『愛、アムール』 愛という名の依存

愛、アムール [DVD] 【ネタバレ注意】

 『白いリボン』で悪意の誕生を描いたミヒャエル・ハネケ監督が、次回作では打って変わってAmour(愛)をテーマにした――のだろうか。
 「愛」とは美しい言葉だが、ミヒャエル・ハネケは、私たちが愛だと思っているものの表皮をはぎ取り、その正体の深刻さを眼前にさらけ出す。この映画の題名が『愛、アムール』(原題『Amour』)とは、なんとも皮肉なことだ。

 『愛、アムール』は、音楽家の老夫婦の二人暮しを描いている。子供も音楽家として独立し、ときには世界的なピアニストになった弟子が訪ねてくれる。経済的にも文化的にも充実した生活を送る二人だった。
 しかし、妻が体を壊したことから、二人の関係は変化する。夫婦であり音楽家でもあった二人が、介護する者とされる者の二つの立場に分かれるのだ。

 映画はそのほとんどがアパルトマン内での夫婦の描写である。
 妻はまず半身が麻痺して車椅子の生活になる。次には顔面も麻痺して満足に話せなくなる。さらには寝たきりになり、記憶も混乱し、我が子のことも識別できなくなる。
 徐々に症状が重くなっていく妻を夫は献身的に介護する。だから本作は介護を題材にした作品と見ることもできる。だが、問題の本質はそこにはない。
 夫の介護を受けざるを得ない妻と、妻の介護にのめり込む夫の、これは共依存を描いた作品なのだ。

 共依存とは、他者が自分に依存し、同時に自分もその他者に依存している状態を指す。
 本作の妻が夫に依存しているのは一目瞭然だ。妻は夫の手助けがなければ室内の移動も食事もままならない。
 では夫は妻に何を依存しているかといえば、自分が助けなければ何もできない妻がいることで、自分に存在意義を感じているのだ。共依存とは「他者に必要とされることで、自分の存在意義を見い出すこと」なのである。
 共依存は、アルコール依存症患者とその世話をする家族の関係から知られるようになったという。ダメ男となかなか別れない妻が、なぜ別れないのかを問われて「私がいないと、ダメになってしまうのよ、あの人」と答えるようなケースは、映画でもしばしば取り上げられるところである。
 アルコール依存症に限らず、ドメスティックバイオレンスやギャンブル依存でも同様の事例は見られよう。

 『愛、アムール』は、夫婦が介護を通して共依存に陥る様子を綴っていく。
 ハネケ監督の作品に説明的なセリフはないけれど、代わりに映像が雄弁に物語る。
 判りやすいのが、水に足を取られたり口を封じられる夢のシーンや、連続して映し出される絵画だろう。
 当初は夫も普通に妻を気遣って、入院させたり自宅に看護師を呼んだりするのだが、彼の心境は徐々に変化していく。画面いっぱいに映し出された絵画は、穏やかな木陰の絵から、嵐の前兆のように雲がむら立つ絵に変わり、遂には断崖絶壁を前にした二人の人物の絵に変わる。

 そして夫の行動は、訪問介護研究所の記事「共依存とその弊害」に挙げられた例に酷似していく。
 まだ意識がはっきりしていた頃の妻が入院を嫌がったことをアリバイにして、妻の症状がどんどん重くなっても夫は妻を自宅で介護し続ける。難癖を付けて看護師を追い出し、自分だけで世話しようとする。妻の部屋に鍵をかけ、妻の姿を人目にさらさないようにする。子供が心配して来ても、話をそらしたり遮ったりして、深刻な状態を打ち明けない。
 どれもこれも、自分だけで妻のすべてを背負い込もうとする行為だ。

 もしかしたら夫は自分の状態を自覚していたのかもしれない。
 共依存からの回復には、日記を付けて心を整理することが役に立つという。
 映画では、夫が誰に読ませるでもなく日々の出来事を書き綴る場面がたびたび挿入される。

 このような夫の姿に同情したり悲しんだりできれば、観客はある種のカタルシスを得られるかもしれない。
 しかしハネケ監督はモンタージュの技法を駆使することで、物語をミステリアスに、多義的に展開し、安易なカタルシスは味わわせない。
 本作は倒叙法で描かれており、観客は最初に物語の結末を知ってしまう。だから観客は夫に感情移入するよりも、その結末に至った理由に興味をそそられてしまう。
 また、介護の様子をつぶさに描写する一方で、看護師を追い出す経緯は大胆に省略し、はたして夫が難癖を付けただけなのか、看護師に落ち度があったのか、その判断を観客の想像に委ねてしまう。看護師は「こんなこと云われたことないわ!私はプロよ!」と怒りまくっており、おそらく夫が理不尽なクレームを付けたのだろうと察せられるが、肝心のクレームの内容が描かれないために、本当に看護師に問題があった可能性も捨てきれない。このシーンを見て、夫が重度の共依存に陥っていると解釈する人もいれば、しっかり者の夫が看護師の素行の悪さを見抜いたと解釈する人もいるだろう。
 観客に自由に解釈させ、各人が納得するに任せるところが、ハネケ監督のしたたかさだ。


