『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』で様相一変!
【ネタバレ注意】
今度は戦争だった。
2001年公開の『ハリー・ポッターと賢者の石』から数えて10年、ハリーの宿敵として作品世界に影を落としていたヴォルデモート卿との待ちに待った最終決戦、それはヴォルデモート率いる大軍団とホグワーツ魔法魔術学校との総力戦であった。まさに全8本からなるシリーズの有終の美を飾り、10年待った甲斐のある盛り上がりである。
『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』のオープニングの不気味な静けさは、これまでの作品とは異なる格調に満ちて、遂に最終作であるという事実を私たちに突きつける。
そして前作『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』における荒野の彷徨と、友人同士の忠誠への試練の物語から一転、溜めにためたものを吐き出すように危機また危機の連続で、迫力ある映像が襲いかかる。3D上映を念頭に、手前に飛び出す動きを意識した画面作りは、いささかくどいくらいだが、最終作で何を遠慮することがあろう。大空を飛ぶドラゴンも、何度も濡れ鼠になるハーマイオニーも、何もかもが見所である。
これまでハリー・ポッターシリーズは、役者の演技に唸らされるタイプの作品ではなかったが、魔女べラトリックス役のヘレナ・ボナム=カーターが、べラトリックスに化けたハーマイオニーを演じる場面など、べラトリックスに慣れないハーマイオニーらしさが醸し出され、観客はニヤリとするに違いない。
もちろん、最終決戦の盛り上がりは、原作者J・K・ローリングのストーリーテリングによろうが、それをビジュアルにしてみせたデヴィッド・イェーツ監督の功績は大きい。
誰しも納得の完結編だと云えるだろう。
とりわけ本作で注目すべきは、シリーズの原点への回帰と共に、シリーズの印象を一変させる仕掛けである。
思えば、ハリー・ポッターシリーズはいじめられっ子の物語であった。ハリーは、幼少の頃より叔母一家に冷たく扱われ、体格の良い従兄からはいじめられていた。
そんな彼が唯一いじめっ子と離れていられる夢の世界がホグワーツ魔法魔術学校であり、そこは現実逃避の場であった。同時にそれは、ハリー・ポッターシリーズを待ち望む読者や観客、すなわち現実の世界で辛い思いをしている少年少女と大人たちに、いっときの夢を見させる作品世界であった。
そしてハリーはホグワーツで友達に囲まれるだけでなく、幾多の冒険を経ることでヒーロー然としてくる。
やがて物語上、魔法界の比率が高まり、マグル界(人間界)がほとんど描かれなくなると、魔法界は逃避先としての夢の世界ではなくなり、いじめられっ子としてのハリーの描写も減っていった。
ところが、いじめの要素がすっかり消えたかと思われた頃、新たないじめられっ子が登場する。セブルス・スネイプ先生である。
第6作『ハリー・ポッターと謎のプリンス』(2008年)では、陰気で孤独な生徒だったセブルスと陽気で高慢なジェームズ・ポッターとの因縁話が披露され、ハリーは亡き父ジェームズがいじめっ子であったことを知る。
いじめられっ子セブルスの物語は、『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』の主要なモチーフでもある。誰からも愛されず、誰からも理解されない、そんな人生を送ってきたセブルスは、ホグワーツという逃避先がなければハリーがたどっていた姿かもしれない。
こうして、セブルスの過去が明かされることで、ハリー・ポッターシリーズの原点でもあるいじめられっ子の人生に改めてスポットライトが当てられたのである。
それはシリーズの様相を一変させることでもあった。
スター・ウォーズ・サーガがルーク・スカイウォーカーの颯爽たる活躍から幕を開けながら、最後に発表された『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』によってアナキン・スカイウォーカーの悲劇として完成されたように、本作によってハリー・ポッターシリーズは、夢の世界でのハリーの冒険物語から、セブルス・スネイプという男の愛憎劇として完成した。
