『プロメテウス』 エイリアンに反する人類の起源

 【ネタバレ注意】

 『プロメテウス』という題は、20世紀フォックスのCEOトム・ロースマンの発案だ。リドリー・スコット監督によれば、当初『プロメテウス』はジョン・ミルトンの『失楽園(Paradise Lost)』にちなんで『パラダイス』という題であったという。しかしこの題は、あまりにも多くのことを観客に知らせてしまうために変更された。ギリシア神話の神にちなんだ新しい題は、勇気を持って行動したため、ひどい罰を受ける者を表している。

 その『プロメテウス』で描かれるのは、宣伝で流れる惹句のとおりに、「人類は どこから 来たのか。」という問題だ。
 そこに、シリーズ第1作の『エイリアン』とはまったく異なる時代背景がある。

 1979年公開の『エイリアン』は、間違いなくSF映画史に燦然と輝く作品だ。
 未知の技術により、いつかどこかで作られた異星の船。コミュニケーションの断絶したエイリアン。そこには、私たち人類の知るよしもない世界に直面する衝撃があり、何も判らず翻弄される人間の矮小さがあった。SF小説ならともかく、大衆向けの映画でこれほど人間が無力に描かれるのは珍しかったのではないだろうか。
 その衝撃は、旧約聖書の『創世記』において「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」と神から祝福されたはずの人間が、実は孤独で卑小な存在でしかないことを知らしめるものだった。
 だからこそ、『エイリアン』はSFだった。(科学的知見によって)伝統的な固定観念を破壊し、文化的・宗教的な足かせから人々を解放し、新たな世界、新たな展望を語るそれは、SFと呼ぶに相応しい作品だった。

 しかし『エイリアン』公開から30年以上の時が流れ、時代が要請するものは変わった。
 アメリカ同時多発テロ事件やその後の戦争の泥沼は、空想のエイリアンを持ち出さなくてもコミュニケーションがいかに難しいかを痛感させた。いまさら破壊するまでもなく伝統はヒビ割れており、かろうじて家族の繋がりが人々を支えている
 このような状況で、クリエイターが進む方向は二つある。それは新しい文化や新しいコミュニケーションを提案する方向と、破壊された伝統を復活させる方向だ。どちらが正しいというものではないし、どちらにも支持する人はいるはずだ。
 そして本作の作り手は後者を選んだのだろう、『エイリアン』で破壊したものを復活させようとするのが、その前日譚たる『プロメテウス』である。


 とりわけ本作が重視するのは宗教だ。
 主人公が身に付けた十字架、亡き父との信仰についての会話、創造主を探す旅、そのいずれもが伝統的宗教――ここではキリスト教の重要性を語っている。
 現代の日本人はあまり信仰心を自覚していないのでピンとこないかもしれないが、宗教には人々を結びつけ、社会を秩序立てる働きがある。
 たとえば伊東乾氏は、かつて虐殺で100万人もの犠牲者を出したルワンダの現状をこう紹介する。
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キリスト教の普及したアフリカ、ルワンダ共和国で中学高校生向けに授業をした際、進化論も遺伝子も子供たちが笑ってしまって、話にならないというケースを僕自身も経験しました。彼らにとっては「人類がサルから進化した、なんて考え方」そのものが滑稽であって、嘲笑の対象でしかない。ただ、そういう科学の理解にとどまる彼らを、私たち日本人は決して笑うことはできないのです。というのも、市民が市民を虐殺する「ジェノサイド」から立ち直る過程にあるルワンダ共和国では、新旧約聖書の倫理が社会をひとつにつなぎとめる決定的な鍵になっており、聖書の内容を相対化してしまうと社会全体が成立しなくなり、怨念には怨念を、という血で血を洗う殺し合いが、また再発しないとも限らない現実があるので、ことは全く簡単ではありません。
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 ルワンダほどではないにしろ、英国や米国も伝統的な価値観を重んじてきた国だ。
 世界価値観調査に基づく価値マップによれば、英語圏の国々は日本よりもはるかに伝統を重視しており、特に米国は世界的に見ても伝統を重んじる方である。
 なにしろ米国の世論調査によれば、進化論を信じる米国人はわずか39%しかおらず、過去10年間に行われた調査においても、44~47%の米国人が、神が過去1万年ほどのあいだに、人間を現在のような形で創造したと信じているというのだ。
 そんな米国の人々にとっては、とても神の創造物とは思えないようなエイリアンが跋扈する宇宙観など不愉快だろう。神は人間にすべての生き物を治めることを命じたのに、人間を打ち負かす生物が登場するなんて、許せるはずがない。
 かつて社会の伝統が盤石だった頃は、そこに一石を投じるSF映画を面白がる余裕もあった。しかし伝統が揺らいで人々が不安を覚えているときに、エイリアン映画をこれまでと同様に送り出すのは難しい。


