『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』の正体は?

 【ネタバレ注意】

 ルーウィン・デイヴィスの女友達ジーン役にキャリー・マリガンがキャスティングされたのは、彼女が「マリガン」だからじゃないか。なんて妄想が頭をかすめた。
 ルーウィンは彼女の部屋に泊めてもらうが、そこには別の男もいて、三人で夜を明かすことになる。
 そんな話が他にもあったからだ。

               

 ジョエル・コーエン、イーサン・コーエンの兄弟が撮った『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』は、フォーク歌手ルーウィン・デイヴィスの漂泊の日々を綴った映画だ。
 ストイックなほどに控えめな哀愁とユーモアが、映画からじわじわとにじみ出る。全編を彩るフォークソングも哀愁を帯びて、たまらなく切ない。

 フォークといってもいろいろだから、ボブ・ディランが好きな人もいれば、岡林信康や三上寛が好きな人もいるだろう。
 本作でもピーター・ポール&マリーの歌唱で知られる別れの歌『500マイル』のカバーや、滑稽なプロテストソング『Please Mr. Kennedy (お願い、ケネディさん)』等、様々なフォークソングを聴くことができる。政治的メッセージを込めながら、ふざけた曲調の『Please Mr. Kennedy』は、岡林信康の『ヘライデ』を思い出させる。
 それでも全体の雰囲気は絶妙なさじ加減で統一され、抑えた色調の映像と相まってフォークソングならではのもの悲しさが漂っている。

 フォークソングを活かした映画といえば、日本でも『イムジン河』を使用した『パッチギ!』や、『今日までそして明日から』を使用した『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』がある。
 けれども起伏に富んだプロットの上にフォークソングがあるそれらの作品とは違い、本作は漂泊するルーウィンが方々で歌う様子を繋げたような構成だ。
 監督・脚本・制作・編集を務めたジョエル・コーエンは、「この映画にはプロットがないんだ」と冗談を云っている。「プロットの不足を補うために猫を出したのさ。」
 たしかに、ルーウィンと猫のかかわりで本作は引き立てられている。電車に乗ったルーウィンは猫を抱えているから滑稽なのであり、ルーウィンだけで乗車しても面白くも何ともない。根なし草のようなルーウィンの日常は冴えないが、家を飛び出した猫の行方を追うことで観客は興味を引かれる。

 だが、もちろん本作にプロットはある。それも極めて古典的なプロットだ。
 猫の役割がプロット不足の補填のためだけではなく、ルーウィンの心情を象徴させることなのは明らかだろう。他人から奇異に見られても手放せず、会話を途中で遮ってでも追い求めてしまう猫は、ルーウィンのフォーク魂そのものだ。その大切な「魂」がルーウィンの許を去っていったり、偽物と入れ替わってしまうのは、売れないフォーク歌手を続けて罵倒されるルーウィンの悩みを表していよう。
 でも猫の役割はそれだけではない。猫は本作の正体を教えてくれる。

 本作はフォーク歌手デイヴ・ヴァン・ロンクの自伝にインスパイアされたという。
 しかし自伝から取り入れた要素はごく一部のようだ。コーエン兄弟は、伝記映画には興味がないと述べている。
 それよりも注目すべきは猫の名前だ。
 ルーウィンは猫の名前を知らなかった。だから名前が明かされるのは、ようやく終盤になってからだ。
 猫の名は、なんとユリシーズだった。

 ユリシーズ(Ulysses)とは、ギリシア神話の英雄オデュッセウス(Odysseus)の英語名だ。古代ギリシアの詩人ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』の主人公として知られる。
 故郷を離れ、長い放浪の果てにようやく我が家へたどり着くオデュッセウスは、なるほど迷い猫の名に相応しい。
 けれども、『オデュッセイア』と『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』の共通点はそれだけではない。
 顕著なのは、どちらも三部構成になることだろう。
 父の不在と、残された家族が困っている様子を描く第一部。
 放浪の旅を描く第二部。
 旅を終え、父と息子が再会する第三部。

 詳細に見てみよう。
 ルーウィン・デイヴィスにはかつてマイク・ティムリンという相棒がおり、フォークデュオとして売っていた。少しは売れていたようだが、マイクの死によりルーウィンはソロ活動をすることになる。
 オデュッセウスはトロイア戦争の英雄だ。他の英雄とともに大軍でトロイアに攻め込み、有名な木馬を考案してギリシアを勝利に導いた。現代ではコンピューターの遠隔操作等を行う不正ソフトウェアを「トロイの木馬」と呼ぶが、その元ネタになった木馬を作って敵地への侵入を果たしたのがオデュッセウスだ。ところがトロイアからの帰路、様々な苦難に襲われて仲間たちは死んでいき、オデュッセウスは一人になってしまう。

 ルーウィンは女友達ジーンから妊娠したと告げられ、中絶費用を要求される。金がなくて知人宅を泊まり歩いているルーウィンに、そんな費用を工面できるはずもない。金に困ったルーウィンは姉を訪ねるが、金は施設にいる父のために使うんだとけんもほろろにあしらわれる。
 『オデュッセイア』ではオデュッセウスが不在のあいだの妻ペネロペと息子テレマコスの苦労が語られる。主人公ではなく息子の描写だから映画の展開とは異なるが、父の不在と家族の苦労を描く点は共通する。

