『キングスマン:ゴールデン・サークル』 アメリカなんて大嫌い!?

【米国版・日本語対応】キングスマン: ゴールデン・サークル (4K Ultra HD) 【ネタバレ注意】

 『キック・アス』、『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』、『キングスマン』と傑作を連発してきたマシュー・ヴォーン監督だが、続編のメガホンをみずから取るのははじめてのことだ。
 しかし、さすがはヴォーン監督。傑作の続編『キングスマン:ゴールデン・サークル』は、またも傑作だった。


■「ゴールデン・サークル」とは?

 気になったのは副題の「ゴールデン・サークル」だ。原題は『Kingsman: The Golden Circle』で、邦題はそのままカタカナ表記にしただけだ。

 前作は原題が『Kingsman: The Secret Service』で、キングスマンの説明である「シークレットサービス」が副題になっていた。
 本作の副題「ゴールデン・サークル(黄金の環)」は敵の組織名なのだが、副題にするにはインパクトが弱い。『007/スペクター』のように半世紀以上も敵として知られた組織の名前なら、副題につくと「おぉ、とうとうスペクターと正面切って対決か」と興味もそそられるが、本作で初登場の組織名を副題にしても宣伝効果はたかが知れている。しかも、劇中の「黄金の環」は、敵組織の手下がメンバーの印として金の環の刺青をしているだけで、さして重要なアイテムではない。

 金に執着する怪人物ゴールドフィンガーが登場する『007/ゴールドフィンガー』や、万年筆やらライター等のお洒落アイテムを組み合せると黄金銃(golden gun)になる『007/黄金銃を持つ男』や、秘密兵器ゴールデンアイを巡って戦う『007/ゴールデンアイ』にあやかって、「ゴールデン…」という副題にしたかったのだろうが、007シリーズの諸作に比べるとインパクトの弱さは否めない……。
 そう思っていたら、もともと予定されていた副題は「ゴールデン・トライアングル」だと知って納得した。

 ゴールデン・トライアングル、すなわち「黄金の三角地帯」は、世界最大の麻薬密造地帯として知られてきた。タイ、ミャンマー、ラオスの国境が接する三角形の地域で、麻薬の原料となるケシが大規模に栽培されている。サイボーグ009たちが麻薬を生産するネオ・ブラックゴーストと戦う『サイボーグ009 黄金の三角地帯編』でご存知の方も多いだろう。
 なるほど、「黄金の三角地帯」なら知名度は高いし、ポピー・アダムス率いる麻薬密売組織との戦いを描く本作を的確に表現しており、まさに副題にピッタリだ(ちなみに「ポピー・アダムス」という名前は、麻薬の原料となるケシ(ポピー)の仄めかしと、ボンドガール最多出演のモード・アダムスへの敬意を表したものだろう)。

 だのになぜトライアングル(三角)がサークル(円)になってしまったかというと、一般公開に先駆けて三回ほど試写会を開いたところ、集まった観客の誰も「黄金の三角地帯」を知らなかったからだという。
 ギャフン。

 「黄金の三角地帯」の麻薬取引には、CIAの関与が取り沙汰されたこともあるというのに、米国人は呑気なものだ。
 まぁ、それはそれで良かったのかもしれない。悪名高き「黄金の三角地帯」だが、現在ケシ栽培は減少し、合法的なコーヒー栽培観光業が盛んになっている。いまさら麻薬密造地帯として知名度を上げることはないかもしれない。

 それに本作は、ポピー・アダムスのアジト「ポピーランド」の場所をカンボジアと設定している。しかし、カンボジアは、タイ、ミャンマー、ラオスからなる「黄金の三角地帯」から外れているので、ゴールデン・トライアングル扱いするのは筋違いであろう(ポピーランドのセットがカンボジアの有名なタ・プローム寺院に似ていたこともあり、カンボジア政府は同国および同国の有名な寺院を「犯罪の温床」と描写した場面が「容認できない」として、本作の国内上映を禁止した)。


映画ポスター キングスマン 2 ゴールデンサークル US版 hi12 [並行輸入品]■異質な世界のぶつかり合い

 さて、前作『キングスマン』は、英国人が寄ってたかって米国人をとっちめる話だった。傲慢な米国人の悪党だけでなく、教会に集まっていた米国の民衆まで皆殺しにして、英国人――スウェーデンの王女も関わっているからヨーロッパ人というべきか――だけが勝利を味わう映画だった。イギリス人のマシュー・ヴォーンが制作・監督・脚本を兼ねて、ブリティッシュ・ユーモアを全開にしていたわけだが(『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』では、マシュー・ヴォーンは監督・脚本だけを担当したせいか大人しい)、『キングスマン:ゴールデン・サークル』は前作以上に米国人をおちょくり、けちょんけちょんにしていて面白い。

