『テルマエ・ロマエII』を世界に広めよう!

テルマエ・ロマエII Blu-ray豪華盤 「人生の目的とは、自分を魂として昇華させること。
 私にとって映画は芸術だ、ビジネスである前に。」

 映画史上の傑作『エル・トポ』を撮ったアレハンドロ・ホドロフスキーにそう云われては、映画はビジネスじゃなく芸術であるべきだと思ってしまう。
 しかし、この言葉はホドロフスキーのしたたかさの表れでもあるだろう。
 押井守監督は、作った映画の評判が良くなかったとしても、自分で「失敗した」と云ってはいけないということを宮崎駿監督に習ったという。
 「そのために『成功』の意味を何通りか用意しておけばいいんですよ。」と押井守監督は語る。「興行的に成功したのか、評価をもらったのか、『10年後には傑作になるんだ』と言い張るか。少なくとも自分で失敗作だと言っちゃダメ。」
 ヒットメーカーではないホドロフスキーにとって、ビジネス上の成否は口にしないのが戦略として有効なのかもしれない。

 一方、映画を撮り続けることを重視する押井守監督は、ロバート・アルドリッチ監督作品を引き合いに出して、映画監督の戦略についてこう述べる。
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バッドエンドを選択する余地は実はあったんだよ。でもあえて「(略)よかったよかった」で終わる映画になってるわけ。それはなぜかと言ったらもう1回撮りたいからだよ。(略)芸術的に成功したとしても、そのエンディングじゃ次の映画は撮れないから。
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 テレビドラマ『のだめカンタービレ』の劇場版で映画に進出した武内英樹監督にとって、はじめから映画として取り組むのは初となる『テルマエ・ロマエ』は大きな挑戦だったはずだ。その成否は、次の映画が撮れるかどうかに直結しよう。
 もちろんここでの「成功」とは、興行的な成功のことだ。
 古代ローマの公衆浴場から現代日本の銭湯へタイムスリップした建築技師ルシウスの滑稽譚は、見事59.8億円もの興行収入を上げ、世界各国に配給された。まごうことなき大成功だ。

 その武内英樹監督の「次の映画」が『テルマエ・ロマエII』である。
 大ヒット作の続編となれば、芸術である前にビジネスとしての成功が期待される。それも前作以上の期待がかかるに違いない。
 前作を上回る成績を収めるには、日本のヒットだけではおぼつかない。本作は邦画には珍しく、世界市場でヒットさせる気満々の映画である。
 その本気度が伝わってくるのが、ブルガリアでの巨大なセットの建設と、5,000人のエキストラを動員した撮影だ。忠実に再現されたコロッセオで剣闘士が戦う幕開けには、ここまでやるかと驚かされる。

 さらに、世界で戦うために本作が取り上げたのが、"日本"である。
 総人口が6,500万人しかいないのに2012年の外国人訪問者数が8,301万人に上る観光大国フランスをはじめ、米国が6,696万人、中国が5,772万人、スペインが5,770万人、イタリアが4,636万人もの外国人訪問者を集めるのに対し、日本は2013年にようやく1,000万人を突破したばかり。まだまだ日本の良さは知られていない。
 映画とは、まだ見たことのないものを見せて楽しませるメディアだから、日本を知らないほとんどの外国人には、日本そのものが面白いコンテンツになり得るのだ。

 外国映画を通してその国を知ることは少なくない。未知の情報をもたらしてくれる映画は面白い。
 知ってる土地の知ってる出来事ばかりが描かれる映画よりも、知らない土地の知らない出来事の方が興味深いのはとうぜんだ。
 世界市場を見据えて映画を作るとき、外国人が知らない日本のことを取り上げるのは理にかなった戦略だろう。

 『テルマエ・ロマエII』は前作同様、古代ローマ人の目を通して現代日本を面白おかしく観察する。
 この構造は、世界一の観光大国フランスのやり方と同じである。外国人が自国にやってきて、観光名所を巡りながら活躍する。これはフランスのプロデューサー、リュック・ベッソンが『96時間』等で実践している手法だ。
 外国人を主人公にし、自国を「見知らぬ世界」として扱うことで、外国の観客に感情移入させる。
 自国の観客には、国内ロケなのに異国巡りの雰囲気が楽しめて面白い。
 本シリーズがリュック・ベッソン作品と相似しているのは、映画を世界に売る方法を本気で考えた結果だろう。

