『SUNNY 強い気持ち・強い愛』と『サニー 永遠の仲間たち』、少し『タクシー運転手 約束は海を越えて』

ストーリーは原作映画とほぼ同じである。主人公たち六人組の暮らす現代と、彼女らが回想する高校時代を並行してたどりながら、ままならない人生の切なさと仲間たちとの輝かしい日々を描き出す。
映画冒頭のテレビ番組で安室奈美恵デビュー25周年を報じていたから、劇中の「現代」は2017年だ。主人公・奈美が淡路島から転校してきた理由が、阪神・淡路大震災で父の職場が壊滅したためなので、「高校時代」は1995年であろう。これは2017年に40歳になった女性たちの物語なのだ。
韓国映画『サニー 永遠の仲間たち』は、映画公開の2011年を現代として、25年前、すなわち1986年の高校時代を振り返っていた。
両作品は同じような設定で、時代もそれほど異なるわけではないが、映し出される光景はまるで違う。『SUNNY 強い気持ち・強い愛』は必ずしも1995年でなく前後2~3年でも構わなかっただろうが、『サニー 永遠の仲間たち』が振り返るのは、どうしても1986年でなければならなかったはずだ。
![タクシー運転手 約束は海を越えて [Blu-ray]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/71KhxZqcjAL._SL160_.jpg)
特に全斗煥(チョン・ドゥファン)将軍がクーデターで実権を握った後に起きた1980年の光州事件は、諸外国にも衝撃を与えた。韓国南部の光州市で、民主化を要求する市民たちと軍・警察が衝突、激しい抗争に発展し、多くの民間人が殺されたのだ。
韓国は戒厳令下にあったため、何が起きているのかはっきりしたことが判らない中、危険を冒して光州市に潜入し、軍に武力鎮圧される市民の姿を映像に収めて日本国に脱出したのが、ドイツ公共放送連盟東京支局の特派員ユルゲン・ヒンツペーターだった。彼の活躍により、光州市の惨状を世界が知ることになる。
"青い目の目撃者"と呼ばれるヒンツペーター記者と、彼を乗せたタクシーの運転手キム・サボクの決死行をモデルに映画にしたのが『タクシー運転手 約束は海を越えて』(2017年)である。
外信記者を乗せて民主化のために走り回っていたというキム・サボクが、映画では金に困った冴えない親父キム・マンソプとして描かれたり等の違いはあるが、独裁者朴正煕(パク・チョンヒ)が倒された後の民主化ムードを一瞬で吹き飛ばし、新たな軍事独裁政権の幕開けを告げた光州事件の衝撃を、この作品はよく表している。
(相対的に)自由と民主主義に溢れる隣国日本を対置させることで、独裁政権下の韓国の危険と不自由さを感じさせたのも印象深い。

『サニー 永遠の仲間たち』の舞台である1986年は、民主化宣言が出る直前だ。この映画では、民主化運動の闘志たる兄が登場したり、少女たちの喧嘩が政府と民衆の抗争に重ね合わされたりして、少女たちの生き様と、自由と民主主義を渇望する国民の戦いが重なる構図になっている。
すなわち、『サニー 永遠の仲間たち』は、主人公の女性たちが高校時代を懐かしむだけの映画ではないのだ。彼女たちの回想を通じて、韓国の市民一人ひとりが軍事独裁政権下の生活と圧制に抗した日々を想い起し、あるいは当時生まれていなかった若者は政府と戦う勇気と先人の苦労を知り、いま手にしている平和と民主主義の大切さを噛みしめる作品なのだ。
だからこそ、40代女性の回顧映画に留まらず、国民みんなの共感を得て、韓国で740万人を動員する大ヒットになったのだろう。

日本版リメイクの『SUNNY 強い気持ち・強い愛』と同じく2018年に公開されたベトナム版リメイク映画『Thang Nam Ruc Ro』(眩しい五月)も、韓国版の構図に似ている。
