『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』 最大の弱点を克服した!

 【ネタバレ注意】

 パズルのピースがはまるように、『宇宙戦艦ヤマト2199 追憶の航海』とピタリと合う、その構成の妙が心地好い。
 テレビシリーズ全26話のうち第24話までのストーリーをまとめた(だから総集編ではない)『追憶の航海』に続いて公開された『星巡る方舟』は、第24話と第25話のあいだに位置する物語だ。
 コスモリバースシステムを受け取り、イスカンダルを後にしたヤマト。沖田艦長はまだ健在で、バラン星の亜空間ゲートに向かい、大マゼラン銀河を航行していた(だから『追憶の航海』では沖田の死が描かれない)。ガミラスではデスラーが死亡したと思われており、バラバラになった軍を掌握する必要に駆られていた。
 ともかくガミラスとヤマトとの戦いは終わり、一路地球を目指すだけだと考えていたヤマトクルーを襲う危機。それが『星巡る方舟』の大事件だ。

 これは作り手にとって危険な挑戦だ。
 第24話と第25話のあいだでは、誰が死ぬわけでもない。ヤマトが大きく損傷するわけでもない。地球を目指す状況に変わりはない。テレビシリーズの1エピソードと同列の位置付けになってしまうから、ダイナミックな展開は難しい。
 けれども映画として公開するからには、112分の上映時間をもたせるだけの大きな事件が必要だ。観客も劇場映画には"テレビ以上"のものを期待する。
 作品全体で一つの大きな物語になっている『宇宙戦艦ヤマト2199』で、この相反する課題を解決する難しさたるや、一話完結の刑事ドラマの劇場版とは比べ物にならないだろう。

 本作公開に合わせて放映された『劇場公開記念!!「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」発進SP』において、出渕裕総監督は困難に挑戦した心情を語っている。
 「あくまでテレビシリーズのときの、『2199』のときのお話の中に納まって破綻のない形にするっていうのがこだわったとこです。ヤマトの映画っていうと、どうしても次の話、次の話っていう、翌年に巨大な敵がまた攻めてきて、それをやっつけてみたいな形じゃないですか。」
 「昔からご覧になってるファンの方には、驚きというか、こういう作り方ってあるのっていう、今までのヤマトの映画の作り方とは違う形になっていますけど、それはそれで新鮮な驚きとして捉えていただいて楽しんでいただければ幸いです。」

 宇宙戦艦ヤマトシリーズを見てきたファンならば、出渕総監督の気持ちが痛いほど判るはずだ。
 大マゼラン銀河からの侵略者ガミラス帝国を倒したら、アンドロメダ銀河から白色彗星帝国がやってきて、次には二重銀河の暗黒星団帝国と戦い、そうかと思えばいつの間にやら天の川銀河はガルマン・ガミラス帝国とボラー連邦に二分され、にもかかわらずディンギル帝国なんて勢力もちゃっかり存在している。
 新作のたびに、どこにいたのか不思議なほどの大帝国が出現し、次から次へと地球を、ヤマトを襲う繰り返しに、シリーズ全体を通しての世界像が破綻していると感じたファンも少なくあるまい。
 だから敢えて『宇宙戦艦ヤマト2199』の世界の中で新作をつくる。新たな大帝国は出さないし、『宇宙戦艦ヤマト2199』の大きな物語から逸脱しない。時系列的にも題名の2199年の範囲に留める。そういうことをやってみたかったのだろう。
 たしかにヤマトの映画としては、とても新鮮な作り方だ。

■謎は明かされた!

 この目論見を実現するため、出渕総監督はテレビシリーズの制作中から周到に準備を進めた。
 新作映画の制作が決まったのは第五章(第15話~第18話)を上映している頃だったので、第六章(第19話~第22話)で『星巡る方舟』に向けた種まきをはじめたという。それが第20話での桐生美影の登場であり、フォムト・バーガーの生死不明の描写だ。
 しかし、もっとも大きな仕込みは、テレビシリーズで張り巡らせた伏線を回収しなかったことに違いない。『宇宙戦艦ヤマト2199』には第七章(第23話~第26話)まで観ても語られない部分があった。

 私は第四章(第11話~第14話)の感想にこんなことを書いていた。
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 ましてや、前述したように旧ヤマトシリーズ全体を勘案しての再配置が行われているとすると、地球人やガミラス人の来歴についても深い配慮が期待される。
 『宇宙戦艦ヤマト 完結編』のディンギル人が1万年前に地球から移住した地球人類であることや、ガミラス人が天の川銀河に栄えたガルマン民族の一支族であることからも判るように、ヤマトシリーズの世界観には、はるかな過去に行われた恒星間・銀河間の移住によって現在の星間国家が成立したという考えがある。

 第四章では、ガミラス人と地球人に生物としての違いはないことが示された。
 「我々はどこから来てどこへ行くのか。」
 本作は、ゴーギャンの言葉を模したセリフをガミラス人に語らせている。
 これからガミラス人について、地球人について、どのような由来が明らかにされるのか期待は高まる。
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 第五章(第15話~第18話)の感想ではこうも書いた。
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 これまで地球とガミラスの星間戦争を描くミリタリーSFのカラーが強かった『宇宙戦艦ヤマト2199』は、はるかな過去へと時間軸を伸ばし、文明の栄枯盛衰まで視野に入れた宇宙史の様相を呈してきた。
 思えば、『宇宙戦艦ヤマトIII』には伝説の古代国家シャルバートが登場し、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』には銀河を回遊しながら星々に生命の恵みと試練を与える惑星アクエリアスが出現した。『宇宙戦艦ヤマト』シリーズは、人類の起源に遡るほどの時間的スケールを持つ作品だった。
 続編ができるたびに未知の文明が登場するのはいささか辻褄が合わなかったが、ヤマトの世界を熟考した上でつくられた本作は、これら超古代文明をも包含するのだろう。
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 そのため、最終章となる第七章に大いに感動しながらも、地球人やガミラス人の来歴が語られないことに、超古代文明の謎に触れていないことに、いささか拍子抜けした。
 だが、それは作り手の計算だった。
 超空間ネットワークを構築したといわれる古代文明アケーリアス、アケーリアスの末裔を称するジレル人。テレビシリーズでは詳しく語られなかった謎の数々が、遂に『星巡る方舟』で明かされた。
 『星巡る方舟』まで観ることで、はじめて『宇宙戦艦ヤマト2199』は完結する。ようやく胸のつかえが下りた気分だ。

 『2199』のアケーリアス文明は、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』の回遊惑星アクエリアスに相当しよう。回遊惑星アクエリアスが複数の輪に取り巻かれていたように、『星巡る方舟』に登場する「静謐の星」も幾つもの輪に取り巻かれている。その「静謐の星」の正体が、アケーリアス文明の超巨大恒星間播種船であるという設定には膝を打った。生命の芽を与えるアクエリアスの役回りを汲み取りつつ、巨大建造物を好むアケーリアスらしさもちゃんと備えているからだ。

 加えて地球人もガミラス人もジレル人も(おそらくイスカンダル人もザルツ人も)アケーリアスの蒔いた種を起源とすることが明らかにされ、宇宙のあちこちに(生殖できるほど)酷似した生物が存在する謎も解明された。
 科学的に説明がつく話ではない。アケーリアスの「種」とは具体的に何を指し、地球人やガミラス人やジレル人がいつ、どのように分岐したのか、厳密に考えれば辻褄は合いそうにない。たかだか七万年前に分岐した日本人とヨーロッパ人ですら外見が異なるのだ。科学考証の半田利弘氏がパンフレットに寄せたコラムで「ただし、ガミラス人と地球人のようにDNAまで全く同じというのは偶然が過ぎる感じです。しかも、うり二つの人物が何組もいるなんて!」と書いているのももっともだ。

 だが、本作はそれで構わないのだ。
 同根のはずの地球人やガミラス人やジレル人が対立したり差別し合うのは、ほんの一握りの人間を祖先とする私たち人類が、今さら異国とか異民族などと呼び合ってしまう現状のメタファーだからだ。人類は過去何度も絶滅の危機に瀕してきた。全人口が一万人くらいまで激減したこともあるといわれる。今や70億人を超えて世界中で増殖し続ける人類だが、絶滅の危機を乗り越えてきた私たちはみんな同根なのだ。
 地球人とガミラス人とジレル人が種を一つにする仲間であることを認識し、文字どおり手を取り合って輪になる構図は、いささか芝居臭いけれどクライマックスに相応しい。

■ダガーム大都督は知的じゃいけなかった

 とはいえ現実に目を向ければ、同根だから仲良くできるものでもない。人類最初の殺人は、カインとアベルの兄弟で起きた。相互の理解が進んでも、利害が対立したら争いは起きる。

 本作では地球人とガミラス人が七日間の試練を乗り越えて協同することに成功したが、これはフォムト・バーガーが望むヤマトとの戦いに必然性がなかったからだろう。
 七色星団海戦で多くの仲間を失ったバーガー少佐は、ガミラス本国の停戦命令を無視してヤマトを討とうと考えていた。その動機は復讐心という感情だから、古代進と苦楽をともにして生まれた連帯感が強まれば、復讐心は消えてなくなる。もはや戦う意味はない。
 もしもヤマトとの戦いにガミラスの命運がかかっていたなら、個人的に地球人と親しくなってもバーガーは戦いを止めなかったに違いない。

 「異星人とも理解し合える」――古代進が口にする理想を踏みにじるように戦いを仕掛けてくるのが、ゴラン・ダガーム大都督の率いるガトランティス軍だ。
 パンフレット掲載のインタビューで、出渕総監督は作品のテーマに反するようなガトランティスの振る舞いをこう説明する。
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どうしても敵となる存在は必要ですからね。彼らだって同根のはずだし、野蛮で好戦的な民族だからといって戦って倒していいという理屈にはなりませんが、問答無用で襲いかかってきた以上どうしようもないということで、お目こぼしください(笑)。
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 総監督は"お目こぼしを"などとへりくだるが、大いなる和(Great Harmony ~for yamato2199)を主題歌とする本作だからこそ、和を築くことの難しさを理解して臨まねばならないのだろう。安易な理想論で思考停止しては、真の調和は築けない。

 ガトランティスの小マゼラン遠征軍大都督たる"雷鳴"のゴラン・ダガームは、宇宙戦艦ヤマトシリーズには珍しいキャラクターだ。
 これまでの敵は主義主張こそ違えども、それなりに知的で洗練されていた。愚鈍そうなゲールでさえ、狡猾さを備えていた。だがダガームは野蛮で凶暴で、あまり知的には見えない。サーベラーに叱責される様は、まるで『勇者ライディーン』で妖魔大帝バラオに叱られる激怒巨烈や、『超電磁ロボ コン・バトラーV』で女帝ジャネラに叱られる将軍ダンゲルだ(ダンゲルも隻眼だし)。ダガームがこのような人物像にされたのは、問答無用で襲いかかるタイプとして描くためだろう。

 加えてダガーム麾下のガトランティスの面々もこれまでにないタイプだ。出撃の際に太鼓を打ち鳴らしたり、豊かな髭を蓄えたり、頭に剃り込みを入れたりと、ガミラスには蛮族に見えるような異質な習俗が強調された。
 この異質さはどこから来るのだろうか。

 ヤマトシリーズの星間国家には、しばしばモデルとなる国があった。ガミラスはドイツ第三帝国、ボラー連邦はソビエト連邦、大ウルップ星間国家連合のSUSは米国を模しており、地球は日本そのものだった。
 一方、本作のガトランティスは、ダガームが『三国志』の陸遜でお馴染みの大都督を称していたり、サーベラーが諸葛孔明と同じ丞相だったり、キスカ遊撃隊を指揮する"疾風"のイスラ・パラカスがフー・マンチューのような口髭であったりと、中国を連想させる要素が多い。これまでのヤマトシリーズでは、わずかにディンギル帝国の固有名詞がシュメール文明から採られていたり、大ウルップ星間国家連合のアマールが中近東を模していたりしたものの、アジア、特に中央アジア以東が主要敵国のモデルになるのははじめてのことだ。

 本作においてガミラス、地球の共通の敵となるガトランティスは、ガミラスからも地球からも異質に見えなければならない。
 その答えが中国とはたいへん面白い。本来漢民族は頭に剃り込みを入れたりしないから、ガトランティスのモチーフはモンゴル、満州を含めた東アジア・北アジア全般なのだろう。
 そもそも『宇宙戦艦ヤマト2』(本作に火焔直撃砲が出てくるということは、『さらば宇宙戦艦ヤマト』ではなく『ヤマト2』を想起すべきだろう)のガトランチスの特徴は、一ヶ所に定住せず、宇宙を巡りながら資源を勝ち取ることだった。これは遊牧民の暮らし方に似通っている。ガミラスはガトランティスを蛮族呼ばわりしていたが、かつて遊牧民がユーラシア大陸全域にまたがるほどのモンゴル帝国を打ち立てたことを思えば、ガトランティスこそもっとも恐るべき敵なのかもしれない。

 そう考えてハッとした。
 これはまるで梅棹史観ではないか!?

 世には西洋、東洋という言葉がある。西洋といえば欧米、東洋といえばトルコ以東(あるいは東アジア)を思い浮かべる人が多いだろう。このような分け方からすると、ユーラシアの東端に位置する日本は同じく東の中国に似ており、西の端に近いドイツは遠い存在ということになる。
 梅棹忠夫氏は『文明の生態史観』及びそれに続く論文で、このような分類を一蹴した。「東南アジアの旅から―文明の生態史観・つづき」(1958年)では、下のような概念図で表現している。

 生態史観B図


 ユーラシア大陸の中央には乾燥地帯があり、ここでは遊牧民が跋扈している。遊牧民の脅威にさらされる乾燥地帯の周辺では、中国(I)、インド(II)、ロシア(III)、イスラム(IV)といった専制国家が成立し、遊牧民に対抗している。ユーラシア大陸の端にある日本や西ヨーロッパは、遊牧民と専制国家の争いに巻き込まれることもなく、ゆっくりだが着実に文明を発達させてきた。したがって日本と西ヨーロッパは同様のポジションにあり、似た者同士なのである。

 文明の生態史観を念頭に置けば、遊牧民と専制国家を模したガトランティスに対して、日本とドイツを模した地球とガミラスの方が連携しやすく見えるのはとうぜんだ。ガトランティスに比べれば、地球とガミラスは似た者同士なのだ。
 ガトランティスの出現が梅棹史観を想起させるとは驚きだ。『宇宙戦艦ヤマト2199』の作品世界は一層骨太になったと思う。

■沖田を超えた古代進

 『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』の工夫は細部にも至る。

 まず注意を引かれるのは、オープニングの主題歌がインストゥルメンタルになったことだ。さすがである。
 宇宙戦艦ヤマトシリーズの特徴であると同時に弱点なのは、第一作の主題歌『宇宙戦艦ヤマト』を超える曲を作りえなかったことにある。もちろん素晴らしい曲が数々作られはしたけれど、『宇宙戦艦ヤマト2』でも『宇宙戦艦ヤマトIII』でも主題歌は変えられず、もうイスカンダルは出てこないのに「♪銀河をはなれ イスカンダルへ」と歌われ続けた。
 イスカンダルに到着した後を描く『星巡る方舟』でも、悪びれずにささきいさお氏の歌声を流すのかと思いきや、ボーカル部分を葉加瀬太郎氏のヴァイオリンで置き換えるとは考えたものだ。おかげで、馴染み深い主題歌を楽しみつつ、物語から乖離した歌詞に違和感を覚えることもなくなった。

 私は第七章の記事で沖田艦長の戦術の変化に触れ、敵の前で逃げなくなったことを肯定的に受け止めたが、実をいえば一抹の寂しさがあった。『宇宙戦艦ヤマト』の素晴らしさの一つは、撤退をためらわないことにあったからだ。敵を前にしても撤退できることの大切さは、『SPACE BATTLESHIP ヤマト』の記事に書いたとおりだ。
 本作では艦長、副長に変わって指揮を執る古代進が、敵を前にして逃げろと命令してくれた。テレビシリーズで我慢していたつかえが取れたような爽快さだ。

 アケーリアス文明とジレル人の関わり方も愉快である。
 ジレル人のセレステラとミレーネルが暗躍した第14話「魔女はささやく」に関連して、私はC・L・ムーアのSF小説や処女戦士ジレルについて記したが、『星巡る方舟』ではいよいよC・L・ムーアの代表作ノースウェスト・スミスシリーズでも名高い『シャンブロウ』が登場した。なんとジレル人が生き残っていた星の名がシャンブロウなのだ。
 C・L・ムーアの『シャンブロウ』は、妖艶な宇宙の魔女に魅入られて取り込まれてしまう話だが、さすがに本作はそこまで艶っぽい展開にはならない。
 代わりにシャンブロウに降り立った古代進たちは、奇妙なホテルに閉じ込められ、殺し合いへと駆り立てられる。スタンリー・キューブリック監督のホラー映画『シャイニング』を彷彿とさせる展開だ。『シャイニング』では閉ざされたホテルで次々怪現象が起こり、人々は狂気に蝕まれていった。本作では狂気を振り払い、いかに試練の七日間を乗り切るかが見どころである。
 ちなみに『シャイニング』の主人公格の少年が超能力で意思の伝達を図ったり、霊的な存在を感知できたりするように、『星巡る方舟』の語り部となる桐生美影はクルー随一の言語学の専門家で、異星人の言葉にも反応できる。他者とのコミュニケーションがキーである本作において、多言語を操れることは超能力にも匹敵しよう。

 かように『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』は、世界の映画やSF小説に目配せしつつ、これまでにも増して旧シリーズを見事に再現・変奏している。
 『宇宙戦艦ヤマト2199』の作品世界は、ますます豊かになったのだ。
 

宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟 (初回限定版) [Blu-ray]宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』  [あ行]
総監督・脚本/出渕裕  原作/西崎義展
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/菅生隆之 小野大輔 諏訪部順一 中村繪里子 近木裕哉 園崎未恵 大塚芳忠 大友龍三郎 久川綾 麦人 鈴村健一 桑島法子 千葉繁
日本公開/2014年12月6日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー] [戦争]
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【theme : 宇宙戦艦ヤマト2199
【genre : アニメ・コミック

tag : 出渕裕 西崎義展 菅生隆之 小野大輔 諏訪部順一 中村繪里子 近木裕哉 園崎未恵 大塚芳忠 大友龍三郎

『宇宙戦艦ヤマト2199 追憶の航海』は総集編じゃない

 【ネタバレ注意】

 「総集編といっても、とにかく1本の映画。2時間の劇場映画を作る気持ちでやろうと。それを僕らのスタンスにしたんです。」
 『宇宙戦艦ヤマト2199 追憶の航海』のパンフレットに収録されたインタビューで、構成の森田繁氏は加戸誉夫(かと たかお)監督とともにこう述べている。

 とはいえ、全26話もある『宇宙戦艦ヤマト2199』を、2時間程度で物語るのは不可能だ。だから、どういう映画にするかが肝になる。
 それを、加戸監督は初日初回の舞台挨拶でズバリと云い切った。「俺ヤマト」だと。


