『凶悪』 本当に怖いのは……

 実にいきいきとして楽しそうなのだ、リリー・フランキーさんが。本作では人殺しに興じるリリー・フランキーさんの嬉々とした笑顔が見られる。
 男気いっぱいでせっせと人を殺すピエール瀧さんも頼もしい。
 『凶悪』は、この二人が演じる極悪人の非道ぶりをこれでもかと描いた作品だ。

 もとよりピエール瀧さんは外見が怖そうだ。
 電気グルーヴの他のメンバーが小さいわけではなかろうが、ピエール瀧さんはひときわ巨大に見えた。電気グルーヴのアルバムでも豪快な名曲『Fuji-san』や『Oshogatsu』を作詞・作曲したピエール瀧さんは、外見も豪快なのだ。
 それなのに『ALWAYS 三丁目の夕日』の氷屋さんとか『僕達急行 A列車で行こう』の鉄道ファン等、温厚な役が少なくない。
 それはそれでいいのだが、ピエール瀧さんには巨体を活かした豪快な役をやって欲しい。そう思っていたところに登場したのが本作の暴力団組長・須藤純次だ。
 面倒見が良くて、殺人や死体の始末を頼まれたら嫌とは云わない誠実な男で、自分を裏切る者は決して許さない。こんなヤツのそばにいたら、いつか必ず殺されるに違いない。ピエール瀧さんはそう思わせる恐ろしさを漲らせていた。

 物語は、ピエール瀧さん演じる須藤純次が暴力団員らとともに次々に人を殺していくところからはじまる。
 モデルとなった死刑囚の後藤良次を取材してきた原作者宮本太一氏も、ピエール瀧さんの演技に「実物の死刑囚よりはるかに凶暴で、迫力があったことを保証させていただきます。」とメッセージを寄せている。

 本作のモデルとなった事件はあまりにも異常だ。
 死刑囚がまだ警察も知らない三件もの殺人を雑誌記者に告白したことから明るみになった事件――茨城上申書殺人事件がそれであり、その顛末をまとめた「新潮45」編集部編『凶悪 ある死刑囚の告発』が本作の原作である。
 殺人、強盗致死、逮捕監禁、放火未遂、覚醒剤所持・使用、窃盗等による死刑判決に対して上告中の犯人が、わざわざ余罪を告白し、その罪の大きさを世間に訴えようとするなんて普通では考えられない。しかも告白したのは残忍極まりない殺しばかりときたもんだ。

 映画が描く事件はあまりの凶悪さに気分が悪くなるほどで、何組ものカップルが途中で席を立っていた。
 だが、面白さを感じるのもその凶悪さだ。
 多くの人は殺人が行われる場に居合わせることはない。だから人を殺す人間がどんな表情で、どんな言葉を口にしながら犯行に及ぶかは想像するしかない。
 これまで多くの映画やテレビドラマが殺害シーンを映像にしてきたけれど、脚本家も監督も俳優も人を殺した経験はないから、いかに迫真の演技とはいえ、いずれも作り物に過ぎない。

 本作が凶悪だと感じるのは、その殺しのひどさが腑に落ちるからだ。尋常ではない凶行が、説得力をもって迫るのである。人を殺すっていうのはきっとこんな風なんだろうな、そう観客を納得させるところが凶悪なのだ。
 須藤純次はある意味で正直な男だ。
 「てめえ、ぶっ殺してやる。」
 怒りにまかせてそんな言葉を口にすることはあっても、実際に人を殺すとは限らない。
 ところが須藤純次は、口にしたことはちゃんとやる。嘘や脅しではない。その「ちゃんとやる」ということが本当に恐ろしい。

 そして須藤純次以上に恐ろしいのが、リリー・フランキーさん演じる不動産ブローカーの木村孝雄だ。
 モデルとなるのは実在の不動産ブローカー・三上静男。後藤良次は自分が死刑判決を受けているのに、三件もの殺人を首謀した三上がシャバでのうのうと暮らしているのが赦せず告発に及んだようだが、映画が取り上げるのはもっぱら二人が協力して殺人・死体遺棄を行う過程だ。

 リリー・フランキーさんは、「先生」と呼ばれてみんなから慕われる木村孝雄を清々しく演じている。
 心の底から殺人を楽しむその姿には、誰しも慄然とするだろう。
 凶行に走る異常者を扱った映画は過去にもあるが、木村や須藤は異常者には見えない。それどころか人殺しや死体の始末に精を出す彼らは、部活動を楽しむ中学生のようである。
 本作でとりわけ印象的なのが、木村、須藤両家族でパーティーをするシーンだ。子供たちのいる前で、世間話のように自分たちの殺しっぷりや被害者の無様な死に方を歓談する光景は、話題さえ除けば和やかなパーティーでしかない。そこに異常な殺人鬼像は微塵もない。

