『大統領の執事の涙』 人間の範囲はどこまでか?

 西洋で発明されたものはたくさんある。
 映画にラジオにレコード、蛍光灯に冷蔵庫に洗濯機、さらに自動車、飛行機、潜水艦といった物質的なものはもとより、大航海時代には遠方への航海のために多くの人から出資を募る株式会社の仕組みが考案され、統治システムとして議会政治も発達した。
 西洋の発明品の中でも、私がもっとも重視しているのは「人権」だ。
 この発明はあまりにも斬新すぎて、まだ世界に充分に浸透したとはいいがたい。今後もどれだけ浸透するか判らない。

 皇帝の力が強く、地域をしっかり平定していた中国の王朝と違い、ヨーロッパでは争いが絶えなかった。ローマ帝国なきあと、いくつもの王国が戦争を繰り返し、王国の内部にあっては貴族と国王が対立した。
 中国では身分制が廃止され、ひとり皇帝だけが権力者だったから、皇帝の胸一つで人民をいかようにもできたけれど、ヨーロッパには貴族という特権階級が存在した。
 王様だったら、気に入らないヤツを処刑したり、財産を没収したりと好き放題したいところだ。しかし、中世ヨーロッパの貴族たちは、既得権益が侵されそうになると頑強に抵抗した。結託した貴族たちには、王といえども譲歩せざるを得なかった。貴族の代表と、話し合いの場を持たなければならなかった。

 時代が下ると、話し合いの相手は貴族だけでは済まなくなった。
 貴族の既得権益だったものは、やがて有資産者の平民男性にも広げられ、さらに男性一般が分け合うことになり、遂には女性も含めた国民一般のあいだで分かち合うようになった。話し合いの場――議会に参加したり、代表を選ぶ権利を国民みんなが持つようになったのだ。
 ここまでくると、もはや特権と呼ぶのはふさわしくない。それは人間誰もが持つ権利――人権と呼ばれるべきである。

 それでも長らく米国では、「人間」とは白人のことだった。
 50~60年代の公民権運動や、これに続くレッド・パワー運動を経ることで、ようやく黒人やネイティブ・アメリカンも人権を手にすることができた。

 かように人権とは、人間が生まれもって有しているものでもなければ、すべての人に認められたものでもない。
 貴族と国王との戦いに端を発し、常に戦いを通して勝ち取ってきたものなのだ。戦わなければ得られないし、気を許せば失いかねない。
 このことを脳裏に刻み、戦いを継続していく必要がある。米国映画にはそんな覚悟で作られたものが少なくない。
 『大統領の執事の涙』もその一つだ。

 2008年11月7日のワシントン・ポストに掲載された記事、それはトルーマンからレーガンまで、30年以上にわたり8人の大統領に仕えたユージン・アレン氏に関するものだった。
 この記事に触発された本作は、(トルーマンを抜きにして)アイゼンハワーからレーガンまでの7人の大統領の執事セシル・ゲインズを創造した。物語は1926年の綿花農園からはじまり、米国史上初のアフリカ系大統領バラク・オバマが就任した現代までを俯瞰する。
 セシル・ゲインズに託して描かれるのは、黒人の苦難と、人権を獲得するための苦闘の歴史だ。

 セシルの家族は、米国社会における様々な黒人のあり方を代表している。
 セシル自身はホワイトハウスの執事として白人の大統領たちに忠実に仕えた。それは黒人の優秀さ、有能さのアピールであり、黒人が秩序ある社会の構成員であることを訴える手段だった。
 一方、セシルの長男ルイスは、黒人の地位向上のために公民権運動に身を投じる。彼は投獄をものともせず、闘争に闘争を繰り返した。
 国と戦う長男とは対照的に、次男チャーリーは国のためにベトナム戦争に志願した。国との対立を深める兄への懐疑心が、チャーリーの選択に影響したのだろう。
 父と息子たち、三者三様の生き様は、この国の黒人が同列に語れるものではなく、個人の信念と覚悟を持ってそれぞれの立場から懸命に生きたことを示している。

 映画は、白人に忠実な父と、政治活動にのめり込む息子の対立が軸になっているけれど、その二人が和解していく過程は感動的だ。息子は父が従順なだけの下僕ではないことに気付き、父は息子の訴えが真摯なものであることを知る。
 彼らはアプローチの仕方こそ違えども、黒人の地位を向上させ、真っ当な人権を勝ち取ろうとすることにおいて同志なのだ。