 私は総集編が好きじゃない。
 数十話に及ぶテレビシリーズを総集編にまとめたって、大事なシーンや思い出深いエピソードが欠落した中途半端なものになってしまうに決まっている。無理にエピソードを詰め込んでも、本来の尺で描けない以上、中途半端な感じは残る。
 それでもかつて総集編を見るしかない時代があった。家庭に録画・再生機器が普及しておらず、映像ソフトの市販もない時代、テレビ番組を見たければ再放送を待つしかなかった。もう一度作品に接することができるなら、総集編でも構わなかった。
 テレビシリーズを再編集した『宇宙戦艦ヤマト』劇場版第一作(1977年)や『機動戦士ガンダム』の劇場版三部作(1981年~1982年)のヒットには、こうした背景があるだろう。

 だが、それだけなら一般家庭に録画・再生機器が普及して、DVDを買ったりネット配信を受けたりできるようになった現在、総集編を観る意味はない。
 いや、大河ドラマや朝の連続テレビ小説の総集編が毎年放映されるくらいだから、半年なり一年かけて味わった感動を手軽に思い起こす手段としては総集編も悪くないかもしれない。
 ただ、わざわざ劇場に足を運んで相応の料金を払うには、テレビで総集編ドラマを視聴するより強い動機が必要だ。
 このファン心理を山賀博之氏は次のように説明する。[*]
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アニメに限ったことではなく、「何かにお金をかける」という行為は信仰に近い。(略)アニメファンが、無料で視聴可能なテレビアニメにお金をかけるのはお布施であって、自分の気持ちの問題でした。グッズや本を買うのは、実用性ではなく、そばに置いておきたいという愛情表現だったし、テレビアニメの総集編映画を、劇場にまで足を運んで観るというのも「僕はこれが好きだ」と自己主張したいからです。
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 たしかに総集編の上映には、ファンイベントとしての側面があった。
 まつもとあつし氏は、近年ツイッターなどのソーシャルメディアによって、総集編アニメ映画の「ファン同士で盛り上がるためのツール」としての側面が強化されつつあると語る。[*]
 山賀氏も「今の劇場には、お客さんがほかの観客と一緒に映画を観て、『あそこで観てきた』とツイートして共有するといった、見世物の基本に先祖返りするようなスタイルが求められている」という。総集編といえども、音声を録り直したり、新規作画を追加したりで結局お金がかかるので、総集編映画単体で儲かるわけではないそうだが、「今は生き残るため、各社ができることをなんでもやっている」。
 
 『宇宙戦艦ヤマト2199 追憶の航海』の公開が、極上のファンイベントであることは間違いない。
 劇場に足を運ぶ観客の多くは『宇宙戦艦ヤマト2199』の、そして『宇宙戦艦ヤマト』のファンであろうし、『2199』の作り手も『宇宙戦艦ヤマト』のファンだろう。
 『2199』の上映は、ファンからファンに向けた、ヤマトへの想いを手渡しする場と云っても過言ではない。
 だから加戸監督の「俺ヤマトを作るんだ」という姿勢にはとても納得した。「みなさんの数だけ『俺ヤマト』があるでしょうが、これが私の『俺ヤマト』です。」

 総集編とは、字義どおりに受け取れば、すべてを集めて編んだもののはずだ。
 ところが舞台挨拶に立った森田繁氏も、『追憶の航海』を「ダイジェストにはしない。名場面集にはしない。」つもりで作ったという。
 つまり、『宇宙戦艦ヤマト2199』の最初から最後までを振り返ったり、印象深いあのシーンこのシーンを再見する作品にはしていないということだ。ナレーションを極力少なくしたと云うだけあって、ストーリーのすべてを解説した作品でもない。キャラクターの多くは出番がなくなり、欠かせないはずの名場面があっさりと削られた。
 その点で、総集編を期待したファンは肩透かしを食ったかもしれない。ファンイベントと云っても、これは「ファンのみんなで大好きな『宇宙戦艦ヤマト2199』を振り返ろう」というものではなく、加戸監督や森田氏が絞り込んだ「俺にとってのヤマトはこれだ!」という剛速球を受け止める場なのだ。

 そして私は加戸監督の「俺ヤマト」に大いに共感した。
 『宇宙戦艦ヤマト2199』は旧シリーズをベースにしつつも豊かに肉付けされた作品だから、様々な切り口があったはずだ。
 そんな中、『追憶の航海』は一つの想いに貫かれている。――「戦う男 燃えるロマン」だ。
 『宇宙戦艦ヤマト2199』の公式サイトには「古代進視点で振り返る特別総集編」と銘打たれているが、これは古代進のナレーションで進行することを指すに過ぎず、古代進中心になるわけではない。カナメはあくまで沖田艦長で、ヤマトクルーの熱い物語が展開する。
 私は『追憶の航海』を観て、改めて『宇宙戦艦ヤマト2199』のストーリーの面白さを堪能した。今回の映画が完成するまで最初の劇場版を見ないようにしていた森田氏は、作業を終えてから見直して、構成が似ていることに愕然としたという。本作は「すべてを集めて編む」ことを放棄する代わりに、『宇宙戦艦ヤマト2199』の根幹となる骨太のストーリーを見事に浮き彫りにしたのだ。私は総集編が嫌いだけれど、こんな編み方なら大歓迎だ。

 何といっても英断を称えたいのは、メ号作戦――すなわち連合宇宙艦隊がボロ負けした冥王星沖海戦にはじまる第1話をまるまるカットしたことだ。
 旧シリーズにおいても第1話は名作中の名作であり、『2199』の第1話が旧第1話をほぼそのまま踏襲したことからも影響の強さがうかがえる。
 それだけに、第1話をどれだけ残すか/削るかが、『追憶の航海』の行方を左右するポイントだった。
 森田繁氏がインタビューで「冥王星沖海戦から入ると、どうしても作品のリズムがそこで決まってしまうと思ったんですね。(略)TVとスタートから同じにしてしまうと、そこから少しでも逸脱すると違和感だけが残ってしまうんですね。そこから先は、TVとの違いを確認する作業になってしまう。それを防ぐためにも、総集編の入り口は、TVとは変える必要があると思いました。」と語るとおり、この決断が本作のカラーを決定した。

 大迫力のメ号作戦を失った代わりに本作が冒頭に配したのは、メ2号作戦――第二章の冥王星前線基地攻撃作戦だ。前半の山場ともいえるメ2号作戦で開幕することにより、本作は迫力あるオープニングを実現するとともに、驚くほどのテンポの良さを手に入れた。


 それから後は、奇をてらわずにテレビシリーズを踏襲した直球勝負だ。
 加戸監督の舞台挨拶によれば、地球側だけに焦点を当てることや、ガミラス側から描くことも検討したという。2時間前後に収めるには、地球側の描写に絞るのも正当なやり方ではあっただろう。
 だが、加戸監督は「出渕総監督のガミラス愛に負けました」という。「やっぱりガミラスを出さないと面白くないんですね。」
 デスラーをはじめ魅力的な敵キャラクターを輩出したのが、『宇宙戦艦ヤマト』の特徴の一つだった。『2199』ではこれをさらに推し進め、敵側を重層的に描写した。加戸監督と森田氏は大鉈を振るいながらも、本作にドメルの妻や二等ガミラス人の悲哀を織り込んで、物語の厚みを維持したのだ。

 正反対の例としては、山崎貴監督の作品が挙げられよう。
 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』に感動して育ったであろう山崎貴監督は、敵側の描写をごっそり削り、自陣営の人間ドラマだけからなる『SPACE BATTLESHIP ヤマト』や『永遠の0』を発表した。
 『永遠の0』には原作小説があるから外見上はヤマトに無関係だが、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』を観て育った人には、映画『永遠の0』が舞台を太平洋戦争に置き換えた『さらば――』の再現であることが一目瞭然だろう(もともと宇宙戦艦ヤマトシリーズは、第二次世界大戦を宇宙に置き換えたものだが)。

 テレビドラマ『アオイホノオ』第十話の焔モユルが、このような作り手の心情を吐露している。『太陽の王子 ホルスの大冒険』をパクったアニメを上映したモユルは、観客に向けて心の中で叫ぶ。「ホルスを知ってる奴、本物を思い出して感動してくれ!」
 岡田斗司夫氏はこの第十話へのコメントで、「実は作り手はみんなモユルのようなことを考えている。(略)クリエイターや元クリエイターの視聴者はいま、『たしかにそんなこと考えた!いまも考えてます!』『モユル、オレの心の奥を暴くのはやめてくれっ~!』と叫んでいるはずだ。(略)テレビの前で奥さんといっしょに正座して見ている山崎貴監督!恥ずかしいでしょうそうでしょう。」と述べている。

 閑話休題。でも、『SPACE BATTLESHIP ヤマト』や『永遠の0』は『さらば――』の再現ではあっても、『宇宙戦艦ヤマト』の再現ではない。敵にも人間ドラマがあることを忘れないのが『宇宙戦艦ヤマト』だからだ(『さらば――』では敵側のドラマチックなところをデスラーが持って行ってしまい、ガトランティスのドラマは薄い)。
 加戸監督は「出渕総監督のガミラス愛」と表現したが、それこそが『2199』を『宇宙戦艦ヤマト』の継承者たらしめるものであり、『追憶の航海』が外せなかったものだろう。

               

 一本の映画として見応えのある『宇宙戦艦ヤマト2199 追憶の航海』だが、総集編として制作されたからには果たすべき役割がある。前述したファンイベントだけではない。

 総集編がテレビシリーズの再編集とは限らない。
 劇場版の『宇宙戦士バルディオス』(1981年)や『伝説巨神イデオン』(1982年)は、放映途中で打ち切りになったテレビシリーズの真の結末を発表するため、テレビシリーズを再編集した前半と、本来予定されていた最終回までの後半で構成された。
 特に劇場版の『伝説巨神イデオン』は、テレビシリーズの総集編『接触篇』と、テレビでは描かれなかった物語『発動篇』の二本同時上映の形を取った。『接触篇』の終りで物語はテレビシリーズから分岐し、テレビとは異なる展開の『発動篇』へ突入する。『接触篇』は『発動篇』のためのイントロであるとともに、物語の分岐点を明確にする役割を担っていた。

 劇場版『伝説巨神イデオン』と同じような構成になるはずだったのが、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』(1997年)だろう。この作品はテレビシリーズを再編集した『DEATH』編と、テレビとは異なる結末を描く『REBIRTH』編の同時上映のはずだった。
 ところが『REBIRTH』編の制作の遅れから、1997年春に公開された『シト新生』は『DEATH』編と『REBIRTH』編の一部のみとなり、『REBIRTH』編全体に相当する部分は1997年夏公開の『Air/まごころを、君に』に回されてしまう。
 このようなトラブルにもかかわらず、『シト新生』も『Air/まごころを、君に』もヒットしてしまうのだから世の中は面白い。
 今では、テレビシリーズの再編集に新規映像をちょっと加えて公開することや、新作映画に先行してテレビシリーズの総集編を公開するのは珍しくなくなった。

 『追憶の航海』も、二ヶ月後に『星巡る方舟』の公開を控えての総集編だ。
 新作映画のための地ならしとして、従来のファンに『2199』を思い出させて盛り上げると同時に、『2199』を知らない人にこれまでの物語を紹介し、新作に足を運びやすくさせる役割がある。
 『追憶の航海』を131分にまとめるに当たっては、素材となる全26話から多くのものが切り捨てられた。だから、本作を観ても『宇宙戦艦ヤマト2199』の全貌は掴めない。
 しかし本作は『2199』の全貌を理解するための映画ではない。『星巡る方舟』を観る上で必要な知識が得られれば充分なのだ。『2199』を知らなかった人を、新作を観るためのスタートラインに立たせてあげる。それが新作映画に先行する総集編の役割だ。
 そもそも『追憶の航海』を観て、アレが足りないコレが足りないと感じるのは、すでに『宇宙戦艦ヤマト2199』全話を見た人だろう。本作ではじめて『2199』に接する人は、押し寄せる怒涛の展開と「燃えるロマン」に圧倒されるに違いない。

 もう一つ、本作の大事な役割は、物語の分岐点を示すことだ。
 イスカンダルを旅立つヤマト、それを見送るスターシャ。ここで本編が終了したとき、その鮮やかな幕切れに、新作への見事な引きに、私は呆気にとられた。
 イスカンダルから地球への帰路を描かない。これこそが『星巡る方舟』に繋ぐ最大の伏線だ。誰もがこの後を観たくなる。

 泣かせるのは、エンディングに映し出された描き下ろしイラストだ。本編で帰路を描かない代わり、本作のエンディングではイスカンダル出立後の帰路での出来事を9点のイラストで紹介している。
 ガミラス再建に向けて議会で演説するユリーシャ、子供たちに囲まれて好々爺の地を出したヒス、かつての対立を水に流した島と山崎、地球・ガミラス・イスカンダルの共存を象徴するパフェ等々、ファンなら一度ならず夢想したであろう平和な情景を次々に見せてくれる。
 『2199』を知らない人でも楽しめるように配慮してきた加戸監督だが、エンディングだけは従来のファン向けに解禁した。全26話を見ていなければイラストの意味は判らないだろうけど、それだけにファンの心を鷲掴みにするものだ。
 これまで『2199』を知らなかった人も、本作をきっかけにテレビシリーズを見てくれれば、エンディングに描かれたものが判るだろう。

 戦う男の燃えるロマンから解放された安らかなエンディングに、私は涙が止まらなかった。
 第七章までの上映会と同じく、映画が終わると場内は盛大な拍手に包まれた。
 私も惜しみない拍手を送り続けた。


[*] サイゾー 2013年3月号「アニメ映画急増の舞台裏」

宇宙戦艦ヤマト2199 追憶の航海 [Blu-ray]宇宙戦艦ヤマト2199 追憶の航海』  [あ行]
監督/加戸誉夫  構成/森田繁、加戸誉夫
監修/出渕裕  原作/西崎義展
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/菅生隆之 小野大輔 鈴村健一 桑島法子 大塚芳忠 山寺宏一 井上喜久子 麦人 千葉繁 久川綾
日本公開/2014年10月11日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー] [戦争]
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【theme : 宇宙戦艦ヤマト2199
【genre : アニメ・コミック

tag : 加戸誉夫 出渕裕 西崎義展 菅生隆之 小野大輔 鈴村健一 桑島法子 大塚芳忠 山寺宏一

【投稿】 ヤマト2199のデスラーはアレクサンドロスか?

 当ブログの『宇宙戦艦ヤマト2199』の記事にT.Nさんからコメントをいただいた。
 しかし、字数制限のために投稿された文のすべてはコメント欄に収まらなかったので、改めて以下に全文を掲載する。
 デスラーが一体化を熱望した星イスカンダル――そのイスカンダルという名の語源がアレクサンドロスであることを考えれば、この論考には大いに頷けよう。
 T.Nさんからは、ガミラスの政治社会やデスラーの人物像に関するみなさんの忌憚のない意見と感想を知りたいので遠慮なくコメントしてください、との伝言をいただいている。

 なお、T.Nさんに送付していただいた原稿はWordで書かれたきれいなものだったが、掲載に当たってはブログの特性を考慮して、改行位置の変更やタグの設定等、少々体裁を調整している。
 元原稿の意図を損なわないように注意を払ったが、もしも体裁の問題があればその責は当ブログ管理人にある。

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ヤマト2199のデスラーはアレクサンドロスか?

【はじめに:アレクサンドロスのようなデスラー総統】

宇宙戦艦ヤマト2199 1 [Blu-ray]2013年9月、ヤマト2199が紆余曲折の末に完結した。今作は視聴者の間でおおむね好評のようだが、登場人物中で一人、評価の割れている人物がいる。デスラー総統だ。「最後の最後で大物感が消えてしまった残念なキャラ」「結局は愛に狂った道化」という辛辣な評価をする人もいるが、私にはヤマト2199のデスラーは為政者としての側面や人間としての内面が歴史上の人物であるアレクサンドロス大王にとてもよく似ていると感じた。それは何故か?アレクサンドロスの生涯と当時の政治状況を念頭に置きながらヤマト2199を見るとデスラーの行動の謎やガミラス帝国の謎が非常にうまく説明できるからだ。順を追って説明してみよう。


ヤマト2199は今までの旧作ヤマトを集大成したリメイクで、非常に多くの作品世界の情報が物語の伏線と共に劇中にちりばめられている。それらの情報と劇場パンフレットの記述を併せて読むとデスラーの生涯(25話で死んでいればだが)とアレクサンドロスの生涯は意外にも多くの共通点があるのに気付く。例えば第3章のパンフレットにはデスラーについてこのような記述がある。

――32歳相当(地球における年齢換算)の若さでありながら、絶大なるカリスマ性を以って国民から絶大なる支持を受け、独裁者としてこの巨大帝国に君臨する。サレザー恒星暦で103年前、かつてガミラス大公国と呼ばれていたこの国家は、複数の王侯貴族による統治が行われていた。それを統一したのが、デスラーの叔父エーリク・ヴァム・デスラー大公であった。そしてエーリク死去後、再び内戦状態となった国家を再統一したのが、デスラーその人である。ガミラス大公国は解体され<大ガミラス帝星>となり、デスラーは永世総統の地位に収まった。彼は「宇宙恒久の平和を達成させる為にはイスカンダル主義の拡大浸透が必要であり、その為には他星へ進攻し武力をもって併合するのが神の意思でありガミラス民族の使命である」と説く、<デスラー・ドクトリン>を宣言。周辺惑星国家への進攻を開始したのである。



このデスラーの半生は

「分裂状態だったギリシアを統一したフィリッポスの死後、内乱状態になったギリシアとマケドニアを再統一し、『ギリシアの大儀』を唱えて東方への進攻を開始した」

アレクサンドロスの事績とよく一致する(しかもいかなる偶然なのか、デスラーの年齢がアレクサンドロスの享年と同じ32歳になっている)。また、アレクサンドロスのギリシアの大儀は主に

・ペルシア戦争でのペルシア人の国土蹂躙と神々への冒涜に対する報復
・小アジアのギリシア人をペルシア支配から解放する。

の2つからなるが、これの元になった当時のギリシア知識人の東方遠征論を見ると基本的な考え方がデスラー・ドクトリンに類似しているのに気付く。東方遠征論ではこのように説かれている。

――そもそもギリシアの土地は貧しいのに、大陸には豊かで広大な土地が耕されないまま放置されている。ペルシア人はギリシア人の不倶戴天の敵であるばかりか、柔弱で劣等な民族だ。すでにペルシア帝国の各地では反乱が起きており、戦争に打って出るには今こそ絶好の機会である。ギリシア人が一致団結して自分達の間の戦争を大陸に移し、アジアの繁栄をこの地にもたらすこと、これこそが焦眉の課題なのだ。
(森谷公俊 「アレクサンドロスの征服と神話」 講談社 P.104)



東方遠征論に出てくる他民族の劣等種族視や征服地に平和と繁栄をもたらすという考え方はまさにガミラス人やガミラス帝国の考え方そのものだ。このように、ヤマト2199のデスラー総統とアレクサンドロスには意外な共通点が多く、2人をとりまく政治状況も類似点が多い。アレクサンドロスを念頭に置くと、劇中では明確に語られなかったガミラス帝国やデスラーの行動の謎をわりとうまく説明する事ができる。以降の文章では次のようなトピックについてそれぞれ章を分けて考察していこうと思う。

1. オルタリアのガミラス人移民殺戮の謎――ガミラス帝国の基本的構造――
2. ガル・ディッツ拘束の謎――ガミラス軍の社会構造について――
3. 名誉ガミラス臣民の謎――デスラーの構想していた国家モデル――
4. デスラー砲の謎――デスラーは本当に狂っていたのか?――
5. デスラーのいないガミラスはどうなる?――続編の可能性も含めて――



【1. オルタリアのガミラス人移民殺戮の謎――ガミラス帝国の基本的構造】

宇宙戦艦ヤマト2199 2 [Blu-ray]ヤマト2199の15話は社会史に興味を持つ人にとっては実にショッキングなものだろう。何しろ冒頭でいきなり「さあ、殲滅のメロディーを!!」と親衛隊のギムレー長官がうそぶいてオルタリアのガミラス人移民を反乱住民ごと抹殺してしまうのだから。一体何考えてるんだギムレーは!?

