『アイアムアヒーロー』はゾンビ映画なの?(その2)

アイアムアヒーロー 豪華版 [Blu-ray] 前回の記事「『アイアムアヒーロー』はゾンビ映画なの?」にぺぐもんさんからコメントをいただいたが、コメント欄で回答するにはあまりにも長くなったので別の記事とした。
 以下は、ぺぐもんさんのコメントへの返信として書いたものであり、文中の「本記事」とは前回の「『アイアムアヒーロー』はゾンビ映画なの?」を指している。

ぺぐもんさんのコメント
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タイトル:そうでしょうか?

ゾンビ映画では、『アイアムザヒーロー』的なキャラは、『バタリアン』、『キャプテン・スーパーマーケット』、『アンデッド』、『ショーン・オブ・ザ・デッド』、『ゾンビーワールドへようこそ』などで、80年代から現代まで連綿と語られており、完全に定型化してると思われます。
当然、その流れに『ゾンビランド』があり、『アイアムアヒーロー』が続いています。
特に『ショーン・オブ・ザ・デッド』(2004)の影響は大きいでしょう。(ダメ社員が、世界の崩壊でヒーローになることを望む・・・と構造も似ていますし、映画版『アイアムアヒーロー』の妄想の繰り返しは『ショーン・オブ・ザ・デッド』の映画技法の引用です)

80年代にすでにゾンビ映画ブームはあり、アジアでも亜流のゾンビ映画であるキョンシーものが作られ、ヒットし、日本でもテレビ放送されてます。
それが『幽幻道士』シリーズで、落ちこぼれチーム(有能な者もいますが)がキョンシー退治をしながら活躍するロードムービー(『西遊記』をベースにしているのでしょうが)があります。
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 ぺぐもんさん、コメントありがとうございます!
 『来来!キョンシーズ』、盛り上がりましたねー。

 『ワールド・ウォーZ』の記事が長過ぎた気がしたので、今回はコンパクトにまとめるつもりだったのですが、問題点の整理と共有が不充分だったかと反省しています。

 ぺぐもんさんのコメントを拝見して、「そうでしょうか?」と疑問を呈されているのは次の二点であろうと推察しました。

(1)私が、ゲーム『バイオハザード』第一作が発売された1996年以降にゾンビ物の市場が大きくなったと書いたことに対し、ゾンビ物はもっと前(80年代)から盛んだったはずであるという市場動向についての疑問

(2)私が、『アイアムアヒーロー』は日本らしい作品だと述べたことに対して、欧米のゾンビ映画にも似たような作品があるはずだという疑問

 認識は合っておりますでしょうか。
 どちらの点も、そのとおりだと思います。
 それを認めた上で、記事本文を書くときに削ったことを含めて少し補足したいと思います。


(1)「ゲーム『バイオハザード』第一作が発売された1996年以降にゾンビ物の市場が大きくなったと書いたことに対し、ゾンビ物はもっと前(80年代)から盛んだったはずであるという市場動向についての疑問」について

 ウィキペディアに「ゾンビ映画の一覧」というページがあります。
 このジャンルを愛好する方が執筆されたのでしょう、数多のゾンビ映画が紹介されています。
 本記事執筆時点でこのページに掲載された作品を年代別に集計すると次の結果になります。

  1930年代 2本
  1940年代 4本
  1950年代 3本
  1960年代 9本
  1970年代 21本
  1980年代 62本
  1990年代 32本
  2000年代 162本
  2010年代 24本

 これを見ると、80年代にいったんピークがあり、90年代にやや沈静化したのち、2000年代に激増して80年代を大きくしのいだように思えます。日本における映画の劇場公開数が90年代までは500~700本台、2000年代は600~800本台と、あまり大きく変動せずに推移していることを考えると、ゾンビ映画の激しい増減が目立ちます(「ゾンビ映画の一覧」には劇場未公開作も含まれているので、あくまで傾向を掴む上での参考としてご覧ください。また、日本での劇場公開数は、2010年代に入るとシネコンの増加と連動するようにビックリするほど増えるのですが、これは本論と関係ないので割愛します)。

