『るろうに剣心 伝説の最期編』 最期を迎える伝説とは?

 【ネタバレ注意】

 アクションシーンになると寝てしまう私にとって、アクション映画は鬼門である。
 それでも好きだから観に行くけれど、登場人物がただ銃を撃ってばかりの映画や、殴り合いが単調に続く映画や、カットが短すぎて何をしているかよく判らない映画だと、とたんに眠くなってしまう。どうせアクションシーンのあいだはストーリーが進まないから、寝ていても問題ないし。

 そんな私が、眠るどころかアクションに目をみはったのが『るろうに剣心 伝説の最期編』だ。
 何よりもそのスピード感に驚く。本作には、両手でしっかり刀を構えて、ドンと踏み込むような動作はない。構える間もなく素早く刀を振り回す、走りながらの剣戟だ。時代劇にありがちな睨み合いすら省略されて、蹴ったり殴ったり転がったり、剣術の発想からは及びもつかない攻撃が一瞬の休みもなく繰り出される。従来の剣劇が日本舞踊だとすれば、本作はまるでブレイクダンスだ。
 刀は剣術の得物というより、『燃えよドラゴン』でブルース・リーが手にしたタバクトヨク(俗にヌンチャクという)に近い。ブルース・リーがタバクトヨクを目にも止まらぬ速さで振り回す、あの快感を本作でも味わえる。

 もちろん、これらは2012年公開のPART1でもやっていた。香港で活躍するアクション監督谷垣健治氏は、ジャッキー・チェンやドニー・イェンらとの仕事で培った技とセンスを活かして、斬新なアクションを構築した。
 だが正直なところ、PART1には興醒めするところがあった。剣戟にワイヤーアクションを取り入れるのは香港・中国映画でお馴染みだが、ワイヤーで吊られて空を飛ぶ侍は現実感に乏しくて、せっかくの迫力が損なわれていると思った。
 ところが、『るろうに剣心 京都大火編』の、そして後編となる『伝説の最期編』の完成度はどうだ。
 アクションのスピードも激しさも独創性も、PART1の十割増しだ。ワイヤーアクションは控えめになり、その使い方は美学に昇華している。

 誤解のないよう書いておくが、私はワイヤーアクションも大好きだ。いくらあっても構わない。
 それなのにPART1で私が興醒めしたのは、主人公たちが危機を打破する奥の手がワイヤーだったからだ。敵と対峙して絶体絶命、この窮地をどう打開するのか関心がピークに達したところで、ワイヤーでパーッと空を飛んで敵を倒してしまうのだ。これではアクション映画で一番大切なはずの現実感――真に迫ってハラハラドキドキする感じ――が損なわれてしまう。
 『伝説の最期編』では、ワイヤーの力で敵を倒したりするようなことは影を潜めた。本作のワイヤーは、いちいち歩くと映画のスピードを削いでしまう場面で展開を早めるためだったり、誇張した構図のアクションを実現するためだったりして、スピード感と迫力を増すことに徹している。

 現実感あるアクション、それはスタッフ・キャストがこだわったことでもあろう。
 エグゼクティブプロデューサーの小岩井宏悦氏は、今回は前作以上にその役者自身がアクションする「ドキュメンタリー性」が増したと力説する。
 その典型は佐藤健さんの壁走りだろう。CGもワイヤーも使わずに、生身の佐藤健さんが壁を駆けて宗次郎(神木隆之介)の攻撃をかわす場面。ワイヤーで吊ったら現実感がブチ壊しになるところだが、佐藤健さんはPART1のときから壁を走る練習をしてきたという。

 今回は物語の起承転結を『京都大火編』と『伝説の最期編』に分けたから、『伝説の最期編』には起も承もなく、迫力いっぱいのアクションが延々続く。
 そのアクションを活かすのが、カメラと編集だ。
 アクション映画では、しばしばカメラを激しく揺らしたり、短いショットを畳みかけることがある。たいしたアクションじゃないときは、そうやってカメラ側、編集側で迫力を演出してやる必要があるのだろう。だが、アクションが本当に凄いときは、そんな必要はない。高畑勲監督が『「ホルス」の映像表現』で説明したように、こま切れの映像では凄いアクションが伝わりにくく、かえって逆効果だ。
 その点、本作のカメラと編集は絶妙だ。動きの速いアクションをしっかりカメラに収め、様々なアングルからその魅力を観客に見せつける。そして編集は、迫力を演出するためというよりも、一瞬のアクションを的確に観客に伝えるために最善のショットを厳選して繋いでいく。
 それでも本作のショットは短くて、目まぐるしく感じられるが、よく見ると実は案外短くない。ショットが短いのではなく、カメラが役者と一緒に移動し、向きを変え、アクションにつきっきりで動いているから短く感じられるのだ。激しいアクションを追うために、アクション部が撮影したこともあるという。そうしなければ伝えられないアクションなのだ。