 ルーウィンはニューヨークを離れて旅に出る。
 最初に出会うのは巨漢のジャズミュージシャン、ローランド・ターナーだ。ローランドはフォークに理解がなく、ルーウィンを散々バカにする。
 そのくせローランドは薬物中毒で、一人じゃ移動もままならない。ジョニー・ファイヴという若者がクルマを走らせたり、足下のおぼつかない彼に肩を貸したりして、彼の目の代わりになっている。
 ところがジョニーは警察に捕まってしまい、薬が効いて眠り込んでるローランドはクルマに取り残される。もはや移動できないローランドを置き去りにして、ルーウィンは旅を続ける。
 ローランド・ターナーは、オデュッセウスが出くわす一つ目の巨人キュクロプスを思わせる。キュクロプスに捕らえられたオデュッセウスは、不本意ながらキュクロプスの機嫌を取る。キュクロプスが酔いつぶれて眠り込んだところで目を潰し、オデュッセウスはまんまと逃げおおせる。

 ルーウィンが訪ねるプロデューサーのバド・グロスマンは、美しい歌声で船乗りを惑わせるセイレーンだろう。
 セイレーンの歌に魅せられた船乗りは、航路を誤り、難破してしまう。
 バド・グロスマンもルーウィンに対してグループを組んだ方がいいとか、髭を剃って小ざっぱりしろとか、ルーウィンの音楽性や志向とはかけ離れた助言をする。バド・グロスマンが提案する男二人、女一人のグループは、ピーター・ポール&マリーのようなものかもしれない。ルーウィンがピーターやポールのように女性の隣でニコニコしながら歌うなんて、似つかわしくないのだが。
 バド・グロスマンの言葉に惑わされたら、ルーウィンは道を誤ったかもしれない。
 結局、ルーウィンはグロスマンの助言を聞き入れず、ニューヨークへ帰ることにする。

 次にルーウィンを待ち受けるのは、アクロンに住む昔の女友達だ。分かれ道を右に向かえば、彼女の住む町に行ける。彼女はルーウィンを温かく迎えてくれるかもしれない。ルーウィンは自分の家族を得て、穏やかに過ごせるかもしれない。
 これは『オデュッセイア』に登場する島の王女ナウシカアに相当しよう。心優しいナウシカアは、オデュッセウスに愛情深く接してくれる。
 だが故郷を目指すオデュッセウスは、ナウシカアと別れて旅を続ける。
 ルーウィンもまた、ニューヨークの生活に戻っていく。

 このときルーウィンの心情を表すのはまたもや猫だ。
 傷ついても一人で歩く猫を見て、ルーウィンは故郷に帰ろうと心を固める。

 帰り着いたルーウィンは船乗りになろうとしたり、父に面会したりの後、やっぱりステージで歌うことにする。
 このシークエンスも、故郷に戻ったオデュッセウスが王でありながら乞食の姿で現れたり、父と再会したりを彷彿とさせる。
 ただし、英雄オデュッセウスが知略や武勇をもって元の地位を取り戻すのに対し、コーエン兄弟が用意した顛末はユーモアと皮肉が利いている。
 ルーウィンは船乗りになろうとするけれど、商船組合の免許をなくしてしまって船に乗れない。病気の父にフォークを歌ってやっても、父は聴いているのかいないのか、黙ってお漏らしするだけだ。カフェハウスのステージに立てたのは、女友達のジーンが店の主人と寝たおかげらしい。

 ジーンの扱いは興味深い。
 オデュッセウスの妻ペネロペは貞淑な女性であり、夫がいない長い年月、他の男たちの求婚を退けてきた。
 しかし本作のジーンは一応ヒロイン格でありながら、ペネロペのように貞淑ではない。
 その違いを考えるとき、思い浮かぶのがジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』だ。『オデュッセイア』から着想を得たこの長編小説で、主人公の妻は浮気者である。
 ジーン役がキャリー・マリガンなのも面白い符合だ。映画の序盤でジーンがルーウィンともう一人の男を泊めたように、『ユリシーズ』の冒頭でも二人の男を泊める人物が出てくる。それが医学生のマリガンだ。
 コーエン兄弟は本作を哀愁に満ちた音楽映画に見せかけながら、様々な遊びを仕込んでいるのかもしれない。


 紆余曲折を経て、ルーウィンはギグで歌を披露する。
 映画そのものも円環を閉じる。ここに至って最初のシークエンスが映画のラストだったことが明らかになり、放浪の果ての帰還という主題と映画の構成がシンクロしていることが判る。

 ただ、元に戻っただけではない。
 相棒マイクが死んでから歌うことに抵抗を感じていた過去のデュエット曲を、ルーウィンは歌いおおせる。
 そしてオデュッセウスが敵を殺したのとは対照的に、ルーウィンはボコボコに殴られて、それでも負けない意地を見せる。
 何があってもフォーク魂に戻ってくるルーウィンの物語は、コーエン兄弟らしいウイットに富んだ英雄譚といえよう。


インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌 [Blu-ray]インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』  [あ行]
監督・脚本・制作・編集/ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
出演/オスカー・アイザック キャリー・マリガン ジョン・グッドマン ギャレット・ヘドランド F・マーレイ・エイブラハム ジャスティン・ティンバーレイク スターク・サンズ アダム・ドライバー
日本公開/2014年5月30日
ジャンル/[ドラマ] [音楽]
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【theme : 音楽映画
【genre : 映画

tag : ジョエル・コーエン イーサン・コーエン オスカー・アイザック キャリー・マリガン ジョン・グッドマン ギャレット・ヘドランド F・マーレイ・エイブラハム ジャスティン・ティンバーレイク スターク・サンズ アダム・ドライバー

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