『怪盗グルーのミニオン大脱走』 楽しく暮らそう
![怪盗グルーのミニオン大脱走 ブルーレイ+DVDセット [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/711kcD29ZOL._SL160_.jpg)
前二作、いや番外編の『ミニオンズ』も入れれば過去三作を通して、このシリーズには一貫したものがあった。それが、こうも大きく変えられるとは思わなかった。
過去の怪盗グルーシリーズに共通していたのは、1960年代の文化への愛とこだわりだ。第一作『怪盗グルーの月泥棒 3D』は、ハゲの怪盗が登場する時点でアンドレ・ユヌベル監督の60年代の快作、怪盗ファントマシリーズを彷彿とさせた。第二作『怪盗グルーのミニオン危機一発』は、60年代にはじまった007シリーズのようなスパイ・アクションだったし、『ミニオンズ』に至っては時代設定を1968年にして、当時の楽曲やテレビ番組の引用をどっさり盛り込んだ賑やかな映画だった。
ところが、シリーズ第三作『怪盗グルーのミニオン大脱走』は、60年代の権化のはずのグルーが、80年代を引きずる悪党バルタザール・ブラットにけちょんけちょんにやられる話だ。
小さい頃は天才子役として持てはやされても、「大人の俳優」に転身するのは難しい。必ずしも本人のせいではないのだが、まだ小さいのに有名人になってしまったために、その後の「転落人生」ばかりが報道される例も多い。と、云われると、ドリュー・バリモアやマコーレー・カルキン等、80年代から90年代初頭にかけて一世を風靡した子役たちのその後の苦労を思い浮かべる人も多いだろう。
80年代に人気子役だったバルタザール・ブラットもそんな一人だ。彼は栄光の80年代が忘れられず、今も80年代風のファッションに身を包み、80年代のヒット曲ばかり聴いている。だから本作はこれまでとはうってかわって、80年代の文化のオンパレードだ。バルタザール・ブラットが登場するたびに、しつこく80年代の曲が鳴り響く。
『ミニオンズ』で見せた60年代への偏愛はどうしたんだ!? と云いたくなってしまうほど、60年代色は後退している。
映画を大ヒットさせるには、幅広い客層にアピールする必要がある。子供向け、若者向けの映画といえど、中高年に受けるポイントも押さえておきたい。子供と一緒に映画館に来た親が満足してくれることもあるだろうし、面白ければ中高年だけでも観に来てくれるかもしれない。なにより中高年は、子供はもとより若者と比べても金を持っているはずだから開拓しない手はない。
かくして2010年代には、80年代あたりを懐かしむ層を意識した映画の公開が相次いだ。日本では『イニシエーション・ラブ』、洋画では『テッド』、『ピクセル』、『アングリーバード』等が80年代の文化を取り上げた。もちろん、本作もその延長線上にある。
1967年生まれのピエール・コフィン監督にとって、60年代の文化はいくら好きと云ってもリアルタイムで経験したものじゃない。一方で、80年代はみずからの青春時代そのものだろう。だから、これまでの作品の60年代の取り上げ方が、敬意と憧れを感じさせたのに対し、本作の80年代の取り上げ方には、気恥ずかしさと自虐が漂っている。悪党バルタザール・ブラットの、今となっては恥ずかしい大きな肩パッドの紫の服や、ところ構わずムーンウォークせずにいられない病的パフォーマンが、それを表している。
が、これがいい!
