『新感染 ファイナル・エクスプレス』 生き残るのは誰だ?

新感染 ファイナル・エクスプレス (竹書房文庫) 【ネタバレ注意】

 いやもう、面白いったらない。
 『新感染 ファイナル・エクスプレス』は、パンデミックの恐怖とノンストップアクションが組み合わさった、見事としかいいようのない娯楽作だ。

 あえてジャンル分けをするならば、本作はゾンビ映画になるのだが、あまりにも面白い要素がいっぱいで、もはやジャンルなんてどうでもいいほどだ。
 疾走する高速列車を舞台にした本作は、暴走列車を描いた『アンストッパブル』のように手に汗握るし、移動中の主人公たちを誰も彼もが襲ってくる『藁の楯 わらのたて』のように油断がならないし、列車の中を後方車両から前方車両へ進撃する『スノーピアサー』を凌ぐ駆け引きに舌を巻く。

 抜群に面白いアクション映画である上に、絶体絶命の状況下の人々を描くパニック映画としてもズバ抜けている。襲ってくるのはウイルスに侵された感染者だが、雪崩を打ったように湧いて出るその群れは、『滅びの笛』のペスト菌を運ぶネズミの大群のようである。もはや彼らは人間ではないから、虫やら鳥やら魚やらの大群が襲う動物パニック映画さながらだ。

 作品全体から発せられる風刺も強烈だ。
 多くの人がテレビの生中継で事故の様子を見つめる中、修学旅行の高校生242人を含む304人もの乗客・乗員をみすみす犠牲にしてしまい、なのに船長ら乗組員15人はいち早く乗客を捨てて逃げていたというセウォル号沈没事故や、旅客機の客として搭乗した経営者が客室乗務員らを愚弄した挙げ句、すでに出発した機を搭乗ゲートに引き返させたナッツリターン事件や、政府の許可の下で販売された「子供にも安全」な殺菌剤で死者1006人、負傷者4306人が生じたといわれる加湿器殺菌剤事件、そして一向に解消されない経済格差や、罪を犯しても特赦を受けてのうのうとしている金持ち等の現実を思えば、本作に登場する、大災害が起きているのに「国民の皆さんの安全は確保されています」と気休めにもならない白々しいことを云う政府や、自分のことしか考えていない身勝手な常務や、乗客を見捨てる乗務員等の描写は、実社会の鏡といえる。

 本作の主人公も、自分のことしか考えないファンドマネージャーだ。客に損をさせても気にならないが、自分が損するのは絶対に嫌な男。自分が助かるためならば、感染者から逃げてくる人を締め出しても平気な男だ。
 主人公とは対照的な人たちもいる。侠気に富んだ労働者階級の男もいるし、友だち思いの少年少女もいる。誰にでも優しく親切なお婆さんもいる。主人公は裕福で狡賢いから、対極の存在として無能なホームレスも登場する。
 貧者と富者、強欲な者と無垢な者が一緒に危機に直面したとき、それぞれがどんな反応をするのか。状況が変われば、行動も変わるのか。その興味も本作を面白いものにしている。

 風刺を効かせたゾンビ映画は珍しくないだろうが、本作はとりわけ政治的、経済的な色合いが濃い。
 その特徴が強く出たのが、感染者が暴れ回る事態を、テレビではデモ参加者の暴動と伝えたことだ。
 韓国では大規模なデモが多発する。2013年に就任した朴槿恵(パク・クネ)大統領が五年の任期をまっとうできずに引きずり降ろされたのも、退陣を求める大規模なデモが繰り返されたからだった。ゾンビの大量発生による混乱を、本作は大規模デモがもたらす社会の転覆に重ね合わせる。


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 以前、私は、米国でゾンビ映画が盛んな理由について考えてみた(「『ワールド・ウォーZ』 ラストはもう一つあった」参照)。
 西洋では、社会秩序を保つために、理性で感情や直感的な行動を抑え込まねばならないとされている。不断の努力で理性を保たなければ、秩序が崩壊してしまう。その恐怖に常にさらされているから、ゾンビ(=理性を喪失した存在)がはびこる映画が真に迫り、そんな世界で生き延びるために戦う主人公に感情移入するのだろうと考えた。
 一方、東洋では、合理主義を振りかざして理屈をこね回すよりも、人間の素直なまごころに身を委ねたほうが調和が取れると考える。無知蒙昧だが質朴な者こそ人間のお手本だとされる東洋では、理性を喪失した世界に恐怖を感じない。そのため、西洋のようにはゾンビ映画が盛り上がらないのではないか。