ベトナム版は、時代を2000年と1975年に設定している。25年を隔てた二つの時代を描くのは韓国版と同じだが、ベトナムで1975年といえばベトナム戦争最後の年だ。こちらの映画は、1975年4月30日にサイゴン政権が崩壊する前の南ベトナムを舞台に据えて、ゴ・ディン・ジエム大統領の圧制に対抗するべく結成された南ベトナム解放民族戦線とサイゴン政権が戦った動乱の時代を振り返る。南北ベトナムの統一後、経済発展を続ける平和な現在と対比しながらだ。
このように両国版とも国民すべてに関係する社会の変化を踏まえた作りになっているが、日本版はそのような歴史的・社会的な視点を持ちえない。日本国には、よりよい社会にしようと皆が立ち上がり、自由と平和を獲得した国民共通の思い出がないからだ。
代わりに『SUNNY 強い気持ち・強い愛』が描くのは、1990年代の風俗ファッションだ。本作は、"コギャル"と呼ばれた当時の女子高生の生態図鑑になっている。
とはいえ、それこそが大根仁監督の狙いであろう。
本作をつくるに当たり、大根仁監督は「90年代後半、20世紀最後のどんちゃん騒ぎを象徴する存在である“コギャル”のことはいつか物語にしたいと思っていました。彼女たちがアラフォーになる今、機は熟したのかなと。」と述べている。
原田眞人監督のテレビ映画『盗写 1/250秒 OUT OF FOCUS』(1985年)を愛し、映画『SCOOP!』(2016年)としてリメイクしたほどの大根監督にとって、いつか物語にしたいと思っていたコギャルのこととは、原田監督がコギャルを描いた1997年の『バウンス ko GALS』に返歌を送ることだったのかもしれない。
いくらコギャルの映画を撮りたくても、1990年代ならともかく21世紀にそんな機会がそうそうあるはずがない。しかし、40代の女性が高校時代を振り返る『サニー 永遠の仲間たち』の手法を使えば、そしてコギャル世代が40歳前後になる"今"ならば、コギャル映画を世に送り出すことが可能だろう。大根監督はそう考えたのではあるまいか。


「日本版で描かれるのは、女子の革命。決して周りに合わせることなく、ギャル自らが自分たちのルールと価値観を作った“ガールズ・ブラボー”な時代です。オヤジたちにNOを突き付けて波風を立て、男社会の中でアイデンティティを確立しようとした彼女たちが、女子の在り方を変えたとも言えます。」
残念なのは、よしんば90年代がガールズ・ブラボーな時代だったとしても、女子の革命であったとしても、それが国民みんなの共通の思い出ではないことだ。
たとえば本作は、韓国版の七人組「サニー」を六人組に減らしている。転校生のナミを奈美へ、リーダーのチュナを芹香に、保険の外交員になる太っちょのチャンミを不動産営業の梅に、金持ちと結婚するジニを裕子に、ミス・コリア志望のおしゃれ好きなポッキを美容師志望の心(しん)に、モデルの美少女スジを奈々に置き換え、原作に忠実に対応させながら、本作はメガネの文学少女クムオクだけを消してしまった。原作の個性的なメンバーを一律コギャルに置き換えた中に、コギャルらしからぬ文学少女の占める場所はなかったのだろう。
90年代にもメガネの文学少女はいたと思うが、本作は女子高生の物語にするだけでなく、女子の範囲をも狭めてしまった。
たしかに七人組は多すぎかもしれない。韓国版は124分の中にエピソードがぎゅう詰めで、かなり目まぐるしい展開だった。日本版同様118分のベトナム版も、六人組に改変している。余裕をもって描くなら六人がいいとこなのだろう。
だが、一人でも多くの観客に共感してもらうには、できるだけ多くの人生模様を描きつつ、共通項を見出したほうがいいはずだ。
コギャル文化の掘り下げに集中した本作は、韓国版のスタンスとはまるで逆だ。
クムオクを削ったことで弱まったものは他にもある。
貧困の描写だ。
奈美(=ナミ)は高給取りの夫と暮らす主婦、芹香(=チュナ)はビジネスに成功した大富豪、裕子(=ジニ)は金持ちと結婚して玉の輿と、大人時代の彼女たちは裕福な暮らしぶりを見せつける。本作には生活にゆとりがない梅(=チャンミ)や、転落人生を歩む心(=ポッキ)も登場するが、心がアルコール依存症を病んでいるせいもあり、貧困問題より生活のすさみ方が気になってしまう。
