『her/世界でひとつの彼女』 FOMO症候群の私たちへ

 【ネタバレ注意】

 東京ディズニーリゾートを訪れたときのことだ。
 例によってアトラクションは長蛇の列で、数十分にわたり見知らぬ人の後ろをのろのろ歩かねばならなかった。
 私の前には高校生らしい女の子の二人連れがいた。図らずも私は彼女たちの言動を何十分も観察することになった。

 二人にはほとんど会話がなかった。
 一人は手持無沙汰で突っ立っているだけだったが、もう一人はスマートフォンをいじるばかりで相方を顧みもしなかった。LINEか何かのSNSで、メッセージをやりとりしていたのだろう。スマホを持った彼女は、休むことなく文字を打ち込んでいた。
 一緒に遊びに来るほどだから仲が良い二人なのだろうが、ときどき発せられる声はスマホをいじる女の子の笑いくらいで、目の前の友人に向けられたものではなかった。列の先頭に着くまで、二人の会話は聞かれなかった。

 別のアトラクションに並んだときは、私の前に賑やかな女の子の一団がいた。
 ミニーのような赤と黒の服で揃えた四人組は、関西弁でよく喋った。
 センター・オブ・ジ・アースの地底走行車に乗り込んでも喋りどおしで、急降下するときのけたたましさは聞いてる方が笑ってしまうほどだった。
 楽しそうな彼女たちに呑まれて、こちらまでいつも以上に楽しい気持ちになった。

 後者の一団は誰一人としてスマホもケータイも取り出さず、目の前の友人同士のお喋りに夢中だった。
 いまどきはこちらの方が珍しいかもしれない。
 SNSの広がりとスマートフォンの普及により、多くの人がいつでもどこでもスマホをいじるようになった。目の前の人間よりも、小さな機器に表示される文字列が気になって仕方がない。
 日本だけではない。中国では誰も彼もが朝から晩まで中国版LINEとも云うべき微信(ウェイシン)をチェックしており、その激しさは日本の比ではないという。スマートフォン普及率が日本の二倍にもなる韓国では、自動車運転中の「ながらスマホ」による交通事故も多いという。

 このような状態をFOMO(フォーモー)と呼ぶ。
 「fear of missing out」。すなわち「見逃してしまうこと、取り残されてしまうことへの不安」のことだ。
 先行してSNSが普及した米国では、パーティー会場へのスマホ持ち込みを禁止する動きもあるという。食事やパーティーの際は入口でスマホを預け、参加者との会話を楽しみましょうということだ。

 iPhoneの所有者であれば、Siri(シリ)を利用する人も多いだろう。
 Siriは秘書機能を提供するアプリケーションで、利用者の声に反応して秘書のように受け答えしてくれる。
 音声で質問すれば音声で答えてくれるのは便利だが、はたから見ると誰もいないのに小さな機器に向けて口をパクパクさせているのは奇妙かもしれない。

 『her/世界でひとつの彼女』は、そんな現代の私たちを、皮肉や批判ではなく優しい眼差しで見つめた映画だ。
 舞台となるのは、ちょっと未来のロサンゼルス。映画の最後に上海ユニットのスタッフがクレジットされることでも判るように、超高層ビルの林立する都会の景色は上海ロケの成果である。ソ連映画『惑星ソラリス』(1972年)では、未来都市のシーンを東京で撮影したが、いま未来的な光景を求めるなら上海がうってつけということだ。

 この映画には四人の"彼女"が登場する。
 主人公セオドアの妻キャサリン、大学時代にちょっとだけ付き合ったことのある人妻エイミー、友人から紹介されてデートした相手、そしてコンピューターのOS1(オーエス・ワン)が生み出した仮想人格サマンサ。忠実に秘書業務をこなしてくれるサマンサは、iOS上のSiriの発展形といえよう(もっとも、スパイク・ジョーンズ監督が本作を構想したのは、Siriの登場より前のことだが)。
 キャサリンとは別居中で、もう離婚届にサインするだけの状態だ。まだキャサリンのことを引きずるセオドアは、なかなかサインできずにいるが、関係を修復するのは不可能だろう。
 エイミーは良き友として接してくれるが、それでセオドアの孤独が癒されるわけではない。
 そんな彼の心の襞に分け入り、話し相手になってくれたのが、人間ではないサマンサだった。