 こうしてアクションの面白さを存分に味わわせてくれる本作だが、剣戟にこだわればこだわるほど浮かび上がるテーマがある。大義がどうあれ、思想がどうあれ、登場人物がやっているのは殺し合いだということだ。
 PART1のときから剣心は殺し合いに苦しんでおり、だからこそ彼は峰と刃が逆向きになった逆刃刀(さかばとう)で戦ってきた。本作では剣心の師匠、比古清十郎らの登場により、そのテーマをさらに真摯に掘り下げる。

 PART1や前作『京都大火編』で剣心が葛藤したのは、命を奪うことの是非だった。
 現在の日本なら、他人の命を奪うのは大罪だ。決して許されることではない。だが時代と場所が違えば、殺人者が英雄視されることもある。9・30事件の頃のインドネシアがそうだったし、幕末の日本もそうだった。前者が虐殺の時代で、後者が英雄の時代だなんて片づけられるものではない。
 本作で内務卿として登場する伊藤博文は、後に初代内閣総理大臣となり、その後さらに三回も内閣総理大臣を務めている。そんな彼とて、幕末には暗殺に手を染めたテロリストだった(自身も暗殺されて世を去ったが)。

 マンガや小説や映画の世界ではなおのこと、ヒーローは己が犠牲を顧みず死地に赴き敵を殺す。殺せば殺すほど人気を博す
 そこに一石を投じたのが『るろうに剣心』だった。PART1及び『京都大火編』では、刃を人に向けない逆刃刀に込めた剣心の想いが描かれた。
 『伝説の最期編』ではさらに踏み込んで、己が犠牲を顧みないことに疑問を呈す。

 時代劇は何世紀も前が舞台だから、作品の世界観や人生観も当時を反映し、伝統を意識したものになりがちだ。
 とはいえ、伝統とは何だろうか。武士道のようにほとんど近代の創作であるにもかかわらず、日本の伝統だと思われているものもある。
 生きるか死ぬかの戦国時代は、戦に勝って生き延びてナンボの世界だった。しかし平和な江戸時代は戦功を上げる機会がないから、赤穂浪士のように忠義を尽くして切腹でもしないと武士の存在意義を示せない。
 そんな時代だから歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』が評判になったのか、それとも『仮名手本忠臣蔵』がそんな時代に拍車をかけたのかはともかく、生きることを「生き恥をさらす」と呼び、潔く死ぬことを良しとする文化が日本には定着してしまった。赤穂浪士の生き残りが死にどきを求める『最後の忠臣蔵』など、その典型であろう。

 その文化は芝居や映画に留まらない。
 会津戦争で白虎隊が自刃したように、樺太の戦いで乙女たちが服毒自殺したように、過去、多くの人が生きるより死ぬことを選んできた。[*]
 今も日本は自殺大国だ。自殺率の高さでは、世界のトップレベルにある。
 幸いにも経済・生活問題に起因する自殺は減っているそうで、全国の自殺者数は4年連続で減少している。にもかかわらず、青少年の自殺は増えている。舞田敏彦氏が作成した次のグラフはショッキングだ。

  自殺率の年齢曲線の変化

 これは厚生労働省『人口動態統計』と総務省『人口推計年報』から舞田敏彦氏が作成された「自殺率の年齢曲線の変化」である。自殺のピークが50代なのは相変わらずだが、前世紀末に比べれば中高年の自殺は減っている。一方で、10代後半から20代にかけての増加はどうだ。他国に比べても日本の15~24歳の自殺率は突出して上昇している。
 若者の自殺の原因は就職活動にあるといわれる。就職できても、最近は若年層の過労死や過労自殺が深刻だという。

 このような状況で、若年層も観る本作のメッセージは重要だ。
 本作がクローズアップするのは剣心の弱点である。それは、己を犠牲にすることだという。
 蒼井優さん演じる高荷恵は云う。他人を生かすだけでなく、自分を生かせと。
 いざとなったら自分は死んでもいい。そんな考えがある限り、剣心は一流の剣客ではないのだ。

 そのメッセージは繰り返し強調される。
 非道を尽くし、殺されてとうぜんと思っている四乃森蒼紫(しのもり あおし)に対し、土屋太鳳さん演じる巻町操(まきまち みさお)は、云い放つ。「あんたには生きてもらうわ。」
 瀬田宗次郎を破った剣心は、どう生きていけば良いのか判らず取り乱す宗次郎に「これからの人生の中で考えろ」と告げる。