韓国版では、ここに家族の厄介者になっている無職のクムオクが加わることで、否応なしに貧富の差が浮かび上がるようになっていた。
日本で90年代に高校生といえば、就職氷河期に直面した、いわゆるロスジェネ世代だ。思うように就職できず、低収入を強いられる人が多かった世代である。
この二十数年、日本国で起きているのは貧困層の増加と格差の拡大、そして階級社会化だ。
韓国版に負けず劣らず、日本版でも貧困問題を取り上げる余地はあったと思うのだが。
かように、韓国版と日本版では、ストーリーがほぼ同じでも印象が大きく違う。
少女たちの喧嘩が政府と民衆の抗争に重ね合わされ、国民みんなが一体となって戦う様子を演出した韓国版の乱闘シーンは、日本版では遊園地のプールの出来事になった。水着姿ではしゃぐ客たちに交じって、水鉄砲を撃ったりする少女たちは、喧嘩というより楽しいじゃれ合いのようだ。とても国民みんなの戦いには感じられない。
韓国の観客は、老若男女誰もが『サニー 永遠の仲間たち』の少女たちに、その後ろで民主化のために戦う学生・市民たちに声援を送り、拍手喝采したに違いない。
日本映画『SUNNY 強い気持ち・強い愛』を観ながら、日本国には皆で社会をこんなに良くしたんだと振り返る思い出がないのかと、さみしさを噛みしめた。

監督・脚本/大根仁
出演/篠原涼子 広瀬すず 板谷由夏 小池栄子 ともさかりえ 渡辺直美 池田エライザ 山本舞香 野田美桜 田辺桃子 富田望生 三浦春馬 リリー・フランキー
日本公開/2018年8月31日
ジャンル/[ドラマ] [青春] [音楽]

『サニー 永遠の仲間たち』 彼女が変わらない秘密
【ネタバレ注意】
無茶苦茶である。
『サニー 永遠の仲間たち』の公式サイトによれば、この作品は韓国で740万人を動員する大ヒットを飛ばしたという。
さもありなん。『過速スキャンダル』で抜群の手際の良さを示したカン・ヒョンチョル監督が、『過速スキャンダル』の各要素を無茶苦茶にエスカレートさせたのが『サニー 永遠の仲間たち』だ。
『過速スキャンダル』で父、娘、孫の三世代の交流を描いたカン・ヒョンチョル監督は、本作で主人公の高校時代(1986年)と現代(2011年)を交互に映し出すことで、ティーンエイジャーとアラフォーの両方の世界を描いている。しかも本作は主人公と仲良しグループの交流がモチーフであり、グループ7人の群像劇にもなっている。すなわち、< 2つの時代 × 7人 > の計14人が登場し、およそすべての女性がどこかしらに共感できる仕掛けなのだ。
しかも、映画産業の主要なターゲットである若者たちと、購買力の高いアラフォー世代との両方に目配りするのだから、ヒットするのはもっともだろう。
さらに、カン・ヒョンチョル監督は『過速スキャンダル』でのラジオ・メッセージという飛び道具に味を占めたようで、本作ではラジオありビデオあり手紙ありと、『過速スキャンダル』の3倍増しで泣ける要素を盛り込んできた。
加えて 『過速スキャンダル』では父も娘も歌が得意であったのに対し、本作は7人もの人数を活かしてダンスシーンを織り込んでいる。題名の「サニー」とは、彼女たち仲良しグループの名称であると同時に、彼女たちのダンスレパートリーであるディスコ・ミュージック『Sunny』のことでもある。
『Sunny』に限らず、全編を彩るのは70~80年代のヒット曲の数々だ。ここで韓国の曲ばかり流されると外国の観客は白けてしまうが、カン・ヒョンチョル監督と音楽担当のキム・ジュンソクは、世界中でヒットした曲を厳選して散りばめた。これには日本の観客も、アラフォー世代を中心に懐かしく感じることだろう。
そして主人公たちのダンスを絡めることで、往年のヒット曲が単なるBGMの域にとどまらないのが心憎い。
さすが『過速スキャンダル』のカン・ヒョンチョル監督と云いたいところだが、ここまでやると映画はいささか破綻気味だ。
なにしろ主要人物が14人は多すぎる。