ネーナの「ロックバルーンは99」やヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」といった80年代のヒット曲は、いま聴いても名曲だし、『ラ・ラ・ランド』(2016年)でジャズピアニストの主人公が生活のために渋々演奏していたa-haの「テイク・オン・ミー」だって、やっぱりいい曲だ。
シリーズも三作目ともなるとマンネリ化が危惧されるが、60年代の雰囲気を謳歌していたところに80年代が殴り込みをかける展開で新味を出すとはおそれいった。
『ミニオンズ』のクライマックスの大怪獣が60年代らしさの象徴なら(たとえば『キングコング対ゴジラ』の米国公開は1963年だ)、本作で大暴れする巨大ロボット[*]は80年代の象徴だ(『UFOロボ グレンダイザー』は、「世界のテレビを変えた50作」のうち1980年を代表する作品に選出された)。
受けて立つグルーとドルーの兄弟が、相変わらず60年代臭さぷんぷんなのもいい。奇妙な仕掛けに溢れたクルマで急行するグルーとドルーは、あたかも1968年の人気アニメ『チキチキマシン猛レース』でゼロゼロマシンを駆るブラック魔王とケンケンだ。

そして映画を反芻してみて、なんて取っ散らかった怪作なのかと実感した。
前作で怪盗稼業から足を洗い、反悪党同盟のエージェントとして活躍していたグルーは、本作ではバルタザール・ブラットを取り逃がした責任を問われ、妻のルーシーともども反悪党同盟から追い出されてしまう。
過去、怪盗グルーシリーズが発表されたのは、民主党のオバマ政権のときだった。けれども、本作の公開に先立つ2016年11月の投票で、共和党のドナルド・トランプが大統領選に勝利し、政権スタッフは刷新された。あたかもこれを反映したかのように、本作では反悪党同盟の局長サイラス・ラムズボトムが、いけ好かないヴァレリー・ダ・ヴィンチへ取って代わられてしまう。ヴァレリー・ダ・ヴィンチは、トランプの選挙対策本部長にして現在の大統領顧問であるケリーアン・コンウェイを模したキャラクターだといわれている。とにもかくにも、理不尽にも失職したグルーとルーシーは、今回は公的機関とは一線を画した立場で事件に当たる。
ところが、バルタザール・ブラットとの対決が映画の中心なのかというと、そうでもない。グルーと双子の兄弟との再会バナシが大きな割合を占めているし、脈絡なくアグネスのユニコーン探しが挿入されるし、ルーシーは親としてどう振る舞うか悩んでいて、ミニオンたちはグルーと袂を分かって放浪している。前二作と同じように愛する者が連れ去られ、それを助けに行く展開はあるものの、誘拐目的の事件ではないから、これまでと違って救出劇がクライマックスにはならない。
個々のエピソードはほとんど交わることなく並行して進んでいき、最後になってようやく一同が顔を合わせる程度だ。どうにも欲張り過ぎて、雑然とした印象である。もっと整理できたはずなのに、これでは話の焦点がはっきりしない。
けれども、本作が微笑ましいのはアグネスら子供たちのエピソードがあるからだし、楽しいのはミニオンたちが相変わらずバカをやっているからだ。角が片方欠けた羊は待ち望んでいたユニコーンではなかったけれど、それでも変わることなく可愛がる顛末は、多様な生き方を肯定するこのシリーズに相応しく感動的だ。
仕事を干されてグレてしまったブラットと、親の遺産を食い潰しながらそんな自分を変えたいドルーと、職がないことに負い目を感じて復職に懸命なグルー。中年男たちが三者三様にあがく姿は、スラップスティックの中にも悲哀を漂わせる。
そして気がつくのだ。こんな風にいろんなことが並行して起きているのが私たちの日常なのだと。職場にしろ家庭にしろ親戚縁者のことにしろ、いつだってこちらの都合に関係なく事件は降りかかってくる。それこそが私たちの暮らしだから、本作が取っ散らかっているのはとうぜんなのだ。
バルタザール・ブラットとの戦いも、ミニオンとの関係も、ドルーとの付き合いも、仕事のことも、子供たちとの暮らしも、様々なことがやがて落ち着くべきところに落ち着いていく。その畳みかけるようなハッピーエンドが、本作のごった煮の楽しさの正体だ。
エンディングは、ピンク・パンサーシリーズのオープニングを思わせる古風なアニメーション。バルタザール・ブラットが退場した後は、また60年代風に逆戻りだ。
やっぱりこれでこそ怪盗グルーだ。
終わり良ければすべて良し、である。
[*] 数々のロボットアニメに敬意を表して「ロボット」と表記したが、本来ロボットとは自動機械のこと。人間が乗り込んで操縦するタイプは、正確には人型の重機と呼ぶべきだろう。
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監督/ピエール・コフィン、カイル・バルダ
出演/スティーヴ・カレル クリステン・ウィグ トレイ・パーカー ミランダ・コスグローヴ スティーヴ・クーガン ジェニー・スレイト ジュリー・アンドリュース
日本語吹替/笑福亭鶴瓶 生瀬勝久 芦田愛菜 中島美嘉 松山ケンイチ 山寺宏一 宮野真守 いとうあさこ 須藤祐実 矢島晶子
