『風立ちぬ』 宮崎駿と堀越二郎を繋ぐのは誰だ?

 宮崎駿監督の育った家は、戦争中とても景気のいい家だった。
 自動車の個人所有が一般的ではなく、しかも原油不足から民間では木炭自動車が使われていた当時にあって、彼の父はガソリンの自家用車に乗っていた。世間が食糧難で、食べる物が何もない中、宮崎家はおひつでご飯を食べていた。

 叔父が社長、父が工場長を務める宮崎航空興学は、軍需産業の一員として飛行機部品を組み立てていた。栃木県の工場には千数百人の工員がいたというから、ちっぽけな町工場ではない。なるほど、裕福な一族だったのだろう。

 だが、未熟な女の子たちを臨時工として動員しても、できた翼は規格に合わない。規格に合わなくても、検査官の軍人にポケットマネーを渡せば通ってしまう。
 それで特攻隊の青年たちが乗る飛行機は、できたときから機関銃に穴が開いていないような欠陥品だったという。
 エンジンは油がボトボト漏るし、1000馬力のはずが500馬力しか出ない。そういう飛行機に青年を乗せて、戦場を飛ばせていたのだ。
 男はみんな兵隊に引っ張られる時代だったが、軍需産業に必要だからと手を回すことで、宮崎監督の父方の親戚は戦争に行くこともなかった。

 映画『風立ちぬ』には空襲のシーンがある。
 宮崎駿監督もまた空襲を経験している。
 といっても、1941年1月生まれの宮崎監督は、1945年7月の宇都宮空襲のときにわずか四歳半。だから記憶は不確かだろうが、それでも焼夷弾で町中が燃える中を小さなトラックで逃げたこと、女の子を抱いた近所のおばさんが「乗せてください」と駆け寄ってきたことは憶えているという。
 宮崎監督はそのときのことを回想して、次のように述べている。[*1]
---
自分が戦争中に、全体が物質的に苦しんでいる時に軍需産業で儲けてる親の元でぬくぬくと育った、しかも人が死んでる最中に滅多になかったガソリンのトラックで逃げちゃった、乗せてくれって言う人も見捨ててしまった、っていう事は、四歳の子供にとっても強烈な記憶になって残ったんです。それは周りで言ってる正しく生きるとか、人に思いやりを持つとかいうことから比べると、耐え難いことなわけですね。それに自分の親は善い人であり世界で一番優れた人間だ、っていうふうに小さい子どもは思いたいですから、この記憶はずーっと自分の中で押し殺していたんです。それで忘れていまして、そして思春期になった時に、どうしてもこの記憶ともう一回対面せざるを得なくなったわけです。
(略)
自分のどっかの根本に、自分が生まれてここまで生きて来たってことの根本に、とんでもないごまかしがあるっていうふうに気がついたんです。
---

 その問題と対決した宮崎青年は、とうぜん親とも喧嘩した。
 そして、あのとき運転していたのが自分だったらトラックを止めただろうかと自問する。

 その宮崎駿監督が、『コクリコ坂から』に続いて『風立ちぬ』に取り組んだのは必然といえよう。
 宮崎監督は、身の周りを意識しながら作品を創ってきた人だ。
 長年、我が子や孫に向けてアニメーションを創ってきた宮崎駿氏は、企画・脚本を手掛けた『コクリコ坂から』で二つのことに挑戦した。一つは自分自身と向かい合うこと、もう一つは現実の戦争に取り組むことだ。
 だから『コクリコ坂から』の時代設定を労働運動に励んだみずからの青年期に重ね合わせるとともに、ほとんど知られていなかった朝鮮戦争の事件を物語に絡めている(詳しくは「『コクリコ坂から』 忘れ去られたモデルとなった事件」をお読みいただきたい)。
 『コクリコ坂から』でそこまでした宮崎監督にとって、もう一歩踏み込んだ先にあるのが、幼少期から戦闘機や戦車が好きだった軍事オタクの自分と、空襲で逃げ惑った第二次世界大戦だ。
 それは、「軍需産業のおかげで育った自分」という一つのテーマに収束する。

 スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが『風立ちぬ』のパンフレットに書いているように、アニメーター宮崎駿の得意技は戦闘シーンだ。『長靴をはいた猫』(1969年)、『どうぶつ宝島』(1971年)、『アリババと40匹の盗賊』(1971年)等の激しい剣戟や追いかけっこ、あるいは『空飛ぶゆうれい船』(1969年)の戦車や『未来少年コナン』(1978年)の巨大飛行機のド迫力。その躍動感は他の追随を許さない。
 戦闘機や戦車が大好きで、生き生きとした戦闘シーンを描くにもかかわらず、作品では必ず平和を希求する宮崎駿。
 その矛盾した自分自身にメスを入れることが、アニメーション作家・宮崎駿に残された課題ではないか。そう考えてきた宮崎ファンは、私だけではないはずだ。

 鈴木プロデューサーも同じ考えだったようだ。
 鈴木プロデューサーは、宮崎監督がモデルグラフィックス誌に連載した漫画『風立ちぬ』の映画化を持ちかけた気持ちを次のように語っている。
---
宮崎駿は一九四一(昭和十六)年生まれ。子どものころは戦争中。だから、宮さんの言葉を借りれば、物心ついたときに絵を描くとなると、戦闘機ばかり。でも、一方では大人になって反戦デモにも参加する。相矛盾ですよね。
(略)
その矛盾に対する自分の答えを、宮崎駿はそろそろ出すべきなんじゃないか。僕はそう思った。年も年だし。これはやっておくべきじゃないか、と。
---

 鈴木プロデューサーの提案に対して、宮崎監督は当初「あの漫画は趣味で描いているんだ。趣味を映画にするなんてあり得ない」「アニメーション映画は子どものためにつくるもの。大人のための映画はつくっちゃいけない」と猛反対したという。
 しかし「趣味で描いている」とは、「子供のためと自分を縛らず、自分に素直に描いている」という意味だろう。

 鈴木プロデューサーは、数ヶ月後にようやく『風立ちぬ』の映画化に取り組むことにした宮崎監督の想いを紹介している。
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戦争反対でありながら、一方では兵器関係のものが好きだし、恋愛小説なども好き。「なんで自分みたいなものができたのだろう?」ということをこの映画の中で明らかにしたいということで、原作も苦労して描いていましたが、改めて映画にする時にもそれが非常に大きなテーマとなっています。
---


 このテーマに迫るため、宮崎監督は三人の人物を合成して本作の主人公「堀越二郎」を作り上げた。
 その一人は、ゼロ戦[*2]の設計主務者として有名な堀越二郎。1903年に生まれ、飛行機の開発一筋に歩んだ人物である。
 宮崎監督は堀越二郎氏に、飛行機が好きなところや軍需産業に関わることや、時間に追われながらモノ作りに打ち込む姿勢等の多くのものを仮託している。

 もう一人は、小説家の堀辰雄。堀越二郎氏より一歳下の同時代人だ。
 婚約者を肺結核で亡くした堀辰雄氏は、その体験を基に小説『風立ちぬ』を発表した。
 これまで大人の恋愛を描いたことのない宮崎監督は、『風立ちぬ』から多くのエピソードを借用している。草むらでイーゼルを立てて絵を描くヒロイン。病に臥せるヒロインを訪ねて、庭に面した大きなフランス窓から入っていく主人公。廊下をあわただしく走る看護師の姿に、かき立てられる不安感……。

 もっとも、小説『風立ちぬ』のヒロイン節子があまりにか弱く従順な女性であるためか、宮崎監督は自作のヒロインとしてもっと自立した強い女性を求めたようだ。
 本作のヒロイン里見菜穂子(さとみ なおこ)のベースは、堀辰雄氏の別の小説『菜穂子』の黒川菜穂子である。黒川菜穂子は勝手に療養所を抜け出すような行動的な女性であり、名前のみならず、その行動力も本作に活かされている。
 本作の菜穂子が二郎の上司・黒川の許に身を寄せるのも、小説『菜穂子』の影響だろう。

