『思い出のマーニー』 宮崎駿抜きでジブリは変わる?
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こんなやり方で来るとは思わなかった。
私は宮崎駿ファンである。高畑勲ファンでもある。宮崎駿、高畑勲両氏のかかわった作品なら観たいと思う。制作会社が東映動画だろうがAプロダクションだろうが日本アニメーションだろうがテレコムだろうがオープロダクションだろうが関係ない。
だからスタジオジブリが設立されても、「ジブリ作品」を観たいとか、「ジブリ」の新作に期待するということはなかった。それは単に宮崎駿、高畑勲両氏の近作を手がける制作スタジオに過ぎなかった。
したがって、宮崎駿、高畑勲両氏がかかわらないジブリ初の長編映画『思い出のマーニー』に、特段期待はしていなかった。[*1]
だが、映画がはじまって早々に主人公・杏奈の独白が胸に響いた。
「この世には目に見えない魔法の輪がある。輪には内側と外側があって、私は外側の人間。」
そこから驚きの連続だった。
12才の杏奈は云う。「私は、私が嫌い。」
杏奈は始終思いつめたような顔をして、悪態をつき続ける。
こんな「ジブリ映画」の主人公は見たことなかった。
なるほど、宮崎駿氏がかかわらないとこんな映画ができるのか。それは私にとって発見だった。
宮崎駿氏が描く人物は、みんな魅力的だ。
少年コナンも少女キキも、青年ハウルも幼女ポニョも、お父さんだってお母さんだってお爺さんもお婆さんも、魅力溢れる人がいっぱいで、みんな好きにならずにいられない。
もちろんこれは意図してやっていることだ。
宮崎駿氏は1988年の講演で次のように語っている。[*2]
---
「おまえさんの出す主人公ってのはどうも良い子過ぎる」とか「優等生過ぎる」っていう意見がいっぱいあって、「人間ってもんはそんなもんじゃない」特に女の子がよく言うんですけどね。「女ってのはそんなもんじゃない」。
(略)
「人間の掘り下げが足りない」とか「一人の人間の中にある悪とか愚かな部分というものに目を背けて、肯定的な部分とか善いものだけを出してるんじゃないか」、例えば今度の「となりのトトロ」なんか全くそうです。はっきり意図的にやりました。こういう人達がいてくれたらいいなあ、こういう隣の人がいたらいいなあ、っていうふうに。
(略)
自分が作るものは「そんな女性はいません」とか言われても、それこそ「こういう人がいてくれたらいいな」っていうことでやっていくしかないと思ってるんです。
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宮崎駿氏は四歳のときに宇都宮大空襲に遭い、一家でトラックに乗って燃え盛る町を逃げ回った。
詳しいことは『風立ちぬ』の記事(「『風立ちぬ』 宮崎駿と堀越二郎を繋ぐのは誰だ?」)をお読みいただきたいが、空襲のときに一家だけで逃げ出したことや、「乗せてください」と駆け寄る人がいてもトラックを止めずに置き去りにした記憶は、長じて宮崎駿氏を苦しめた。
空襲でたくさんの人が亡くなる中、四歳児に何ができよう。客観的には氏が苦しむことではないと思うけれど、戦時下に軍需産業で儲ける親の許でぬくぬく育った過去と併せて、この体験は氏の作品づくりに大きく影響した。
駆け寄る人を乗せなかった経験を踏まえて、氏は次のように言葉を続ける。
---
その時に「乗せてくれ」って言ってあげられる子供が出てきたら、たぶんその瞬間に母親も父親もその車を止めるようにしたんじゃないかと思うんです。例えば自分が親で、子供がそう言ったら僕はそうしただろうと思うんです。
(略)
人間っていうのはやっぱり所詮「止めてくれ」って言えないんじゃなくて、言ってくれる子を出すようなアニメーションを作りたいと思うようになったんだ、ってこの年になって思い至ったんです。
(略)
四歳の子供が親に「車を止めてくれ」って言うのは現実感がないかもしれない。でも、そういう事を言ってくれる子供が出たら、「あ、こういう時にはこういう事言っていいんだ」っていうふうに思えたらね、その方がいいんじゃないかなって思うんです。少なくとも僕はそういうことで映画を作るしかない人間だと思ってるんです。
