『ミッドナイト・イン・パリ』 前を向いて歩こう

 一番好きな詩人を問われれば、やはりジャン・コクトーかもしれない。もっとも私はフランス語が判らないので、原語ではなく堀口大學の訳で親しむのみだが。
 もしもジャン・コクトー主催のパーティーに参加できたり、目の前にアーネスト・ヘミングウェイやルイス・ブニュエルらが現れたら、多くの人が鼻血を出して引っくり返るだろう。

 『ミッドナイト・イン・パリ』は、タイムスリップしてそんな夢のような時を過ごす男を描いた、ウディ・アレン久々のSF映画である。
 相変わらずウディ・アレン映画では共和党支持者をおちょくっているが、おちょくる側の主人公ギルも相当に変わり者だ。彼はハリウッドでそれなりに成功した脚本家でありながら、いや成功しているからこそパリの屋根裏部屋に住んで小説一本に専念したいと願うロマンチストである。昔のものに憧れる彼にとって、F・スコット・フィッツジェラルドやパブロ・ピカソと交流できる1920年代は理想の世界だ。

 もちろんこれは、かなり皮肉なシチュエーションだ。
 主人公ギルがその出会いに感激するフィッツジェラルドは、今でこそロストジェネレーション(自堕落な世代)を代表する作家とされるが、生前は生活のためにハリウッドでクレジットもされない脚本書きに従事していた。それこそ、まさにギルが決別したいと思っている人生だ。けれども現代のギルにとって、フィッツジェラルドは自堕落なんてとんでもない、偉大な文学者にしか見えないのだ。


 主人公の現実逃避が高じて、あこがれの別世界の人と行動を共にしてしまう作品には、やはりウディ・アレン監督・脚本の『カイロの紫のバラ』(1985年)があるけれど、あれは映画の中の人と恋に落ちてしまう純然たるファンタジーだった。
 一方、本作のように過去を美化したり、ノスタルジーに浸ることは、しばしば現実に見られる光景だ。
 2011年の東日本大震災の後に制作された邦画には、昔ながらの生活でいいじゃないかと呼びかけるようなものもある。

 けれども、過去が美しいのは映画やテレビの中だけであって、実際には時代を遡れば遡るほど不衛生で不健康で治安が悪い。
 なにしろ2011年の日本の殺人事件は1051件しかなく、戦後最少記録を3年連続で更新するほど今は平和なのである。
 他方、昭和時代の殺人事件は、件数においても検挙人員数においても、また人口10万人当たりの比率においても、平成時代の数倍に及ぶ。昭和は、恐ろしく凶悪な時代なのだ。

 加えて與那覇潤著『中国化する日本』によれば、昭和は「親子心中の時代」でもあったという。大正時代に女性の専業主婦化が進む一方、「ムラ」という社会的なセーフティ・ネットが取り払われた結果、夫が死亡すると残された妻子は自力では生きていけなかった。そのため大正末期から親子心中がめちゃめちゃ増えたのだという。

 江戸時代に遡ればさらに過酷だ。テレビの時代劇では、みんなきれいに洗った服を着て、肌の色艶もよく、現代と同じように健康そうだが、医療が発達しておらず、上下水道もなく不衛生だった当時、誰も彼もがそんな健康に暮らせたわけがない。ましてや労働組合も失業手当も医療保険もないので、当然労働者の環境は今より悪い。與那覇潤氏によれば、当時の江戸や大阪に出稼ぎに行くと、3人に1人は死亡して帰村できなかったという。すなわち「当時の江戸や大阪は太平洋戦争以上の死亡率を誇る戦場だった」のだ。

 過去に遡ってもいいことがない点では、芸術も同じだ。
 『ミッドナイト・イン・パリ』では小説や絵画を話題にしているから過去の人々と話が通じるが、本作をはじめとする映画は100年も遡ったらジョルジュ・メリエスらが活躍した黎明期になってしまう。200年遡ったら映画なんか存在しない。
 映画史の研究家ならいざ知らず、一般の観客が今ジョルジュ・メリエスの作品を見て、新作同様に楽しんだり感動したりはできないだろう。
 映画のように技術の進歩に支えられた芸術は、昔に戻ることはできないのだ。『トイ・ストーリー』シリーズを観てしまった私たちは、CGIを駆使した作品を心待ちにしてしまうし、『スター・ウォーズ』を観てしまった私たちは、宇宙船を吊るピアノ線が見え見えの作品では満足できない。
 インデペンデントの映画作家だって、撮影機材の小型・軽量化やデジタル技術に助けられて映画を撮っている。