普通の視聴者なら「ギムレーは人格破綻者なのだ」と考えて片づけてしまう所だが、彼の行動に合理的理由付けはできないだろうか?つまり、彼は気が狂ったのではなく確かな理由があってあんな行動をとったのだ、と考えることはできないだろうか?

一見滅茶苦茶な設問だが、不可能な事ではない。「彼らガミラス人移民団は元来、助けてバレラスに連れ帰るよりもそのまま反乱にかこつけて始末した方がいいような(政権にとって)危険な人たちだった」と考えれば、ギムレーの取った行動が無理なく理解できるのではないだろうか(現にギムレーは総督に対し、「総統への忠誠に欠けたあなたもですよ、総督」と言っている)。

つまり、ガミラスの移民政策とは、「政権に不満を持つ人達を移民の形で体よく帝都バレラスから追い出し、彼らに征服地の土地と財産を与えることで懐柔する」というものだったと考えられる。ギムレーに射殺されたオルタリア総督はこうした不平分子達の頭目的存在だったのではないか。歴史に類例を求めると、実はアレクサンドロスが同じようなことを大々的に行っている。アレクサンドロスの移民政策について、史書では次のように解説している。

――都市アレクサンドリアの建設は、しばしば大王の東西融合政策の一環として語られるが、実態を見ればそれはまったくの的外れである。そこに入植したのはギリシア人傭兵、退役したマケドニア人、地元住民の三種類で、住民にはその土地の戦争捕虜も含まれていた。このうち最も大きな割合を占めたのがギリシア人傭兵である。(中略)元をただせば彼らはギリシアの祖国を失った者達であり、フィリッポスやアレクサンドロス自身によって追放された者も含まれていた。彼らはマケドニア人と大王に強い憎しみを抱いており、帝国にとって政治的にも社会的にも危険な存在だった。
それゆえ彼らの入植には、不穏分子を僻遠の地に隔離するという狙いがあったのである。ついでに隔離という点では、マケドニア人兵士も例外ではない。前330年、アレクサンドロスは自分に批判的な発言をしたり、王の利害に反することを手紙に書いた者を集め、「無規律部隊」と名づけて見せしめにした。バクトリア・ソグディアナ地方では、反抗的と見なしたマケドニア人の不平分子を12もの軍事植民地に配分している。
(森谷公俊 「アレクサンドロスの征服と神話」 講談社 P.140)



アレクサンドリアに移民したのはマケドニアに祖国を征服されたギリシア人傭兵――。マケドニアとギリシアが決して一枚岩でなかったことがこれで分かるが、アレクサンドロスの移民とガミラスの移民が同じ性格であるとすれば、ガミラス人達がマケドニアとギリシアのように決して一枚岩ではなかったのではないか、との推測が成り立つだろう。もう少しアレクサンドロスの事情について見てみよう。

現在の私達はマケドニアとギリシアが一致団結して東方遠征を行ったとイメージしがちだが、一致団結どころか史書にはそのイメージを打ち砕くような記述が出てくる。

――ギリシア人はマケドニア人に征服された民族でありながら、アレクサンドロス帝国では支配者側の一員であった。では両民族の間の壁は越えられたであろうか。答えは否である。(中略)結局ギリシア人はアジアにおける征服者の一員でありながら、真の支配者たるマケドニア人に対して従属的地位に置かれた、目下の同盟者にすぎなかった。
(森谷公俊 「アレクサンドロスの征服と神話」 講談社 P.141~142)



アレクサンドロスの東方遠征中、ギリシアでは絶えず反マケドニア運動がくすぶり続け、ついにはスパルタで大規模な反乱が勃発した(アギスの蜂起)。実のところガミラス帝国のガミラス帝星も、これとよく似た状況だったのではないだろうか?

ヤマト2199のガミラスでは、当局が反乱分子の摘発に血眼になっている描写がたくさん出てくる(15話・17話その他多数)が、この描写自体、デスラー政権には最初からガミラス人の敵が大勢いることを示唆している。ガミラス人の政治犯は一体何故当局に睨まれたのだろうか?政権に批判的な言説を行ったからだろうか?軍役を拒否したからだろうか?もちろんそれもあるだろうが、最も数が多かったのは

「デスラーの叔父エーリク・ヴァム・デスラー大公やデスラー本人に征服されたガミラス人が反乱を企てた」

ケースだったと思われる。あらためて第3章のパンフレットの記述を思い返してみよう。このような記述だったはずだ。

――サレザー恒星暦で103年前、かつてガミラス大公国と呼ばれていたこの国家は、複数の王侯貴族による統治が行われていた。それを統一したのが、デスラーの叔父エーリク・ヴァム・デスラー大公であった。そしてエーリク死去後、再び内戦状態となった国家を再統一したのが、デスラーその人である。



パンフレットの記述からは次のような事を見て取る事ができる。

・ガミラス大公国は王侯貴族が統治する複数の公国で構成されていた。
・これらの公国の内、デスラー大公の「デスラー公国」が他の公国を征服し、ガミラス大公国を統一した。
・デスラー大公の死後、彼に征服された公国が反乱を起こしたが後を継いだデスラーによって鎮圧された。
・デスラーが20歳で即位したと仮定すると反乱が鎮圧されて(サレザー恒星暦で)十数年しか経っておらず、アレクサンドロスの故事を見てもデスラー公国から独立を企てる者が未だに大勢いる可能性が高い。


こういった事情があったからこそ、親衛隊は反乱者の摘発に血眼になり、厄介払いのような移民が行われ何かあった時には移民が始末される事態になっているのではないだろうか。

・・以上、この章をまとめると、国家としてのガミラス帝国は以下のような基本構造になっていると考えられる。


・純血ガミラス人は帝国の支配者側の一員であるが、ガミラス大公国を統一したデスラー公国の民と彼らに征服され従属的同盟者となっている他の公国の民の2種類で構成されている。
・他の公国はまだ征服されて日が浅く、絶えず反乱の芽がくすぶり続け、親衛隊は反乱の摘発に躍起になっている。
・ガミラスの移民政策は、「政権に不満を持ち反乱を企てかねない危険な人達を移民の形で体よく帝都バレラスから追い出し、彼らに征服地の土地と財産を与えることで懐柔する」という性格を持っている。


こうして、ガミラス帝国の国情の一端が明らかになった(※あくまで私の主観では)が、ではデスラーを支えるべきガミラス軍は果たして一枚岩の頼れる存在だったのだろうか?次の章ではそれについて考えてみたい。



【2. ガル・ディッツ拘束の謎――ガミラス軍の社会構造について】

宇宙戦艦ヤマト2199 3 [Blu-ray]劇中でデスラー暗殺容疑をかけられ拘束されたドメルとガル・ディッツのうち、ドメルはすぐ釈放されたにもかかわらずディッツは釈放されなかった。それは何故か――。

ヤマト2199視聴者の間で取り沙汰される謎の一つである。国軍に取って代わる事を狙う親衛隊が航宙艦隊総司令のディッツを特に目障りに思っていたからではないか、という意見も見られるが、ドメルがデスラーによりすぐ釈放されたのに対しディッツは収監されたままだったところを見ると、少なくともデスラーはディッツを必要な人物と思っていなかったと最低限言うことはできるだろう。何故だろうか?劇中のセリフやパンフレット等の情報を仔細に見ると、それに対する答えだけではなく、ガミラス軍が抱えている構造的な問題を見て取る事ができる。

そもそもガル・ディッツとはどういった素性の人物だろうか?14話で娘のメルダ・ディッツが山本に「わが家は代々軍の重責を担ってきた家系」と語っていることから、彼は名門の軍人貴族であることが分かる。また、航宙艦隊総司令として「艦隊運用の責任者」を自負し、国軍の実質的な最高司令官として振舞っている人物でもある。例えば12話で、彼は本来動かすのに総統の認可が必要な総統直属の次元潜航艦を勝手に動かしているが、そこには

「国軍の(実質的な)最高司令官は自分なのだから指揮下の部隊をどう動かそうと私の勝手だ。国軍を直接指揮して動かしているわけではない総統の認可などいちいち必要ない」

という意識が垣間見える。このエピソードや「国家元帥」の肩書きを持ち、12話でディッツがセリフで語るように「版図の拡大を推し進め」、17話や18話で実際に艦隊を指揮して動かしていたヘルム・ゼーリックの姿を見る限り、ガミラス帝国においてデスラーは軍の指揮権を一手に握っているわけではないと考えられる。つまり、ゼーリックやディッツのような名門貴族が自らの管轄下の、あるいは息のかかった国軍の部隊を自らの好きなように動かしていて、デスラーといえども国軍の全ての部隊を思いのままに動かせない状況であるということだ。この事は劇中におけるゼーリックとディッツの関係に注目するとよりハッキリする。二人の姿をもう少しよく見てみよう。

ディッツは公式設定資料集の記述によれば航宙艦隊総司令として親衛隊と内惑星防衛艦隊をのぞくガミラス外洋艦隊を指揮・統括しているが、彼の指揮する航宙艦隊は国軍中に比肩できる存在がない事から(陸軍や空軍は存在したとしても規模や重要性において航宙艦隊に遠く及ばないと考えられる)”国軍そのもの”と言って良い存在であり、その航宙艦隊を指揮する彼は事実上「国軍の実質的最高司令官」となっている。

8話のガミラス建国記念式典の最中、ディッツがデスラーに「ドメル中将を(小マゼランに)派遣しました」と事後報告する場面が出てくるが、これを見るとディッツは指揮下の部隊の運用をデスラーに説明もせず承諾を得ることもなく好きなように動かし、国制上の最高司令官であるデスラーはディッツの決定を追認するだけの状態になっている事が伺える。明らかにデスラーは国軍を最高司令官として直接指揮できていない。
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(ちなみに大統領が最高司令官として実際に指揮できているアメリカの場合なら、次のような流れになると思われる。)
1.最高司令部に相当する国家安全保障会議で参謀総長が「○○方面が現在このような状況になっています」と大統領に説明し、「○○を方面軍司令として派遣しようと考えております」と大統領に許可を求める。

2.説明を聞いた大統領が「よろしい、許可しよう」と承認する。
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一方、ゼーリックはパンフレットの記述によれば軍政面を担当する中央軍総監の役職に就いているが、この役職はそもそも軍の装備や編成の決定といった軍政の分野でのみ権限を行使できるのであって、実戦部隊を指揮して動かすことは本来できない役職だ。従って、17話のように艦隊を自ら指揮してバラン星に向かう描写は組織の原則論で考えれば本来ならありえないし、まして18話でバラン星に進入したヤマトに対して攻撃命令を出すこともできないはずだ。ところがその両方ともゼーリックが劇中で行っているということは、彼には実戦部隊を指揮する権限(特権というべきか?)もあるし実際に指揮して動かしている、まるで手勢のような部隊もあると考えざるを得ない。

こうしたゼーリックの行動を航宙艦隊総司令のディッツは制止する権限はないし、逆にゼーリックもディッツの行動を制止する権限がない様子が劇中ではいくつか描写されている。例えば以下のようなものだ。


・ゼーリック自らが銀河方面軍司令に取り立てて子分のように扱っているゲールの事例。ゼーリックは国軍の人事にもしばしば介入していて航宙艦隊総司令のディッツには阻止する権限がないと考えられる。

・8話でのゼーリックとディッツの以下のような会話。

 「(デスラーにお追従を述べるゼーリックに対し)慢心はなりませんぞ。小マゼラン外縁部では、外宇宙からの蛮族の侵入も予断を許さない」
 「ディッツ君、君は我輩が大ぼら吹きだとでも?」
 「艦隊運用の責任者として、油断はできないと申している!」
 (ドメル中将を小マゼランに派遣した、とディッツ。彼なら期待に答えてくれるだろうとのデスラーの言にゼーリックは忌々しそうに舌打ちする)

 会話から明らかなように、ゼーリックとディッツには軍の指揮と運用に関して直接の上下関係はない。そのためドメルを派遣するというディッツの決定をゼーリックは阻止できない。


これらの事例を見ると、ゼーリックとディッツは二人とも自らの管轄下の、あるいは息のかかった部隊を自らの好きなように動かしていて、デスラー以外の誰にも邪魔できない状態になっている事が分かる。しかも次元潜行艦の事例に典型的に見られるように、デスラーの承認を経ることなく自らの判断で勝手に部隊を動かすことすらあったと考えられる。こういった

 「国家元首たるデスラーが国軍の指揮権を独占できておらず、ゼーリックやディッツのような名門貴族が軍の要職に就き、権勢を振るう」

という状況は、当然のことながらデスラーにとって好ましい物ではない。本来ならば国家元首たるデスラーは最高司令官として国軍の指揮権を独占し、航宙艦隊総司令の座を兼ねていないといけないし、中央軍総監は軍政のみに権限を制限しないといけない。(近代軍では、最高司令官ではあっても軍人としては素人の国家元首を参謀本部が”補佐”し、経験不足を補うことになっている。あくまでも国家元首が最高司令官として指揮する制度になっているため、実質的な最高司令官である「航宙艦隊総司令」は存在そのものが不要であると考えられる)つまり、望ましい国家運営をしようと思えば、ゼーリックやディッツは必ず粛清しなければならない存在となってしまうのだ。

こうして、この章冒頭の問いかけである、

「劇中でデスラー暗殺容疑をかけられ拘束されたドメルとガル・ディッツのうち、ドメルはすぐ釈放されたにもかかわらずディッツは釈放されなかった。それは何故か――。」

への解答が導き出された。解答は次のようなものになるだろう。

「――国家元首たるデスラーが国軍の指揮権を独占する上でディッツは邪魔な存在だったから。」

ディッツは劇中では良識的な人物として好意的に描かれているため観客は何故ディッツが反乱容疑で収監されたままなのか分かりづらいが、あくまでデスラーの立場に立ってみるとディッツは機会を捉えて粛清しなければならない人物に十分なりうる。為政者としてデスラーはゼーリックやディッツのように軍の要職に就いて権勢を振るう
名門貴族を粛清し、軍の指揮権を一手に握ろうとしていたのではないだろうか(逆に言えば、粛清される危険性を十分に自覚していたからこそ、ゼーリックはお追従を述べてデスラーに媚びへつらい、ディッツは黙々と軍務をこなしていたといえる)。

ガミラス国軍がこのような状態になっているのは、おそらくデスラー政権が誕生した時の歴史的経緯によるものだろう。前章「オルタリアのガミラス移民殺戮の謎」において、ガミラス帝国はガミラス大公国を構成する複数の公国の内、デスラー叔父の治める「デスラー公国」が他の公国を征服・併合することで形成されたと考察したが、ガミラス大公国統一の過程においてデスラー公国は敵対する公国を滅ぼす一方、帰順した敵(や自国)の大貴族には帰順と引き換えに相応の役職と権限と特権を与えていったものと想像される。その結果、

・軍政のみに権限が限定されるはずの中央軍総監が実戦部隊を指揮して戦い、本来なら不必要と思われる『航宙艦隊総司令』という役職が存在する。
・国家元首が最高司令官として直接指揮するべき(経験不足な部分は参謀本部が補佐して補う)国軍が元首以外の複数の人物によって指揮され動かされている。
・名門貴族が国軍の要職に就き、(デスラーに睨まれない範囲で)誰にも邪魔されることなく好きなようにふるまっている。

という状況が劇中で出現するに至ったと考えられる。デスラーとしては何らかの形で対処しなければ自らの身が危うい、という状況であっただろう(現に名門貴族の一人であるゼーリックが反乱を起こそうとした)。

では、デスラーはどのような手段でガミラス国軍のこういった状況に対処しようとしていたのだろうか?劇中の描写やパンフレットの記述から、デスラーは主に

・権謀術数を用い名門貴族を粛清する。
・国軍の反乱に備えて自身の親衛軍を創設する。
・国軍を一般将兵のレベルで掌握するため人材登用を行う。

という3つの手段を用いていたと考えられる。それぞれ詳述してみよう。


(その1)名門貴族の粛清
デスラーが国軍の指揮権を一元化し独占するためには名門貴族の粛清は必須であったが、ゼーリックやディッツのような名門貴族はデスラーにとって扱いに慎重を要する危険な存在だったと思われる。性急に粛清しようとすれば、最悪の場合ゼーリックとディッツが二人そろって国軍を率い反乱を起こす可能性すら考えられるからだ。実際、劇中の描写を見ると、ディッツやゼーリックは非常に慎重かつ周到なやり方で粛清されている。ディッツは15話で「総統のデウスーラが何者かの手によって爆破される」という事件が起き、総統暗殺の容疑がかけられる状態になってから処分されているし、ゼーリックは18話で衆人環視のもと反乱を扇動するという誰にも言い逃れできない状態になってはじめて粛清されている。名門貴族の粛清はそれほどまでに慎重を要する作業だったのだ。

19話冒頭で「ゼーリックに同調した反乱分子は秘密警察が内定済みです」とのギムレーの発言の後、ヒス副総統が「これで総統の治世はより安泰に」と述べているが、このセリフには単なる総統へのお追従以上の意味が含まれているだろう。危険なディッツやゼーリックは2人ともいなくなり、残る貴族達も粛清する大義名分ができたからだ。


(その2)親衛軍の創設
元ネタがヒトラーの親衛隊であると思われるデスラーの親衛隊は、劇中では一貫して否定的に描写されているが、ガミラス国軍の実情を考えるとおそらく創設は必須であっただろう。デスラーが国軍の指揮権を独占し直接指揮できていない以上、国軍の誰かが部隊を率いてクーデターを起こす可能性が常に存在したからだ。パンフレットの記述によれば、親衛隊長官のギムレーは帝国の治安維持を目的とする親衛隊を国軍に比肩するほどの軍事力を持つ組織に育て上げたとの事だが、親衛隊の武力拡充をデスラーは意図的に容認ないし黙認していた可能性が高い。親衛隊の武力と秘密警察で国軍幹部を脅すことで、デスラーは国軍幹部の度を越した専横を防ぎ、彼らによるクーデターの可能性を牽制し続けていたと考えられる。