 Wikipediaの「List of zombie films」でも同様の傾向です。

  1930年代 3本
  1940年代 8本
  1950年代 9本
  1960年代 17本
  1970年代 28本
  1980年代 69本
  1990年代 40本
  2000年代 178本
  2010年代 97本

 やはり80年代にいったんピークがあり、90年代にやや沈静化したのち、2000年代に激増しているように見えます。
 ウィキペディアなので正確性・網羅性の保証はありませんし、情報が揃いやすい近年の作品ほど記述が充実するのかもしれないとは思いますが、ここに見られる傾向はわりとゾンビ物に接してきた体感に近いのではないでしょうか。
 偶然ながら、ぺぐもんさんが例示してくださった作品にも同じような傾向が見られます。

 『バタリアン』(米・1985)
 『キャプテン・スーパーマーケット』(米・1992)
 『アンデッド』(豪・2003)
 『ショーン・オブ・ザ・デッド』(英・2004・日本未公開)
 『ゾンビランド』(米・2009)
 『ゾンビーワールドへようこそ』(米・2015・日本未公開)

 単純に集計すると80年代1本、90年代1本、2000年代3本、2010年代1本ですが、『キャプテン・スーパーマーケット』は 『死霊のはらわた』シリーズ の最終作なので80年代の残滓とも云えそうです。余談ながら、『バタリアン』シリーズも80年代に2本作られたのち90年代は1本に落ち着いて、2000年代に入るとまた2本が作られていますね。

 80年代にゾンビ映画が増加した原因については専門家の研究に譲りたいと思いますが、私は次のことが関係しているのではないかと想像しています。

・(『エクソシスト』のヒットによるホラー映画人気、『スター・ウォーズ』のヒットによるSFX映画人気を下地にしつつ)1978年の『ゾンビ』がヒットしたことによるゾンビ映画への注目度の増加
・特殊メイク技術等の進歩による作品の質的向上
・レンタルビデオ、セルビデオの興盛によるジャンル映画の買付増加

 先の記事で50年代まで遡ってゾンビ映画の流れをたどりながら、80年代のブームに触れなかったのは、80年代に一度ブームがあったということが、記事の趣旨に照らして重要とは思われなかったからです。

 今回の記事でもゲーム『バイオハザード』発売以降、すなわち主に2000年代のゾンビ物の興隆を指して市場が大きくなったと述べましたが、それは2009年に連載が開始され、2016年に映画が公開された『アイアムアヒーロー』を語る上で、90年代に沈静化してしまった80年代のブームに触れる必要性が高くないと考えたからです。
 90年代にブームが沈静化し、そのまま下火になってもおかしくなかったのに、なぜ2000年代にこれまで以上の興隆を極めたのか、という問題設定でもあります。また、80年代にゾンビ映画のブームがあったにもかかわらず、和製ゾンビ映画の輩出に至らなかったのはなぜか、という問題設定でもあります。

 上に挙げた年代別の本数は、その問題意識を本記事をお読みの皆さんに共有していただきたくて集計したのですが、話が散漫になる気がしたので、Twitterでの紹介に留めてブログでは取り上げませんでした。


 ところで、キョンシー映画もまた興味深いものだと思います。
 キョンシーは死体ですから、たしかにキョンシー映画にはゾンビ映画の亜流としての側面があります。
 ですが、キョンシーをゾンビと同一視して良いものか、私は考えあぐねています。日本での『幽幻道士』シリーズ及び『来来!キョンシーズ』の放映時期はアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』(第3シリーズ)と重なっており、妖怪物としてくくれる面もあるのではないかと思うのです。
 「ゾンビ映画の一覧」が、『霊幻道士』シリーズは掲載しているのに『幽幻道士』シリーズを掲載しないという中途半端な状態なのも、キョンシーの扱いに迷いがあるからかもしれませんね(そのことも、このデータを記事本文で取り上げなかった理由の一つです)。


ゾンビランド [Blu-ray](2)「『アイアムアヒーロー』は日本らしい作品だと述べたことに対して、欧米のゾンビ映画にも似たような作品があるはずだという疑問」について

