『小さいおうち』 原作を離れて「失敗作」を撮る理由

 【ネタバレ注意】

 山田洋次監督の『小さいおうち』を鑑賞して、こんなことがあるのかと驚いた。
 本作は中島京子氏の小説に基づいて山田洋次監督と平松恵美子氏が脚本を書き、山田洋次監督みずからメガホンを取った作品だ。決して山田洋次監督のオリジナル企画ではない。
 にもかかわらず、山田洋次監督と原作のシンクロぶりはどうだろう。私はこれが山田洋次監督のオリジナル作品と云われたら信じたに違いない。
 それほど、本作は山田洋次監督が撮るべくして撮った映画であり、『東京家族』の次はこれしかないと思わせる映画だった。
 それどころか、『東京家族』は本作を撮るための習作だったのではないかと思えるほど、本作は『東京家族』の延長上に(しかも『東京家族』を超えた高みに)ある。

 山田洋次監督が原作に惚れ込んで映画化を熱望したのもとうぜんだ。この原作に接したときの山田監督の喜びと興奮はいかばかりか。まさに山田監督のために書かれたかのような原作!
 いや、正確に云えば、小津安二郎監督のために書かれたような小説なのだ。
 『東京家族』は小津監督の『東京物語』をモチーフにした映画だった。かつて小津映画に批判的だった山田洋次監督は、時とともに小津監督への尊敬の念を強めた。そして「真似して恥じるところはない」と宣言して、『東京物語』を再現した『東京家族』を撮り上げた。その山田監督にとって、小津安二郎の世界を思わせる小説『小さいおうち』は、次なる取り組みに恰好の題材だったろう。

 いったいこの小説の何が小津安二郎を思わせるのか。
 登場人物の多くが中流以上の家庭に属することや、日本人の上品な所作を写し取っているところ、物語が家族の範囲から逸脱しないこと等、戦後の小津映画に通じるところはいろいろあるが、なんといってもコレだ。小さいおうちを訪れて一家に波風を立てる男の存在だ。こう書くと、『東京物語』にそんな男はいなかったじゃないかとそしられそうだが、ここは男の名に注目していただきたい。
 この男、名前が正治(ショウジ)なのである。

■さらに徹底した真似

 『小さいおうち』は、山形から出てきた女中タキの回想録の形で進む。
 原作では東京へ向かう列車内で交わされる言葉を、映画では雪深い山道を歩きながらの会話にすることで、東京とは違う山形の特徴を視覚的に示すあたり、映画らしい置き換えで心地好い。

 同時に、『東京家族』に続いて徹底的に小津監督を真似した作りにはニヤニヤさせられる。
 小津監督お得意の赤いヤカンが『東京家族』ではベンチの上の赤い空き缶に化けていたが、本作ではそのものズバリ赤いヤカンが家庭内に登場する。ヒロインが差す傘まで赤い。原作でも舞台となる家は「赤い屋根の洋館」と描写されているから、山田監督にしてみれば赤いものを出す大義名分を得たようなものだ。

 そして家族が日本間でやりとりする際の落ち着いた色調や、「子供の視点」と云われるロー・ポジションからのアングルや、話してる人物を正面から捉えて話者が変わるたびにショットを切り返すテクニック等、またもや小津安二郎を真似している。
 家の中で物語のほとんどが進行する本作は、まるで室内劇のような後期小津映画を彷彿とさせて、山田監督としても真似のしがいがあっただろう。

 しかし、『男はつらいよ』シリーズに見られるように、庶民の元気の良さや温かさを活写してきた山田洋次監督にとって、裕福な家の人々が乙に澄ました小津映画は対極にあると云っていい。
 演技指導も対照的だ。渥美清さんのような芸達者に思う存分はじけてもらうのが山田流なら、役者をロボットのように思いどおりに動かし、アドリブを許さないのが小津流だ。山田洋次監督の代表作の一つ、『幸福の黄色いハンカチ』で武田鉄矢さんが思いっきりコケる場面は、勢い余って本当に転んだものだそうだが、それをそのまま採用してしまうのが山田洋次監督らしい。
 そんな山田監督がいくら小津安二郎を真似しようと、なかなか小津映画っぽくはならない。『東京家族』ではまだそう感じるところがあった。
 だが、小津のようなショットと小津らしくないショットの混在にいささかの居心地悪さを覚えた『東京家族』に比べると、本作は小津らしいショットの度合いが増したように思う。小津の真似も板についてきたということか。