彼女たち全員に見せ場があり、それぞれの家族が絡みながら高校時代から現代にかけての人生の悲哀を表現するのだから、挿入されるエピソードは無理矢理詰め込んだ感じである。
その上、泣かせどころが何度も訪れるので、観客はお腹一杯だ。
けれどもそれらは、映画のどこかしらに共感できるための仕掛けである以上、観客に向けた特盛り大サービスなのだ。
そして最後に待ち受けるのが、あいた口が塞がらないほどの大団円である。
ジョディ・フォスター監督のアメリカ映画『それでも、愛してる』(2009年)が安易なハッピーエンドを拒絶して、どんな人生でも真摯に向き合おうとするのに引き換え、本作が大ヒットする韓国といい、『海猿』シリーズがナンバー1ヒットを記録する日本といい、なんて判りやすいハッピーエンドが好きなのだろう。そこには、東洋と西洋の文化の違いもあるのだろう。
カン・ヒョンチョル監督は呆れるほどの大団円で、そんな私たちの嗜好を満たしてくれる。
このように本作は、25年ぶりの旧友との再会を通して人生模様を映し出す作品だが、その陰にはもう一つのテーマが存在する。
それは、趙章恩(チョウ・チャンウン)氏が外見至上主義と呼ぶものだ。
氏によれば、韓国では美貌も才能の一つと捉えて外見を重視するそうで、就職試験の前には整形手術をするし、老若男女に関係なく誰もがダイエットに励んでいるという。ポータルサイトDaumが2012年1月に小学生2万人を対象にアンケート調査したところ、新年の目標の第1位はダイエットだったそうだ。
本作も、登場人物が女性ばかりなのもあって、ファッションやお洒落がクローズアップされている。
高校時代の彼女たちは、靴のブランドを気にしたり、整形手術で二重まぶたになることを夢見ている。
そして現代では、美容整形で別人のような美貌を手に入れ、玉の輿に乗っていたりする。そこでは美容整形したことなど茶飲み話のネタでしかなく、「あら、キレイになったわね」は挨拶代わりだ。
事実、国際美容外科学会(ISAPS)が公表した調査報告によると、韓国では2010年に77万件もの外科的・非外科的美容処置が施されている。
これは世界で第7位の多さだが、4位の日本(118万件)、1位の米国(331万件)に比べれば少ないように見える。しかし人口との比率で見れば、韓国は1,000人当たり16件にも及び、米国の10件/1,000人や日本の9件/1,000人を上回って世界最多なのだ。
この報告の注意すべき点は、人数ではなく件数についての調査なので、1,000人当たり16人が美容処置をしているわけではないことだ。ディープな整形マニアが、件数を押し上げている可能性もある。
ただ、いずれにしろ韓国が美容処置に積極的な国であるのは間違いないだろう。
かくいう日本も、人口との比率では韓国に負けるものの、美容処置件数の上位国なのは間違いない。就職試験前に限らず整形手術をする人はいるだろし、年の初めに「今年こそは痩せよう」と思う小学生もいるだろう。
それどころか、日本のテレビを見れば、整形美人ならぬ元・男性の美女たちが番組を賑わしている。彼女たちは外見といい物腰といい、生来の女性に交じっても何ら変わることがない。
そんな彼女たちを見慣れた観客は、女性の美容整形ぐらいでは驚きもしないだろう。
そのような中で、主人公は再会した友人たちから繰り返し「あなたは変わらないわね」と言葉をかけられる。それは単に若々しいというだけでなく、「整形していないのね」という意味でもある。
旧友の中には、美容処置に入れ込んで昔の面影をなくした者もいれば、生活に追われて外見どころではない者もいる。そんな彼女たちのあいだを昔ながらの主人公が訪ね歩くことで、25年も会わなかった親友たちが再会に向けて動き出す。
もちろん本作は、外見至上主義を否定するものではない。
美容処置で幸せを手に入れる人もいるし、傷ついた心身を隠せる人もいる。
美容処置をする人もいれば、しない人もいることが、本作ではラストに向けての伏線になっている。
