『ローン・サバイバー』を絶賛せよ!
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この映画のことを考えただけで胸が熱くなる。
米軍の精鋭部隊ネイビーシールズの隊員たちがタリバンの軍勢と戦う本作は、多勢に無勢の戦闘に終始しており、『アラモ』や『300 <スリーハンドレッド>』に通じるものがある。『アラモ』も『300 <スリーハンドレッド>』も、圧倒的多数の敵を前にして、一歩もひるまず戦う男たちのドラマだった。
だが、『ローン・サバイバー』の真価はそこではない。
映画はシールズの訓練風景からはじまる。
世界最強と云われるシールズの訓練は、おそろしく過酷だ。脱落する者も少なくない。
だからこそ、その訓練に耐え抜いて隊員になった者たちの信頼と絆は強い。
世界各地の宗教的儀式や通過儀礼は、それを経ることで集団への帰属意識や連帯感を高めるためにあるという。儀式が苦しいものであるほど、そうまでして仲間になった者たちの結束は強まる。
その意味で、シールズの過酷な訓練こそ、世界でもっとも強い絆を醸成するものだろう。
『ローン・サバイバー』は実話に基づく映画である。マーカス・ラトレルの手記『アフガン、たった一人の生還』を原作にしている。
タリバンの指導者を暗殺する作戦の一環で、アフガニスタンのタリバンの拠点を偵察していた四人の隊員は、通信状況の悪化から孤立してしまう。彼らの存在に気付いたタリバンは、全力を挙げて彼らを狩る。200人以上のタリバン兵に囲まれるシールズの四人。
本作は彼らの死闘をたっぷり見せる。
『アラモ』はアラモ砦にこもった約200人が、千数百人のメキシコ軍と戦う話だ。『300 <スリーハンドレッド>』は300人のスパルタ兵が、100万人のペルシア軍と激突する。それらも手に汗握る映画だったが、本作で戦うのはたったの四人。現実に彼らを襲ったタリバンは数十人だったとも云われるが、多勢に無勢で追いつめられたことに変わりはない。
それはもう激闘というよりなぶり殺しだ。
シールズの隊員たちは善戦するが、ほとんど一方的に狩られるようなものである。銃で撃たれ、岩壁を落下し、血まみれになって転がる彼らの戦いに、アクション物の痛快さはない。
2時間1分の上映時間のほとんどが戦闘シーンであるにもかかわらず、これはアクション映画ではないのだ。『ゼロ・ダーク・サーティ』のようにアクション映画の骨格に社会派的な衣をまとった映画でもない。
このなぶり殺しに近い戦闘が延々と描写されるのは、彼らの判断の重さを訴えるためだろう。
なぜ四人はこれほどの危機に見舞われたのか。
2014年4月5日現在、日本語版ウィキペディアのあらすじには「山岳地帯で偵察をしていたマーカス・ラトレルら4人の隊員は判断ミスにより、200人以上のターリバーン兵から攻撃される状況に追い込まれてしまう」と書かれている。
ウィキペディアの書き手があらすじをこのように書いた経緯は不明だが、「四人の判断はミスだったのか?」という問いは、本作の焦点の一つである。
林の中からタリバンを偵察していた四人は、運悪く地元の山羊飼いに遭遇してしまう。
四人は山羊飼いの老人や子供を縛り上げた後、上官の指示を仰ごうとするが、通信状況が悪くて無線機も衛星電話も通じない。
自分たちで判断せざるを得なくなった彼らには、次の選択肢があった。
(1) 老人と子供を解放する。
解放したら、山羊飼いたちは必ずや米兵の存在をタリバンに通報するだろう。
四人はタリバンの軍勢と対峙することになる。
作戦は失敗し、今後も米軍はタリバンとの過酷な戦いを強いられることになる。
(2) 老人と子供を縛り付けたまま放置する。
作戦は継続できるかもしれないが、山羊飼いたちが凍死したり狼に食われるおそれがある。
(3) 老人と子供を殺害する。
作戦の継続を妨げる要素は排除できる。
ただし、老人や子供を殺害した米軍を、世界の世論は許さないだろう。
どうするべきか、四人の意見は割れる。どれを選択しても誰かの命が犠牲になる。自分たちの命、アフガニスタンの山羊飼いの命、米軍の兵士たちの命、それが彼らの選択にかかっている。
あなたならどうするだろうか?
