『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男』 山崎貴監督のここが違う

失礼ながら、山崎貴監督はあまりアニメをご覧になっていなかったのではないか。
『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』の「解説」を読んで、そんな疑問を抱かざるを得なかった。
先日の記事に書いたように、牧村康正・山田哲久共著『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』はヤマトファン必読の書だ。もともと面白い本だけれど、文庫化に際して加筆・修正されて、より興味深い内容になっている。
文庫版の目玉の一つが、『宇宙戦艦ヤマト2199』の総監督だった出渕裕氏に取材した「文庫版まえがき」だろう。
出渕氏がリメイク版ヤマト(後の『宇宙戦艦ヤマト2199』)のプロットを西崎義展氏に見せたとき、資金面で電通に頭を押さえられていた西崎氏は「三ヶ所ほど問題はあるけど、そこさえ直せばあとは任せた」とリメイク版に理解があるようなポーズをとった。なのに、電通がリメイクプロジェクトから抜けると手のひらを返してダメ出しをはじめ、挙句に「監督は俺がやる」とごね出したとか、たいへんな苦労話が紹介されている。
出渕裕総監督は西崎義展氏のことを「憎みきれないろくでなし」と表現する。この想いは、西崎氏に会ったことがないヤマトファンにも多かれ少なかれ共通するのではないだろうか。『宇宙戦艦ヤマト』という素晴らしい作品を世に送り出してくれた西崎氏、続編作りを繰り返し、ヤマトシリーズを迷走させてしまった西崎氏。そんな西崎氏から直接の影響(被害)を受けた出渕氏の述懐に接するだけでも、文庫版は読む価値がある。
出渕氏の「『ヤマト』の迷走を見直し、俺たちの世代でケジメをつける」ためにリメイク版の制作を決意したという言葉は胸を打つ。
文庫版のもう一つの目玉が、実写映画『SPACE BATTLESHIP ヤマト』を監督した山崎貴氏による『解説 西崎義展と「SPACE BATTLESHIP ヤマト」』だ。
電通が仕掛けた二つのプロジェクト、すなわち『宇宙戦艦ヤマト』のリメイク版プロジェクトと実写版プロジェクトそれぞれの監督に接触し、リメイク版監督へのインタビューをまえがきに盛り込み、実写版監督には解説を執筆してもらう。ヤマトファンなら本書を手に取らずにいられない心憎い構成だ。
■違うところ その1
だが、『宇宙戦艦ヤマトIII』からヤマトシリーズに関わり、前述したように西崎義展氏に振り回された出渕総監督と違い、山崎監督に西崎義展氏との面識はない。幸いにも、実写版のプロデューサー中沢敏明氏が体を張って西崎氏から守ってくれたというのである。
したがって、山崎氏の「解説」には、西崎義展氏に接した当事者ならではの西崎氏に関する記述はない。そこには、時代の寵児ともてはやされた独立プロデューサーの姿が、長野県松本市在住の少年の目にどう映ったか、その思い出が綴られている。
洋高邦低、すなわち人気があるのは洋画ばかりで邦画はさっぱり客が入らない。そう云われるほど邦画が低調だった1970年代、1980年代に、既存の映画会社がなし得なかった大胆な戦略で一世を風靡したのが角川春樹氏と西崎義展氏であった。その活躍ぶりと両者の関係は本書に具体的に書かれている。両者の活躍を映画ファン、アニメファンの少年少女がどう受け止めたか、いかに歓迎したかは、山崎監督が解説したとおりであろう。山崎監督が書いたことは、当時の多くの受け手の気持ちを代弁したものと云えるだろう。
ただし、中学時代から特撮技術者になろうと決めていた山崎監督は、アニメに関してはあまり詳しい動向を掴んでいなかったのかもしれない。解説の次の文を目にして、私は首をひねってしまったのだ。
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西崎論として強調しておくべきことがあります。それは西崎さんが「海のトリトン」も手がけていた事実です。「ヤマト」だけだったら、西崎さんはアニメ界で鉱脈をひとつ見つけて稼いだだけ、と思ったかもしれません。しかし「トリトン」は、今や死語でしょうけど、間違いなく"ロマン"を持たせてくれた作品です。西崎さんはロマンとしか言いようのないジャンルが好きな人で、ロマンを芯に抱えたガキ大将が、いつの間にか金や権力を手にして"スーパージャイアンな大人"になってしまったのでしょう。
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1978年1月に発売された『海のトリトン』のドラマ編LPレコードのジャケットに、西崎義展氏は「プロデューサーからのメッセージ」を掲載し、「『海のトリトン』は、その広大な海を舞台にした海洋ロマンです。(略)このトリトンがあったからこそ、ヤマトが生まれ得たのです。」と、すでにブームになっていた『ヤマト』に絡めて『トリトン』を語っている。
『ヤマト』だけだったら、西崎氏はアニメ界で鉱脈をひとつ見つけて稼いだだけ、と思ったかもしれないが、あのロマン溢れる『トリトン』まで手掛けていたなんて――このLPレコードのメッセージを読んで、私は山崎監督とまったく同じことを考えた。
だが、それはヤマトブームのピーク――『宇宙戦艦ヤマト』のテレビシリーズを再編集した劇場版が公開された1977年から、劇場用新作『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が公開された1978年――の頃までだった。
ヤマト、ヤマトで盛り上がっていたちょうどその頃、ロボットアニメ史を、いやアニメ史を引っくり返す衝撃作『無敵超人ザンボット3』(1977年)がテレビで放映されたのだ。