 だから、本作はエイリアンの位置付けを根本から変えようとしている。
 本作に登場する生物学者は、彼のミッションが創造主の探索にあることを知り、「ダーウィンの進化論を否定するのか」と気色ばむ。
 そう、本作は進化論を否定するのだ。
 もちろん、エイリアンシリーズが人気を博してきた過去を思えば、いきなり『ベン・ハー キリストの物語』のような宗教映画を作っても受けないことは作り手も判っている。だから作り手は、エイリアンシリーズの特徴を残しつつ、緩やかにキリスト教的世界観との融合を図っている。

 今回舞台となるのは、地球から遠く離れた星LV223だ。
 LV223とは Leviticus 22:3、すなわち旧約聖書の『レビ記』第22章3節を指している
 では『レビ記』とは何かというと、これは神が命じたことをまとめた規定集である。この中で、神は古代イスラエルの指導者モーセに人々を集めさせ、モーセを通じて様々な規則を伝えている。
 第22章3節は、神への献げ物についてモーセに語らせた部分だ。
 「彼らに言いなさい、『あなたがたの代々の子孫のうち、だれでも、イスラエルの人々が主にささげる聖なる物に、汚れた身をもって近づく者があれば、その人はわたしの前から断たれるであろう。わたしは主である。』」
 ――旧約聖書 レビ記(日本聖書協会発行1955年版)――

 本作ではこの神の言葉のとおりに、LV223を訪れた調査団の命が絶たれる。神が作った人間の子孫であっても、勝手に近づく者は「断たれる」のだ。
 もちろん、神は誰でも死ぬとは云っていない。
 『エイリアン』がスリリングなのは、誰が犠牲になるか判らない恐怖があるからだが、本作では犠牲になる者と助かる者とのあいだに明確な違いがある。
 それは信仰の有無だ。本作で助かるのは信仰に篤い者であり、信仰を表明しない者は死ぬことになる。それによって『レビ記』の神の言葉はより正確に再現され、映画を観たキリスト教徒が納得できるようになっている。


 物語のはじめから見てみよう。
 まず本作は、どこかの惑星に降り立った異星人――通称エンジニアが、その星に有機物をもたらす場面からはじまる。その星の全生物は、エンジニアのばらまいた物質から誕生したという説明である。
 リドリー・スコット監督によれば、これは必ずしも地球の場面ではなく、エンジニアが宇宙のどこかでガーデニングをしている情景なのだという。

 問題は、物語の中盤に主人公がエンジニアの遺体を調べて発見するものだ。なんとエンジニアのDNAを解析すると、それは私たち人類のものと完全に一致するのである。
 これは本来あり得ないことだ。
 地球で生命が誕生してから40億年ちかい時間が流れている。たとえ地球の生物がエンジニア由来で誕生したとしても、長い時間のうちに自然に発生する突然変異が積み重なり、DNAはどんどん変わってしまう。時間的にも空間的にも遠く隔たったエンジニアと地球人のあいだで、DNAが一致することなどありえない。
 映画の中では、DNAについての詳しい説明はないが、たとえばミトコンドリアDNAで分類すると、現生人類はここ15~20万年のあいだに大きく4つの集団に分かれたことが判明している。
 現生人類同士ですら、たった15~20万年のうちにDNAの違いが生じるのだから、たとえエンジニアが意図的にDNAを作りだしたとしても、自分たちと同一のDNAを維持させるなんてできるはずがない。