(その3)国軍での人材登用
危険人物を粛清したりしていた軍上層部の場合とは別に、一般将兵に関してデスラーは人材登用を行い国軍を一般将兵のレベルから掌握しようとしていたと考えられる。これについてガミラス人をはじめとする多くの種族から忌み嫌われるジレル人のセレステラを登用した事例から考えると、即位したデスラーは身分や出自に関係なく自分に忠誠を誓う人物をどんどん軍中に登用していったと想像される。例えばドメルは38歳という年齢そのものや、38歳という異常な若さで将官になっている事実から

「青年将校だったガミラス内戦時代にデスラーに見出され、頭角を現した軍人の一人」

だったと思われる。彼のデスラーに対する忠誠ぶりはこういった事情に由来するのではないだろうか?また、作中ではいいところのないゲールも貴族とは大違いの洗練されていない物腰や言動、名門貴族のゼーリックに媚びへつらう姿から想像すると、

「これといった身分もないにもかかわらず将官に出世できたその他大勢の軍人の一人」

なのかもしれない。だからこそあれだけデスラーに心酔し、一般将兵も18話でデスラーが死んだと聞かされて大きく動揺していたのではないだろうか?必ずしも自分の思い通りにならない軍中枢とは裏腹に、一般将兵からは絶大な支持を受けている自信がデスラーにはあったと思われる。18話でバラン星の基幹艦隊将兵に自身の生存を見せつけるだけでゼーリックが反乱の失敗を悟った事からもそれは明らかだ。


・・以上、この章をまとめると、ガミラス軍は基本的に以下のような構造になっていると考えられる。


・国家元首であるデスラーは役職的に国家元帥や航宙艦隊総司令の上に立ち、彼らの生殺与奪を握る存在であるが、国軍の指揮に関してデスラーは指揮権を独占できていない。

・本来なら国家元首が最高司令官として国軍を直接指揮するべき(経験不足な部分は参謀本部が補佐して補う)だが、現状のガミラス国軍は元首以外の複数の人物によって指揮され動かされている。

・おそらくはガミラス帝国形成時の歴史的な理由から、ガミラス軍は軍政のみに権限が限定されるはずの中央軍総監が実戦部隊を指揮して戦い、本来なら不必要と思われる『航宙艦隊総司令』という役職が存在する(なぜなら航宙艦隊総司令は国家元首が兼ねるべきであるため独立した役職としては必要ない)という不合理な状況になっている。

・ガミラス国軍はゼーリックやディッツのような名門貴族が国軍の要職に就き、自らの管轄下の、あるいは息のかかった国軍の部隊を(デスラーに睨まれない範囲で)自らの好きなように動かしていて、デスラーといえども国軍の全ての部隊を思いのままに動かせるというわけではない。

・為政者としてデスラーはこういった名門貴族達を機会を捉えて粛清し、軍の指揮権を一手に握ろうとしている。

・劇中では一貫して否定的に描写されている親衛隊は、実のところ国軍、特に幹部クラスの度を越した専横やクーデターを防ぐ重要な役割を果たしている。

・即位以来、デスラーは自分の思い通りにならない軍中枢の危険人物を粛清する一方、身分や出自に関係なく自分に忠誠を誓う人物をどんどん軍中に登用しており(その代表格がドメルであると考えられる)、それが故に(軍中枢から縁遠い)一般将兵のデスラー支持は絶大になっている。


こうして、前章と今章においてガミラスの国家と国軍の内情を考察してみたが、デスラーの権力は非常に危うく不安定な基盤の上に成り立っていると考えられる。ほんの少し前まで内戦を行っていた分裂した国民(純血ガミラス人)に必ずしも思い通りにならない国軍(特に幹部連中)。この条件下でデスラーはどのように帝国を治めてい
くつもりだったのだろうか?次の章では特にその点について考察してみよう。



【3. 名誉ガミラス臣民の謎――デスラーの構想していた国家モデル】

宇宙戦艦ヤマト2199 4 [Blu-ray]第8話、グリーゼ581においてヤマトに敗れ戦死した二等ガミラス臣民のシュルツ達に対し、デスラーはその忠誠ぶりを認めて遺族を「名誉ガミラス臣民」に取り立てた――。

このエピソードはガミラスの国家システムを考える上で非常に多大な材料を与えてくれる。この「名誉ガミラス臣民」とは、いかなる地位・身分なのだろうか? この命題は以下のような疑問に分けられる。

・名誉ガミラス臣民と一等ガミラス臣民は異なる身分なのだろうか?
・両者が異なるとすれば、名誉ガミラス臣民はどのような身分であり、どのような待遇を受けるのだろうか?
・そもそもガミラス帝国で二等ガミラス臣民、一等ガミラス臣民といった身分制度が作られた理由は何なのか?そして名誉ガミラス臣民が1つの独立した身分であるならば、その存在理由は何なのだろうか?

これらの疑問について考察していくことで、国軍や純血ガミラス人の問題を数多く抱えたデスラーがどのような国家システムを構築し、ガミラス帝国をどのように治めていくつもりだったのか明らかにすることができるだろう。この章ではそれぞれ次の様に項目を分けて、順を追って考えてみよう。

 (その1)名誉ガミラス臣民と一等ガミラス臣民は違う身分か?
 (その2)名誉ガミラス臣民とはどのような身分なのか?
 (その3)ガミラスの身分制度と名誉ガミラス臣民の存在理由とは何か?
 (その4)デスラーの構想していた国家モデルについて


(その1)名誉ガミラス臣民と一等ガミラス臣民は違う身分か?
劇中で明らかになっているガミラスの身分制度の特徴は以下のようなものだ。

・純血ガミラス人は一等臣民であり、被征服民は二等臣民とされる。
・4話のシュルツとゲールの会話から判断すると、二等臣民から一等臣民への昇格は一等臣民の推薦が必要である。
・ただし、23話のノラン・オシェットの「(デスラー砲破壊の阻止を)総統が知れば自分は一等ガミラスになれる」とのセリフから、デスラーが認めれば一等臣民の推薦がなくても一等臣民に昇格できる。

23話のノランのセリフや、8話のデスラーがヒスにザルツ人遺族の身分昇格を指示する場面で一等臣民ではなく「名誉ガミラス臣民」と口にしている事実から、一等ガミラス臣民と名誉ガミラス臣民は異なる身分ではないかとの推測が成り立つ。これに関して、公式設定資料集[GARMILLAS]にはヴァルケ・シュルツとヒルデ・シュルツに関して次のような記述が出てくる。

――(ヴァルケ・シュルツの人物説明)冥王星をガミラスフォーミングし、そこに前線基地を築き駐留する二等ガミラス人(被征服民族)で構成された空間機甲旅団の旅団長。二等ガミラスながら、帝国への忠誠心は一等ガミラス人に負けないと自負する。
(『公式設定資料集[GARMILLAS]』 P.186)

――(ヒルデ・シュルツの人物説明の補足文)父親の名誉の戦死によって名誉ガミラス臣民となったあと、セレステラのはからいで宣伝情報相の給仕係となった。
(『公式設定資料集[GARMILLAS]』 P.190)



宇宙戦艦ヤマト2199 公式設定資料集<Garmillas>2つの記述を見ると一等ガミラス臣民と名誉ガミラス臣民はそれぞれ区別して記述されているように見える。したがって、一等ガミラス臣民と名誉ガミラス臣民はそれぞれ異なる身分であると考えても良いのではないだろうか。


(その2)名誉ガミラス臣民とはどのような身分なのか?
名誉ガミラス臣民となったヒルデ・シュルツは22話でセレステラのようなガミラス政府の要人やユリーシャ姫(と間違われた森雪)の給仕をしたり、総統府内部でユリーシャ姫に付き添う付き人のような事をしたりと、ガミラス社会の中でもかなり名誉とされると思われる仕事をしている。その様子はさながら武家の近習のように見えるが、ことによると名誉ガミラス臣民とは、アレクサンドロスの”朋友(ヘタイロイ)”に相当する地位なのかもしれない。

史書では”朋友(ヘタイロイ)”について次のように解説している。

――”朋友(ヘタイロイ)”とは仲間を意味するギリシア語で、マケドニアでは王の側近集団を表す言葉である。”朋友(ヘタイロイ)”には王の側近だけではなく部隊長クラスや比較的下位の者まで含まれ、彼らは王への忠誠と引き換えに土地や馬などの財産を与えられた。彼らの登用や解任は王の一存で決められ、マケドニア貴族だけではなく幅広い出自や階層の人々から集められた。例えばギリシア人でアレクサンドロスの書記官となったエウメネスは、フィリッポスが遠征中に滞在したギリシア都市カルデアで見出した人物である。
(森谷公俊 「アレクサンドロスの征服と神話」 講談社 P.184~185を要約)



つまり、二等臣民だったヒルデ・シュルツ(とその他大勢のザルツ人)はデスラーの命により一等ガミラス臣民よりも上の立場の「デスラーの朋友」に取り立てられ、朋友に相応しい役職を与えられていると想像することができるのではないだろうか。もし名誉ガミラス臣民がアレクサンドロスの”朋友(ヘタイロイ)”に相当する「デスラーの朋友」であると仮定するなら、ガミラスの身分制度の性格や存在理由について多少なりと面白い想像をすることができる。次はその事について述べてみよう。


(その3)ガミラスの身分制度と名誉ガミラス臣民の存在理由とは何か?
ガミラスの身分制度は、地球に存在した有名な帝国の身分制度と比較して、どのような特徴があるのだろうか?
ヤマト2199について評論する人の間では、ガミラスの一等・二等ガミラス臣民についてローマ帝国を想起させると指摘する意見が多い。旧作ヤマトを制作した故西崎プロデューサーが「デスラーのモデルはローマ皇帝」と述べている事からなおさらガミラスの身分制度についてローマ帝国に似ていると感じる人が多いのだろう。しかし、劇中の描写を見る限りでは、両者には一つ大きな違いが存在する。それは

「ローマ帝国では人種や民族に関係なくローマ市民権が授与されていたのに対し、ガミラス帝国では純血ガミラス人以外が一等臣民になるのは深刻な人種差別のために困難だったと思われる事」

だ。この違いのためにローマとガミラスの身分制度は、外見上似ているように感じられても実質は非常に異なるものだったと考えられる。

ローマ帝国では一般的に、ローマ市民権を与える上で人種や民族による差別は存在しなかったと考えられている(ローマ市民の墓地を発掘すると様々な人種や民族の骨が発掘される)。ローマ帝国における差別は、「ローマ市民であるか、そうでないか」という階級的な要素が民族・人種的な要素よりもはるかに大きかったとされている。

これに対し、劇中の描写を見る限りガミラス帝国では、純血ガミラス人の他種族に対する蔑視や差別が非常に一般的であると考えられる。例えばメルダ・ディッツは10話の古代や山本との会話で二等臣民を劣等種族と言い放っている。21話の強制収容所所長はザルツ人を「帝国に寄生する劣等種族」と呼んでいたし、デスラーの女性衛士達も25話でジレル人のセレステラを「魔女」と侮蔑していた。作中で「他種族への差別をしない」とされていたドメル軍団でさえ、フォムト・バーガーは20話でザルツ人に対し面と向かって「信用できない」と言い放っているし、当のドメルまでもがセレステラを「あの女は魔女だからな」と侮蔑している(19話前半のハイデルンとの会話より)。

こういった純血ガミラス人の他種族への蔑視や差別は、二等臣民が一等臣民に昇格するのに非常に悪い影響を及ぼしていたと考えられる。例えばヴァルケ・シュルツは純血ガミラス人以外をあからさまに侮蔑するグレムト・ゲールの下では決して一等ガミラス臣民に推薦してもらえなかっただろう。また、19話と20話で活躍したザルツ人の第442特務小隊はパンフレットの説明によれば「常に激戦地に送られ戦い続け、いつしか精鋭と認識されるようになった」にもかかわらず、結局誰一人として一等ガミラス臣民に取り立てられる事はなかった。ローマ帝国の場合、これ程の戦いぶりを示した外人部隊には隊員全員にローマ市民権が授与され、市民権を得た隊員全員が退役した後も部隊には”ローマ市民の”という称号を名乗ることを許される事例が多かったのとは対照的だ。

身分制度に関するヴェルテ・タランの発言を見ると、二等臣民に対するデスラー以外のガミラス政府首脳部の態度を伺うことができる。8話のガミラス建国記念式典の場において、「同化政策は順調に進んでおります」と述べたヴェルテ・タランはこう続ける。

「帰順を示した者には滅亡ではなく二等臣民としての権利を。それが帝国繁栄の礎となっております」

この発言からは被征服民の円滑な統治のために被征服民にも一定の権利を認める必要があるという考えを見て取ることはできても、更に一歩進んで帝国に有用な者を一等臣民に取り立てるという考えは全く伺うことはできない。式典に参列した高官達の顔ぶれを見ても、セレステラ以外は全て純血ガミラス人だ。ガミラス政府首脳部にとって、被征服民である二等臣民はただの統治の対象でしかなく、彼らの内から帝国に有用な者を登用するという考えはないのではないかと思われる。ただ一人、デスラーを除いては・・。

劇中においてデスラーは二等臣民を名誉ガミラス臣民に取り立てたり、多くの種族から忌み嫌われているジレル人を登用して閣僚にすらしているが、こういった行為は二等臣民達の忠誠心をかろうじてガミラス帝国に繋ぎ止める重要な役割を果たしていると考えられる。二等臣民(特にザルツ人)の間には純血ガミラス人を憎悪し、帝国そのものにも何の魅力も感じないがデスラー総統にだけは忠誠を尽くす、という人間が相当いるのではないだろうか。

ここでもし、名誉ガミラス臣民が次のような身分であるとすれば、ガミラスの一等・二等臣民の身分制度の欠陥を補い、二等臣民のデスラーへの忠誠を確保することができるだろう。

 「名誉ガミラス臣民は一等ガミラス臣民より上の”デスラーの朋友”と称すべき身分で、帝国の支配エリートはこの名誉ガミラス臣民と一等ガミラス臣民の高官・将軍・首長といった上層部とで構成される。名誉ガミラス臣民は種族を問わずデスラー個人に認められた者のみがなることができ、1代限りの身分である。名誉ガミラス臣民の子供は一等ガミラス臣民となる。」

名誉ガミラス臣民がこのような身分制度であれば、常日頃一等臣民の純血ガミラス人から屈辱的な扱いを受け、彼らの差別のため身分昇格もままならない二等ガミラス臣民達も、デスラーのためだけには働こうとするだろう。デスラーに認められさえすれば一等臣民にも、更に上の名誉ガミラス臣民になって帝国の支配エリートに仲間入りするのも夢ではないからだ(デスラーによりジレル人でありながら閣僚に登用されたセレステラはその実例となる)。

ここで述べた名誉ガミラス臣民の制度はあくまでも個人的な想像によるものだが、劇中におけるガミラスの一等・二等臣民の描写や、ヒルデ・シュルツの名誉ガミラス臣民となった経緯やその後の待遇を見る限り、ガミラスの身分制度の特徴や存在理由について、最低限次のことは言えるだろう。


・一等・二等ガミラス臣民は人種主義が非常に強いガミラスで言わば自然発生的に制定された制度で、二等臣民にも一定の権利を認め、一等臣民の推薦があれば二等臣民も一等臣民に昇格できるという具合に制度としての形は整えられているものの、純血ガミラス人の人種差別により制度が機能しなくなる危険性を孕んでいる(ヴェルテ・タランをはじめとするガミラス政府首脳部に被征服民を登用するという考えはないと思われる事がこの問題に拍車をかけている)。

・名誉ガミラス臣民は明らかに政治的な意図によって制定された制度で、劇中の描写を見る限り、一等・二等ガミラス臣民の制度の欠陥を補う役割を果たしている。


これらの事柄を踏まえたうえで名誉ガミラス臣民が上に述べたような制度であると考えれば、ガミラスの身分制度は非常にうまく機能するのではないだろうか?
 
しかしここで1つの疑問が生じる。一等ガミラス臣民以外の支配エリートとして名誉ガミラス臣民という身分が別個に用意された理由は何なのだろうか?単に一等・二等ガミラス臣民の制度の欠陥を補うだけなら、デスラーが二等臣民をどんどん一等臣民に昇格させればそれで済むはずだ。なのにあえて名誉ガミラス臣民が制定されたのは何故か?そこにはやはり、国軍や純血ガミラス人の問題を数多く抱えたガミラス帝国の国情と、それに対処しようとするデスラーの意図が深く関係していたと思われる。次はその事について考えてみよう。


(その4)デスラーの構想していた国家モデルについて
デスラーが名誉ガミラス臣民という身分を一等ガミラス臣民とは別個に制定したのは何故だろうか?その答えは次のような設問を考えれば簡単に出てくるのではないだろうか。

「一等臣民の殆どを占める純血ガミラス人はデスラーにとって信用できて頼りになる存在だろうか?」

1章と2章での考察を踏まえれば、とてもではないがそのような存在でないのは明らかだ。1章で考察したように純血ガミラス人にはデスラーの叔父やデスラー本人にガミラス統一戦争で祖国の公国を滅ぼされ、反感を抱く者が数多く存在している。そして2章で考察したように純血ガミラス人主体の国軍はクーデターを起こしかねない危険な名門貴族達が跋扈している。デスラーを支持する者が大勢いても、それと同じくらい多くの敵が存在するのが純血ガミラス人の実情なのだ。

こういった状況でデスラーは、自らの政権を確固としたものにするために種族や出自を問わず自分に忠実な人間を選抜し、政権を支える集団を作る必要に否応なく迫られただろう。名誉ガミラス臣民が制定されたのはそのためと考えられる。自らが選抜し役職につけた一等臣民の高官・将軍・首長と、やはり同じように自ら選抜した”デスラーの朋友”たる名誉ガミラス臣民が政権を支える帝国の支配エリートとなる、というのがデスラーの思い描いた国家モデルだったのではないだろうか。

名誉ガミラス臣民以外にも、デスラーは自分に忠実な人間を集めた団体をいくつも創設しているが、そのそれぞれにガミラスの国内事情が反映されているのは興味深い。例えば悪名高き親衛隊の場合、兵士と下級将校にクローン人間が使用されているのは極度の純血主義の表れであるとパンフレットでは解説されているが、それ以外の理由としてクローン兵はデスラーに滅ぼされたガミラスのどの公国とも繋がりがないため、出自的にデスラーに反感を抱きようがないという事も挙げられるだろう。また、パンフレットに記述されている〔デスラー少年団〕や〔ガミラス少女同盟〕は地球の国民国家のような(国家に対し絶対の忠誠を誓う)「国民」をゼロから作っていかねばならないガミラスの状況を実によく体現していると言える。デスラーは団体の子供達を、自分だけに忠誠を誓い、自分の意のままに活用できるエリート部隊に育てるつもりだったと思われる。

結局のところ、デスラーの治めるガミラス帝国はどのような帝国になろうとしていたのだろうか?これを考える上で重要なのは「デスラーとの個人的関係とデスラーへの忠誠」という要素だ。ジレル人のセレステラはデスラーに登用され閣僚にまで登りつめた。ザルツ人のヴァルケ・シュルツはその忠誠ぶりをデスラーに認められ、家族を名誉ガミラス臣民に取り立てられた。純血ガミラス人のドメルは日頃の忠節のおかげで死刑にされるところをデスラーに救われたのに対し同じ純血ガミラス人でも反抗したり、忠誠を疑われた者は容赦なく粛清された。そしてデスラーに反旗を翻した者は純血ガミラス人やその他の種族を問わず全て平等に抹殺された。デスラーの帝国の本質は以下の一文に集約できるだろう。