 だが、これで終われば、本作は共依存を描いた映画の一つにすぎないだろう。
 その人間関係が「共依存なのか、愛なのか」は難しい問題だが、『自虐の詩』や『その夜の侍』等、共依存と思われる状態を描いた映画は過去にもある。

 『愛、アムール』が残酷なのは、劇中の共依存が不完全なことだ。共依存と呼ばれる状態は、二人の人間が過剰に依存し合うことのはずなのに、本作の妻は夫への依存を良しとしない。
 もちろん身体的には、妻は夫の介護に依存している。だが、妻は夫よりも行動力があり、自立心が強いのだ。
 そのことを端的に語るのが、映画冒頭の空き巣に関するシークエンスだ。幸いにもドアを傷つけられただけで盗難の被害はないようだが、妻はすぐにアパルトマンの管理人や警察に連絡しようと云う。だが、夫は演奏会を楽しんだ気分を台無しにしたくないからと、連絡を後回しにしてしまう。
 妻はベッドに横たわるようになってからも、なんとか自力で歩こうとする。上手く歩けず転倒する妻に、夫が「なぜ自分に云わないんだ」と怒鳴るのは、妻への気遣いもさることながら、自分に依存しようとしない妻への怒りのためでもあろう。
 挙句の果てに、妻は古いアルバムを持ち出して、結婚前の写真を見つめながら「人生は素晴らしい」などと口にする。
 世界的なピアニストが、夫ではなく妻の弟子であることからは、妻が音楽家としてのみならず指導者としても優れていることがうかがえる。

 妻は体の自由が失われていくことと反比例するように、夫の関与を拒絶する。夫が水を飲ませてやろうとしても、妻は口に注がれた水を吐き出してしまう。
 怒りに駆られた夫の行き着く先は暴力だ。

 夫のやり場のない想いを表すのが、部屋に舞い込む鳩である。
 鳩が迷い込むシークエンスは二回ある。
 映画の前半、鳩を見つけた夫は窓を開け放し、すぐに鳩を追い出している。ここでの鳩は、夫婦の部屋に現れた闖入者でしかない。
 ところが後半での夫は窓を閉ざし、鳩を部屋の奥へ追い込んでいく。鳩を捕まえた夫は、鳩を毛布でくるみ、愛おしそうに撫でさする。まるで自分を拒絶する妻の代わりに、溢れる想いを受けとめてくれるものが見つかったかのように。

 他者に必要とされることで自分の存在意義を見い出しているのに、病に臥せる妻は自分を必要としているはずなのに、その妻から拒絶されてしまう苦悩。無抵抗な鳩にしか想いをぶつけられない苦しみ。
 その辛さは、やがて夫の日記すらも変質させる。
 その日の出来事や感じたことを書くのは、自分の心を整理するためのはずだったが、夫は日記に嘘を書きはじめる。鳩を捕まえたことは書かず、あたかも鳩をすぐ逃がしてやったかのように書き記すのだ。
 自分しか読まない日記にすら、ありのままのことを吐き出せなくなった夫は、この生活に限界を感じたのだろう。彼は唐突にピリオドを打ってしまう。


 哺乳類や鳥類は、子孫を残すために「愛情」というメカニズムを発達させた。魚類や昆虫の多くが一度に大量の卵を産むことで子孫を残そうとするのに対し、私たち哺乳類や鳥類は少数の子供を親が守ることで子孫を残そうとする。
 男女が愛し合い、協力し合い、愛する我が子を育むのは、生存競争に勝ち残り、繁殖する上で有効な戦略だった。

 ミヒャエル・ハネケ監督は、あえて子育てを終えた男女を主人公にすることで、愛情と繁殖とを切り離した。
 そして、この夫婦の物語に「愛」と名づけた。
 夫のかいがいしい介護を目にしたアパルトマンの管理人は、まさしく愛に溢れる夫婦だと思ったのだろう。「あなたを尊敬します」と夫に告げる。
 はたして、「愛」の名の下に突きつけられたこの物語を、私たちは本当に愛と呼ばねばならないのか。


愛、アムール [DVD]愛、アムール』  [あ行]
監督・脚本/ミヒャエル・ハネケ
出演/ジャン=ルイ・トランティニャン エマニュエル・リヴァ イザベル・ユペール アレクサンドル・タロー ウィリアム・シメル ラモン・アジーレ リタ・ブランコ
日本公開/2013年3月9日
ジャンル/[ロマンス] [ドラマ]
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【theme : ヨーロッパ映画
【genre : 映画

tag : ミヒャエル・ハネケ ジャン=ルイ・トランティニャン エマニュエル・リヴァ イザベル・ユペール アレクサンドル・タロー ウィリアム・シメル ラモン・アジーレ リタ・ブランコ

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