『ダークナイト ライジング』 バットマン最大の敵に立ち上がる

 A hero can be anyone...

 クリストファー・ノーラン監督は、三部作のテーマをそれぞれ一言で表現している。
 『バットマン ビギンズ』は"Fear(恐怖)"。
 『ダークナイト』は"Chaos(混乱)"。
 そして『ダークナイト ライジング』は"Pain(苦悩)"である。

 これら各作品でバットマンは強敵と戦ってきたが、シリーズ全体を通じてバットマンを悩ませるのは、悪魔の頭ラーズ・アル・グールでも、犯罪界の道化王子ジョーカーでも、傭兵ベインでもない。おそらくバットマンにとって最大の敵は、スケアクロウことジョナサン・クレインである。
 キリアン・マーフィが演じるこの精神科医は、『バットマン ビギンズ』(2005年)においては幻覚ガスを撒き散らして人々の恐怖を煽り、『ダークナイト』(2008年)では精神異常を誘発する麻薬を売りさばき、『ダークナイト ライジング』(2012年)では司法が崩壊したゴッサム・シティでリンチ裁判の判事を務めている。

 このシリーズの悪役たちは、幾つもの点でバットマンことブルース・ウェインと共通していたり、その裏返しであったりするのだが、とりわけリンチ裁判で判決を下すクレイン医師は、個人的な正義感から私刑を繰り返すブルース・ウェインが最終的に行き着く姿であるかもしれない。
 クリストファー・ノーラン監督と脚本家のジョナサン・ノーランの兄弟は、本作を『二都物語』から着想しており、特にこのリンチ裁判はその中心的な題材である。『二都物語』はフランス革命を描いた小説だが、革命に立ち上がった民衆は残虐性に火がついて、わずか1年あまりのうちに16,594人をギロチン送りにしている。裁判なしで殺された者を含めれば、犠牲者は4万人に上るという。

 もちろん、当時のフランスは歳入の9倍もの財政赤字を抱えながら、増税反対の声に押されて財政改革が挫折するありさまだったから、民衆が蜂起するのもとうぜんである(現在の日本の財政赤字も大きいが)。
 しかし、自由と平等を掲げた人権宣言の採択ではじまったはずのフランス革命が、恐怖政治に転落するのは早かった。反対意見を述べる者は次々に粛清され、国全体であさま山荘事件が起きているような状態だった。

 これが健全な国家運営であるはずがない。
 『ダークナイト ライジング』の観客も、クレイン医師が被告を全員死刑にするリンチ裁判が適切であるとは思わないだろう。
 けれども、それではバットマンがやっていることは何なのだろうか。
 執事アルフレッドから警察に任せるように諭されても、キャットウーマンことセリーナ・カイルに「通報しないの?」と尋ねられても、ブルース・ウェインは自分の手で悪を追うことを止めようとしない。
 いったい何の権限があってブルースはそんなことをしているのか。それを正当化するどんな理由があるというのか。

 クリストファー・ノーラン監督は、シリーズを通じて何度も問いかけてきた。
 正義とは何か。正義の執行とは何なのかを。


 それは、すべてのスーパーヒーローと、スーパーヒーローを支持する市民が抱えている問題だ。
 平凡な高校生がヒーロー気取りでうろつき回る『キック・アス』では、街の悪事に頬かむりする人々と、自警に立ち上がり暴走するヒーローの双方に眼差しを向けた。
 レンチを持った中年男が物陰から襲いかかる『スーパー!』も、正義の味方を自認する男の暴力を取り上げた。

 治安のためなら暴力も辞さない機関として、私たちは警察を設置している。警察が十全に機能していれば、私刑を行うマスクの男は不要かもしれない。
 だが『ダークナイト ライジング』において、警察の機能は疑問視されている。
 バットマンとして再び立ち上がったブルース・ウェインは、警察を無視して独力で悪を追い続ける。ブルースの盟友ジェームズ・ゴードン市警本部長は、(今回は怪我のために前線に出られない設定だが)やり方が汚いとなじられる。ピーター・フォーリー副本部長は、功名心が強いくせに、危機にあっては家に閉じこもっている。現場の警察官は杓子定規に命令に従うばかりで、市民の脱出を阻んでしまう。
 わずかにジョセフ・ゴードン=レヴィット演じるジョン・ブレイクが熱血警察官として活躍するものの、彼も警察に愛想を尽かしていく。

 警察が散々な扱いを受ける一方、市民たちは自警団を肥大化させ、気に入らない人間を次々にリンチ裁判にかけていく。
 悪事に頬かむりせず立ち上がるとは、こういうことなのか。


 そこでは、バットマンの最大の特徴もシニカルに描かれる。
 公式サイトには、クリストファー・ノーラン監督がバットマンをどう見ているかが紹介されている。
 「僕がバットマンというキャラクターにいつも惹かれてきたのは、これまでに何度も指摘してきたように、彼が巨額の富以外には何の超人的パワーももたないスーパーヒーローだという点なんだ」「彼が何か途方もないことをやってのけるとき、彼を突き動かしているのは極めて強い動機と純粋な献身だ。だからこそ、彼はとても信頼のおける人間なんだよ」

