『映画 鈴木先生』のズルいところは?

 学園物、教師物だと思って油断してたら大間違いだった。
 中学校を舞台にした『映画 鈴木先生』は、中学に通学・通勤する人のみならず、中学を卒業して久しい人にも、中学に興味のない人にも、ズシリと手応えのある作品だ。

 正直、冒頭の「LESSON 11」の文字には面食らった。
 それは本作がテレビシリーズに続く第11話であることを示しており、私のような一見さんは「お断り」と云われてるかのように思った。
 ところが『映画 鈴木先生』は、テレビシリーズを見たことあるとかないとか、原作マンガを読んだとか読まないとか、そんなことをはるかに超えて、誰もが真摯に向きあうべき問題に溢れていた。

 本作の中心をなす"事件"は、ズバリ選挙だ。
 本作の公開は2013年1月12日。2012年12月16日に行われた第46回衆議院議員総選挙の余韻も冷めやらぬ時期であり、選挙映画を公開するには打ってつけのタイミングだ。
 とはいえ、第46回総選挙の投票率は59.32%と、衆議院議員総選挙史上最低だった。
 投票率が低いと、ごく一部の国民の支持しか得ていない政党が与党となり、内閣を組閣し、国民全般にかかわる政策を実施することに繋がるので、この状況を問題視する人がいるかもしれない。投票率を向上させるため、もっと強い施策を打ち出すべきだと考える人もいるかもしれない。

 『映画 鈴木先生』では、生徒会選挙への全員参加を促すため、記名投票をちらつかせる。教師の発案で、きちんと投票しなかったら記名方式で再投票させることにしたのだ。 記名投票では無効票を投じた人が明らかになってしまうから、生徒はきちんと投票せざるを得ない。
 主人公・鈴木先生は、職員会議で出されたこの提案に、ためらいながらも賛成してしまう。

 本作が興味深いのは、取り上げる問題が学校に限られた特殊なものではないことだ。
 舞台は学校でも、そこで交わされる意見や描かれる心情は、誰もが日々の生活の中で思い当たる普遍性を帯びている。
 いや、学校を舞台にしたからこそ、総選挙の生臭さや現実の悲喜こもごもから解放され、本質的な議論に集中できる。教師や生徒たちが戦わせる意見は、観客の思想や政治的スタンスにかかわらず、胸に響くものばかりだ。


 こう書くと、本作のテーマは選挙のようだけれど、選挙そのものは物語を盛り上げる事件の一つでしかない。
 『映画 鈴木先生』は普遍的なテーマに溢れており、それを学校という「誰もが通った経験を持ち」「それだけにテーマを抽象化・普遍化しやすい」世界に放り込むことで、より深く、より共感をもって見つめ直す作品なのだ。
 ゆえに、どうせ学園物だから教育問題を取り上げるのだろうと思った私は大間違いで、学園物、教師物としてくくると本作の魅力を矮小化することになってしまう。
 たとえば生徒会選挙をとおして本作が取り上げたものは、当事者意識・参画意識の問題や、意見の多様性を認めること、いかにして人は成長するかということ等々たくさんある。

 特に記名投票をちらつかせた全員参加の選挙は、「ルールを作る」「ルールを守る」という主体的な行動と、「ルールを強制する」「強制される」こととの違いをあぶり出し、私たちが陥りがちな管理社会への懸念を表明している。
 本作では、富田靖子さん演じる足子(たるこ)先生が、いらんルールを強制する側として登場する。本人は良かれと思っているようだが、これぞ典型的な「屁尾下郎(へをしたろう)」だ。
 「屁尾下郎」が出現する理由について、糸井重里氏は次のように説明する。
---
糸井 それは、リスク回避をしたいときですよ。リスクを回避する、というのは、必ず「正義の側」につく、ってことなんです。

 前に何気なく書いた話なんですが、人ごみの中でおならをした人が、「誰か屁をしたな!」って、でかい声を出す。それをやられちゃうと、「ぼくはしてないですよ」、あるいは「お前じゃないか?」という発言しか、周りは言えなくなっちゃう。

