『プリズナーズ』の真のメッセージとは?

 【ネタバレ注意】

 『プリズナーズ』は米国らしい映画である。
 監督のドゥニ・ヴィルヌーヴはカナダ出身だから、北米らしい映画と云ってもいい。
 本作の公式サイトには、「世界の魂を揺さぶった問題作」「ヒューマン・サスペンスの金字塔」と書かれている。たしかにそのとおりではあろう。
 しかし、日本と北米では魂の揺さぶられ方が違うのではないか。

 本作は少女の失踪事件を描いたサスペンスだ。
 少女の父親ケラー・ドーヴァー役をヒュー・ジャックマン、事件担当のロキ刑事役をジェイク・ギレンホールが演じるほか、達者な俳優陣が結集して、緊迫したドラマを展開している。
 中でも、主人公ケラー・ドーヴァーの行動には賛否両論あるだろう。もしかしたら批判的意見の方が強いだろうか。
 なにしろ、ケラーは少女誘拐犯人と目した若者アレックスを監禁し、拷問するのだから。

 本作は『プリズナーズ(原題:Prisoners)』という題名どおり、囚われ人が複数登場する。もちろん第一には誘拐されたとおぼしき少女たちだが、犯人扱いされて監禁されるアレックスもプリズナーだ。その他、たくさんの人が囚われの身になっている。
 とりわけむごいのがアレックスの扱いだ。娘を取り戻したい、犯人の口を割らせたいというケラーの気持ちは判らないでもないが、だからといって証拠もないのに痛めつけることが許されるだろうか。
 公式サイトが"「もし自分に同じことが起こったらどうする?」という極限のテーマ"と謳っているのも、父親のこの行動を指しているのだろう。

 だが、『プリズナーズ』の作り手は、「どうする?」なんて疑問形で映画を撮ってはいない。おそらく、どうすべきか信じるところがあって作品をつくっている。
 観客が喜怒哀楽に流れないように抑えた映像を積み重ねながら、一つのメッセージに作品を集約させている。
 以下では、本作のストーリーを追いながら、私にはこの作品がどう見えたかを紹介しよう。あくまで私の解釈に過ぎないが、本作はミステリーの要素もたっぷりだから、未見の方は読まない方がいい。

               

 映画は、キリスト教の祈祷文を唱えるところからはじまる。「主の祈り」と呼ばれるこの祈祷文は、キリスト教徒でなくても耳にしたことがあろう。ここではプロテスタント系で用いられる1880年訳を掲載しよう。本作のテーマはすでにここに語られている。

  天にまします我らの父よ、
  ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。
  み国を来らせたまえ。
  みこころの天になるごとく
  地にもなさせたまえ。
  我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
  我らに罪をおかす者を 我らがゆるすごとく、
  我らの罪をもゆるしたまえ。
  我らをこころみにあわせず、
  悪より救い出したまえ。
  国とちからと栄えとは
  限りなくなんじのものなればなり。
  アーメン。

 アーメンまで唱え終えたところで、ケラーと息子ラルフは鹿を撃つ(「日用の糧を、今日も与えたまえ」)。
 その鹿の肉を手土産に、ドーヴァー家は近所のバーチ家を訪ねる。感謝祭の夕食会を開くのだ。

 ところが、家族や友人が集まって作物の収穫を神に感謝するその日に、両家の娘たちが行方不明になってしまう。
 ケラーは十字架を肌身離さず身に着けている敬虔なキリスト教徒だ。スクリーンには、ときにイエスの肖像が映し出され、この世のすべては神の思し召しであることが示される(「みこころの天になるごとく 地にもなさせたまえ」)。
 なぜこの子たちを行方不明にしたのか、と問うことに意味はない。神のなさることは、人間には計り知れないからだ。

 警察が娘たちを捜索する一方で、ケラーは独自の行動をとる。
 彼は普段から万一に備えて準備を怠らない人間だった。天災人災、何が起きても対処できるように、地下室に非常物資を蓄えていた。それはあたかも、箱舟を作って洪水に備えるノアのごとしである。
 ノアの他には誰も洪水に備えなかったように、ケラーだけが現場近くにいた若者アレックスを誘拐犯と睨む。
 ロキ刑事の働きで、警察は別の容疑者にたどり着くから、ケラーの行動は常軌を逸しているように見える。それでもケラーは神に許しを請いつつ(「我らの罪をもゆるしたまえ」)、アレックスを拷問で締め上げる。
 このあたりで、観客の多くはケラーに感情移入できなくなっているだろう。それほどケラーの仕打ちはひどい。