 本作でも語られるジャン・コクトーは、詩人であるとともに優れた映画作家であり、『美女と野獣』(1946年)や『オルフェ』(1949年)等の詩的な傑作を残している。そこでは幻想的なシーンを実現するために、フィルムの逆回しをはじめとした(今となっては)素朴なトリック撮影を駆使しているが、もしもジャン・コクトーが現代の映画技術に接したら、大喜びで最新のVFXを取り入れるだろう。

 昔ながらの生活でいいじゃないかと呼びかけるような映画だって、作品そのものは最新のデジタル技術の賜物だ。その表現は現代の産業がなければ実現できない。


 また東日本大震災の後に頭をもたげてきたものとして、小峰隆夫氏は「脱成長論」の登場を指摘している。東日本大震災を期に「これ以上の経済成長は必要ない」「GDPの成長よりも幸福度を重視すべきだ」という意見が登場したのだ。
 けれども日本経済は「失われた20年」と呼ばれるほど長年低迷し続けており、そこから脱却することの重要性が叫ばれてきたのが実情だ。ほとんど成長していないのに、さらに成長しないとしたら、過去に退行するくらいしかない。

 そこで小峰隆夫氏は、「経済成長は七難を隠す」と述べるとともに、次のような点から脱成長論を支持できないとしている。
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 第1は、本来やるべきことから目をそらしていることだ。(略)脱成長論に乗って成長を忌避していては、人々を豊かにする上での王道から逸脱してしまうのではないかと危惧される。
(略)
 第3は、「成長しないことのコスト」を過小評価していることだ。(略)「もう十分豊かなのだから、これ以上成長しないでもいい」と言う人は、現世代が、将来の世代がもっと豊かになる機会を摘んでしまうことになる可能性を真剣に考えるべきだと思う。
---

 「これ以上の成長は必要ない」と云う人々は、自分たちが成長の恩恵にあずかってきたことに気づいていないのかもしれない。
 あるいは成長を名目に導入された不適切な成果主義等で疲れてるのかもしれないし、近年発展したもの、例えばインターネットやケータイやスマートフォン等々を利用していないのかもしれない。
 けれども、まがりなりにも成長した結果である現代生活に浸りながらそのように主張することは、昔ながらの生活でいいじゃないかと呼びかける映画を最新のデジタル技術で撮影・上映するような矛盾である。


 とはいえ大多数の人は、そんなことは判っている。
 大竹文雄氏によれば、過去の日本で幸福度が今よりもう少し高かった時期と比べて、その頃と今と、どちらに生まれたいかをアンケート調査すると、今の日本に生まれたいと回答する人の方が多いそうだ。
 大竹文雄氏は次のように解説する。
---
バブル期が一番高いわけではなくて、もう少し前だったと思います。そこで比べると、昔の方が(幸福度が)高かったというのがベースにあるものの、どちらに生まれたいかと言われると、例えば今の方がパソコンも安いし、服も安いし、携帯電話も使えるしというので、今の方がいいという人が結構多いわけです。
---


 本作では、ロマンチストの主人公ギルと現実的な婚約者イネズの対立軸が物語を貫いている。しかし両者の対立が続いたままでは、ギルが現実に立ち返る場所がない。
 そこでウディ・アレンは、婚約者に落ち度が生じるように筋を運んだ。そうすることで、彼女はギルの対立相手としての座から滑り落ち、ギルの居場所ができるのだ。
 またウディ・アレンは、映画の冒頭で現代のパリの風景を見せている。大通りや街角の何気ない光景の積み重ねだが、劇中のどんなショットよりも美しい。
 今の私たちに大切なのは、今を生きることなのだ。


Midnight in Paris/ミッドナイト・イン・パリ[日本語字幕無][PAL-UK][リージョン2]ミッドナイト・イン・パリ』  [ま行]
監督・脚本/ウディ・アレン
出演/オーウェン・ウィルソン レイチェル・マクアダムス マリオン・コティヤール キャシー・ベイツ エイドリアン・ブロディ マイケル・シーン ニーナ・アリアンダ カート・フラー トム・ヒドルストン ミミ・ケネディ アリソン・ピル レア・セドゥー コリー・ストール カーラ・ブルーニ
日本公開/2012年5月26日
ジャンル/[コメディ] [ファンタジー] [ロマンス] [SF]
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【theme : 特撮・SF・ファンタジー映画
【genre : 映画

tag : ウディ・アレン オーウェン・ウィルソン レイチェル・マクアダムス マリオン・コティヤール キャシー・ベイツ エイドリアン・ブロディ マイケル・シーン ニーナ・アリアンダ カート・フラー トム・ヒドルストン

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