 昔、NHKのドキュメンタリーで、文革のときの中国の紅衛兵のときの話を取り上げていました。これがもう笑っちゃうぐらいみんな、この「誰が屁をしたな!」の論理で動く。それぞれが「あいつは悪い」って告げ口しあうことで、自分だけが生き延びようとしたんです。

―― とにかく先に「あいつが悪い」と言ったやつのほうが生き延びる。

糸井 そうなんです、「俺は悪くない」と言うとその時点ですでに犯人扱いになっちゃう。ましてや、「え、あいつって本当に悪いのかい?」なんて言ったら、もうその人はおしまいなんです。

 そういうやりとりを横で見ている連中は、「結局、一番うまくやったのは誰だろう」って勉強をしちゃう。だからみんな、自分のリスクを避けるために「屁をしたろう」「屁をしたろう」と、みんなで指を差し合っているわけ。そこでうっかり「したよっ」て言ったら一発でお縄ですよね。

 でも、本当は今の世の中、大声で言ってみたい感じ。「俺は屁をするぞー!」って。
---

 足子先生が学内のことにとどまらず、公園の喫煙所の撤去まで求めるのは、まさしく「何かあったら」というリスク回避に他ならない。何かあったときに責任を取らされるリスクを回避するには、何も起こらないようにするのが一番だ。そのためには、誰にも何もさせないことである。人々の行動を規制し、居場所を制限し、言動や移動の自由を奪うのが、保身のためには最善なのだ。
 それに対して、「俺は屁をするぞー!」と叫ぶのが本作の立会演説会だ。演説会に至るまでには、生徒一人ひとりの性格を掘り下げて描いているから、彼らのどの意見にも観客は耳を傾け、共感し、肯定する。生徒たちの口調、眼差し、メッセージに、映画は驚くほど盛り上がるのだ。

 加えて本作がしたたかなのは、ルールを強制する者や反発する者だけでなく、ルールに従順だった者にも主張させる点だ。その者は、従順であったがために社会に適合できない人間になってしまったとぶちまける。
 もちろん、これは因果関係を取り違えている。ルールに従ったことが悪いのではなく、ルールに従いさえすればいいと思考停止していたことが問題なのだ。そこに欠けているのは、みずからルール作りにコミットし、ルールを守るという主体性だ。
 このように本作は一方的な主張や短絡的な描写に陥ることなく、劇中に異論反論を用意して、複眼的に論を進める。その周到さには感心するしかない。


 ただ、本作には大きな魅力でありながら、同時にズルいところがある。本作には誰もが感動し、後味が良くなるような、間違いのない逃げ道があるのだ。
 それは鈴木先生が中学校の教師であり、生徒たちは三年経てば巣立っていくことだ。どんな事件があろうとも、鈴木先生が生徒たちの未来を信じると云えば、物語は感動的に幕を閉じる。
 生徒たちにどんな未来が待っているのか、それは誰にも判らない。鈴木先生の教育により、素晴らしい人物になるかもしれないし、卒業とともに鈴木先生のことなんて忘れてしまうかもしれない。映画の作り手に、鈴木先生の教育の結果で生徒がどうなったかを示す義理はない。
 これはたいへんズルい構図だが、本作はそこにすら目を向ける。何人かの卒業生を登場させ、また登場させないことにより、鈴木先生を悩ませる。

 それでも鈴木先生は今日も生徒たちに語り続ける。世界を変えるのはお前たちだ、と。


鈴木先生 完全版 DVD-BOX映画 鈴木先生』  [あ行]
監督/河合勇人  脚本/古沢良太
出演/長谷川博己 田畑智子 土屋太鳳 富田靖子 風間俊介 赤堀雅秋 臼田あさ美 でんでん 斉木しげる 窪田正孝 山中聡 夕輝壽太
日本公開/2013年1月12日
ジャンル/[ドラマ] [学園]
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