 それはそうだ。人間は誰しも平気で殺しを行えるはずだ。
 魚や動物を殺せなかったら、私たちは飢えてしまう。これまで人類は他の集団を襲って食料を奪ったり、襲ってきた敵をやっつけることで生き延びてきたはずだ。多くの動物は闘争本能を備えており、それは人間とて変わらない。
 現代社会で闘争本能を解放する例がスポーツの試合だろう。つぶてを投げたり、棍棒を振り回したり、獲物を追いかけ回したり、そんな"模擬戦闘"に人々は熱狂し、見るだけで興奮する。
 しかも多くのスポーツ大会は地域や国ごとに争う形になっており、集団間の戦争を再現している。
 それを思えば、木村や須藤が野球の試合を振り返るように殺人の成果を語らうのも不思議ではないだろう。

 とはいえ、私たちは日常的に人を殺したりはしない。
 他の集団との戦いに勝ち残り、生き延びるためには、仲間同士で団結する協調性も必要だから、私たちは闘争本能だけでなく、身近な人と共感・協調する性質も持っている。多くの人は攻撃性と協調性のバランスの上に日々の生活を営んでいる。
 そのバランスが少しだけ崩れている違和感が、この映画の怖さだ。
 それは、名前も顔も知らない他国の兵士を砲撃するのとは異なる。目の前にいて、協調しようと思えば協調できる相手を攻撃してしまう、それほどの凶暴さが人間の中に潜んでいること、そしてその凶暴な行為をスポーツのように楽しんでしまうことに納得するから恐ろしいのだ。

 現実の凶悪な連続殺人を題材にした映画には、たとえば『冷たい熱帯魚』がある。
 だが、『冷たい熱帯魚』の殺人犯が伝統的な道徳性を克服し、善悪の彼岸を目指すような力強さを示すのに対し、本作の木村や須藤はせいぜい三塁打を打てて喜ぶ中学生並みであり、その常人ぶりがかえって観客の胸に刺さる。彼らは目を逸らしたくなるほどに卑近なのだ。


 さて、このように恐ろしい事件を扱った本作だが、本当の怖さは別のところにある。
 死刑囚の上申を受けて動き出した警察が事件化したのは、カーテン販売会社(映画では電機設備会社)社長の保険金殺人だけだった。
 死刑囚は他にも生き埋め事件と死体焼却事件を告発していたのだが、読売新聞によれば、生き埋め事件の被害者は20年以上前から消息不明であり、事件当時に生存していたと云えるかどうか警察には判らなかった。死体焼却事件に至っては、「大塚」という被害者の実在すら確かめられなかった。
 そのため警察は二つの事件を取り上げず、保険金殺人に的を絞ったのだ。

 死刑囚が告白しなければ、いずれの事件も明るみに出なかった。そのうえ三つも事件があるのに、警察は一つしか取り上げなかった。それこそがこれら事件のもっとも恐るべき点だろう。

 劇中、雑誌記者に告白する死刑囚が、「先生」とはかかわりのない第四の事件を喋ってしまうシーンがある。「先生」を告発するのが目的なのに、うっかり目的外のことを喋る迂闊さに、記者と死刑囚は笑ってしまう。これは後藤良次が首吊り自殺に見せかけて知人を絞殺した事件を指すのだろうが、いったいどれだけ余罪があるのかとゾッとする場面だ。
 映画は「先生」に関係のないこの事件までは収めきれず、笑い話で済ませてしまうのだが、そんな軽い扱いがますます怖い。

 後藤と三上の犯罪をすべて取り上げたら切りがないからだろう。映画は事実を刈り込んでいる。
 そもそも後藤良次が死刑判決を受けたのは、宇都宮市のマンションに男女を監禁して死傷させたからだが、被害者の男女四人を映画では二人だけにしている。しかも四人に対する仕打ちは映画以上に残酷だった。
 事実を誇張してフィクションにする例はしばしば目にするが、映画化に当たって事実が矮小化され、にもかかわらずこれほど凶悪な事件が描かれたことに驚くばかりだ。

 『凶悪』のタイトルは伊達じゃない。
 この映画を最後まで観られずに席を立ったカップルの気持ちがよく判る。


凶悪 [Blu-ray]凶悪』  [か行]
監督・脚本/白石和彌  脚本/高橋泉
原作/「新潮45」編集部
出演/山田孝之 ピエール瀧 リリー・フランキー 池脇千鶴 ジジ・ぶぅ 白川和子 吉村実子 小林且弥 斉藤悠 米村亮太朗 松岡依都美 村岡希美 九十九一
日本公開/2013年9月21日
ジャンル/[サスペンス] [犯罪] [ドラマ]
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【theme : 邦画
【genre : 映画

tag : 白石和彌 山田孝之 ピエール瀧 リリー・フランキー 池脇千鶴 ジジ・ぶぅ 白川和子 吉村実子 小林且弥 斉藤悠

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