続く『無敵鋼人ダイターン3』の放映直前に発行された月刊OUT増刊『ランデヴーコミック』第2号では、新作アニメとして『無敵鋼人ダイターン3』が取り上げられ、富野喜幸なる人物がインタビューに応えて前作『無敵超人ザンボット3』を振り返るとともに新作『無敵鋼人ダイターン3』への想いを語っていた。私は、この人が傑作『無敵超人ザンボット3』を作ったのかと感心しながらも、新作はかっこいいお兄さん、お姉さんが活躍する作品になるという富野監督の軽い言葉に、「もうザンボット3のような衝撃は味わえないのか」と残念に思ったものだった。
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あいにく、山崎監督がお住まいだった長野県では『無敵超人ザンボット3』と『無敵鋼人ダイターン3』は放映されておらず、本放映時に視聴することはできなかったかもしれないが。
ほぼ同時期に『宇宙戦艦ヤマト2』がテレビで放映されたけれど、『無敵超人ザンボット3』『無敵鋼人ダイターン3』を経験した後では、そこに新しさは感じられないのだった。
『宇宙戦艦ヤマト2』が最終回を迎えるその日、1979年4月7日の土曜日19時は、実のところもはや『ヤマト2』の最終回どころではなかった。なにしろ『宇宙戦艦ヤマト2』の最終回が放映される一時間前、(関東では)同日17:30から18:00の枠で富野監督の新作『機動戦士ガンダム』の第1話が放映され、視聴者はテレビの前でひっくり返っていたからだ。
見たことも聞いたこともないような斬新なオープニング、科学雑誌で目にするだけだったスペースコロニーの概念を難なく取り込んだ驚くべき設定、斬新な映像、斬新なストーリー、斬新なセリフの数々。富野監督の新作だからもちろん期待はしていたが、『機動戦士ガンダム』第1話の放映は過去のロボットアニメ、SFアニメを一斉に古びさせるほどエポックメイキングな出来事だった。その後『機動戦士ガンダム』が引き起こしたアニメ文化・アニメ産業への影響は、説明するまでもないだろう。
作品 | 時期 |
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『海のトリトン』放映 | 1972年4月1日~1972年9月30日 |
『宇宙戦艦ヤマト』放映 | 1974年10月6日~1975年3月30日 |
『宇宙戦艦ヤマト』再編集劇場版 公開 | 1977年8月6日 |
『無敵超人ザンボット3』放映 | 1977年10月8日~1978年3月25日 |
『無敵鋼人ダイターン3』放映 | 1978年6月3日~1979年3月31日 |
『スター・ウォーズ』日本公開 | 1978年6月30日 |
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』公開 | 1978年8月5日 |
『宇宙戦艦ヤマト2』放映 | 1978年10月14日~1979年4月7日 |
『機動戦士ガンダム』放映 | 1979年4月7日~1980年1月26日 |
『海のトリトン』再編集劇場版・前編 公開 | 1979年7月14日 |
『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』放映 | 1979年7月31日 |
『宇宙空母ブルーノア』放映 | 1979年10月13日~1980年3月29日 |
『ヤマトよ永遠に』公開 | 1980年8月2日 |
『宇宙戦艦ヤマトIII』放映 | 1980年10月11日~1981年4月4日 |
『宇宙戦艦ヤマト 完結篇』公開 | 1983年3月19日 |
『オーディーン 光子帆船スターライト』公開 | 1985年8月10日 |

正義のために戦っているのに民衆の支持が得られず、ふるさとを追われてさまよう主人公たち。多くの犠牲を出しながらようやく敵の親玉に迫ったら、その親玉に「正義は自分たちにあり、お前たちこそ悪である」と云われてしまう衝撃の結末。『無敵超人ザンボット3』で描かれたことの数々は、実は『海のトリトン』で先行して描いていたことも改めて認識された。それはすなわち、『海のトリトン』の素晴らしさの多くが――西崎義展氏の貢献もあるだろうが――富野監督に依ることを示していよう。
一方、西崎義展氏も『宇宙戦艦ヤマト』に続くオリジナルテレビアニメ『宇宙空母ブルーノア』を放ってきた。
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の公開に際してプロデューサーみずから表舞台に出てきて「テーマは愛です」と触れ回ったことや、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』で死んだキャラクターを"生き返らせた"『宇宙戦艦ヤマト2』や、商売っ気たっぷりにシリーズを続けることを宣言したに等しい『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』に(シリーズが続くことは嬉しい反面)モヤモヤしていたファンにとって、西崎プロデューサーがヤマトとは関係のない新作SFアニメを作ってくれることはとても嬉しかった。
『宇宙戦艦ヤマト』を作った人物が、またぞろヤマトを引っ張り出すのではなく、新しい勝負を仕掛けてくる。それがどんなものになるか期待は高まった。

山崎貴監督が「解説」に書いたように西崎氏はロマンとしか言いようのないジャンルが好きな人であるのだろうし、『宇宙空母ブルーノア』こそは"ロマン"を感じさせる作品になるはずだった。海洋冒険物と宇宙物をミックスさせたこの作品は、『海のトリトン』と『宇宙戦艦ヤマト』のいいとこ取りの贅沢な企画のはずだった。
