『空気人形』に詰まっているもの
![空気人形 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/31qwOo49ewL._SL160_.jpg)
商売ではレンタルしていても、店長するくらいならやっぱり映画が大好きで、「映画は映画館で観る」ことがモットーだったりするものだ。
そのトークショーで、『空気人形』に触れてこんなこともおっしゃっていた。
・『空気人形』では人工的な光を意識した。人工的な光を作りこむことを楽しんだ。
・『歩いても 歩いても』では、逆に自然な光を意識した。
人工的な光なんて云われると、『どですかでん』や『ワン・フロム・ザ・ハート』を思い出してしまうが、是枝監督の「人工的」はまったく違う意味だった。
人形の"のぞみちゃん"が心を持って1日目、日が落ちて薄暮の迫る街を俯瞰するショットがある。
マンションの灯や看板の灯りが蛍のように光るなか、のぞみがビルの上にたたずみ、隅田川を提灯に彩られた屋形船が滑っていく。
『歩いても 歩いても』の田舎の自然光とはまったく違う光を、東京の街が放っていた。
それは、フランク・ハーバートの言葉を借りるなら「画面を切り取って、額に入れて飾っておきたい」絵である。
月島周辺は映画やテレビで頻繁に撮影されるので、見慣れた景色ではあるのだが、『空気人形』の風景はまったく新鮮だった。
空き地のベンチで、のぞみが老人と佃島の高層マンションを眺めるシーン。
松本零士デザインのヒミコに手を振るシーン。
いずれも「額に入れて飾っておきたい」ほどである。
のぞみがしばしば老人と、受付嬢と言葉を交わした空き地のベンチは、ストリートビューで皆さんも見ることができる。
驚くなかれ、この映画のために作られたかのような空き地もベンチもマンション群も、普段の何気ない景色の一部でしかないのだ。
しかし今は、すべてこの映画のために存在してきたとしか思えない。
撮影監督リー・ピンビンは、私たちの住む東京を、見知らぬファンタジックな街として浮かび上がらせた。
『空気人形』への取り組みについて、是枝監督はインタビューで次のように語っている。
---
原作の『空気人形が、抜けてしまった空気を自分の好きな人に吹き込まれて満たされる』というシーンが非常に官能的で、ぜひ映画にしたいというところからスタートしました。他人の息で満たされる、つまり空虚感は自分だけでは埋められない。もっと言うと、自分の中に感じる他人の息が『心』なのだという哲学的な問いも感じましたね。また、息という映画的なモチーフを介してセックスが描けるのも魅力的で、その前後の人形の感情をオリジナルでどのぐらい作れるか?というのが勝負でした。
---
いや、そこまで云っちゃいますか

自分で自作をバンバン語っちゃうのが、是枝監督の面白いところ。
作中でも「空虚感は自分だけでは埋められない」ことを吉野弘氏の詩『I was born』と『生命は』に託して語っている。
私にとってこの映画の最高のクライマックスは、のぞみが詩『生命は』を詠むところだ。
『空気人形』はここで前半の物語を終え、後半は別の展開を見せる。
そこにはまた別の感動があるのだが、まずはこの詩を噛み締めたい。
生命は
自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい
…
![空気人形 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/31qwOo49ewL._SL160_.jpg)
監督・脚本・編集・プロデューサー/是枝裕和 撮影/李屏賓(リー・ピンビン) 原作/業田良家
出演/ペ・ドゥナ ARATA 板尾創路 岩松了 オダギリジョー
日本公開/2009年9月26日
ジャンル/[ドラマ] [ロマンス] [ファンタジー]

『ある日どこかで』観てほしい
マンガ『ときめきトゥナイト』で、鈴世(りんぜ)となるみちゃんがデートする場面がある。そのときに観る映画が『ある日どこかで』だった。
背景の看板に題名が描いてある、なんて扱いではなく、鑑賞後に2人は『ある日どこかで』について語り合う。だから『ときめきトゥナイト』を読むとき、『ある日どこかで』を未見の方は要注意である。