 本作をつくる際に外国の観客の目を意識したのは、前作が各国で鑑賞されたからだと武内英樹監督はいう。
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前作はいくつかの海外の映画祭に呼んでいただきました。リオデジャネイロとかカナダ、ハワイ、ヨーロッパも。その時、日本の独特な風呂文化に外国の方がとても興味を持ってくださいました。今回は外国の人でもより楽しんでもらえるように、ちょっと意識をして相撲とか日本の名湯を選んで撮影してます。
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 演歌の『与作』を取り入れたのも、同じ理由からだろう。
 タイムスリップをするのに力強いオペラを必要とする理由は前作の記事に書いたとおりだが、日本発の映画で日本をコンテンツとして取り上げているのに、音楽がオペラだけではあまりに寂しい。日本らしくて、しかも世界中の人が Karaoke で歌いやすい曲として、『与作』はうってつけだ。
 『ルパン三世』を発表したモンキー・パンチ氏が、オリエンタリズムを求める外国のマンガファンの声に応えて袴姿の石川五ェ門を登場させたのと同じことである。

 本作の見どころの一つは、古代に戻ったルシウスが創意工夫を凝らして現代の物を再現する珍妙さだが、おかしさに拍車をかけているのが奴隷の存在だ。
 現代なら機械で自動化できるのに、古代ローマで同じことをするには奴隷の汗と涙を必要とする。悲惨すぎる奴隷たちを目にして、観客は現代のテクノロジーのありがたさと、ひいては便利な機器を生み出した日本の技術力を知る。
 私たちが笑っていられるのも、今では奴隷にこんな労働を強制しなくて良いからだ。

 加えて、前作よりも『テルマエ・ロマエII』が捻りを利かせているのは、観察の対象を「モノ」から「コト」に広げたことだ。
 前作では、銭湯の脱衣カゴやシャンプーハット等、入浴に関連する多くの物を取り上げた。本作でも同様に足つぼボードやマッサージチェア等が登場するけれど、主眼となるのは温泉街の観光だ。主人公ルシウスは、単なるモノよりも、温泉街を散策することの楽しさに魅了される。
 いかにルシウスが頑張ろうと、さすがに温泉街を再現するのは並大抵ではない。それが難事業であればあるほど、温泉の楽しさを体験するには現実に温泉街へ行くしかないと感じられる。

 日本のあれこれを取り上げるのは、映画の面白さを増すばかりでなく、取り上げられた側にもメリットがある。
 アジア圏におけるストリートビューの人気ランキングを見ると、2014年1月時点で長崎県の軍艦島が第5位に輝いている。その知名度アップと観光客増加のきっかけは、彼の地でロケした『007 スカイフォール』やタイ映画『ハシマ・プロジェクト』であるという。
 本シリーズにおける「モノ」から「コト」への変化は、外国にいては味わえない楽しさを伝えて、映画の面白さを増すとともに、観光地ニッポンの認知度向上にも貢献するだろう。
 もはやモノの輸出にばかり依存してはいられないこんにちの日本において、これは重要なことだ(外国人がたくさん訪れることは安全保障上も意味があると思うが、この話は別稿としよう)。

 もちろん、本作で取り上げたネタは、外国のみならず国内でも受けるに違いない。風呂好き、温泉好きの日本人の琴線に触れるだろう。
 映画を観たら、温泉に浸かりたくなるだろうし、風呂上がりにはビールを飲みたくなるだろうし、ビールと一緒にラーメンと餃子を食べたくなるだろう。この映画には、日本人の好きなものがたっぷりと入っている。


 きわどい勝負に出たところもある。
 他ならぬ混浴だ。
 外国人が日本の温泉場を訪れるようになれば、やがて混浴に行き当たるに違いない。裸の男女が屋外で一緒にいる光景は、彼らの目にどのように映るだろうか。
 たかが1本の映画がそこまで考える必要はないのかもしれないが、"日本"をコンテンツとして世界市場を目指す本作の作り手は、それをちゃんと考慮した。そこまでの責任を考えるほど、本作の影響が大きいと踏んだのだ。
 だから本作では、混浴の存在に理論的な説明を付けている。

