『偽りなき者』 ウイルスと嘘が似てるのは?

 【ネタバレ注意】

 『コンテイジョン』はウイルスの蔓延にさらされた人々のパニックを描くと同時に、偽情報の感染力の強さも描いた映画だった。
 デンマーク映画『偽りなき者』も、子供が口にしたデタラメのために一人の人生が台無しにされる恐ろしさを、極めてリアルに描いた映画である。

 『偽りなき者』でポイントとなるのは、人々が他人の言葉を信用してしまい、嘘に端を発した情報なのにウイルスの蔓延のごとく町中に広まってしまうことだ。主人公ルーカスへの非難には多くの人が同調する一方で、ルーカス自身の弁明は誰にも相手にされない。
 なぜ人は他人の云うことを鵜呑みにしてしまうのだろう?
 なぜ情報の真偽を吟味もせずに、不届き者を排除する方向で行動してしまうのだろう?

 石川幹人氏は、このような心理を狩猟採集時代の人類の活動から説明する。
 数十万年に及ぶ狩猟採集の時代、人間は100人程度の小さな集団で生活していた。知識や情報は容易に共有され、みんなで協力しながら狩猟を行っていたと考えられる。
 その集団の近くに山がそびえていたとしよう。山の向こうに行って生還した者はなく、長老は「山の向こうには鬼が住んでいるので、行ってはいけない」と戒める。
 このとき重要なのは、本当に鬼がいるかどうかではない。もしかしたら山向こうは他の部族の縄張りなのかもしれない。理由が何であれ、山向こうから生きて帰れた者はおらず、長老の戒めを守る限りは無事でいられる。であれば、生き残りに必要なのは他者の言葉を信じることである。
 戒めの真偽を確かめようとする者や、無視する者がいたとしても、そんな性向の者たちは山向こうで命を落とすだけだ。とうぜん子孫も残せない。数十万年のときを生き残り続けた者の子孫、すなわち私たちは、他者の言葉を信じやすい傾向が身についているのだ。

 もちろん、自分だけが得するために嘘を吐く者や、集団が不利になるようなことをする者もいたかもしれない。
 そういう「裏切り者」に対しては、私たちの「怒り」や「憎しみ」という感情が発動した。「裏切り者」にはみんなが怒りを向け、裏切りの代償を思い知らせる。そうすることで集団の秩序は維持される。
 もしも裏切りを許容するようなら、その集団は瓦解したに違いない。集団同士で激しい戦争を繰り返した先史時代、一丸となって外敵に対抗することができない集団は滅ぼされ、他集団の食料になり下がったことだろう。

 こうしてみると、本作の町の人々が裏切り行為の情報をろくに吟味もせずに、不届き者の排除へと走ったのは当然のなりゆきと云えよう。
 石川幹人氏はその著書で次のように述べている。
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人間は、裏切った人を「裏切り者」として糾弾して排除し、裏切り者の言動をはなから(内容を吟味することなく)信用しない傾向が強いのです。よく「罪を憎んで人を憎まず」と耳にしますが、人間が「人を憎む」ようにできていることに対する警鐘です。
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 人間が、進化の過程で言葉という武器を獲得したことにも注意されたい。
 言葉の特徴は、その場にいない人とも情報を共有できることである。たとえ集団への裏切りがあっても、言葉がなければ、怒るのはその場にいた人だけで終わる。けれども言葉があれば、その場にいない人にも事件を知らせることができる。過ぎたことを改めて知らせることもできる。そのため、事件当時は現場にいなかった人にも怒りは伝播してしまう。
 ジェシー・ベリングは、言葉を持つがゆえに人間はいっそう人目を気にするようになったと説く。いっときの「裏切り」が、集団の全員にいつまでも知られることとなり、裏切り者は集団にいられなくなってしまう。それが言葉の力である。
 その破壊力の大きさは、標的となった主人公ルーカスのみじめさを見れば実感できよう。