1981年の公開当時はまったく話題にならず、客も入らず、早々に打ち切られてしまった映画だ。
しかしこうして『ある日どこかで』を語り継ぐ人がいることで、今日でもDVDで観ることができる。
サウンドトラックは日本でも発売され、たやすく入手できる。
公開から21年を経て、2002年に原作小説も訳出された。
この作品が、いかに多くの人に愛されているか判ろうというものだ。
キネマ旬報1981年1月下旬号に、中子真治氏によるヤノット・シュワルツ監督へのインタビュー記事が載っている(この記事では監督の名をジャノウ・シュワークと表記している)。
ここでの『ある日どこかで』の紹介の仕方が面白くて、繰り返し読んだものである。
それは次の文章で始まる…。
---
SF作家で脚本家のリチャード・マシスンの原作・脚本を、スーパーマン役の好青年俳優クリストファー・リーヴと「シンドバッド虎の目大冒険」や「宇宙空母ギャラクティカ」の美人女優ジェーン・セイモアの共演でもって、「燃える昆虫軍団」や「ジョーズ2」のジャノウ・シュワークが監督した映画、などと解説すると、もうすでに特殊な感情をいだいてしまう人が多いようで…。
しからば特撮なし、スタントなし、カー・チェイスなし、セックスなしの映画といいかえてみても、これまたつまらなさそうに聞こえる。
---
いやまったく、スタッフ及びキャストのそれまでの経歴からすると、時を越えた恋を描く『ある日どこかで』は唐突に感じられる。
しかし、アクション映画やSF・ファンタジー映画でヒロインを務めてきてたジェーン・シーモアについて、ヤノット・シュワルツ監督はこう語っている。
---
ジェーンは美しいが、その美しさを引き出したのはワシだ。(略)いままでジェーンをうまく使った監督は一人もいない。美人で静かな、という第一印象そのものの演技しか求めなかったからな。
---
たしかに『007/死ぬのは奴らだ』の占い師も『シンドバッド虎の目大冒険』のお姫様も、ジェーン・シーモアの役柄は清楚なだけでパッとしなかった。
ところが『ある日どこかで』では心の強い素晴らしいヒロインになっている。
女優の魅力・美しさを引き出すのは、監督の力量次第であることを痛感する。
だが、ジェーン・シーモアも1人の役者以上の貢献を本作にもたらしている。
本作は音楽が重要な要素を占めており、ラフマニノフの『パガニーニの主題による狂詩曲』やジョン・バリーの曲がなかったら、まったく印象が異なっていただろう。
ところがIMDbによれば、本作は予算が限られており、007シリーズで有名なジョン・バリーのような大物作曲家には声をかけられなかったそうなのだ。
しかし、ボンドガールでジョン・バリーの友人であるジェーン・シーモアが、ジョン・バリーの起用を監督に提案し、ジョン・バリーとも話をつけてくれたのだとか。
ジョン・バリーの美しい旋律を聴くたびに、『ある日どこかで』を初めて観たときの感動が甦る。
ジョン・バリーのいない『ある日どこかで』は考えられないが、彼の参画は危ういところだったのだ。
偶然により人が集い、人と人との化学反応から、ときに思いもよらぬ傑作が生まれる。
その稀有な例がここにある。
『ある日どこかで』 [あ行]
監督/ヤノット・シュワルツ(Jeannot Szwarc: ジュノー・シュウォーク、ジャノウ・シュワーク) 原作・脚本/リチャード・マシスン
出演/クリストファー・リーヴ ジェーン・シーモア クリストファー・プラマー
日本公開/1981年1月3日
ジャンル/[ファンタジー] [ロマンス] [SF]
http://bookmarks.yahoo.co.jp/bookmarklet/showpopup?t='+encodeURIComponent(document.title)+'&u='+encodeURIComponent(location.href)+'&ei=UTF-8','_blank','width=550,height=480,left=100,top=50,scrollbars=1,resizable=1',0);">