 まず、オープニングで米国人の心の歌「故郷に帰りたい(カントリー・ロード)」が流れてニヤリ。2017年は『エイリアン:コヴェナント』『ローガン・ラッキー』そして本作と、同曲を取り上げた映画が続いたけれど、他の二本の米国映画が故郷に帰りたい気持ちを素直に歌い、特に『ローガン・ラッキー』では感動的に使われたのに対して、ブラック・ユーモアの権化マシュー・ヴォーンがそんな使い方をするはずがない。
 案の定、本作には、カンボジアの奥地に1950年代の米国の街並みを再現して故郷を懐かしむ、狂った米国人犯罪者ポピー・アダムスが登場する。そして、ポピーランドに乗り込んだ英国人のマーリンが、ポピーの手下どもに向けて大声で歌いまくるのがこの曲だ。マーリンの心情としては「こんなところまで来て何してやがるんだ、米国の田舎者。とっとと故郷へ帰りやがれ、バカヤロー」くらいの思いであろう。米国ウェストバージニア州の州歌となるほど親しまれているこの曲を、米国人犯罪者への挑発として歌うとは、嫌がらせにもほどがある。

 ポピーが行う処刑の方法もひどい。ポピーは気に入らない人間をミンチにして、ハンバーガーを作るのだ。よりによって、米国を代表する料理ハンバーガーにするところがミソである。これを見たら、もうハンバーガーを食べたくない……。

 犯罪を取り締まるべき米国大統領も、独りよがりのひどい人間として描かれる。おそらく劇中で最低の人物だが、独特の話し方や長すぎる赤いネクタイや高価なカフリンクス等の特徴が、第45代米国大統領ドナルド・トランプ共通するといわれる。

 そして、劇中の事件を報じるテレビ局がよりによってFOXニュース。FOXニュースは、トランプを支持し、トランプに支持される右派メディアとして知られる。ドナルド・トランプの支持者が普段見ているメディアこそがFOXだ。トランプを支持する観客は、反トランプ色の強いCNNの画面がスクリーンに映ったら引いてしまうかもしれないが、FOXニュースであれば普段から見慣れているから違和感なく受け入れるだろう。本作はそうやって右派の観客に歩み寄っておきながら、トランプによく似た大統領の傲慢さと残酷さを見せつける。
 もとより、本作を配給する20世紀フォックスもFOXニュースも、同じ21世紀フォックス傘下のグループ会社だから、FOXニュースを取り上げてそのニュースキャスターを本人役で起用するのはおかしなことではない。しかし、皮肉屋のヴォーン監督が、視聴するニュース番組にも党派性が現れる米国に向けてFOXニュースばかりを取り上げる意味を、勘繰らずにはいられない。
 しかも、暴走する大統領を諌めて、リベラルな(CNN的な)発言をする首席補佐官の名前がフォックスなのだ。もうFOXニュースを運営する21世紀フォックスのグループ全体への皮肉としか思えない。


 英国のキングスマンに相当する米国の諜報機関ステイツマンの扱いもひどい。ケンタッキー州を拠点とするステイツマンのメンバーは、どいつもこいつもテンガロンハットを被ったステレオタイプのカウボーイ野郎。しかも必殺技が投げ縄ときた。米国東部のエスタブリッシュメントや西海岸のIT業界や映画界の人間は無視して、南部や中西部の白人を戯画化したような設定だ。南部・中西部の白人は、まさに共和党の支持層ドナルド・トランプの支持層と重なっており、本作は彼らをキングスマンに匹敵するヒーローとして持ち上げて、劇中に引っ張り出したのだ。前作で皆殺しにされたのは、他ならぬこれらの人々なのに。

映画 キングスマン : ゴールデン サークル ポスター 42x30cm Kingsman: The Golden Circle コリン・ファース 公式サイトに掲載されたマシュー・ヴォーン監督の言葉は、とても知的でかっこいい。
 「アメリカとイギリスは同じ言語を使うが、文化的には大きく違っている。この特別な関係を扱ってみたかった。前作で人々が気に入ったのは、ハリーとエグジーの異質な世界がぶつかり合う部分だった。アメリカ文化とイギリス文化の衝突で、その点を継続したいと思った。(略)私は子供の時にはカウボーイ映画が大好きだった。カウボーイはものすごくクールなキャラクターだと思い、アメリカらしいもので楽しみたいと思った。」

 かく云うヴォーン監督が描いたステイツマンは、男性ばかりが表舞台で活躍し、黒人女性が裏方に押し込められている組織だ。人気俳優チャニング・テイタムが登場するからどれだけ活躍するかと思えば、下手を打ってただ寝てるだけ。凄腕エージェントのジャック・ダニエルズことウィスキーは、とんでもない悪党だ。
 結局、こんな米国人たちには頼らずに、またしても英国人ばかりが活躍して米国人犯罪者をやっつける。ついでに米国大統領も投獄される。ハリーなんて、米国風にテンガロンハットを被っているときは調子が悪いが、英国風のスーツ姿になると絶好調。
 出来上がった映画は、またも米国人をけちょんけちょんにこき下ろすものだった。

 かくの如き映画で、雪山で危機に陥ったウィスキーが、米国人の誇りともいえる星条旗のパラシュートをなぜか背負っていたなんて、米国をおちょくるにもほどがあろう。もちろんこれは『007/私を愛したスパイ』のオープニング、雪山で危機に陥ったジェームズ・ボンドが、なぜかユニオンジャックのパラシュートを背負っていたシーンのパロディだ。