 ゾンビ映画は半世紀以上にわたり作られてきましたから、ジャンルの枠内とはいえ多様な作品が生み出されています。おっしゃるとおり、『アイアムアヒーロー』に似た要素は先行する作品に見られるでしょう。
 にもかかわらず、私は『アイアムアヒーロー』が特異な作品だと思います。

 奇しくも、ぺぐもんさんが『アイアムアヒーロー』の先行作として挙げられた6本が『アイアムアヒーロー』の特異性を示しています。これら6本には、『アイアムアヒーロー』と異なる次のような特徴があります。

 a. すべて外国映画(英語圏の映画)であること

 b. すべてコメディであること

 aが重要であることはご理解いただけると思います。もともと本記事は「欧米、特に米国ではゾンビ映画が盛んなのに、日本で盛り上がらないのはなぜか?」という思いから出発しているからです。

 ゾンビ映画には半世紀以上の歴史があり、80年代には日本にも大量のゾンビ映画が流入したというのに、これまで日本映画を代表するゾンビ物はありませんでした。まったく作られなかったわけではありませんが、公開規模からいっても、熱心な愛好家向けに特化した作品に位置づけられると思います。

 それに対して『アイアムアヒーロー』は全国284スクリーンで公開され、興行収入16.2億円のヒットを記録しました(2016年7月25日東宝発表の「2016年 上半期作品別興行収入(10億以上)」による)。おそらくは日本映画史上はじめて、ジャンル映画の枠を超えて多数の観客を動員するゾンビ物が誕生したのです。
 その訴求力はどこにあるのか。それを私なりに考えてみたのが今回の記事となります。


 bの「コメディであること」も重要な要素ですね。
 コメディを映画の一つのジャンルとして語ることも可能ですが、ゾンビ物のようなジャンル映画の中にあってのコメディは「一捻りした」「変化球」という面が強いと思います。それは、まず正統派の直球があってこそ成立するものでしょう。
 ゾンビ映画の場合であれば、過去にゾンビ映画をたっぷり観てきて、もうゾンビが出ても怖くないしお約束の展開に笑ってしまう愛好家が一定数いることを期待して作られているのではないかと思います。
 ゾンビ映画はホラー(恐怖)映画のサブジャンルのはずですが、コメディタッチのゾンビ映画は、今さらホラー(恐怖)を感じない人向けのさらに小さなサブサブジャンルではないでしょうか。

 興行成績もそのことを示しています。
 古い映画だと物価の違いやデータ不足で比較できないので、2000年以降の作品について見てみると、大きく稼いでいるのはバイオハザードシリーズや『ドーン・オブ・ザ・デッド』(2004)のようにシリアスな直球作品です(近年のバイオハザードシリーズは、アクション映画の域に入り過ぎな気もしますけど)。
 2009年の『ゾンビランド』は、珍しく劇場公開で成功したホラーコメディで、北米に限れば『ドーン・オブ・ザ・デッド』の興収を抜いてゾンビ映画の首位だったこともあります。しかし、その記録は2013年の『ワールド・ウォーZ』に破られてしまいましたし、全世界興収では2002年の『バイオハザード』第一作にも及んでいませんでした。

 参考までに、2000年以降を対象に、ぺぐもんさんがご紹介くださった作品と、ゾンビ映画の主なヒット作の興行収入をBox Office Mojoから転載しておきます。

ゾンビ映画の興行収入
題名製作国公開年北米興収全世界興収備考
アンデッド豪2003$41,196$187,847
ショーン・オブ・ザ・デッド英2004$13,542,874$30,039,392日本未公開
ゾンビランド米2009$75,590,286$102,391,540
ゾンビーワールドへようこそ米2015$3,703,046$14,860,766日本未公開
以上がご紹介いただいたコメディ
バイオハザード英独米2002$40,119,709$102,441,078
ドーン・オブ・ザ・デッド米2004$59,020,957$102,356,381
バイオハザードII アポカリプス英加2004$51,201,453$129,394,835
バイオハザードIII米2007$50,648,679$147,717,833
バイオハザードIV アフターライフ米2010$60,128,566$296,221,663
バイオハザードV: リトリビューション米2012$42,345,531$240,159,255
ウォーム・ボディーズ米2013$66,380,662$116,980,662これはホラー映画か疑問ですが
ワールド・ウォーZ米2013$202,359,711$540,007,876