 ただし、本作の「裏切り」は濡れ衣であり、ルーカスは善良な市民だった。
 大人が子供のデタラメを真に受けることについて、公式サイトで大辺理恵氏が次のように補足している。
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デンマークでは子どもは大人と同様に、一個の尊重すべき人格を持った存在として扱われ、(略)子どもが語ることに対して、「それは子どもが言っていることでしょ」というような判断を下す大人は少ないであろう。
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 そして大辺氏は、デンマークの童話作家アンデルセンの『はだかの王さま』で子供が真実を告げることを例に挙げる。大人たちが子供の云うことを相手にしなければ、王様は人前で赤っ恥をかかなくて済んだろうに。


 このような言葉の力の前で、人目を気にし続けた人類は、やがていつでもいつまでもすべての出来事をお見通しの超越的存在を生み出した
 誰かに見られたら全員に知られてしまい、一度知られたらいつまでも非難され続ける生活は、常に誰かに見られているのではないかという気持ちを抱かせる。私たちはその「誰か」を神と名付け、誰も見ていないようでも神は見ていると考えることで、集団への裏切りを自制するようになった。
 そしてまた、「山向こうに行ってはならない」といった戒めは集団内で共有され、宗教へと発展していった。同じ宗教を信奉する者は、同じ戒めを守る仲間だから争うことはない。時代とともに集団が大きく複雑になると、集団を維持する上での宗教の重要性も増したことだろう。

 だから、町中からつまはじきにされたルーカスが人々との関係を改善するには、宗教的連帯に頼るしかなかった。
 本作がクリスマス・イブの夜にクライマックスを迎えるのは当然だ。
 スーパーでの買い物すら拒まれていたルーカスも、さすがに教会へ入るのは拒まれない。いつでもすべての出来事をお見通しの神の前に出向くことこそ、彼にとって一番の潔白の証なのだ。そしてクリスマスのミサに集まった人々も、同じ宗教を信奉するルーカスが、同じ戒めを守る仲間であることを思い出す。

 映画は、子供の親がことの真偽を考え直すことで事態が改善するかのごとく描いているが、そのような心境の変化は教会でなければ、クリスマス・イブの晩でなければ起ころうはずがない。
 それは、集団を成り立たせているもののあやふやさを示してもいよう。
 同時に、教会のような町の中心を持たない日本では、ひとたび人間関係が壊れたらいかに修復するのかと考えずにはいられない。


 嘘の標的となったルーカスは、猟師に狩られる獲物のように無力だった。
 原題『Jagten』とは、デンマーク語で「狩猟」を意味する。トマス・ヴィンターベア監督は、本作の着想の元になったものを「現代の魔女狩りに関する物語」と述べている。
 そのとおり、本作にはしばしば狩猟にまつわる場面が登場する。子供が猟銃を持てる年齢になるとみんなで祝福するし、ルーカスとて自分が狩る側のときは平気で銃を撃っている。その殺傷力の恐ろしさは、自分が狩られる側にならなければ意識することがない。

 本作は、手の込んだ陰謀ではなく子供の嘘により人生が一変する男を通して、集団の持つ危険な性向を描きだした。
 そんな嘘はいったん終息したとしても、やがて次の新種が登場するかもしれない。まるでインフルエンザの流行ように、私たちに襲いかかるのだ。


参考文献
 石川幹人 (2011) 『人は感情によって進化した』 ディスカバー・トゥエンティワン
 ジェシー・ベリング (2012) 『ヒトはなぜ神を信じるのか――信仰する本能』 化学同人


偽りなき者 [DVD]偽りなき者』  [あ行]
監督・脚本/トマス・ヴィンターベア  脚本/トビアス・リンホルム
出演/マッツ・ミケルセン アレクサンドラ・ラパポルト トマス・ボー・ラーセン スーセ・ウォルド ラース・ランゼ ラセ・フォーゲルストラム アニカ・ヴィタコプ
日本公開/2013年3月16日
ジャンル/[ドラマ]
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【theme : ヨーロッパ映画
【genre : 映画

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