 このユーモアを米国の観客に感じ取ってもらいたいものだが、残念ながら米国での興行成績は前作の128百万ドルから100百万ドルへ下がってしまった(いずれも2018年1月8日現在)。残念なことだ。代わりといってはなんだが、英国での成績が24百万ドルから33百万ドルに増加したのは面白い。
 中国での成績も74百万ドル(香港を合せると79百万ドル)から116百万ドル(同121百万ドル)に増加し、米国の成績を上回った。おちょくる側ではなく、おちょくられる側でもなく、他人事であるほうが気楽に笑えるのかもしれない。


【映画パンフレット】 キングスマン ゴールデン・サークル■007への愛と超越

 前作の記事で、私は『キングスマン』の面白さを語るのに『007は二度死ぬ』を引き合いに出した。
 前作に負けず劣らず007シリーズへのオマージュやパロディに溢れた本作だが、今回なんといっても目立つのは、これまた私の好きな映画『女王陛下の007(On Her Majesty's Secret Service)』との類似だ。

 『007は二度死ぬ』を最後にショーン・コネリーが(この時点では)降板した後に作られた『女王陛下の007』(1969年)は、過去の007シリーズとは違うカラーを出そうとした、アンチテーゼのような映画だった。プレイボーイで、いつも違う女性をはべらせているジェームズ・ボンドが、一人の女性を真剣に愛して結婚する。それまで海を舞台にすることが多かった同シリーズが、『女王陛下の007』ではアルプスの雪山での戦いを中心とする。重要な女性キャラクターが死亡する等。
 これらの特徴は『キングスマン:ゴールデン・サークル』にも見受けられる。

 『キングスマン』シリーズはマシュー・ヴォーン監督の007愛から生まれたわけだが、愛すればこそ自分でも同じことをやり、心の中で「知ってる奴、本物を思い出して感動してくれ!」と叫びたくなることもあれば、愛すればこそ違う要素を加えたくなることもあるだろう。完璧な作品というものはそうそうないから、何度も見返すほど好きであれば、「自分ならこうするのに」という"修正点"も見えてきてしまうものだ。

 たとえば、E・R・バローズの小説をこよなく愛するフィリップ・ホセ・ファーマーは、その模倣作、階層宇宙シリーズで、バローズ作品の至らない点を改善している。E・R・バローズの作品ではヒーロー、ヒロインが狭い部屋に何日も閉じ込められることがよくあるのだが、ファーマーは同じような状況下で排泄物をどう処理するのか等をきちんと書いた。バローズ作品を一読しただけでは気にならないような細かいことまで敢えて書くその姿勢に、バローズ作品への愛情の深さがうかがえる。『宇宙戦艦ヤマト2199』も、作り手が『宇宙戦艦ヤマト』を愛すればこその作品だろう。

 結果として『女王陛下の007』に似たのは、007シリーズ全般へのアンチテーゼとしての意味と、先行するアンチテーゼ作品である『女王陛下の007』へ敬意を払ったからだろう。『女王陛下の007』はなかなか人気があるようで、クリストファー・ノーラン監督も自作『インセプション』で『女王陛下の007』にならって雪山のアクションシーンを撮っている。

 それにしても、本作の主人公エグジーが、てっきり行きずりの関係だと思われた前作の王女と真剣な交際を続けていたのは驚きだし、美女クララと寝る任務を与えられて拒絶するのも、007らしくなくていい。というか、多くのアクションヒーローらしくない(エグジーを演じたタロン・エガートンは実際にクララと寝る場面の演技を拒絶したため、彼女の股間に延びる手はクララ役のポッピー・デルヴィーニュの夫のものだ)。
 前作で国際的な秘密組織のエージェントに、そして紳士になったエグジーが、相変わらず下層階級の友人たちを大切にしているのも嬉しい。主人公の故郷や古くからの友人を描き続けるのも、007をはじめとするスパイアクション映画に見られないものだし、同時に、紳士であることと生まれとは関係ないという前作のテーマを受け継ぐものでもある。
 こうして本作は、007シリーズと同様のスパイアクションでありながら、007シリーズとは一線を画す魅力を放つ。


ポスター/スチール写真 アクリルフォトスタンド入り A4 パターン36 キングスマン ゴールデン・サークル ジュリアン・ムーア しかも、『キングスマン:ゴールデン・サークル』は、007シリーズがいまだ成し得ないことも実現した。

 1962年公開の第一作から2015年の第24作『007/スペクター』に至るまで、007シリーズでは女性がラスボスになったことがない[*]。『007/ワールド・イズ・ノット・イナフ』ではラスボスに近い位置に女性がいたが、ともあれ女性の殺し屋や幹部はいても、女性が悪の組織の最高権力を握ることはなかった。善玉に関しては、1995年の『007/ゴールデンアイ』から007の上司をジュディ・デンチが演じるようになったけれど、これはMI5初の女性長官ステラ・リミントンが情報公開を推進し、情報機関の長官が女性であることが知れ渡ったためだ(007が所属するMI6の長官には、実際にはまだ女性が就任したことはない。なお、劇中で007の上司は「M」と呼ばれるが、現実のMI6長官は「C」と呼ばれる)。