 それでも山田監督は庶民の味方だ。その演出は判りやすいことこの上ない。
 登場人物の気持ちが高まる場面では、ピーッと警笛が響き、列車の進む音がゴゴゴゴゴゴと大きくなる。
 ショックを受ける場面では、稲光と雷鳴で登場人物の心情を表現する。
 小津安二郎監督はカメラアングルを固定して偶発的な動きを許さないのに、山田監督はタキが動揺する場面でカメラを手持ちにして揺らしてしまう。
 これらを見ると、山田監督は小津安二郎の真似*だけ*に終始したのではなく、小津安二郎のような演出と自分なりの演出の融合を試みたと思われる。『東京家族』以上に。

 これほど小津安二郎を意識している山田洋次監督が、本作を映画化したのはなぜだろう。
 再び小津安二郎の作品をモチーフにしても良いのではないか。
 それを考えるときに欠かせないのが、吉岡秀隆さん演じる板倉正治(イタクラ ショウジ)だ。
 以前も書いたように、小津安二郎作品においてショウジは特別な存在だ。詳しくは『東京家族』の記事に譲るが、ショウジは戦争を語るキーなのである。『戸田家の兄妹』のヤスジロウならぬショウジロウは大陸へ進出する男、『麦秋』や『東京物語』のショウジは戦死しており、『早春』のショウジは戦友会で羽目を外す。いずれのショウジもその名を口にするときに戦争を思い出さずにいられない。

 それはなんと『小さいおうち』でも同じだ。
 当初は戦争の話題が苦手な芸術家肌の男として登場する正治は、物語が進むにつれて戦争の激化を感じさせる存在になる。兵役検査で丙種合格(現役には不適)だった彼は、健康な甲種や乙種の男たちが戦場に赴いても一人内地に残り続ける。けれども、一方で戦局は着実に悪化し、正治も戦争に駆り出されるのはいつかという緊張が映画を覆う。そして正治への召集令状をもって本作はクライマックスを迎える。
 戦争なんてどこか他人事だったタキや奥様にとって、正治の召集こそが生活を破壊する戦争の象徴なのだ。
 小津映画と同じくショウジが戦争の影を落とす本作は、まさに小津映画に傾倒した山田洋次監督が撮るべくして撮った作品だ。

■原作とはまったく違う映画

 とはいえ、実のところ映画と原作はかなり違う。
 原作小説において、板倉正治は映画ほど大きな存在ではない。原作が描くのはタキが奥様に忠実に仕えた12年以上の歳月であり、その中で板倉正治はいっとき波風を立てるにすぎない。

 明らかな相違点は、原作で水木しげる氏を彷彿とさせる漫画家だった板倉正治が、映画では画家に変えられたことだろう。
 これは映画と小説の違いを考えれば判らないでもない。
 小説では板倉正治が描いた漫画や紙芝居の内容を紹介することで彼の心情を読者に伝えているのだが、映像でパッと見せねばならない映画において漫画や紙芝居の内容をいちいち説明してはいられない。画家であれば、絵を映したワンショットで作品を紹介できる。かくして、原作では紙芝居だった作中作『小さいおうち』は、本作では一枚の絵になってしまった。

 もちろん、16枚の紙芝居で描かれる内容を、一枚の絵だけで表現できるはずはない。そのため、紙芝居で明かされるべき板倉正治の心情は、映画の各シーンに散りばめられることになる。
 奥様に横恋慕していた板倉正治が、一人奥様のみならず、息子さんやタキも含めた洋館の住人を大切に思っていたことは、原作では紙芝居を通して明らかになる。
 けれども映画は、出征を控えた正治が「僕が死ぬとしたら、タキちゃんと奥さんを守るためだからね」とストレートなセリフを口にしてタキを抱きしめるシーンを挿入する。
 さらに山田洋次監督と平松恵美子氏は暴走し(?)、タキと正治が奥様抜きで会っていたらしいことを示唆する。倍賞千恵子さんが演じる老後のタキの部屋には、赤い屋根の洋館を描いた絵が飾られている。おそらく正治が美大生だった頃に描いたものを、タキが譲り受けたのだろう。タキが年老いても大事にし続けたこの絵は、劇中何度も大写しになり、正治の存在を常に観客に意識させる。

