『僕の生きる道』が音楽で甦る
改めていいドラマだなと思い、オリジナル・サウンドトラックを引っ張り出して毎日聴いている。
余命いくばくもない主人公中村秀雄の最期の人生を描いたドラマが、湿っぽくならずに済んだのは、星護監督らの演出や俳優陣の演技のたまものだけど、本間勇輔氏の音楽によるところも大きいだろう。
メインテーマの素晴らしさはもちろんのこと、2曲目"Bonjour Monsieur Nakamura"の飄々とした感じは、まさしく草なぎ剛さん演じる中村先生にピッタリ!
6曲目の"A man"のこっけいさも、このドラマを楽しい作品に仕立てている。死をテーマにしているのに、どうしてこっけいでありえるのかと思うが、この曲はそれを可能にするのだ。
タイトルが"The man"じゃなくて"A man"なのも、中村先生らしい。
そして、12曲目"Get on with my Life"。
その力強さを聴けば、合唱に取り組む中村先生と生徒たちのひたむきさが脳裏に甦る。
古畑任三郎シリーズ以来、本間勇輔氏と一緒に仕事をしている星護監督は、CDのライナーノートにこう記している。
「主人公の悲しみ、死を間近にした人間が無意識に感じる、この世界の美しさ、いとおしさが見事に音楽によって表現され、胸をつかれる思いがした。」
楽しいときも、気分が沈んだときも、いつ聴いてもしっくりくる、そんな不思議な音楽である。
『僕の生きる道』 [テレビ]
演出/星護、佐藤祐市、三宅喜重 脚本/橋部敦子 音楽/本間勇輔
出演/草剛 矢田亜希子 谷原章介 綾瀬はるか 市原隼人
放映日/2003年1月7日~2003年3月18日
ジャンル/[ドラマ]
余命いくばくもない主人公中村秀雄の最期の人生を描いたドラマが、湿っぽくならずに済んだのは、星護監督らの演出や俳優陣の演技のたまものだけど、本間勇輔氏の音楽によるところも大きいだろう。
メインテーマの素晴らしさはもちろんのこと、2曲目"Bonjour Monsieur Nakamura"の飄々とした感じは、まさしく草なぎ剛さん演じる中村先生にピッタリ!
6曲目の"A man"のこっけいさも、このドラマを楽しい作品に仕立てている。死をテーマにしているのに、どうしてこっけいでありえるのかと思うが、この曲はそれを可能にするのだ。
タイトルが"The man"じゃなくて"A man"なのも、中村先生らしい。
そして、12曲目"Get on with my Life"。
その力強さを聴けば、合唱に取り組む中村先生と生徒たちのひたむきさが脳裏に甦る。
古畑任三郎シリーズ以来、本間勇輔氏と一緒に仕事をしている星護監督は、CDのライナーノートにこう記している。
「主人公の悲しみ、死を間近にした人間が無意識に感じる、この世界の美しさ、いとおしさが見事に音楽によって表現され、胸をつかれる思いがした。」
楽しいときも、気分が沈んだときも、いつ聴いてもしっくりくる、そんな不思議な音楽である。
『僕の生きる道』 [テレビ]
演出/星護、佐藤祐市、三宅喜重 脚本/橋部敦子 音楽/本間勇輔
出演/草剛 矢田亜希子 谷原章介 綾瀬はるか 市原隼人
放映日/2003年1月7日~2003年3月18日
ジャンル/[ドラマ]