 本家007シリーズが女性を悪の親玉にできないのであれば、自分がやってやろうと思うのがクリエイターたるものだろう。
 1960年代風のアクションコメディ『ミニオンズ』(2015年)には、悪党の中の悪党としてサンドラ・ブロック演じるスカーレット・オーバーキルが登場した。そして本作のラスボスを務めるのが、麻薬王、おっと麻薬女王のポピー・アダムスだ。

 もっとも、たとえラスボスといえども、女性を殺して物語を締めくくるのは気が引けるのか、本作の最後にはボスでもない男性との対決が待っている。

 日本では、『宇宙からのメッセージ』(1978年)のように皇帝ロクセイア12世を操る真のラスボスが太公母ダークで、善玉の中心がエメラリーダ姫だったり、『里見八犬伝』(1983年)のようにラスボスが妖婦玉梓で、善玉の中心が静姫だったり、『』(1985年)のようにラスボスが楓の方だったり、『隠し砦の三悪人』(1958年)のように善玉の中心が雪姫だったりと、善悪問わず女性が最高位にあり、女性のラスボスを倒して物語を終えるのは珍しくない。米国でも、『眠れる森の美女』(1959年)のマレフィセントや『リトル・マーメイド』(1989年)のアースラのように、女性のラスボスの例がある。
 暴力的な描写を特徴とするマシュー・ヴォーン監督でさえ、女性を倒して締めくくるのを避けるとは、紳士の国イギリスならではの配慮だろうか。

 いずれにしろ、『キングスマン:ゴールデン・サークル』が、前作に続いて007シリーズへの愛とアンチテーゼをたっぷり盛り込んで楽しませてくれることは間違いない。

               

 だが、それだけでは済まさないのがマシュー・ヴォーン監督だ。監督は、ラストの結婚式のシーンによって、「ゴールデン・サークル(黄金の環)」が結婚指輪の意味でもあることを示す。ポピー・アダムスが手下の体に黄金の環を刻み込んだのも、彼女へ忠誠の証として身につけさせたかったのだろう。
 結婚式は順調に進み、指輪の交換になるのだが、これが他の映画と全然違う。指輪の交換と云いつつ、映画やテレビドラマの多くが、花婿が花嫁に指輪をはめるところしか映さないのに対して、本作は花嫁である王女が花婿であるエージェントに指輪をはめるところしか映さない。

 007シリーズだったら、女性に指輪をはめてもらうジェームズ・ボンドなんて想像できない。ところが本作は、あっさりと女性のほうを能動的な存在として描き切った。いともたやすく007の先へ行ってしまったのだ。

 『On Her Majesty's Secret Service(女王陛下の諜報部員)』というのであれば、やっぱりそれくらいやってみせなきゃ。


映画 キングスマン : ゴールデン サークル ポスター 42x30cm Kingsman: The Golden Circle マーク・ストロング■はじまりの終わり

 本作は、キングスマン創設者による次の言葉を紹介して終わる。

  「This is not the end. It is not even the beginning of the end. But it is, perhaps, the end of the beginning.」
  (これは終わりではない。終わりのはじまりですらない。しかしあるいは、はじまりの終わりかもしれない。)

 これは、1942年11月10日に、英首相ウィンストン・チャーチルが述べた言葉だ。第二次エル・アラメイン会戦で遂に英軍がドイツ軍を撃破したことを受けて、ここから英国の勝利に転じるであろうことを謳ったものだ。
 映画の最後のこの言葉には、二つの意味が込められているだろう。
 一つは、キングスマン創設メンバーの一人がウィンストン・チャーチルであること。もう一つは、『キングスマン』シリーズはこれで終わりではなく、まだシリーズ化の足固めを終えたばかりだということだ。


 なお、先に試写会での観客の反応について述べたが、もう一つ、試写の反応を受けて変わってしまったことがある。
 試写バージョンでは、最後の戦いが終わったところにマーリンが這ってきて、助けてもらうシーンがあったのだ。そしてマーリンは、義足をつけて結婚式に列席する。
 ところが、試写を観た観客の「騙された」「感動が台無しだ」という反応に、ヴォーン監督はマーリンが生きていることをうかがわせるシーンをすべてカットしてしまった。

 たしかに、死んだと思われていた人物が実は生きていたというネタを一本の映画の中で二度もやるのは興醒めかもしれない。だが、このカットのおかげで、マーリンは死んだままになってしまった。映画の冒頭でチャーリーが義手をつけて出てきたのは、後々マーリンが義足になっても唐突に感じさせないための伏線でもあったろうに。

