『ミロクローゼ』 映画という美術を鑑賞しよう

 日本に住んでいてよかったと思うことの一つは、手軽に『地獄の門』が見られることだ。
 オーギュスト・ロダンがその後半生を費やした巨大な彫刻『地獄の門』は、ダンテの叙事詩『神曲』を題材としながらも、『神曲』に描かれた門をはるかに上回るイマジネーションの産物であり、鑑賞者に畏怖の念すら起こさせる。
 ロダンといえば『考える人』[*]が有名だが、『考える人』は『地獄の門』の一パーツとして構想されたに過ぎない。

 『地獄の門』のブロンズは、パリのロダン美術館をはじめ、世界の七ヶ所に置かれている。日本にはこのうちの二つがあり、上野の国立西洋美術館と静岡県立美術館で見ることができる。
 しかも国立西洋美術館のものは砂型鋳造、静岡県立美術館のものは蝋型鋳造と異なる製法で作られているので、その違いを楽しむこともできる。

 多くの美術品がそうであるように、彫刻も実物を自分の目で見なければ意味がない。立体の像はあらゆる角度から楽しめるものだから、平板な写真ではその魅力が伝わらない。
 だからこそ美術館に足を運び、彫刻の周囲を巡って異なる角度から眺めるのだ。

 映画は総合芸術と呼ばれるが、平板なスクリーンに映し出すことが前提なので、一つの作品を文字通り様々な角度から眺めることはできない。作り手が見せたいと考えた一つのアングルからのみ鑑賞できる。

 ところが、そんな制約をぶち破ったのが『ミロクローゼ』だ。
 この映画は、90分足らずの時間で実に多くの面を見せる。主演の山田孝之さんは、幼児的なオブレネリ・ブレネリギャーと野性的な熊谷ベッソンと愛に一途な多聞(タモン)の三役を演じ、しかも多聞は現代風の紳士であったり、爽やかなライダーであったり、侍であったりと、場面ごとにまったく異なる様相を見せる。

 シチュエーションも様々だ。
 西部劇風の酒場のシーンとヤクザ映画の博打シーンと刀を振るう大立ち回りが一つの世界の中で繋がっている。三人の主人公に応じてそれぞれの世界があるだけでなく、それぞれの世界がまた多様性・多面性を有しており、一言ではくくれない。
 普通だったら支離滅裂に感じてしまうところなのに、印象的なビジュアルと音楽のノリの良さが疾走し、観客を最後まで連れ去ってしまう。それどころか、次に何が飛び出すか予想もつかないバラエティ性が、心地よくて仕方ない。

 石橋義正監督は、一人三役に関して次のように述べている。
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今回あえていろんな話をあまり直接的に結びつけずにシーンとしては別々にしながら、この人物像を一人の人間に感じられるようにできないかなと考えて、山田孝之さんが三役やってくれることになったのでそれが成立できました。一人の人間でもいい加減な面や激しい面、いろんな側面があって、そういうものを違う人物で描きつつ観終わったあとに一人の人間として感じられるような実験的な要素をこの映画に組みこんでみたんです。
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 これはまさに立体像を様々な角度から眺めているようなものである。
 あるいは宝石を光にかざしてキラキラと輝く様を見ているような、はたまた万華鏡を覗いて刻々と変わる模様を楽しんでいるような感じである。
 そこにあるものは一つなのに、見る角度や光の加減でまったく異なる容貌が表れる。だからといって別々のものではなく、結局一つのものに集約される。
 そんな立体像のような楽しみ方ができるのが本作の魅力であり、それを実現できたのも映画のマジックがあればこそだ。
 石橋監督は、映画を映画として作ったことを強調する。
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最近は原作もの、特に漫画の映画化であるとか、テレビ番組の映画化というのがどうしても多くなってきていて、映画そのものとして成立する企画が非常に少なくなっていると思うんです。僕自身、子供のころから映画がすごく好きでこの世界に入ったので、何とかその状況を変えていきたいという思いがありまして。
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 たしかに、本作の世界を小説やマンガで表現するのは不可能だろう。ビジュアルと音楽もなしにこの統一感のなさに直面したら、どう受け止めていいか判らない。
 テレビでこんな支離滅裂な番組があったら、回を増すごとには視聴者は減少するだろう。

 本作の内容が映画でしか表現できないことを示す良い例が、映画情報サイトの紹介記事だ。
 たとえば、allcinema ONLINE では多聞の物語を次のように解説している。

 「さらわれた彼女を取り戻すべく、時空までをも超えて壮絶な流浪の旅を続ける。」

 映画を知らない人がこの文を読んだら、『きみがぼくを見つけた日』のようなタイムトラベル物や、楳図かずお著『イアラ』のような生まれ変わり物かと思いかねない。
 もちろん映画を観た人はこの解説では誤解を招くと判るわけだが、じゃあ西部劇と時代劇とヤクザ映画を変遷するような物語を、どうやって文章で説明したら良いのだろう。ましてや多聞の物語を、歌って踊る熊谷ベッソンの青春相談と、絵本みたいなオブレネリの物語で挟み込んだ映画なんて、文章で解説できるものじゃない。
 しかも、三者三様の物語のギャップの大きさこそが面白さであり、それを一人の役者が出ずっぱりで演じ切ることで作品のバランスを保っている。この味わいは、映画を観て感じ取るしかない。
 本作は映画だから成立するものであり、マンガやテレビを基にした企画からは生まれ得ないだろう。

 そして本作は、あらゆるところを、あらゆる角度から見られることを意識して作られており、クレジットの文字までが徹底的にカッコイイ!
 立体的な彫刻が、横から見ても後ろから見ても素晴らしいのと同じである。


 ところで、たいへん印象的な『ミロクローゼ』という題名は、石橋監督の造語だという。
 「“弥勒菩薩(みろくぼさつ)”と、“魅力的な女性”から発想した造語で、太陽の意味と、恋する相手の総称を“ミロクローゼ”としています。
 「それは“太陽”をイメージしています。自分自身を照らし、あらためて自分の生き方を見つめ直させてくれるものです。

 弥勒菩薩がなぜ太陽を意味するのか、すぐには判りづらいところだが、これは弥勒の源流がゾロアスター教の太陽神ミトラであることから説明できよう。

 「人は闇の中で生きていくことは簡単にできますが、日向で生きることの方が難しい。日向で生きるには、照らしてくれる太陽が必要です。その太陽を見つけるのに命をかけることがこの映画の軸になっています。」

 恋する相手を見つけ出してこそ、日向で生きられる。石橋監督はそう語る
 内閣府の調べによれば、20~30代男性の58%には恋人がおらず、25.8%はこれまで交際した経験すらないという。
 ミロクローゼを見つけるのは、人生をかけた大冒険なのだ。


[*]『考える人
 『ヤマトよ永遠に』のキーアイテムとしてアニメファンにはお馴染みだ。

ミロクローゼ スペシャル・エディション [Blu-ray]ミロクローゼ』  [ま行]
監督・脚本・美術・編集・音楽/石橋義正
出演/山田孝之 マイコ 石橋杏奈 原田美枝子 鈴木清順 佐藤めぐみ 岩佐真悠子 奥田瑛二 武藤敬司
日本公開/2012年11月24日
ジャンル/[コメディ] [ロマンス] [ファンタジー] [アート]
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【theme : ロマンス映画
【genre : 映画

tag : 石橋義正 山田孝之 マイコ 石橋杏奈 原田美枝子 鈴木清順 佐藤めぐみ 岩佐真悠子 奥田瑛二 武藤敬司

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