いずれにせよ、彼女たちにはどうでもいいことなのだ。
外見が変わろうと変わるまいと、その友情はいささかも揺らぐことはない。
私たちの本質は変わらないのだから。
『サニー 永遠の仲間たち』 [さ行]
監督・脚本/カン・ヒョンチョル
出演/ユ・ホジョン シム・ウンギョン チン・ヒギョン カン・ソラ コ・スヒ キム・ミニョン ホン・ジニ パク・チンジュ イ・ヨンギョン ナム・ボラ キム・ソンギョン キム・ボミ ミン・ヒョリン
日本公開/2012年5月19日
ジャンル/[ドラマ] [青春]
http://bookmarks.yahoo.co.jp/bookmarklet/showpopup?t='+encodeURIComponent(document.title)+'&u='+encodeURIComponent(location.href)+'&ei=UTF-8','_blank','width=550,height=480,left=100,top=50,scrollbars=1,resizable=1',0);">
無茶苦茶である。
『サニー 永遠の仲間たち』の公式サイトによれば、この作品は韓国で740万人を動員する大ヒットを飛ばしたという。
さもありなん。『過速スキャンダル』で抜群の手際の良さを示したカン・ヒョンチョル監督が、『過速スキャンダル』の各要素を無茶苦茶にエスカレートさせたのが『サニー 永遠の仲間たち』だ。
『過速スキャンダル』で父、娘、孫の三世代の交流を描いたカン・ヒョンチョル監督は、本作で主人公の高校時代(1986年)と現代(2011年)を交互に映し出すことで、ティーンエイジャーとアラフォーの両方の世界を描いている。しかも本作は主人公と仲良しグループの交流がモチーフであり、グループ7人の群像劇にもなっている。すなわち、< 2つの時代 × 7人 > の計14人が登場し、およそすべての女性がどこかしらに共感できる仕掛けなのだ。
しかも、映画産業の主要なターゲットである若者たちと、購買力の高いアラフォー世代との両方に目配りするのだから、ヒットするのはもっともだろう。
さらに、カン・ヒョンチョル監督は『過速スキャンダル』でのラジオ・メッセージという飛び道具に味を占めたようで、本作ではラジオありビデオあり手紙ありと、『過速スキャンダル』の3倍増しで泣ける要素を盛り込んできた。
加えて 『過速スキャンダル』では父も娘も歌が得意であったのに対し、本作は7人もの人数を活かしてダンスシーンを織り込んでいる。題名の「サニー」とは、彼女たち仲良しグループの名称であると同時に、彼女たちのダンスレパートリーであるディスコ・ミュージック『Sunny』のことでもある。
『Sunny』に限らず、全編を彩るのは70~80年代のヒット曲の数々だ。ここで韓国の曲ばかり流されると外国の観客は白けてしまうが、カン・ヒョンチョル監督と音楽担当のキム・ジュンソクは、世界中でヒットした曲を厳選して散りばめた。これには日本の観客も、アラフォー世代を中心に懐かしく感じることだろう。
そして主人公たちのダンスを絡めることで、往年のヒット曲が単なるBGMの域にとどまらないのが心憎い。
さすが『過速スキャンダル』のカン・ヒョンチョル監督と云いたいところだが、ここまでやると映画はいささか破綻気味だ。
なにしろ主要人物が14人は多すぎる。
彼女たち全員に見せ場があり、それぞれの家族が絡みながら高校時代から現代にかけての人生の悲哀を表現するのだから、挿入されるエピソードは無理矢理詰め込んだ感じである。
その上、泣かせどころが何度も訪れるので、観客はお腹一杯だ。
けれどもそれらは、映画のどこかしらに共感できるための仕掛けである以上、観客に向けた特盛り大サービスなのだ。
そして最後に待ち受けるのが、あいた口が塞がらないほどの大団円である。
ジョディ・フォスター監督のアメリカ映画『それでも、愛してる』(2009年)が安易なハッピーエンドを拒絶して、どんな人生でも真摯に向き合おうとするのに引き換え、本作が大ヒットする韓国といい、『海猿』シリーズがナンバー1ヒットを記録する日本といい、なんて判りやすいハッピーエンドが好きなのだろう。そこには、東洋と西洋の文化の違いもあるのだろう。