セブルスを演じるアラン・リックマンは、セブルス役となったかなり早い段階で、セブルスの秘密をJ・K・ローリングから明かされていたという。J・K・ローリングは、アラン・リックマンが本シリーズの最重要人物であるセブルスを演じるに当たって、その想いを完全に理解している必要があると考えたのだ。
したがって私たちは過去の映画に遡り、アラン・リックマンがどのようなプランに基づいてセブルス・スネイプを演じたかを見つめ直さなければならない。セブルスのハリーに対する口調、眼差し、それらの意味を、私たちは今こそ知ったのだから。
そして、現実の世界で辛い思いをしている少年少女と大人たちは、眼鏡の少年と共にファンタジーの世界に逃避するのではなく、孤独な男が苦難と向き合った勇気と覚悟を知るのだ。
『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』 [は行]
監督/デヴィッド・イェーツ 撮影/エドゥアルド・セラ
出演/ダニエル・ラドクリフ ルパート・グリント エマ・ワトソン ヘレナ・ボナム=カーター アラン・リックマン ロビー・コルトレーン レイフ・ファインズ マイケル・ガンボン ワーウィック・デイヴィス ジェイソン・アイザックス ジョン・ハート マギー・スミス ジュリー・ウォルターズ マーク・ウィリアムズ トム・フェルトン ボニー・ライト ゲイリー・オールドマン
日本公開/2011年7月15日
ジャンル/[ファンタジー] [アドベンチャー] [アクション]
http://bookmarks.yahoo.co.jp/bookmarklet/showpopup?t='+encodeURIComponent(document.title)+'&u='+encodeURIComponent(location.href)+'&ei=UTF-8','_blank','width=550,height=480,left=100,top=50,scrollbars=1,resizable=1',0);">
今度は戦争だった。
2001年公開の『ハリー・ポッターと賢者の石』から数えて10年、ハリーの宿敵として作品世界に影を落としていたヴォルデモート卿との待ちに待った最終決戦、それはヴォルデモート率いる大軍団とホグワーツ魔法魔術学校との総力戦であった。まさに全8本からなるシリーズの有終の美を飾り、10年待った甲斐のある盛り上がりである。
『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』のオープニングの不気味な静けさは、これまでの作品とは異なる格調に満ちて、遂に最終作であるという事実を私たちに突きつける。
そして前作『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』における荒野の彷徨と、友人同士の忠誠への試練の物語から一転、溜めにためたものを吐き出すように危機また危機の連続で、迫力ある映像が襲いかかる。3D上映を念頭に、手前に飛び出す動きを意識した画面作りは、いささかくどいくらいだが、最終作で何を遠慮することがあろう。大空を飛ぶドラゴンも、何度も濡れ鼠になるハーマイオニーも、何もかもが見所である。
これまでハリー・ポッターシリーズは、役者の演技に唸らされるタイプの作品ではなかったが、魔女べラトリックス役のヘレナ・ボナム=カーターが、べラトリックスに化けたハーマイオニーを演じる場面など、べラトリックスに慣れないハーマイオニーらしさが醸し出され、観客はニヤリとするに違いない。
もちろん、最終決戦の盛り上がりは、原作者J・K・ローリングのストーリーテリングによろうが、それをビジュアルにしてみせたデヴィッド・イェーツ監督の功績は大きい。
誰しも納得の完結編だと云えるだろう。
とりわけ本作で注目すべきは、シリーズの原点への回帰と共に、シリーズの印象を一変させる仕掛けである。
思えば、ハリー・ポッターシリーズはいじめられっ子の物語であった。ハリーは、幼少の頃より叔母一家に冷たく扱われ、体格の良い従兄からはいじめられていた。