しかし、『宇宙空母ブルーノア』にロマンを感じて支持した人は少なかったに違いない。全39話の放映予定は24話に短縮され、『宇宙戦艦ヤマト』のように再放映の繰り返しで火が点くこともなければ、『機動戦士ガンダム』のように再放映を希望する署名運動が起こることもなかった。
『宇宙空母ブルーノア』には『海のトリトン』や宇宙戦艦ヤマトシリーズのスタッフが関わったが、『宇宙戦艦ヤマト』最大の立役者、松本零士氏は加わっていなかった。ヤマトブームが松本零士ブームを引き起こし、当時は猫も杓子も松本零士氏のネームバリューにあやかって作品をつくろうとしていた状況でありながら、『宇宙空母ブルーノア』に松本零士氏が不参画であったところに、『宇宙戦艦ヤマト』とは違うものをつくろうとする西崎氏の決意があったのかもしれない。だが、優秀なスタッフを集めてはみたものの、この作品には芯となる創造力が欠けていたように思う。
SF監修として参加した金子隆一氏は「ひどかったですね本当に、あそこの制作体制は。実際にこっちが何を言っても向こうが理解できない。向こうってつまり西崎氏1人のことなんですけれどね。彼のセンスに合わないか理解不可能なものは全部カットされました。」と語っている。一人の人間のキャパシティを超えるものを作れないのであれば、大人数で共同作業をする意味がない。
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しかし、『オーディーン 光子帆船スターライト』も惨敗だった。『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』によれば、この映画の失敗で六億円の実損を被り、配給の東映に立て替えてもらっていた宣伝費一億円強の支払いもままならなかったという。
そうそうたるスタッフを揃えた西崎氏は、叙情たっぷりに人類の帆船の歴史から語り起こすこの映画に、彼なりにロマンのありったけを込めたに違いない。だが、どれだけの観客がそこにロマンを感じただろうか。受け手が期待していたのは宇宙物のSFアニメなのに、数千年にわたる帆船の歴史を何分も語り続けたり、当時人気を博していたロックバンド、LOUDNESSの曲を劇中でフルコーラス流すためにたいして意味のないシーンを何分も続けたりと、『オーディーン 光子帆船スターライト』はなかなか観るのがしんどい映画だった。
余談ではあるが、『オーディーン 光子帆船スターライト』のエンディングでも、主題歌を歌うLOUDNESSの実写映像が流れるのを見ると、西崎義展氏は最後までアニメファンの気持ちが判らなかったのではないかという気がしてくる。
初のアニメプロジュース作品『海のトリトン』(1972年)で、主題歌を歌う須藤リカとバックを務める南こうせつとかぐや姫の実写映像をオープニングに持ってきて、『メーテルリンクの青い鳥 チルチル ミチルの冒険旅行』(1980年)ではオープニングにもエンディングにも歌手の実写映像を持ってきた。そして、ヤマト人気が衰える中で起死回生を図った『オーディーン 光子帆船スターライト』(1985年)でもやってしまった。
これらの試みは作品の人気にちっとも貢献していない。
アニメーションには、まず「動くはずのない絵が動く(動いているように感じる)」という感動があり、実写映像とは異なる現実感の――命を吹き込まれた「動く絵」だから構築できる――世界がある。受け手はその世界に没入することで、実写映像では表現できない抽象的な概念や実写映像では生臭くて目を向けられない真実に気づくことができる。それこそがアニメーションの魅力だと思うのだが、そこに実写映像をくっつけたら、よほど慎重にやらないと作品世界を台無しにしてしまう。
ディズニーの『メリー・ポピンズ』をはじめ実写とアニメが混在する作品はいくつかあるが、それらの多くは実写の人物とアニメのキャラが同時に存在するシチュエーションそのものや、実写の世界とアニメの世界を行き来することにより現実感が動的に変化することに重要な意義を見出して、慎重に取り組んだ作品だ。
他方、西崎義展氏のプロデュース作品では、オープニングやエンディングに実写映像を持ってきても本編の作品世界を豊かにすることになんら寄与していない。『オーディーン 光子帆船スターライト』に足を運んだ観客は、最後にLOUDNESSの演奏風景を見られたからといってより一層感動するだろうか。実写映像を加えることで作品世界を豊かにするのではなく、物語の前後に歌手のステージをポンとくっつけるやり方は、西崎義展氏が前半生で携わったショービジネスの世界を思わせる。
新宿コマ劇場でよく見られた手法だが、演歌歌手らの公演は、しばしば勧善懲悪の時代劇のような判りやすいお芝居と歌手が代表曲を次々に披露する歌謡ショーの二部構成になっていた。観客は歌を聴けるだけでも喜ぶのに、笑いと涙のお芝居まで見られるお得な構成。
アニメーション作品を心待ちにするアニメファンは、そんな強制的な二本立てを望んではいなかっただろう。けれど西崎義展氏は、歌手のステージはどんな客にも絶対受けると信じてやまなかったのではないだろうか。
閑話休題。
本書には、『宇宙戦艦ヤマト』ではじめて西崎義展氏と組み、西崎氏の遺作となった『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』まで仕事を共にした、アニメーターであり演出家の白土武氏の証言が載っている。白土氏によれば、西崎義展氏は『宇宙戦艦ヤマト』までは絵コンテが判らない、キャラ表が判らない、色がついて動いて音が入らなければ判らない人だったという。「俺が絵コンテの見方を教え、山本(暎一)がシナリオの読み方を教えた。まあ、教えたといっても喧嘩半分で言い合いしながら覚えさせたということだけど。」
すでに『海のトリトン』と『ワンサくん』でプロデューサー職にあったとはいえ、アニメのプロデューサーに必要なスキルは『ヤマト』を通して身に付けたという。