 かつて混浴は珍しくなかった。
 男女の風呂が別々になったのは、「文明開化」を推進する明治政府が、西洋人の目を気にして混浴を禁止したからだという。
 それでも長らく混浴の習慣は残った。時代とともに数は減ったが、今でも混浴を続けている温泉場は少なくない。

 風呂をテーマにした映画が当たって、世界の目が日本の温泉に向いたとき、日本文化を知らない外国人は混浴を「ふしだら」と思うかもしれない。
 そういう風評被害を防ぐ上で本作が優れているのは、古き良き伝統を強調するような情感に訴える方法ではなく、混浴の良さを説明する理屈を立てて、先手を打って作品の中に織り込んだ点だ。往々にして日本映画は情感ばかりを重視しがちだが、外国の人は必ずしも情感だけでは納得しない。

 本作では、混浴を「人間に区別なく、誰もが平和を享受する行為」と位置付けた。
 湯船に浸かり、リラックスしたときほど、人が無防備な状態はない。その時間、空間を、性別すら問わずに共有するのは、究極の平和である。本作の主人公ルシウスは、誰もが一緒に入浴できる世界こそユートピアだと考えた。
 おのずと本作は、平和を訴求する映画になる。
 ローマ帝国の戦争や剣闘士の殺し合いの対極に日本の温泉や相撲を置き、「平和」という人類普遍のテーマを掲げることで、本作は世界中の誰もが共感できる映画になった。この映画を観れば、日本がいかに平和な国か、日本人がいかに平和を愛しているか、混浴を含めた入浴文化がいかに崇高なものかが、理解されるだろう。

 本作はとても重層的な構造だ。
 笑い、恋愛、感動といった感情に響く要素を充実させつつ、平和を訴えることで理性にも働きかけている。しかも、平和を祈るといった抽象的なことではなく、入浴文化の実践による平和な時間・空間の共有という現実的手段を提示する。
 このように重層的な作りにすることで、どんな趣味趣向の人でも、どこの国の人でも、本作のどこかに共感できる仕組みになっている。
 実に考え抜かれた映画だ。

 外国の人に日本と日本人を理解してもらうなら、『テルマエ・ロマエII』を見せるのが一番だ。
 映画に大笑いし、平和について考え、ルシウスとヒロインの恋に涙するうちに、是非とも日本に行ってみたくなるだろう。温泉に入りたくなるだろう。
 日本はこんなに楽しくて面白いところなのだ。
 『テルマエ・ロマエII』を世界に広めよう!


テルマエ・ロマエII Blu-ray豪華盤テルマエ・ロマエII』  [た行]
監督/武内英樹
出演/阿部寛 上戸彩 北村一輝 市村正親 竹内力 宍戸開 勝矢 キムラ緑子 笹野高史 曙 琴欧洲 白木みのる
松島トモ子 菅登未男 いか八朗
日本公開/2014年4月26日
ジャンル/[コメディ] [ファンタジー]
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【theme : 邦画
【genre : 映画

tag : 武内英樹 阿部寛 上戸彩 北村一輝 市村正親 竹内力 宍戸開 勝矢 キムラ緑子 笹野高史

『テルマエ・ロマエ』 時空を超える秘密

 『のだめカンタービレ』で私たちを大いに楽しませてくれた武内英樹監督が、そこでつちかったノウハウを活かして作り上げたのが『テルマエ・ロマエ』である。
 誰もが認める本作の最大の特徴は、そのキャスティングであろう。
 『のだめカンタービレ』でも、ベッキーやウエンツ瑛士のようにヨーロッパ人に見える(当たり前だ)俳優を起用する一方、竹中直人、なだぎ武ら素顔は日本人にしか見えない人にドイツ人やフランス人を演じさせるなど、大胆なキャスティングが愉快であった。