 だが、原作小説にこのような絵は登場しない。原作のタキは奥様だけを一途に崇拝しており、原作の正治はそんなタキを含めて洋館の人々を大切に思っているだけだ。
 なのに、映画ではタキと正治のあいだに、タキと奥様、奥様と正治とは別の関係があるように匂わせる。

 映画化に当たって正治がクローズアップされる一方、描写が薄められたのが旦那様とぼっちゃん、そして奥様の学友睦子だ。
 原作小説の特徴は、戦前の楽しく温かい暮らしが徐々に軍国主義に染まっていく様を丁寧に描写したことにある。
 日米開戦に否定的な立場だった旦那様がすっかり翼賛体制の走狗になってしまい、愛くるしかったぼっちゃんは好戦的な愛国少年と化す。彼らの変化は享楽的な奥様との対比で一層強調され、奥様と彼らは激しく衝突する。
 だが、その奥様ですら、やがて「日本人の魂」だの「火の玉の心」だのと精神論をぶつようになる。
 出版社に勤める睦子は、大衆受けを狙って戦意を高揚させる記事ばかり書き散らす。

 ここには、一般庶民が戦争を歓迎し、戦争を推進したことへの痛烈な批判がある。
 タキと奥様は政治にも経済にも外交にも興味がなく、翼賛的なことはほとんど何もしないけれど、そのイノセンスすらも消極的な戦争推進として批判の対象になることを、作者は板倉正治の漫画を通して訴える。

 にもかかわらず、映画ではこれらの描写がばっさりカットされている。
 庶民の味方の山田洋次監督は、庶民すらも(庶民こそが)戦争への片棒を担いだ事実は取り上げず、大切な人を戦争に取られる被害者としてのみ描いている。わずかに、映画オリジナルのキャラクターである酒屋のおやじが日米開戦に万歳するぐらいだ。

 山田監督は産経新聞のインタビューに応えて、『小さいおうち』で描きたいのは「戦前の昭和のサラリーマンの家庭の穏やかな暮らし方を思い返したい、見つめてみたいということ。これは僕の少年時代の思い出でもあるわけだ」と述べており、1964年生まれの原作者が取材の蓄積から『小さいおうち』を著したのに対し、1931年生まれの山田監督はノスタルジーを込めて過去を振り返っていることが判る。

 そのため、ラストの平井のセリフの矛先も、原作と映画ではまったく異なる。
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 あの時代は誰もが、なにかしら不本意な選択を強いられたと、平井氏は言った。
 「強いられてする人もいれば、自ら望んだ人もいて、それが不本意だったことすら、長い時間を経なければわからない。そういうことがあるものです。」
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 これはタキの行動を説明しようと平井が口にする言葉だが、原作ではこの後、平井自身の行動が語られて、自分の行動への弁解にもなっている。
 その上、タキの行動に対して平井とは異なる健史の解釈がかぶさることで、この言葉のインパクトはずいぶんと弱められている。
 ところが映画では平井の弁解の部分が削られ、健史の解釈も削られているので、誰もが「不本意な選択を強いられた」被害者である印象を残して本作は幕を閉じる。
 山田洋次監督にとって、市井の人々はあくまで善良で、あくまで被害者なのだろう。
 これを山田洋次監督らしさと見るか、山田洋次監督の限界と見るかは人それぞれだろうけれど。

 そんな善良な人々の物語でありながら、本作が扱うのは人妻の不倫だ。
 旦那様やぼっちゃんの描写が薄い分だけ、本作は原作以上に正治を巡る不倫劇の比重が高まった。
 「監督生活50年で初となるラブストーリー」と宣伝される本作だが、『男はつらいよ』シリーズはすべて寅次郎もしくは満男の恋物語なのだから、もちろんそんなことはない。ただ、女性の視点から不倫を描くのは、山田洋次監督には珍しい。
 原作からの取捨選択により、映画『小さいおうち』はすっかり不倫劇と化しているが、山田洋次監督はなぜそうまでして不倫劇を撮ったのだろうか。

