『脳内ポイズンベリー』と『インサイド・ヘッド』の違い

脳内ポイズンベリー スペシャル・エディション(Blu-ray2枚組) 【ネタバレ注意】

 興味深い映画が飛び出したものだ。
 というのが、『脳内ポイズンベリー』を観ての率直な感想だ。
 主人公櫻井いちこが遭遇する現実世界の出来事と、いちこの葛藤を表現する脳内世界が交互に描かれる本作は、近日公開予定のアメリカ映画『インサイド・ヘッド』と似ていなくもない。
 だが、作るなら逆だろうと思う。五つの感情、すなわち人間の内にある「喜び」「悲しみ」「怒り」「嫌悪」「恐れ」がそれぞれキャラクターとして動き出す『インサイド・ヘッド』が日本で作られて、『脳内ポイズンベリー』が米国で作られたなら私は何とも思わなかったろう。
 ところが『脳内ポイズンベリー』は日本のマンガを原作に、『僕の生きる道』の佐藤祐市氏が監督した正真正銘日本映画だ。この奥深い設定を日本映画で味わえることに私は驚いた。

 『脳内ポイズンベリー』は三十路を迎えた櫻井いちこの恋物語だ。年下の芸術家・早乙女と年上の編集者・越智という二人の男性に囲まれて、ウジウジ思い悩む櫻井いちこ。危なっかしくて魅力的な早乙女と、頼もしくて安定した越智の組合せは、カナダ映画『テイク・ディス・ワルツ』とまったく同じ。恋愛物の鉄板の設定だ。

 ラブコメ『指輪をはめたい』で弾けたコメディエンヌぶりを発揮した真木よう子さんが、今度は煮え切らない主人公に扮する現実パートは、それはそれで面白い。

 けれども本作を特徴づけているのは、櫻井いちこの脳内パートだ。ここでは「ポジティブ」「ネガティブ」「衝動」「記憶」「理性」が擬人化され、脳内の会議で櫻井いちこがなすべきことを話し合っている。
 人間は37兆個もの細胞の集合体だ。それぞれの細胞が協調しながら仕事をこなし、結果として全体が一つのものであるかのように振る舞っている。だから人間の脳内をたった五つのキャラクターに集約するのは単純化し過ぎのような気もするが、現実問題として37兆人もキャスティングできないから妥当な設定と云えるだろう。

 擬人化されたキャラクターには便宜上名前が付けられている。
 調子がいいことばっかり云ってるポジティブな青年・石橋。
 ネガティブ思考で攻め立てる大人の女性・池田。
 見境なく衝動的な少女・ハトコ。
 記録をつけるばかりで議論に加わらない老紳士・岸。
 理性的な議長とは名ばかりの、優柔不断なメガネ男子・吉田。

 脳内パートは五人の愉快な会話劇であり、老紳士の岸役の浅野和之さん、メガネ男子の吉田役の西島秀俊さんといった絶妙なキャスティングで楽しませてくれる。
 彼らはそれぞれ人間のある一面だけを擬人化したものだから、とうぜんのことながら人間臭くない。役割のハッキリしているゲームキャラクターのようなもので、トータルな人間性の魅力はない。けれど、もちろん観客に嫌われるわけにはいかない。そんな微妙な役どころを、オーバーアクション全開で演じてくれる、さすがの俳優陣だ。

 「2本の映画を撮っている感覚だった」
 公式サイトに佐藤監督と鈴木吉弘プロデューサーのそんな言葉が紹介されているように、まったく雰囲気の違う現実パートと脳内パートでありながら、二つの世界が緊密に絡み合い影響し合う構成はたいへんにユニークだ。
 もっぱらコミカルな応酬が続く脳内パートと、ちょっとほろ苦い恋愛模様の現実パートのバランスも良く、とどめにクリープハイプの切ない主題歌『愛の点滅』まであって、老若男女が楽しめるラブコメであろう。

 とはいえ、本作の魅力はそれだけにとどまらない。
 面白いのは『インサイド・ヘッド』との違いである。『インサイド・ヘッド』も『脳内ポイズンベリー』も人間の脳の活動を五人のキャラクターに代表させる点では同じだ。しかし、『インサイド・ヘッド』の「喜び」「悲しみ」「怒り」「嫌悪」「恐れ」がすべて感情にくくれてしまうのに対して、本作に感情そのもののキャラクターはいない。「ポジティブ」「ネガティブ」「衝動」の会議における力関係で感情が浮き沈みするのだ。