スキルを身に付け、作品内容により口出しできるようになった西崎氏のヤマト以降の作品がいかなるものであったかは、ここまで振り返ったとおりだ。
他方、『海のトリトン』を手がけた富野喜幸(由悠季)監督のその後の大活躍や、『宇宙戦艦ヤマト』でアニメ作りに関わるようになった松本零士氏がその後巻き起こした大ブームは今さら述べるまでもない。
これらの事実を踏まえたとき、山崎貴監督のように『宇宙戦艦ヤマト』に加えて『海のトリトン』をもって西崎義展氏の功績を強調するのが妥当かどうかは疑問である。
山崎監督の文を読んで、私にはまるで、ヤマトブーム真っ盛りで西崎義展氏がマスメディアに露出しまくっていた(そして『機動戦士ガンダム』はまだはじまっておらず、富野監督がそれほど注目されていなかった)1978年頃で時間が止まっているように感じられた。『宇宙戦艦ヤマト』を作った男に関する解説で『海のトリトン』もあると強調するのは、同じ男が『宇宙戦艦ヤマト』以降に制作したアニメを踏まえた意見なのだろうか。
いや、特撮技術者を目指す山崎少年がアニメを見ていなかったとしても全然構わないのだが、『海のトリトン』のことも『宇宙空母ブルーノア』のことも『オーディーン 光子帆船スターライト』のことにも本書はちゃんと触れているのに、わざわざ『海のトリトン』もあるぞと持ち出すのはちょっと違うのではないだろうか。「解説」には本書(単行本版)を読んだ感想も書かれているが、本当にちゃんと読んだのだろうか、なんて疑問も覚えてしまう。
長々と書いてきたが、ここまではまぁ前振りだ。山崎貴監督の「解説」の"違うところ"はまだ他にある。
山崎監督は「テレビと映画で『ヤマト』に魅了され」たと書いているが、具体的な思い出は『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』のエンディングテーマに沢田研二さんが起用されたことや、『さらば――』公開前夜の「オールナイトニッポンスペシャル」での盛り上がり等、『さらば――』に関することばかり。山崎監督が思い入れがあるのは『さらば――』であって、第1テレビシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』はきちんと見ていないのではないか、見ていたらこうは書かないはずではないか、そんな気がしてならないところをこれから述べていこう。
■海の男
山崎貴監督の「解説」の"違うところ"の話を続ける前に、もう少し余談をお許し願いたい。
本書には、西崎義展氏が1960年代から豪華クルーザーを乗り回し、石垣島やフィリピンやカンヌへ航海したことが綴られている。豪華クルーザーの所有について、本書はもっぱら西崎氏の成金ぶりを示すものとして取り上げている。クルーザーでやっていたのは、取り引き相手らを船で接待したり派手な船上パーティーで散財したりだから、成金生活の象徴と捉えるのは間違いではないが、それ以上に私は、クルーザーでの航海が西崎氏の人間性とビジネス上の振る舞いに密接に関わっていたのではないかと思う。
ヨットやらスキューバダイビングやらのマリンスポーツを好む人の話を聞くと、海での経験がビジネスにも影響しているように感じられることがある。
海の上では自分を取り締まるものがない。正確には海でも法律は適用されるが、いかんせん誰が見ているわけでもないから、船上では勝手放題だ。
それは同時に、誰にも守ってもらえないことも意味する。周囲に庇護してくれる人はいないから、無事に港に帰れるかどうかは自分の才覚次第だ。
そんな経験をしてきた人は、勝手な判断で大胆な行動を取るかと思えば、驚くほどの慎重さで細部にこだわったりする。
西崎氏のように自分が所有する船で公海に出ればいくらでも傍若無人に振る舞える一方で、嵐や海賊に襲われたら自分で立ち向かうしかない。
「ある時は大作家、ある時は興行師、この気分が激しく行ったり来たりしていた。作家の時はまつ毛の本数まで気にするくらい細かくチェックするし、興行師になったら機関車みたいに走り出す。」白土武氏はそう西崎氏を評している。
たび重なる航海が西崎氏の人間性に影響したのか、西崎氏の人間性が海と相性が良かったのか。おそらくその両方なのではないかと思う。

ところで、山崎貴監督は、『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』の「解説」の中で自作『SPACE BATTLESHIP ヤマト』(2010年)についても気になることを書いている。
曰く、初の監督作『ジュブナイル』(2000年)と二作目『リターナー』(2002年)はSF映画というジャンルのためにお客さんが広がらなかった。SF映画ファンを広げるために、木村拓哉主演のヤマト実写版はSFマニアに向けて勝負するのではなく、木村ファンも楽しめる映画にしなければならなかった。公開後、木村ファンを動員できなければ出ない数字(興行収入41億円)を残せたから、ヤマトに嵌まったまま大人になったヤマト世代向けの映画にしなくて良かったと。
『ジュブナイル』の興収11億円、『リターナー』の12.9億円はともに立派な成績だと思う。
当時の邦画の状況では、もっと上を目指すなら吉永小百合主演にするかゴジラを登場させねばならなかっただろう。有名な原作があるわけでもなく、テレビシリーズの知名度を活かした劇場版でもない、無名監督のオリジナル映画でこの成績を残せたのは、SFならばと足を運んでくれたSF映画ファンのおかげではないかと思う……。
それはともかく、ここで私が引っかかったのは、木村拓哉ファンに向けて映画を作ることと、SFマニアやヤマト世代に向けて作ることを山崎監督が別物のように捉えていることだ。
