『ATOM』 科学の子から父さんの子へ
【ネタバレ注意】
またか。
科学技術の粋を集めた空中都市メトロシティとスクラップに覆われた地上がスクリーンに映し出されるのを見つめながら、私は感じていた。
どうも未来の地球はゴミやスクラップに覆われて荒廃する、というのが現代の映画制作者の共通認識らしい。
『ウォーリー』でも地球は(成層圏も含めて)ゴミだらけになっており、人類は科学技術に守られた宇宙船の中で安穏としていた。
『ATOM』と同じく手塚治虫原作で先ごろリメイクされたテレビアニメ『ジャングル大帝』でも、地球は荒廃してしまい、ジャングルが残っているのは人工島の上だけだった。
かつて手塚治虫がマンガに描いた世界をそのまま現代に蘇らせるのは照れ臭いのか、そんな世界はあり得ないとみんなが思っているのか。
もちろん、科学技術の影の部分が描かれることはこれまでもあった。
ゴジラはヘドラと闘ったし、スペクトルマンは公害から生み出された怪獣たちと闘った。
H・G・ウェルズが『タイムマシン』(1895)にモーロックを登場させたときから、影の部分はいつも描かれていた。
しかし近年の作品が異なるのは、影の部分が世界の大部分を占めてしまい、手塚マンガのような明るい世界は空中都市や人工島などの閉鎖空間にしか存在が許されない点だ。
ここで、毎日新聞の科学環境部の記者による次の記事を思い起こさずにいられない。
---
高校に出前授業に出かけた研究者がため息まじりに話してくれた。
「科学技術が役に立っていると思う人?」と生徒に聞いたら、しばらくして半分ぐらい手が挙がった。「科学技術が環境を壊していると思う人?」と聞いたら、間髪入れず全員の手が挙がったという。「若者は科学技術より環境を大切に思っているんですね」
---
-毎日新聞 2009年6月27日 東京朝刊 発信箱-
また、アトムの日本語吹き替えを務めた上戸彩さんもインタビューに答えてこう話している。
---
ところで「ATOM」のような、全てがオートメーション化された便利な世界は来ると思う?
「実現することはありえると思いますけど、やっぱり来ないでほしいな~。便利であるほど人間の心も薄くなりそうだし、自分で歩かないと健康にも悪そうで。」
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- Highway Walker 2009年10月号 -
科学技術の進展と、環境破壊や人間関係の希薄化に、因果関係があるかのように語るのは本来おかしい。環境を破壊するのは、環境を犠牲にすることを厭わない人間の欲望だし、人間関係を希薄にするのは人々が濃密な関係を避けるからだ。
しかし人々は、本来は手段でしかない科学技術を、原因であるかのように錯覚している。
手塚治虫の想いとは裏腹に、いまや科学技術を発展させることは夢や希望にならないのだ。
それどころか、世界の荒廃を招くだけだと思われている。
その思いを表したのが、スクラップに覆われた広大な地上と、箱庭のような空中都市である。
両者のあいだをつなぐのは何か?