 もっとも重要なのが『インサイド・ヘッド』にはいないキャラクター、「理性」だ。「理性」を象徴するメガネ男子・吉田は、ちっとも役に立たない。あるときは池田の云いなりであり、あるときは石橋の調子に乗せられてしまう。自分の意見なんか少しもない、風見鶏の名ばかり議長。
 この情けない吉田を創造したことに、私は感心した。私たちは「理性」と聞くと、なんだか優れてしっかりしたもののように思いがちだ。しかし実のところ「理性」の正体は薄っぺらで、「ポジティブ」な気持ちや「ネガティブ」な気持ちや「衝動」を押さえることなんてちっともできていない。

 ダニエル・カーネマンが提唱した人間の認知システムに本作のキャラクターを当てはめてみよう。
 カーネマンによれば、人間の認知システムは2段階になっており、直感を担うシステム1と推論を担うシステム2があるという。そのモデルを『ワールド・ウォーZ』の記事でも触れた池田信夫・與那覇潤共著『「日本史」の終わり 変わる世界、変われない日本人』から紹介しよう。

  カーネマンの認知システムの2段階モデル

 システム1は直感的に情報を処理する仕組みであり、脳の一番古い層だという。意識を経由せずに素早く働く思考である。
 対するシステム2は進化の中で比較的最近できたもので、意識的に推論を行ったりする時間のかかる思考だ。システム2は高度な思考ができるけれど、エネルギーを大量に消費して効率が悪い。脳の重さは体重の2%程度だが、基礎代謝の20%も消費するため、私たちはなるべくシステム1でエネルギーを使わずに情報を処理し、意識的に働くシステム2の負荷を小さくしているという。

 本作で云うなら、吉田一人がシステム2だ。彼は推論したり判断したりという高度なことができるけれど、結論を出すのに時間がかかり、とにかく効率が悪い。ポジティブな石橋、ネガティブな池田、衝動的なハトコはシステム1であり、素早く結論を出す。記録係の岸は行動に関与しないから、実質的には員数外だ。
 すなわち、一見すると五人で話し合ってるように思える本作の脳内会議は、その実、たった一人のシステム2が三人のシステム1に突き上げられているのだ。
 これはシステム2の負荷を小さくして、なるべくエネルギーを使わずにシステム1で情報を処理する認知システムそのままだ。吉田が風見鶏を決め込み、多数派のシステム1に従っている方が脳のエネルギー消費を抑えられるのだ。

 本作の脳内会議は、まさに18世紀の哲学者デイヴィッド・ヒュームの言葉「理性は感情の奴隷である」を体現している。
 しかも本作では、会議が紛糾して結論が出なくなると、脳の最深部から最強の感情「本能」が顔を出して理性をブッ飛ばしてしまう。そのとおり。私たちは酔っぱらったり激昂したりすると、同じことを体験する。

 これだけでも人間心理を視覚化した試みとして本作は注目に値するが、さらに興味深いのが本作のたどり着く結論だ。感情に振り回される理性を描いてきた本作は、最後の最後に理性が感情を理屈で説得するという予想外の展開を見せる。理性が感情に打ち克ち、論理的に出した答えをみずから肯定することで、本作は理性こそ上位にあるべきと宣言するのだ。

 この結論は日本映画ではなかなか見られないものだと思う。
 システム2的な理性が、直感で動くシステム1をコントロールすべきという考え方は、どちらかといえば西洋のものだ。多くの欧米の映画では、直感的に突っ走るのを踏みとどまり、理性的に振る舞おうとする葛藤が見どころになる。
 一方、『蜩ノ記(ひぐらしのき)』の主人公が「自然のままに、武士本来の生き方をしたい」と語るように、東洋ではシステム2的に合理主義をごちゃごちゃこねまわすよりも、自分の本心をストレートに発揮させるのが本来の生き方だとされてきた。小理屈のうまいインテリ連中よりも、無知蒙昧だが質朴な「愚夫愚婦」の言動こそを尺度にすべきと云われたのだ。

 だから本作は、日本ではあまり共感を呼ばないかもしれない。
 とりわけ理性が感情を屈服させてたどり着いた結論は、必ずしも心に響く(システム1レベルで共鳴する)ものではなく、頭でっかちな理屈と思われるかもしれない。
 でも、それでいいのだ。それこそが理性が下した結論である証拠なのだから。本作はシステム1に流される生き方よりも、葛藤してでもシステム2で考えることに価値があると、価値を見出すべきと述べているのだから。

               

愛の点滅 蛇足ながら――

 苦い味わいの恋愛ドラマ『テイク・ディス・ワルツ』と同様に、本作も恋愛物としては辛辣だ。
 真木よう子さんのおっとりした演技がユーモラスではあるものの、『テイク・ディス・ワルツ』が安定した夫と若い芸術家のあいだで揺れ動く女性の話であったように、本作の櫻井いちこも若い芸術家と関係を結びながら精神的にも経済的にも安定している編集者と天秤にかけている。

