『テイク・ディス・ワルツ』 直視したくない事実

 【ネタバレ注意】

 実は、『映画 ホタルノヒカリ』の記事であえて触れなかったことがある。
 この記事で、私は橘玲(たちばな あきら)氏の『(日本人)』の一部を引用したが、橘玲氏もその著書に書いていないことがある。それを書くと、読者が不愉快に感じるからだろう。

 橘玲氏は「乱交と純愛」と題した節で、進化心理学が「きわめて強力な説明能力を持っているけれど、同時にものすごく評判が悪い」と述べている。「私たちが大切な価値と考えるすべてのものを、身も蓋もない理屈に還元してしまうからだ。」
 そう断った上で、男女の生殖戦略の違いと、女性が純愛を志向する背景を解説している。詳しくは先の記事をご覧いただくとして、人間は(他の動物と同じように)子孫を残すために最適化するように進化してきたから、男女の感情や行動はいかにして子孫を残すかという点から説明できる。その生殖機能の違いから、男性は乱交をするのが最適戦略であり、女性はセックスの相手を慎重に選び、子育て期間も含めて長期的な関係を作るのが進化の最適戦略になる。

 橘氏はこのように説明し、一人の人を愛し続ける「純愛」の誕生が必然であると結論付けている。
 「純愛」にロマンチックな思いを抱く人にとって、それが進化の最適戦略としての帰結であるという説明は身も蓋もない理屈だと感じられるだろう。たしかにこんな説明は評判が悪いかもしれないが、一方で学問的にも純愛が理にかなっているという話に、ロマンチックな思いを強くする人もいるかもしれない。美しい結論ではあるのだから。

 だが、世の中はロマンチックだけでは終わらない。
 橘氏はこの「美しい結論」で論考を切り上げたが、氏が参考文献として挙げたスティーブン・ピンカー著『心の仕組み 人間関係にどう関わるか』には、その先が書かれている。
 けれども、橘玲氏はそこまで踏み込まなかったし、私も記事で取り上げなかった。読者が不愉快に感じるだろうと考えたからだ。
 そこまで踏み込んだ映画がサラ・ポーリー監督の『テイク・ディス・ワルツ』である。

 ミシェル・ウィリアムズ演じる妻マーゴとセス・ローゲン演じる夫ルーは仲の良い夫婦だが、マーゴは若いダニエルと出合い、彼にどんどん惹かれてしまう……。
 『テイク・ディス・ワルツ』は、妻の浮気を描いた映画だ。

 先に述べたように、男性は乱交をするのが子孫を残す最適戦略なので、浮気を志向しても不思議ではない。だが、長期的な関係を作るのが女性にとっての最適戦略なら、結婚によって制度的にも強固な長期的関係を築いた女性が浮気する必要はない。
 ところが実際には女性も浮気をする。2004年に千田有紀氏らが東京、大阪の男女計千人を調べたところ、配偶者・恋人以外との性的関係を持ったことのある人は28.3%だったという。女性は男性より少ないし、世代によりバラつきがあるものの、いずれの世代においても浮気をした人はいる。
 結婚していなければさらに自由で、結婚情報誌『ゼクシィ』の調査では「彼氏がいるのに浮気したことがある」と回答した女性は38%に上る。

 これは、女性にとっても浮気することが子孫を残す戦略として適切な場合があるだからだ。
 スティーブン・ピンカーはその著書において簡潔に説明している。
 「遺伝子はもっとも質の高い男から得て、投資は夫から得るという場合もあるだろう。一人の男性が両方を兼ね備えている可能性はあまりないからだ」
 そして、不倫の性差をまとめた結果を紹介している。
 ・不倫をしている女性は、相手の男は夫よりも優れている、あるいは夫にないものを持っていると感じている。
 ・不倫をしている男性は、相手の女が自分の妻ではないという理由で不倫している。

 すなわち、男性は自分の遺伝子を多くの女性にバラ撒こうとするのに対し、女性はより優れた遺伝子を手に入れようとしているのだ。
 ただし、女性が子孫を残す上で重視するものは二つある。

(1) 健康で頑強な子供を産むこと
 人類が300万年前に誕生してからずっと、過酷な生存環境で生き残るのに必要なのは、獲物をしとめる強さや素早さを備えた健康な肉体だった。子供のためには、当然そういう男性の遺伝子を手に入れることが重要になる。今でも多くの女性は、体が大きく健康な男性を好むだろう。

(2) 長い妊娠・子育て期間にわたり、自分と子供のために食料を調達できる男性を確保すること
 危険なジャングルの中で、妊娠や授乳している女性が食料を獲るのはたいへんだ。自分に代わって食料を獲ってくる男性の有無は、母子にとって死活問題である。