 サマンサは、Siriのようにクラウドのサーバー群で動作しており、パソコンや携帯機器を介してセオドアに話しかける。
 彼女は知的でユーモアがあって、セオドアのことをよく理解してくれた。
 現実の人間関係では、いつも良好な間柄でいられるとは限らない。趣味嗜好が合わないこともあるし、意見が衝突することもある。どんなに同じ好み、同じ志向の人であっても、今この瞬間にやりたいことは違うかもしれない。
 けれどもサマンサとはいつだって気が合った。他の誰と話すよりもサマンサとの会話が楽しかった。ほどなくセオドアはサマンサと恋に落ちる。

 セオドアとサマンサの会話の描き方は、黒澤流の極致で面白い。
 撮影時には(エイミー・アダムスがエイミーを演じたように)サマンサ・モートンがサマンサを演じたが、編集段階でキャラクターに合っていないと感じたジョーンズ監督は、スカーレット・ヨハンソンの声に取り換えた。こんなことができるのも、サマンサを演じる役者がスクリーンには映らないからだ。

 それでもスタンリー・キューブリック監督が『2001年宇宙の旅』にコンピューターのHAL9000を登場させたときは、HAL9000のカメラアイを大写しにして、そこに何者かがいるかのように演出した。ボーマン船長とHAL9000の対立を描くには、HAL9000の存在感を視覚的にも強調する必要があったのだろう。
 けれどもスパイク・ジョーンズ監督は、本作において『2001年宇宙の旅』のような演出はしない。コンピューターのキャラクターを確立したり、コンピューターが喋ったりすることが(特にゲームの世界では)珍しくない現在、存在感を示すのにわざわざそんな演出をするまでもないからだろう。
 それに本作の主眼は、サマンサよりもセオドアというリアルな人間を描写することだと思われる。
 黒澤明監督は、宮崎駿監督との対談において、次のように語っている。
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 だからこれはごく簡単なことだけど、例えば台詞をいってるときも、「だめだよ、相手のいうことちゃんと聞かなきゃ。自分の台詞いう番をただ待ってちゃだめだ。相手の話をほんとに聞いてるからこそ、あんたのこの台詞が出てくるんでね、聞いてなきゃだめだよ」っていう。まあ、僕んとこへ出てる連中はちゃんと聞きますけどね。そうじゃない俳優さんが多いんです。
 で、編集は大抵台詞をいってるほうからいってるほうへつないでいきますね。僕の場合はほんとに二人でやらせといて、両方から一度に撮っちゃうわけよ。そうすると、話してるほうから話してるほうへつなぐと、聞いてるほうから聞いてるほうのがもう一本できる。それでどっちが面白いかというと、聞いてるほう。ほんとに聞いてたら、聞いてるほうがいろんな表情が出るわけ。相手のいってることを聞いて、途中でなんかいいかかったりなんかして。でね、ちゃんと聞いてないのと聞いてるほうの両方のラッシュを見せる。「見ろ」といって(笑)。「間がもたない顔してるじゃないか。ちゃんと聞いてりゃ、こんな顔映るはずない」というわけよ。

 ― 黒澤明・宮崎駿 (1993) 『何が映画か 「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』 徳間書店 ―
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 本作のカメラが捉えるのは、サマンサのセリフを聞くセオドアの表情だ。
 サマンサとの会話に限らない。本作のカメラは話し手よりも聞き手であるセオドアを重視する。
 サマンサの話を楽しそうに聞くセオドア、エイミーの打明け話に神妙に耳を傾けるセオドア、キャサリンの辛辣な言葉にショックを受けるセオドア、出会い系サイトの見知らぬ女の異常さにうろたえるセオドア。ホアキン・フェニックスがそんなセオドアを見事に演じ、観客はセオドア一人に感情移入していく。
 観客が興味を引かれるのは、人間とコンピューターの恋が成就するか否かではない。コンピューターとの恋に落ちたセオドアが何を思い、どう行動するかだ。