「――デスラーが頂点に君臨し、彼にのみ忠誠を尽くす人間が種族を問わず支配エリートとして帝国の統治にあたる。出身種族ではなくデスラーへの忠誠がガミラスの支配体制の根幹となり、それのみが空前の大帝国を支える礎となる。」


この意味で、ガミラス帝国はデスラーただ一人の帝国となろうとしていたのである。


・・以上、この章をまとめると、ガミラス帝国の国家システムの実情とデスラーの構想していた国家モデルは以下のようなものと考えられる。


・ガミラスに存在する一等・二等ガミラス臣民の制度は人種主義が非常に強いガミラスで言わば自然発生的に制定された制度で、ガミラスが領土を拡大し、帝国としての体裁を整えていく過程で二等臣民にも一定の権利を認め、一等臣民の推薦があれば二等臣民も一等臣民に昇格できるという具合に制度としての形を整えていったと考えられる。

・しかしながら、純血ガミラス人の人種差別により一等・二等ガミラス臣民の制度は制度が機能しなくなる危険性を孕んでいる(ヴェルテ・タランをはじめとするガミラス政府首脳部に被征服民を登用するという考えはないと思われる事がこの問題に拍車をかけている)。

・一等臣民の大半を占める純血ガミラス人はほんの少し前まで内戦を行っていた分裂した集団であり、デスラーに反感を抱くものも多く、デスラーにとって帝国の支配エリートとして依存するには危険な存在だった。

・こういった状況でデスラーは、自らの政権を確固としたものにするために種族や出自を問わず自分に忠実な人間を選抜し、政権を支える集団を作っていった。名誉ガミラス臣民や(悪名高き)親衛隊はそういった集団の一つである。

・自らが選抜し役職につけた一等臣民の高官・将軍・首長と、やはり同じように自ら選抜した”デスラーの朋友”たる名誉ガミラス臣民が政権を支える帝国の支配エリートとなる、というのがデスラーの思い描いた国家モデルだったと思われる。

・デスラーにとって出身種族ではなく彼への忠誠のみが帝国の支配エリートとして重要な資質であり、その意味でデスラーのガミラス帝国は純血ガミラス人の帝国ではなくデスラーただ一人の帝国になろうとしていた。


こうして、ガミラス帝国の内情や国家システムまで一通り俯瞰できるところまで来た。デスラーは純血ガミラス人や国軍の問題を数多く抱えながら、ガミラスを純血ガミラス人のみの帝国から真の意味での世界帝国に発展できるかもしれない段階にまで持っていったと評価できるだろう。その意味で彼はガミラスの希代の英傑と呼ぶに値す
る。しかし、彼の事業はヤマトによって一大蹉跌を余儀なくされ、デスラー自身の一見不可解な行動によって幕を閉じててしまう。どうしてそのようなことになってしまったのだろうか?次章ではそのことについて考察してみよう。



【4. デスラー砲の謎――デスラーは本当に狂っていたのか?】

宇宙戦艦ヤマト2199 5 [Blu-ray]「第23話、デスラーはデスラー総統府に突入したヤマトをバレラスの臣民ごとデスラー砲で消し去ろうとした――。」

ヤマト2199の視聴者の間で最も評価の別れ、かつデスラーの人物像を理解し難いものにしているエピソードである。あれだけ冷静沈着で権謀術数に長けた大帝国の建国者が何故臣民達の命運も家臣達もどうでもいいと言わんばかりの事をやったのか。彼は発狂でもしてしまったのだろうか?

劇中の描写から言えるのは、デスラーのとった行動はヤマトがバレラスに来る以前から予め計画されていた事で、デスラーは狂気に陥ったわけでは決してないという事だ。根拠としては2つ挙げられる。1つは23話の総統府脱出直後、デスラーがコアシップの艦長に「予定通り」と発言している事。もう1つは第二バレラスにデスラー砲が装備されているという事実そのものだ。何故本来イスカンダルへの遷都に使用する軌道都市に過ぎない第二バレラスに、惑星を破壊できる物騒な兵器が装備されているのか。しかもこのデスラー砲は、ご丁寧にも砲口を帝都バレラスに向け発射できるようになっている。仮にヤマトが来なくてもデスラーはデスラー砲を帝都バレラスに向けて使用するつもりだったと思われる。

デスラーが狂気に陥ったのではないとすれば、彼のとった行動にはどのような理由と意味があったのだろうか?この事を考える上で参考になる人物がいる。アレクサンドロスだ。序章で言及したように、ヤマト2199のデスラー総統とアレクサンドロスには意外な共通点が多く、2人をとりまく政治状況も類似点が多い。アレクサンドロスの生涯をデスラーと対比していけば、23話でデスラーがとった行動も無理なく理解できるようになるだろう。この章ではアレクサンドロスとデスラーをそれぞれ比較するという形で上記の疑問について考察してみたい。


(アレクサンドロスとデスラー:その1)
紀元前4世紀、アレクサンドロスは極めて精強なマケドニア軍とギリシア同盟軍を率いてペルシア帝国を征服した。しかし、彼らマケドニア人とギリシア人には征服したアジア領を円滑に統治していくには一つ大きな問題があった。自分達以外の民族に対する強烈な差別意識である。例えばアリストテレスはアレクサンドロスに次のような助言をしたと史書では解説している。

――アリストテレスがアレクサンドロスのために書いたもう一遍の論説に、『植民地の建設について』がある。ここでアリストテレスは、ギリシア人達には友人や同族の人々として配慮し、彼らの指導者として振舞う事、異民族に対しては彼らの専制君主として臨み、動物や植物のように取り扱えと勧めている。異民族を動植物同然と見なすアリストテレスの言説は、当時のギリシア人が外国人=バルバロイに抱いていた感情を集約したものだ。
(森谷公俊 「アレクサンドロスの征服と神話」 講談社 P.87)



今日の私達の視点から見れば、アリストテレス(とギリシア人)のような認識でアジア領を支配したら、たちまち統治が立ち行かなくなるのは火を見るよりも明らかだろう。アジアの占領地の円滑な統治には地元の有力者の協力が不可欠であり、彼らの協力を得るためには彼らを侮蔑するのではなく逆に信頼を得るような措置をとらなければならない。そこでアレクサンドロスは東方の風習や風俗を取り入れ、ペルシア人貴族を高官や側近に採用していった。

ここまでの経緯をガミラスと比較すると、デスラーの事績がアレクサンドロスによく似ているのが分かる。デスラーは純血ガミラス人の軍団を率い、その進んだ科学技術と(おそらくは移民が送り込める程の人口の優越による)膨大な兵力で大小マゼランを征服していった。しかし征服した種族を円滑に統治するためにはやはり彼らの一部を「仲間」に取り込んで行く必要がある。そのため、二等臣民が一等臣民に昇格できる制度を設け、数は少ないものの純血ガミラス人以外の種族の者を閣僚に登用したり、名誉ガミラス臣民のような帝国の支配エリートに採用していった。

ところが、アレクサンドロスとデスラーの他種族の宥和政策は自らが率いてきた者達から猛反発を受けることになる。


(アレクサンドロスとデスラー:その2)
アレクサンドロスの東方協調路線に対して多くの側近や家臣が異を唱え、やがて粛清されてしまうが、それだけに留まらずアレクサンドロスは自らの帝国作りに邁進していく。彼はアジア人にマケドニア風の訓練を施して旧来のマケドニア人部隊に匹敵する規模のアジア人部隊を創設した。そして本国に帰還する古参兵とアジア人女性との間にできた子供を引き取り、自分だけに忠誠を誓い、自分の意のままに活用できるエリート部隊養成の手筈を整えていく。それぞれ史書では次のように解説している。

――前327年にバクトリアを発つ時、アレクサンドロスは東方の属州総督たちに、若者を選抜して軍事教練を施すようにと命じておいた。訓練を担当したのは、各地の都市に残されたマケドニア人古参兵だったろう。前324年、3年間の訓練を終えたこれらの若き歩兵3万人がスーサに到着した。彼らはマケドニア風の衣服を身に着け、マケドニア式の装備と訓練を与えられていた。大王は彼らのパレードを満足して眺め、彼らを「後継者」と呼んだ。この呼称は、マケドニア人歩兵の後を継ぐのがこれら東方の若者たちであることを示している。(中略)翌年には、ペルシス総督ペウケスタスが徴募したペルシア人歩兵2万がバビロンに到着。こうして新しい兵士が大量に登場したことで、マケドニア人歩兵は数の上でも士気においても圧倒された。(中略)このような軍隊構成の変化は、アレクサンドロスがマケドニアの王からアジアの王に移行したことの反映に他ならない。
(森谷公俊 「アレクサンドロスの征服と神話」 講談社 P.226~227)

――オピスから1万人の古参兵が本国へ帰る時、アレクサンドロスは彼らがアジア人女性たちとの間にもうけた子供達の扱いに言及し、彼らをマケドニア風の兵士として育てる事を約束した。もしこれが実現していたら、子供達はヨーロッパに根を持たず、アジアにも特定の故郷を持たない兵士として成長したであろう。大王は彼らを、自分だけに忠誠を誓い、自分の意のままに活用できるエリート部隊に育てるつもりだったと思われる。
(森谷公俊 「アレクサンドロスの征服と神話」 講談社 P.228)



アレクサンドロスの征服と神話 (興亡の世界史)彼の創ろうとしていた帝国は出身民族に関係なく彼に忠誠を尽くす人間のみが支配エリートになる世界であり、一般のマケドニア人達は帝国の建設事業の中で言わばお払い箱になりつつあった。

もしアレクサンドロスが32歳で病死しなかったら、どこかの時点で本国のマケドニア人達の怒りが爆発して大規模な反乱が起きたかもしれない。しかしその場合、マケドニア第一主義だった東方遠征以前からの宿老や朋友(パルメニオンやフィロタス、クレイトス等その他大勢)の末路を考えると、アレクサンドロスは容赦なく反乱を起こしたマケドニア人達を抹殺するか、(まるで収容所惑星のような)辺境都市へと追放したに違いない(※反乱者の辺境都市追放については第1章を参照の事)。

デスラーのデスラー砲によるバレラス砲撃は、上記のアレクサンドロスの「帝国建設のためのマケドニア人切り捨て」に相当する行為だったと思われる。1章から3章まで考察してきたように、被征服民ばかりか純血ガミラス人の中にも数多く敵を抱えるデスラーが創ろうとした帝国は、種族を問わず彼に忠誠を尽くす者のみが支配エリートになる国だった。しかし彼の帝国の未来像は、彼を支持し仕えてきた一般の純血ガミラス人や閣僚達が思い描いていた帝国像とは大きくかけ離れていただろう。彼らにとってのガミラス帝国とは、わずかな例外を除き純血ガミラス人のみが支配エリートとして君臨する世界だったと考えられるからだ。

ガミラスの閣僚達の内、ゼーリックはデスラーの同化政策を憂い、貴族社会の復権を目指して反乱を起こした(※パンフレットの解説による)。デスラー政権崩壊後のジレル人のセレステラ失脚からも明らかなように、それ以外の者もデスラーが純血ガミラス人以外の種族を登用する事に否定的だった。軍中や征服地では純血ガミラス人達の差別が横行し、きっかけさえあれば二等臣民の反乱が起きかねない状況になっていた。帝国の永続的な発展を考えれば、ガミラスは多種族が支配エリートに加わるローマ帝国のような本当の意味での世界帝国に脱皮する必要があったが、もはやバレラスの純血ガミラス人と閣僚達はその最大の障害となっていたのだった。デスラーのデスラー砲によるバレラス砲撃は、彼の帝国建設を邪魔する者達を一気に粛清しようとする行為だったのである。


(アレクサンドロスとデスラー:総括)
アレクサンドロスもデスラーも、自らが理想とする帝国を建設するために、それまで自分についてきた人々を無情にも切り捨てた(あるいは切り捨てようとした)。そしてそれを可能にするための準備も怠らなかった。アレクサンドロスの場合はマケドニア人がたとえいなくなったとしてもアジア人の軍団が後に控えていた。デスラーの場合は帝都の純血ガミラス人と閣僚がいなくなっても代わりに親衛隊と自分を支持する国軍の一般将兵がいた(バレラスが消滅したのはヤマトのせいという事にすれば、帝都に着いた基幹艦隊の将兵も納得しただろう)。二人共恐ろしく周到で、間違っても頭がおかしくなったと考える事はできない。

歴史の大局的な視点で見れば、二人の行い(支持者の切り捨てと粛清)は「唯一絶対の指導者の下、多種族が共に支配エリートとして帝国を治め、民は種族を問わず平和を享受する」ために必要な事であっただろう。(アレクサンドロスの場合は後にローマの平和として実現する。)と同時に、2人が目指した理想の帝国はマケドニアや純血ガミラスの枠内に留まる限り決して考える事の出来ないものであった。問題はその理想のために敵味方問わず夥しい数の人間を死に追いやる事ができるのかどうかだったが、まともな人間ならとてもできないその恐ろしいことを2人は行った(あるいは行おうとした)。デスラーは確かにアレクサンドロスに比肩する英雄であった。


・・こうして、ヤマト2199のデスラー最大の謎を説明づける事ができた。ヤマト2199を視聴した多くの人が「デスラーの行動が理解できない」と述べている。一体何をどうすれば今まで自分を支持し支えてきた民や家臣達を大量殺戮するマネができるのか。ある人はスターシャの愛が得られず自暴自棄になったデスラーが、彼女の呼び寄せたヤマトを撃破するのに固執したためだろうと述べ、ある人は帝国の成功で必然的に生じたバレラスの腐敗と退廃を文字通り吹き飛ばそうとでもしたのだろうかと述べている。ヤマト2199のデスラーを非難する人は、旧作のデスラーがガミラス人の未来を考える大物だったのに対し、今作のデスラーは逆にガミラス人を殺し尽くそうとするとんでもない小物だと非難する。だがしかし、3章並びにこの4章の考察を踏まえれば、事はそんな次元の話ではないとハッキリ断言できる。

第23話の劇中においてデスラーはこのような言葉を口にした。

「ガミラスはその尊い犠牲を以て、古き衣を脱ぎ捨てる」
「偉大なるガミラスの未来のため」

これらの言葉は、ガミラス帝国が純血ガミラス人のみの帝国から多種族が統治に参加する、真の意味での世界帝国に生まれ変わるという宣言である。純血ガミラス人の枠組を超え、銀河を超えた共栄圏を築くために自らの利害しか考えないバレラスの民と家臣を犠牲にするという事なのだ。ヤマトなど事を為すための丁度いいきっかけに過ぎない。「バレラス消滅はヤマトのせい」とでも言っておけば、帝都に着いた基幹艦隊の将兵も納得するだろう。

これは最早、後世の人間でしか理解も評価もし切れない次元の話だろう。アレクサンドロスのマケドニア人粛清のように…。

ものすごく大きな毀誉褒貶はあるが、アレクサンドロスとデスラーは自らの夢と理想のために帝国建設に邁進していった。しかしアレクサンドロスは帝国の建設半ばで病死し、デスラーはヤマトのために生死不明となってガミラスから姿を消した。アレクサンドロスの帝国は彼の死後崩壊してしまうが、デスラーの帝国の場合はどうなるのだろうか?次章ではその事について想像と考察を行ってみよう。



【5. デスラーのいないガミラスはどうなる?――続編の可能性も含めて】

宇宙戦艦ヤマト2199 6 [Blu-ray]第25話においてデスラーは、乗艦が爆散して生死不明の状態となり、ガミラスから姿を消した。残されたガミラス帝国はどうなるのだろうか?もし続編が作られるならガミラスのその後は製作者の胸先三寸でいくらでも変わるが、ここでは筆者個人の想像でガミラスがどうなりそうか予想してみる事にしよう。

(その1)社会面での危機
まず確実にこうなるだろうと思われるのは、

「今までデスラーと親衛隊によって抑え付けられていた帝国の諸矛盾が、彼らがいなくなった事で一気に噴出する」

という事だ。ヤマト出現以来続いていた二等臣民の蜂起が、好機到来とばかりに一気に激化するだろう。なお深刻な事に、ザルツのような今まで忠実だった種族までもが反旗を翻すかもしれない。何故なら、デスラーがいなくなった事で二等臣民が自らの境遇を改善していける見込みはほぼ完全にゼロになったからだ。

「もはやいくら帝国に尽くしてもそれを認めてくれる人物はいない。いるのは自分達を侮蔑する純血ガミラス人達とその大臣だけだ。ジレル人のセレステラも、デスラーがいなくなるとあっという間に失脚してしまった。つまりは純血ガミラス人以外は出世の見込みは一切ないという事だ。こんな国に留まる理由がどこにある?戦うべき時が来たのだ――。」

ヒスとディッツが何もしなければこういう事になってしまいかねない。特にセレステラがいなくなった事はこれ以上ないくらい悪いメッセージを二等臣民達に与えたと思われる。

帝都バレラスも平穏ではいられないだろう。デスラーとその叔父に征服された公国の人間が独立を求めてテロ、ひどい場合は武装蜂起を起こすかもしれない。もう彼らに目を光らせていた恐ろしい親衛隊はいない。パンフレットに書かれていたようなガミラス人同士の内戦が三たび勃発する可能性が少なくないと思われる。

こういった純血ガミラス人や二等臣民の独立運動に、ヒスとディッツはどう対処するのだろうか?おそらくギムレーがやっていたのと大差ない事をするだろう。間違いなく死を覚悟しているであろう彼ら決起者達を懐柔して独立を諦めさせるのは、現実問題として無理だからだ。帝国を崩壊させたくなければ、再び恐怖政治で彼らを取り締まる一方で有用な者を一等臣民にするという、デスラーと同じ政策を採らざるを得ない。

だが、そうなったらそうなったで新たな問題が生じるだろう。二等臣民を支配エリートの一員に登用するような事をすれば、純血ガミラス人達の憤激を買うに違いないからだ。デスラーの場合は大小マゼラン統一の英雄という権威があったため皆内心はともかく彼の宥和政策に従い、あからさまに従わない者は親衛隊に粛清された。しかしデスラーのような権威も暴力装置も持ち合わせないヒスとディッツがこれを行えば純血ガミラス人達は黙っていないだろう。ゼーリックが行ったような暗殺事件や反乱が起こるに違いない。
(※ちなみに、日頃皆から「お飾り」とバカにされているヒスはともかく、ディッツも皆を従わせるだけの権威がないと書いたのは劇中の描写からの判断による。第22話でディッツが収容所惑星レプタポーダから別の収容所惑星へ向かった事を思い返してみよう。デスラーに反旗を翻した彼は何故そうしたのだろうか?それは兵を集めようにも軍司令官でも何でもなくなった彼の命令を聞いてくれそうなのが、決起したごく一部の者と同じ収容所の囚人くらいしかいなかったからに他ならない。もし彼に国軍将兵の広い信望があれば、彼は他の収容所惑星ではなくおそらくは小マゼランに向かい、小マゼラン方面軍を率いて帝都バレラスに進撃しただろう。そしてそれ以前の話として、親衛隊も国軍の反乱を恐れてディッツを拘束などできないはずだ。したがって、彼には純血ガミラス人の、特に一般将兵の反感を抑え付けるだけの人望はないと考えられる。)