■「失敗作」への挑戦

 與那覇潤氏による小津安二郎監督の研究書『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』に、面白い表が載っている。
 戦中・戦後における小津安二郎監督作品の公開年月日とキネマ旬報ベスト・テンの順位だ。キネマ旬報ベスト・テンの評価が必ずしも映画の良し悪しを表すわけではないが、そこには奇妙な規則性が見て取れる。

 1948年 7位 『風の中の牝鷄』
 1949年 1位 『晩春』
 1950年 7位 『宗方姉妹』
 1951年 1位 『麦秋』
 1952年 12位 『お茶漬の味』
 1953年 2位 『東京物語』
 1956年 6位 『早春』
 1957年 19位 『東京暮色』

 この評価は今も変わることがない。小津の代表作として誰もが思い浮かべるのは、『晩春』『麦秋』『東京物語』のいわゆる紀子三部作であり、『風の中の牝鷄』や『宗方姉妹』や『お茶漬の味』や『早春』『東京暮色』を挙げる人は少ないだろう。
 ということは、小津監督はベスト・テンで1位、2位を取り、時代を超えて愛される傑作と、当時も今もあまり評価されない「失敗作」とを、ほぼ交互に発表していたことになる。

 なぜ小津ほどの監督が傑作を連打せず、定期的に「失敗作」を撮ったのか?
 その謎の答えは『帝国の残影』をお読みいただくとして、その「答え」を知ってもなお、私は世間同様に紀子三部作が好きであり、『風の中の牝鷄』や『宗方姉妹』や『お茶漬の味』『早春』『東京暮色』はあまり好きではない。それは前者の作品群が、家族といえどもいずれバラバラになってしまうことを知りつつ、調和のある生活を送ろうとする大人の処し方を描くのに対し、後者の作品群が取り上げるのが、*不倫や夫婦の危機*だからだ。それらの辛気臭い話は、ただただ観るのが辛いのである。

 だが、小津監督ですら傑作を連打できずに「失敗作」を撮ってしまうのではなく、與那覇潤氏が指摘するように後者の作品群こそ小津安二郎の本音であり、あいまに発表された「傑作」は小津が人々の求めに応じて作った「嘘」だとしたらどうだろう。
 小津を目標とする映画人は、どちらの作品群に切り込むべきだろうか。
 山田洋次監督が『東京物語』を世界一と称えつつ、その哲学に共鳴していないらしいことは、以前の記事に書いたとおりだ。

 こうしてみると、『麦秋』を舞台化し、小津同様に歌舞伎の映像化を手がけ、『東京物語』を徹底的に真似して『東京家族』を撮った山田洋次監督の次なるターゲットが、小津の「失敗作」と云われる作品群、それも『東京物語』の次に発表された『早春』になるであろうことは想像に難くない。
 そして小津映画でも異色作といわれる『早春』は、戦争の影を引きずるショウジの不倫により、家庭に危機が訪れる映画なのだ。

 ただし、名作の誉れ高い『東京物語』とは違って、『早春』は知名度も評価も『東京物語』に数段劣る。いかに山田洋次監督といえども、『早春』のリメイクなんて企画を通せるはずもない。
 そんなときに、戦争と不倫とショウジが揃い、直木賞受賞のベストセラーとして話題性も満点の小説に出くわしたら――。

 『小さいおうち』は山田洋次監督が撮るべくして撮った映画だ。
 遂に山田洋次監督はここまで来たのである。


小さいおうち 特典ディスク付豪華版 ブルーレイ&DVDセット(3枚組)【初回限定生産】 [Blu-ray]小さいおうち』  [た行]
監督・脚本/山田洋次
脚本/平松恵美子
出演/松たか子 黒木華 片岡孝太郎 吉岡秀隆 妻夫木聡 倍賞千恵子 橋爪功 吉行和子 室井滋 中嶋朋子 林家正蔵 ラサール石井 米倉斉加年 木村文乃 夏川結衣 小林稔侍 笹野高史 螢雪次朗 松金よね子
日本公開/2014年1月25日
ジャンル/[ドラマ] [ミステリー]
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【theme : 邦画
【genre : 映画

tag : 山田洋次 平松恵美子 松たか子 黒木華 片岡孝太郎 吉岡秀隆 妻夫木聡 倍賞千恵子 橋爪功 吉行和子

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