背景の看板に題名が描いてある、なんて扱いではなく、鑑賞後に2人は『ある日どこかで』について語り合う。だから『ときめきトゥナイト』を読むとき、『ある日どこかで』を未見の方は要注意である。
1981年の公開当時はまったく話題にならず、客も入らず、早々に打ち切られてしまった映画だ。
しかしこうして『ある日どこかで』を語り継ぐ人がいることで、今日でもDVDで観ることができる。
サウンドトラックは日本でも発売され、たやすく入手できる。
公開から21年を経て、2002年に原作小説も訳出された。
この作品が、いかに多くの人に愛されているか判ろうというものだ。
キネマ旬報1981年1月下旬号に、中子真治氏によるヤノット・シュワルツ監督へのインタビュー記事が載っている(この記事では監督の名をジャノウ・シュワークと表記している)。
ここでの『ある日どこかで』の紹介の仕方が面白くて、繰り返し読んだものである。
それは次の文章で始まる…。
---
SF作家で脚本家のリチャード・マシスンの原作・脚本を、スーパーマン役の好青年俳優クリストファー・リーヴと「シンドバッド虎の目大冒険」や「宇宙空母ギャラクティカ」の美人女優ジェーン・セイモアの共演でもって、「燃える昆虫軍団」や「ジョーズ2」のジャノウ・シュワークが監督した映画、などと解説すると、もうすでに特殊な感情をいだいてしまう人が多いようで…。
しからば特撮なし、スタントなし、カー・チェイスなし、セックスなしの映画といいかえてみても、これまたつまらなさそうに聞こえる。
---
いやまったく、スタッフ及びキャストのそれまでの経歴からすると、時を越えた恋を描く『ある日どこかで』は唐突に感じられる。
しかし、アクション映画やSF・ファンタジー映画でヒロインを務めてきてたジェーン・シーモアについて、ヤノット・シュワルツ監督はこう語っている。
---
ジェーンは美しいが、その美しさを引き出したのはワシだ。(略)いままでジェーンをうまく使った監督は一人もいない。美人で静かな、という第一印象そのものの演技しか求めなかったからな。
---
たしかに『007/死ぬのは奴らだ』の占い師も『シンドバッド虎の目大冒険』のお姫様も、ジェーン・シーモアの役柄は清楚なだけでパッとしなかった。
ところが『ある日どこかで』では心の強い素晴らしいヒロインになっている。
女優の魅力・美しさを引き出すのは、監督の力量次第であることを痛感する。
だが、ジェーン・シーモアも1人の役者以上の貢献を本作にもたらしている。
本作は音楽が重要な要素を占めており、ラフマニノフの『パガニーニの主題による狂詩曲』やジョン・バリーの曲がなかったら、まったく印象が異なっていただろう。
ところがIMDbによれば、本作は予算が限られており、007シリーズで有名なジョン・バリーのような大物作曲家には声をかけられなかったそうなのだ。
しかし、ボンドガールでジョン・バリーの友人であるジェーン・シーモアが、ジョン・バリーの起用を監督に提案し、ジョン・バリーとも話をつけてくれたのだとか。
ジョン・バリーの美しい旋律を聴くたびに、『ある日どこかで』を初めて観たときの感動が甦る。
ジョン・バリーのいない『ある日どこかで』は考えられないが、彼の参画は危ういところだったのだ。
偶然により人が集い、人と人との化学反応から、ときに思いもよらぬ傑作が生まれる。
その稀有な例がここにある。
![ある日どこかで 【ベスト・ライブラリー1500円:80年代特集】 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51quLV2fzrL._SL160_.jpg)
監督/ヤノット・シュワルツ(Jeannot Szwarc: ジュノー・シュウォーク、ジャノウ・シュワーク) 原作・脚本/リチャード・マシスン
出演/クリストファー・リーヴ ジェーン・シーモア クリストファー・プラマー
日本公開/1981年1月3日
ジャンル/[ファンタジー] [ロマンス] [SF]


tag : ヤノット・シュワルツリチャード・マシスンクリストファー・リーヴジェーン・シーモアクリストファー・プラマー池野恋
『愛のコリーダ』の意味は?