 けれども、2016年の邦画『アイアムアヒーロー』は、日本なりのゾンビ映画のあり方を示したと思う(「『アイアムアヒーロー』はゾンビ映画なの?」参照)。
 ここでは、今の社会の秩序なんて素晴らしくもなんともない。質朴だけれど要領が悪い主人公は、社会に適合して上手く立ち回ってる嫌なヤツらに見下されて生きてきた。そいつらがゾンビ化したことで、主人公は彼らを退治する大義名分を手に入れる。

 米国映画では、非人間(ゾンビ)にならないということは理性を保って社会秩序を維持することを意味したのに、日本映画では、非人間(ゾンビ)にならないということは小賢しい社会性なんぞに巻き取られず、素直に自然に生きることだった。
 では、韓国映画は? 私が『新感染 ファイナル・エクスプレス』に関心を寄せた最大の理由はそこだった。
 日米のゾンビ映画は、それぞれの社会・文化の違いを如実に表しているように思えたが、『アイアムアヒーロー』一本を東洋のゾンビ映画代表として扱って良いものか。他に東洋発のゾンビ映画(それも、社会に受け入れられてヒットしたもの)があれば、どのような内容になるのだろうか。そんな疑問を抱いていたところに公開されたのが、『新感染 ファイナル・エクスプレス』だった。
 そしてこの映画を観て、なるほどと膝を打った。


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 街で感染者(ゾンビ)たちが暴れてもテレビは暴動と報じているし、列車内でゾンビが発生しても乗務員は暴力事件と報告している。怪物の出現とか謎の病気の蔓延とかではなく、普通の人間が起こす事件の延長線上の出来事と捉えているのだ。

 まもなく、これが何かの感染による異常事態であると判ってくるのだが、ゾンビと人間の差異を端的に示す場面は後半に用意されている。ゾンビが発生した車両から逃げてきた主人公たちが、ゾンビのいない車両へ移ろうとするのを、その車両の人間たちが全力で阻止するのだ。
 後方にはゾンビの群れ、前方には自分が助かるために主人公たちを見捨てて扉を閉めてしまった人間たち。主人公の目に映る両者の姿に違いはなかった。後方から襲いくるゾンビも、前方で主人公を締め出す人間たちも、目をむいて顔を真っ赤にして、ただただ醜い。
 そう、ここに差異はないのである。主人公自身が、別の車両にいたときは逃げてくる人間を締め出して、自分だけ助かろうとしたのだった。

 社会的に成功している常務も、裕福なファンドマネージャーも、どいつもこいつも感染しなくたってゾンビ(非人間)と変わらないではないか、と主張する点で、本作は『アイアムアヒーロー』に近い。労働者階級の男やお婆さんやホームレスのほうがまだ人間味があることからも、無知蒙昧で質朴なことを良しとする東洋的な思想が窺える。

 だが、『新感染 ファイナル・エクスプレス』の徹底の度合いは、『アイアムアヒーロー』どころではなかった。
 『アイアムアヒーロー』では売れないマンガ描きの主人公や元看護師の女性らがまがりなりにも生き延びるが、本作の登場人物はことごとく死んでしまう。身勝手な常務や、乗客を見捨てる乗務員だけではない。侠気に富んだ労働者の男も、親切なお婆さんも、無能なホームレスも、友だち思いの少年も少女も、みんなみんな死んでしまう。この人は無知蒙昧で質朴なようだから助かってもいいんじゃないの、なんて生ぬるいことは云わせない。
 最後に残るのは、哀れ幼児と妊婦だけだ。

 生き残り組に妊婦がいるのは、大人の女性に意味があるのではなく、まだ胎児なら死なせるには及ばないということだろう。
 かつて同じような物語があった。富野喜幸(現・富野由悠季)監督の傑作アニメ『伝説巨神イデオン』(1980年~)だ。あの作品でも、過酷な戦いで大人ばかりか少年も少女も死んでいき、幼児と胎児だけが最後に残る希望だった。登場人物すべてが死に、胎児(メシア)に導かれて霊魂からやり直す(輪廻転生する)という、極めて東洋的な作品だった。