 けれども、宮崎監督が堀辰雄氏を持ち出したのは、何も恋愛要素を拝借するためばかりではない。
 満州事変から四年が過ぎ、堀越二郎氏が海軍の要請により戦闘機の開発に邁進していた1935年に、世俗を離れ、高原の療養所で婚約者と自分の二人だけのことを考えて暮らした堀辰雄氏。頑張れば頑張るほどどんどん戦争を引き寄せた堀越二郎氏とは対照的に、堀辰雄氏の世界には愛する女性と自分の二人しかいなかった。彼女の父ですら、堀辰雄氏の世界では闖入者だった。

 堀越二郎と堀辰雄。
 二つの生き方が同時に存在したのが当時の日本だ。それを劇中では、ドイツ人の友人カストルプの「この山にいると、満州国を作ったことも、国際連盟を脱退したことも、みんな忘れてしまう」という言葉で指摘している。
 そして兵器関係が好きだし、恋愛小説も好きな宮崎駿監督にとって、そのどちらもが自分のルーツたり得る。
 本作が、堀越二郎氏一人の評伝とはならなかったのも頷けよう。

 とはいえ、自分がアニメーションの世界に入るきっかけになるほど心酔していた『白蛇伝』ですら、描いてることに嘘があると批判する宮崎駿監督だ。[*1]
 小説『風立ちぬ』も単純には取り入れない。
 先に述べたヒロイン像の違いはもとより、仕事もせずに女と二人で療養所に引きこもる男なんて、(それが実話だったにせよ)宮崎アニメではあり得ない。だから本作の二郎と菜穂子は、二人の暮らしと二郎の仕事を両立させようと無理を重ねる。
 また小説『風立ちぬ』が、長いあいだ男女二人きりで過ごしながら額へのキス(ルパンがクラリスにしたように)しか描写しないことの不自然さを批判するように、本作では宮崎アニメには珍しくキスシーンがたっぷりある。その上、寝床をともにするシーンまである。

 さて、本作の主人公が実在した堀越二郎氏と堀辰雄氏をごちゃまぜにしたものであることは、宮崎駿監督がみずから企画書に書いている。
 だが、私は同時代に生きたもう一人の人物が重ねられていると思う。というよりも、その人物と重ねるために、同時代の堀越二郎氏と堀辰雄氏が取り上げられたのではないかと思う。
 それは、宮崎監督の父親だ。
 宮崎監督の父君は関東大震災のときに九歳だったそうだから、堀辰雄氏より十歳若い。それでも敗戦当時四歳だった宮崎監督にしてみれば、三氏ともたいして違いはない。

 戦闘機の部品を組み立てる企業を経営し、検査官にポケットマネーを渡して規格に合わなくても通してしまった父親。
 戦闘機の設計技師として軍需産業に従事した堀越二郎氏と、軍需産業のおかげで育った宮崎監督は、戦闘機の部品工場の経営者である父親を通してはじめて一つに繋がるのだ。
 鈴木プロデューサーも、この主人公はもしかしたら宮崎監督のお父さんなのではないかと思ってそれを指摘したら、「自分の親父を知りたい。この作品で」と答えが返ってきたという。

 今年72歳になる宮崎監督も知らない父親たちの若かりし時代。
 それを丁寧にたどることで、国全体が物質的に苦しんでいる時に軍需産業で儲け、人が死んでる最中に滅多になかったガソリンのトラックで逃げちゃって、乗せてくれって言う人も見捨ててしまうような人間と、世界で一番優れた善い人であるべき自分の親とが同一人物であり得るということを、理解しようとしたのではないだろうか。