大ヒットした『シン・ゴジラ』(興行収入82.5億円)は、ゴジラファンはもとより、第37回日本SF大賞の特別賞や第48回星雲賞を受賞するほどSFマニアに大歓迎された上、SF映画・ゴジラ映画といったジャンルを超えて観客が広がった。日経ビジネスオンラインでは『シン・ゴジラ』の特集が組まれ、政界、財界、芸術各界の方々がこぞって『シン・ゴジラ』への思いを語った。主演の長谷川博己さんにとっては自身の主演作最大のヒットとなり、主役級ではない市川実日子さん、高橋一生さん、松尾諭さんらも人気を博した。
ベネディクト・カンバーバッチやクリス・ヘムズワース、クリス・プラットといった日本でも人気の高い俳優を配したSF映画(だよね)『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』は興収37.4億円、『アベンジャーズ/エンドゲーム』は6週目にして57億円を突破するヒットを飛ばしている。両作ともマニアックなファンに大好評だが、マニアを超えて幅広い観客を集めたから達成できた数字だろう。
完成した『SPACE BATTLESHIP ヤマト』が、「木村ファンがちゃんと見られる映画作りを優先した」ものであるなら、山崎監督が想定した「ヤマト世代向けの映画」とはどのようなものであったのだろうか。
察するところはあるが、本当の答えは山崎貴監督だけが知っている。
私が思うのは、木村ファンが楽しめるものも、SFマニアやヤマト世代が楽しめるものも包含できるくらいに、映画とは豊かな表現媒体ではないかということだ。山崎監督は「あちこち目配せしすぎて、取り扱いを間違えてはならない」と書いているが、木村ファンが楽しめるものはこれ、SFマニアやヤマト世代が楽しめるものはこれと矮小化し、対立項として比べていては、豊かな映画はできないように思う。素人考えで恐縮だが。
ちなみに、『SPACE BATTLESHIP ヤマト』の主演に木村拓哉さんを据えたことは、観客動員の面だけでなく映画の魅力を高める上でも大正解だったと思う。
まだ監督が山崎貴氏に決まる前、古代進役には木村拓哉と考えた中沢敏明プロデューサーが、当時のSMAPのマネージャー飯島三智氏に直接面会し、了解を得たのだそうだ。
俳優には二つのタイプがあると思う。様々な役柄を見事に演じ分けてみせる人と、どんな役柄をあてがわれても同じような演技に見える人だ。木村拓哉さんはどちらかといえば後者のタイプだったろう。
しばしば前者ばかりが名優のように褒めそやされ、後者のタイプは演技が下手であるかのようにそしられることがあるが、とんでもない誤解である。後者のタイプの代表的な俳優といえば、高倉健さんや加山雄三さんが思い浮かぶ。
高倉健さんは殺し屋を演じても刑事を演じてもいかなる職業人を演じようが、あくまで高倉健さんだ。それで観客は満足する。
加山雄三さんは『椿三十郎』に出ても『赤ひげ』に出ても若大将のままだった。でもだからこそ黒澤明監督に重用されたのだと思う。『椿三十郎』や『赤ひげ』の時代劇の世界に現代の観客をいざなうには、現代の青年の持ち味を保ちつつ、他の俳優の演技を邪魔しない透明感の持ち主である加山さんが媒介になる必要があったのだ。
木村拓哉さんも高倉健さんや加山雄三さんのような特異なポジションを担える俳優だと、私は大いに期待していた。
SMAPの解散(2016年)後、木村拓哉さんは役者一筋でやっていこうと決意したのか、いろんな役を演じ分ける"普通の俳優"になってきた。でも、2010年の『SPACE BATTLESHIP ヤマト』では、まだ木村拓哉さんらしい古代進像を楽しめる。
■違うところ その2
さて、山崎貴監督が『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』に寄せた「解説」で首をひねったもう一箇所は、次の文だっだ。
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戦艦大和は圧倒的です。現実的には、大きな期待を背負いながらもなんら戦果を挙げられず、最後にたくさんの犠牲者を出して沈んでしまった艦(ふね)です。しかし、日本人にとって大和を超える太平洋戦争のアイコンは存在しない。そして「宇宙戦艦ヤマト」には、その大和の怨念と果たせなかった夢への願望が宿っているのです。そういった心情を土台にした上で「ヤマト」が地球全体のために立ち上がるというストーリー展開は、当時敗戦による鬱屈の延長上にあった日本人に合致していたのだと思います。「本来なら、大和はもっと皆の助けになれる艦だった」という日本人の思いが載せられていたからこそ、「ヤマト」はあんなに面白くなった。
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これを読んだ私の困惑をお判りいただけるだろうか。
ここには私が首肯しかねることがいくつも書かれている。大きく分ければ、次の三つに集約されよう。
(2) "敗戦"について
(3) 『宇宙戦艦ヤマト』そのものについて
以下、順に説明していこう。
(1) 『宇宙戦艦ヤマト』が制作された時代について
当時敗戦による鬱屈の延長上にあった日本人
山崎監督の出世作『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズは、1958年から1964年にかけての庶民の暮らしを描いていた。1964年生まれの山崎貴監督は(ましてや共同脚本の古沢良太氏は1973年生まれなので)知らない時代だから、映画で描かれるすべては想像でしかないだろう。しかし、この時代の庶民の悲喜こもごもを描いて多くの観客を感動させたこのシリーズに、敗戦を引きずって"鬱屈"している描写など露ほどもありはしない。
が、当の山崎監督は、本当はこの時代の日本人は敗戦のために鬱屈していたのだと考えていたのだろうか。山崎監督はいつからそんな考えを抱くようになったのだろうか。『ALWAYS 三丁目の夕日』の制作中すでに、本当の日本人は鬱屈していたのにと考えながら撮っていたのだろうか。