 現在構想中と伝えられるシリーズ第三作や、ステイツマンのスピンオフ映画では、是非ともマーリンを登場させて欲しいものだ。


[*] 007シリーズ全24作のうち、次の6作品はエルンスト・スタヴロ・ブロフェルドがラスボス(黒幕)である。
 『007/危機一発』(後に『007/ロシアより愛をこめて』に改題)
 『007/サンダーボール作戦』
 『007は二度死ぬ』
 『女王陛下の007』
 『007/ダイヤモンドは永遠に』
 『007/スペクター』
 なお、イオン・プロが関わっていない『007/カジノ・ロワイヤル』(1967年)と『ネバーセイ・ネバーアゲイン』を加えて全26作としても、女性のラスボスがいないことには変わりない。


【米国版・日本語対応】キングスマン: ゴールデン・サークル (4K Ultra HD)キングスマン:ゴールデン・サークル』  [か行]
監督・制作・脚本/マシュー・ヴォーン  脚本/ジェーン・ゴールドマン
出演/コリン・ファース タロン・エガートン ジュリアン・ムーア マーク・ストロング ハル・ベリー ジェフ・ブリッジス ペドロ・パスカル チャニング・テイタム エドワード・ホルクロフト ソフィー・クックソン ポッピー・デルヴィーニュ エミリー・ワトソン マイケル・ガンボン ビヨーン・グラナート エルトン・ジョン
日本公開/2018年1月5日
ジャンル/[アクション] [アドベンチャー] [サスペンス]
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【theme : アクション映画
【genre : 映画

tag : マシュー・ヴォーン コリン・ファース タロン・エガートン ジュリアン・ムーア マーク・ストロング ハル・ベリー ジェフ・ブリッジス ペドロ・パスカル チャニング・テイタム エドワード・ホルクロフト

『キングスマン』 知性の本質とは?

KINGSMAN / キングスマン ブルーレイ プレミアム・エディション (初回限定版)(日本オリジナルデザイン ダブルジャケット仕様スチールブック&ブロマイド5枚セット+Kingsmanオリジナル封筒) [Steelbook] [Blu-ray] 「スパイ映画は好きか?」
 「最近のはシリアスで好みじゃないが、昔のは素晴らしい。荒唐無稽でね。」
 「古いボンド映画とかな。」

 そう、そうなのだ。最近の007シリーズへの挑戦状ともいえる『キングスマン』の会話を聞いて、私は膝を打ちたくなった。
 マシュー・ヴォーン監督が仕掛けたのは会話ばかりではない。荒唐無稽でケレン味たっぷりの『キングスマン』は、全編が古いボンド映画のような痺れる作品だ。

 今のボンド映画も面白い。他のスパイ映画、たとえばミッション:インポッシブルシリーズだって面白い。テンポの良さといい、アクションの迫力といい、総じて新作のほうが古い映画を上回っていると思う。
 それは間違いないのだが、足りないなぁと思うものもある。それが荒唐無稽さだ。
 仕方がないのだろう。アクションの凄味を出すにはリアリティが欠かせない。何も持たない主人公が崖から突き落とされたら観客は驚くだろうが、万能の秘密道具を体中に仕込んだ主人公が突き落とされてもハラハラしない。アクションを重視すればするほど、荒唐無稽さは引っ込めざるを得ない。

 それに、かつて007シリーズは荒唐無稽になり過ぎた。シリーズ第11作『007/ムーンレイカー』で宇宙戦争になったときは、ボンド映画にここまで求めていないよと思ったものだ。
 007が洒落たスーツやタキシードに身を包み、美食にこだわっているあいだに、シルヴェスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーやブルース・ウィリスが汗と汚れにまみれたボロボロのヒーローを演じて喝采を浴びるようになった。時流に合わせてリアルなアクションを志向した第16作『007/消されたライセンス』では、007が殺人許可証を剥奪され、ボロボロになりながら孤軍奮闘してみた。滅法面白かったけれど、それがボンド映画なのかという疑問は残った。

 ボンド映画のリニューアルは裏目に出ることが多い気がする。だが、ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンド役に就いた第21作『007/カジノ・ロワイヤル』(2006年)以降は、シリアス路線が功を奏したようだ。
 バットマンもスーパーマンもリブートのたびにシリアスになる御時世だ。荒唐無稽さはファンタジー映画やSF映画に譲り、リアルな社会が舞台の映画はシリアスを極めたほうが観客には受けるのかもしれない。

 それでも荒唐無稽だった頃のボンド映画が好きな人はいる。アニメーション作家のクリス・ルノーとピエール・コフィンは怪盗グルーシリーズで60年代のボンド映画の荒唐無稽さの復活を試み、とうとう『ミニオンズ』では60年代を舞台にしてしまった。
 同様に60年代を舞台にボンド映画の荒唐無稽さを復活させたのが、マシュー・ヴォーン監督の『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』だ。SF映画の枠組みを利用しながら、ヴォーン監督が目指したのは冷戦下のスパイ映画だった。