 しかし、ジェイク・ギレンホール演じるロキ刑事は、そのカッコよさにもかかわらず、その頭脳明晰さと行動力にもかかわらず、真犯人にたどり着けない。
 真犯人にたどり着くのは、なんと常軌を逸したように見えたケラーなのだ。

 もとより、ロキ刑事が真犯人にたどり着けるはずはなかった。
 なにしろ彼の名はロキ。ゲルマン神話の神である。ロキは知恵者だし、巨人スクリューミルから子供を守りもするが、しょせんは異教の神だ。
 ロキ刑事はフリーメーソンの指輪をはめており、また初登場のシーンでは干支について会話している。彼は「キリスト教ではないもの」を一身に負っているのだ。
 そんな彼の推理と行動では、真実にたどり着けない。ロキ刑事が犯人に迫るように見えるのも、ケラーの後追いでしかない。
 彼のフルネームをデイビッド・ウェイン・ロキとして、ダビデ(David)を含ませたのは、さすがに敵対者ではないことを示すためだろう。

 映画のクライマックス、ケラーと真犯人との対決において、観客はこれが神と悪魔の戦いであったことを知る。
 実子を癌で亡くした真犯人は、この世を支配し、実子を奪った神に反抗するために、神に代わって他人の子を奪っていたのだ。
 それ以前に、容疑者の持ち物から大量の蛇が出現したことで、事件の裏にサタンがいるのは明らかだった。蛇はサタンの化身である。真犯人の口からも、かつて蛇を飼っていたことが語られる。
 これは、子を失った悲しみから信仰心まで失ってしまった犯人と、子を失っても信仰心は揺るがなかったケラーとの戦いであり、神と悪魔の代理戦争なのだ。

 中盤で、飲んだくれの聖職者が連続殺人犯を殺したことが明らかになるが、彼が飲んだくれてる設定は観客をミスリードするためであり、真犯人が判明すれば、これも神と悪魔の戦いの一部であったことが判る。

 そして驚くべきことに、これほど悲惨な物語でありながら、振り返ってみれば本作は神の圧勝で終わっている。
 死んだのは信仰心を捨てた者、蛇(サタン)に魅入られた者だけであり、他の登場人物はみんな無事に家に戻れる(「悪より救い出したまえ」)。

 世に悲劇は多く、政府も警察も頼りなく見えるけれど、一番大切なのは神を信じることだ。
 なんとなれば、国と力と栄えとは、限りなく神のものであるのだから。

               

 キリスト教徒が多数を占める北米では、この映画のメッセージは極めて穏当なものだろう。
 聖書を持った白人をぶち殺す映画を撮るクエンティン・タランティーノのような監督もいるが、それとても偽善者の成敗であって、神や信仰の否定ではない。
 日本の公式サイトには「もし自分に同じことが起こったらどうする?」と書かれているが、本作が問いかけるのは、それでも信仰心を保てるか、ということなのだ。

 それは同時に、大きな悲劇に見舞われても信仰が支えになるということでもある。
 体系だった信仰を持たない多くの日本人には、何が支えになるのだろうか。

付記
 映画公開時の記事ではさすがに結末を詳述するのがためらわれたが、時間も経ったことなので結末の詳しい解釈を書き足した。2016年2月16日のコメントも併せてお読みいただきたい。


プリズナーズ [Blu-ray]プリズナーズ』  [は行]
監督/ドゥニ・ヴィルヌーヴ  脚本/アーロン・グジコウスキ
出演/ヒュー・ジャックマン ジェイク・ギレンホール ヴィオラ・デイヴィス マリア・ベロ テレンス・ハワード メリッサ・レオ ポール・ダノ
日本公開/2014年5月3日
ジャンル/[サスペンス] [ドラマ] [犯罪]
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【genre : 映画

tag : ドゥニ・ヴィルヌーヴ ヒュー・ジャックマン ジェイク・ギレンホール ヴィオラ・デイヴィス マリア・ベロ テレンス・ハワード メリッサ・レオ ポール・ダノ

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