 女性が複数の男性と関係を持とうとする(平たく云えば浮気する)理由は、『テイク・ディス・ワルツ』の記事でも紹介したスティーブン・ピンカーの次の言葉に要約されよう。
 「遺伝子はもっとも質の高い男から得て、投資は夫から得るという場合もあるだろう。一人の男性が両方を兼ね備えている可能性はあまりないからだ」

 生物はみな繁殖すべく活動しており、人間も例外ではない。
 女性が男性に求めるのは、健康な子供を産むための適切な遺伝子と、妊娠・出産中の自分を飢えさせない生活力だ。
 飢えさせない力の有無は、はた目にも判りやすい。太古の昔なら頑健な肉体の持ち主が有利であろうし、現在では羽振りの良さが経済力を示している。だから櫻井いちこは編集者を選べば間違いなく飢えずに済む。
 だが、編集者の彼が適切な遺伝子の持ち主とは限らない。体格が良く、健康そうな男性の遺伝子を得れば丈夫な子を授かるかもしれないが、こればっかりは見た目だけでは判らない。

 そのため、女性は男性にはない特殊な能力を持っている。嗅覚だ。女性は男性の体臭からHLA(ヒト白血球抗原)遺伝子の型を識別し、生殖相手に相応しいか否かを(文字どおり)嗅ぎ分けられるという。
 HLAは免疫反応に関わっているから、母親になる女性と父親になる男性は異なる型が望ましいはずだ。母と父から異なる型を受け継いだ子供は、母の免疫力に父の免疫力が加わって生き延びる可能性が高まるからだ。母と父のHLAが同じ型だと、母が罹る病気には父も罹り、子供も罹ってしまうかもしれない。最悪の場合は一家全滅だ。このような事態を防ぐため、女性は自分とは異なる型のHLA遺伝子の持ち主を嗅ぎ分けられるのだと考えられている。

 女性は伝統的に「選ばれる性」だと云われることがあるけれど、女性だけが嗅ぎ分ける能力を身に付けたということは、進化の過程の大部分においては女性が選ぶ側だったのだろう。
 男性にこの能力が発達しなかったのはとうぜんだ。妊娠・出産はそう何度もできないから女性は生殖相手を厳選したいだろうが、男性は手当たり次第に女性と生殖行為をした方が自分の子孫を残すのに有利なので、相手を選ぶ必要がない。

 本作が描くのも、煎じ詰めれば櫻井いちこという女性の男性の選び方だ。
 若い芸術家・早乙女に出会った櫻井いちこが、早乙女をよく知りもしないのにときめいてしまうのは、早乙女の遺伝子を嗅ぎ分けたからかもしれない。「衝動」を擬人化したハトコが早乙女に会うたびに「ときめくときめく」と騒ぐのも、嗅覚からもたらされた信号にストレートに反応したからだろう。
 たとえ映画を観に来た女性客の目に早乙女が魅力的に映らなくても問題ではない。早乙女の遺伝子の型がいちこと異なることが大事なのだ。年上の編集者・越智にときめかないのは、越智の遺伝子の型がいちこに近くて、免疫の多様性を得られないからに違いない。
 とはいえ繁殖するには適切な遺伝子と生活力のどちらも必要。なのに一人の男性が両方を兼ね備えている可能性はあまりない。だから、どちらを選ぶかが恋愛物の見どころになる。

 判断に困ると顔を出す「本能」が迷わず早乙女を選ぶのは、まずは適切な遺伝子を手に入れなければ繁殖できないからだろう。
 生殖行為を済ませたら、次に気になるのは巣作りだ。安心して子供を産み育てられる場が必要になる。
 いちこは思い悩んでるようでいて、繁殖行動として見れば極めて判りやすい優先順位で動いている。早乙女に向かうのも越智に向かうのも、理性はあまり関係ないのだ。

 繁殖を第一に考えるなら、早乙女の子を宿してから越智の許に転がり込むとか、越智と結婚して生活を安定させてから早乙女と浮気すれば良かったかもしれない。
 けれども、いちこはそこまで突っ走りはしない。
 最後の最後に理性的判断に軍配を上げる。そこが本作の眼目だから。


脳内ポイズンベリー スペシャル・エディション(Blu-ray2枚組)脳内ポイズンベリー』  [な行]
監督/佐藤祐市
出演/真木よう子 西島秀俊 古川雄輝 成河 吉田羊 神木隆之介 浅野和之 桜田ひより 野波麻帆 岡本玲
日本公開/2015年5月9日
ジャンル/[コメディ] [ロマンス]
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【genre : 映画

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