォークがあるが、翔は箸、老婦人はナイフとフォークで、食べる動作を分担している。
 これは、箸で食事する国の人にも、ナイフとフォークで食事する国の人にも、このシーンに親しみを覚えてもらうためだろう。

 そして、家具はアンティークだ。押入れがある家なのに、翔のベッドや調度品は100年前の西洋館のおもむきである。
 それもそのはず、本作の屋敷や庭園は、100年前に作られた和洋折衷様式の盛美園を参考にしたそうだ。
 このような配慮も、和風とか洋風といった国ごとの様式にとらわれない、無国籍な作品にするためだ。

 近年のジブリ作品の例に漏れず、本作の製作委員会にウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパンがかかわっていることから判るように、本作も海外展開を視野に入れている。
 そのため、全編にわたって和洋折衷で考えられたのだろう。
 これは、たとえば北野武監督の映画が、タイトルを英語にしたり、クレジットに英語を表記しているのと同じ配慮である。

 貞子のクルマがベンツなのも、理由は同じだ。
 ベンツが出るからといって、ドイツが舞台なわけではない。
 ベンツとは、どの国に走っていてもおかしくないクルマなのだ。

 アニメ化に当たって、舞台をイギリスから日本に置き換えてもヨーロッパの雰囲気を色濃く残したのは、独特の世界観を作り上げることにも貢献している。


 そして、音楽もまた和洋折衷である。
 フランス人のセシル・コルベルが、日本語を交えて唄う主題歌は、小人のいる古い家に良く似合う。
 彼女の曲はケルト音楽の影響が強いので、エンヤや、上野洋子在籍時のZABADAKの音楽が好きな人ならば、惚れ込むに違いない。

 CDに同梱されたミニブックに鈴木プロデューサーが書くところによれば、本作はまずイメージ・アルバムを作ったそうだ。それを聴いて、曲の良し悪し、方向性、あるいは足りない曲を決め、そのあと本番用の映画音楽を作ったという。
 「そうすれば、音楽を二度、確認することができる」という、『風の谷のナウシカ』以来の方法だとか。
 だからこそ、作品と音楽がマッチして、聴き応えがあるのだろう。

 『借りぐらしのアリエッティ』を観た私がまずやったのは、その足でCDを買いに行くことだった。


[*1]『ルパン三世』としては、最初期の大隅正秋監督のものが好きだけれども。

[*2] 読売新聞 2010年7月9日 夕刊

[*3] 本作は翔の回想という形式を取っているので、手術の結果はお判りだろう。


[「アリエッティ」の洗濯ばさみ付]借りぐらしのアリエッティ [DVD]借りぐらしのアリエッティ』  [か行]
監督/米林宏昌  企画・脚本/宮崎駿  脚本/丹羽圭子
原作/メアリー・ノートン  音楽・主題歌/セシル・コルベル
出演/志田未来 神木隆之介 大竹しのぶ 竹下景子 藤原竜也 三浦友和 樹木希林
日本公開/2010年7月17日
ジャンル/[ドラマ] [ファンタジー]
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『必死剣 鳥刺し』の作法とは?

 宮崎駿監督は、時代劇をやってみたいと云いつつ、悩んでいた。
 「こればかりは難しい。どうしていいかわからないんですよね、ほんとのとこ。
 (略)
 まずその時代、なにを食べていたのか、何を着ていたのか、というところから入らないと。」

 黒澤明監督との対談で、宮崎監督の口からそんな言葉が漏れた(『何が映画か―「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』p136)。

 アニメーションで難しいのは、自然な所作だ。
 立ったり、歩いたり、食事をしたりする動作は、人間なら誰しも行うので、不自然であればすぐ判る。
 現代とは体格も服装も習俗も異なる時代劇の立ち居振る舞いを、現代のアニメーターが描けるのか、そんな悩みを吐露した言葉だった。

 その後、宮崎駿監督は、近藤喜文という優れたアニメーターを得て、中世を舞台にした『もののけ姫』を完成させる。
 故・近藤喜文氏の細かい所作に対するこだわりと、それを描写する力は、テレビアニメ『赤毛のアン』の突出した完成度の高さでも証明済みである。


 自然な動きへのこだわりは、黒澤明監督も同様だ。
 まだ無名だった仲代達矢さんが『七人の侍』に出演した際、ただ通りを歩くだけのカットなのに、1日やらされたのは有名だ。
 ことほど左様に、人間の細かい所作を、しかも現代人とは異なるであろう時代劇の所作をきちんと描くのは難しい。


 『必死剣 鳥刺し』では、武士は幾枚も着物を重ね着し、刀を差しているので、その重みを支えるために体を真っ直ぐ伸ばして、力強く歩いている。
 一方、中間(ちゅうげん)は武士の後ろで、やや猫背ぎみに音も立てずに従う。
 当時の階級・役職と、それに応じた服装等によって、歩き方も変わってくることが、映像から観てとれる。


 「作法のとおりに致せ。」

 蟄居を命じられた兼見三左エ門は、家人にこう云って蔵に入る。
 作法のとおりと云われても、観客には何のことやら判らない。
 しかし家人は黙って従う。
 いちいち観客に向けた説明はないが、そこには長い年月で蓄積された作法が厳然と存在することが伝わってくる。


 『必死剣 鳥刺し』の面白いところは、江戸時代の人々の作法・所作を、実に丁寧に描いている点だ。
 ふすまの開け方、閉め方も、部屋への入り方も、きちんきちんと観客に見せる。

 この点についての監督の想いが、公式サイトで紹介されている。
---
現代に生きる私たちにはスローペースにさえ感じるこの一連の動作も、当時を生きる人々にとっては当然の立ち振る舞いだ。そんな「当たり前をきちんと撮りたい」と思う監督の想いが全てのカットに反映されている。
---

 もちろん、時代劇ならどの映画でもそれらの考証はあるだろうが、問題は映画のテンポである。
 日本の着物は、あまり機能的ではない。
 着物を着て帯を締めると、手足を大きく振ったり、素早く動かすのは難しくなる。
 だから細かな所作を映像に収めていくと、どうしても緩慢な動きとなり、芝居のテンポは遅くなる。
 はたして作品内容が、その緩慢な動きにつきあっていられるどうか。

 本作の主人公・兼見三左エ門は寡黙な男である。
 自分の考えや感情をほとんど口にしない。
 だからこそ観客は、三左エ門のしぐさや態度に目を凝らす。
 衣擦れの音の一つひとつが、言葉に代わって三左エ門の気持ちを伝えてくる。

 テンポ良く、きびきび動くことよりも、細かな所作をきちんと見せる方が、兼見三左エ門という男を描くには向いているのである。

 やがて三左エ門の所作を見ているうちに、観客は三左エ門に馴染んでいく。
 理解や共感ではない。ただ、三左エ門の行動に馴染んでくる。
 そして、三左エ門が剣を抜いたとき、我々は彼に同化しているのだ。


必死剣鳥刺し [Blu-ray]必死剣 鳥刺し』  [は行]
監督/平山秀幸 原作/藤沢周平
出演/豊川悦司 池脇千鶴 吉川晃司 戸田菜穂 村上淳 関めぐみ 小日向文世 岸部一徳
日本公開/2010年7月10日
ジャンル/[時代劇] [ドラマ]
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