クインシー・ジョーンズはみずからの大ヒット曲『愛のコリーダ』の意味を、「私はコリーダを知っている」だと思っていた。
というのは古典的なギャグだが、ではコリーダってなんなのか。
ウィキペディアで映画『愛のコリーダ』を解題している。
---
題名の「コリーダ」はスペイン語で闘牛を意味する「Corrida de toros」(牛の走り、la corridaのみでも闘牛を指す)からとっている。フランス語の題名 L'Empire des sens (官能の帝国)は、ロラン・バルトによる日本文化論 L'Empire des signes (邦題 『表徴の帝国』)にちなむ。
---
作品内容からすると闘牛とは唐突だが、生死を超えて突き進む男女の姿を牛と闘牛士に見立てたのだろうか。
『愛のコリーダ』は有名な阿部定事件を題材にしているだけに、定が刃物をもてあそび吉蔵に突きつけるたび、いよいよ切り取ってしまうのかとハラハラドキドキしてしまう。
そんな観客心理を読みきった大島渚監督は、観客をもてあそぶかのように定に刃物や紐を握らせる。ストーリーは単純なのに飽きないのは、そんなふうに大島監督が刃物をちらつかせるからであろう。
ときは1936年。美濃部達吉が右翼に襲撃され、その数週後に二・二六事件が勃発した年である。
しかし本作はそんな時代性を感じさせることなく、定と吉蔵2人きりの閉鎖空間を濃密に描く。2人の周りには女中や芸者や掃除婦がいるのだが、2人はまったく意に介さない。
ところが映画中盤、散髪屋を出た吉蔵が、軍隊とすれちがい反対方向に歩いていくシーンがある。
二・二六事件の年、軍隊とは反対に1人で歩いていく男。
2人の閉鎖空間を描くだけでなく、このようにコメントしやすいシーンを付け加えることで、大島渚監督は評論家筋をも手のひらの上で転がしてしまう。
いやはや見事である。
裸の男女が絡み合う上で、鳥を真似して踊り続ける幇間(ほうかん)は、『エル・トポ』でおびただしい兎の屍骸を挟んで対峙するガンマンのように美しい。
『愛のコリーダ』 [あ行]
監督・脚本/大島渚 製作/若松孝二 製作代表/アナトール・ドーマン
出演/松田暎子 藤竜也
日本公開/1976年10月
ジャンル/[アート]
映画ブログ
というのは古典的なギャグだが、ではコリーダってなんなのか。
ウィキペディアで映画『愛のコリーダ』を解題している。
---
題名の「コリーダ」はスペイン語で闘牛を意味する「Corrida de toros」(牛の走り、la corridaのみでも闘牛を指す)からとっている。フランス語の題名 L'Empire des sens (官能の帝国)は、ロラン・バルトによる日本文化論 L'Empire des signes (邦題 『表徴の帝国』)にちなむ。
---
作品内容からすると闘牛とは唐突だが、生死を超えて突き進む男女の姿を牛と闘牛士に見立てたのだろうか。
『愛のコリーダ』は有名な阿部定事件を題材にしているだけに、定が刃物をもてあそび吉蔵に突きつけるたび、いよいよ切り取ってしまうのかとハラハラドキドキしてしまう。
そんな観客心理を読みきった大島渚監督は、観客をもてあそぶかのように定に刃物や紐を握らせる。ストーリーは単純なのに飽きないのは、そんなふうに大島監督が刃物をちらつかせるからであろう。
ときは1936年。美濃部達吉が右翼に襲撃され、その数週後に二・二六事件が勃発した年である。
しかし本作はそんな時代性を感じさせることなく、定と吉蔵2人きりの閉鎖空間を濃密に描く。2人の周りには女中や芸者や掃除婦がいるのだが、2人はまったく意に介さない。
ところが映画中盤、散髪屋を出た吉蔵が、軍隊とすれちがい反対方向に歩いていくシーンがある。
二・二六事件の年、軍隊とは反対に1人で歩いていく男。
2人の閉鎖空間を描くだけでなく、このようにコメントしやすいシーンを付け加えることで、大島渚監督は評論家筋をも手のひらの上で転がしてしまう。
いやはや見事である。
裸の男女が絡み合う上で、鳥を真似して踊り続ける幇間(ほうかん)は、『エル・トポ』でおびただしい兎の屍骸を挟んで対峙するガンマンのように美しい。
『愛のコリーダ』 [あ行]
監督・脚本/大島渚 製作/若松孝二 製作代表/アナトール・ドーマン
出演/松田暎子 藤竜也
日本公開/1976年10月
ジャンル/[アート]
映画ブログ
『BALLAD 名もなき恋のうた』をうたったか?
