『オール・ザ・キングスメン』 公開されなかった傑作

 【ネタバレ注意】

 1976年に日本で封切られた『オール・ザ・キングスメン』は、すでにハブリック・ドメイン扱いなのでごく安価にDVDを買うことができる。
 なぜ、1976年の封切り作がハブリック・ドメインかといえば、アメリカ本国では1949年に公開された映画だからだ。アカデミー賞の7部門にノミネートされ、作品賞、主演男優賞、助演女優賞を獲得した傑作でありながら、27年ものあいだ日本には入ってこなかった。

 この間の事情をKINENOTEでは「政治の裏側を徹底して暴いているため、政治的圧力を受けて日本公開されなかった問題作」と説明している。
 「政治的圧力」なんて禍々しく表現すると陰謀論のようだが、1949年といえば日本は独立国ではなく、GHQ (General Headquarters)が統治していた頃だ。アメリカ映画はGHQが設立した Central Motion Picture Exchange (セントラル映画社)を通してしか輸入されず、ようやくGHQによる検閲が映倫(映画倫理規程管理委員会)の審査に切り替わったところだった。
 こんな時期に、監督・脚本を務めたロバート・ロッセンが赤狩りの一環で下院非米活動委員会へ召喚され、元共産党員であることが取り沙汰されるような映画を、あえて日本に輸入する者がいるだろうか。当時米国ではマッカーシズムが吹き荒れており、日本でも第3次吉田内閣が下院非米活動委員会をモデルにして共産主義勢力を取り締まろうとしていた。
 もしもロバート・ロッセンが召喚されなければ、本作はアカデミー賞の監督賞と脚色賞だって受賞していたかもしれない。

 本作はたしかに政治家の汚さ、強欲ぶりを描いており、「政治の裏側を徹底して暴いて」いる。他の映画紹介でも、同様の観点で書かれた記事が多い。
 「政界浄化を唱え知事選にうって出た小役人が、二度の落選で理想主義を地にまみれさせ、俗物に堕ちて行く様を描く」(allcinema)
 「野心家の地方政治家が権力欲の虜となって自滅していく様を描く硬派のドラマ作品」(ウィキペディア)

 だが、一政治家の汚職よりもこの映画が刺激的だったのは、富裕層と貧困層を対比した描き方だろう。
 金持ちはみんな傲慢で汚く、貧困層はなけなしの金を税という制度で取り上げられる。政府に不満を持つ民衆が大規模なデモ隊を組み、議事堂を取り囲んでシュプレヒコールを上げる。
 21世紀の今では何のこともない描写だが、激しくなる労働運動をGHQが制限しようとしていた当時は強烈だったに違いない。

 このように、民衆を描いていることが本作の特徴だ。
 政治家の汚さや権力欲を描いた映画は少なくないし、最近でも『スーパー・チューズデー ~正義を売った日~』が選挙戦の裏側を描いていた。
 だが、『オール・ザ・キングスメン』が本当に問いかけているのは、政治家の素行などではない。
 もっと大きな問題――その政治家を支持したのは誰なのか、選んだのは誰なのかという問題だ。
 『スーパー・チューズデー ~正義を売った日~』に足りないのはこれだった。激しい選挙戦が展開されながら、そこには選挙民が描かれていなかった。

 だから本作は富裕層と貧困層の格差を憂う映画でも、議事堂を取り囲む民衆を応援する映画でもない。
 簡単に煽られてしまう民衆の怖さ、群れを成して騒ぐことで民主主義に貢献したつもりになっている民衆の底の浅さこそがあぶり出されている。


 『オール・ザ・キングスメン』は、ピューリッツァー賞を受賞した1947年の小説の映画化だ。
 主人公ウィリー・スタークは、元ルイジアナ州知事のヒューイ・ロング上院議員がモデルだという。ヒューイ・ロングは、もしも1935年に医師カール・ワイスに射殺されなければ、フランクリン・ルーズベルトに代わって第二次世界大戦時の大統領職にあったかもしれない人物だ。