 1980年以降の北米におけるゾンビ映画興収ランキングを見ても(ゾンビ映画と云えるのか疑問な作品も混ざってますが)、上位にコメディはほとんど登場しません。

 やはり、シリアスな直球のゾンビ映画で確立された市場がまずあって、その市場が大きいから「ダメ人間が世界の崩壊でヒーローになることを望む」ような変化球のコメディを投げることもできるのだと思います。日本では和製の直球ゾンビ映画が成立していないのに、変化球から投げても意味がないと思うのです。
 ご紹介いただいた作品のいくつかが日本では劇場未公開に終わったのは、少なくとも劇場公開には見合わないと判断されたからでしょう。どちらかというと、日本の映画関係者のあいだでは、このような変化球は見習うべき定型というよりも手を出しちゃいけないものと認識されているのではないでしょうか。
 先の記事で、ゾンビ映画を作りたいクリエイターはいても作れないのだろう、という趣旨のことを書いたのも、このような状況が想像されたからです。

 ところが『アイアムアヒーロー』は金をかけています。2016年4月に公開して国内だけで16.2億円の興行収入を上げましたが、これではペイできてないのではないでしょうか。
 興収16.2億円といえば一応ヒットと呼んでも差し支えないでしょうが、境治氏の計算例にならって配給収入が興行収入の50%、配給手数料は(少なめに見て)その30%、宣伝費を(少なめに見て)2億円と仮定すれば、製作委員会には3.67億円しか入ってこない計算になります。制作費を3.67億円以下に収めてやっとトントンです。でも、これだけVFXを使って大掛かりなロケをして、3.67億円で済むとは思えませんね。主演の大泉洋さんは完成報告会見の場で「撮影をしていてもとんでもない予算がかかっているというのはわかりました。邦画としてはとんでもないスケールの映画です。撮影当初から私は若干、胃が痛い思いがしましたね。」とおっしゃっています。
 そんな大金を、日本映画ではこれまでヒットしたことのないゾンビ映画に、しかも海外でも主流とはいえない変化球タイプの映画に投入するとは考えにくいです。

 実は、『アイアムアヒーロー』の前に私が注目していたのが、2015年公開の『Zアイランド』です。有名俳優を起用して、全国169スクリーンというゾンビ映画としては大規模な公開でした。監督も有名人だし、お笑いに明るい人だし、ゾンビ映画にアクション要素とコメディ要素を上手く持ち込んで一気に和製ゾンビ映画の存在感を高めるのではないかと注目したのです。
 残念ながら『Zアイランド』は興行面でも評判の面でも成功できませんでした。作品そのものの力不足もあるでしょうけど、同じ監督の前作『サンブンノイチ』が週末観客動員数ランキングで初登場8位(興収6345万3200円)、前々作『漫才ギャング』も初登場8位(興収8600万4500円)だったのに、『Zアイランド』は初登場14位という落ち込みは、評判が悪くて客足が伸びなかったというよりも観たいと思う人が最初から少なかったのでしょうから、日本ではゾンビ映画が(コメディタッチにしても)あまり興味を持たれないことを示してるように思います。

 日本映画でゾンビ物を成立させるのは難しい……そう感じていたところに公開されたのが『アイアムアヒーロー』です。
 驚くことに、「ダメ人間が世界の崩壊でヒーローになることを望む」ような構造を持ちながら、本作はコメディではありません。そして初登場4位、土日2日間だけで動員15万9964人、興収2億2568万8700円を記録します(「CINEMAランキング通信」より)。