山崎貴(たかし)監督は、映画のタイトルを(ときに副題はあるものの)英単語1つに統一している。"juvenile"、"returner"、"always"、そして本作"ballad"である。
あまり一般に馴染んでいる言葉ではないが、バラッド(バラードではない)についてオフィシャルサイトはこう記す。
---
物語的・叙事的な内容の伝統歌謡のことで、その内容には武勇伝・ロマンスなど様々なものがあるのですが、その殆どが悲劇的な結末をむかえるというもの
---
バラッドの志向が本作のテーマに近いということで、山崎監督自らタイトルを付けたのだという。
『BALLAD 名もなき恋のうた』で印象深いのは、小国の大名である康綱が決断を下すところだ。
21世紀からやってきた人間の言葉から、自分が治める春日の国が未来には存在しないこと、それどころか大国と思っていた大倉井でさえ名を残さないことを知り、生き延びるために尻尾を振るのはやめて自由に生きようと決意する。
これは合理的ではない。
この決断は治政者として誤っており、戦雲を呼び寄せ、多くの死者を出すことになる。
しかし、我々はこの決断に共感せずにはいられない。
このあたり、大倉井との同盟に家臣たちが喜ぶところや大倉井高虎の失礼さ、そして康綱が決断を下すに至るところは、本作の原案となった『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』(2002)よりも丁寧に描いている。
アニメの堂々たる春日和泉守康綱も良いが、実写で中村敦夫さん演じる気の弱そうな殿様だからなおのこと、この決断に喝采を送りたくなる。
「名もなき恋のうた」の恋とは、もちろん又兵衛と廉姫の恋だろうが、名もないのは、忘れ去られる春日の殿様、春日の国そのものだ。
なんと無常なことだろう。
しかしそこには、ひとりの老人の、保身を超えた決断があったのである。
さて、『クレヨンしんちゃん』は、埼玉県春日部市在住の臼井儀人氏が描く、春日部市を舞台にした作品である。
2004年には、しんちゃんの一家が春日部市で特別住民登録されている。
その映画版を原案とする『BALLAD 名もなき恋のうた』が、春日部で育った草なぎ剛さんによって演じられるのも、縁というものだろうか。
『BALLAD 名もなき恋のうた』は、春日部市ならぬ春日市が舞台である。
劇中、クルマのナンバープレートが春日ナンバーであることから、福岡県春日市とは関係ない(春日市は福岡ナンバー。春日部市なら春日部ナンバー。)。
天正二年で描かれるのは、春日という架空の国だが、岩槻、こしたに(越谷)など、埼玉県を思わせる地名が続出する。
ならば架空の大名ではなく春日部氏の物語としても良かったろう。
春日部氏は、現在の春日部市に住む一族である。というよりも、春日部氏にちなんで春日部市という。
もちろん、現実の春日部市は『BALLAD 名もなき恋のうた』で合戦が行われたような起伏に富んだ地形ではない。合戦シーンを撮影したのは熊本県阿蘇市。奇しくも、野原みさえが熊本県アソ市の出である。
春日部氏の居館があったとされる春日部八幡神社の周辺も、高台ではあるものの映画のように立派な山城ではない。
とはいえ、春日部に古くからの武将が実在したことはもっと知られて良い。
さらに春日部つながりで云えば、春日部八幡神社のすぐ近くにある春日部高等学校のOBにして教諭であった北村薫氏が、つい先ごろ第141回直木賞を受賞された。
氏の著作の中でも、高校生(高校教師)を主人公にした『スキップ』には春日部高等学校との類似点があるという。
2009年は春日部をアピールする絶好の機会である。
9月17日に草なぎ剛さんは、「草なぎ剛 植樹イベントin春日部」に出席し、“現代と戦国時代を結ぶドングリの木”にちなんで春日部市長らと共にドングリの木を植えた(2009年9月18日 中日スポーツ)。
上田市が、地元を舞台にした『サマーウォーズ』を応援したように、映画と地域が連携すれば、もっと面白いことになるだろう。
『BALLAD 名もなき恋のうた』 [は行]