 これで自信を深めたのだろう。本作では古代ローマの人々を、あろうことか"顔が濃い"日本の俳優たちが演じている。
 阿部寛、北村一輝、市村正親といった顔の濃い人々の集結は、誰もが一度は見てみたかった光景だろう。
 いざそれが実現すると、まったくもって壮観だ。ドラマや映画に一人いるだけでそこだけ"濃くなる"顔立ちの人が、ズラリと並べばそれだけでおかしい。
 『奇巌城の冒険』(1966年)などは、奇想天外な内容にもかかわらず少々真面目な雰囲気なので、中東の景色の中に日本人ばかりが登場することに違和感を覚えなくもないが、『テルマエ・ロマエ』はその不自然さを作品全体を覆うアホらしさとして巧みに昇華させている。これは日本人がインド人を演じた『映画 怪物くん』にも通じる楽しい趣向である。


 『のだめカンタービレ』での経験は、言語の扱いにも活きている。
 外国を舞台にした作品での言語の扱いには、作り手のスタンスが顕著に現れる。たとえばアメリカ映画では、『ドラゴン・タトゥーの女』や『ヒューゴの不思議な発明』に見られるように、舞台がスウェーデンだろうがフランスだろうが平気で英語を喋っている。
 そんなことは気にしないのが米国人の大勢なのだろうが、一方で『スター・ウォーズ』のように異星人が地球の言葉とは違う言語を話す映画もある。ところがそれが部分的な処置なものだから、では他のシーンで英語を喋っているのは何なのだろうと思わないでもない。
 いっそ『フラッシュ・ゴードン』のように冒頭のカットで異星人の機器に英語のラベルが付いてるところを見せて、「これはリアリティを排除した作品なのだ」と最初に宣言してしまう方法もある。

 いずれにしろ観客の理解を助けるためには、映画の舞台がどこだろうと制作国の母国語で作らざるを得ない。
 だからフランスを舞台にしたアメリカ映画を観て、「英語を話すのはおかしい」なんて突っ込んでも意味がない。それはあらかじめ吹き替え版になっているのだと思えば良いだけだ。
 とはいえ、複数の言語が混在する作品では、不自然さを感じさせない何らかの配慮が欲しいものだ。

 そこで作品のテイストを活かしながら上手く対処したのが、『のだめカンタービレ』である。
 スペシャルドラマ『のだめカンタービレ in ヨーロッパ』では、舞台がフランスに移ったはじめのうちこそ、のだめがフランス語を勉強する場面があるものの、途中で「ここからは日本語でお送りします」とテロップを出して、後はすべて日本語で進行してしまう。役者たちはそこまではフランス語で話しながら、テロップ以降は日本語で喋りだす(日本語が話せない役者のセリフは吹き替えになる)。
 テレビの前の視聴者は、あまりにも開き直ったやり方に唖然としたことだろう。

 もともと日本人は、歌舞伎や人形浄瑠璃で黒子が見えていても「見えないことにする」文化を持っている。"お約束"がはっきりしていれば、それを受け入れてしまうのだ。
 だから、日本語で進行するけど「フランス語ということになっている」のがお約束であれば、それはそれでアリなのだ。
 そしてコメディタッチの作風を活かし、作り手と受け手でお約束を取り交わしたのが『のだめカンタービレ』である。

 同じことは『テルマエ・ロマエ』にもいえる。
 主人公が古代ローマから現代日本へタイムスリップした場面では、阿部寛さんが猛勉強の成果を発揮してラテン語を話している。観客に配布された『テルマエ・ロマエ 特別編』に収録のインタビューによれば、ラテン語は現在では使われていないために、どこにアクセントを付けるべきか掴めなくて苦労したそうだ。
 また、古代ローマ人だけが登場するシークエンスのセリフは日本語だが、観客はラテン語を話しているものとして受け止める。本当にラテン語で話されたらチンプンカンプンなんだから、『ドラゴン・タトゥーの女』や『ヒューゴの不思議な発明』と同様にあらかじめ観客の母国語に吹き替えたのだと思えば良い。