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『おと・な・り』のあざやかさ

たまたま私のめぐり合わせが悪かったのかも知れない。
しかし、クライマックスを過ぎてもエピソードが続いたり、後日談がくっついたりする映画を観ることが続いていた。
それも悪くはないのだが、ハッとするような終わり方をする映画が、私は好きだ。
たとえば、『心の旅路』や『男と女』など。せめて『恋におちて』(小林明子の歌ではない)。
クライマックスに向けて盛り上げに盛り上げ、観客を焦らしまくり、観客は裏切られるたびに期待を高められ、もう我慢できないというところで最高のクライマックスを迎えて、そのままあざやかに終わってしまう映画。
その後の2人は…とか、置き去りにされたあの人は…なんて野暮なシーンは出てこない。
なんといっても映画のクライマックスが1番感動するのだから、そこで終われば1番の感動を胸にしたまま映画館を出ることができる。
エピローグを充実させた映画を観れば観るほど、逆にクライマックスの1分後には終わってしまう映画を観たくなる。
さらに、これはほとんど諦めていることだが、エンドクレジットに流れる楽曲が感動を薄めてしまうことが多い。
作中に出てこなかった旋律をとつぜん奏でられるくらいなら、クライマックスで流れた曲やオープニングの歌を繰り返してくれた方が良いのだが、そういうわけにはいかないのだろう。
せっかく感動した後に、作中人物にも作中のシーンにもまったく結びつかない楽曲や歌声を聴いていると、どんどんどんどん白けてくる。いや、楽曲を提供した人は、ちゃんと映画のイメージを大事につくったのだろうが、よほど本編の肌合いと合っていない限り、映画とは別の作品に感じてしまう。
だから、『トウキョウソナタ』のようにエンドクレジットに曲を流さないのは一つの見識だ。
好例としては、『崖の上のポニョ』のように本編の楽しさを補強する歌が流れるものや、『スター・ウォーズ』や『フラッシュ・ゴードン』('80)のようにオープニングから一貫した調子の曲で覆い尽くすものがあるけれど、そこまでの映画にはなかなか出会えない。
だから、あざやかな終わり方で、エンドクレジットにも白けない映画を、とても観たかった。
『おと・な・り』を観にいって、本当に良かった。
隣の住人がかける掃除機の音に励まされた、という脚本家まなべゆきこさんの体験をもとにしたこの作品は、スタッフ・キャストとの信頼感に溢れている。
なんといってもセリフが少ない。
映画の出だし、最初の音を聞いた瞬間から「音」を重視した作品であることが判るのだが、様々な生活音はするものの人物のセリフは思いのほか少ない。喋っていても交わされるのは日常的な会話ばかりで、人物の想いはセリフでは語られない。
これは脚本家が本当に監督を信頼している証だろう。
セリフに書かなくても、映像で語ってくれるという信頼感がそこにはある。
その信頼に、監督も役者も見事に応えている。
公式サイトによれば、もともと監督と脚本家が一緒に考えた企画だとか。さもありなん。
読売新聞(2009年5月29日夕刊)の対談では、主演の岡田准一さんが、隣の部屋の音にどう反応するか脚本に書かれていなくて苦労したことを語っている。
『60歳のラブレター』がセリフでしっかり語りつくすのとは対照的である。
もちろん『60歳のラブレター』は対象とする客層や環境が『おと・な・り』とは異なるので、それはそれで正解なんだろうけど。

監督/熊澤尚人 脚本/まなべゆきこ 録音/古谷正志
出演/岡田准一 麻生久美子 谷村美月 池内博之 市川実日子
日本公開/2009年5月16日
ジャンル/[ロマンス] [青春] [ドラマ]

『歩いても 歩いても』秘話
![歩いても 歩いても [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/71w5nAS8BWL._SL160_.jpg)
マスメディアでも取り上げてるが、私が印象深かったことをメモ。
これは、映画館大賞の上位に選ばれた作品をアンコール上映する企画の一端で、『歩いても 歩いても』上映前に行われた。
記憶を頼りに書いているため、不正確なところがあれば、ご容赦願いたい。
---
-この作品を持って世界の映画祭に行かれて、いかがでした?
「国によって笑うところは違ってて、日本人ならここで絶対笑わないというところで観客が笑ったりするのですが、この作品はどの国でも日本人と同じところで笑っていました。」
-本作の見どころは?
「見どころってよく訊かれるんですが、困るんですよね。
これ、ないんですよ、見どころとかメッセージとか。そこが気に入ってるんですけど。」

-今回、大きなスクリーンで観て欲しいという映画館大賞の4位に選ばれたわけですが、映画館へは行かれますか?
「行きますよ。映画は映画館で観るものだと思っています。
プロダクションが始まっちゃうとなかなか観られないのですが。1番観たのは学生時代ですね。」
-去年の映画では?
「『ダークナイト』をスタッフで観に行きました。盛り上がりました。『ハプニング』もスタッフで観に行きました。盛り上がりませんでした。」
-盛り上がる映画ではないですね(笑)

-(樹木希林さんの話から)演技指導はどうされたのですか?
「樹木希林さんに演技指導ですか?(笑)
してません、樹木希林さんには。
息子が帰ってきて『こんにちは』というと、『ただいまだろ』っていうのは、実際に僕が母から云われたことで実体験なんですけど、そこまでは台本に書いてあるんですが、そのあとスリッパを持って腰をかがめて歩いていくのは樹木希林さんがつけた演技で、それを観て『あぁ、"お母さん"だ』と思いました。
樹木希林さんも阿部寛さんも、たいへん緻密に演技を組み立てる人で、リハーサルで演技を作っていくのですが、それをYOUさんが壊すという。それがまた緊張感が出ていい味なんです。役者さんのアンサンブルを観て欲しいですね。」

