『クワイエット・プレイス』 機内上映で観てはいけない
 - A Quiet Place -](http://ecx.images-amazon.com/images/I/91HRnMpf4oL._SL160_.jpg)
間違っても旅客機に乗ったときの機内上映などで観てはいけない。
周囲がざわついていたり、騒音がやまないようなところで鑑賞できる映画ではない。
それが『クワイエット・プレイス』(静かな場所)。静寂の中に身を置いて、息を殺して観る映画である。
悲鳴を上げてしまいそうな恐怖、声を漏らすほどの痛み――。静寂の中、それらの想いは観客にも伝わり、観ているほうまで叫び出しそうになる。
でも、駄目だ。絶対に声を上げてはならないのだ。いけないと思えば思うほど、声を上げそうになる緊張感。その極度のストレスがこの映画を並外れたものにしている。

SF作家ジョン・ウインダムの『トリフィドの日』(1951年)は、流星雨が降り注いだ日を境に、人間が食肉植物トリフィドに襲われるようになり、滅亡の瀬戸際に追いやられる小説だ。トリフィドは植物だから目を持っていない。だが、音に反応することができ、音を立てた獲物に襲いかかる。
この、知能はないが音には反応する怪物というアイデアは、ゾンビ映画等に連綿と受け継がれてきた(「『ワールド・ウォーZ』 ラストはもう一つあった」参照)。
多くの作品では、音さえ立てなければ怪物に気づかれないことを重視し、どちらかといえば怪物の弱点――主人公が脱出できる余地を残すための方便――として扱っていたように思う。『トリフィドの日』とその映画化作品『人類SOS!』をかなり忠実になぞった『映画クレヨンしんちゃん オラの引っ越し物語 サボテン大襲撃』でも、化物サボテンからすぐに逃れて、しんちゃんたちは反撃に移っていた(子供向けの『クレヨンしんちゃん』で、あまり観客を怖がらせるわけにもいくまいが)。
その点、本作ほど「音を立ててはいけない」ことに焦点を絞り、徹底して突き詰めた映画はまたとあるまい。
音がないことは、人間に圧迫感をもたらす。鳥のさえずりや虫の鳴く音等に溢れているのが自然界であり、何も音がしないのは不自然なことだからだ。
ましてや、音を立ててはいけないと強要され続けるなんて、登場人物は――息を詰めて見守る観客も――緊張が解けることがない。
そこに追い討ちをかけるように、彼らを襲う危機また危機。おもちゃで遊びたがる幼児、不意の転落、迫り来る出産予定日……。どれも音が発生しそうなものばかりだ。
はたして母親は声を上げずに陣痛、そして出産を乗り切れるのか。赤ん坊が生まれたら泣き声はどうするのか。普通なら何のことはない日常の生活音まで、この世界では命取りだ。
この危機を彼らがいかに切り抜けるか、切り抜けられるか。もう全編が見どころだ。


音もなく色彩もないながら(音もなく色彩もないからこそ)、2011年の第84回アカデミー賞で作品賞をはじめとする5部門を制した『アーティスト』。その記事に書いたように、かつて映画には音がなく、それで充分面白かった。バスター・キートンやチャールズ・チャップリンや小津安二郎の、モノクロの無声映画が大好きな私には、音声が余計なものだと感じることがある。さらに云えば、映画に色彩があることも過剰なサービスだ。何のために音を付けるのか、色彩がないと本当に成り立たないのか、そこに無頓着な映画が多いように思う。
声を出してしゃべるわけにいかない本作の主人公たちは、手話や仕草で気持ちを伝える。登場人物がセリフを話してくれることに慣れている観客にとって、これは新鮮な体験だろう。登場人物の意図を汲み取ろうと画面に集中することで、普段以上に作品にのめり込んでしまうだろう。
それにより、登場人物の感じる恐怖が、悲しみが、切なさが、いつになく胸に迫る。トーキー(音のある映画)が出現する前の時代、音に頼らず豊かな表現方法を工夫していた無声映画の素晴らしさが、ここに甦っている。
本作は、色彩の使用にも慎重だ。
一見するとただのカラー映画だが、劇中の時間を落ち葉の季節に限定し、色彩を調整することで、使用する色を絞り込んでいる。枯葉の黄色、枯草の茶色、トウモロコシの黄色、トウモロコシ畑の緑色等を中心に、中間色で構成された独特の色合いの映像が続く。それだけに、クライマックスの電飾の色はショッキングだ。黒澤明監督の名作『天国と地獄』で、モノクロ映画なのに唯一煙突から立ち昇る煙だけがピンク色だったときのような、強烈な印象を与える。
劇中の時間の経過にもかかわらずいつも同じ季節なのは、予算が限られたためでもあるだろうし、同じ理由でロケ地が限られ、景色に変化を付けられなかったのかもしれないが、そういった制約をものともしない、見事に計算された映像である。
本作の原案を考え、脚本を書いたブライアン・ウッズとスコット・ベックは、ともにアイオワ州で育ち、中学生の頃から一緒に映画作りをしてきた仲間だという。彼らはバスター・キートンやチャールズ・チャップリンらの無声映画を山ほど観て大学時代を過ごし、セリフを配した映画で一世を風靡したジャック・タチが大好きだった。
そんな彼らの、会話も説明もなしに魅力的なストーリーを紡ぎたいという想いが、音に反応する怪物と、音を立てたら殺されるというアイデアと結びついて、本作は生まれたという。
とはいえ、脚本のリライトも担当したジョン・クラシンスキー監督は、一般の観客にとって馴染みのない映画にはしたくなかった。実験的な無音の映画だと思って欲しくはなかったという。そのため、数々のホラー映画の音楽を手がけたベテラン、マルコ・ベルトラミによる劇伴が、本作では適度に使われている。
ジョン・クラシンスキーの脚本家としての腕は2012年の『プロミスト・ランド』で証明済みだが、大手映画会社の作品では初の監督作となる『クワイエット・プレイス』で、監督としての優秀さも見せつけてくれた。本作は、「映画を鑑賞するのではなく、体験させたい」という彼の思いが結実した作品だ。
本作の脚本に関しては、もう一人、重要な役割を果たした人物がいる。少女リーガンを演じたミリセント・シモンズだ。
実際に聴覚障害で、人工内耳を付けている彼女は、クライマックスの父親のセリフ「I love you(私はあなたを愛している)」を、「I've ALWAYS loved you(私はずっとあなたを愛していた)」に変えるよう提案した。
父親役でもあるジョン・クラシンスキー監督は、このセリフに涙したという。
これがどんなに素晴らしいセリフであることか。映画をご覧になった方には云うまでもないだろう。
 - A Quiet Place -](http://ecx.images-amazon.com/images/I/91HRnMpf4oL._SL160_.jpg)
監督/ジョン・クラシンスキー
脚本/ブライアン・ウッズ、スコット・ベック、ジョン・クラシンスキー
出演/エミリー・ブラント ジョン・クラシンスキー ミリセント・シモンズ ノア・ジュープ ケイド・ウッドワード レオン・ラッサム
日本公開/2018年9月28日
ジャンル/[ホラー] [SF] [サスペンス]
