『東京家族』 『東京物語』とこんなに違う

 山田洋次監督の『東京家族』は、小津安二郎監督の代表作『東京物語』をモチーフにしている。
 そう公式サイトには書いてある。
 1953年に公開された『東京物語』は、映画史を代表する作品として世界で評価される傑作だ。
 それを、映画監督としては小津安二郎以来二人目の芸術院会員である山田洋次監督が、モチーフどころかリメイクと呼んで良いほどそっくりそのまま再現するのだから、たいへん注目される。

 前作『おとうと』が、市川崑監督の『おとうと』(1960年)にインスパイアされ、市川崑監督に捧げられたように、本作も小津安二郎監督に捧げられている。
 制作・配給の松竹は、賢い姉と愚かな弟の映画『おとうと』の公開時に、愚かな兄と賢い妹の映画『男はつらいよ』を髣髴とさせるように宣伝した。本作の宣伝においても、家族の物語であることを強調し、『男はつらいよ』や『家族』等の山田洋次監督作であることを前面に押し出している。

 過去の名匠の作品をベースとすること、山田洋次監督が得意とするジャンルであること。配給会社の訴求ポイントは『おとうと』と同じだが、似ているのはそれだけではない。『おとうと』が市川崑監督とも姉弟の交流とも関係なく、終末医療を巡るコミュニティのあり方を描いたように、『東京家族』もまた小津安二郎監督作でも家族の物語でもない要素を含んでいる。
 そうでなければ、80歳を過ぎて名実ともに日本を代表する監督が、いまさら過去作のリメイクなんてしないだろう。

■「真似して恥じるところはない」

 『東京家族』は三層構造から成っている。

 表層にあるのは『東京物語』だ。山田洋次監督はきわめて忠実に『東京物語』を再現している。
 広島の老父母が東京の子供たちを尋ねるプロットも、医師の長男や美容院を経営する長女等の人物設定も『東京物語』のままだ。
 だが、何より驚かされるのは、小津安二郎監督の特徴的な映画の文体まで再現していることだ。
 夏川結衣さんが演じる文子と中嶋朋子さん演じる滋子の会話を短いショットの切り返しで繋ぐところや、セリフをとてもゆっくり喋るところ等、小津安二郎監督をそっくり真似てる。ここまでやるなら、画面のどこかに小津監督が大好きな赤いヤカンでも置いてあるんじゃないかと探したら、あるある、ちゃーんと赤い空き缶がベンチの上に置いてある。
 その再現ぶりは山田洋次監督のこれまでの特徴を殺してしまうほどだ。

 そもそも、山田洋次監督が『東京物語』をモチーフにすると聞いて、私は強い違和感を覚えた。
 山田洋次監督の代表作として誰もが挙げるだろう『男はつらいよ』シリーズの魅力の一つは、作品に満ちた元気の良さだ。寅さんの威勢のいい啖呵や流れるような口上、タコ社長やおいちゃんを巻き込んでの取っ組み合いは、『男はつらいよ』シリーズになくてはならない要素だろう。
 寅さんに限らず、『馬鹿まるだし』ならハナ肇さん、『幸福の黄色いハンカチ』なら武田鉄矢さん、『おとうと』なら笑福亭鶴瓶さんのコミカルで生きいきした演技が多いに楽しませてくれる。
 ところが、小津安二郎監督はそんな演技を許さない。何十回もテストを繰り返し、役者の視線の動かし方も顔の角度も徹底的にコントロールする。その様子を獅騎一郎氏は「俳優がはじめの「生きのよさ」を失い、小津の「構図」に合わせた行儀のよいロボットのよう」と表現している。[*1]
 これほど両監督は違うのだから、山田洋次監督が『東京物語』をモチーフにしても、まったく異なるものになってしまうだろうと私は思った。

 ところが先に述べたように、山田洋次監督は見事に小津安二郎を真似してみせた。
 山田監督はインタビューに応えて、「『東京物語』は世界一の映画。まねして恥じるところはない。徹底的にまねしようと思った」と語っている。[*2]