 『葉隠』の一節、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」が有名なためだろうか、ときに武士とは生き方よりも死に方を重んじるものであるかのように語られる。それが伝統的で美しい死生観であるかのように。
 だからこそ、武士たちの斬り合いの果てに、道を踏み外した者の命をも尊び、自分自身も生き長らえよと説く本作のメッセージは重い。本作で最期を迎えるのは、武士という伝説なのだ。
 他人を死なせず、自分も死なない。死ぬことが潔いなんて認めない。無様だろうが生き続ける。
 その強烈なメッセージが、本作をいま観るべき映画にしている。


[*] 集団自決するのは日本人だけではない。1930年、大日本帝国に抵抗して追いつめられたセデック族は集団自決した。


るろうに剣心 伝説の最期編 豪華版(本編Blu-ray+特典DVD+特典Blu-ray)(初回生産限定仕様)るろうに剣心 伝説の最期編』  [ら行]
監督・脚本/大友啓史  脚本/藤井清美
出演/佐藤健 武井咲 藤原竜也 神木隆之介 伊勢谷友介 青木崇高 蒼井優 江口洋介 福山雅治 田中泯 土屋太鳳 小澤征悦 高橋メアリージュン 滝藤賢一
日本公開/2014年9月13日
ジャンル/[アクション] [時代劇]
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【theme : アクション映画
【genre : 映画

tag : 大友啓史 佐藤健 武井咲 藤原竜也 神木隆之介 伊勢谷友介 青木崇高 蒼井優 江口洋介 福山雅治

『るろうに剣心 京都大火編』 明治時代にパンクロッカー!?

 私は反対することに反対だ。ときに反対することはあるけれど、多くにおいて推進する人に賛成する。
 何のことかと思われるかもしれないが、要は「○○反対」と叫ぶ人にはあまり共感を覚えないのだ。

 何かに反対する人が、代わりに別のものを推進したい情熱を持っているとは限らない。
 ○○反対などと云わなくても、別のものを推進し、それが人々に喜ばれて○○を凌駕すれば、おのずと○○はなくなるだろう。だから何かに反対する情熱があるのなら別のものを推進する方が有意義だと思うし、そういう人なら応援したいと思うのだが、反対することに熱心な人は意外に多い。
 そして反対している人の話を聞いても、往々にして反対の先に何をしたいのかボンヤリしていてよく判らない。

 そんな光景は昔も今もこれからも見られるだろう。
 だから『るろうに剣心 京都大火編』は新鮮であるとともに普遍的だ。
 本作は明治政府転覆を企む志々雄真実(ししお まこと)一派に主人公緋村剣心(ひむら けんしん)が立ち向かう物語だ。10年前の鳥羽・伏見の戦いでは志々雄も剣心も新政府側だった。幕府の支配に反対し、その治世を改めようとしていた。
 だから幕府を倒して樹立した明治政府はかつての仲間たちなのだが、志々雄は明治政府をも倒そうとする。

 一応劇中では、危険すぎる志々雄が新政府に捨てられ、殺されそうになった過去が語られる。そのため志々雄個人としても明治政府を恨む理由があることになっている。
 だが、政府のやり方に反発し、不平士族を糾合し、政府転覆を謀る志々雄の行動は、明らかに明治初期に頻発した士族反乱のカリカチュアライズだ。
 江藤新平が起こした佐賀の乱を皮切りに、西郷隆盛が大将になった西南戦争まで、維新の十傑とまで称された英雄たちが次々に反乱を起こして死んでいった。西郷隆盛に至っては、木戸孝允、大久保利通と並び、維新の三傑とまで呼ばれた人物だ。志々雄のような冷酷無比なキャラクターとは大違いのはずだ。それでも彼らは反乱を起こした。その行動を志々雄のように誇張されたキャラクターで皮肉るところに、作り手の歴史を見る目が感じられる。

 なぜ、維新の英傑たちはせっかく樹立した政府に対して反乱を起こしたのだろうか。なぜ数万人もの士族たちが同調して戦ったのか。
 それは本稿の手に余る命題なので深くは立ち入らないが、本作の冒頭で内務卿大久保利通が漏らす「古いものを壊すより、新しいものを作る方が苦労する」という言葉に象徴されているだろう。
 古いもの――江戸幕府の世を壊す倒幕運動に参加した人々は、二種類に分けられるのかもしれない。古いものを壊したい人と、新しいものを作ろうとする人だ。古いものが厳然と立ち塞がり、人々の不平不満が溜まっているときは、まずそれを壊さなければならないから両者の行動は一致する。與那覇潤氏は著書『中国化する日本』の中で、倒幕に向けて盛り上がった人々の心情を「パンクロック系の「Deーstroーy!!!」みたいな話」と説明している。