結局、ヒスとディッツの新政権がこういった難局を打開するには自分達がデスラーに取って代わる存在である事を実力で示すしかないと思われる。つまり、いかなる形であれ政権に反旗を翻した者は問答無用の武力で鎮圧し、対外戦争で大きな勝利を収めて帝国内にその力を誇示する事だ。まるで戦国大名のような所業だが、それ以外の方法を筆者は思いつかない。だがこういった解決策を考える事自体空しいものかもしれない。肝心の新政権の軍事力がヤマトのせいで危機的状況に陥ってしまっているからだ。


(その2)軍事面での危機
旧作のようにヤマトによって滅ぼされなかったものの、ガミラスがヤマトから蒙った被害はきわめて甚大で、新政権は軍事力によって危機を乗り越えるどころか逆に滅亡の危機に直面すると考えられる。以下に詳述してみよう。

ヤマト2199におけるガミラスの軍事力、特に戦闘艦艇の総数については作中では明確に示されていないが、次のように想像することができる。

・18話で「基幹艦隊」と称する1万隻余の艦隊がバラン星に集結していたが、この艦隊は「基幹」という呼称から考えて、通常大マゼランに置かれ戦況に応じて小マゼランや銀河系に分派される戦略予備だと思われる。

・この戦略予備がガミラス全軍の1/3~1/4の数に相当すると仮定すると、作中で「帝国防衛の要」と称される小マゼランには1~2万隻、領土を拡大中の銀河系には1万隻の艦艇が配備されていると想像される。

これらの戦力のうち、基幹艦隊はヤマトによって壊滅した。残された3000隻も二等臣民達の反乱の鎮圧に忙殺され、小マゼランや銀河系に増援として派遣されることは最早できなくなるだろう。反乱の鎮圧は本来、親衛隊の艦隊の役割だが、親衛隊の艦隊がヤマトのバレラス襲来によって全滅してしまったため基幹艦隊がその代わりを勤めざるをえないからだ。つまり、ガミラスは戦争をする上での戦力の中心を事実上喪失してしまうことになる。

これに加え、ヤマトのバラン鎮守府破壊によってワープゲートネットワークが使用不能になり、帝国内の戦力の迅速な移動ができなくなってしまった。基幹艦隊がバラン星からガミラス帝星まで通常のワープ航法で3ヶ月を費やしていた作中の描写から考えても、仮に小マゼランへ援軍を送る必要がある場合、大マゼランからは3ヶ月、銀河系からは6ヶ月以上かかる。これでは戦いに到底間に合わない。この状態でガトランティスの大侵攻を受けたら小マゼラン方面軍は一体どうなってしまうのか。援軍が全く来ない以上、ディッツが小マゼランからの撤退を許可しない限り必ず小マゼラン方面軍は全滅してしまうだろう。

このように、ガミラスの軍事力は(ヤマトのせいで)もはやガタガタで、危機を乗り越えられるとは想像しがたい。デスラーのようなカリスマ性も才覚も持たないヒスとディッツの新政権は内乱と戦争によって遠からず滅亡すると考えられる。彼らに最後の引導を渡すのは、小マゼランに進入しようとしていたガトランティスということになるだろうが、ではガトランティスの大侵攻は実際にあり得るだろうか?次はそのことについて考えてみよう。


(その3)ガトランティスの台頭とガミラス滅亡?
ヤマト2199の世界においてガトランティスが登場するとしたら、その姿はどのようなものになりそうだろうか?もし旧作のヤマト2のように「利用価値があると認めた星は植民地化し、住民を奴隷にする」(※ヤマト2各話冒頭ナレーションより)のであれば、侵入を受けた大小マゼランの人間は揃って地獄を見るだろうが、彼らはヤマト2199の世界においても旧作のような恐るべき種族になり得るだろうか?筆者個人はその可能性は十分にあると思う。何故なら、彼らには奴隷の略奪を必要とする社会状況があると思われるからだ。

ガトランティスは8話のディッツのセリフによれば、「外宇宙から飛来し小マゼランに進入しようとしている蛮族」ということになっている。ガトランティス人はそのほとんど全員が船上か都市要塞で暮らしている事になるが、この生活スタイルには一つ大きな問題がある。それは

「船や都市要塞は有人惑星と比べて余剰の人間を養う空間と資源が非常に乏しい」

ということだ。兵士も労働者もやっていない、無駄に余っている人間が元々非常に乏しいため、何かの拍子に兵士が必要だ、働き手が必要だ、という状況になった場合にたちまち深刻な人手不足になってしまう。そのため、ガトランティスの社会は慢性的な潜在的労働人口の不足とその結果としての生産物の供給不足に悩まされていると考えられる。

こうした問題を解決する一番手っ取り早い方法は、

「戦争を仕掛けて物資と奴隷を略奪する」

事だ。特に奴隷は、働き手が必要になった時だけ調達し、いらなくなったら処分できる、ガトランティス人にとって非常に使い勝手の良い存在になるだろう。こうしたやり方は人道上問題があるが、歴史的には非常に盛んに行われていた事でもある。例えば匈奴やモンゴルを初めとする北方騎馬遊牧民はしばしば南方へ大規模な人間と物資の略奪を行ってきたが、それは彼らの住む高原が元々多くの人口を養えないため、慢性的な働き手の不足とそこから生じる日用品の生産不足に悩まされてきたからだ。

もしヤマト2199の続編でガトランティスが登場するとしたらその姿は匈奴、突厥、モンゴルといった遊牧帝国のようになるかもしれない。機動力と火力に長けた強大無比な軍隊を用い、国家ぐるみで奴隷と物資を得るために征服と略奪を繰り返す、という国家だ。長期間宇宙を放浪しているガトランティスにとって、ガミラスは自分達を潤してくれる豊かで魅力的な獲物であるに違いない。さらに言えば、小競り合いとはいえ小マゼランにおける戦いでドメル将軍によって少なくない人員を失っていると思われるので、なおさら大小マゼランを征服・劫略しようとする欲求は強くなっているかもしれない。ガトランティスからすれば、戦闘によって生じた人員不足を補うため、何としても大小マゼランへの侵入を成功させ、大量の奴隷を獲得したい所だろう。

ガミラスの征服と奴隷及び資源の獲得を可能にする戦力はガトランティスに存在するだろうか?ヤマト2199に出ていたガトランティス軍は巡航艦、駆逐艦、中型空母といった小さな船ばかりで構成され、大戦艦も大型空母もなかった上に兵力自体も小規模だった。ガトランティスにとってもガミラスとの戦争はまだ本腰でなかったのは明らかで、ガミラスに進攻しようと決意すれば大型艦を多数揃えた巨大な軍団が大小マゼランになだれ込んでくるのではないだろうか。

・・結局の所、ガトランティスの大侵攻は実際にあり得るだろうか?筆者個人の考えでは、ガミラスへのガトランティスの大侵攻は確実に起きると思われる。これまで書いてきた通り、デスラーがいなくなったガミラスは内乱に見舞われると考えられるが、この機会を果たしてズォーダー大帝が見逃すだろうか?ズォーダー大帝は旧作ヤマトではひとかどの大人物として描写されていたのを考えると、彼は確実にガミラスの窮状を見抜いてガミラスへの大侵攻を開始するのではないだろうか。小マゼラン方面軍は全滅し、大小マゼランはガトランティスの侵入を受け、住民達は劫略と奴隷狩りで文字通りの地獄を見ることになるだろう。純血ガミラス人も二等臣民も、独立派も純血ガミラス第一主義者も、立場に関係なく皆平等に地獄に突き落とされる結末を迎えてしまうだろう。


(その4)デスラー復権の可能性
これまでこの第5章では、ヤマト2199の25話でデスラーが生死不明となりガミラスから姿を消した後、ガミラス帝国がどうなるかについて想像してきた。その結果は次のような惨憺たる未来だった。

「二等臣民の反乱が激化し、ガミラス人同士の内戦が再び始まり、ついにはガトランティスの大侵攻を受けてガミラスは滅亡の危機に直面する。」

続編においてガミラスが滅亡をまぬがれ生きながらえるとしたら、どのようなシナリオが考えられるだろうか?

旧作ヤマトシリーズの「新たなる旅立ち」では、ガミラス星のあるサレザー恒星系で危機に陥ったデスラーとスターシャをヤマトが救おうとしていたが、ヤマト2199の世界では、ヤマトがガミラスを救援すると言う展開は考えにくい(というより非常に無理がある)。ガミラスと地球は講和条約を結んでいないためヤマトが救援する義理はない上に、救援に行ったところで無力だからだ。万単位の戦闘艦艇を有するガミラスを滅ぼそうとしているガトランティスは、当然数万の戦闘艦艇を擁する大軍団で侵攻しているだろう。ヤマトにできることは何もない。撃沈されるだけだ(ヤマトも数百隻の艦隊を相手にすれば撃沈されてしまうのはヤマト2199の15話で明確に描写されている)。

一番ありそうで無理のないシナリオは次のようなものではないだろうか。

「滅亡の危機に直面したガミラスに、死んだと思われていたデスラーが国軍や基幹艦隊の一般将兵の支持を手中にして復権し、ガトランティスを撃破して銀河系に追い払い、ガミラス第二帝国を築く」

つまりはデスラーが救国の英雄となるというものだが、23話でバレラスを破壊しようとしてバレラスの民の支持を失ってしまった彼が復権する事などできるだろうか?一見不可能なように思われるが、実のところその可能性は十分あると思われる。何故なら、基幹艦隊やガミラス帝星以外に駐屯する国軍の一般将兵のデスラーへの支持は失われていないと考えられるからだ。

この事について、例えば基幹艦隊の一兵士になったつもりで考えてみよう。バラン鎮守府を破壊し基幹艦隊に壊滅的損害を与えてガミラス帝星(実はイスカンダル)に向かっているテロン艦(ヤマト)を追って航行中、デスラー総統暗殺容疑で収監中のはずのディッツ提督より召還命令が来た。曰く、

「デスラー総統は死んだ。新政府の統治の下、ガミラス全軍はこれより私の指揮下に入る。バレラスに向け航行中の基幹艦隊は速やかにバレラスに帰投せよ」

兵士達は皆顔を見合わせることだろう。ゼーリックがバラン星で「総統が死んだ」と大嘘を言ったばかりだというのに、これは一体どういうことか?しかも、ディッツ提督は収監されているはずではないか。クーデターが起きたのか?とにかく、帝都に戻って確かめよう・・。

こうして、帝都に戻った将兵が見たのは破壊された第二バレラスに大穴の開いた総統府、撃墜された戦艦群に倒壊したビル群という惨状だった。聞けば、親衛隊艦隊の防御を突破したテロン艦が総統府に突入し、総統府と第二バレラスを破壊してデスラー総統は亡くなったという。ここで新政権が不用意に「デスラーはバレラスの民を裏切った。彼は第二バレラスの一部を落下させてヤマトをバレラスごと葬ろうとする暴挙を行ったが、ヤマトに阻止された」と言おうものなら兵士達はこのように言うのではないだろうか?

「それは結果的にそうなっただけで、テロン艦によって総統府と第二バレラスが破壊された事実に変わりはないでしょうが!! 大体、テロン艦が総統府に突入した時あんた達は一体何をしてた?戦うどころか総統を裏切り者呼ばわりとは何事か。怖気づいてテロン人と取引でもしたのか!?」

おそらく、一般将兵達は新政権がデスラーの裏切りを発表しても納得しないだろう。それどころか逆にそのような発表をした新政権の方を裏切り者と見なすかもしれない。ヤマトにより緊急脱出を余儀なくされたデスラーを裏切ったということだ。

このように、ヤマトのバレラス突入後も(バレラス以外の)一般将兵のデスラーへの支持は失われないと思われる。もしデスラーが生きて将兵達の前に現れれば、彼らは新政権ではなくデスラーの側につくだろう。さらに言えば、ガトランティスの大侵攻でヒスとディッツの新政権が大敗北を喫し、帝国が今まさに滅亡しようという状況を迎えた時にデスラーが現れれば、将兵は皆新政権を見限り、大小マゼランを統一した建国の英雄に全てを賭けようとするだろう。国軍の将兵の支持を得たデスラーは容易に帝国の玉座に戻ることができる。そしてガトランティスを撃退することができれば、彼は(バレラスを除く)帝国全土から救国の英雄として大きな支持を受けるようになるだろう。結果的にデスラーはヤマトのバレラス襲来以前よりも確固とした支持基盤を得る事になるかもしれない。

・・こうして、二等臣民の反乱激化とガミラス人同士の内戦、そしてガトランティスの大侵攻を迎えたガミラスがどういうシナリオでなら存続しうるかについて考えてきた。結論を言えば、デスラーが国軍将兵の支持を手中にして復権し、ガトランティスを撃退して銀河系に追い払い、ガミラス第二帝国を築くというシナリオが一番自然で無理がないように思われる。たとえ帝都バレラスの民の支持が失われていても、帝国滅亡の危機を迎えた将兵達が建国の英雄であるデスラーに全てを賭けて支持すれば彼は再び帝国の主として復権する事ができる。シナリオとして不自然なものには全くならないのではないだろうか。

もしこのシナリオで続編を映像化する場合、その姿は以下のような形になるだろう。


――まず、かつて旧作ヤマトシリーズの時代に企画され、結局日の目を見なかった「デスラーズ・ウォー」が続編映画としてリメイクされ、続いて銀河系を舞台にしたガミラス第二帝国とガトランティスの抗争劇に地球が翻弄される、旧作ヤマト2と3を合わせたような続編テレビシリーズが製作される――。


このシナリオは筆者個人が想像したものに過ぎないが、これなら旧作の「さらば」のように率いる艦隊も兵もない状態でズォーダーに拾われて使い走りになり、ヤマトに敗れて自殺するという情けない姿にデスラーがならずに済むし、ゲール艦隊の生き残り数十隻だけで旧作ヤマト2や3のようにガルマン部族を解放してガルマン・ガミラスを建国するという無理のある展開を考えずに済むように思うのだが、どうだろうか?

次はこの章の最後の締めくくりとして、デスラーがいなくなりガトランティスの大侵攻を受けるまでのガミラスの様子と、生存していたデスラーがとると思われる行動をシミュレーション(もどき)の形で記述してみることにしよう。


(その5)〈シミュレーション〉デスラーズ・ウォー:ガトランティス大侵攻まで~

 ――ヤマトのバレラス襲撃から3ヵ月後――

ヒスを首班とする新政権が発足してから3ヶ月が経過した。新政権は反デスラーの兵を集めるため大マゼランを放浪中だったディッツ提督をバレラスに呼び戻し、国軍の最高司令官に据えた。ガミラスはヒスとディッツの共同統治となり、統合の象徴としてイスカンダルのユリーシャ姫が迎えられた。新政権はデスラー総統の死を発表し、デスラーの拡大政策と「恐怖政治」を変えるべく以下のような施策を行っていった。


・帝都バレラスを破壊しようとした「デスラーの愚行」を発表し、新政権こそが帝都バレラスと純血ガミラス人の利益を守る存在である事を宣言する。

・拡大政策の休止。ヤマトによって大損害を被った基幹艦隊の再編が必要だったこと、ディッツ提督が元々拡大政策に乗り気でなかった事から、ガミラスは現在戦闘中である場所以外の征服活動を休止した。

・親衛隊の解体。帝都バレラスの民の怨嗟の的になっていた親衛隊と秘密警察を解体し、囚人を釈放する。

・情報部の解体。セレステラが逃亡して管轄するものがいなくなった情報宣伝省を廃止する。元々情報宣伝省はデスラー政権とその政策の正当性を宣伝する組織であったことから、新政権にとっては存続させるわけにはいかなかった。

・名誉ガミラス臣民の廃止。デスラーによって取り立てられた名誉ガミラス臣民達は精査の上一等臣民もしくは二等臣民に降格する。


帝都バレラスで新政権が政権の地固めを行うべく奮闘していた頃、デスラーはヤマトとの戦いで九死に一生を得て銀河系に向かい航行を続けていた。ヤマトに砲撃されて乗艦のデウスーラの艦体が爆散した際、爆発の圧力でコアシップ部分がちぎれて上方に吹き飛んだために艦橋にいたデスラー達は爆発に巻き込まれずに済んだのだった。半壊状態で亜空間内を漂流していたコアシップは、デウスーラと連絡をとるためにワープゲートに潜ったゲール艦隊の生き残り数隻によって救助された。救助したガミラス艦の医務室で、デスラー達(デスラーとヴェルテ・タラン、レクター艦長に女性衛士と親衛隊員)はゲール艦隊の艦長達から、ゲール少将が次元潜行艦によって殺された事を告げられた。そして、このように勧められた。

「裏切者の新政権は総統が死んだと発表しています。このまま帝都に帰っても偽者と決め付けられ殺される可能性が高い。ここは辺境の銀河系方面に向かい、捲土重来の機会を窺いましょう」

ゲール少将の乗艦を撃破した次元潜行艦がバレラスに帰投した後、残された艦隊の艦長達は相談の上、数隻がワープゲートに潜ってデスラーと連絡を取り、ワープゲートを稼動させた残りの艦艇は銀河系に移動して銀河系のガミラス基地で合流する事にしたのだった。デスラーは艦長達の勧めを受け入れた。デスラーは僅か30隻弱の艦艇を率い、ほとんどゼロからの再出発を始めた。


 ――ヤマトのバレラス襲撃から6ヵ月後――

新政権が平穏な時を過ごせたのは最初の半年だけだった。その後次から次へと帝国各地で反乱が勃発し、、ヒスとディッツ達はその対応に追われる事になった。反乱の中でもとりわけ政権にとって衝撃的だったのが、ガミラス帝星で大規模な武装蜂起が起きたことだった。親衛隊と秘密警察を解体したため、新政権はかつてガミラス帝星に存在したいくつもの公国の復興運動を察知する事ができなかった。しかも皮肉な事に、これらの蜂起には親衛隊により収監されていた市民や国軍将校の多くが関与している事が後に明らかとなる。親衛隊が病的なまでに不平分子の取締りを行ったのは、決してただの狂気ゆえのことではなかったのだ。

ガミラス帝星以外の領土の騒乱は、時間が経過するにつれて激しくなっていった。移民団が送り込まれた星では、移民達が船を強奪してバレラスに帰ろうとする動きが見られた他、原住民と戦争状態になる事例が多発した。移民達の多くが元々デスラーにより追放同然の形で移住させられた不平分子達だったため、デスラーがいなくなった今、彼らは武器を作り帝星政府に反旗を翻したのだった。

移民団の反乱と軌を一つにして、二等臣民の蜂起も激化していった。ザルツのような今まで帝国に忠実だった星でさえも反乱が起き、国軍の二等臣民の部隊でも暴動が起きるに及んでヒスも政策の失敗を直視せざるを得なくなった。ヒスは熟考を重ね、名誉ガミラス臣民の身分降格がいかに二等臣民達の怒りを買ったかについて考えを巡らせた。一等臣民より上の身分であった名誉ガミラス臣民を復活する事はできないが、二等臣民を一等臣民に登用する事はできる。騒乱を起こしている二等臣民達を懐柔するためには、やはりデスラーの行っていた二等臣民の登用を今一度行うべきではないか・・。