 だが、これを説明する方法が一つある。
 エンジニアが地球の生物――少なくとも人類を創造したのは最近のことであって、まだDNAがエンジニアの意図を外れるほどには時間が経過していないと考えれば良い。エンジニアの創造が、せいぜい数万年前とすればどうだろう。
 これは進化論や古生物学を否定する考え方であり、同時に創造論者を喜ばせるものだ。


 ここでとうぜん出てくる疑問は、エンジニアとは神なのか、ということだ。
 その答えは、劇中のセリフにヒントがある。すなわち、神はすべてに超越しており、エンジニアすらも神に創られたと考えれば、エンジニアをどう描こうが神の座は揺るがない。だからエンジニアが人類の創造主だからといって、ただちに彼らを神として崇める必要はない。本作はあくまで創造主を探す旅を描いており、神を探しているのではないのだ。
 こうして映画の作り手は、エイリアンシリーズと創造論との折り合いをつけている。

 特に興味深いのは、エンジニアが2,000年前に死滅したという設定だろう。
 なぜ、よりによって2,000年前なのか。
 これも聖書に照らし合わせれば明らかだ。
 2,000年前といえば、ナザレのイエスが活躍した時代である。エンジニアが2,000年前に死滅したということは、裏を返せばエンジニアの地球訪問は2,000年前まで続き、超科学による「奇蹟」を披露していたことを示している。

 この点については、Movies.com がリドリー・スコット監督に核心を突いた質問をしている。
 「聞くところによれば、エンジニアが地球を滅ぼそうとしたのは私たちが彼らの代表の一人を磔にしたからだ、すなわちイエス・キリストは異星人なのだ、というスクリプトを書かれていたとか。そういう案を検討されていたのですか?」
 リドリー・スコット監督はこれをはっきり認めながら、「私たちは、それはちょっと明確に描き過ぎだろうと思ったんだ」と今回の映画から削った理由を説明している。

 またリドリー・スコット監督は、エーリッヒ・フォン・デニケンの古代宇宙飛行士説から影響を受けたことも認めている。デニケンの説は、聖書や神話が宇宙人の訪問記録であるというものだ。
 70年代にデニケンの説がブームになったのは、カウンターカルチャーの勃興が背景にあろう。人々の信仰する神が実は宇宙人であるという説は、それまでの伝統的な文化に反するものだったから、人々に大きな衝撃を与えたのだ。
 ところが、そんな説が陳腐になり、誰も驚かない現在では、かえって古代宇宙飛行士説が聖書や神話の記述を裏付けるものとして作用するのは皮肉である。
 本作は、古代宇宙飛行士説を唱えると同時に、信仰の重要さにも目配りすることで、人類の孤独を描いた『エイリアン』を、神が祝福してくれるキリスト教的世界観で上書きしているのだ。


 このように『プロメテウス』は、科学的知見に基づいて新たな世界や新たな展望を語るSFではなく、既存の宗教を引用することで、SFに傾倒していた人たちに伝統的文化を思い出させる作品だ。
 その意味で、『エイリアン』の方向性とは反対なのだ。

 ただしリドリー・スコット監督は、単にキリスト教の復古を狙って本作を撮ったわけではないだろう。
 それを端的に示すのは、幼き日の主人公が、父とともに訪れたアフリカで葬列を目にする場面だ。「あの人たちのお葬式に参加しないの?」と問いかけた彼女に対し、父は「信じる神が違うんだ」と答えている。
 英国の出身で、米国で映画を撮っているリドリー・スコットだが、キリスト教だけが唯一絶対の宗教ではないことは充分に理解している。世界中の人々に参加を呼び掛けて制作した『LIFE IN A DAY 地球上のある一日の物語』で制作総指揮を務めたことからも明らかなように、リドリー・スコットは世界を視野に入れているのだ。

 そんな彼の思いは、『パラダイス』と名付けられるであろう続編によって、より詳細に語られるはずだ。


プロメテウス 4枚組コレクターズ・エディション (初回生産限定) [Blu-ray]プロメテウス』  [は行]
監督・制作/リドリー・スコット
出演/ノオミ・ラパス マイケル・ファスベンダー シャーリーズ・セロン ガイ・ピアース イドリス・エルバ ローガン・マーシャル=グリーン
日本公開/2012年8月24日
ジャンル/[SF] [アクション] [サスペンス]
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【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画
【genre : 映画

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