ポスター A4 パターンE キングスマン 光沢プリント そして『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』の続編『X-MEN:フューチャー&パスト』の監督を断ってまで作り上げたのが、正真正銘のスパイアクション『キングスマン』だ。
 ヴォーン監督はこの作品でファンタジーやSFの衣をまとったりせず、60年代の話だと云い訳もせず、現代を舞台に本気で荒唐無稽なスパイアクションに挑んだ。
 登場するのは懐かしさ溢れるアイテムの数々だ。007シリーズ第2作『007/危機一発』(リバイバル時に『007/ロシアより愛をこめて』に改題)に出てきたのとそっくりな仕込みのある靴。同作の腕時計やブリーフ・ケースに対抗するように、本作では傘や万年筆が武器になる。義足の殺し屋ガゼルとの闘いに、『007/ゴールドフィンガー』に登場した殺人帽子のオッド・ジョブや『007/私を愛したスパイ』の義歯の男ジョーズを思い出す人もいるだろう。

 オマージュを捧げられるのはボンド映画だけではない。
 コリン・ファース演じる主人公はメガネの諜報員ハリー・ハート。メガネの諜報員ハリーといえば、秘密組織キングスマンのリーダー役のマイケル・ケインが『国際諜報局』で演じたハリー・パーマーのことだろう。
 ハリーに見込まれてキングスマン候補生になるゲイリー・"エグジー"・アンウィンの名は、ゲーリー・アンダーソン制作の特撮番組『ロンドン指令X』(原題『The Secret Service』)の主人公アンウィン神父からの借用だ(『キングスマン』の原題が『Kingsman: The Secret Service』でもあるし)。

007/ユア・アイズ・オンリー Extra tracks, Soundtrack, Limited Edition 脚本・監督を務めたマシュー・ヴォーンの意向をスタッフもよく理解している。
 プロダクションデザイナーのポール・カービーは、ロジャー・ムーアが主演した時代のボンド映画を求められたと述べている。
 宣伝スタッフの仕事もいい。スラリと伸びた女性の脚の向こうに主人公の全身が見えるポスターは、『007/ユア・アイズ・オンリー』のポスターのもじりであろう。しかも、ただ美脚が描かれた『007/ユア・アイズ・オンリー』と違い、本作のポスターにはガゼルの義足に仕込まれた殺人剣を強調する効果もある。

 特殊な小道具だけなら2011年の『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』にも登場した。ボンド映画のQほどではないが、ミッション:インポッシブルシリーズのベンジー・ダンは技術担当だ。怪盗グルーシリーズも秘密兵器にこと欠かなかった。
 だが、それでは私には不満だった。007シリーズでも、とりわけ『007は二度死ぬ』が好きな私には荒唐無稽さが足りなかった。だから本作の、飛行機が山の中に呑まれるシーンに感激した。
 山の中の秘密基地!悪の戦闘員たち!そうそう、コレなのだ。秘密兵器だけじゃダメなのだ。最後は秘密基地に乗り込んで、激しい戦闘を繰り広げなくては。海中とか宇宙とか秘密基地にもいろいろあるが、ロマンをかき立てられるのはやっぱり山だ。山の中をくり抜いた基地こそ悪役に相応しい。
 荒唐無稽さの絶妙なさじ加減に、私は感服つかまつった。


 さて、本作は痛快なスパイアクションなだけでなく、もう一つ骨太のテーマに貫かれている。
 「紳士」というテーマだ。
 007シリーズの原作者イアン・フレミングが、ジェームズ・ボンドに名優デヴィッド・ニーヴンをイメージしていたのは有名だ。『八十日間世界一周』の裕福な英国紳士役や『ピンクの豹』の泥棒紳士サー・チャールズ・リットン役で知られるデヴィッド・ニーヴンは、スマートで物腰の柔らかな、上流階級然とした人物だ(実際に彼は裕福な家に生まれ、英国王室をはじめ各国の王侯貴族が教育を受けるサンドハースト王立陸軍士官学校の出である)。イアン・フレミングはジェームズ・ボンドを紳士として考えていたのだろう。
 なのに初代ジェームズ・ボンドに起用されたのは、毛むくじゃらで目つきが鋭く獰猛そうなツラ構えの大男ショーン・コネリーだった。トラック運転手の父と掃除婦の母のあいだに生まれ、生協の牛乳配達をしていたショーン・コネリーは、およそデヴィッド・ニーヴンとは対極のイメージだ。

 本作の公式サイトは、ショーン・コネリーが007に起用されたエピソードが本作のきっかけだったと明かしている。
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 (本作の原作者)ミラーはある新聞記事について、ヴォーンに話した。その記事は、ジェームズ・ボンド映画の第1作『007/ドクター・ノオ』を監督したテレンス・ヤング監督が007の原作者であるイアン・フレミングの反対を押し切って、どうやってショーン・コネリーを起用したかを取り上げたものだった。
 フレミングが考えていたボンド役は、ジェームズ・メイソンやデヴィッド・ニーヴンのようなタイプだった。ミラーが言う。「ヤング監督は、エジンバラ出身のコネリーを紳士に仕立てなければならないことに気づき、撮影を始める前に、コネリーを自分が通っている紳士服の店やひいきにしているレストランへ連れて行き、食事の作法から、話し方、紳士的なスパイとしての着こなしまで徹底的に教え込んだんだ。」この話がきっかけとなって、『キングスマン』を製作する話は始まった
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 かつてマシュー・ヴォーン監督は、労働者階級のチンピラがどうして洗練されたスパイになったのかという物語をやりたくて『007』の企画を出したが、コンペで落ちてしまったという。『キングスマン』はヴォーン監督の復讐戦なのだと町山智浩氏は解説する。