 原題「All The King's Men(王様の家来みんな)」はハンプティ・ダンプティ(卵)の詩に由来するが、ロングの掲げたスローガン「Every Man a King(みんなが王様)」のもじりでもあるのだろう。
 題名のとおり、本作は田舎の出納官ウィリー・スタークが権力の座にのし上がり汚れていく中で、みんな彼に服従するだけになっていく。
 本作の魅力は、何といってもロバート・ロッセン監督みずから手掛けた脚本にある。物語にはスキがなく、鋭いセリフが丁丁発止と飛び交う。
 とくに印象的なセリフを、以下に紹介しよう。

 物語の冒頭、郡の役人から嫌がらせを受けながら、それでもひるまず役所の不正について演説するウィリーを、新聞記者のジャック・バーデンが取材する。
 ジャックは、愚直なウィリーの姿に感銘を受けて彼の紹介記事を書き、その最後にこう記した。
 「スタークは滅多にいない勇敢で正直な人物だ。」
 このとき、ジャックは本気でそう思っていた。

 けれどもジャックの義父は、記事を読んでたしなめる。
 義父「君の記事を読ませてもらったよ。『ウィリー・スターク』。上手いが、あれは出来すぎだ。」
 ジャック「支持者はたくさんいます。」
 義父「愚かな連中だ。あんな記事を載せてはいけない。民衆を煽るだけだ。」
 大富豪の義父は尊大で失礼な男だ。ジャックは義父に反発する。
 この時点では映画の観客も、正義漢のウィリーや一本気なジャックの肩を持っているから、義父の言葉は不愉快に聞こえる。
 後になって観客は知ることになる。本作でただ一人、他人の家来にならなかったのが、この義父だけであることを。

 やがてウィリーは州知事に立候補する。
 だが彼は演説が下手だった。彼は税制上の問題点を数字を示しながら誠心誠意説明するのだが、聴衆の耳には届かない。細かい数字の話なんて、誰も興味を持たないのだ。
 ジャックはウィリーに演説の仕方を説教する。
 「多くを語りすぎてる。ただ金持ちを一掃すると云えばいい。税金のことは忘れるんだ。聴衆を泣かせて笑わせて怒らせて、感情に訴えれば民衆はもっと聞きたくて集まってくる。」
 ジャックは気付いていないが、これでは義父の指摘どおりだ。民衆を愚か者扱いし、煽ることを考えている。

 とはいえ、これは現在の選挙戦でも大事なポイントだ。
 2005年、小泉純一郎首相は郵政民営化の是非を問うため衆議院を解散した。この総選挙において、テレビCM等で知られるクリエイティブディレクター岡康道氏は民主党の宣伝を担当していた。
 岡氏は自民党が圧勝したこの選挙を振り返り、次のように語っている。
---
小泉純一郎は、とってもシンプルに民営化、それだけ、と絞っていたから、論点ははっきりしていた。それで、民主党の党首だった岡田克也さんには、向こうの戦略はこうだから、こちらもシンプルに選挙を戦いましょうと提案した。

ところが岡田さんがいわく、「政治というのは複雑なものです。その複雑なものをシンプルに表現したら、これは詐欺です」と。それで僕も、いや、この人、本気なんだな、と信念を感じて、複雑なまま広告にして、大敗しちゃったわけです。
(略)
確かにマスメディアの発達とか、国民の理解度とかの分析をすると、政治家の発言は、シンプルにして、何度も言うというのが効く、というのはあるんだよ。それは岡田さんだってちゃんと分かっている。だけど彼は、どんな手を打っても勝つ、ということよりは、自分の信念を貫いた方がいい、とした。
---

 この大敗を受けて岡田克也氏は党首を辞任、民主党は2009年の総選挙ではシンプルに「政権交代」一色を打ち出し、大勝利を収めることになる。
 ウィリー・スタークも、メモを見ながら数字の説明をしていたときは聴衆の心を掴めなかったが、大声で金持ちを批判し、対立候補を罵倒し、自分が聴衆と同じ田舎者でしかないことをアピールすると、にわかに支持が高まった。

 それでも、はじめての州知事戦では惜敗してしまったウィリーだが、彼はこの戦いで勝ち方を学んだ。
 二度目の州知事戦に臨んだ彼は、もう細かいデータなんか用意しなかった。
 「私の選挙方針はこうだ。『私欲に満ちた金持ちを一掃してやる!』」
 これはかつてジャックが云わせようとしたことだった。
 彼の「選挙方針」は貧困層に受け、彼は遂に州知事となる。