 本作の作り手は(原作者も含めて)、どうしたらゾンビ物が日本で受け入れられるかという問題意識から考えはじめたわけではないでしょう。もちろん過去のゾンビ映画を観てはいるでしょうが、原作者の花沢健吾氏が発端は破壊願望だったとおっしゃっているように、社会がぶっ壊れてリア充が全滅してしまえばいいのにというルサンチマンが本作の原動力になっています。
 正確を期せば、本作は「ダメ人間が世界の崩壊でヒーローになることを望む」話ではありません。自分をダメ人間扱いした世界の崩壊を望む話なのです。そのことは記事本文に書いたのでここでは繰り返しませんが、「破壊衝動を活かせる設定はなんだろう? と考えたら、ゾンビがいちばん合っていた」という花沢氏の言葉どおり、結果的にゾンビ物の体裁をとったに過ぎません。

 それが観客に支持されました。
 欧米では変化球扱いになるものが、日本では観客のハートのド真ん中をぶち抜く直球だったのです。欧米では一捻りしたつもりのものが、日本ではストレートに求められていたのです。

 それを実現したところに『アイアムアヒーロー』の特異性があり、それを受け入れるところに日本らしさがある、と考えるのは穿ちすぎでしょうか。


アイアムアヒーロー 豪華版 [Blu-ray]アイアムアヒーロー』  [あ行]
監督/佐藤信介  原作/花沢健吾
出演/大泉洋 有村架純 長澤まさみ 吉沢悠 岡田義徳 片瀬那奈 徳井優 塚地武雅 マキタスポーツ 片桐仁 風間トオル
日本公開/2016年4月23日
ジャンル/[ホラー] [サスペンス] [ドラマ]
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【theme : ゾンビ映画
【genre : 映画

tag : 佐藤信介大泉洋有村架純長澤まさみ吉沢悠岡田義徳片瀬那奈徳井優塚地武雅マキタスポーツ

『アイアムアヒーロー』はゾンビ映画なの?

アイアムアヒーロー 豪華版 [Blu-ray] 【ネタバレ注意】

 どんなテーゼにもアンチテーゼは出てくるものだ。

 私は「『ワールド・ウォーZ』 ラストはもう一つあった」の中で、ゾンビ映画がもっぱら米国で盛んな理由を考察した。裏を返せば、日本ではゾンビ映画が成立しにくいということでもある。

 だが、そんな思いがあればこそ、私は日本ならではのゾンビ映画が出てくることを期待していた。米国のゾンビ映画と同じことを日本でやっても説得力がなさそうだが、人間とゾンビの違いとは何か、ゾンビになるということは何を意味するのかを突き詰めていけば、日本の風土に根差した日本らしいゾンビ映画を作れるのではないか。そんなことを夢想していた。
 素人考えながら、たとえば日本でお馴染みの「鬼ごっこ(増え鬼)」や「穢れ思想」を組み合わせれば日本的ゾンビは不可能じゃないはずだ、とも思った。

 しかし、それは意外なところからやってきた。『アイアムアヒーロー』は実に日本らしく、米国のゾンビ映画とはまったく違う論理で構築された傑作だった。もちろん、私の素人考えなんぞはるかに凌駕していた。

 面白いことに、『アイアムアヒーロー』を評して、米国でさんざん作られてきたゾンビ映画らしさに満ちた作品ということも可能である。表面的には過去のゾンビ物のパターンをきっちり踏襲しているからだ。
 けれども、日本人は西洋人と同じようにゾンビ化に恐怖を覚えられるだろうか。ゾンビになることに恐怖や嫌悪を感じなければ、いくらゾンビ物のパターンが踏襲されようと面白がれるはずがない。先の記事で私が疑問を呈したのはそこだった。

 そこで、まずはゾンビ物のパターンがどのようなものかをおさらいしよう。
 「『ワールド・ウォーZ』 ラストはもう一つあった」で引用させていただいたotokinoki氏の「ゾンビもののストーリー定形」を踏まえながら、本作の特徴を検討してみる。


■「ゾンビもののストーリー定形」との比較

 otokinoki氏が提唱する定形は四つからなっていた。

0)大前提として、終末映画である。直接描かれなくても、人類滅亡が暗示されている。
→『アイアムアヒーロー』が描くゾンビ化進行の凄まじさは、人類の滅亡を充分に暗示している。