 もちろん、仕立ての良い服を着て、レストランで作法に気をつければ紳士なわけではない。マシュー・ヴォーン監督は「紳士とは何か」を掘り下げなければならなかった。
 マシュー・ヴォーンはマンガ家マーク・ミラーを説得して『キングスマン』の舞台を米国から英国に変えさせ、コリン・ファースには三代目ジェームズ・ボンドとして七本ものボンド映画に出演したロジャー・ムーアよりもデヴィッド・ニーヴンを意識して役作りするように伝えた。デヴィッド・ニーヴンは本家007シリーズには起用されなかったものの、他社が作ったパロディ映画『007/カジノ・ロワイヤル』(1967年)にキャスティングされ、ナイトの称号を持つサー・ジェームズ・ボンドを演じている。この映画は無茶苦茶なコメディだが、紳士ジェームズ・ボンドとしては正しいイメージを表しているのかもしれない。

 マシュー・ヴォーンの考える紳士とは、単に上流階級や金持ちの家に生まれてなるものではない。高等教育を受ければよいわけでもない。
 それどころか本作は上流階級に極めて手厳しい。本作は、広い意味での上流階級が庶民の犠牲の上に理想の世界を作ろうとする話だ。だから上流階級はみんな敵だ。そこには金持ちや大物政治家や政府高官や大学教授や各界の名士が含まれている。本作はアメリカ映画ではなく、今なお身分制度が残るイギリスの映画だから、なおのこと上流階級への皮肉は辛辣だ。

 同時に労働者階級にも辛辣である。庶民のゲイリー・"エグジー"・アンウィンもその継父も取り巻き連中も、みんな粗野な荒くれ者に描かれる。継父の取り巻きたちは紳士のハリーによって容赦なくやっつけられてしまう。

 一方で"自由の国アメリカ"も厳しく批判する。アメリカ映画の悪役は英国風のアクセントで話すことが多い(つまり英国人)そうだが、本作の悪役――短絡的な発想を金の力で実現しようとするリッチモンド・ヴァレンタインは戯画化された米国人だ。
 金持ちばかりではない。本作はケンタッキーの教会に集まる偏狭な民衆の醜さをあらわにし、劇中で皆殺しにしてしまう。
 批判の矛先は四方八方、全方位的なのだ。

Kingsman: The Secret Service CD, Import この展開を目にして、私は反知性主義のことを考えていた。
 反知性主義(Anti-intellectualism)とは米国の歴史家リチャード・ホフスタッターが名付けたもので、既存の権威に立ち向かう思想のことだ。山形浩生氏は反知性主義をこんな風に説明する。
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大学いって勉強した博士様や学士様がえらいわけじゃない、いやむしろ、そういう人たちは象牙の塔に閉じこもり、現実との接点を失った空理空論にはしり、それなのに下々の連中を見下す。でもそんなのには価値はない。一般の人々にだって、いやかれらのほうがずっと知恵を持っている、という考え方だ。
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 金持ちや政治家を悪者扱いする映画は多い。
 だが、普通に大学で教鞭を執る教授をその一味とするのは珍しい。加えて、労働者階級から唯一キングスマン候補になったエグジーをバカにするのは名門大学卒のエリートたちだ。学業や知識でエグジーを圧倒する彼らは、しかし候補生に課された試練を乗り越えられずに次々脱落していく。まさに、下々の連中を見下す博士様や学士様がえらいわけじゃない、という映画なのだ。

 その点で、日本映画にはエグジーに先行するヒーローがいる。『男はつらいよ』シリーズの主人公、車寅次郎だ。寅さんは相手の男が医師や大学教授と判ると「てめえ、さしずめインテリだな!」と反発する。そして知識と教養を身につけたはずのインテリは、しばしば無学な寅さんに諭されたり元気づけられたりするのだ。

 かといって、反知性主義を肯定しよう、とはならないのが『キングスマン』のイカすところだ。
 反知性主義が強まり過ぎれば、営々と築かれた英知が否定され、衆愚に堕してしまいかねない。
 本作でうさん臭い牧師の説教を鵜呑みにして熱狂する民衆は、その悪しき例だろう。マシュー・ヴォーン監督は反知性主義の問題点も突いている。