しかし、ヒスの提案は閣僚達の猛烈な反対にあった。

「いつ反乱を起こすか分からないどころか今現実に反乱を起こしている二等臣民達を登用するのは、囚人に武器を持たせるに等しい愚行ではないか!」

ディッツ提督もヒスに賛意を示さなかった。

「二等臣民には既に一定の権利を保障している。これ以上の優遇は無用」

結局、新政権は武力で持って国内の騒乱を一掃し、帝国の支配のタガを締めなおす方策を採用した。帝都バレラスに戒厳令を敷き、反乱を基幹艦隊に鎮圧させる。しかし、そのやり方は親衛隊のギムレー長官がやったような皆殺しを伴う徹底的なものではなかった。非情になりきれない、さりとて懐柔策も採らない彼らの中途半端な対応は反乱がいつまでも発生し続ける泥沼の状態を生じさせたのだった。

大小マゼランが内乱状態に陥りつつある頃、デスラーは銀河系のガミラス軍基地を巡回する日々を送っていた。基地の司令官達は皆デスラーが生きているのに驚き、そして口々に問いただした。

「総統、教えて下さい、バレラスで一体何があったのですか!? バラン鎮守府が破壊されて司令部と連絡が取れない状態が続いた後、帝星司令部から突然『総統が亡くなり、ヒス副総統首班の新政権が発足した』と通達が来ました。『ガミラス軍の全部隊はディッツ提督の指揮に従え』という命令もです。ディッツ提督は総統の暗殺容疑で収監されていたのではないのですか?しかも新政権は『総統はバレラスの民を裏切った』という声明を発表しました。司令部に説明を求めましたが、『総統はバレラスを破壊しようとした』の一点張りです。一体何が起きたのですか!?」

口々に説明を請う司令官達にデスラーはバレラスにバラン鎮守府を破壊したテロン艦が襲来して緊急脱出を余儀なくされた事、テロン艦によって総統府と第二バレラスが破壊され、その直後に新政権が発足し自分が死んだと発表した事を淡々と話して聞かせた。「では裏切ったのは新政権の方なのですね」と確認する彼らにデスラーは畳み掛けるように言った。

「私はテロン艦を撃破しようとした。バレラスを破壊しようとしたというのは結果的にそうなったという事に過ぎない。しかし私はテロン艦を撃破できなかった。その事が残念でならない」

デスラーの話を聞いた司令官達は皆一様に怒りの声を上げた。テロン艦と戦うどころか総統を裏切り者呼ばわりするとは何事か。新政権の者達は何と卑劣なのか!彼らは改めてデスラーに忠誠を誓い、その指揮下に入っていった。こうした一連のやり取りをタラン達は呆れると同時に驚きの目で見ていた。デスラーは事実と嘘を織り交ぜた巧みな会話で基地司令官と将兵の心を掴み、新政権の正当性をあっさりと否定してみせたのだ。新政権はバレラスを破壊しようとした「デスラーの愚行」を発表したが、それにはデスラーを悪として宣伝し、自らの正統性を訴えようとする意図があった。しかしデスラーはその政略をいとも簡単に覆したのだった。テロン艦による帝都の被害が伝えられると、将兵達の間で新政権こそが裏切り者なのだという認識が確固としたものになっていった。破壊された総統府や第二バレラスを見れば、テロン艦が総統を狙って襲撃したのは誰でも理解できる。そして総統がそのテロン艦と最後まで戦おうとしたのはコアシップの無残にも半壊した姿を見れば明らかだった。そこでヒス達新政権が「テロン人へのこだわりは、もうない」と言ってテロン人への軍事活動を休止したのを見れば皆どう思うだろうか?テロン艦に恐れをなしたヒス達が総統を裏切り、テロン人と取引したと疑うのが自然だろう。こうして、デスラーは銀河方面軍の指揮官や将兵を巧みに味方につけていった。

政略を駆使して味方を増やす一方、デスラーは各基地の将兵達を自ら閲兵して廻った。整列する将兵を一人一人自らの目で点検し、一人の点検を終え次に移る時、彼は必ずその兵士に微かな微笑を投げかけるのだった。その微笑は彼が重臣達に見せる冷たい笑顔とは全く違う、ドメル将軍のような忠臣にのみ見せた事のある穏やかで温かい微笑であるようにタランの目には見えた。そしてデスラーは兵士の立場に応じて正に適切な言葉を投げかける。一等臣民の兵には「君が私のために勇敢に戦ったなら、私は必ずそれに報いよう」と功名心をくすぐり、二等臣民の兵には「君は私が誇りに思うような立派なガミラス人だ」と語りかけ、驚く兵に畳み掛けるように「たとえ周りがそれを認めなくても私が認める。私は最後まで君達の味方だ」と語ってプライドをくすぐる。将官ばかりか兵士達一人一人の心をも確実に掴んでいくデスラーの姿に、タラン達は今更ながらに彼がガミラス帝国建国の英雄である事を思い出すのだった。


 ――ヤマトのバレラス襲撃から1年後――

デスラーが銀河系方面軍を掌握していった結果、一時はデスラー死去の報によって崩れかけた方面軍の規律は改善され、やがて精鋭部隊としての様相を呈するようになっていった。大小マゼランの状況は銀河系に転任してきた将兵の口から逐一デスラーにもたらされていた。いつ大マゼランに戻るか。混乱の度を深めていく大小マゼランをどう立て直すか。デスラーは一人熟考を重ねていた。

一方、帝政司令部は銀河系の状況に不審の目を向けるようになっていた。大小マゼランと違い銀河系方面では大きな反乱の報はもたらされていない。情勢が安定している銀河系から兵力を転用しようとすると、指揮官達はこぞって反乱が起きかねない不穏な情勢を訴え、再考を求める通信を送ってくる。状況報告を命じると決まって要領を得ない回答をのらりくらりと送ってくるのだった。こうした中、ある告発が帝政司令部の元にもたらされた。「兵士達の間で、実はデスラーが生きているという噂が広まっている」というものだった。銀河系方面軍は将兵にデスラーの生存を秘密にするよう緘口令を敷いていたのだが、大マゼランに帰郷した兵士の口から徐々に噂が広まっていたのだ。新政権は驚愕し、もとより疑いの目を向けていた銀河系方面軍に通達を出した。

「デスラーを僭称するものを探し出し、処刑せよ」

しかし、新政権はこの命令の結果を見届ける事はできなかった。程なくもう一つの驚愕すべき知らせがもたらされたからだ。

「小マゼランに未曾有の規模の蛮族軍が侵入、当方面軍は現在これと交戦中!」

同じ頃、銀河系方面軍に2つの命令が通達された。一つは偽デスラーの捕縛・処刑命令、もう一つは銀河系方面軍の大マゼランへの移動命令である。特に2つ目は第一級の優先命令であり、非常事態であることが文面からも読み取れた。

2つの報に接し、しばらくの間熟考した後、デスラーは命じた。

「時は来た。これより銀河系方面軍の全軍を以って大マゼランに出立する」
「銀河系には通信隊を残置する。帝星司令部に伝えよ、『銀河系方面にてデスラーを僭称するものによる大規模な反乱が発生した』とな」

     
 ---〈シミュレーション〉デスラーズ・ウォー:了 ---

・・この第5章では、デスラーがいなくなった後のガミラス帝国のその後を想像し、その想像を踏まえた上であり得るかもしれないヤマト2199の続編の姿を中途まで提示してみた。「デスラーズ・ウォー」においてこの後大小マゼランがガトランティスによってどうなってしまうのか、そしてデスラーがどのようにガトランティスと戦い自らの帝国を再び築き上げていくのかについてこうなるのではないか、という想像を筆者はする事があるが、それはまた別の機会に語るべきように思われる。次の最後の章では、ヤマト2199によって極めて複雑な顔を持つようになったデスラーの人物像について、筆者個人の感想を書いてこの文章を締めくくりたいと思う。



【終わりに:これから大きく変貌しうるデスラーの人物像について】

宇宙戦艦ヤマト2199 7 (最終巻) [Blu-ray]旧作シリーズからヤマト2199に至るまで、デスラーほどキャラクターが大きく変化していった人物も珍しい。旧作シリーズにおいてデスラーは、第1作では子供アニメの典型的な悪の帝王として描かれ、ヤマト2では復讐鬼となり、新たなる旅立ちで初めてスターシャや故郷ガミラスへの愛が描写されて指導者としての側面が付与され、それ以降は帝王としてよりは武人として描かれるようになっていった。ここまで大きく変化した人物像を集大成させたと思われるヤマト2199のデスラーは、最初からいくつもの顔を持つ多面的な人物になっていた。宇宙の恒久平和を実現させようと本気で考えるロマンチストでスターシャへの愛のためにそれを為そうとする純粋な人間。それでいて人間を見下し、権謀術数を駆使して夥しい数の人を容赦なく殺す残忍さ。神の視点を持つ観客ですら理解できない殺戮行為を行おうとし、それでいてその罪を背負おうとするちぐはぐさ。こういった矛盾に満ちた人物像は、筆者にはアレクサンドロスを始めとする歴史上の多くの帝王と共通しているように思われた。

アレクサンドロスやアウグストゥス、秦の始皇帝などはいずれも人によって極端に評価が異なり、伝記や物語を見ても例外なく矛盾だらけの人物像が出てくる。彼らが善良な人間であったと書かれることは絶対にないが、その割には理想を語って人を魅了したり、孤独に苦しんだりと悪人らしからぬ人間として親しみが持てる描写が出てくる。こういった矛盾だらけで同時代の常人には全く理解し難かったであろう人物像が、ヤマト2199のデスラーと重なり合って筆者には見えた。

仮に続編があるとしたらデスラーはどのような人物になっていくのだろうか?可哀想な用心棒として生を終えてしまうのかもしれないし、大帝国を築いていく大河ドラマのような帝王になるのかもしれない。一つ言えるのは、もし彼が帝王になっていくとしたら彼は日本のアニメ史においても非常に珍しい存在になると言う事だ。何故なら、大河ドラマのような帝王の物語が描かれるのは日本のアニメでは殆どないと思われるからだ。異種族同士の理解と和解というテーマが提示されたヤマト2199の世界において、デスラーは描きようによっては世界帝国を完成させたアウグストゥスのようになり得る。ズォーダーに雇われる悲しい用心棒からそれこそ日本のアニメ史上最大の英雄までデスラーの人物像は変わる可能性を持っている。

ひょっとしたら続編が作られるかもしれない2014年の時点において、デスラーは最も大きな可能性を秘めたキャラクターであると言えるのではないだろうか?

(補論「イスカンダルの王権とデスラーの人物像について」につづく)

宇宙戦艦ヤマト2199』  [あ行][テレビ]
総監督・シリーズ構成/出渕裕  原作/西崎義展
チーフディレクター/榎本明広  キャラクターデザイン/結城信輝
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/菅生隆之 小野大輔 鈴村健一 桑島法子 大塚芳忠 山寺宏一 麦人 千葉繁 田中理恵 久川綾
日本公開/2012年4月7日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー] [戦争]
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【theme : 宇宙戦艦ヤマト2199
【genre : アニメ・コミック

tag : 出渕裕 西崎義展 菅生隆之 小野大輔 鈴村健一 桑島法子 大塚芳忠 山寺宏一 麦人 千葉繁

『宇宙戦艦ヤマト2199 第七章 そして艦は行く』 西崎義展かく語りき

 『宇宙戦艦ヤマト』第1テレビシリーズが当初の予定どおり39話まであったなら、古代進の兄・守はキャプテンハーロックとして登場するはずだった。
 テレビシリーズは全26話に削られてしまいこの構想は実現しなかったが、松本零士氏の手によるマンガ版では、ヤマトを助けるキャプテンハーロックを見ることができる。
 旧作で未使用に終わった構想の数々を実現させた『宇宙戦艦ヤマト2199』でも、さすがにこれはやらないだろうと思っていたら、古代守がキャプテンハーロックの親友トチローとなって出てきたのには驚いた。

 『宇宙海賊キャプテンハーロック』のトチローはすでに故人となっており、海賊船アルカディア号の中枢大コンピューターにその意志と記憶を留めている。そのためアルカディア号は、乗組員の操作とは関係なくトチローの意思で動くことがある。
 古代守もまた、イスカンダルの技術によりその意志と記憶が保存され、コスモリバースシステムを通してヤマトと一体になった。
 最終章となる『宇宙戦艦ヤマト2199 第七章 そして艦は行く』で持ち出されたまさかのハーロックネタには、見事に一本取られてしまった。

 第1テレビシリーズの第1話をきわめて忠実に再現した『宇宙戦艦ヤマト2199』は、回を追うごとに旧作から乖離していった。それは嬉しい計らいでもあり、ファンは旧作の素晴らしさを思いつつ、新作の驚くべき展開を楽しんだ。
 それでも乖離が大きくなるにつれ、本作がどのように終わるのか、期待とともに不安を募らせる人もいたに違いない。
 しかし、最後の第23~26話は、古代守の意表を突いた登場で楽しませながら、再び旧作の世界に収束した。旧作をきわめて忠実に再現した幕切れに、ファン諸氏は『宇宙戦艦ヤマト』第1テレビシリーズを見終えたときのような感慨を抱くだろう。
 本作が旧作から離れたように見えたのは、旧作とは違うことをするためではなく、別の味付けをするのでもなく、あくまで旧作と同じ内容を語り直すためであったのだ。

 旧第24話で、ガミラスを滅ぼした古代進は「我々がしなければならなかったのは戦うことじゃない。愛し合うことだった。」と口にする。
 『宇宙戦艦ヤマト』の中でもとりわけ印象深く重要な言葉だが、旧作ではあまりにもストレートで唐突なセリフだった。
 本作で作り手が取り組んだのは、このセリフの意図するものを、物語を通して受け手に感じてもらうことだった。旧作からの乖離に見えたことすらも、すべてはそのためだろう。

 本作の鍵となるものに、波動砲の扱いがある。
 『スター・キング』のディスラプターをはじめ、SFにはしばしば一撃で敵を壊滅させる最終兵器が登場する。ウルトラマンのスペシウム光線にしろ、眠狂四郎の円月殺法にしろ、ヒーローに必殺技はつきものであり、旧ヤマトの波動砲もその流れの一つだろう。
 だが本作では、波動砲が波動エンジンの悪しき使い方であると説明される。
 ディスラプターのような最終兵器と異なるのは、波動エンジンが平和利用に貢献している点だ。それは莫大なエネルギーを供給して人々の役に立つ反面、使い方によってはたいへん危険な兵器にもなる。いずれにせよ、人々の叡智を結集し、慎重な手つきで扱わねばならないもの。これはもちろん原子力のメタファーだ。
 都市を丸ごと破壊する遊星爆弾や、放射性物質による汚染という旧作の設定が、原子爆弾をイメージしているのは明らかだろう。
 ここから一歩踏み込んで、本作は爆弾を*落とされる*とか、*汚染される*といった被害者的なアプローチではなく、みずからが扱い方を問われる当事者として原子力と向き合うことを迫っている。

 それを考えさせるのが、第24話「遥かなる約束の地」において波動エネルギーを兵器にしたことを理由にコスモリバースシステムの引渡しを拒まれる驚愕の展開であり、イスカンダルとの条約にしたがい封印されてしまう波動砲だ。
 はたして波動エネルギーを兵器に転用したのはやむを得ないことだったのか、その使い方は本当に適切だったのか。
 日ごろ必殺技を繰り出すヒーローに快哉を叫ぶ私たちは、ここに至ってその心の奥底にあるものを直視させられる。


 こうして「我々がしなければならなかったのは戦うこと」かを問う一方で、本作はまた「愛し合うこと」を描く。
 古代進と森雪の愛、古代守とスターシャの愛、デスラーのスターシャへの愛、セレステラのデスラーへの愛……その多重奏は、愛とロマンと冒険心をテーマにした『宇宙戦艦ヤマト』の終章に相応しい。
 第七章の劇伴では、『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』に収められた名曲「明日への希望 ~夢・ロマン・冒険心~」が再現され、ヤマトの旅の終わりを飾る。故西崎義展プロデューサーは、この曲にヤマトのテーマが込められているとして、ライナーノートで次のように語っている。
 「少年よ、ロマンを持ち冒険心を持て、少女よ、愛を持ち夢を持て、いつまでもそれを忘れることなかれ」

 冒険心は旧作以上に強調され、沖田艦長の戦術は積極的なものに変わった。
 旧作の沖田艦長は、しばしば敵の前で逃げ出した。それは旧第1話の「明日の為に今日の屈辱に耐えるんだ」というセリフのとおり、単なる勇猛さよりも思慮深さに重きを置いた行動だった。
 けれども本作の沖田艦長は、「死中に活を求める」考えで難局に飛び込んだ。もちろんその判断が適切であると納得できる描写はあるが、旧作に比べるとそのスタンスは明らかに違う。
 このように冒険心を強調するのは、高度経済成長の勢いが残る旧作の放映時期と、失われた20年とも30年とも云われ、やがて日本が先進国から脱落することも懸念される本作の時期との違いからだろう。
 現代は、明日のためにこそ大胆に踏み出すことが求められているのだ。


 愛を体現するのは古代進と森雪だが、宇宙を戦禍に巻き込んだデスラーでさえその動機は愛であった。
 波動エネルギーの威力により宇宙を武力制圧したイスカンダルが、その過去を恥じてあまねく知的生命体を救済し、全宇宙に平和をもたらそうと願ったとき、スターシャの夢を叶えるべくデスラーが取った方法は、やはり武力による制圧だった。
 残念ながらデスラーの考えは正しい。

 1954年、オクラホマ大学は11歳の少年たちを集めてある実験をした。過去に面識がない少年たちをロバーズ・ケイブ州立公園に集めてサマーキャンプを開催し、集団が形成される過程を観察したのだ。
 実は少年たちの集団は二つあった。
 他の集団が存在することに気付いた少年たちは、互いに敵愾心を剥き出しにした。彼らは過去に面識がないのだから、何の恨みも因縁もない。けれども彼らは、集団内の結束を固める一方で、他の集団とは暴力沙汰も辞さないほど激しく対立した。
 ロバーズ・ケイブ実験と呼ばれるこの件は、人間が自分たち以外の集団には敵対せずにいられないことを示している。

 小さな集団を超越し、争いを抑える仕組みが国家である。
 2010年から起こったアラブの春は、リビアをはじめとする独裁政権を崩壊させた。これにより民衆は独裁者の圧制から解放されたかもしれないが、同時に力で抑え込まれてきた過激派集団も「解放」され、テロ活動が激化している。
 国家とは、人々から「暴力を振るう自由」を取り上げ、軍隊や警察等に集約させたものである。
 国同士の戦争を見て、国家の存在が戦争の原因だと考える人がいるけれど、国家は域内の暴力を独占し、人々が勝手に争うことを抑制しているのだ。
 国同士の争いを防ぐには、より大きな帝国が個々の国の軍隊等を押さえつけ、戦争の自由を奪うのが一つの解だ。ローマ帝国が地中海世界を支配して実現したパクス・ロマーナ(ローマの平和)がその例だろう。
 本作においても、ガミラスに支配されたザルツ星のシュルツは、地球人の抵抗に接して「素直に降伏すれば我々のように生きる道もあったものを」とつぶやいた。併せて被支配惑星の民がデスラーを熱狂的に支持する様子も描かれている。