監督・脚本・VFX/山崎貴 原案/原恵一
出演/草剛 新垣結衣 大沢たかお 夏川結衣 筒井道隆 油井昌由樹 中村敦夫
日本公開/2009年9月5日
ジャンル/[ロマンス] [ファンタジー] [時代劇]
あまり一般に馴染んでいる言葉ではないが、バラッド(バラードではない)についてオフィシャルサイトはこう記す。
---
物語的・叙事的な内容の伝統歌謡のことで、その内容には武勇伝・ロマンスなど様々なものがあるのですが、その殆どが悲劇的な結末をむかえるというもの
---
バラッドの志向が本作のテーマに近いということで、山崎監督自らタイトルを付けたのだという。
『BALLAD 名もなき恋のうた』で印象深いのは、小国の大名である康綱が決断を下すところだ。
21世紀からやってきた人間の言葉から、自分が治める春日の国が未来には存在しないこと、それどころか大国と思っていた大倉井でさえ名を残さないことを知り、生き延びるために尻尾を振るのはやめて自由に生きようと決意する。
これは合理的ではない。
この決断は治政者として誤っており、戦雲を呼び寄せ、多くの死者を出すことになる。
しかし、我々はこの決断に共感せずにはいられない。
このあたり、大倉井との同盟に家臣たちが喜ぶところや大倉井高虎の失礼さ、そして康綱が決断を下すに至るところは、本作の原案となった『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』(2002)よりも丁寧に描いている。
アニメの堂々たる春日和泉守康綱も良いが、実写で中村敦夫さん演じる気の弱そうな殿様だからなおのこと、この決断に喝采を送りたくなる。
「名もなき恋のうた」の恋とは、もちろん又兵衛と廉姫の恋だろうが、名もないのは、忘れ去られる春日の殿様、春日の国そのものだ。
なんと無常なことだろう。
しかしそこには、ひとりの老人の、保身を超えた決断があったのである。
さて、『クレヨンしんちゃん』は、埼玉県春日部市在住の臼井儀人氏が描く、春日部市を舞台にした作品である。
2004年には、しんちゃんの一家が春日部市で特別住民登録されている。
その映画版を原案とする『BALLAD 名もなき恋のうた』が、春日部で育った草なぎ剛さんによって演じられるのも、縁というものだろうか。
『BALLAD 名もなき恋のうた』は、春日部市ならぬ春日市が舞台である。
劇中、クルマのナンバープレートが春日ナンバーであることから、福岡県春日市とは関係ない(春日市は福岡ナンバー。春日部市なら春日部ナンバー。)。
天正二年で描かれるのは、春日という架空の国だが、岩槻、こしたに(越谷)など、埼玉県を思わせる地名が続出する。
ならば架空の大名ではなく春日部氏の物語としても良かったろう。
春日部氏は、現在の春日部市に住む一族である。というよりも、春日部氏にちなんで春日部市という。
もちろん、現実の春日部市は『BALLAD 名もなき恋のうた』で合戦が行われたような起伏に富んだ地形ではない。合戦シーンを撮影したのは熊本県阿蘇市。奇しくも、野原みさえが熊本県アソ市の出である。
春日部氏の居館があったとされる春日部八幡神社の周辺も、高台ではあるものの映画のように立派な山城ではない。
とはいえ、春日部に古くからの武将が実在したことはもっと知られて良い。
さらに春日部つながりで云えば、春日部八幡神社のすぐ近くにある春日部高等学校のOBにして教諭であった北村薫氏が、つい先ごろ第141回直木賞を受賞された。
氏の著作の中でも、高校生(高校教師)を主人公にした『スキップ』には春日部高等学校との類似点があるという。
2009年は春日部をアピールする絶好の機会である。
9月17日に草なぎ剛さんは、「草なぎ剛 植樹イベントin春日部」に出席し、“現代と戦国時代を結ぶドングリの木”にちなんで春日部市長らと共にドングリの木を植えた(2009年9月18日 中日スポーツ)。
上田市が、地元を舞台にした『サマーウォーズ』を応援したように、映画と地域が連携すれば、もっと面白いことになるだろう。