 本作がフランス革命を背景にした『二都物語』からインスピレーションを得ているのも、バットマンが大富豪であり、貴族と平民という『二都物語』の対立軸がそのまま適用できるからだろう。
 ノーラン監督は、バットマンが信頼のおける人間だというが、富裕層であるだけで民衆の恨みを買うのなら、バットマンの居場所はどこにあるのか。
 そしてバットマンと対比するように、盗賊セリーナ・カイルが貧しさゆえに悪事に手を染めたことや、孤児院を出た子供たちはベインの傭兵となるしか行き場がないことが語られる。
 はたして、巨額の富を持つブルース・ウェインがするべきだったのは、マスクとケープに身を包んで悪人退治に徘徊することだったのだろうか。

 やがて市民たちの自警団と警察が衝突するとき、遂にバットマンは警察と共闘する。
 そのとき警察官たちが叫ぶ「警察は一つだ」というセリフは、勝手に振る舞う自警団を否定するとともに、私刑執行人たるバットマンをも否定している。


 とはいえ「立ち上がる」ことを巡る葛藤には、日米で温度差があるかもしれない。
 上田紀行氏は、日本の学生に毎年こんな質問をしているという。

 「あなたはメーカーに勤務し、東南アジアの工場で働くことになりました。そこでは有害物質を排出し、公害を引き起こしています。赴任早々、それに気づいたあなたは、上司に報告しましたが、効率重視の上司は『そうはいっても』と、改善しようとしません。さて、あなたはどうしますか?」

 この問いに対する答えを3つ用意する。

 (1) 実名で告発する。
 (2) 匿名で告発する。
 (3) 何もしない。

 ここから学生に選ばせたら、どうなるだろう。

 実は学生たちの8割以上が「(3) 何もしない」を選ぶということに、あなたは驚くだろうか、やっぱりと頷くだろうか。
 上田紀行氏はこの結果を受けて、「答えたのはまだ会社に入っているわけでもない、会社に忠誠を誓っているわけでもない、学生たちなのです。これがはたして自由な社会で出てくる比率でしょうか?」と疑問を呈している。
 不正の告発に対して、「告げ口しやがって」と責めるのではなく、「偉い」「立派だ」と称える文化がなければ、正義のために立ち上がる映画は意味を持たない。

 ちなみに財団法人日本青少年研究所が2007年4月に発表した「高校生の意欲に関する調査」によれば、日米中韓4ヶ国のうち、日本の高校生に顕著な点が一つある。
 「偉くなりたいか」という設問に、「偉くなりたいと思う」「強くそう思う」と答えた人が、中国34.4%、韓国22.9%、米国で22.3%いるのに比べ、日本は8.0%しかいないのだ。
 そもそも日本と他国では、偉くなることの捉え方が違っている。
 米中韓では偉くなることを「自分の能力をより発揮できる」「周りに尊敬される」と肯定的に捉えているのに対し、日本人は偉くなると「責任が重くなる」「自分の時間がなくなる」と回答している。


 思えば、スパイダーマンは「大いなる力には、大いなる責任が伴う」という言葉を噛みしめて、責任をまっとうしようとした。
 一方バットマンは、クリストファー・ノーラン監督が云うように何の超人的パワーも持たないが、それでも立ち上がろうとする。
 だから『ダークナイト ライジング』が強調するのは、「バットマンには誰でもなれる」ということだ。

 映画の中盤、ブルース・ウェインは、バットマンを待望する警察官ジョン・ブレイクとの会話において「バットマンには誰でもなれるさ」と気のない返事をする。
 しかし終盤、バットマンの正体を知りたいというゴードン本部長に、バットマンは答える。 

 「バットマンには誰でもなれるのだ。
 ( A hero can be anyone. Even a man doing something as simple and reassuring as putting a coat around a little boy's shoulders to let him know that the world hadn't ended. )

 『ダークナイト ライジング』では、立ち上がるのはすでに当然のことなのだ。
 その上でいかに独善に陥らず、人々と協調し、理性的に立ち上がるかが問われている。

 前二作と同様、本作においてもスケアクロウことジョナサン・クレインは姿をくらましてしまった。人々に恐怖を植え付け、社会不安を煽り、でたらめな断罪で他人を攻撃する者は、バットマンにも片付けられない難敵なのだ。
 それが手強いのは、爆弾犯や殺人犯のような特定の人物を倒せば済むものではないからだろう。


 ところで、上田紀行氏の話には続きがある。
 2011年、日本は大きな災難に見舞われた。誰もが、自分には何ができるかを考えた。
 その後、上田紀行氏が例年と同じ質問をしたところ、6割以上の学生が「告発する」と答えたという。


ダークナイト ライジング Blu-ray & DVDセット(初回限定生産)ダークナイト ライジング』  [た行]
監督・制作・原案・脚本/クリストファー・ノーラン
脚本/ジョナサン・ノーラン
出演/クリスチャン・ベイル マイケル・ケイン ゲイリー・オールドマン アン・ハサウェイ トム・ハーディ マリオン・コティヤール ジョセフ・ゴードン=レヴィット モーガン・フリーマン キリアン・マーフィ
日本公開/2012年7月28日
ジャンル/[アクション] [サスペンス] [犯罪] [SF]
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【theme : ダークナイト ライジング(The Dark Knight Rises)
【genre : 映画

tag : クリストファー・ノーラン クリスチャン・ベイル マイケル・ケイン ゲイリー・オールドマン アン・ハサウェイ トム・ハーディ マリオン・コティヤール ジョセフ・ゴードン=レヴィット モーガン・フリーマン キリアン・マーフィ

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