『グリーンブック』のただ一つのフィクション

「天才であるだけでは十分ではありません。人々の心を変えるには勇気が必要です。」
(Being genius is not enough, it takes courage to change people's hearts.)
ピアニストの黒人ドン・シャーリーが仕立て屋の前で「自分はサイズが"42"だから」と云って買うのをためらうシーンに、思わずニヤリとしてしまった。
米国でサイズ42といえば日本ではXLくらい。長身のマハーシャラ・アリが演じるドン・シャーリーは、こんなサイズがあるだろうかと気にしたのかもしれない。
だが、私が"42"という数字で思い出したのは、2013年の映画『42 ~世界を変えた男~』だった。
『42 ~世界を変えた男~』は、白人だけが活躍する1940年代のメジャーリーグに飛び込んだ黒人選手ジャッキー・ロビンソンを描いた作品だ。主演は、後に黒人国家の地位を現実世界とは逆転させた映画『ブラックパンサー』のタイトル・ロールを演じるチャドウィック・ボーズマン。
しかし、『42 ~世界を変えた男~』は、「黒人初のメジャーリーガー」と云われる人物が白人ばかりの業界で悪戦苦闘する話でありながら、私には人種差別問題に注目すべき作品ではないと感じられた(詳しくは「『42 ~世界を変えた男~』で注目すべきは人種差別問題ではない」を参照願いたい)。
そして、『グリーンブック』でも同じように感じた。
黒人と白人の道中を紹介する予告編を目にしたときは、てっきり人種差別が主なテーマかと思ったが、そういう話ではなかったのだ。
もちろん人種差別を扱った映画として観ることもできるし、現にそうでもあるのだろうが、その見方だと『グリーンブック』の語り口はかなり危なっかしい。
傑作『ブラック・クランズマン』で『グリーンブック』と米アカデミー賞の作品賞を競っていたスパイク・リー監督が、『グリーンブック』が選ばれると怒ってアカデミー賞の授賞式会場を出ていこうとしたのも、単に自分が受賞できなくて悔しいというよりも、よりによって『グリーンブック』が選ばれたことが我慢ならなかったのだろう。もちろん、大人であるリー監は『グリーンブック』の関係者に祝福の言葉を贈ったが。