![BALLAD 名もなき恋のうた [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51UYgPfivyL._SL160_.jpg)
監督・脚本・VFX/山崎貴 原案/原恵一
出演/草剛 新垣結衣 大沢たかお 夏川結衣 筒井道隆 油井昌由樹 中村敦夫
日本公開/2009年9月5日
ジャンル/[ロマンス] [ファンタジー] [時代劇]
【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画】
【genre : 映画】
『サマーウォーズ』の法律違反
【ネタバレ注意】
『サマーウォーズ』の登場人物を見ていると、コンプライアンス上、ハラハラすることが多い。
陸上自衛隊の陣内理一(じんのうち りいち)は隊の装備品を窃盗するし、陣内太助(じんのうち たすけ)はみずから営む陣内電気店の棚卸資産(大学納品前のコンピュータ)を横領してしまう。
だが劇中では描かれていないものの、陣内理一は装備品を持ち出すに当たり迅速に許可を得ていた可能性はある。
また、納品前のコンピュータも特段の故障が生じておらず原状回復できれば、大学に事情を話して改めて納品させてもらえる可能性はある(あのような規模のコンピュータは、すでに工場出荷前に検証等のためにさんざん動かしていることも考えられ、太助の行為はその延長上ということで収められるかも知れない)。
陣内侘助(じんのうち わびすけ)が開発したラブマシーンは社会に大混乱を巻き起こすが、侘助自身が述べているようにラブマシーンに反社会活動を指示しておらず、OZでの活動に関与していないのであれば、彼の罪ではない。
もっとも、充分な実証実験を終えていないラブマシーンの活動を追跡すべく努力しなかったこと、社会の混乱の原因がラブマシーンであることを察した段階で事態収拾のための行動を起こさなかったことについて、責めを負う可能性はある。
とはいえ最終的には健二や佳主馬に協力して問題を解決していることから、その責めもかなりのていど相殺されるだろう。
しかしここに、私的目的のために法を破り、酌量の余地のない人物がいる。
上田市役所に勤務する陣内理香(じんのうち りか)である。
陣内理香は、親戚の娘の交際相手について知るために、市役所の住民基本データを内緒で検索し、小磯健二の身元を調べている。
このような行為は、住民基本台帳法30条の34(本人確認情報の利用及び提供の制限)に反している。
したがって地方公務員法29条に定める懲戒処分の対象となる。
また陣内理香は、検索で知りえた情報に基づき、「ただのサラリーマンの息子じゃない! しかも高校生よ! 17歳!」と叫んでいる。
これは住民基本台帳法42条で刑罰の対象としている、秘密を漏らす行為に当たる可能性がある。
地方公務員法29条に定める懲戒処分が下されれば、最悪のばあい免職となる。また住民基本台帳法42条の刑罰は、二年以下の懲役又は百万円以下の罰金である。
上田市勤務の陣内理香が東京在住の健二のデータを得るには、住民基本台帳ネットワークシステムを悪用したと考えられる。その実行可能性はともかく、公務員による住民基本台帳ネットワークシステムの悪用となれば、マスコミ各紙が大騒ぎするのは間違いない。
いやはや陣内理香はたいへんなことをしでかしたものだ。
映画『サマーウォーズ』に、悪い人間は登場しない。
しかし陣内理香は、重い処分を免れないだろう。
もちろん、実際の公務員諸氏は上の各法を熟知しているので、このような違法行為に及ぶことはない(そもそも住民基本台帳ネットワークシステムでは、高校生であることや父の職業は判らないし)
『サマーウォーズ』 [さ行]
監督/細田守 脚本/奥寺佐渡子 キャラクターデザイン/貞本義行
出演/神木隆之介 桜庭ななみ 谷村美月 永井一郎 富司純子
日本公開/2009年8月1日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー] [青春]