 併せて、宮崎監督の胸にはひとり父親だけでなく、戦前を生きた同時代人たちへの思いもあろう。
 本作の完成報告会見に臨んだ宮崎監督は、「昭和初期の激動期である20年間に生きた、自分の親父も含む多くの人へのいろいろな思いも描いている」と語っている。[*3]


 だがしかし、矛盾に対する答えを探し求めても、見つかるのは矛盾でしかなかった。
 宮崎監督は、実在した本庄季郎をモデルとする登場人物の口を借りて、劇中幾度も「矛盾だ」とつぶやいている。
 本作には実にたくさんの矛盾が存在する。
 見知らぬ子供にシベリア(羊羹カステラ)を差し出してやる一方で、軍用機の開発に邁進する主人公。
 肺結核は感染するというのに、愛する夫を床に誘う妻。
 妻との一日一日を大切に生きていると云いながら、空気の澄んだ療養所にいるべき妻の隣でタバコを吸う主人公。

 劇中では明示的に語られない矛盾もある。
 技師たちの自主勉強会で、二郎が新型機の構想について語るシーンがある。その優れた速度や旋回性能に、聞く者はみな興奮するが、二郎はこれでは機体が重すぎると云ってその構想を先送りしてしまう。
 けれども、この二郎の構想がやがてゼロ戦として結実することは、多くの人の知るところだろう。
 では、機体を軽くするために、二郎はいかなる工夫を凝らすのか。
 軽量化を徹底するため、実のところゼロ戦にはパイロットを護るべき防弾板が搭載されていなかった。防弾ガラスも防弾燃料タンクも搭載されていなかった。
 無敵と思われたゼロ戦は、このような弱点を突かれ、日本はやがて多くのパイロットを失うことになる。

 本作はその詳しい経緯を描くことなく、戦闘機の残骸の山に立ち尽くす二郎の姿に切り替わる。
 飛行機に憧れる少年の楽しい夢から幕を開けた本作は、美しい草むらで朽ち果てる戦闘機の夢で幕を閉じる。
 世は矛盾に満ちたままだ。
 いや、そもそもそれは矛盾ではないのだ。
 私たちは同じ集団の仲間と協力して、互いに守りあう本能を持っている。同時に、他の集団を攻撃する本能も持っている。平和を好み助け合う気持ちも、攻撃を好む気持ちも、私たちの心の中に並存している。それが私たちなのだ

 それを知ってなお、私たちは生きることを試みなければならない。
 なぜか?
 それは風が吹いているから。

 風立ちぬ、いざ生きめやも。[*4]


[*1] 宮崎駿監督の戦争中の暮らしや思い出については、次の文献に詳しい。また、この中で『白蛇伝』を取り上げて、ヒロインに「人間は魂という素敵なものを持っている」と云わせながら、人間の顔をいいかげんに描く作品づくりを強く批判している。
 「宮崎駿講演採録 アニメーション罷り通る (なごやシネフェスティバル'88にて)」
 『キネマ旬報臨時増刊1995年7月16日号 宮崎駿、高畑勲とスタジオジブリのアニメーションたち』所収

[*2] 「ゼロ戦」ではなく「零戦」と表記すべきとの意見もあろうが、筆者にとってゼロ戦の原体験はテレビアニメ『0戦はやと』であるため、アニメ関係の記事では漢字表記にしない。

[*3] 2013年7月12日 読売新聞夕刊

[*4] ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節を堀辰雄氏が訳したもの。堀辰雄著『風立ちぬ』の中に、たびたび掲げられている。


風立ちぬ [Blu-ray]風立ちぬ』  [か行]
監督・原作・脚本/宮崎駿
出演/庵野秀明 瀧本美織 西島秀俊 西村雅彦 野村萬斎 風間杜夫 竹下景子 志田未来 國村隼 大竹しのぶ
日本公開/2013年7月20日
ジャンル/[ドラマ] [青春] [ロマンス]
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【genre : 映画

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