『ローマ法王の休日』 映画が楽しめない、という人に

 【ネタバレ注意】

 ローマ法王は、かつてローマ帝国の首都だったローマの司教である。
 数あるキリスト教の教会の中でも、ローマ・カトリック教会はもっとも信徒が多く、その数は11億人以上と云われる。
 日本の教会では「ローマ教皇(きょうこう)」と表記するのだが、邦題はマスコミの慣例に従って「法王(ほうおう)」としている。

 それはともかく、『ローマ法王の休日』とは実に秀逸な邦題だ。上映の際にスクリーンに映し出された邦題は、「法王」の字が少しばかり小さくなっていた。
 公式サイトで述べているように、本作は法王版の『ローマの休日』なのだ。

 『ローマの休日』といえば、今でも多くの人がロマンチック・コメディの代表として挙げる名作だ。ローマ法王と『ローマの休日』を引っ掛けるだけで、本作が愉快な映画であることは伝わってくる。
 だが、本作は単に楽しいだけの映画ではない。コメディとしてだけでなく、もっと奥深いところで『ローマの休日』に繋がっているのだ。


 映画は法王の葬儀からはじまる。
 カトリックの総本山たるバチカンでは、世界中から集まった枢機卿がコンクラーヴェ(教皇選挙)を行い、新たな法王を選出しようとしている。
 ところが投票で選ばれたメルヴィルが、新法王として挨拶する直前に「無理だ」と云いはじめたから、さぁ大変!

 法王の選挙制度は長い歴史の中で形作られたものである。その手続で選ばれた法王は、多くの枢機卿から信任されただけでなく、神の意志によって選ばれたといえる。
 それはメルヴィルも充分に理解しており、だからこそ彼も法王の大役をきちんと果たしたいと願っている。
 ところが、どうしてもそれができない。
 だから、まずは本人も周りも心身の異常を疑った。
 けれど、医者に体を診てもらっても、精神科医に相談しても、サッパリ埒が明かない。
 事態が進展しないまま、時間ばかりが過ぎていく……。

 というのが映画の筋であり、そのまま1時間45分の映画は幕を閉じる。
 それじゃあ起承転結の転も結もないじゃないかと思われるだろうが、そのとおり。この映画には目立った転だの結だのはない。


 それよりも、こまごまとしたエピソードの積み重ねがジワジワと効いてくるのが魅力だろう。

 コンクラーヴェでは、枢機卿団の3分の2以上の票を得なければならない。有力視される枢機卿といえども3分の2以上を制することができず、投票は何度も繰り返される。
 そのたびに選出されなかった枢機卿はさぞかし悔しがっているだろうと思いきや、なんと誰も彼もが心の中で祈っているのは「神よ、私が選ばれませんように」ということだ。
 これには観客もついニヤニヤしてしまうことだろう。

 さらにおかしいのが、集まった枢機卿たちが睡眠薬や抗精神病薬に頼っていることだ。
 枢機卿といえば聖職者の中でも特に高位の人たちだ。司祭に悩みを相談する信徒からすれば、枢機卿は遥かな高みの存在だ。悩みに煩わされることなど、ないものと思いがちだ。
 その彼らが実は睡眠薬に頼らなければ眠ることもできないのだから、枢機卿のイメージを引っ繰り返すシーンである。

 そんな悩み多き枢機卿たちが、晴れ晴れとした表情を見せるのがバレーボールの試合だ。
 精神科医の発案で、枢機卿たちは地域ごとに分かれてバレーのリーグ戦を行う。その彼らの何と楽しげなことか。宗教の中心を担う人々が、宗教とは関係のないところで元気を取り戻すとはケッサクだ。
 しかも取り組むスポーツが他でもないバレーボールなのは、日本人も親しみを覚えるところだろう。なにしろイタリアは日本のアニメ『アタックNo.1』の影響で、バレーボールが盛んになった国だ。1969年に作られた『アタックNo.1』が時代遅れになると、後継作品を作ってまでアニメでバレーを振興している。

 おかしいのは、枢機卿のあいだを練り歩く精神科医も同様だ。
 彼は聖書を読むなり、ここに書かれているのは鬱病の症状だと叫び出す。よりによって枢機卿たちを前にして、彼らの信仰の根幹を揺るがしかねない発言である。