 しかも、その真似は技巧的なところに留まらない。
 與那覇潤氏は、中国戦線に出征した小津安二郎監督が復員後の作品において「日本家族の構図が揺らぐ場面に、つねに中華風のモチーフを採用する」ことを指摘している。[*3]
 『東京物語』でのそれは、老父母の安眠を妨げる麻雀の喧騒だ。父母を熱海の旅館に泊まらせれば喜んでくれるだろうと考える子供たちと、子供と過ごしに来たのに旅館にやられてしまう老父母のすれ違いを示す重要なエピソードで、老父母を悩ませるのが中国の遊び「麻雀」だ。
 本作はそれをも忠実に再現しており、高級ホテルに泊まった老父母は、廊下を移動する中国人客がやかましくて眠れない。さすがに今どきの高級ホテルで麻雀大会ではおかしいから、再現の仕方としてはこれが精一杯だろう。


 さらに、小津ファンならニヤリとするところもある。
 『東京物語』と『東京家族』の登場人物を対比させてみよう。

  『東京物語』 : 『東京家族』
父  平山周吉 : 平山周吉
母  平山とみ : 平山とみこ
長男 平山幸一 : 平山幸一
長女 金子志げ : 金井滋子
次男 平山昌二 : 平山昌次
三男 平山敬三 : 不在
次女 平山京子 : 不在
次男の結婚相手 平山紀子 : 間宮紀子

 少々文字の違いはあるものの、『東京家族』はほぼ『東京物語』の設定をなぞっている。
 『東京物語』の時代なら五人兄弟は珍しくなかったろうが、さすがに今は多すぎる感があるので、『東京家族』に三男や次女の設定はない。代わりに、母の許に駆けつけるのが遅れる三男の役どころや、形見の話に腹を立てる次女の役どころ、そして紀子の役どころの一部を次男が引き受けている。

 面白いのは紀子の姓が「間宮」であることだ。
 『東京物語』の紀子はすでに結婚しており旧姓は不明だが、本作ではまだ結婚前だから平山姓ではない。そこで山田洋次監督は、周吉の娘・紀子が登場する小津作品――いわゆる「紀子三部作」のうち、結婚に至る過程を描いた『麦秋』での紀子の姓「間宮」を、本作の紀子に付けたのだ。
 本作が単に『東京物語』のリメイクではなく、小津映画全般を俯瞰した上での取り組みであることを示していよう。

 このように、山田洋次監督は小津らしさを再現することに腐心しているように見える。
 だが、いなくなった次女・京子は、意外なところに登場する。

■制作は延期された

 三層構造のうち、中間層を形作るのは2011年3月11日以降に加えられた要素だ。

 公式サイトによれば、本作は当初2011年4月1日のクランクインを予定していたという。
 だが、3月11日に東日本大震災が起こり、山田監督は「このまま映画をつくっても現代の日本は描けない」と撮影の延期を決断した。そして脚本に手を加えた上で、2012年3月1日にクランクインしたのだ。
 そのため、周吉の友人服部の妻の実家が震災の被害に遭ったとか、昌次と紀子の出会いが被災地でのボランティアだったとか、『東京物語』には存在しない要素が加えられた。

 そのうえ、震災後であることを映画の中に深く刻むためだろう、『東京物語』ではほとんどセリフもなかった服部の妻に「京子」という名を与えている(『東京物語』での名は「よね」)。
 『東京物語』では周吉の娘である「京子」の名を持ってくることで、周吉とは関係なかったはずの震災被害との距離を縮め、周吉が震災の犠牲者に手を合わせることに必然性を持たせているのだろう。

 ただし、『東京家族』の観客には、そんな山田洋次監督の思慮は判らない。服部の妻の名が京子であることすら、多くの観客は気づかないだろう。
 震災被害を強調するなら、むしろ平山家に犠牲が出たことにすれば判りやすい。
 なにしろ、『東京物語』の次男は戦争で死んでいるのだ。『東京家族』で妻夫木聡さんが演じる次男の昌次は、『東京物語』には登場しない。

 同じような設定で同じような内容の映画を撮り続けた小津安二郎にとって、次男・ショウジは戦争を語るキーである。
 戦争中の1941年に公開された『戸田家の兄妹』では、次男・昌二郎が大陸進出を果たしている。
 戦後の1951年公開の『麦秋』で、次男の省二は戦死している。
 そして1953年の『東京物語』でも次男・昌二は戦死しており、残された人々はその思い出をどこまで引きずるべきか悩んでいる。
 1956年の『早春』の正二は生きてるものの、戦時中を懐かしんで戦友たちと羽目を外し、妻との亀裂が深まってしまう。