 狩猟採集の時代には、これら二つの点から男性に求められる性質は一致していることが多かったろう。肉体的な頑強さは、食料を調達する上でも有利に働いたろうから。

 しかし、100人程度の集団で行動していた人類は、必ずしも全員が強く素早くなくても生き残れるようになった。獲物をしとめるには、斧を振るったり槍を投げたりが得意な力持ちが有利な一方で、手先が器用で斧や槍を作るのが上手い者も役に立つ。
 決定的なのは、1万年ほど前から広まった農耕だ。農耕社会では多岐にわたる作業が必要になり、狩猟採集の時代とは異なる能力が重宝されるようになってきた。そのため、(1)を満たすような体が大きく屈強な男性でなくても、(2)の長期にわたる保護を与えることができるようになった。現代において、肉体的な頑強さが真っ先に求められる職業は限られるだろう。
 そのような状況の変化に適応し、背が低かったり力持ちではない男性を配偶者に選ぶ女性もいるかもしれないが、やはり300万年かけて培われた嗜好はすぐに変わるものではない。今も、男性に求める条件に背の高さを挙げる女性は多かろう。

 本作の主人公マーゴは、(2)については充分に満たされている。
 夫は優しいし、経済力があるし、マーゴを愛してくれている。ホームパーティには大勢の友人たちが集まり、楽しい日々を過ごしている。
 だが、夫には問題があった。現状に満足してしまい、子供を作ろうとしないのだ。これは女性の生殖戦略にとって致命的だ。子孫を残せないのだから。
 そんなときに出会うのが、若いダニエルである。料理研究家の太った夫に比べ、車引きで鍛えた屈強なダニエルの方が(1)のための条件をはるかに満たしている。
 マーゴがダニエルに惹かれるのは当然といえよう。

 スポーツクラブのシャワー室のシーンでは、多くの女性たちの裸体が映し出される。
 マーゴの若く引き締まった体と対比されるのは、初老の女性たちの衰えた肉体だ。
 ここでは、生殖できる期間の短さがあからさまに示される。

 本作は、マーゴが夫とダニエルの間で揺れ動く気持ちを丁寧に描写しているが、生物としての自然な行動を考えればその結論は見えている。
 だから、夫と別れてダニエルの許に走ったマーゴが行うことは一つしかない。映画はマーゴとダニエルの性行為を延々と描く。甘い語らいも楽しい時間も、ほとんどすべてのものは夫から得ていたのだから、マーゴがダニエルに求めるのは屈強な肉体の遺伝子だけなのだ。


 けれども、話はそれで終わらない。
 R・ロビン・ベイカーとマーク・A・べリスは、3679人の13~72歳の女性を対象に子供の数と浮気の率を調査した。

 子の数別 女性の浮気の率
  0人    5%
  1人    3%
  2人    10%
  3人    16%
  4人以上  31%

 この結果から明らかなように、子供の数が多いほど女性が浮気する率は高くなる。
 女性は男性との長期的な関係を志向するが、長期とは永遠のことではない。妊娠・出産し、子供がある程度大きくなれば、女性は次の子作りに取りかかることができる。そのとき、また同じ男性の子供を宿さねばならないわけではない。それどころか、別の男性の遺伝子を手に入れて子供のバリエーションを増やす方が、生き残り戦略としては正しい。

 いくつかの哺乳類ではブルース効果という事象が知られている。
 たとえ妊娠していても、新しいオスが登場すると着床の阻害や胎児の再吸収等により妊娠を中断させて、新しいオスとつがう準備に入るのだ。
 人間の場合はそこまでして新しい男性に走ったりしないが、遺伝子の多様性を確保するために有性生殖をしているのだから、受胎のたびに父親を変えることには合理性がある。

 マーゴの夫はそもそも子供を作ろうとしないから決別したけれど、子供を作れていれば、マーゴは夫との関係を保って経済的な基盤を維持しつつ、別の男性の遺伝子を求めれば良かったのだ。
 その点、サラ・ポーリー監督の描写は容赦がない。本作はダニエルと結ばれても、めでたしめでたしでは終わらない。マーゴは常に、現在のパートナーを物足りなく思うのだ。


 もっとも、浮気すればするほどいいとは限らない。先に上げたいくつかの調査を見ても、すべての人が浮気しているわけではない。
 私たちは無制限の浮気を抑制するメカニズムを備えている。それが嫉妬という感情の働きだ。
 本作において、サラ・ポーリー監督は極めて論理的にキャラクターを動かしているが、嫉妬については深く切り込んでいない。この興味深い題材は、別に取り上げることがあるだろう。

(次回は、生殖行為に励んでも子供のできない妻について)


参考文献
 石川幹人 (2011) 『人は感情によって進化した』 ディスカバー・トゥエンティワン
 橘玲 (2012) 『(日本人)』 幻冬舎
 スティーブン・ピンカー (2003) 『心の仕組み(下) 人間関係にどう関わるか』 NHK出版


テイク・ディス・ワルツ [DVD]テイク・ディス・ワルツ』  [た行]
監督・制作・脚本/サラ・ポーリー
出演/ミシェル・ウィリアムズ セス・ローゲン ルーク・カービー サラ・シルヴァーマン
日本公開/2012年8月11日
ジャンル/[ドラマ] [ロマンス]
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