そんな彼が唯一いじめっ子と離れていられる夢の世界がホグワーツ魔法魔術学校であり、そこは現実逃避の場であった。同時にそれは、ハリー・ポッターシリーズを待ち望む読者や観客、すなわち現実の世界で辛い思いをしている少年少女と大人たちに、いっときの夢を見させる作品世界であった。
そしてハリーはホグワーツで友達に囲まれるだけでなく、幾多の冒険を経ることでヒーロー然としてくる。
やがて物語上、魔法界の比率が高まり、マグル界(人間界)がほとんど描かれなくなると、魔法界は逃避先としての夢の世界ではなくなり、いじめられっ子としてのハリーの描写も減っていった。
ところが、いじめの要素がすっかり消えたかと思われた頃、新たないじめられっ子が登場する。セブルス・スネイプ先生である。
第6作『ハリー・ポッターと謎のプリンス』(2008年)では、陰気で孤独な生徒だったセブルスと陽気で高慢なジェームズ・ポッターとの因縁話が披露され、ハリーは亡き父ジェームズがいじめっ子であったことを知る。
いじめられっ子セブルスの物語は、『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』の主要なモチーフでもある。誰からも愛されず、誰からも理解されない、そんな人生を送ってきたセブルスは、ホグワーツという逃避先がなければハリーがたどっていた姿かもしれない。
こうして、セブルスの過去が明かされることで、ハリー・ポッターシリーズの原点でもあるいじめられっ子の人生に改めてスポットライトが当てられたのである。
それはシリーズの様相を一変させることでもあった。
スター・ウォーズ・サーガがルーク・スカイウォーカーの颯爽たる活躍から幕を開けながら、最後に発表された『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』によってアナキン・スカイウォーカーの悲劇として完成されたように、本作によってハリー・ポッターシリーズは、夢の世界でのハリーの冒険物語から、セブルス・スネイプという男の愛憎劇として完成した。
セブルスを演じるアラン・リックマンは、セブルス役となったかなり早い段階で、セブルスの秘密をJ・K・ローリングから明かされていたという。J・K・ローリングは、アラン・リックマンが本シリーズの最重要人物であるセブルスを演じるに当たって、その想いを完全に理解している必要があると考えたのだ。
したがって私たちは過去の映画に遡り、アラン・リックマンがどのようなプランに基づいてセブルス・スネイプを演じたかを見つめ直さなければならない。セブルスのハリーに対する口調、眼差し、それらの意味を、私たちは今こそ知ったのだから。
そして、現実の世界で辛い思いをしている少年少女と大人たちは、眼鏡の少年と共にファンタジーの世界に逃避するのではなく、孤独な男が苦難と向き合った勇気と覚悟を知るのだ。
![ハリー・ポッターと死の秘宝 PART 2 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51R6lgsT-vL._SL160_.jpg)
監督/デヴィッド・イェーツ 撮影/エドゥアルド・セラ
出演/ダニエル・ラドクリフ ルパート・グリント エマ・ワトソン ヘレナ・ボナム=カーター アラン・リックマン ロビー・コルトレーン レイフ・ファインズ マイケル・ガンボン ワーウィック・デイヴィス ジェイソン・アイザックス ジョン・ハート マギー・スミス ジュリー・ウォルターズ マーク・ウィリアムズ トム・フェルトン ボニー・ライト ゲイリー・オールドマン
日本公開/2011年7月15日
ジャンル/[ファンタジー] [アドベンチャー] [アクション]


【theme : ハリー・ポッターシリーズ】
【genre : 映画】
tag : デヴィッド・イェーツダニエル・ラドクリフルパート・グリントエマ・ワトソンヘレナ・ボナム=カーターアラン・リックマンロビー・コルトレーンレイフ・ファインズマイケル・ガンボンワーウィック・デイヴィス
『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』 ここから何が変わるのか?