 ウィリーに対して懐疑的な者もいた。
 エリート医師のアダム・スタントンは、ウィリーに良からぬ取引の噂があることを問い質した。
 ウィリーは、取引があることは認めた上で、逆にアダムに聞き返した。
 ウィリー「善人のあなたに訊きたい。」
 アダム「どうぞ。」
 ウィリー「善はどこから来ますか?」
 アダム「あなたが答えてください。」
 ウィリー「善は悪から生まれるんです。他のものからは生まれません。判りますか。」
 アダム「いいえ、まったく。では聞かせてください。あなたははじめに悪があり、善はそこから来るというが、善や悪を決めるのは誰ですか。あなた?」
 ウィリー「そうだ。」
 アダム「方法は?」
 ウィリー「簡単です。その場で作っちゃうんですよ。」

 権勢を誇ったウィリーだが、違法行為を問われて議会で弾劾されることになると、民衆を味方にするために演説会を重ねた。
 ナレーション「州を駆け回って次々に演説を行ったが、すべて云いたいことは一つだった。『非難されているのは民衆だ』と。相手を責め続け、長く強く大きな声で叫び続けると、民衆は彼を信じた。信じなかったときのために、彼はみずからデモを組織した。」
 ウィリー「いいか、田舎者たちを集めろ。農村から全員駆り出してこい。全員だ。田舎者を駆り出せ!」
 こうして議事堂は、ウィリーを支持する民衆に取り囲まれた。

 ウィリーのやり方に嫌気が差したジャックは、ウィリーの許を去ろうとする。
 その頃、ウィリーを恨む医師アダム・スタントンは、史実のヒューイ・ロング殺害事件のようにウィリーを襲撃する。
 ウィリーのボディガードによって蜂の巣にされるアダム。
 ジャックは、錯乱するアダムの妹アンを押さえつけて叫ぶ。
 「アダムの死を無駄にしないようにしなくちゃいけない。アン、僕たちはアダムの死に意味を持たせなくちゃいけないんだ。」そして議事堂を取り巻く群衆を指して「あの人たちを見ろ。見るんだ。ウィリーを信じてる。彼らにアダムの気持ちを理解させなければ彼の死には意味がない。」

 私はこのセリフを聴いてハッとした。
 私たちは何ごとにも、目的や意味を求めがちだ。「何のために生まれたのか」「何のためにあるのか」と、つい考えてしまう。このような性質は人間が生まれつき備えるもので、求めるような目的や意味はないことがなかなか理解できない。
 このセリフが重要なのは、ジャックが「アダムの死に意味がある」とは云ってないことだ。意味のあることだから落ち着け、と云うのではない。残った自分たちが「意味を持たせなくちゃいけない」と主張しているのだ。
 なるほど、ものごとに勝手に意味を見出して納得する人は多いかもしれない。
 しかし、意味を持たせるべく行動している人がどれだけいるだろうか。

 本作は、ヒューイ・ロング殺害事件からたったの14年後、弟のアール・ロングがルイジアナ州知事になり、息子のラッセル・ロングが上院議員になった翌年に公開された。
 このような時期に、殺人犯こそ善人だったと訴える映画をつくるとは、それがアカデミー賞の作品賞を制するとは、まったくもって驚きだ。
 映画の作り手自身が、民衆にアダムの気持ちを理解させなければ彼の死には意味がないと考えていたのだろう。

 アダム――それは最初の人間にして、善悪の知識の木の実を食べた男の名である。


[*] 文中のセリフは、有馬康作氏の訳を参考にした。

オール・ザ・キングスメン [DVD]オール・ザ・キングスメン』 [あ行]
監督・制作・脚本/ロバート・ロッセン
出演/ブロデリック・クロフォード ジョン・アイアランド マーセデス・マッケンブリッジ ジョーン・ドルー ジョン・デレク アン・シーモア シェパード・ストラドウィック ポール・フォード
日本公開/1976年9月25日  米国公開/1949年11月8日
ジャンル/[ドラマ]
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