日本公開/2017年7月21日
ジャンル/[ファミリー] [コメディ] [ファンタジー] [アドベンチャー]

tag : ピエール・コフィンカイル・バルダスティーヴ・カレルクリステン・ウィグトレイ・パーカー笑福亭鶴瓶生瀬勝久芦田愛菜中島美嘉松山ケンイチ
『怪盗グルーのミニオン危機一発』 すべてを引っくり返すラスト
【ネタバレ注意】
数ある007映画の中でも、特別に好きなのが『007/カジノ・ロワイヤル』だ。
といっても、2006年に公開されたダニエル・クレイグ主演の映画ではない。大勢の007がバカ騒ぎする1967年版の方だ。007のパロディというよりも『電撃フリント』のバカバカしさに近いこの映画は、そのしっちゃかめっちゃかな混乱ぶりや、本家をしのぐ豪華キャストとサイケデリックな雰囲気で、60年代らしい奔放さに溢れている。
とりわけ、バート・バカラックが作曲し、ハーブ・アルパート&ティファナ・ブラスが参加したサントラは名盤中の名盤だ。
その『007/カジノ・ロワイヤル』の敵役はドクター・ノオならぬドクター・ノア。ウディ・アレン演じるドクター・ノアはメガネをかけたうらなりで、コンプレックスの塊だった。
だから『怪盗グルーの月泥棒 3D』には大いに楽しませてもらった。
60年代のスパイ映画を髣髴とさせる珍発明の数々や、鮮やか過ぎる色彩感覚、そして何よりドクター・ノアを思わせる仇敵ベクターとの戦い。ベクターの外見は若い頃のウディ・アレンにそっくりだ。
『怪盗グルーの月泥棒 3D』は、1967年版『007/カジノ・ロワイヤル』のファンにとって、この上なく楽しい作品だった。
それは続編『怪盗グルーのミニオン危機一発』も同様だ。
本作は、引退したグルーに諜報機関が接触し、現場復帰を促すところからはじまる。『007/カジノ・ロワイヤル』が、引退した伝説のスパイ、ジェームズ・ボンド卿にスパイへの復帰を請うところからはじまるのと同じである。
そしてグルーは前作のような泥棒稼業ではなく、正真正銘、諜報機関のエージェントとして活躍する。
本作は本物のスパイアクションとして、前作以上に往年のスパイ映画を踏まえた作りになっている。
グルーの相棒となるエージェント、ルーシー・ワイルドが繰り出すのは、ダニエル・クレイグの現代的007シリーズではお目にかかれなくなった秘密兵器だ。ルーシーの愛車が海に飛び込んで潜水艇に変形するのは、懐かしい『007/私を愛したスパイ』(1977年)のロータス・エスプリそのものである。さらにクルマが空を飛ぶのは、『ファントマ/電光石火』(1965年)だろうか。
配給の東宝東和もスパイ映画を意識しているのだろう。『怪盗グルーのミニオン危機一発』という邦題がそのことをよく表している。
「危機一発」という言葉は、007シリーズを配給していた日本ユナイト映画の宣伝総支配人であり、映画評論家としても活躍した水野晴郎氏が考案したという。髪の毛一本の際どい状況を表す「危機一髪」と、銃を構えたジェームズ・ボンドの「一発」をかけたもので、007シリーズ二作目の公開時に『007/危機一発』として使われた(リバイバル時に『007/ロシアより愛をこめて』に改題)。
本作の邦題が「危機一髪」ではなく『ミニオン危機一*発*』なのは、初期007シリーズのようなスパイアクションであることの表明だ。
けれども、原題はあくまで『Despicable Me 2』。日本語にすれば「見下げはてた私 2」だ。
前作が子供たちとの楽しいドタバタの裏にあるダメ人間グルーの心情を綴っていたように、本作も中年男グルーのダメっぷりを暴いている。
前作のグルーは親子関係に悩み、悪事を働くことでしか自分をアピールできない哀しい男だった。すったもんだの末、親や孤児たちとの関係を構築できたグルーが、本作で頭を悩ますのは異性関係である。
いい歳こいて独り者のグルーに、女性を紹介しようとする人が現れる。
けれど、これがグルーには大迷惑。グルーには深い深いトラウマがあり、女性と付き合うのが苦手なのだ。
このエピソードが泣かせる。幼稚園時代、グルーがちょっと女の子に触れただけで、「グルー菌だ~!」と大騒ぎしてみんな逃げてしまったのだ。
こういう穢れを嫌うかのような行為は日本にも色濃く存在し、社会を歪めているが、グルーもまたそんな行為の被害者だったのだ。
だから、子供や同僚のように女性を感じさせない相手ならまだしも、女性とデートなんかした日にはグルーらしくない振る舞いをしてしまう。
しかもグルーは、ハゲを気にしているようだ。
前作の記事でグルーの外見は怪盗ファントマを模したのだろうと書いたように、ハゲの怪盗には先達がいるのだし、近頃はハゲがトップスターの証でもある。
ハゲでも堂々としていれば良いものを、グルーはそうもいかないらしい。
敵役である怪盗エル・マッチョに前作のベクターほどの存在感がないのも、グルーにとっての真の「敵」が女性であり、女性と良好な関係を築くことが本作のゴールだからだろう。
この映画は、様々なコンプレックスや苦手意識を克服しようともがくグルーの身につまされる話なのだ。
ところが!