 現実のユージン・アレン氏には、息子が一人しかいなかったし、それも急進的な政治活動家ではなかった。
 だが、映画はあくまでフィクションだ。132分の上映時間でアフリカ系アメリカ人の歴史を描くには、大胆なアレンジが要求される。
 映画は公民権運動の一通りを紹介するために、長男ルイスをありとあらゆる活動に関与させた。ルイスは食堂での座り込みを手はじめに、白人用と非白人用に分けられたバスの座席を無視するフリーダム・ライダーズに参加したり、キング牧師の下に集ったり、急進的なブラックパンサー党の一員になったりと、目まぐるしく立場を変える。
 少々やりすぎの感も否めないが、現在の「人権」がどのような苦労を経て獲得されたのかを観客に伝えるには、必要な処置であろう。現代史の教育が手薄なのは米国も日本と同様らしく、リー・ダニエルズ監督の33歳の甥っ子ですら「これは史実か?」と聞いてきたという。

 だからこそ、こうした映画が必要だ。
 なんの努力もしなくても、すべての人が生まれ落ちた瞬間から人権を保障されるなら、どんなにか素晴らしいことだろう。
 しかし、人権とは過去の戦いの積み重ねの上にようやく勝ち取ってきたものだ。それを保持し、広める努力をしなければ、いつなんどき風化するやもしれぬ。
 映画もまた、その努力を続ける手段である。
 米国映画は頻繁に黒人やネイティブ・アメリカンの苦難を描き、人権獲得への戦いを思い出させる。黒人やネイティブ・アメリカンだけではない。マイノリティの存在に目を配り、すべての人に人権が配慮されているか注意を払う。
 マルティン・ニーメラーが『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』にうたったように、自分だけは火の粉が降りかからないと思って見過ごしていると、いずれ自分も犠牲になってしまうのだから。
 この映画も、そんな努力の系譜に連なっている。


 残念ながら、西洋発の人権という概念は、まだ世界に充分には浸透していない。
 中国では拘禁、拷問、財産没収が平然と行われているし、死ぬまで働かせる日本のKAROUSHI(過労死)はオックスフォード・イングリッシュ・ディクショナリーに載るほど有名だ。国連の拷問禁止委員会で、日本の刑事司法が中世並みと云われてしまうのも、次々と明らかになる冤罪事件を見ればさもありなんと思わざるを得ない。

 それどころか、人身取引被害者サポートセンター「ライトハウス」によれば、日本における人身取引の被害者は控えめに見積もっても54,000人に上るという。
 人身取引とは、他人の自由を奪い、暴力や脅しを使って人を強制的に働かせ、その利益を搾取することだ。奴隷制と変わることのない人権侵害だ。

 日本国憲法の第97条には、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と書かれている。
 まさしく人類の多年にわたる努力の成果として、人権を憲法に謳う国家が誕生したのだが、その実情は心許ない。
 日本国憲法第11条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と書かれている。
 この憲法の書き手は、自由と権利を保持するには不断の努力を要すること、努力しなければそれは失われてしまうことを知っていたのだ。

 本作は、そんな「不断の努力」の一つである。
 すべての人の人権に注意を払う「不断の努力」のなんたるかを、明確に示したお手本だ。
 その努力を怠れば、自由も権利も保持できないのだ。


(つづく)

参考文献
 與那覇潤 (2011) 『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』 文藝春秋

 橘玲 (2012) 『(日本人)』 幻冬舎

大統領の執事の涙 [Blu-ray]大統領の執事の涙』  [た行]
監督/リー・ダニエルズ
出演/フォレスト・ウィテカー オプラ・ウィンフリー デヴィッド・オイェロウォ ジョン・キューザック ジェーン・フォンダ キューバ・グッディング・Jr テレンス・ハワード レニー・クラヴィッツ ジェームズ・マースデン ヴァネッサ・レッドグレーヴ アラン・リックマン リーヴ・シュレイバー ロビン・ウィリアムズ ヤヤ・アラフィア ミンカ・ケリー マライア・キャリー
日本公開/2014年2月15日
ジャンル/[ドラマ] [伝記]
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【theme : アメリカ映画
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