■韓国のゾンビ映画

 『アイアムアヒーロー』では成人男性、成人女性が生き残れるのに、『新感染 ファイナル・エクスプレス』で幼児と胎児(を宿す女性)しか生き残れないのはなぜだろうか。このような違いがあっても、『新感染 ファイナル・エクスプレス』と『アイアムアヒーロー』は東洋的とひとくくりにしてしまって良いのだろうか。

 ここには韓米日の子供観、ひいては人間観の違いがあると思われる。
 韓国、米国、日本における0歳から15歳までの子を持つ父親又は母親に、「子供は幼い時期は自由にさせ、成長に従って厳しくしつけるのがよい」と考えるか否かを問うと、図のようにはっきりと違いが出る。

図14 子供は幼い時期は自由にさせ、成長に従って厳しくしつけるのがよい

 この図は、少し古いが総務庁(現・内閣府)が1995年に公表した「子供と家族に関する国際比較調査」の結果だ。
 米国では、ちゃんとした人間になるために幼いときから厳しくしつける必要があると考えられている。韓国では反対に、幼い子供に厳しいしつけは必要ないと思われている。これはそのまま、身につけた理性を保つことで社会秩序を守らなければと考える米国のゾンビ映画と、無垢な幼子が最大の希望と考える韓国のゾンビ映画との違いに符合しよう。
 東洋であっても、明治以降に西洋文明を導入してきた日本では、子供のしつけに関する考え方が割れている。これは、社会に適合して賢く立ち回る人間にうさん臭さを感じながらも、それなりに知識と経験を身につけた大人だから生き残れる日本のゾンビ映画に符合する。

 『新感染 ファイナル・エクスプレス』の終盤で、ラスボスともいえる常務が理性を失って子供じみた振る舞いになるのも、このような人間観によるのだろう。大人になる過程で身につけた、悪知恵や卑劣な性根がはがれ落ち、無垢な子供――人間の真髄が現れたのだ。
 主人公が我が子の誕生を思い出すのも、それがもっとも人間の美しい瞬間だからだ。誰でも生まれたときは純粋で美しい。自分勝手なファンドマネージャーだった彼も、生まれた我が子は愛おしく、大切にしようと思ったはずだ。彼自身、幼い頃は美しい心根を持っていたはずなのだ。

 どこで道を誤ったのか。
 『新感染 ファイナル・エクスプレス』の作り手は、大人にやり直すチャンスを認めない。


 『新感染 ファイナル・エクスプレス』の原題は『釜山行』。その名のとおり、主人公を乗せた列車はソウルを発って釜山(プサン)を目指す。
 北の朝鮮民主主義人民共和国から大軍が押し寄せて朝鮮戦争が勃発し、朝鮮半島のほとんどが朝鮮人民軍に呑み込まれたとき、韓国に最後に残された地が南端の釜山だった。釜山橋頭堡の戦いでなんとか朝鮮人民軍を食い止めることに成功し、それから彼らを北に追い返して今の韓国がある。だから釜山は希望の地、反撃に転ずるための最期の砦なのだ。
 映画は、韓国全土を覆う爆発的な感染にどう対処するかを描かないまま終わるけれど、幼児と妊婦が安全な釜山にたどり着けたということは、これから人間側が反転攻勢に出ることを示唆している。

 幼子のような無垢の状態からもう一度、人の世を生まれ変わらせる。それしか方法はない。
 それが本作の示す希望であり絶望なのだろう。


新感染 ファイナル・エクスプレス (竹書房文庫)新感染 ファイナル・エクスプレス』  [さ行]
監督/ヨン・サンホ
出演/コン・ユ チョン・ユミ  マ・ドンソク キム・スアン チェ・ウシク アン・ソヒ キム・ウィソン
日本公開/2017年9月1日
ジャンル/[ホラー] [アクション] [パニック]
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【theme : ゾンビ映画
【genre : 映画

tag : ヨン・サンホ コン・ユ チョン・ユミ マ・ドンソク キム・スアン チェ・ウシク アン・ソヒ キム・ウィソン

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