本作はモテないグルーが女性と良好な関係を築いてメデタシメデタシ、では終わらない。
事件が解決し、グルーの恋も実って大団円。グルーとルーシーを祝福し、オール・フォー・ワンのグラミー賞受賞曲『I Swear』をカバーして歌い出すミニオン(手下)たち。
この場面のミニオンの服装は、なんと銀のタキシードだ。あまりにも時代錯誤なコスチュームで、なんだかヴィレッジ・ピープルが出演した1980年のミュージカル映画『ミュージック・ミュージック』みたいである。この映画、ヴィレッジ・ピープルが歌うナンバーの楽しさもあって私は嫌いじゃないのだが、不名誉極まりない第1回ゴールデンラズベリー賞の最低作品賞を受賞してしまった怪作だ。
なんて思っていたら、本作の締めくくりは『ミュージック・ミュージック』の挿入歌であり、全世界で大ヒットした『Y.M.C.A.』の大合唱ときたもんだ。
しかもインディアンに道路工事人にポリスマンと、ヴィレッジ・ピープルそっくりのコスプレまでして。
日本ではこの曲を西城秀樹さんが『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』の題でカバーして健康的に歌い上げたが、原曲を歌ったヴィレッジ・ピープルはゲイっぽさを売りにしたグループだ。彼らの代表曲『Y.M.C.A.』もゲイ賛歌である。
いやはや、グルーとルーシーの結婚を祝う曲がゲイ賛歌とは、あまりにも倒錯してるのではないだろうか。
そこで、ハタと気付くのである。
そもそも本作の冒頭では、グルーが女装姿を披露していた。
怪盗エル・マッチョは、フレディ・マーキュリーのステージ衣装のように胸元全開のコスチュームだ。男性美を強調したエル・マッチョが、秘密兵器に頼るグルーを揶揄するよりも、女性へのアンチテーゼであることは容易に察しがつく。
エル・マッチョには息子がいるから、彼が女性と結婚している可能性はある。とはいえ、彼に似ても似つかないハンサムな息子が、グルーの娘たちのように養子である可能性は否定できない。
多くの国・地域が同性結婚を認めている現在、異性と良好な関係を築くことだけが幸せであるかのような表現は片手落ちだ。
映画の作り手はそう考えたに違いない。
だから同性愛にも目配りしていることをしっかりアピールし、最後は性別に関係なく『Y.M.C.A.』で踊りまくるのだ。
さて、本シリーズの魅力といえば、何といっても気楽なミニオンたちである。
やることなすこと間が抜けてて、さらわれてもノンビリと誘拐ライフを楽しんでしまう愉快なヤツら。彼らを見てると、なんだか魂が癒される。
どこの国でも、ミニオンを前面に出して宣伝するほどの人気者だ。
そこで、とうぜんのことながらシリーズ第三弾はミニオン中心の映画が予定されている。
その名も『ミニオンズ』!
60年代好きの映画制作者は遂に舞台を60年代に設定し、グルーと出会う前のミニオンたちの活躍を描く。
時の流れのはじめから存在し、そのときどきでもっとも野心的な悪者に仕えてきたミニオンたち。愛すべきバカさから、主人を次々に破滅させた彼らは、新たな主人としてサンドラ・ブロック演じる悪玉スカーレット・オーバーキルに仕えようとする。スカーレットは、発明家である夫のハーブ・オーバーキルとともに世界征服を企んでいたのだ!