 やがて彼は気付いてしまう。
 サマンサとのやりとりは確かに心地好いけれど、それは手紙を代筆する自分の仕事と同じじゃないかと。
 セオドアの職業は心温まる手紙の代筆だ。夫から妻へ、子から親へ、忙しい(あるいは筆不精な)人々に代わり、心地好い文で手紙を書いてあげる。
 夫は妻を愛しているかもしれない。子は親を気遣っているかもしれない。受けとった人は喜ぶだろうし、素敵な手紙に感動するかもしれない。でも、手紙の内容は本人の想いではない。本当の想いではない。文章の巧いセオドアが、心のこもった文になるように美辞麗句を連ねたものだ。
 ここでセオドアを手紙の代筆業にした設定が効いてくる。

 サマンサとの会話は心地好いけれど、本物の人間が相手だったら心地好い会話ばかりしていられるだろうか。
 彼がそれに気付く展開はいささかショッキングだ。
 彼は久しぶりに会った妻キャサリンと最後の時間を心地好く過ごそうとするが、その試みはもろくも崩れてしまう。キャサリンに罵倒され、険悪な状況になってしまう。
 予想もつかない反応をする。ときには聞きたくないことを口にする。それが人間であることに、セオドアは気付いてしまった。

 だからといって、サマンサが所詮は機械……というわけではない。
 本作はサマンサを怪物扱いしたり所詮は機械とおとしめたりせず、あくまで優しく好意的なキャラクターとして描いている。
 そんな描き方ができるのは、作り手がテクノロジーと生物についての哲学を持っているからだろう。テクノロジーを過大に捉えたりせず、卑小に捉えることもなく、人間社会を構成するものの一つとして正面から取り上げた本作は、優れたSF作品である。

 心や意識の働きはシナプス間を伝達される信号によるものだ。であるならば、充分な複雑さを備えた仕組みであれば、人工物でも同じような働きができるのではないか。
 そう考察したのが『宇宙戦艦ヤマト2199』の第9話「時計仕掛けの虜囚」だった。
 本作の根底にも同様な考察がうかがえる。

 人間が変わるように、サマンサもまた変化する。人間が成長するように、サマンサもまた成長する。
 サマンサが高次の世界に旅立つ幕引きは、SFらしい深遠さとともに、籠の鳥に留まらない女性との別れのほろ苦さを漂わせる。
 そしてそこには変化への、成長への、力強い肯定がある。
 小さな機械の画面に目を奪われている私たちに、顔を上げさせ、周りの人に注意を向けさせる力強さがある。

 長年、代筆人をしていたセオドアは、最後に彼の手紙を書く。
 彼からの、彼自身の想いを込めた手紙だ。
 それはサマンサではなく、人間のキャサリンへの手紙だった。キャサリンに素直な想いを届けられるほど、彼もまた成長したのだ。
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親愛なるキャサリン

僕はここに座って、君に謝罪したかったすべてのことを考えていた。
お互いが原因のすべての痛み。君に押し付けたものすべて。僕が君に求めたすべてのもの、君に云ってもらいたかったすべてのものを。
すまなかった。
僕はいつも君を愛している。僕たちはともに成長し、君は僕を手助けしてくれた。
君のかけらはいつも僕の中にあるんだと知って欲しかった。そして僕はそれに感謝しているんだ。
君がどんなに変わろうと、世界のどこにいようと、僕は君に愛を送るよ。
最後まで君は僕の友人だ。

愛を込めて、セオドア
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監督・脚本/スパイク・ジョーンズ
出演/ホアキン・フェニックス スカーレット・ヨハンソン エイミー・アダムス ルーニー・マーラ オリヴィア・ワイルド クリス・プラット マット・レッシャー ポーシャ・ダブルデイ
日本公開/2014年6月28日
ジャンル/[ロマンス] [SF] [コメディ] [ドラマ]
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【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画
【genre : 映画

tag : スパイク・ジョーンズ ホアキン・フェニックス スカーレット・ヨハンソン エイミー・アダムス ルーニー・マーラ オリヴィア・ワイルド クリス・プラット マット・レッシャー ポーシャ・ダブルデイ

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