 そして何よりおかしみを感じさせるのが、主人公メルヴィルだろう。
 彼はかつて役者志望だった。こんにちのメルヴィルは、役者になれなかった挫折の結果でしかないのだ。そんな彼は、新法王に選ばれて全カトリック教会の統治者となったものの、実は懸命に聖職者を演じてきただけなのかもしれない。
 しかも彼は、法王として信者たちの前に立つことはできないのに、紛れ込んだ劇団で俳優の代役を務めようと申し出る。本当にやりたいことはできるのだ。
 その上、街の教会に入り込むと、神父の説教に耳を傾けたりもする。
 他ならぬ法王が!一介の神父の話に耳を傾ける!
 なんとも愉快な場面である。

 本作にはそんなエピソードが連なるけれど、決してカトリックを批判したり愚弄したりするものではない。
 コンクラーヴェの会場を抜け出したまま当てもなくさまようメルヴィルも、メルヴィルが戻らないので時間潰しに興じる枢機卿たちも、愛すべき人たちとして描かれている。彼らは観客をゲラゲラ笑わせたりはしないが、どうにも憎めない人物なのだ。


 そして最後にメルヴィルがたどり着く結論は、映画としては異色である。
 彼は最後にちゃんと認識するのだ。自分は法王を務めるには力不足だと。とても自分にはできないと。
 その結末に、多くの観客は呆気にとられるに違いない。
 みんなから選ばれた上での大役を投げ出してしまうメルヴィルは、いったいどう見えるだろうか。いい加減な人間だと思うだろうか? 軽蔑すべきか?

 そうかもしれない。
 そうかもしれないが、一方でメルヴィルに癒される人もいるのではないだろうか。

 見渡せば、私たちの周りには人を鼓舞する作品が溢れている。
 曰く、努力すれば報われる。諦めなければ夢は叶う。頑張ろう、前向きにいこう。
 それはそれで素晴らしいメッセージだ。そういう作品に勇気づけられる人もいるだろう。与えられた大役を果たそうと頑張る人もいるだろう。前向きな主人公に感動したり、立派な生き様に憧れたりもするだろう。

 けれどもそういう映画ばかりだったら、夢を持ち続けられなかった人はどれを観れば良いのだろう。役割を果たせなかったと自分を責めている人は、どうすれば良いのだろう。挫折した人や、頑張れなかった人は、「頑張れ」「必ず良いことがある」という映画を観て楽しいだろうか。

 人によっては、前向きなメッセージが眩し過ぎることもあるだろう。そんな人には、こともあろうに法王がその座を投げ出す本作が、実は癒しになるのではないか。
 なんといっても法王なのだから。彼は人々が悩んだとき、困ったときに相談する聖職者の中でも最高位の人であり、11億の信徒の精神的指導者なのだ。その彼ですら、できないものはできないのである。自分には無理だと云って、役割を降りてしまうのだ。
 いわんや、市井の私たちが頑張れないからといって、責任を果たせないからといって、これ以上自分を責める必要があるだろうか。

 『ローマの休日』のアン王女は立派だった。休日は休日として楽しみながら、ときが来れば自分の職務に戻っていった。
 誰だって立派に振る舞いたい、振る舞わなければならないと思っている。
 けれども、みんながみんなアン王女のようにできるわけではない。
 アン王女だって、職務を投げ出したままの方が幸せだったかもしれないのだ。


 『ローマ法王の休日』のメルヴィルは、情けなく見えるかもしれない。
 彼の結論に腹を立てる人がいるかもしれない。
 だが一方ではこの映画を観て、自分にのしかかっていた重しが取れたように感じる人もいよう。かすかな安堵を覚える人もいよう。
 そんな映画があってもいいのではないだろうか。


ローマ法王の休日 [DVD]ローマ法王の休日』  [ら行]
監督・制作・原案・脚本/ナンニ・モレッティ
原案・脚本/フランチェスコ・ピッコロ、フェデリカ・ポントレモーリ
出演/ミシェル・ピッコリ イエルジー・スチュエル レナート・スカルパ ナンニ・モレッティ マルゲリータ・ブイ フランコ・グラツィオージ カミーロ・ミッリ ダリオ・カンタレッリ ロベルト・ノービレ ジャンルカ・ゴビ
日本公開/2012年7月21日
ジャンル/[コメディ] [ドラマ]
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【theme : ヨーロッパ映画
【genre : 映画

tag : ナンニ・モレッティ ミシェル・ピッコリ イエルジー・スチュエル レナート・スカルパ マルゲリータ・ブイ フランコ・グラツィオージ カミーロ・ミッリ ダリオ・カンタレッリ ロベルト・ノービレ ジャンルカ・ゴビ

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