-この作品には食事のシーンがたくさんあって、観ている人はお腹すいちゃうかも知れませんが、トウモロコシの天ぷらは監督が考えたんですか?
「そうです。母が作ってくれたものなんです。トウモロコシは弾けてしまうので、母は天ぷらを揚げるとよく踊ってました。アチッ、アチッ…て。」
-映画に出てくる食事は全部監督が考えたのですか?
「全部です。
トウモロコシの天ぷらは、色とか揚がり方が僕の記憶にあるようにならなくて、撮影前に何度もテストしたんです。温度を変えたり、大きさを変えたり。
油を200度にしたら、トウモロコシが爆発しました(笑)」
---
是枝監督が高田馬場周辺の映画館の思い出を語ったとき、客席に向かって「パール座で観たことがありますか?」と問いかけた。
高田馬場周辺ならきっと早稲田松竹やACTミニシアターの話題になるだろうと考えていたので、高田馬場パール座は意外だった。意外すぎて、手を挙げそびれた。
パール座で鑑賞した観客はいない、ということでトークは進んでしまったが、すみません、観た者もいたことを告白しておきます。
・次回作『空気人形』に触れたトークは、リンク先にてご覧ください。
・トーク内容をWebに公表することで関係者の方に不都合がございましたら、ご連絡ください。
![歩いても 歩いても [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/71w5nAS8BWL._SL160_.jpg)
監督・原作・脚本・編集/是枝裕和
出演/阿部寛 夏川結衣 YOU 樹木希林 原田芳雄
日本公開/2008年6月28日
ジャンル/[ドラマ]

映画とは何か
大層な記事タイトルだが、映画芸術について大上段に構えて語ろうというわけではない。
このブログにおいて何を「映画」と呼ぶか、ちょっと整理しておきたい。
映画に対しては、人それぞれの想いがあるだろうが、私が重視する要素に次の2つがある。
・映画館に足を運ぶこと
・場内が暗くなる中でワクワクしながら上映を待つこと
すなわち、映画を観ることは一つのイベントなのだ。
上映が始まると、映画の中の時間を登場人物や他の観客と共有することになる。
眼が疲れても一時停止はできず、トイレに行ってもコマを戻すことはできない。
一方的に続けられる上映に、観客はついていかなければならない。
送り手の意図した環境と時間経過で音と映像を体験するために、観客はみずからの集中力を総動員する必要がある。
DVDの再生等で視聴するときは、立場がまったく異なる。
時間を支配するのは視聴者だ。
見逃した場面や聞き逃したセリフは、何度でも再生してたしかめられる。
宅配便がくれば、役者の演技を止めさせて、自分は玄関で応対すれば良い。
作品の進行を支配しているのは視聴者で、気を張り詰めて画面に集中する必要はない。
このように作品と受け手の関係が異なれば、映画館での鑑賞と、自宅でのDVDの再生等を、同じ体験とは呼べないのではないか。
だから、私の定義は単純だ。
映画とは「映画館で観たもの」。DVDを再生したなら「DVDを観た」、BS、CS放送を観たなら「BS、CSを観た」という。
地上波テレビのように、約15分おきに映画の作り手とは異なる人がつくった無関係な映像を挿入して、映画の時間進行を中断する形態もある(テレビコマーシャルという)。
交響曲の楽章の途中で祭り囃子をピーヒャラ奏でることを想像すれば、これが異様な形態であることが判るだろう。
とはいえ、困ったことに名画座や二番館、三番館が激減した今日、ロードショーを見逃すと映画館で観ることはほとんど不可能になる。
また、立派なホームシアターを構えて、自宅で観る方が集中できるという人もおられよう。
だから私は、何が何でも映画館で観るべきだと主張するわけではない。
かくいう私も、黒澤明や小津安二郎や木下恵介のDVDやLDのBOXを買いこんでいる(これは観るためというより所有するためだが)。
ただ私は、映画の時間進行を支配するのは、作り手・送り手であるべきだと思うのだ。
[このブログについて]
このブログにおいて何を「映画」と呼ぶか、ちょっと整理しておきたい。
映画に対しては、人それぞれの想いがあるだろうが、私が重視する要素に次の2つがある。
・映画館に足を運ぶこと
・場内が暗くなる中でワクワクしながら上映を待つこと
すなわち、映画を観ることは一つのイベントなのだ。
上映が始まると、映画の中の時間を登場人物や他の観客と共有することになる。
眼が疲れても一時停止はできず、トイレに行ってもコマを戻すことはできない。
一方的に続けられる上映に、観客はついていかなければならない。
送り手の意図した環境と時間経過で音と映像を体験するために、観客はみずからの集中力を総動員する必要がある。
DVDの再生等で視聴するときは、立場がまったく異なる。
時間を支配するのは視聴者だ。
見逃した場面や聞き逃したセリフは、何度でも再生してたしかめられる。
宅配便がくれば、役者の演技を止めさせて、自分は玄関で応対すれば良い。
作品の進行を支配しているのは視聴者で、気を張り詰めて画面に集中する必要はない。
このように作品と受け手の関係が異なれば、映画館での鑑賞と、自宅でのDVDの再生等を、同じ体験とは呼べないのではないか。
だから、私の定義は単純だ。
映画とは「映画館で観たもの」。DVDを再生したなら「DVDを観た」、BS、CS放送を観たなら「BS、CSを観た」という。
地上波テレビのように、約15分おきに映画の作り手とは異なる人がつくった無関係な映像を挿入して、映画の時間進行を中断する形態もある(テレビコマーシャルという)。
交響曲の楽章の途中で祭り囃子をピーヒャラ奏でることを想像すれば、これが異様な形態であることが判るだろう。
とはいえ、困ったことに名画座や二番館、三番館が激減した今日、ロードショーを見逃すと映画館で観ることはほとんど不可能になる。
また、立派なホームシアターを構えて、自宅で観る方が集中できるという人もおられよう。
だから私は、何が何でも映画館で観るべきだと主張するわけではない。
かくいう私も、黒澤明や小津安二郎や木下恵介のDVDやLDのBOXを買いこんでいる(これは観るためというより所有するためだが)。
ただ私は、映画の時間進行を支配するのは、作り手・送り手であるべきだと思うのだ。
[このブログについて]