『宇宙戦艦ヤマト』の第1テレビシリーズが放映され、大ブームを引き起こして続編『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が公開された1970年代は、山崎貴監督が小学生から中学生にかけての頃だ。この頃のことなら、山崎監督も実体験として憶えているだろう。
この頃、山崎監督の周囲の人は敗戦による鬱屈の延長上にあったのだろうか。山崎監督ご自身も敗戦による鬱屈を抱えて生きていたのだろうか。長野県松本市でラジオから流れる『さらば――』公開前夜の東京の様子に耳を傾けていたときも、中学生だった山崎少年は東京の盛り上がりを羨むだけでなく、大日本帝国の敗戦のことを思って鬱屈していたのだろうか。
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そんな時代だから、古代進は「俺たちは小さいときから人と争って勝つことを教えられて育ってきた。学校に入るときも、社会に出てからも、人と競争し勝つことを要求される。(略)我々がしなければならなかったのは、戦うことじゃない。愛し合うことだった。」と後悔したのではなかったか(『宇宙戦艦ヤマト』第24話「死闘!!神よガミラスのために泣け!!」より)。
この頃は同時に、公害が空や海を蝕んで、人々の健康を害していた。長野県在住の山崎監督はご存知なかったかもしれないが、東京の空はいつも黒ずんだ霞に覆われたような状態で、空襲警報さながらに光化学スモッグ注意報が発令されると、汚染された空気を避けるために子供たちは急いで屋内へ避難したものだ。
かつて戦争と核兵器を象徴する水爆大怪獣だったゴジラも、この頃は子供たちを救うためにさっそうと駆けつける正義のヒーローだった。宇宙人の侵略ロボット、メカゴジラと戦ったり、スーパーヒーローの流星人間ゾーンと共闘したのもこの頃だ。1970年代初頭の『ゴジラ対ヘドラ』では、公害の権化ヘドラを正義の「放射能」でやっつけてくれと期待されるほどだった。
ゴジラが原水爆の象徴として位置づけられたのは、1970年代よりも、ゴジラの原点を改めて模索した1980年代以降のことだろう。
総じてこの時代の日本国民は、敗戦の鬱屈だのなんだのにこだわっている場合じゃなかったと思う。
もちろん戦争のことは忘れてはいない。沖縄が米国の支配を脱して日本に復帰できたのは日本国の独立に遅れること約20年の1972年だし、同年には残留日本兵の横井庄一氏が帰国、1974年には小野田寛郎氏も帰国して日本中が大騒ぎしたこともあった。戦争の爪痕は今よりずっと生々しかった。
日本人は1億2千万人もいるから、中には敗戦による鬱屈の延長上にある人がいたかもしれない。けれども、そうではない人が大多数だったはずだ。山崎監督ご自身がどう考えているかはともかく、それを日本人全体のことのように語るのは間違いだ。
なぜなら、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』や『宇宙戦艦ヤマト2』は、見事に復興を遂げ、平和と物質文明の恩恵に浴する人々の様子を前にして、あまりにもあの戦争のことをあっさり忘れ過ぎではないかと嘆くところからはじまるからだ。
もはやすっかり戦争の記憶が風化してしまった。その認識がヤマトの作り手をしてあのように描写させたのではないだろうか。
私はそう思うし、実際そうだったと思う。
一体全体、山崎監督はどうして当時の日本人は敗戦による鬱屈の延長上にあったなんて思うようになったのだろうか。いつ、そんな考えに染まったのだろうか。
(2) "敗戦"について
当時敗戦による鬱屈の延長上にあった日本人に合致していたのだと思います。
私がとても気になるのは、山崎貴監督が"戦争"とは書かずに「"敗戦"による鬱屈」と書いていることだ。
「戦争にならないように」「戦争を避けよう」と云われて反対する人はいないだろうが、「敗戦にならないように」「敗戦を避けよう」と書くと意味がずいぶん違ってしまう。まるで、「負けないようにしっかり戦争しよう」と云っているようにも受け取れるだろう。
"戦争"と"敗戦"とはうっかり書き間違える言葉ではない。その使い分けには、明確な意志があるはずだ。
山崎監督は戦艦大和について次のように書いている。
「大きな期待を背負いながらもなんら戦果を挙げられず、最後にたくさんの犠牲者を出して沈んでしまった艦(ふね)です」
「大和の怨念と果たせなかった夢への願望」
「『本来なら、大和はもっと皆の助けになれる艦だった』という日本人の思い」
ここでいう「大きな期待」とは何だろうか?「果たせなかった夢」とは?「皆の助け」とは?
「特攻」といえばゼロ戦で目標物に体当たりを試みる神風特別攻撃隊がよく知られるところだが、戦艦大和もまた海上特攻を試み、なんら戦果を上げずに約三千人を乗せたまま九州南方の海に沈んでしまった。
このとき大和が背負った「大きな期待」とは、もちろん戦果を上げることだろう。軍事力には複数の側面があると思うが、戦争中に就役した大和に期待されるのは敵の戦力を壊滅させることだったはずだ。それは少しでも多くの敵艦艇を沈め、敵戦闘機を撃墜することであり、無人化・自動化が進んでいなかったこの時代の戦争においては少しでも多くのアメリカ人を殺すことに等しい。「果たせなかった夢」もまた、戦果を上げること、すなわちたくさんのアメリカ人を殺すことであったろう。「皆の助け」というのも、日本人が生き残りやすくなるように、アメリカ人をたくさん殺すことであったはずだ。「大和の怨念」とは、充分な数のアメリカ人を殺せずに死んだあの世の乗組員たちが怨んでいるということだろう。