対する『グリーンブック』は、差別を受けても我慢する聞き分けの良い黒人と、昨日まで黒人への差別意識で満々だったのに金のためには黒人とも仲良する白人の、平和で愉快な二人旅を描いており、人種差別の観点からしたら温くて緩くて「冗談じゃない」と蹴り飛ばしたくなるような映画かもしれない。
差別する側の白人が、黒人を差別から守ってヒーロー然としていたり、多少の差別は我慢して受け入れるように黒人に諭す場面があったりするから、こんな映画が作品賞を受賞するなんて世も末だと嘆くのも判らないではない。
人種差別がテーマの映画だと観るならば。
だが、人種差別をテーマとみなすには、二人の主要登場人物は違い過ぎた。
トニー・リップことトニー・バレロンガは、バリー・マニロウの大ヒット曲でも知られるニューヨークのナイトクラブ「コパカバーナ」で働き、フランシス・フォード・コッポラとの出会いから1970年代以降俳優としても活躍した人物だ。一方、ドン・シャーリーは、繊細で天才肌のピアニストにして作曲家。本作は、トニーがドンの運転手兼ボディガードとして雇われていた1962年の、実際にあった二人旅を描いている。
トニーは白人、ドンは黒人、それは一つの違いではある。加えてトニーはヘビースモーカーでところかまわずタバコを吸うが、ドンはタバコの煙が苦しくて、自分のそばでタバコを吸って欲しくない。トニーは環境のことなど考えずにゴミを道端に放り出して平気でいるが、ドンはゴミの投げ捨てが環境破壊に繋がることを理解しており戒める。トニーは高カロリーの食べ物を無節操に食べて太っているが、ドンは食事に気を使っておりバランスのとれた体つき。トニーは妻のドロレスを愛し続けているが、ドンは同性愛者、いや結婚していたこともあるそうだから両性愛者か。トニーは大家族で暮らしているが、ドンは一人暮らし。トニーはコンプライアンスなんてどこ吹く風の無頼漢だが、ドンは曲がったことが大嫌い。
白人か黒人かというだけでなく、ライフスタイルも信念も、トニーとドンはことごとく異なる。米国南部を旅する中で二人が出くわすエピソードの数々は、二人の違いを際立たせる。
印象的なシーンがある。
南部の片田舎でクルマが止まってしまったとき、ドンがあたりに目をやると、周囲の農場では貧しい黒人たちが働いていた。黒人労働者たちもドンに気づいて見つめ返す。高級なスーツに身を包み、白人にクルマを運転させているドンと、粗末な服で単調な労働に従事している黒人たち。「同じ黒人」とはくくれない、あまりにも立場が違う彼らの対比は、本作が白人だの黒人だのをテーマにしているのではないことを示している。
大勢の家族や友人に恵まれ、街の顔役にも目をかけられ、巷のヒット曲にも普通に詳しいトニーが、この時代のこの世界に馴染んでいるのに対し、音楽家とはいえヒット曲一つ知らないドンはあまりにも孤高で、変わり者といっても過言ではない。
だが、ドンが変わり者に見えるのは、世界の珍品に囲まれた自宅で、どこぞの民族衣装を着て現れた初登場のシーンのインパクトのせいだろう。物語の進行とともに観客が感情移入するのは、ナイスガイのトニーよりも変わり者っぽいドンのほうに違いない。なぜなら、本作が公開された2018年の現代人のライフスタイルは、はてしなくドンに近いから。
今や喫煙することで自分と他者の体を傷つける人はずいぶん少なくなったし、タバコを吸うにしても喫煙所に行って他者に迷惑をかけないのが当たり前になってきた。ゴミは分別・回収するものであり、道端に投げ捨てるなどもっての外。食品には原材料やカロリー等が表示されたりして、健康を意識した食生活が送れるようになった。キリスト教社会では長らく同性愛者への迫害が続いたが、自分がセクシュアルマイノリティであることを表明する人も増えてきた。先進国では家族構成が大きく変わり、単独世帯が増えている。そしてコンプライアンスの強化は社会全体の要請だ。
要は、劇中の1962年の世界において、ドン・シャーリー一人が観客と同じ生き方、同じ考え方を体現しており、トニーを代表とする他の登場人物は現代人から見れば(懐かしいけれど)古臭い生活を営んでいるのだ。
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なぜドンがトラブルメーカーになってしまうかといえば、彼が黒人だったり両性愛者だったりするからだ。黒人なのに夜間に外出する、男性同士で愛し合う、それが1962年の世界ではトラブルになる。トニーが出向いて解決はしてくれるものの、現代の観客にはトラブルの原因がドンにあるのではなくドンの行動を許容できない世界のほうにあることが判るだろう。
しかも、トラブルを解決する役のトニーですら、イタリア移民であることをバカにされると警察官を殴って留置所に入れられてしまう。しょせん、トニーがトラブルを解決できるのは、(トニーの才覚もあることはあるが)たまたま彼が差別されたり愚弄されたりしていないだけで、ドンのような差別を受ければ彼とてトラブルを起こしてしまうのだ。
ここから浮かび上がるのは、1962年の世界の暴力性だ。差別を差別とも思わず、周囲の人にタバコの煙の毒素を吸引させても、環境を破壊しても平気でいる心の暴力。
『グリーンブック』は、2018年の現代人と同じ常識を身に付けた人間が1960年代に踏み込んだらどんなに異世界に見えるだろうかということを表現した作品だ。それどころかドンの信念は、2018年の人間ですら真似できないほど気高く高潔だ。
私たちがドンに感情移入し、旅先の出来事の数々をひどいことと思えるのは、ここ半世紀の間にそれだけ世の中が変わったからだ。人種とかセクシャリティとかで差別してはいけない、自分も他人も健康に生きる権利がある、そういう意識が根付いてきたから1960年代の暴力性に気づくことができる。それは、世の中が良くなったということだろう。
まだまだ世間には1960年代じみたところが残っているけれど、この映画は私たちが変化してきたことを示しているし、これからも変化できることを示している。
もちろん1960年代のすべてを否定する必要はない。劇中で描かれるドンとトニーの交流を見れば、片方が一方的に正しくて他方が否定されるべきと主張しているのではないことが判る。双方の良いところを捉えながら、世の中が全体として少しでも良いほうへ変化できればいいと思う。
私はドン・シャーリーのこともトニー・リップのことも詳しくは知らないので、本作がドンとトニーをどれほど誇張して描いているか、あるいは実態に則して描いたのか、その程度は判らない。
ただ、トニーの息子、ニック・バレロンガが二人のことを映画にしたいと申し入れたとき、ドンは「私の死後だったいいよ」と告げた上で様々なことを話してくれたという。
ニックは南部の旅に関することを細部に至るまで調べ、ストーリーが正しいことを確かめた。警察に拘束された窮状を打開するためにロバート・ケネディ司法長官に電話した――まるで警察庁刑事局長の兄の電話で救われる浅見光彦シリーズのような――驚くべきエピソードも、心温まるクリスマスディナーの場面も、すべて本当のことだという。
そして、ひどい偏見の持ち主で黒人に侮蔑的だったトニーが、ドンとの旅を通して変わったことも。
「この旅は本当に大きな影響を父に与え、父に変化をもたらしました。私たちの育て方までが変わったのです。」とニックは語っている。「誰もが平等で、誰もが同じ人間なのだと教えるようになったのです。」
ニック・バレロンガは本作の脚本と制作で、アカデミー賞の作品賞と脚本賞を受賞した。
ニックが唯一創作したのは、一年半にわたるドンとトニーの旅を八週間の出来事として描いたことだけであるという。

監督・脚本・制作/ピーター・ファレリー
脚本・制作/ニック・バレロンガ
出演/ヴィゴ・モーテンセン マハーシャラ・アリ リンダ・カーデリーニ ディミテル・D・マリノフ マイク・ハットン
日本公開/2019年3月1日
ジャンル/[ドラマ] [伝記] [コメディ]

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