http://bookmarks.yahoo.co.jp/bookmarklet/showpopup?t='+encodeURIComponent(document.title)+'&u='+encodeURIComponent(location.href)+'&ei=UTF-8','_blank','width=550,height=480,left=100,top=50,scrollbars=1,resizable=1',0);">
『サマーウォーズ』の登場人物を見ていると、コンプライアンス上、ハラハラすることが多い。
陸上自衛隊の陣内理一(じんのうち りいち)は隊の装備品を窃盗するし、陣内太助(じんのうち たすけ)はみずから営む陣内電気店の棚卸資産(大学納品前のコンピュータ)を横領してしまう。
だが劇中では描かれていないものの、陣内理一は装備品を持ち出すに当たり迅速に許可を得ていた可能性はある。
また、納品前のコンピュータも特段の故障が生じておらず原状回復できれば、大学に事情を話して改めて納品させてもらえる可能性はある(あのような規模のコンピュータは、すでに工場出荷前に検証等のためにさんざん動かしていることも考えられ、太助の行為はその延長上ということで収められるかも知れない)。
陣内侘助(じんのうち わびすけ)が開発したラブマシーンは社会に大混乱を巻き起こすが、侘助自身が述べているようにラブマシーンに反社会活動を指示しておらず、OZでの活動に関与していないのであれば、彼の罪ではない。
もっとも、充分な実証実験を終えていないラブマシーンの活動を追跡すべく努力しなかったこと、社会の混乱の原因がラブマシーンであることを察した段階で事態収拾のための行動を起こさなかったことについて、責めを負う可能性はある。
とはいえ最終的には健二や佳主馬に協力して問題を解決していることから、その責めもかなりのていど相殺されるだろう。
しかしここに、私的目的のために法を破り、酌量の余地のない人物がいる。
上田市役所に勤務する陣内理香(じんのうち りか)である。
陣内理香は、親戚の娘の交際相手について知るために、市役所の住民基本データを内緒で検索し、小磯健二の身元を調べている。
このような行為は、住民基本台帳法30条の34(本人確認情報の利用及び提供の制限)に反している。
したがって地方公務員法29条に定める懲戒処分の対象となる。
また陣内理香は、検索で知りえた情報に基づき、「ただのサラリーマンの息子じゃない! しかも高校生よ! 17歳!」と叫んでいる。
これは住民基本台帳法42条で刑罰の対象としている、秘密を漏らす行為に当たる可能性がある。
地方公務員法29条に定める懲戒処分が下されれば、最悪のばあい免職となる。また住民基本台帳法42条の刑罰は、二年以下の懲役又は百万円以下の罰金である。
上田市勤務の陣内理香が東京在住の健二のデータを得るには、住民基本台帳ネットワークシステムを悪用したと考えられる。その実行可能性はともかく、公務員による住民基本台帳ネットワークシステムの悪用となれば、マスコミ各紙が大騒ぎするのは間違いない。
いやはや陣内理香はたいへんなことをしでかしたものだ。
映画『サマーウォーズ』に、悪い人間は登場しない。
しかし陣内理香は、重い処分を免れないだろう。
もちろん、実際の公務員諸氏は上の各法を熟知しているので、このような違法行為に及ぶことはない(そもそも住民基本台帳ネットワークシステムでは、高校生であることや父の職業は判らないし)

![サマーウォーズ [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51ZDAy7c8KL._SL160_.jpg)
監督/細田守 脚本/奥寺佐渡子 キャラクターデザイン/貞本義行
出演/神木隆之介 桜庭ななみ 谷村美月 永井一郎 富司純子
日本公開/2009年8月1日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー] [青春]


- 関連記事
-
- 『サマーウォーズ』の法律違反 (2009/09/08)
- 『サマーウォーズ』つながり (2009/08/01)