とどのつまり、山崎監督が述べているのは、たくさんの敵国人を殺して生還できればよかったのに、ということである。
なんだか恐ろしいことに、とても納得してしまうのだ。山崎監督がこう書くことに。
山崎監督の戦争映画『永遠の0』(2013年)は、日米の戦闘の描写がたくさんあるのにアメリカ人はまったく出てこない映画だった。厳密にいえばチラリと横顔が見えたりするのだが、アメリカ人を人間として扱う描写は皆無で、彼らや彼らが乗る艦艇はただただ特攻の的でしかなかった。
近年、これほど一面的、一方的な戦争映画は珍しいと思う。日本人の主人公やその家族、その同僚、そして彼らの生活が丹念に描かれれば描かれるほど、私はアメリカ人も同じなのに――単なる的のような艦の上にも多くの人間がいて、彼らの帰りを待つ家族がいて、それぞれの生活があるはずなのに、なぜこの映画はそこにまったく触れようとしないのだろうと思ったものだ。
そして、『永遠の0』の主人公が無能な上官にいら立ち、上官のミスを指摘する場面を眺めながら、この主人公――映画の作り手――は、戦争に反対しているのではなく、敗戦をもたらす判断ミスに怒り、負けないようにちゃんとやれと云っているのではないかと感じた。
ちゃとやれば勝てたのに。ここでこんな判断さえしなければ、死ぬのは敵国の側だったはずなのに。あたかも『永遠の0』はそう云いたいかのようだった。負け戦に反対することは、次は勝とうと決意することに繋がっていく。戦争そのものへの反対ではないのだから、とうぜん「勝てば良かったんだ」という発想になってしまう。このことを私は以前の記事「『永遠の0』vs『アメリカン・スナイパー』 三つの危うさ」で指摘したのだが、山崎貴監督が執筆した本書の「解説」を読んで、『永遠の0』に感じたことがますます強まった。
だから「"敗戦"による鬱屈」なのだろうか。
"敗戦"したから鬱屈するのだろうか。
勝っていれば清々しかったのか。
『宇宙戦艦ヤマト』第24話「死闘!!神よガミラスのために泣け!!」で、ガミラスを滅ぼして戦いに勝利した古代進は、「私たちは何ということをしてしまったの。私にはもう神様の姿が見えない(顔を上げて神様の姿を見られない)」と云って泣き崩れる森雪を前にして、苦しそうに独白する。
「俺たちは小さいときから人と争って勝つことを教えられて育ってきた。学校に入るときも、社会に出てからも、人と競争し勝つことを要求される。しかし、勝つ者がいれば負ける者もいるんだ。負けた者はどうなる。負けた者は幸せになる権利はないというのか。今日まで俺はそれを考えたことがなかった。俺は悲しい。それが悔しい。(略)地球の人もガミラスの人も幸せに生きたいという気持ちに変わりはない。なのに、我々は戦ってしまった。……我々がしなければならなかったのは、戦うことじゃない。愛し合うことだった。勝利か……くそでも食らえ!」
山崎監督はこの言葉を、負けた日本人にだって幸せになる権利はあるんだとか、勝ったからってアメリカ人はいい気になるなよとか、鬱屈した気持ちで受け止めたのだろうか。
"勝利か……くそでも食らえ!"
(3) 『宇宙戦艦ヤマト』そのものについて
「宇宙戦艦ヤマト」には、その大和の怨念と果たせなかった夢への願望が宿っているのです。
「本来なら、大和はもっと皆の助けになれる艦だった」という日本人の思いが載せられていたからこそ、「ヤマト」はあんなに面白くなった。
山崎貴監督は、『宇宙戦艦ヤマト』発表当時の日本人は敗戦による鬱屈の延長上にあったとか、大和の怨念と果たせなかった夢への願望があったと書いた上で、それが『宇宙戦艦ヤマト』に宿っていると主張する。だからこそ、『宇宙戦艦ヤマト』は面白くなったのだと。「面白くなった」とは、「共感できるものになった」とか「魅力的になった」という意味と同じだろう。
困ってしまった。
そう受け止められるのは、『宇宙戦艦ヤマト』を作った人たちが一番避けたかったことだから!
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理由は簡単、大和がカッコイイからだろう。戦艦、戦車、戦闘機等は、機能美の極地にあってカッコイイ。同時に、海を航行する船が飛翔するというアイデアは、人をワクワクさせずにおかない。
戦艦大和が空を飛ぶという発想は、『宇宙戦艦ヤマト』より10年以上前に梶原一騎氏が絵物語(1961年)及びそれを原作にしたマンガ(1963年)の『新戦艦大和』で披露している。東宝特撮映画『海底軍艦』(1963年)でも、海上海中を航行する轟天号が空中をも飛翔した。カッコイイ戦艦がさらに空を飛ぶというアイデアは、誰もが具現化したいのだ。
誰もがやりたくても、誰もがやれるわけではない。
『宇宙戦艦ヤマト』の作画監督を務めた白土武氏は企画内容を聞いた当初、「えっ、戦艦大和を手描きで動かすの?馬鹿か――」と唖然としたという。
常識的には馬鹿げていると却下してしまいそうなことを実行したのが、『宇宙戦艦ヤマト』の作り手たちの凄いところだ。
もちろん、戦艦がカッコイイと思っていても戦争したいわけではない。その存在がすでにカッコイイのだから、わざわざ壊れるおそれのある戦争に駆り出す必要はない。
だからこそ、戦艦が空を飛び大活躍する空想物語が喜ばれる。絶対にありえない、あってはならない物語だからだ。
『宇宙戦艦ヤマト』もまた、戦艦が登場するが戦争を意図したものではない。そのことを明確にするために、わざわざ第2話「号砲一発!!宇宙戦艦ヤマト始動!!」に戦艦大和がたどった運命と、大和とヤマトの違いを示す次のような描写が設けられた。
……
ナレーター「――この地上最大の大戦艦は(略)、巨大な黒煙を上げて没し去ったのである。それは戦争という目的で作られた戦艦の哀しい運命であったのかもしれない。戦艦大和は三千の兵とともに、やっと静かな眠りについたのであった。」
