『東京の合唱』 弁士という映画作家

 実験的な作品かも知れないと予想はしていたが、声がなく音楽もなく効果音すらないのには驚いた。
 ミニシアターで園子温監督の『愛のむきだし』を観たときのことである。

 主人公は口をパクパクするだけ、母親もパクパク。
 浅草の映画館なら、「音でてねーぞ!」と怒号が飛ぶところだが、ミニシアターに足を運ぶ観客は、ちょっとやそっとの実験作には動じない。みんな大人しく映画を鑑賞していた。
 私はと云えば、映像の力に感心していた。
 一切の音声がなくても、母が主人公を深く愛していることは判るし、母が病魔にむしばまれていることも映像だけで理解できる。音声がないだけに、なおのこと映像の力が伝わってくる。

 しかし、渡部篤郎演じる父親が息子と悲しみを分かち合うあたりで画面が真っ黒になったのには参った。
 音声だけでなく映像もなくなるなんて、実験的にもほどがある!

 そしたらすぐに扉が開いて声がした。
 「もう一度はじめから上映し直します。」

 改めて上映された『愛のむきだし』は、音楽も効果音も声もある、普通の映画だった。
 2009年のこんにち、普通の映画とはトーキーである。
 しかしこの事故は、音声がなくても映画のパワーは伝わることを改めて教えてくれた。



 ところかわって、小津安二郎生誕の地から1kmほどの場所にある古石場(ふるいしば)文化センターで、第3回となる江東シネマフェスティバルが開催された。
 そこで、小津安二郎監督の無声映画『東京の合唱(コーラス)』を鑑賞した。
 小津安二郎監督が松竹大船で撮った名作の数々はもちろん素晴らしいが、松竹蒲田時代の無声映画もたいそう面白い。
 だから、観たことあってもDVDを持っていても、上映されればいそいそと足を運んでしまう。

 特に楽しみなのが、今回の上映には弁士・楽団が付いていることだった。
 弁士付きで1作丸ごと味わうのは、私には初めての経験だ。
 『東京の合唱(コーラス)』では、弁士・澤登翠(さわと みどり)さんの名調子と、5人編成の楽団カラード・モノトーンによる生演奏が楽しめた。

 小津映画の、特に無声映画時代の魅力の一つは、軽妙さにあると思う。
 『東京の合唱』にしても冒頭はギャグがテンコ盛りだし、後半もアメリカ風の洒落た絵作りをしている。悲しいシーンでも子供と遊んでいるし、将来の厳しさを案じて涙ぐむシーンでもみんなで歌を唄っている。職に困った者同士で会話する近くでは、動物園で熊が逃げ出して大騒ぎになっている。
 小津安二郎監督は、悲しみや涙にも、楽しい仕草や愉快な情景を添えることで、悲しいだけ辛いだけのシーンにはならないように配慮している。

 ところが今回は印象が違った。
 声や音楽があることにより、喜怒哀楽の感情が大きく振幅するのである。字幕で悲しいセリフを読むよりも、悲しい声を聞く方が感情が掻き立てられる。悲しい音楽があればなおさらである。
 無声映画もトーキーも含め数々の小津映画を観てきたが、これほど喜怒哀楽を強く感じたのは初めてかも知れない。

 これが声の力か、音楽の影響力かと驚いた。


 トーキーが登場するまで、日本の映画上映には弁士の話術が付きものだった。
 映像に弁士の話術が加わったものが、映画の上映だった。
 そしてもちろん、弁士にも個性がある。舞台役者に個性があるように。
 当時は、どの弁士の語りを聞くかで、作品の印象がずいぶん変わったことだろう。

 つまり、我々がこんにち沈黙の中で無声映画を観るのと、公開当時に弁士付きで観るのとでは、まったく違う体験をしていることになる。

 いかに小津安二郎監督が画面の隅々、演技の端々まで計算しようと、弁士まではコントロールできない。どんな声音で、どんな情感で何を話すか、映画の印象を左右することなのに、映画監督があずかり知らない部分が残る。
 観客にとっては、弁士こそが映画を最終形に仕上げていたのではないか。


 『東京の合唱』の公開は1931年。劇中で描かれるのは、職にあぶれた者たちだ。
 この映画を私がふた昔ほど前に観たときは、テンポの良さや軽妙さを感じたが、1931年当時の人々はどのような思いで観たのだろう。
 1929年に始まった世界恐慌がいまだ吹き荒れ、満州事変が起きるこの年、テンコ盛りのギャグよりも、職の不安にこそ共感したかも知れない。
 軽妙さよりも喜怒哀楽をこそ強く感じたかも知れない。
 そこには、当時の時代背景とともに、弁士の話術の効果があったはずだ。


 映画を、映像と音声に因数分解したときの解は何か。
 音声のないトーキーと、音声付きの無声映画を観ることで、そんなことを考えた。


東京の合唱(コーラス)』  [た行]
監督/小津安二郎  脚色・潤色/野田高梧  原案/北村小松
出演/岡田時彦 八雲恵美子 菅原秀雄 高峰秀子 斎藤達雄 飯田蝶子
日本公開/1931年8月15日
ジャンル/[ドラマ] [コメディ]

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