『フラッシュバックメモリーズ 3D』 同時に流れる3つの時間

 この映画らしからぬ映画の凄さをどこから語ろう。
 私は『フラッシュバックメモリーズ 3D』を観て、ディジュリドゥなるものをはじめて知った。本作の魅力の根源にはディジュリドゥがあり、ディジュリドゥの魅力を最大限に活かして本作は撮られている。それが見事に成功しているところに、この映画――映像作品の驚きがある。

 オーストラリアのアボリジニーに伝わるディジュリドゥは、世界最古の管楽器ともいわれ、木製ながら金管楽器に分類されるという。それは唇の振動を利用して音を発するからだ。
 2メートル近くもある巨大な管から発せられる音は、低く深く、くぐもっている。軽く目を閉じてディジュリドゥを吹き続けるGOMAさんに、パーカッションやドラムスが加わった GOMA & The Jungle Rhythm Section の音楽は、リズミカルで実にノリがいい。
 重層的な構造を持つ『フラッシュバックメモリーズ 3D』の第一の魅力は、彼らのスタジオライブの素晴らしさだ。劇中曲を流すのとはわけが違う。72分の上映時間のほとんどが彼らのライブであり、その音楽をじっくり堪能できる。

 GOMA & The Jungle Rhythm Section の音楽が素晴らしいのはもちろんのこと、それをカメラに収める松江哲明監督の手腕も素晴らしい。
 松江哲明監督はカメラをあまり動かさず、アングルも奇をてらわずに、奏者をしっかり捉えようとする。それがどんなに効果的か、言葉では表現しにくい。

 先日、私はあるバンドのライブ・ビューイングに足を運んだ。バンドの楽曲は聴き応えがあったし、コンサート会場に行けなくても、各国のファンがスクリーンの前で同時に演奏を楽しめることは大いに愉快だった。
 だが、映像はいささか残念だった。同じ映像が後日テレビでも放映されるためだろう、ライブ・ビューイングで配信された映像は凝りに凝っていたのだ。何台ものカメラが素早く切り替わり、目まぐるしく動き回って、ミュージシャンの姿を上から下から撮りまくる。
 テレビで見る視聴者には、そんな映像も刺激的で楽しいかもしれない。
 だが、劇場の観客席に身を置いた私にとって、激しく動くカメラは臨場感を損なうばかりだった。だって、本当にコンサート会場にいたなら、そんなに視点が動くはずはないのだから。せっかく演奏を同時中継する場所にいながら、カメラが切り替わるたびに、そこがコンサート会場ではないことを思い知らされた。
 その点、松江哲明監督はむやみにカメラを動かさず、観客がライブにのめり込むに任せていた。

 しかも、3Dにすることで驚くべき効果が生まれていた。
 奏者を画面の手前に配置し、奏者の背後にスクリーンがあるかのようにイメージ映像を映し出す。それを3Dで見せられると、スクリーンの中に奏者とイメージ映像があるのではなく、イメージ映像を映したスクリーンの前にGOMAさんたちが立っているように錯覚するのだ。
 これは同時中継のライブ・ビューイングをはるかに上回る臨場感だ。これまで『アバター』や『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』等で3D映像の美しさを堪能してきたが、それらとは3Dの使い方が決定的に違う。

 ましてや、映し出される映像は、GOMAさんの過去のビデオや、臨死体験をアニメーションにしたものであり、ライブを行うGOMAさんの現在とは、違う次元のものばかりだった。
 観客と、遠くに見えるGOMAさんの過去や心象風景の映像とのあいだに、現在のGOMAさんたちがいることで――その優れた演奏で観客を魅了することで、観客の今・GOMAさんの現在・GOMAさんの過去という三つの世界が文字どおり立体的に融合する。三つの時間が同時に流れ、スクリーンのあちらとこちらを隔てる壁がみるみる透明になっていく。