――という話だそうで、今からとても楽しみだ。
『怪盗グルーのミニオン危機一発』 [か行]
監督/ピエール・コフィン、クリス・ルノー
出演/スティーヴ・カレル クリステン・ウィグ ラッセル・ブランド ベンジャミン・ブラット スティーヴ・クーガン ミランダ・コスグローヴ
日本語吹替/笑福亭鶴瓶 中井貴一 山寺宏一 芦田愛菜 中島美嘉 宮野真守 須藤祐実 矢島晶子 伊井篤史
日本公開/2013年9月21日
ジャンル/[ファミリー] [コメディ] [ファンタジー] [アドベンチャー]
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数ある007映画の中でも、特別に好きなのが『007/カジノ・ロワイヤル』だ。
といっても、2006年に公開されたダニエル・クレイグ主演の映画ではない。大勢の007がバカ騒ぎする1967年版の方だ。007のパロディというよりも『電撃フリント』のバカバカしさに近いこの映画は、そのしっちゃかめっちゃかな混乱ぶりや、本家をしのぐ豪華キャストとサイケデリックな雰囲気で、60年代らしい奔放さに溢れている。
とりわけ、バート・バカラックが作曲し、ハーブ・アルパート&ティファナ・ブラスが参加したサントラは名盤中の名盤だ。
その『007/カジノ・ロワイヤル』の敵役はドクター・ノオならぬドクター・ノア。ウディ・アレン演じるドクター・ノアはメガネをかけたうらなりで、コンプレックスの塊だった。
だから『怪盗グルーの月泥棒 3D』には大いに楽しませてもらった。
60年代のスパイ映画を髣髴とさせる珍発明の数々や、鮮やか過ぎる色彩感覚、そして何よりドクター・ノアを思わせる仇敵ベクターとの戦い。ベクターの外見は若い頃のウディ・アレンにそっくりだ。
『怪盗グルーの月泥棒 3D』は、1967年版『007/カジノ・ロワイヤル』のファンにとって、この上なく楽しい作品だった。
それは続編『怪盗グルーのミニオン危機一発』も同様だ。
本作は、引退したグルーに諜報機関が接触し、現場復帰を促すところからはじまる。『007/カジノ・ロワイヤル』が、引退した伝説のスパイ、ジェームズ・ボンド卿にスパイへの復帰を請うところからはじまるのと同じである。
そしてグルーは前作のような泥棒稼業ではなく、正真正銘、諜報機関のエージェントとして活躍する。
本作は本物のスパイアクションとして、前作以上に往年のスパイ映画を踏まえた作りになっている。
グルーの相棒となるエージェント、ルーシー・ワイルドが繰り出すのは、ダニエル・クレイグの現代的007シリーズではお目にかかれなくなった秘密兵器だ。ルーシーの愛車が海に飛び込んで潜水艇に変形するのは、懐かしい『007/私を愛したスパイ』(1977年)のロータス・エスプリそのものである。さらにクルマが空を飛ぶのは、『ファントマ/電光石火』(1965年)だろうか。
配給の東宝東和もスパイ映画を意識しているのだろう。『怪盗グルーのミニオン危機一発』という邦題がそのことをよく表している。
「危機一発」という言葉は、007シリーズを配給していた日本ユナイト映画の宣伝総支配人であり、映画評論家としても活躍した水野晴郎氏が考案したという。髪の毛一本の際どい状況を表す「危機一髪」と、銃を構えたジェームズ・ボンドの「一発」をかけたもので、007シリーズ二作目の公開時に『007/危機一発』として使われた(リバイバル時に『007/ロシアより愛をこめて』に改題)。
本作の邦題が「危機一髪」ではなく『ミニオン危機一*発*』なのは、初期007シリーズのようなスパイアクションであることの表明だ。
けれども、原題はあくまで『Despicable Me 2』。日本語にすれば「見下げはてた私 2」だ。
前作が子供たちとの楽しいドタバタの裏にあるダメ人間グルーの心情を綴っていたように、本作も中年男グルーのダメっぷりを暴いている。
前作のグルーは親子関係に悩み、悪事を働くことでしか自分をアピールできない哀しい男だった。すったもんだの末、親や孤児たちとの関係を構築できたグルーが、本作で頭を悩ますのは異性関係である。
いい歳こいて独り者のグルーに、女性を紹介しようとする人が現れる。
けれど、これがグルーには大迷惑。グルーには深い深いトラウマがあり、女性と付き合うのが苦手なのだ。
このエピソードが泣かせる。幼稚園時代、グルーがちょっと女の子に触れただけで、「グルー菌だ~!」と大騒ぎしてみんな逃げてしまったのだ。
こういう穢れを嫌うかのような行為は日本にも色濃く存在し、社会を歪めているが、グルーもまたそんな行為の被害者だったのだ。
だから、子供や同僚のように女性を感じさせない相手ならまだしも、女性とデートなんかした日にはグルーらしくない振る舞いをしてしまう。
しかもグルーは、ハゲを気にしているようだ。
前作の記事でグルーの外見は怪盗ファントマを模したのだろうと書いたように、ハゲの怪盗には先達がいるのだし、近頃はハゲがトップスターの証でもある。
ハゲでも堂々としていれば良いものを、グルーはそうもいかないらしい。
敵役である怪盗エル・マッチョに前作のベクターほどの存在感がないのも、グルーにとっての真の「敵」が女性であり、女性と良好な関係を築くことが本作のゴールだからだろう。
この映画は、様々なコンプレックスや苦手意識を克服しようともがくグルーの身につまされる話なのだ。
ところが!