かつて彼らは可愛らしかった。
魔法魔術学校の制服を着て、大人顔負けの活躍をする彼らの姿は、微笑ましかった。
ハリー・ポッターとロン・ウィーズリーとハーマイオニー・グレンジャーの3人である。
しかし、続編が作られるにつれて彼らが成長していくと、一作目と同じわけにはいかなくなった。
視覚的なことでいえば、一つには制服が似合わなくなった。外見もさることながら、思春期の男女がいつも制服姿では、内面を表現しにくい。
また、市場にもそぐわないだろう。ハリー・ポッターシリーズの原作は英文学であり、英国を舞台にしているものの、これはアメリカ映画なのだ。最大の客層である米国の青少年にとって、ハリーたちがいつまでも制服なんてものを着ていたらクールではないだろう。
だから、シリーズが進むと、ハリーたちは制服を着崩すようになり、また私服で活躍する機会が増えた。
とはいえ、学校に制服がある以上、まったく着ないわけにはいかない。
学校が舞台である限り。
だが、『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』は、遂に学校から解放された。
これまで、作品世界はホグワーツ魔法魔術学校とその周辺が中心だったけれど、本作には学校が全然出てこない。
したがって、ハリーとロンとハーマイオニーは制服を着る必要がなく、彼らの成長と性格と役割に相応しいファッションを身にまとうことができるのである。
これは映画の作り手にとって、ありがたいに違いない。
服装とは、登場人物を特徴づける要素なのに、主人公たちに同じデザインの制服を着せざるを得なかったのだから。せめて、『スター・トレック』のクルーのように役割ごとに色でも変えられれば良いのだが、学校の制服というのは画一的なものである。
シリーズ当初は、魔法魔術学校そのものが物珍しく、学校の秘密を探ることに主人公も観客も夢中になったが、回を重ねれば学校は世界を制約するものでしかない。現実の人生と同じように。
まして、これまでのハリー・ポッターシリーズには一つのパターンがあった。
ハリーたちの学校に風変わりな教師がやってきては、ハリーがその教師及び腰巾着たちと対決するという、永井豪氏が『へんちんポコイダー』で作り上げたパターンだ。
しかし、教師が強敵なのは、子供たちがまだ幼いからだ。彼らが成長し、それに見合って物語のスケールも広がり、複雑さを増してくると、このパターンを続けるのは難しくなっていた。
そして本作では、とうとうこのパターンを捨て去った。『へんちんポコイダー』がパターンを守り続けたがゆえに次第に尻つぼみになっていったのとは対照的である。
さらに本作は、ハリー、ロンそしてハーマイオニーの3人の内面を掘り下げる物語でもある。
家族と別れ、教師の助けも借りず、3人で脅威に立ち向かっていく。
それは、登場人物の成長に見合った物語であるとともに、役者たちの年齢にも釣り合っており、これまでの制服を脱ぎ棄てるにはうってつけの内容だ。
そして、彼らが決別するのは制服だけではない。
彼らは学校周辺に近づかず、荒野をさまようことになる。
それはイングランドの北部、『嵐が丘』の舞台ともなったヨークシャーの肌寒い荒地だ。
『嵐が丘』でヒースクリフとキャサリンの激情が交叉したこの土地は、ハリーとロンとハーマイオニーの愛憎に相応しい。カメラは、これまでのシリーズには見られなかった遠景で3人を捉え、荒涼たる大地や湖を自由自在に俯瞰していく。
観客は、スクリーンに広がる荒野を目にしたとき、過去の作品がいかに狭い世界に閉ざされていたかを知るだろう。
そうだ、青年は荒野をめざすのだ。
『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』 [は行]
監督/デヴィッド・イェーツ 脚本/スティーヴン・クローヴス
出演/ダニエル・ラドクリフ ルパート・グリント エマ・ワトソン ヘレナ・ボナム=カーター ロビー・コルトレーン トム・フェルトン レイフ・ファインズ ブレンダン・グリーソン リチャード・グリフィス ジョン・ハート ジェイソン・アイザックス ヘレン・マックロリー ビル・ナイ アラン・リックマン デヴィッド・シューリス ジュリー・ウォルターズ
日本公開/2010年11月19日
ジャンル/[ファンタジー]
http://bookmarks.yahoo.co.jp/bookmarklet/showpopup?t='+encodeURIComponent(document.title)+'&u='+encodeURIComponent(location.href)+'&ei=UTF-8','_blank','width=550,height=480,left=100,top=50,scrollbars=1,resizable=1',0);">