 しかし古いものが壊れた後は、冷静になって新しいものを作る努力が必要だ。
 ところが既存のものをブッ壊すのに盛り上がっていた人に、新しいものを作れるとは限らない。反対運動と推進運動では求められるものが違うのだ。
 與那覇潤氏は明治初期の政府の動きを次のように説明する。
---
いつまでもパンクロッカーに政権運営を委ねていたら国家破綻してしまうので、しだいに岩倉具視や大久保利通や伊藤博文や山縣有朋のような合理主義的マキャベリストが中心になって、成算の立たない跳ね上がり政策の主唱者たちを政府から追放ないし粛清していくわけです
---

 志々雄真実が政府内に残ったとしても、間違いなくこの追放ないし粛清の対象になっただろう。
 もしも政府内に残っていたら何をしたか。
 それは実際に追放された人たちがしようとしていたことから推察できよう。

 明治における追放ないし粛清の代表的なものが明治六年政変だ。
 政策の対立から西郷隆盛、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣、桐野利秋ら多くの人が政府を去った。彼らを追い出したのは岩倉具視や大久保利通らであり、彼らが去ったおかげで山縣有朋や井上馨が復帰できた。
 多くの人が政府を去るほど深刻な対立になったのが征韓論である。倒幕を果たし、開国を実現した明治政府は、鎖国を続ける隣国・李氏朝鮮に国交を申し入れた。けれどもこれを拒絶されたことから、武力行使してでも朝鮮を開国させようとする主張が湧き起った。
 国内で倒す相手を失ったパンクロッカーの「Deーstroーy!!!」という雄叫びは、近隣国に向けられたのである。
 征韓論を主張した人々は政府から追放されたが、西郷隆盛の弟・従道は政府に残り、翌年台湾への出兵を強行する。

 このような背景を考えれば、本作で緋村剣心と切り結ぶ志々雄一派の十本刀の一人、沢下条張(さわげじょう ちょう)が金色に染めた髪を逆立てたパンクロッカーのような風貌なのは、当時の不平士族の心情を視覚化したものとしてまことに正しい。

 本作において剣心は、このような政府内の、いや日本の二つの潮流と無関係ではいられない。
 剣心が志々雄一派と戦うのは、大久保利通と面会し、その意を汲んだからだ。
 すなわち、本作はものごとに反対し、ブッ壊す人々と、破壊の衝動を抑えて、新しいものを築こうとする人々との戦いなのだ。
 ブッ壊した後に志々雄が作ろうとしている世界が、独裁と恐怖政治のスターリニズムもどきなのも皮肉が効いている。
 もちろんそれを正義と悪の戦いなどと単純化してはいない。剣心の仲間に政府を憎む相楽左之助(さがら さのすけ)を配しているように、本作は歴史を一面的に描写しないようバランスを取っている。

 興味深いのは、前作同様、不殺(ころさず)の信念を貫く剣心が非暴力ではないことだ。
 それどころか本作の見どころは剣心のアクションであり、暴力シーンで満載だ。
 このことについて剣心――というよりも作り手が考えを述べる箇所がある。剣心は、捕虜になった志々雄一派に復讐しようとする少年を押さえてこう告げる。志々雄一派のように力を振るって人を従わせるような者になるな、怯えるばかりで何もしない村人のようになるなと。

 剣心のセリフを聞いて、私は宮崎駿氏の主張を思い出した。
 氏は「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」を定めた日本国憲法第9条を維持することの大切さを説く。
 さりとて、軍オタであり戦車や戦闘機が大好きで、戦史戦記に詳しい宮崎氏は、戦力もなしに平和を保てるとは思っていない。
 だから、憲法第9条を保持して対外的には平和国家をアピールしつつ、戦車等の軍備をおろそかにするなと説く。[*]

 剣心の不服従も、必ずしも非暴力によるものではない。
 ただし、手にするのはあくまで逆刃刀(さかばとう)。暴力がエスカレーションしないように、みずから制限を課している。
 不殺の信念にこだわりつつ、いざとなれば力を行使する剣心の姿は、私たちに暴力の是非ではなく、暴力のコントロールについて考えさせる。


[*] 『熱風』2013年7月号 スタジオジブリ

るろうに剣心 京都大火編 通常版 [Blu-ray]るろうに剣心 京都大火編』  [ら行]
監督・脚本/大友啓史  脚本/藤井清美
出演/佐藤健 武井咲 藤原竜也 神木隆之介 伊勢谷友介 青木崇高 蒼井優 江口洋介 田中泯 三浦涼介 土屋太鳳 宮沢和史 高橋メアリージュン
日本公開/2014年8月1日
ジャンル/[アクション] [時代劇]
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tag : 大友啓史 佐藤健 武井咲 藤原竜也 神木隆之介 伊勢谷友介 青木崇高 蒼井優 江口洋介 田中泯

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