1)ゾンビに追い立てられた主人公たちは逃げ場の無い場所に閉じ込められて、小さいコミュニティでのサバイバルを行う
→アウトレットモールに閉じ込められた主人公たちが小さいコミュニティでサバイバルを行う様は、ゾンビ映画の定石どおりだ。

2)職業も思想も違う人々は疑心暗鬼と不安に囚われ、最初はなんとかなると思っていたコミュニティは崩壊する。
→『アイアムアヒーロー』の進行はまったくこの通りだ。

3)崩壊した隠れ家を主人公は飛び出し、また別の隠れ場所を見出すが、そこにもゾンビが満ちている(終末の暗示)
→主人公らは崩壊したアウトレットモールを飛び出す。別の隠れ場所を見出すところまではいかないものの、それだけに終末の予感を拭いきれない。


 本作のストーリーは、見事に「ゾンビもののストーリー定形」のとおりだ。これだけを見ると、『アイアムアヒーロー』はまるで工夫のない、ありふれた映画のように思える。

 では、人物の造形についてはどうだろうか。
 次にotokinoki氏が提唱する「ゾンビものの登場キャラクター定形」と比較してみよう。


アイアムアヒーロー コミック 1-20巻セット (ビッグコミックス)■「ゾンビものの登場キャラクター定形」には合っていない

1)軍人の作戦は失敗し、結果的に崩壊を呼び寄せ、軍人キャラは主人公よりも早く死ぬ。
→本作に軍人に当たる人物はいない。政府関係の人間は序盤に一人登場するが、何をするでもなくすぐに犠牲になってしまう。
作戦に失敗して崩壊を呼び寄せるのはアウトレットモールを支配する金持ちでプレイボーイの伊浦やならず者たちだが、彼らを軍人キャラとはいえまい。

2)ゾンビを科学的に利用しようとか、儲けようなどの強欲なキャラは惨めな死に方をする。
→ゾンビを科学的に利用しようとか、儲けようとするキャラはいない。自分の支配欲を満たそうとする人物としては伊浦がいるけれど、ゾンビを利用するわけではなく、この分類には入りそうもない。

3)キャラクターの性格は、基本的に変わることはなく、人格的に成長しない
→本作は主人公、鈴木英雄(すずき ひでお)の成長物語であり、妄想に逃げてばかりでうだつの上がらない彼が、一人前のヒーローになっていく様が描かれる。


 このグダグダぶりはどうしたものか。ストーリー定形にはピタリとはまった本作なのに、キャラクター定形にはサッパリ合わない。主人公が人格的に成長するところなど真逆ではないか。

 なにもこの定形がゾンビ映画の必須要件というわけではないけれど、ストーリーとキャラクターでこんなにも違う結果が出るとは興味深い。
 『アイアムアヒーロー』が典型的なゾンビ映画だと思う人は、おそらくストーリー定形との合致に注目しているのだろう。だが、ストーリーという器の中に入っているのは、既存のゾンビ物とは相容れない別の「何か」だ。


■ガンアクションの合理性

 映画『アイアムアヒーロー』が公開された2016年は、ゲーム『バイオハザード』第一作の発売からちょうど20年だ。
 この間、ゲーム業界と映画業界は互いに刺激し合いながらゾンビ物の市場を大きくしてきた。それ以前からゾンビ物の映画はあったけれど、血まみれで醜いゾンビたちが華麗なヴァンパイアや俊敏な狼男や悲劇的なフランケンシュタインの怪物らを凌駕して人気者の座を獲得したのは、ゲームとの相乗効果があればこそだろう。

 動きが鈍いゾンビは射撃の標的にうってつけだし、既に死んでいるから(もはや死なないと云うべきか)破壊しても良心の呵責を覚えなくて良い。まさしくアクションゲームに最適のキャラクターだ。
 2002年公開の映画版『バイオハザード』とそのシリーズの大ヒットもあって、ゾンビ物はすっかり世の中に定着した感がある。