これは実話である。白熱教室のディベートではない。
ここが前半のクライマックスだ。四人がぞれぞれ何を主張し、どう反論したか。どのような経緯をたどって結論に到達したか。それをなぞるのが本作の重要な部分だ。
結論だけ記すなら、彼らは山羊飼いを解放し、タリバンの軍勢に狩られることになる。
これははたして「判断ミス」なのだろうか。山羊飼いの老人や子供を殺せば良かったのか。あるいは縛り付けたまま林に置き去りにすれば良かったのか。
タリバンとの死闘を描いた後、映画は後半のクライマックスを迎える。
それは『アフガン、たった一人の生還(原題:Lone Survivor)』という原作本の題名のとおり、マーカス・ラトレル隊員だけが生き残る過程だ。
なぜ彼は生き残れたのか。
彼が格別優秀な兵士だったのか。誰よりも不屈の闘志を備えていたのか。
そのいずれでもない。
彼は助けられたのだ。たまたま出会ったアフガニスタンの村人に。傷つき、追われる者を見過ごせない村人たちが、村を危険にさらしてまで、言葉の通じない異国の兵士を助け、匿ってくれたのだ。
私には、この感動をどう表現したらいいか判らない。
ただただ過酷な殺し合いの果てに、よもやこんなクライマックスが待ち受けているとは思わなかった。
アフガニスタンのパシュトゥーン人には、パシュトゥーンワーリという掟があるという。その掟は、助けを乞う者がいれば、(たとえそれが宿敵であっても)命をかけて保護しなければならないと定めている。
紛争が続くアフガニスタンで、村人たちは昔からの掟を誠実に守ったのだ。
本作の題材は2005年に米軍が実施したレッド・ウィング作戦だが、このときマーカスを助けた村人モハメッド・グーラーブは今も命を狙われているという。
もう一度問おう。
四人の隊員が山羊飼いたちを解放したのは、「判断ミス」だったのだろうか。
一つ確実なのは、もしも四人が山羊飼いたちを殺していたら、米軍は激しい非難にさらされたろうということだ。米軍の「誤射」や「誤爆」で民間人が犠牲になっていることは、これまでも批判されてきた。ましてや、丸腰の老人と子供を目の前にして射殺したと知れたなら、どんなに非難されただろう。
米軍が事件の隠蔽を図れば、それこそウィキリークスの恰好の餌食であったろう。
生還したマーカス・ラトレルの手記が出版され、ベストセラーになったのも、こうして映画化されたのも、人々が四人の行動を称え、共感し、感動したからだろう。
4,000万ドルというハリウッド映画としては低予算の本作を完成させるために、監督・脚本のピーター・バーグや主演のマーク・ウォールバーグやテイラー・キッチュが自分の報酬を削ってまで取り組んだのも、この事実を多くの人に伝えたい気持ちに溢れたからだろう。
最後に映画は、隊員たち本人の肖像と階級と年齢を映し出す。
ここでまた、私は打ちのめされた。
もじゃもじゃの髭で人相も定かでなかった隊員たちは、まだ22歳や25歳の若者だった。四人を率いたマイケル・マーフィ大尉ですら29歳でしかない。
米国にいた頃の、髭もなくサッパリとした写真の彼らは、ほんの青二才にしか見えない。
この若者たちが、これほど過酷な判断を迫られ、命を落としていったのか。
そう思うと、私は目頭が熱くなるのを禁じ得なかった。
私には、ただ彼らを称えることしかできない。
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監督・制作・脚本/ピーター・バーグ 制作/マーク・ウォールバーグ
出演/マーク・ウォールバーグ テイラー・キッチュ エミール・ハーシュ ベン・フォスター エリック・バナ アレクサンダー・ルドウィグ ジェリー・フェレーラ アリ・スリマン
日本公開/2014年3月21日
ジャンル/[サスペンス] [戦争] [アクション]

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