(略)
自分は「こうあってほしい、こうあったらいいな」っていうものを作りたい。「パンダコパンダ」もそうです。それから「となりのトトロ」もそうです。いや、ほとんどみんなそうですね。そういうものをこれからも作っていくしかないだろうと思うんです。
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私が宮崎アニメを好きなのは、みんなが宮崎アニメを好きなのは、「こうあってほしい、こうあったらいいな」という氏の思いに共感するからだろう。パズーを助ける空中海賊のドーラ一家や、クラリスに手を振る埼玉県警の警官隊。彼らを見るたび、「こういう人がいてくれたらいいな」と思わずにはいられない。
宮崎駿氏が子供向けには作らなかった唯一のアニメ『風立ちぬ』を除けば、氏の作品はいずれも「こうあってほしい」と願う理想の世界だ。
それが宮崎アニメの魅力なんだと思う。
そして、それが宮崎アニメの限界なのかもしれない。
「この世には目に見えない魔法の輪がある。輪には内側と外側があって、私は外側の人間。」
「こういう人がいてくれたらいいな」と思われる人間は、みんなに好かれることだろう。誰もが「こうあったらいいな」と憧れる理想像だ。
それは輪の内側の人たちに違いない。
杏奈が独白するように、輪には外側がある。
悪とか愚かじゃなくても、内側に入れない人がいる。
本当に輪があるかどうかの問題ではない。目には見えなくてもそういう輪があるように感じ、自分は外側にいるように感じることがある。
宮崎駿氏が描く理想世界の理想的な人たちは、輪の外側で苦悩することはない。「車を止めてくれ」と云えるような子供を出そうという氏の信念が生み出した世界なんだから、それはそれで素晴らしい。
でも、すでに輪から外れているように感じる人は、その理想世界には入り込めないかもしれない。居心地が悪いかもしれない。
宮崎駿氏が企画したり脚本を書いたりした作品では、すくい取れなかったそんな人の気持ちを取り上げたのが、『思い出のマーニー』だ。
これは宮崎駿氏がかかわる限り生まれなかったであろう作品だ。ここに登場するのは宮崎駿氏が描かなかった人物像だ。
だから私は驚いた。宮崎駿氏の下で映画を作り続けてきたスタジオジブリから、このような作品が生まれるとは思いもしなかった。
きっと物足りないだろうと覚悟していたのだ。宮崎アニメから宮崎氏の才能を抜いたような、宮崎駿モドキになるのではないかと危惧していたのだ。長年ジブリ作品を支持してくれた観客に応えるには、宮崎駿っぽい作品を目指すのが安全であろうから。
ところが米林宏昌監督は、従来の宮崎アニメからこぼれ落ちてたものに目を向けた。
ジョーン・G・ロビンソンの原作は宮崎駿氏も推薦しているそうだから、目に見えない輪の外側にいる子供のことも氏は考えていたのだろう。だが宮崎駿氏は手を出さなかった。手を出せなかった。「この原作は自分では生涯、映画にできない」と宮崎氏は云ったという。
その原作を宮崎駿氏抜きの作品に持ってきて、米林監督に「ぜひこれをやってくれ」と強く推した鈴木敏夫氏の狙いは上手い。おかげで、これまでのジブリ作品にはないタイプの映画が誕生した。
杏奈役の高月彩良(たかつき さら)さんが、自分は杏奈とすごく似ている部分があると云い、マーニー役の有村架純(ありむら かすみ)さんも自分はマーニーに似たところがあると云うほど、本作が描く主人公たちの気持ちには多くの人が思い当たる。
共演した松嶋菜々子さんも「分かるなあ。私も小さい時、こんなことを思ったな」と述べ、黒木瞳さんも「そうだな、自分も子供の頃、自分が嫌いだった時があったな」と思い出したという。
プリシラ・アーンさんが歌う主題歌『Fine On The Outside』の詞にも驚かされる。
小さい頃からずっと 友たちは少ないほう
だから平気でいられるようになったの
ひとりでも ひとりでも
ひとりでも ひとりでも
これからも外側にいたっていいの
…
この曲は何年も前にプリシラさんが自分自身のことを書いたものだという。