 けれども、大帝国による支配が必ずしも人々にとって幸せとは限らない。

 デスラーの目的は宇宙を平和にすることではなかった。
 スターシャのために宇宙の制圧に乗り出していたデスラーは、自分の想いがスターシャには永遠に届かないと悟ったのだろう、彼女への愛の象徴である青い鳥をみずから殺してしまった。彼がスターシャの妊娠を知っていたかどうかは不明だが、スターシャの心が地球人の青年に奪われてしまったことには気付いていたのかもしれない。
 スターシャに平和な宇宙をプレゼントする夢を捨てたデスラーは、地球人の船を撃破し、ガミラスとイスカンダルの統合――すなわち両星の支配者が一つになることを無理に推し進めようとする。
 もはや彼にとっては、ガミラス臣民の命運でさえどうでも良いのだった。

 一方のスターシャも、全宇宙の知的生命体を救済する使命感が揺らいでいた。
 星の想いを封じたエレメントを触媒にして、星を再生させるコスモリバースシステム。そのエレメントには、地球を想う古代守の「心」こそが相応しい。
 古代守と別れたくないスターシャにとって、ヤマトが波動エネルギーを兵器に転用したことは、コスモリバースシステムの引渡しを拒み、守をそばに留める格好の言い訳だった。
 ここにも愛ゆえの苦悩がある。

 旧第23話「遂に来た!!マゼラン星雲波高し!!」と旧第24話「死闘!!神よガミラスのために泣け!!」におけるガミラスの本土決戦を、本作では第23話「たった一人の戦争」にまとめ、旧第25話「イスカンダル!!滅びゆくか愛の星よ!!」のイスカンダル滞在記を第24話「遥かなる約束の地」で描いた。
 このように旧作の複数話を1話にまとめて、物語のテンポを速めることはこれまでにもあった。
 逆に1話のエピソードを複数話に広げることはしなかった本作が、はじめて旧作の1話を分割したのが最終話だ。

 旧第26話「地球よ!!ヤマトは帰ってきた!!」を、本作ではデスラーの雪辱戦を描く第25話「終わりなき戦い」と、森雪の復活を描く第26話「青い星の記憶」に分けている。
 さらに、旧第26話の肝であった森雪が古代のためにみずからコスモクリーナーDを操作して犠牲となる展開は、第23話で森雪が第二バレラス破壊の犠牲になろうとするシークエンスに発展させている。
 最終話から戦闘シーンを取り除き、加藤三郎と原田真琴の結婚式や、古代守の進への愛情を交えた話にすることで、第26話は長い物語の終幕らしい余韻のある回になった。
 そして何より、旧作と同じく古代進の森雪への想いを丁寧に描写して、本作が愛の物語であることを強調している。

 森雪のなきがらを前にした古代進のモノローグ。地球を目にした沖田艦長が迎える死。
 本作は最後に旧作の流れをほぼ忠実になぞり、懐かしい『宇宙戦艦ヤマト』へと還ってきた。
 旧来のファンは、昔と同じ感慨を再び覚えることだろう。本作ではじめてヤマトを知った人も、同じ感慨を抱くに違いない。
 歳月をこえて、世代をこえて、『宇宙戦艦ヤマト』の感動が私たちの胸に迫る。

 必ずここへ帰って来るとの約束は、今こうして果たされた。
 ヤマトの前に浮かぶ赤茶けたちっぽけな星は、私たち人類が宇宙の中の小さな集団でしかないことを示している。
 ロバーズ・ケイブ実験には続きがある。
 激しく対立し、大乱闘になるほど険悪だった少年たちの集団は、協力しなければ解決できない大きな困難を経験することで関係が変わっていった。二つの集団の全員が力を合わせてトラブルを乗り越えるうちに、対立は影を潜め、良好な関係が築かれたという。
 ヤマトの乗組員とともに33万6千光年を旅した私たちは、天の川銀河の端っこにある地球が、人間同士で反目しあうほど大きな世界ではないと感じていよう。
 地球の青さを保つには、全員の力を合わせる必要があることも。


 そんな感慨とともに、この物語を送り届けてくれたすべてのスタッフ・キャストに心からの感謝を捧げたい。
 劇場で一緒に拍手した多くの方々、本作について語り合えた方々、新旧ヤマトを愛するすべての方々にも「ありがとう」と伝えたい。


宇宙戦艦ヤマト2199 7 (最終巻) [Blu-ray]宇宙戦艦ヤマト2199 第七章 そして艦は行く』  [あ行][テレビ]
第23話『たった一人の戦争』 脚本/森田繁 絵コンテ/樋口真嗣、出渕裕 演出/別所誠人
第24話『遥かなる約束の地』 脚本/大野木寛 絵コンテ/佐藤順一 演出/蛭川幸太郎
第25話『終わりなき戦い』 脚本/村井さだゆき 絵コンテ/大倉雅彦 演出/大倉雅彦、野亦則行
第26話『青い星の記憶』 脚本/出渕裕 絵コンテ/京田知己 演出/榎本明広

総監督・シリーズ構成/出渕裕  原作/西崎義展
チーフディレクター/榎本明広  キャラクターデザイン/結城信輝
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/菅生隆之 小野大輔 鈴村健一 桑島法子 大塚芳忠 山寺宏一 麦人 千葉繁 田中理恵 久川綾
日本公開/2013年8月23日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー] [戦争]
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【theme : 宇宙戦艦ヤマト2199
【genre : アニメ・コミック

tag : 出渕裕 西崎義展 菅生隆之 小野大輔 鈴村健一 桑島法子 大塚芳忠 山寺宏一 麦人 千葉繁

『宇宙戦艦ヤマト2199 第六章 到達!大マゼラン』 彼らは442だった!

 遂に公開された第六章には深く考えさせられた。

 『宇宙戦艦ヤマト2199 第六章 到達!大マゼラン』が面白いのは判りきっている。なにしろシリーズ最大の見せ場ともいえる、七色星団の決戦が描かれるのだ。つまらないわけがない。
 三隻の多層式航宙母艦と戦闘航宙母艦、そしてドメル上級大将の乗艦ドメラーズIII世からなるドメル機動部隊の姿は、旧作のドメル艦隊に勝るとも劣らない勇ましさだ。特殊削岩弾(旧ドリルミサイル)や物質転送機(旧瞬間物質移送器)もしっかり再現し、ドメル及びヤマト双方の砲撃戦や、艦載機による空中戦は本当に大迫力で、まばたきするのも我慢して目を見開き続けた。

 あえて七色星団海戦の残念なところを挙げるとすれば、第19話『彼らは来た』と第20話『七色の陽のもとに』だけで終わってしまうことだろう。
 旧作でも第21話『ドメル艦隊!!決死の挑戦状』と第22話『決戦!!七色星団の攻防戦!!』の2回で決着がついてしまうから旧作の構成に忠実ではあるのだが、できれば胸躍る大海戦を4回くらいは観たかった。
 ともあれ待ちに待ってた七色星団海戦は、期待を裏切らない面白さだ。

 しかも、旧作にはない意外な展開も用意されている。
 それがザルツ星義勇兵の襲撃だ。
 旧作におけるガミラス人の肌の色が途中から変わったことを逆手に取り、肌の青い一等ガミラス人とそれ以外の二等ガミラス臣民の設定を考案したのは、洒落たやり方だと思っていた。
 肌の青いシュルツやガンツなんて見たくはないし、さりとてシュルツやガンツを旧作と同じく肌色にしたらガミラス人の体色の統一が取れない。二等ガミラス臣民という設定は、そういう不都合を解消するための苦肉の策だ、くらいに考えていた。
 ところが、ガミラスに肌色の人間がいることを活かしてヤマト潜入の特殊部隊を編成するとは、完全に一本取られてしまった。そこまでこの設定を活用してくるとは思いも寄らなかった。
 というわけで、本作ではドメル機動部隊との激戦と並行して、ヤマト艦内の作戦行動が描かれる。

 しかも、そこで襲われるのは森雪だ。
 旧作において森雪とサーシャが瓜二つだったこと(松本零士氏の描く美女がみんな同じ顔をしていること)をこれまた逆手に取り、本作では「森雪=イスカンダル人」疑惑を展開して楽しませてくれた。
 けれども、このことはそれだけのネタだと思っていた。
 ところが、森雪がイスカンダル人としてガミラス部隊の標的になるとは、いやはや一粒で二度も三度もおいしい思いをさせてくれる作り手たちの手腕に恐れ入るばかりだ。

 これだけでも第六章には大満足なところだが、私が考えさせられたのはザルツ星義勇兵たちの部隊名をパンフレットで確認したからだ。
 ザルツ星義勇兵B特殊戦軍第442特務小隊!
 これが彼らの呼び名だった。
 そうか、彼らは442だったのか……。
 大海戦の迫力に興奮気味だった私は、冷水を浴びせられたように感じた。

 そしてまた第22話『向かうべき星』で女性たちがパフェを食べながら他愛ない会話を交わすシーン――『宇宙戦艦ヤマト2199』には場違いとも思えるコメディシーンが必要な理由に気が付いた。
 影のあるキャラクターとして登場した山本玲がパフェなんぞを頬張り、続々登場する女性キャラと恋愛バナシに花を咲かせるシーンなんて、戦う男の燃えるロマンを期待する私には不要に思われたのだが、これこそ本作のテーマを語る上で重要なものだったのだ。


 442――それはアメリカ史上最強と云われる陸軍部隊である。
 米国陸軍の第442連隊戦闘団は、第二次世界大戦において華々しい戦果を上げた。フランス東部の街ブリュイエールでは、ドイツ軍から解放した442連隊を記念して通りに「第442連隊通り」と名付け、今も街の住民は感謝の言葉を口にする。
 テキサス大隊がドイツ軍に包囲され、誰もが救出に失敗してテキサス大隊を諦めざるを得ないと思われたときも、442連隊はドイツ軍の包囲を打ち破ってテキサス大隊を助け出した。この不可能とも思える任務の遂行は、映画『プライベート・ライアン』のモチーフであるとも云われる。
 442連隊は18,000近くの勲章や賞を受けており、活動期間と規模からすれば米国陸軍史上もっとも多くの勲章を受けた部隊だそうである。

 第442連隊戦闘団は、なぜそれほどの戦果を上げられたのか?
 それは彼らの戦い方が尋常ではなく勇猛だったからだ。
 彼らは211人のテキサス大隊を救出するために216人の戦死者を出し、手足を失う等の重症者を600人以上出している。
 彼らは犠牲を厭わず戦い、テキサス大隊の救出を含めた2ヶ月ほどのあいだに約2,800名の兵員が1,400名にまで減少してしまう。

 では、なぜ彼らはそれほどの犠牲を出しながら戦い続けたのだろうか?
 それは彼らが日系人だったからだ。 
 すずきじゅんいち監督のドキュメンタリー映画『442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍』には、何人もの442連隊の生き残りが登場し、当時のことを語っている。
 日米間で戦争が勃発すると、米国に住む日系人と日本人移民は強制収容所に入れられた。有色人種に対する偏見も強かった時代である。
 米国市民たる彼らは、日系人だってアメリカを愛していることを体を張って証明する必要があった。
 かくして日系アメリカ人のみからなる第442連隊戦闘団が編成され、ヨーロッパ戦線で未曽有の活躍をするのである。

 ガミラスにおいて二等臣民と見下され、義勇兵としてあえて危険な任務に就くことで忠誠を示そうとしたザルツ人たちの第442特務小隊。
 これはそのまま日系人の姿なのだ。

 以前、当ブログにコメントをいただいたように、旧作のガミラスは米国になぞらえている。その意匠や人名はドイツ第三帝国風ではあるものの、超強力爆弾で都市を破壊し、圧倒的な戦力で大和を包囲する巨大国家は、米国以外の何者でもない。
 20世紀の日本が戦争した主な相手は中華民国であり、米国は日中戦争の最後の方で中華民国に加勢しただけなのだが、米国との激しい戦いの印象から日本人は米国との戦争に負けたように感じている。[*]
 そのイメージが旧作の制作時にも投影されたのだろう。

 だから『宇宙戦艦ヤマト2199』におけるガミラス人のマイノリティが、日系アメリカ人を模して描かれるのはあながち筋違いではない。
 それどころか、もしも第442連隊戦闘団がヨーロッパ戦線ではなく太平洋戦争に投入されていたら……。悲壮なザルツ星義勇兵の姿に、そんなことを考えずにはいられなかった。
 戦争がいかなる悲劇を引き起こすのか。第442特務小隊のエピソードはそれを端的に表している。

 宇宙葬のシーンが旧作と異なるのもそのためだろう。
 七色星団で多くの犠牲者を出したヤマトは、旧作でも宇宙葬を行っていた。このとき沖田艦長は「地球のために命を賭けた、すべての勇士に送る。君たちの心は我々の心に蘇って明日の地球の力となるだろう。我々は君たちを決して忘れはしない」と弔辞を述べている。この宇宙葬はあくまで地球人のために行われたものだ。
 『宇宙戦艦ヤマト2199』でも宇宙葬が営まれるが、旧作と大きく異なるのはザルツ人も一緒に葬られることだ。
 ヤマトにとっては敵国人であるガミラス兵を、地球人と同じく丁重に葬ってやる。旧作にはないこの扱いから、『宇宙戦艦ヤマト2199』が訴えるものが伝わってくる。

 だからこそ、パフェを食べるシーンが重要なのだ。
 山本玲とメルダ・ディッツとユリーシャ・イスカンダル――すなわち地球人とガミラス人とイスカンダル人が席を並べて仲良く会話に興じる。そこには敵も見方も、身分の上下もない。
 それこそ『宇宙戦艦ヤマト2199』の作り手が目指す世界だ。

 『宇宙戦艦ヤマト』及びそのリメイクである『宇宙戦艦ヤマト2199』は、戦艦大和をモチーフにした戦争ドラマであり、ややもすれば好戦的なナショナリズムをかき立てることになりかねない。
 それだけに作り手には慎重さと配慮が求められよう。
 旧作の第24話で古代進が「我々がしなければならなかったのは戦うことじゃない。愛し合うことだった。」と口にするのはその配慮の表れだ。
 だが、さんざんガミラスと戦っておいて後から出てきたこのセリフは、いかにも唐突に感じられる。

 それを『宇宙戦艦ヤマト2199』の作り手も判っているのだろう。
 旧作での古代進のセリフの趣旨を作品の中に散りばめて、唐突にならないように腐心している。
 その一つがパフェを食べるシーンなのだ。

 これ以上の戦闘はやめようと沖田艦長から呼びかけられたドメルが、旧作では「ガミラスの命運」がかかっていることを理由に拒むのに対し、本作では「死んでいった部下のために」戦いはやめられないと述べるのも、ナショナリズムを緩和するためだろう。


 また、本作ではガミラスを米国の暗喩とすることも緩和している。
 米国の第442連隊戦闘団を模したザルツ人の登場は米国らしさの強調のように感じられるが、第六章はそう単純ではない。
 そのキーとなるのが各話のサブタイトルだ。

 第19話のサブタイトル『彼らは来た』は、ナチス親衛隊出身のパウル・カレルがノルマンディー上陸作戦をドイツ側から描いたドキュメンタリー『彼らは来た―ノルマンディー上陸作戦』(1960年)を踏まえてのものだろう。ということは、ガミラスがドイツとして位置付けられるだけでなく、なんとヤマトが米国の位置付けになるわけだ。
 この回のガミラス国歌「永遠に讃えよ我が光」の歌声を聴くと、観客はすっかりガミラス側に感情移入してしまうはずだ。

 こうして地球対ガミラスを単純に日米戦争とみなすことを否定した上で、第20話『七色の陽のもとに』に突入する。
 パンフレットで氷川竜介氏が述べているように、七色星団の決戦は第二次世界大戦のミッドウェー海戦を参考にしたものだ。大日本帝国はこの戦いで航空母艦4隻を失い、致命的な損害を被る。航宙母艦4隻を失うドメル機動部隊は、ここでは大日本帝国海軍なのである。
 つまり第20話のガミラスは日本であり、ヤマトはやはり米国に位置付けられる。
 けれどもそれだけではない。
 サブタイトル『七色の陽のもとに』は、もちろんポーランドのスタニスワフ・レムが執筆した『ソラリスの陽のもとに』(1961年)が元ネタだ。この小説が書かれた頃のポーランドは、ポーランド統一労働者党が支配する社会主義国だった。

 続く第21話のサブタイトル『第十七収容所惑星』は、ビリー・ワイルダー監督の映画『第十七捕虜収容所』(1953年)とソビエト連邦(現ロシア)のストルガツキー兄弟が執筆した『収容所惑星』(1969年)を掛け合わせたものだろう。
 『第十七捕虜収容所』はドイツの捕虜収容所から脱走しようとするアメリカ兵を描いた作品で、第21話冒頭の2人の捕虜が射殺されるシークエンスはこの映画にならっている。
 だが、第21話の主眼が圧制の恐ろしさである点で、ソビエト連邦の『収容所惑星』も念頭に置くべきだ。

 第20話、第21話と連続で旧社会主義国を指し示すサブタイトルにすることで、本作はガミラスという国家にドイツでも米国でもない新たなニュアンスを吹き込んだ。
 長年にわたり一党独裁を続け、思想・言論を制限した社会主義国家群(いわゆる東側陣営)
 『宇宙戦艦ヤマトIII』のボラー連邦はソビエト連邦を思わせるものだったが、本作ではガミラスが社会主義国のようなカラーを帯びた。

 ドイツ第三帝国や大日本帝国は、対外戦争に敗れることで終焉を迎えた。
 だが社会主義国の多くは体制を拒否した国民の手で倒された。
 国家の命運は、他国との戦いにかかっているばかりではないのだ。


[*] 與那覇潤氏は70年前の「あの戦争」を「日中戦争とそのオマケ」と呼んでいる。詳しくは以下の文献を参照されたい。同書では、世界で一番成功した社会主義国が東側陣営ではなく日本であることも説明している。
   與那覇潤 (2011) 『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』 文藝春秋


宇宙戦艦ヤマト2199 6 [Blu-ray]宇宙戦艦ヤマト2199 第六章 到達!大マゼラン』  [あ行][テレビ]
第19話『彼らは来た』 脚本/森田繁 絵コンテ/羽原信義 演出/羽原信義
第20話『七色の陽のもとに』 脚本/森田繁 絵コンテ/出渕裕 演出/別所誠人
第21話『第十七収容所惑星』 脚本/村井さだゆき 絵コンテ/片山一良 演出/中山勝一
第22話『向かうべき星』 脚本/大野木寛 絵コンテ/片山一良 演出/江上潔

総監督・シリーズ構成/出渕裕  原作/西崎義展
チーフディレクター/榎本明広  キャラクターデザイン/結城信輝
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/菅生隆之 小野大輔 鈴村健一 桑島法子 大塚芳忠 山寺宏一 麦人 千葉繁 田中理恵 久川綾
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