『トワイライト ささらさや』 なぜミニチュアみたいな映像なの?
![トワイライト ささらさや 2枚組(本編+特典ディスクDVD) [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51xp3FalkWL._SL160_.jpg)
たしかに『A Guy Named Joe』やそのリメイク作『オールウェイズ』、そして『ゴースト/ニューヨークの幻』など、同様の映画はすぐに思い浮かぶ。
だが『トワイライト ささらさや』の特徴として、残された女性の成長が描かれるだけでなく、死んだ男性の成長も描かれることが挙げられるだろう。
死んでしまった人間に今さら成長もないものだが、本作は生きてるときには気付けなかった他者の思いに遅まきながら気が付いていく物語である。
死んだ人はもうこの世にはいない。そばにいるように感じるのは生きてる者の錯覚だ。
だから本作のドラマの中心は生きている女性の方なのだが、死んだ人間も大いに存在感を示している。
観客はそこに違和感を覚えたりしないだろう。
それは本作がトワイライト――微妙な状態を扱う映画だからだ。
そもそも『トワイライト ささらさや』という題からは、本作がどのような映画か皆目見当もつかない。
"ささらさや"とは原作の『ささら さや』を持ってきたもので、物語を追っていけば"ささら町"に暮らす"さや"という名の女性を指すことが判るのだが、トワイライトが何を意味するかは劇中では明らかでない。
これが『ALWAYS 三丁目の夕日』に夕焼けの場面をバーンと入れた山崎貴監督だったら、クライマックスを黄昏どきに設定して、「今がトワイライトだ」と観客に判らせたことだろう。

代わりに工夫を凝らしたのが俯瞰図だ。上から見下ろした町のチマチマした光景は、細密で壊れやすいミニチュアのようだ。
公式サイトによれば、これはリモコンのマルチコプターにシフトレンズ付きのカメラを搭載して、上空から撮影したのだという。ささらを不思議な町として表現するためだ。
なるほど、これは題名に『トワイライト』と名付けたのと同じ狙いに違いない。
トワイライトとは薄暮のことだ。昼でもなく夜でもない、薄明かりに包まれた時間である。
大泉洋さん演じる夫は交通事故で死んだにもかかわらず、成仏できずに妻の周りをうろうろしている。妻も夫の存在を感じて、死んでもいなくなったわけじゃないと思っている。
その中途半端な状態、微妙な時間。
それが昼でも夜でもないトワイライトが指すものであり、実景なのにミニチュアのように撮影された映像が表現するものだ。
愛する者は死んだ。さあ今日からは彼/彼女のいない生活だ。
人の気持ちはそんな風には切り替わらない。
つい、まだ相手がいるように感じてしまう。相手がいるように振る舞ってしまう。そこにいるはずだったのにと考えてしまう。そこにいてくれればと思ってしまう。
頭でいくら判っていても、気持ちがついていかないのだ。心の中で生きている、という決まり文句は真実を突いている。
そんな微妙なときを本作は否定するでもなく、乗り越えろと励ますでもなく、ささやかな日々の出来事を丁寧に積み重ねていく。無理をせず、気の済むまでトワイライトに浸ればいいのだ。それはそれで大切なときなのだから。
本作はその微妙なときをトワイライトと表現したが、カタカナ語を持ち出さなくても日本には相応の言葉がある。
パブリックドメインで公開されている次の文を紹介して、本稿を締めくくるとしよう。
永眠
永眠は優しい言葉だと思います
それは永い眠りです
生か死かは、まるで白か黒か、ゼロかイチかに二分するようだけど、永い眠りは曖昧で、どちらともいえません
柔らかな毛の手触りは生きてるときと変わりません
目を閉じた様子は寝顔にしか見えません
今にも胸がゆっくり上下しそうな まぶたがピクリと動きそうな
いつもの眠りとちっとも変りません
フカフカのベッドも、お気に入りのクッションも いつもと何も変わっていません
それを死と呼ぶのは、昨日までの生と違うというのは、あまりにも難しい
だから今は眠りと呼びたいのです
ありがとうと呼びかけたいのです
目覚めることはないけれど、永い永い眠りなのです
![トワイライト ささらさや 2枚組(本編+特典ディスクDVD) [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51xp3FalkWL._SL160_.jpg)
監督/深川栄洋
出演/新垣結衣 大泉洋 富司純子 石橋凌 中村蒼 福島リラ 波乃久里子 藤田弓子 小松政夫 寺田心 つるの剛士
日本公開/2014年11月8日
ジャンル/[ドラマ] [ファンタジー]