にもかかわらず、米林監督が「すごく杏奈の心を表しているかのような曲」と云うほど本作にピッタリだ。
プリシラさんは主題歌のオファーを受けてから原作を読み、かつて作ったこの曲をジブリに提案したという。
本作には、宮崎駿的な世界から飛び出そうという意図が伝わってくる描写もある。
田舎で過ごすことになった杏奈は、そこで知り合った面倒見のいい少女を「ふとっちょブタ」と罵ってしまう。この場面は原作にもあるが、原作では地元の少女の印象が悪く、罵るアンナの気持ちが判らないでもない。だが本作の少女は世話好きな親分肌で、決して悪い人間には描かれていない。繊細さに欠けるかもしれないが、面罵した杏奈ともすぐに仲直りしようとするほど寛大な女の子だ。
それはあたかも空中海賊ドーラの若い頃を見るようで、つまり宮崎アニメに出てきそうなキャラクターなのだ。
それを杏奈は拒絶して、少女と決裂してしまう。
たいして悪くもない少女を、なぜそこまで拒絶するのか。
本作はなぜ原作を離れて、少女を悪くない人間にしたのか。
それは少女と杏奈の居場所が違うことを明確にするためだ。
杏奈が入れないと感じている輪の中に、楽々と入り込んでそれが当たり前だと思っている彼女。入れない人がいるなんて想像したこともないのではないか。そんな人間だから、杏奈は決裂せざるを得なかった。
杏奈の人物像を浮き彫りにして、マーニーという不思議な少女の許に走らせるには、この描写が必要だった。
米林監督はこの場面について「自分が一番苦手な人間に、自分の本性を言い当てられたから、つい酷いことを言ってしまったんだと思うんです」と述べている。
そして米林監督は、宮崎氏が映画に取り組む際の「この1本で世の中変えようと思ってやんなきゃいけない」という言葉を意識してか、次のように語っている。
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僕は宮崎さんのように、この映画一本で世界を変えようなんて思ってはいません。
ただ、『風立ちぬ』『かぐや姫の物語』の両巨匠の後に、
もう一度、子どものためのスタジオジブリ作品を作りたい。
この映画を観に来てくれる「杏奈」や「マーニー」の横に座り、
そっと寄りそうような映画を、僕は作りたいと思っています。
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本作が宮崎駿氏との決別を表しているわけではもちろんない。
宮崎ファンなら、さやかの登場に笑ってしまうことだろう。
杏奈と仲良くなる数少ない人物さやかの外見は、宮崎駿氏にそっくりだ。背が低く、眼鏡をかけたやや四角い顔。まるで宮崎駿氏の自画像にお下げを付けて、スカートをはかせたようだ。
輪の外側にいる杏奈と内側に暮らす人々を取り持つ境界線上の人物が、宮崎駿氏に似ているのは偶然だろうか。
本作は杏奈の成長を通して、魔法の輪の周辺で葛藤していた少女が、そこに輪なんてないことに気付くまでを描く。いや、たとえ輪があったとしても、踏み越えられることに気付くまでを描く。
宮崎駿氏が手を出さなかった世界を描きつつも、宮崎駿氏が描いてきた世界の否定ではない。
過去のジブリ作品の世界を包含して、より広い世界を私たちに見せてくれるのだ。
今日はじめて私は「ジブリ作品」をもっと観たいと思った。
[*1] 『ゲド戦記』に宮崎駿氏がかかわったと云うかどうかは微妙だけれども。
[*2] 「宮崎駿講演採録 アニメーション罷り通る (なごやシネフェスティバル'88にて)」
『キネマ旬報臨時増刊1995年7月16日号 宮崎駿、高畑勲とスタジオジブリのアニメーションたち』所収
![思い出のマーニー [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41rztti-4yL._SL160_.jpg)
監督・脚本/米林宏昌 脚本/丹羽圭子、安藤雅司
出演/高月彩良 有村架純 松嶋菜々子 寺島進 根岸季衣 森山良子 吉行和子 黒木瞳 大泉洋 安田顕 戸次重幸 森崎博之 音尾琢真
日本公開/2014年7月19日
ジャンル/[ファンタジー] [青春] [ファミリー]