 少しずつ設定は異なるものの、ショウジが中国戦線を思い出させる人物であることに変わりはない。
 『東京家族』でもその設定を引き継いで、次男を震災の犠牲者とすれば、戦後を描いた『東京物語』と震災後を描いた『東京家族』は一層シンクロしただろう。

 それをためらわせたのは、災厄との距離感に違いない。
 『東京物語』が公開されたのは1953年、敗戦からすでに8年が過ぎている。1952年4月のサンフランシスコ講和条約の発効によりGHQの進駐も終了しており、劇中の人々は戦争を引きずりつつも、新たな生活に踏み出さなきゃいけないと思っている。
 けれども、『東京家族』が公開された2013年1月は、東日本大震災から2年も経っていない。次男が犠牲になったとすれば、忘れるとか新たな生活どころではない。それでは震災の影が大きすぎて、『東京物語』からの乖離がはなはだしくなってしまう。

 だから平山家からは直接の犠牲者を出さず、昌次は被災地でボランティアをするに留まった。
 そして友人の妻の実家という遠い間柄で震災を描きつつ、同時にまったくの赤の他人にならないように「京子」の名を持ってきた。
 こうして山田洋次監督は、本作を現代の日本の中に位置付けたのである。

■『東京物語』を上書きする『東京家族』

 最後に、本作から『東京物語』の要素と震災の要素を除いたものが、三層構造の深層だ。
 震災前に用意された脚本を読んだわけではないから、山田洋次監督が当初どんな要素を『東京物語』に付け加えるつもりだったかは判らない。
 しかし、明らかに表層、中間層に属するものを除いてもなお、本作には幾つかの要素が存在する。

 一つは世の中への非難だ。愚痴と云ってもいい。
 老母は孫が弁当を持って塾へ通うことや将来に夢を抱かないことを憐れみ、ホテルの従業員はお年寄りの礼儀正しさに比べて若い宿泊客がいかにだらしないかを嘆く。そして会話の端々で、「今の時代は……」と世の中が悪くなったことを強調する。挙句の果てに、父・周吉はもう東京へは行かないと断言する。
 中には震災後に加えられたセリフもあるだろうが、それにしても本作には愚痴が多い。

 そう感じるのは、『東京物語』には世の中への愚痴がないからだ。もちろん楽しいことばかりが起こるわけではない。基本的なプロットは両作とも同じなのだから。
 その違いは老父母の会話に端的に表れる。
 老父母が、娘や息子は子供の頃の方が優しかったと語り合うシーン。『東京家族』の会話は、子供が冷たいと述べて終わってしまう。
 だが、『東京物語』の会話には続きがあるのだ。

 父「なかなか親の思うようにはいかんもんじゃ。ハハハハ。欲ぅ云や 切りァにやァが、まぁええ方じゃよ。」
 母「ええ方ですとも。よっぽどええ方でさあ。私らは幸せでさあ。」
 父「そうじゃのう。まぁ、幸せな方じゃのう。」
 母「そうでさあ、幸せな方でさあ。」

 また、父・周吉が旧友沼田と飲み明かすシーン。
 沼田は自分の息子が不甲斐ないことや、息子の嫁に邪魔にされることを愚痴り続ける。
 『東京物語』の周吉は、息子が立身出世できなかった不満を沼田と共有しながらも、「こりゃ世の中の親ちうもんの欲じゃ、欲張ったら切りがない。こりゃァ諦めにゃならん」と諭す。
 「まァ、ええと思わにゃいかんじゃろう」と強調する周吉に、沼田も「そうじゃのう、今どきの若いもんの中にゃ平気で親ァ殺す奴もおるんじゃから。それに比べたらナンボかマシな方か」と答え、あれほど愚痴っていたのに朗らかに笑い出す。
 『東京物語』公開時は、現在とは比べものにならないくらい凶悪犯罪が多かったから親を殺す話が飛び出すけれど、それでも二人はにこやかなのだ。