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「僕の 『生きる』 『道』」

といえば、黒澤明監督の名作『生きる』。
そして、生涯の伴侶たる人と一緒に老いていくことのできない悲しみを描いたフェデリコ・フェリーニ監督の『道』。
『僕の生きる道』は、これら世界的な名声を博した傑作に通じる物語を描いたテレビドラマだ。
私は正直なところ、テレビドラマは安っぽくて浅くて観るに耐えないと考えていた。
だからこのドラマの第1話を目にしたのはまったくの偶然だ。
見事に調和のとれた構図、ザッピングをおそれずゆったりと流れる時間、演出家の狙いを正確に体現する役者たち。テレビ画面に映っていたのはまるで晩年の小津安二郎作品のような、完璧さを追求した映像だった。
星護氏が演出した第1話がなければ、私はこのドラマを観なかっただろう。そして、他のテレビドラマも観ることはなかっただろう。
それだけに、ともに演出を担当した佐藤祐市氏が『キサラギ』『守護天使』と劇場公開作への進出も続けているのに、星護氏が『笑の大学』(2004年)以降映画をつくらないのはあまりに淋しい。
テーマがテーマだけに、『僕の生きる道』には印象深い場面やセリフがたくさんある。
一つ挙げるなら、 主人公中村秀雄(草なぎ剛)との結婚についてヒロインみどり(矢田亜希子)が父・隆行(大杉漣)に説明するシーン。
結婚を喜んでいた隆行は、秀雄の余命がいくばくもないことを知るや考え直せと云い始める。
---
みどり「お父さん、ずっと結婚に賛成してたじゃない?」
隆行 「そりゃ中村君、普通の男だと思ってたから・・・」
みどり「普通って何よ!病気じゃ普通じゃないって言うの!」
隆行 「そうじゃなくて・・・」
みどり「今、そう言ったじゃない!」
隆行 「なあ、みどり。」
みどり「どうして病気だと駄目なの?」
隆行 「そういうことじゃなくて・・・」
みどり「じゃ何?」
隆行 「死んでしまうからだよ!どうして死ぬと分かっている男と結婚なんかするんだ?」
みどり「死ぬと分かっているのは彼だけじゃない。世の中の男全員よ!」
-第8話 二人だけの結婚式-
---
そうなのだ、世の中の男は全員死ぬのだ。しかも世の中の女も全員死ぬ。
1人が死ねば、あとは1人で残される。
本作は、たまたまどちらが先に死ぬか判っていた2人の物語である。
役者たちのすばらしい演技も本作の見どころだが、綾瀬はるかさんのトボけた高校生や、市原隼人さんの嫌なヤロウなど、こののち大活躍する若い共演陣も輝いている。
そして音楽も!
『僕の生きる道』 [テレビ]
演出/星護、佐藤祐市、三宅喜重 脚本/橋部敦子 音楽/本間勇輔
出演/草剛 矢田亜希子 谷原章介 綾瀬はるか 市原隼人
放映日/2003年1月7日~2003年3月18日
ジャンル/[ドラマ]

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