カン・ヒョンチョル監督は呆れるほどの大団円で、そんな私たちの嗜好を満たしてくれる。
このように本作は、25年ぶりの旧友との再会を通して人生模様を映し出す作品だが、その陰にはもう一つのテーマが存在する。
それは、趙章恩(チョウ・チャンウン)氏が外見至上主義と呼ぶものだ。
氏によれば、韓国では美貌も才能の一つと捉えて外見を重視するそうで、就職試験の前には整形手術をするし、老若男女に関係なく誰もがダイエットに励んでいるという。ポータルサイトDaumが2012年1月に小学生2万人を対象にアンケート調査したところ、新年の目標の第1位はダイエットだったそうだ。
本作も、登場人物が女性ばかりなのもあって、ファッションやお洒落がクローズアップされている。
高校時代の彼女たちは、靴のブランドを気にしたり、整形手術で二重まぶたになることを夢見ている。
そして現代では、美容整形で別人のような美貌を手に入れ、玉の輿に乗っていたりする。そこでは美容整形したことなど茶飲み話のネタでしかなく、「あら、キレイになったわね」は挨拶代わりだ。
事実、国際美容外科学会(ISAPS)が公表した調査報告によると、韓国では2010年に77万件もの外科的・非外科的美容処置が施されている。
これは世界で第7位の多さだが、4位の日本(118万件)、1位の米国(331万件)に比べれば少ないように見える。しかし人口との比率で見れば、韓国は1,000人当たり16件にも及び、米国の10件/1,000人や日本の9件/1,000人を上回って世界最多なのだ。
この報告の注意すべき点は、人数ではなく件数についての調査なので、1,000人当たり16人が美容処置をしているわけではないことだ。ディープな整形マニアが、件数を押し上げている可能性もある。
ただ、いずれにしろ韓国が美容処置に積極的な国であるのは間違いないだろう。
かくいう日本も、人口との比率では韓国に負けるものの、美容処置件数の上位国なのは間違いない。就職試験前に限らず整形手術をする人はいるだろし、年の初めに「今年こそは痩せよう」と思う小学生もいるだろう。
それどころか、日本のテレビを見れば、整形美人ならぬ元・男性の美女たちが番組を賑わしている。彼女たちは外見といい物腰といい、生来の女性に交じっても何ら変わることがない。
そんな彼女たちを見慣れた観客は、女性の美容整形ぐらいでは驚きもしないだろう。
そのような中で、主人公は再会した友人たちから繰り返し「あなたは変わらないわね」と言葉をかけられる。それは単に若々しいというだけでなく、「整形していないのね」という意味でもある。
旧友の中には、美容処置に入れ込んで昔の面影をなくした者もいれば、生活に追われて外見どころではない者もいる。そんな彼女たちのあいだを昔ながらの主人公が訪ね歩くことで、25年も会わなかった親友たちが再会に向けて動き出す。
もちろん本作は、外見至上主義を否定するものではない。
美容処置で幸せを手に入れる人もいるし、傷ついた心身を隠せる人もいる。
美容処置をする人もいれば、しない人もいることが、本作ではラストに向けての伏線になっている。
いずれにせよ、彼女たちにはどうでもいいことなのだ。
外見が変わろうと変わるまいと、その友情はいささかも揺らぐことはない。
私たちの本質は変わらないのだから。

監督・脚本/カン・ヒョンチョル
出演/ユ・ホジョン シム・ウンギョン チン・ヒギョン カン・ソラ コ・スヒ キム・ミニョン ホン・ジニ パク・チンジュ イ・ヨンギョン ナム・ボラ キム・ソンギョン キム・ボミ ミン・ヒョリン
日本公開/2012年5月19日
ジャンル/[ドラマ] [青春]


tag : カン・ヒョンチョルユ・ホジョンシム・ウンギョンチン・ヒギョンカン・ソラコ・スヒキム・ミニョンホン・ジニパク・チンジュイ・ヨンギョン