 ところが『東京家族』の周吉は違う。
 沼田を諭すどころか自分まで不満を口にして、沼田が止めに入るほど興奮する。
 そして「どっかでまちごうてしもうたんじゃ、この国は」と愚痴りながら酔い潰れる。

 この、世の中の受け止め方の違いが、『東京物語』と『東京家族』を隔てるものだ。小津安二郎監督と山田洋次監督の人生観、哲学の違いでもあろう。
 『東京物語』の魅力は、家族といえどもいずれバラバラになってしまう、その事実を受け入れる無常観と寂寞感だ。それは大人の処し方でもある。
 『映画 鈴木先生』流に云えば、演じることで変わるのだ。いい教師や優等生を演じ続けるうちに、いつしかそれが演技ではなく、自分の身に付いたものになる。この鈴木先生の言葉のように、『東京物語』の登場人物は、いい嫁、いい舅、いい姑を演じ続ける。そうして調和のある暮らしを成り立たせている。

 これに山田洋次監督は異を唱える。現代の子供にだって将来の夢はあるのだが、それは無視して主張する。
 山田監督は黙って世の中を受け入れることができないのだ。


 山田監督が世の中に対抗する力として期待するのが、『おとうと』でも取り上げたコミュニティである。
 『東京家族』は『東京物語』にはない問題提起をしている。いったい誰が独り暮らしになる父の面倒を看るかということだ。
 『東京物語』では同居している次女・京子がいたから、深刻な問題にはならなかった。
 けれども『東京家族』に次女はいないので、父は独りぼっちになってしまう。
 これを解決するのが地域のコミュニティである。お隣さんが世話を焼いてくれること、いざとなれば役所にも期待できることが示唆される。
 これは山田監督からの呼びかけだ。本作は家族の物語でありながら、家族が頼りにならないのなら、地域社会の繋がりを深めようと呼びかけているのだ。


 もう一つ、山田監督が期待するのが、震災のボランティアに駆けつける若者の力だ。
 『東京物語』には登場しない次男・昌次は、山田監督にとって自由に動かせるオリジナルキャラクターである。
 山田監督は昌次を、親に認められないはみ出し者として位置付けた。医学博士の長男・幸一が、寅さんの大嫌いなインテリなのに対して、昌次は舞台美術に取り組んでいるものの、確固たる地位を築くには程遠く、その日その日の飛び込みの仕事をやっつけてる状況だ。
 だが、その生活は不安定かもしれないが、ボランティアに駆けつけられる柔軟性があるし、何よりも大きな夢に向かって歩んでいる。
 長男や長女が父の許を去った後も、いつまでも残って父の家の修繕に努める昌次は、古い外車を捨てられない愛情深い男でもある。大声で叫んだり、号泣したり、感情をぶつけたり、『東京物語』には見られないことを平気でやる男だ。
 そんな昌次は『東京物語』の世界には異質だが、山田洋次作品にはお馴染みの人物である。寅さんに連なる彼のような若者こそが、インテリ、ブルジョアによる既存の体制を打破する希望ではないだろうか。
 そんな山田洋次監督の考えが、本作からはうかがえるように思う。
 それゆえ、地域コミュニティという意味でも、若者という意味でも、本作は『東京物語』にはいない隣家の少女ユキの笑顔に収斂するのだ。


 山田洋次監督は『東京物語』のプロットを踏襲し、小津安二郎を大いに真似しながらも、その哲学にはくみすることなく、世界に名だたる『東京物語』をアップデートした。
 世界はどちらを受け入れるのか。
 これは81歳になる山田洋次監督の大いなる挑戦だ。


参考資料
[*1] 獅騎一郎 (2000) 『黒澤明と小津安二郎』 宝文館出版
[*2] 読売新聞 2013年1月18日夕刊
[*3] 與那覇潤 (2011) 『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』 NTT出版


東京家族 Blu-ray東京家族』  [た行]
監督・脚本/山田洋次
脚本/平松恵美子
出演/橋爪功 吉行和子 西村雅彦 夏川結衣 中嶋朋子 林家正蔵 妻夫木聡 蒼井優 小林稔侍 風吹ジュン 茅島成美 荒川ちか 柴田龍一郎 丸山歩夢
日本公開/2013年1月19日
ジャンル/[ドラマ]
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