本作はモテないグルーが女性と良好な関係を築いてメデタシメデタシ、では終わらない。
事件が解決し、グルーの恋も実って大団円。グルーとルーシーを祝福し、オール・フォー・ワンのグラミー賞受賞曲『I Swear』をカバーして歌い出すミニオン(手下)たち。
この場面のミニオンの服装は、なんと銀のタキシードだ。あまりにも時代錯誤なコスチュームで、なんだかヴィレッジ・ピープルが出演した1980年のミュージカル映画『ミュージック・ミュージック』みたいである。この映画、ヴィレッジ・ピープルが歌うナンバーの楽しさもあって私は嫌いじゃないのだが、不名誉極まりない第1回ゴールデンラズベリー賞の最低作品賞を受賞してしまった怪作だ。
なんて思っていたら、本作の締めくくりは『ミュージック・ミュージック』の挿入歌であり、全世界で大ヒットした『Y.M.C.A.』の大合唱ときたもんだ。
しかもインディアンに道路工事人にポリスマンと、ヴィレッジ・ピープルそっくりのコスプレまでして。
日本ではこの曲を西城秀樹さんが『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』の題でカバーして健康的に歌い上げたが、原曲を歌ったヴィレッジ・ピープルはゲイっぽさを売りにしたグループだ。彼らの代表曲『Y.M.C.A.』もゲイ賛歌である。
いやはや、グルーとルーシーの結婚を祝う曲がゲイ賛歌とは、あまりにも倒錯してるのではないだろうか。
そこで、ハタと気付くのである。
そもそも本作の冒頭では、グルーが女装姿を披露していた。
怪盗エル・マッチョは、フレディ・マーキュリーのステージ衣装のように胸元全開のコスチュームだ。男性美を強調したエル・マッチョが、秘密兵器に頼るグルーを揶揄するよりも、女性へのアンチテーゼであることは容易に察しがつく。
エル・マッチョには息子がいるから、彼が女性と結婚している可能性はある。とはいえ、彼に似ても似つかないハンサムな息子が、グルーの娘たちのように養子である可能性は否定できない。
多くの国・地域が同性結婚を認めている現在、異性と良好な関係を築くことだけが幸せであるかのような表現は片手落ちだ。
映画の作り手はそう考えたに違いない。
だから同性愛にも目配りしていることをしっかりアピールし、最後は性別に関係なく『Y.M.C.A.』で踊りまくるのだ。
さて、本シリーズの魅力といえば、何といっても気楽なミニオンたちである。
やることなすこと間が抜けてて、さらわれてもノンビリと誘拐ライフを楽しんでしまう愉快なヤツら。彼らを見てると、なんだか魂が癒される。
どこの国でも、ミニオンを前面に出して宣伝するほどの人気者だ。
そこで、とうぜんのことながらシリーズ第三弾はミニオン中心の映画が予定されている。
その名も『ミニオンズ』!
60年代好きの映画制作者は遂に舞台を60年代に設定し、グルーと出会う前のミニオンたちの活躍を描く。
時の流れのはじめから存在し、そのときどきでもっとも野心的な悪者に仕えてきたミニオンたち。愛すべきバカさから、主人を次々に破滅させた彼らは、新たな主人としてサンドラ・ブロック演じる悪玉スカーレット・オーバーキルに仕えようとする。スカーレットは、発明家である夫のハーブ・オーバーキルとともに世界征服を企んでいたのだ!
