『パッセンジャー』 宇宙の白熱教室
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哲学をテーマにしてこれほど面白い作品に昇華できるとは、まったくもって脱帽だ。
哲学を語るにはSFがもってこいであることも、観客の興味を惹くにはロマンスが極めて有効であることも、改めて実感した。
『パッセンジャー』は、実に見事な映画である。
この物語は、マイケル・サンデルが『これからの「正義」の話をしよう』で提示した問いに似ている。政治哲学者サンデルは、次のように問いかけて道徳的ジレンマに関する問題提起をした。
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あなたは路面電車の運転士で、時速六〇マイル(約九六キロメートル)で疾走している。前方を見ると、五人の作業員が工具を手に線路上に立っている。電車を止めようとするのだが、できない。ブレーキがきかないのだ。頭が真っ白になる。五人の作業員をはねれば、全員が死ぬとわかっているからだ(はっきりそうわかっているものとする)。
ふと、右側へとそれる待避線が目に入る。そこにも作業員がいる。だが、一人だけだ。路面電車を待避線に向ければ、一人の作業員は死ぬが、五人は助けられることに気づく。
どうすべきだろうか?
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これは軽々しく答えを出せる問いではない。しかし、人は個人としても、組織としても、あるいは国家としても、こういう問題に直面することがあるかもしれない。
マイケル・サンデルはその本の中で「こうしたジレンマについて考えることによって、個人生活や公的場面において、道徳に関する議論がどう進むものかがわかってくる。」と述べている。
『パッセンジャー』も同じである。本作は倫理に関わる問題を出し続けることで、人はどうあるべきかを考えさせる作品だ。
『パッセンジャー』の舞台は全長1キロメートルの宇宙船の中に限られる。5000人の乗客を乗せて、120年の旅をする移民宇宙船。冬眠状態の乗客が目覚めるのは目的の星に到着する四ヶ月前、のはずだった。
ところが、人工冬眠ポッドの故障から、ジムは早めに目覚めてしまう。到着の90年も前に。たった一人で。
ここから本作は、サンデル教授の「ハーバード白熱教室」も顔負けの難問を連発していく。
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(2)あなたは乗客を起こす手段を手に入れた。誰かを起こせば、あなたの孤独を終わらせることができる。その人と語らうことも、手を取り合うことも、愛し合うことだってできるかもしれない。しかしそれは、社会から隔絶された人生に他人を巻き込み、その人の将来を滅茶苦茶にすることでもある。あなたは他人を起こすだろうか。
(3)他人を起こしてしまったあなた。起こされた人はあなたを怒り、憎むかもしれない。あなたは起こしたことを正直に話して詫びるだろうか。それとも秘密にし、嘘でごまかすだろうか。
(4)他人に起こされたあなた。他人のせいで、あなたの人生は滅茶苦茶になってしまった。他人がそんなことをしたのは深い孤独の果ての出来心だったのだが、あなたはその人を許せるだろうか。
(5)宇宙船全体を襲う危機。このままでは全乗客が死亡する。あなたなら全滅を食い止めることができるが、代わりにあなたの命はないだろう。それでもあなたは実行するか。
(6)宇宙船全体を襲う危機。このままでは全乗客が死亡する。他者を犠牲にすれば、あなたと残りの乗客は助かりそうだ。だが、犠牲となった他者の命はないだろう。あなたはそれを実行するか。
(7)宇宙船全体を襲う危機。このままでは全乗客が死亡する。他者を犠牲にすれば、あなたと残りの乗客は助かりそうだ。だが、犠牲となった他者の命はないだろう。犠牲になるのはあなたを起こしてあなたの人生を破壊した人だ。あなたはそれを実行するか。
(8)宇宙船全体を襲う危機。このままでは全乗客が死亡する。他者を犠牲にすれば、あなたと残りの乗客は助かりそうだ。だが、犠牲となった他者の命はないだろう。犠牲になるのはあなたが愛した人だ。あなたはそれを実行するか。
その人を死なせて生き残っても、あなたには90年の孤独が待ち受けている。それでもあなたは実行するか。
(9)冬眠状態に戻る方法が見つかった!これで他の乗客と同じように目的地に行き、社会の一員として生活できるだろう。ただし、眠りに戻れるのは一人だけ。残された者は孤独のうちに死ぬしかない。戻るか、残るか、あなたはどちらを選択する?
本作は、みずからの命を賭した極限状態での選択を迫り続ける。
マイケル・サンデルの設問には、気をつけなければいけないことがある。
冒頭に掲げた路面電車の例では、前方の五人の作業員も待避線の一人の作業員もあなたにとって縁もゆかりもない人だ。どちらかが犠牲になっても、あなたは(道徳的な心の問題を除けば)痛くも痒くもない。
サンデルは政治哲学者だから、このような設問にするのもとうぜんだろう。政治家や学者は、危機に瀕する市民一人ひとりと親しいわけではない。見知らぬ誰かが犠牲になるかもしれない中で、どう決断すれば国や社会にとって最善なのかを問うていく必要がある。
だが、現実は机上の演習問題ではない。前方の五人にも待避線の一人にも、家族もいれば友人もいる。犠牲になるのはあなたの親しい人、愛する人かもしれない。もしかしたらあなたは運転士ではなく、待避線の一人かもしれない。
多くの映画が、そんな極限状態の葛藤を描いてきた。『ナバロンの要塞』では目の前の怪我人一人を救うか、遠くの2000人を救うかという葛藤が描かれたし、『ギャラクティカ』では親しい少女を含めた数隻の船を救うのか、5万人の大船団を危険にさらすのかという葛藤が描かれた。本作のモルテン・ティルドゥム監督もまた、前作『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』において、家族が乗る船団を救うか、船団は見殺しにして他の多くの国民を救うかという葛藤を描いた。
そして本作は、徹底的に突き詰めたシチュエーションを用意して、どう決断しても自分か愛する人のどちらかが犠牲になるような、究極の葛藤を描いている。
116分にわたって次々出てくる道徳的な問いかけは、一つひとつがとてつもなく重い。観客の中には、本作に「疲れる」人がいるかもしれない。
劇中の「答え」に違和感を覚える人もいるだろう。連続する問いかけに対し、主人公たちは何らかの答えを出して次のステージに進んでいくが、その答えは必ずしも唯一無二の正解ではない。あくまで物語を進行させるための、一つの回答例に過ぎない。観客によっては、劇中の答えのいずれかを不道徳と感じるかもしれない。
いくらアクションやロマンスで味つけしても、これら難問への疲れや不道徳な印象から映画に否定的な感想を抱く人が出てくる可能性がある。
だが、それはそれで良いのだと思う。そのような反応も、本作が観客の心の深いところにずっしりと重いものを投げ込んだ証左であろうから。
日本の小学校では2018年度から、中学校では2019年度から、新しい教科「道徳」が設けられる。
文部科学大臣によれば、この教科は「考え、議論する道徳」を目指すのだという。
本作のような作品こそ、考え、議論するための教材に打ってつけだろう。
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監督/モルテン・ティルドゥム
出演/ジェニファー・ローレンス クリス・プラット マイケル・シーン ローレンス・フィッシュバーン アンディ・ガルシア
日本公開/2017年3月24日
ジャンル/[ロマンス] [SF] [アドベンチャー]

【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画】
【genre : 映画】
tag : モルテン・ティルドゥムジェニファー・ローレンスクリス・プラットマイケル・シーンローレンス・フィッシュバーンアンディ・ガルシア