魔法魔術学校の制服を着て、大人顔負けの活躍をする彼らの姿は、微笑ましかった。
ハリー・ポッターとロン・ウィーズリーとハーマイオニー・グレンジャーの3人である。
しかし、続編が作られるにつれて彼らが成長していくと、一作目と同じわけにはいかなくなった。
視覚的なことでいえば、一つには制服が似合わなくなった。外見もさることながら、思春期の男女がいつも制服姿では、内面を表現しにくい。
また、市場にもそぐわないだろう。ハリー・ポッターシリーズの原作は英文学であり、英国を舞台にしているものの、これはアメリカ映画なのだ。最大の客層である米国の青少年にとって、ハリーたちがいつまでも制服なんてものを着ていたらクールではないだろう。
だから、シリーズが進むと、ハリーたちは制服を着崩すようになり、また私服で活躍する機会が増えた。
とはいえ、学校に制服がある以上、まったく着ないわけにはいかない。
学校が舞台である限り。
だが、『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』は、遂に学校から解放された。
これまで、作品世界はホグワーツ魔法魔術学校とその周辺が中心だったけれど、本作には学校が全然出てこない。
したがって、ハリーとロンとハーマイオニーは制服を着る必要がなく、彼らの成長と性格と役割に相応しいファッションを身にまとうことができるのである。
これは映画の作り手にとって、ありがたいに違いない。
服装とは、登場人物を特徴づける要素なのに、主人公たちに同じデザインの制服を着せざるを得なかったのだから。せめて、『スター・トレック』のクルーのように役割ごとに色でも変えられれば良いのだが、学校の制服というのは画一的なものである。
シリーズ当初は、魔法魔術学校そのものが物珍しく、学校の秘密を探ることに主人公も観客も夢中になったが、回を重ねれば学校は世界を制約するものでしかない。現実の人生と同じように。
まして、これまでのハリー・ポッターシリーズには一つのパターンがあった。
ハリーたちの学校に風変わりな教師がやってきては、ハリーがその教師及び腰巾着たちと対決するという、永井豪氏が『へんちんポコイダー』で作り上げたパターンだ。
しかし、教師が強敵なのは、子供たちがまだ幼いからだ。彼らが成長し、それに見合って物語のスケールも広がり、複雑さを増してくると、このパターンを続けるのは難しくなっていた。
そして本作では、とうとうこのパターンを捨て去った。『へんちんポコイダー』がパターンを守り続けたがゆえに次第に尻つぼみになっていったのとは対照的である。
さらに本作は、ハリー、ロンそしてハーマイオニーの3人の内面を掘り下げる物語でもある。
家族と別れ、教師の助けも借りず、3人で脅威に立ち向かっていく。
それは、登場人物の成長に見合った物語であるとともに、役者たちの年齢にも釣り合っており、これまでの制服を脱ぎ棄てるにはうってつけの内容だ。
そして、彼らが決別するのは制服だけではない。
彼らは学校周辺に近づかず、荒野をさまようことになる。
それはイングランドの北部、『嵐が丘』の舞台ともなったヨークシャーの肌寒い荒地だ。
『嵐が丘』でヒースクリフとキャサリンの激情が交叉したこの土地は、ハリーとロンとハーマイオニーの愛憎に相応しい。カメラは、これまでのシリーズには見られなかった遠景で3人を捉え、荒涼たる大地や湖を自由自在に俯瞰していく。
観客は、スクリーンに広がる荒野を目にしたとき、過去の作品がいかに狭い世界に閉ざされていたかを知るだろう。
そうだ、青年は荒野をめざすのだ。
![ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1 (1枚組) [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51N5tf%2BECWL._SL160_.jpg)
監督/デヴィッド・イェーツ 脚本/スティーヴン・クローヴス
出演/ダニエル・ラドクリフ ルパート・グリント エマ・ワトソン ヘレナ・ボナム=カーター ロビー・コルトレーン トム・フェルトン レイフ・ファインズ ブレンダン・グリーソン リチャード・グリフィス ジョン・ハート ジェイソン・アイザックス ヘレン・マックロリー ビル・ナイ アラン・リックマン デヴィッド・シューリス ジュリー・ウォルターズ
日本公開/2010年11月19日
ジャンル/[ファンタジー]


【theme : ハリー・ポッターシリーズ】
【genre : 映画】
tag : デヴィッド・イェーツダニエル・ラドクリフルパート・グリントエマ・ワトソンヘレナ・ボナム=カータービル・ナイアラン・リックマンジョン・ハートジェイソン・アイザックス