――という話だそうで、今からとても楽しみだ。
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監督/ピエール・コフィン、クリス・ルノー
出演/スティーヴ・カレル クリステン・ウィグ ラッセル・ブランド ベンジャミン・ブラット スティーヴ・クーガン ミランダ・コスグローヴ
日本語吹替/笑福亭鶴瓶 中井貴一 山寺宏一 芦田愛菜 中島美嘉 宮野真守 須藤祐実 矢島晶子 伊井篤史
日本公開/2013年9月21日
ジャンル/[ファミリー] [コメディ] [ファンタジー] [アドベンチャー]


tag : ピエール・コフィンクリス・ルノースティーヴ・カレルクリステン・ウィグラッセル・ブランド笑福亭鶴瓶中井貴一山寺宏一芦田愛菜中島美嘉
『怪盗グルーの月泥棒 3D』 辛辣な悪の正体とは?
原題は『Despicable Me』。「見下げはてた私」とでも訳そうか。
この原題が、『怪盗グルーの月泥棒 3D』のテーマを物語っている。
主人公グルーは、世界一の悪党を自負している。いや、目指している。
世界中からさまざまなものを盗み、人に迷惑をかけ、子供を泣かす。
本作は、そんな彼が本当に大事なものに気付き、これまでの自分を改め、更生していく物語である。
このグルーとは何者か?
外見こそ、かつてジャン・マレーが演じた怪盗ファントマを模したような姿だが、その正体は、グルーが訪ねる銀行の名前を見れば明らかだろう。
悪事を働くには資金がいる。そのためグルーは銀行からの投資に頼っている。一般人は知らない秘密の銀行、その名も"Bank of Evil"(悪の銀行)だ。その入り口には、"Formerly Lehman Brothers"(以前はリーマン・ブラザーズ)と書き添えられている。
いやはや辛辣である。いくら倒産したとはいえ、リーマン・ブラザーズは2008年まで実在した投資銀行だ。
それが、地下に潜って悪党への資金提供を続けているという設定なのだから、映画の作り手は、よほどウォール街の強欲ぶりに怒っているのだろう。
そういえば、2009年の『スペル』は、銀行の融資担当者を懲らしめる映画だった。2010年には『ウォール街』の続編が公開され、再び投資家を取り上げる(日本公開は2011年)。
どうやら米国では、投資と融資の区別もなく、金融関係者は悪者扱いのようである。
こうして見れば、グルーの正体はお判りだろう。
グルーとは、リーマン・ブラザーズ等から資金提供を受けて、他人の金品を巻き上げてきた事業家たちを表しているのだ。
もちろん、投資も事業も本来は「悪」ではない。必要とされるからこそ、世の中に存在する。
しかし、『怪盗グルーの月泥棒 3D』が全米大ヒットを記録していることからすると、単なる投資家・事業家へのルサンチマンを超えて、本作のメッセージに共感する人々が多いのだろう。
ただし、グルーだってもとから悪党だったわけではない。
最近の米国映画に漏れず、本作でもグルーが悪党になった理由が明かされる。
それは母親の無関心だ。
グルーが何をしても、母親は褒めるどころか関心すら払わない。そのためグルーの行為は徐々にエスカレートしていった。
そしていまや、グルーは世界一の悪党であることによってのみ母親に自分の存在をアピールできる。世界一の悪党の座にいなければ、また母親は無関心になってしまう。
それこそグルーが悪事を働く動機なのだ。
グルーのライバル・ベクターとて同じである。彼が悪事を働くのも、父親に褒めてもらうためだ。
対して、グルーが出会った孤児たちは、あれして欲しい、これして欲しいとグルーにねだる。
グルーもかつては、ねだったはずのことである。もはやすっかり忘れて、孤児たちを迷惑がるグルーだが、何もねだらず、いたずらもせずに大人になった人などいるはずがない。
グルーが、しぶしぶ子供の相手をする中で見つけるもの、それはグルーと母親との関係において取り戻すべきものでもある。
決して投資家や事業家が「悪」だったわけではない。
それが証拠に、本作では金融機関も投資のシステムも変わりはしない。
ただ、大人が大事なことに気づくだけである。
『怪盗グルーの月泥棒 3D』 [か行]
監督/クリス・ルノー、ピエール・コフィン
出演/スティーヴ・カレル ジェイソン・シーゲル ラッセル・ブランド ジュリー・アンドリュース
日本語吹替/笑福亭鶴瓶 山寺宏一 芦田愛菜
日本公開/2010年10月29日
ジャンル/[ファミリー] [コメディ] [ファンタジー]
http://bookmarks.yahoo.co.jp/bookmarklet/showpopup?t='+encodeURIComponent(document.title)+'&u='+encodeURIComponent(location.href)+'&ei=UTF-8','_blank','width=550,height=480,left=100,top=50,scrollbars=1,resizable=1',0);">
この原題が、『怪盗グルーの月泥棒 3D』のテーマを物語っている。
主人公グルーは、世界一の悪党を自負している。いや、目指している。
世界中からさまざまなものを盗み、人に迷惑をかけ、子供を泣かす。
本作は、そんな彼が本当に大事なものに気付き、これまでの自分を改め、更生していく物語である。
このグルーとは何者か?