 『アイアムアヒーロー』が巧いのは、このゾンビ物の発展の歴史を踏まえたことにある。

ゾンビランド [Blu-ray] ゾンビ物の人気の一端はゲームファンが支えており、彼らにとってゾンビ物はアクション、特にガンアクションを楽しむものだ。
 2009年の『ゾンビランド』はゾンビの世界で生き残るためのルールなんてものを打ち出して、既成のゾンビ物の定石を徹底的に活かした作品だが、この映画は引きこもりでゲームおたくのコロンバスと銃の名人タラハシーを主人公にすることで、「室内でゲームに興じるのが好き」で「ガンアクションを楽しみたい」観客の嗜好をすくい取った。

 『アイアムアヒーロー』ではマンガ家のアシスタントを務める主人公がクレー射撃の名人でもあると設定し、室内派のおたく的嗜好とガンアクションを両立させた。
 クレー射撃の名人がマンガ好きだなんて無茶苦茶な設定に思えるものの、ゾンビ物の発展の歴史を見ればどちらの要素も欠かせないのは明らかだし、幸い麻生太郎第92代内閣総理大臣(クレー射撃の元オリンピック日本代表で、大のマンガ好き)という実例があるから、非現実的と云われるおそれもない(『アイアムアヒーロー』原作の連載開始は、麻生氏の内閣総理大臣在任期間中だ)。

 では、ゾンビ物のストーリー定形をそのまま利用して、ゲームファンの好みに合う要素を盛り込んだから、本作はこんなに面白いのだろうか。
 そうではあるまい。普通なら、そんな安易な作りにしたら薄っぺらくて目も当てられない。


■『アイアムアヒーロー』に至る系譜

 私は先の記事「『ワールド・ウォーZ』 ラストはもう一つあった」において、西洋でゾンビ映画が盛んなのは、西洋では社会秩序を保つために理性(システム2)で感情や直感的な行動(システム1)を抑え込む必要があると考えられているからだと書いた。理性を喪失(ゾンビ化)すれば秩序が崩壊するという恐怖に、常にさらされ続けているのだ。

 ところが、本作の主人公英雄を取り巻く環境は、崩壊するのを惜しむようなものではない。アシスタント先のマンガ家松尾は横暴で異性にだらしがないし、アシスタント仲間は英雄のことなんか歯牙にもかけない。マンガを持ち込んでも編集者に相手にされず、同棲中の徹子には将来性がないとなじられる。それもこれも、英雄が社会生活に適していないからだ。みんなそれなりに立ち回って社会を上手く泳いでいるのに、英雄にはそれができない。
 映画後半のアウトレットモールのコミュニティではもっと惨めな思いをする。傲慢な伊浦や乱暴なサンゴらに支配され、服従を強いられる。

ボーイズ・オン・ザ・ラン [DVD] この設定は『アイアムアヒーロー』の原作者花沢健吾氏のもう一つの映画化作品『ボーイズ・オン・ザ・ラン』とおんなじだ。『ボーイズ・オン・ザ・ラン』の主人公田西も、うだつが上がらず、何をやってもパッとせず、バカにされながら生きていた。
 ただ、『ボーイズ・オン・ザ・ラン』と本作が違うのは、『ボーイズ・オン・ザ・ラン』の田西は結局惨めなまま、バカにされたまま社会の中で生きていかなければならないのに、本作では社会が勝手に崩壊し、クレー射撃の腕くらいしか取り柄がなかった英雄がヒーローになることだ。

 観客にしてみれば、マンガ家松尾が死んでもアシスタント仲間が死んでも伊浦たち一党が死んでも、全然悲劇ではない。彼らは最初から嫌なヤツだった。ゾンビになって、死んじまって、清々するというものだ。伊浦なんか、早くゾンビになれと願ったくらいだ。徳井優さんが演じるアベサンは悪い人ではなかったし、サンゴも少しはいいところを見せたけれど、それは映画をドラマチックにするためのほんの少しの味付けに過ぎない。
 本作の根底にあるのは、ゾンビになる(理性を失う)恐怖と戦いながらサバイバルする西洋風のゾンビ映画ではなく、社会に適合して上手く生きてる嫌なヤツらに対して、ゾンビ化したことを大義名分に復讐する話なのだ。