 3Dにはこんな使い方があったのかと、私は舌を巻いた。
 松江哲明監督は公式サイトに次のようなメッセージを寄せている。
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今を生きる彼をドキュメンタリーの手法で撮影することは必然だったが、彼が無くした過去も「現在」として同時に表現しなければいけない、と僕は考えた。そのためには3Dをパーソナルな表現として捉え、立体感や奥行きをレイヤーとして認識する必要があった。
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 さらに、ここからがディジュリドゥの面白いところだ。
 金管楽器といっても、トランペットあたりだと人間の声とは異質の音が朗々と響くものだが、ディジュリドゥは低く深い音がジワジワと伝わってくる。奏者が唇を振動させているのは聴き手にも判るので、あたかも奏者が大きな筒を口に当てて喋っているように思える。実際、GOMAさんの吹くディジュリドゥは、まるで僧侶の読経のようである。
 いったいGOMAさんは何を喋っているのだろう。私たちに何を伝えようとしているのだろう。
 そんな気持ちになったところで、スクリーンに文字が浮かび上がる。
 それはGOMAさんが語りかける言葉のようだ。

 松江哲明監督は、GOMAさんの日記から抜粋した文字をスクリーンに投影する。それは交通事故のあとに、人から勧められて書き出したものだ。
 2009年11月の事故で脳に損傷を受けたGOMAさんは、過去の記憶の多くを失った。ディジュリドゥの本場オーストラリアに渡り、優れた奏者として活躍していた彼が、ディジュリドゥが楽器であることすら忘れてしまった。写真を見ても、そこに写る人がなぜ笑っているのか判らない。会う人に挨拶しようにも、その人と自分がどんな関係なのかも判らない。
 今も、日々の出来事を憶えていられない。日記に書いたことも、いつまで記憶していられるか判らない。
 そんな彼と家族のひたむきな言葉がスクリーンに浮かび上がった。

 ある日GOMAさんは蕎麦屋でうまい蕎麦を食った。彼の日記には、うまい蕎麦を食べたと嬉しそうに書いてある。
 しかし、奥様の日記には、何度も入ったことのある蕎麦屋なのに、美味しいと喜んでいるGOMAさんへの戸惑いが綴られる。
 なぜスピーカーが家にあるのか判らなかったこと。再びディジュリドゥを吹き出したGOMAさんが、来る日も来る日も練習して、遂に一曲吹けたときに大泣きしたこと。そんな日記の断片が、ライブ中のGOMAさんの背後に映し出される。
 ディジュリドゥの音を聞きながら文字を目で追うと、音楽に合わせてGOMAさんが朗読しているような、ディジュリドゥを通して私たちに囁いているような、そんな気持ちになっていく。

 映画がGOMAさんの「声」になっていく。


 上映後にトークショーがあり、SPACE SHOWER TV の高根順次プロデューサーが語ってくれた。
 事故のために音楽活動を中断していたGOMAさんが、ようやく復活ライブを開催する。それをドキュメンタリーにできないかという申し入れが音楽番組専門チャンネルの SPACE SHOWER TV にあったこと。事故に遭ったミュージシャンの復帰を描くなら、自分より適任者がいるんじゃないかと松江監督が感じていたこと。それでもライブに行ってみたらその音楽に圧倒されて、音楽を前面に出した作品になったこと。

 GOMAさんは、映画のおかげで多くの人に自分のことを判ってもらえたと語っていた。
 映画の収録を行ったことすら、しっかとは記憶していないGOMAさんにとって、その半生と音楽を記録した映画の存在は観客の考える以上に大きいだろう。
 GOMAさんの穏やかな笑顔が何よりも印象に残った。


フラッシュバックメモリーズ スペシャル・エディション<2枚組> [DVD]フラッシュバックメモリーズ 3D』  [は行]
監督/松江哲明  プロデューサー/高根順次
出演/GOMA
日本公開/2013年1月19日
ジャンル/[音楽] [ドキュメンタリー]
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【theme : ドキュメンタリー映画
【genre : 映画

tag : 松江哲明 高根順次 GOMA

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