外見こそ、かつてジャン・マレーが演じた怪盗ファントマを模したような姿だが、その正体は、グルーが訪ねる銀行の名前を見れば明らかだろう。
悪事を働くには資金がいる。そのためグルーは銀行からの投資に頼っている。一般人は知らない秘密の銀行、その名も"Bank of Evil"(悪の銀行)だ。その入り口には、"Formerly Lehman Brothers"(以前はリーマン・ブラザーズ)と書き添えられている。
いやはや辛辣である。いくら倒産したとはいえ、リーマン・ブラザーズは2008年まで実在した投資銀行だ。
それが、地下に潜って悪党への資金提供を続けているという設定なのだから、映画の作り手は、よほどウォール街の強欲ぶりに怒っているのだろう。
そういえば、2009年の『スペル』は、銀行の融資担当者を懲らしめる映画だった。2010年には『ウォール街』の続編が公開され、再び投資家を取り上げる(日本公開は2011年)。
どうやら米国では、投資と融資の区別もなく、金融関係者は悪者扱いのようである。
こうして見れば、グルーの正体はお判りだろう。
グルーとは、リーマン・ブラザーズ等から資金提供を受けて、他人の金品を巻き上げてきた事業家たちを表しているのだ。
もちろん、投資も事業も本来は「悪」ではない。必要とされるからこそ、世の中に存在する。
しかし、『怪盗グルーの月泥棒 3D』が全米大ヒットを記録していることからすると、単なる投資家・事業家へのルサンチマンを超えて、本作のメッセージに共感する人々が多いのだろう。
ただし、グルーだってもとから悪党だったわけではない。
最近の米国映画に漏れず、本作でもグルーが悪党になった理由が明かされる。
それは母親の無関心だ。
グルーが何をしても、母親は褒めるどころか関心すら払わない。そのためグルーの行為は徐々にエスカレートしていった。
そしていまや、グルーは世界一の悪党であることによってのみ母親に自分の存在をアピールできる。世界一の悪党の座にいなければ、また母親は無関心になってしまう。
それこそグルーが悪事を働く動機なのだ。
グルーのライバル・ベクターとて同じである。彼が悪事を働くのも、父親に褒めてもらうためだ。
対して、グルーが出会った孤児たちは、あれして欲しい、これして欲しいとグルーにねだる。
グルーもかつては、ねだったはずのことである。もはやすっかり忘れて、孤児たちを迷惑がるグルーだが、何もねだらず、いたずらもせずに大人になった人などいるはずがない。
グルーが、しぶしぶ子供の相手をする中で見つけるもの、それはグルーと母親との関係において取り戻すべきものでもある。
決して投資家や事業家が「悪」だったわけではない。
それが証拠に、本作では金融機関も投資のシステムも変わりはしない。
ただ、大人が大事なことに気づくだけである。
![怪盗グルーの月泥棒 [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/61VPAmkP3%2BL._SL160_.jpg)
監督/クリス・ルノー、ピエール・コフィン
出演/スティーヴ・カレル ジェイソン・シーゲル ラッセル・ブランド ジュリー・アンドリュース
日本語吹替/笑福亭鶴瓶 山寺宏一 芦田愛菜
日本公開/2010年10月29日
ジャンル/[ファミリー] [コメディ] [ファンタジー]