 ここらへんの判りにくさは、日本語の問題もあるように思う。
 「知性」を英語で表現すれば「intellect」だが、知性の優れた人を表す「intellectual」の日本語訳は「知識人」になってしまう。でも「知識人」という言葉は、知性の優れた人ばかりでなく、豊富な知識を持つ人も指すように感じられる。
 知性に類する言葉を慎重に区別するのが田坂広志氏だ。
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「知識」という言葉も、「知性」という言葉と混同して使われることが多い言葉ですが、世の中には、多くの「書物」を読み、該博な「知識」を身につけた人物を、「知性」を身につけた人間と思い込む傾向があります。
しかし、実は、どれほど該博な「知識」を身につけても、それが「知性」を身につけたことを意味するわけではないのですね。
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 そして田坂氏は、「知性」の本質は「知識」ではなく「智恵」である、と説明する。

 18世紀の米国では、牧師連合会が「ハーバードかイェールを卒業した者でなければ、教会では説教させない」と定めたことに対して、「あなたがたには学問はあるかもしれないが、信仰は教育のあるなしに左右されない」と云い返すのが反知性主義の決めゼリフだったという。これはアンチ「知性」なのかアンチ「知識」なのか。

 ちなみに当ブログでは、特に必要がない限り、引用に際して発言者の肩書を書かないことにしている。たとえば田坂広志氏のことを「多摩大学大学院の田坂教授」とか「元内閣官房参与の田坂氏」と記述すれば引用文を権威づけられるかもしれない。しかし、そこに権威を感じて欲しくないのだ(肩書はリンク先を見れば判ることだし)。

 それはさておき、人はどうすれば紳士になれるのだろうか。
 キングスマン候補生になったエグジーに、先輩キングスマンのハリーは云う。「まず第一に我々は紳士だ。」
 エグジーはあわてて否定する。「僕はただの庶民だよ。」
 「ナンセンス。紳士であることは生まれとは関係ない。紳士とは学ぶものなのだ。」
 「どうやって?」
 「よろしい、最初のレッスンだ。君は椅子に座る前に許可を求めるべきだった。第二のレッスンは、きちんとしたマティーニの作り方だ。」
 こうしてエグジーは、あたかもショーン・コネリーがテレンス・ヤング監督の馴染みの店に連れて行かれたように、ハリーから紳士の教育を受ける。

【チラシ付き、映画パンフレット】キングスマン Kingsman: The Secret Service 劇中で何度も口にされるのが、「マナーが紳士を作る」という標語だ。
 これは英国の名門パブリックスクール、ウィンチェスター・カレッジのモットーである。日本での公開に当たり、「manners maketh man」の「man」を「紳士」と訳しているが、主人公が女性ならば「淑女」になるところだろう(ウィンチェスター・カレッジは男子校だけれど)。
 反知性主義の匂いのある本作だが、教育を軽んじるわけではない。権威づいたり、無学な者を見下すことを諌めているのであって、学びの重要性は強調している。「学ぶ」と「真似る」の語源が同じであることを考えれば、エグジーがハリーを真似るのは理にかなった行為といえるだろう。


 そして本作は、ありとあらゆる問題を飲み込んで、暴力の饗宴へと昇華する。
 ヴォーン監督の『キック・アス』を上回る盛大な暴力シーンが現れるが、ここで荒唐無稽なタッチが効いてくる。人体が切断されようと、頭が吹っ飛ばされようと、ほとんど血が流れないのだ。リアリズムを追及した作品ではないから、グロテスクなシーンですら美しく滑稽に描かれる。ここから感じられるのは、暴力の心地好さだ。

 米倉一哉氏は、グロテスクな漫画や映画を観賞するのは社会の平和にとって「いいこと」だと述べている。誰もが心に抱える「グロテスクなことや危険なことへの関心・興味」や「周囲への攻撃性」を、実生活で爆発させる前に昇華させたり発散させたりできるからだ。
 マシュー・ヴォーン監督の愉快で楽しい暴力シーンは、まさに攻撃性の発散に打ってつけだ。

 さらにヴォーン監督は、自分がグロテスクなことへの関心や周囲への攻撃性に呑みこまれておらず、メタな立場から俯瞰していることを「これは映画じゃない」というセリフで表明する。荒唐無稽な展開も、溢れる暴力も、映画だからいいじゃないかと云い訳せず、現実とのかかわりの中に位置づける。そんな覚悟が感じられるセリフだ。


 ところで、劇中、計画に支障を来したリッチモンド・ヴァレンタインは、「"E"か、こちらは"V"だ」と電話して、スペースX社のCEOイーロン・マスク(Elon Musk)に助けを求める
 映画『アイアンマン』の主人公のモデルといわれる天才発明家イーロン・マスクに敬意を表しているのだが、ヴァレンタインと仲が良いということは、この実在の人物もマイクロチップを埋め込んでいたのだろうか。


KINGSMAN / キングスマン ブルーレイ プレミアム・エディション(初回限定版) [Blu-ray]キングスマン』  [か行]
監督・制作・脚本/マシュー・ヴォーン  脚本/ジェーン・ゴールドマン
出演/コリン・ファース マイケル・ケイン タロン・エガートン マーク・ストロング ソフィア・ブテラ サミュエル・L・ジャクソン ソフィー・クックソン マーク・ハミル ハンナ・アルストロム
日本公開/2015年9月11日
ジャンル/[アクション]
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【theme : アクション映画
【genre : 映画

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