 ところが問題は現代日本のヒロインが古代ローマへタイムスリップした場面である。
 ヒロインはラテン語を勉強したことになっているから、ラテン語のセリフが飛び交っても良いわけだが、それでは観客が理解できない。昨今は洋画の字幕版が敬遠されるくらいだから、邦画なのに字幕で進行させるのは避けたいところだ。
 さりとてすべてのセリフを日本語にして、そこに日本人が混じって日本語を話していたら、もう何がなんだか判らなくなってしまう。
 そこで採用したのが、『のだめカンタービレ』と同じく「ここからは日本語でお送りします」という"お約束"を交わすことだ。
 しかも『のだめカンタービレ』のようにわざわざ物語の進行を止めてテロップを映し出したりせず、画面の端に「BILINGUAL」と表示して済ませてしまう。
 こんなやり方ができるのも、『のだめカンタービレ』で"お約束"方式の実績があるからだろう。


 そして『のだめカンタービレ』の成果を最大限に活かしたのが、タイムスリップするところである。
 もちろん『のだめカンタービレ』にタイムスリップなんてないけれど、この場面は『のだめカンタービレ』の経験を持つ武内英樹監督だからこそなし得たものだろう。

 本作は古代ローマ人が現代日本へタイムスリップすることが面白さの中核だが、どんなメカニズムで時空を超えるのか具体的な説明がない。これが大事なことである。
 作り手は誰しも、作品のわけの判らないところに理屈を付けたくなってしまうものだ。
 しかし、娯楽作において理屈を付けるのが効果的とは限らない。理屈の説明が物語の円滑な流れを妨げたり、作品の主眼ではない部分が膨れ上がったりして、娯楽性を損なうことも考えられる。

 だから武内監督は、本作のタイムスリップについて説明しないことにした。
 これは大正解であろう。観客が見たいのは、題名どおりローマの風呂(テルマエ・ロマエ)を巡るあれこれであり、タイムスリップの謎の解明ではないのだから。
 だが、単に説明しないだけでは、わけが判らなくて観客が作品に乗ってこないかもしれない。
 そこで武内監督は、余計な説明がなくても観客がタイムスリップを受け入れるように、時空を超える場面の納得性を高めている。そのために利用したのが音楽である。
 本作ではタイムスリップするたびに朗々たるオペラが流れるのだ。その声の力、音楽の力が観客の感性を刺激して、理屈を超えた共感を覚えさせ、現実離れしたシチュエーションを受け入れさせてしまう。

 そもそもこのような効果を生み出すことが、音楽が存在する理由かもしれない。
 元々音楽は、人間が生きていくのに必須のものではない。人間が狩猟採取で食物を得たり、戦争に勝つ上で、音楽が必要なわけではない。
 にもかかわらず世界のすべての部族に音楽があり、舞踏が行われるのは、それが宗教的な儀式の道具だったからだという。
 宗教的な儀式を経ることで、子供は一人前の「戦士」と認められ、集団の結束力が高まる。そうした集団だけが、戦争に明け暮れる原始社会で生き残れた。
 それが音楽の出自なのだとすれば、音楽によって理屈を超えた連帯が生まれるのはとうぜんなのかもしれない。

 犬が嬉しいときに飛び跳ねたりクルクル回っている様子を見ると、舞踏や音楽は宗教的儀式よりもさらに奥深いところから発しているようにも思うけれど、いずれにしろ武内英樹監督は、音楽ドラマ『のだめカンタービレ』を手がけることで、音楽の持つ力を実感したのだろう。そしてタイムスリップという不思議な現象を観客に納得させるには、理屈をこねるよりも音楽の力を使う方が効果的だと考えたのだ。
 だから本作では、タイムスリップするたびに音楽が流れる。しかも生半可なものではない、迫力を持ったオペラの歌声が観客を圧倒する。
 映画館の優れた音響設備でこれを味わうとき、観客は理屈を超えてタイムスリップを受け入れることだろう。

 これこそが、『のだめカンタービレ』を経た監督ならではの演出なのだ。


テルマエ・ロマエ Blu-ray豪華盤(特典Blu-ray付2枚組)テルマエ・ロマエ』  [た行]
監督/武内英樹
出演/阿部寛 上戸彩 北村一輝 市村正親 竹内力 宍戸開 勝矢 キムラ緑子 笹野高史 神戸浩 内田春菊
日本公開/2012年4月28日
ジャンル/[コメディ] [ファンタジー]
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tag : 武内英樹 阿部寛 上戸彩 北村一輝 市村正親 竹内力 宍戸開 勝矢 キムラ緑子 笹野高史

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