 先の記事では、西洋が理性(システム2)で感情や直感的な行動(システム1)を抑え込もうとする一方、東洋では合理主義をごちゃごちゃこねまわす(システム2)よりも素直なまごころ(システム1)をそのまま発揮することが重視されると述べた。
石に刻め 本作において社会秩序を担っている者、社会に適合して上手く立ち回っている者たちは、まさに合理主義をごちゃごちゃこねまわしてばっかりの、退治されるべき連中だ。マンガ家になることを夢見る純朴な英雄こそ素直なまごころの持ち主であり、彼がヒーローとして受け入れられる世の中のほうが、真に調和のとれた世界なのだ。

 私は本作を観て、過去のゾンビ映画よりも『高校大パニック』(1978年)を思い出していた。石井聰亙(現・石井岳龍)監督の名を一躍知らしめたこの映画は、体面を守るばかりの学校に激昂した一人の生徒が銃を手にして教師を射殺、大暴れする作品だ。「数学できんが、なんで悪いとや!」という彼の叫びは、一世を風靡した。

 本作が「ゾンビものの登場キャラクター定形」に即してないのはとうぜんなのだ。ストーリー定形には沿っていても、人間関係やドラマ部分が、すなわち社会の捉え方が欧米のゾンビ映画とまったく違うのだから。
 他のゾンビ映画によく見られる軍人キャラは、既存の社会秩序を体現しており、彼が死ぬことで社会崩壊の危機が一層高まる。だが、本作の英雄にとって、息苦しい社会の崩壊は危機でも何でもないから、『アイアムアヒーロー』では軍人キャラの死を描く必要がない。
 また、他のゾンビ映画では、周囲の人々が理性を失っても自分だけは理性的でいられるかがテーマとなるから、主人公にこれ以上の人格的な成長は求められない。しかし本作では、せっかく社会が変わった(崩壊した)のに、いつまで妄想に逃げているのかと自問することが求められる。

 それだけではない。ストーリー定形に沿っているように見えるところも、その意味するものは異なっている。
 たとえば、ストーリー定形の二番「最初はなんとかなると思っていたコミュニティは崩壊する」を本作は忠実になぞっているが、アウトレットモールのコミュニティは英雄を苦しめた「社会」の縮小再生産であり、女子高生比呂美との充実した二人旅を邪魔するものでしかない。コミュニティの連中がアウトレットモールの屋上からゾンビを見下ろして暮らしていることが、コミュニティの嫌らしさを象徴している。だから英雄はアウトレットモールの者たちを全滅させることで、コミュニティから解放される。

 銃を撃つことをためらわなくなった英雄は、一回り成長したご褒美に元看護師のヤブを得て、美女二人に囲まれたモテモテ状態で旅に出る。
 従来のゾンビ映画なら、ここはストーリー定形の三番「崩壊した隠れ家を主人公は飛び出し、また別の隠れ場所を見出すが、そこにもゾンビが満ちている」という絶望感をたたえたラストになるところだが、既存の人間社会が苦痛だった英雄にとって、ゾンビを撃ち殺しながらの美女との旅は最高のものに違いない。


 本作のスリルとサスペンスそしてテンポの良さを、国内外を問わず観客誰もが楽しむだろう。
 しかし本作の裏には、『ボーイズ・オン・ザ・ラン』の田西のように唇を噛みしめて生きてきた男たちの反逆の気持ちが込められている。たまたま今の社会秩序に適合できたからって大きな顔をしている連中に、戦いを挑む物語なのだ。
 どろどろしたルサンチマンの噴出と、東洋的な思想を重ね合わせ、欺瞞に満ちた社会をぶち壊す。その破壊力が『アイアムアヒーロー』を特別な作品にしている。

 それを素直なまごころと呼んでいいのか、私には判らないけれど。


アイアムアヒーロー 豪華版 [Blu-ray]アイアムアヒーロー』  [あ行]
監督/佐藤信介  原作/花沢健吾
出演/大泉洋 有村架純 長澤まさみ 吉沢悠 岡田義徳 片瀬那奈 徳井優 塚地武雅 マキタスポーツ 片桐仁 風間トオル
日本公開/2016年4月23日
ジャンル/[ホラー] [サスペンス] [ドラマ]
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