『ATOM』のラストでは、アトムと少女コーラがメトロシティと地上の双方につながりを持つことから、仲立ちを務めていくだろうことが予感される。
しかし、『ウォーリー』の人々がみずからの脚で立ち、みずからの意思でゴミだらけの地球に戻るのとは違い、空中都市メトロシティの住民はアクシデントのために地上に降りる羽目になったにすぎない。はたして地上の住民と手を取り合っていけるのだろうか。
メトロシティの大統領選では穏健派の候補者が支持率を伸ばしていることから変化の兆しは示唆されているものの、アトムとコーラの前途は多難である。
『ATOM』 [あ行]
監督・脚本/デヴィッド・バワーズ 脚本/ティモシー・ハリス
出演/フレディ・ハイモア ニコラス・ケイジ ドナルド・サザーランド ビル・ナイ
日本語吹替版の出演/上戸彩 役所広司
日本公開/2009年10月10日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー]
映画ブログ
またか。
科学技術の粋を集めた空中都市メトロシティとスクラップに覆われた地上がスクリーンに映し出されるのを見つめながら、私は感じていた。
どうも未来の地球はゴミやスクラップに覆われて荒廃する、というのが現代の映画制作者の共通認識らしい。
『ウォーリー』でも地球は(成層圏も含めて)ゴミだらけになっており、人類は科学技術に守られた宇宙船の中で安穏としていた。
『ATOM』と同じく手塚治虫原作で先ごろリメイクされたテレビアニメ『ジャングル大帝』でも、地球は荒廃してしまい、ジャングルが残っているのは人工島の上だけだった。
かつて手塚治虫がマンガに描いた世界をそのまま現代に蘇らせるのは照れ臭いのか、そんな世界はあり得ないとみんなが思っているのか。
もちろん、科学技術の影の部分が描かれることはこれまでもあった。
ゴジラはヘドラと闘ったし、スペクトルマンは公害から生み出された怪獣たちと闘った。
H・G・ウェルズが『タイムマシン』(1895)にモーロックを登場させたときから、影の部分はいつも描かれていた。
しかし近年の作品が異なるのは、影の部分が世界の大部分を占めてしまい、手塚マンガのような明るい世界は空中都市や人工島などの閉鎖空間にしか存在が許されない点だ。
ここで、毎日新聞の科学環境部の記者による次の記事を思い起こさずにいられない。
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高校に出前授業に出かけた研究者がため息まじりに話してくれた。
「科学技術が役に立っていると思う人?」と生徒に聞いたら、しばらくして半分ぐらい手が挙がった。「科学技術が環境を壊していると思う人?」と聞いたら、間髪入れず全員の手が挙がったという。「若者は科学技術より環境を大切に思っているんですね」
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-毎日新聞 2009年6月27日 東京朝刊 発信箱-
また、アトムの日本語吹き替えを務めた上戸彩さんもインタビューに答えてこう話している。
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ところで「ATOM」のような、全てがオートメーション化された便利な世界は来ると思う?
「実現することはありえると思いますけど、やっぱり来ないでほしいな~。便利であるほど人間の心も薄くなりそうだし、自分で歩かないと健康にも悪そうで。」
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- Highway Walker 2009年10月号 -
科学技術の進展と、環境破壊や人間関係の希薄化に、因果関係があるかのように語るのは本来おかしい。環境を破壊するのは、環境を犠牲にすることを厭わない人間の欲望だし、人間関係を希薄にするのは人々が濃密な関係を避けるからだ。
しかし人々は、本来は手段でしかない科学技術を、原因であるかのように錯覚している。
手塚治虫の想いとは裏腹に、いまや科学技術を発展させることは夢や希望にならないのだ。
それどころか、世界の荒廃を招くだけだと思われている。
その思いを表したのが、スクラップに覆われた広大な地上と、箱庭のような空中都市である。
両者のあいだをつなぐのは何か?
『ATOM』のラストでは、アトムと少女コーラがメトロシティと地上の双方につながりを持つことから、仲立ちを務めていくだろうことが予感される。
しかし、『ウォーリー』の人々がみずからの脚で立ち、みずからの意思でゴミだらけの地球に戻るのとは違い、空中都市メトロシティの住民はアクシデントのために地上に降りる羽目になったにすぎない。はたして地上の住民と手を取り合っていけるのだろうか。
メトロシティの大統領選では穏健派の候補者が支持率を伸ばしていることから変化の兆しは示唆されているものの、アトムとコーラの前途は多難である。
『ATOM』 [あ行]
監督・脚本/デヴィッド・バワーズ 脚本/ティモシー・ハリス
出演/フレディ・ハイモア ニコラス・ケイジ ドナルド・サザーランド ビル・ナイ
日本語吹替版の出演/上戸彩 役所広司
日本公開/2009年10月10日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー]
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