沖田艦長「この宇宙戦艦ヤマトは、戦うために改造されたのではない。本当は放射能で生物が全滅するのを避けるために、選ばれた人間や動物を乗せて地球を脱出するのが目的だった。古代、島、君たちは地球脱出のために特別訓練を受けてきた。ヤマトの目的は変わったが、君たちの受けてきた特別訓練の成果は活かせるはずだ。しっかり頼むぞ。」
古代進「判っています。還ってこなかった兄さんのためにもやり抜きます。見ていてください。」
沖田艦長「うむ。14万8千光年は絶望的に遠い。未だ人類の経験したことのない宇宙飛行だ。しかし、波動エンジンさえ完全に働けば必ず行ける。いや、わしは必ず行くぞ!行って還ってくるのだ!!」
ナレーター「宇宙戦艦ヤマトよ、人類の未来を賭けて14万8千光年の旅へ出発する日は近い。(略)ヤマトよ行け!地球と人類の未来を賭けて!!」
戦艦大和は戦うための艦だった。しかしヤマトは、人類の未来のために人や荷物(コスモクリーナーD)を運ぶための船である。その意図するところはまったく違う。
そうはっきり宣言することで、作り手たちは『宇宙戦艦ヤマト』が第二次世界大戦の亡霊を蘇らせた作品であるかのように受け止められたり、戦争を賛美するものであるかのように受け止められることを避けたのだ。ヤマトに戦艦大和の怨念と果たせなかった夢への願望が宿っているとか、敗戦による鬱屈した日本人の心情を土台にしているといった勝手な解釈は許さない、その断固たる決意がこのシーンにはみなぎっている。
そして、第2話のこのセリフがあるから、防戦を推し進めた結果とはいえガミラスを滅ぼしてしまった古代が「我々がしなければならなかったのは、戦うことじゃない。愛し合うことだった。」と悔やむ第24話が胸に響く。
『宇宙戦艦ヤマト』の、この大きな物語構造を是非とも汲み取っていただきたい。
ちなみに、『宇宙戦艦ヤマト』の第1テレビシリーズを再編集した総集編ともいえる劇場版では、ここで紹介した第2話の沖田艦長のセリフがカットされ、航空戦力を持たない戦艦大和が敗北を喫した歴史に触れつつ、宇宙戦艦ヤマトを「宇宙を飛ぶ戦艦に改造された大和」と紹介する。なにしろテレビシリーズで3話までかけて描いたヤマト発進までのいきさつを、劇場版では30分で済ませるため駆け足になっている。
まさか、山崎監督は、テレビシリーズを無視して劇場版からの解釈に基づいて『宇宙戦艦ヤマト』を語ったのだろうか。
もしも地方在住だったために第1テレビシリーズを繰り返し見る機会に恵まれていなかったのなら、今からでもじっくり見て欲しい。沖田艦長の言葉を胸に刻んで欲しい。
願わくば、『宇宙戦艦ヤマト』を愛する気持ちがあるのなら、ヤマトを太平洋戦争のアイコンとしての戦艦大和と結びつけるような言動は慎んでいただきたい。
『宇宙戦艦ヤマト』の一ファンからのお願いだ。

著者/牧村康正・山田哲久
単行本発行/2015年9月8日 文庫版発行/2017年12月20日
ジャンル/[伝記]

『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』のそこは違う

ヤマトファンならぜひ読んでおきたいのが、牧村康正氏と山田哲久氏の共著『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』[*1]だ。
西崎義展氏の誕生から死までの全生涯を膨大な証言と資料の検証で紐解いたこの本は、型破りな人物の評伝としてはもとより、アニメ業界、映画業界、芸能ビジネス業界の実態を教えてくれる貴重な書だ。
この本を最後まで読めば、『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの続編、リメイク、関連作品が今後も作られるであろうこと、作らねばならないことがよく判る。
だって、平野彰司氏が獄中の西崎義展氏と面会しやすいように養子縁組して息子になり(刑務所では、面会できるのは親族を中心に月二回~七回という制限がある)、拘置所及び刑務所に入っていた西崎義展氏を支え続け、出獄した後は私財をなげうって家族ぐるみで支援し、『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』を作りたい西崎氏のために資金集めに奔走し、飲んでは荒れ、揉め事を起こす西崎氏に付き合い、その横暴な振る舞いに耐えに耐えて耐え抜いた上で譲り受けた『ヤマト』の権利だから、『宇宙戦艦ヤマト2199』のヒットだけではとうてい割に合わない(西崎義展氏が存命中に作った『復活篇』に関しては、制作にかかわった株式会社ジーベックへのギャラさえ払われない状況だった)。
その『2199』ですら、2009年に出渕裕総監督の下で六話分くらいのシナリオが上がっていたにも関わらず、西崎義展氏が突然「監督は俺がやる」と云い出したために制作が暗礁に乗り上げ、ほぼ一年間宙に浮いていたそうだ。
誰もが煮え湯を飲まされて対立した西崎義展氏に、人生を捧げて尽くし続けた彰司氏の心中は本人のみ知るところだが、本書からは、彰司氏の立場だったら『ヤマト』ビジネスを中断するなんてあり得ないであろうことがひしひしと伝わってくる(だから、主要登場人物が死ぬ作品を作ることもあり得ない)。
本書は独立プロデューサーとして名を馳せた西崎義展氏の生涯をたどっているが、西崎氏といえば何といっても『宇宙戦艦ヤマト』が代表作だから、ヤマト関連の記述が多くを占める。したがって、『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男』という書名は正しいし、ヤマトファンに訴求する内容になっている。けれども個々の作品の特徴や、西崎義展氏がアニメ関連業界に与えた影響の広がりについては、(私の目からすると)あまり書かれてはいない。そこまで書くと人物伝の範疇を超えてしまうから、仕方がないのだろう。
その代わり、アニメ(に限らず)ビジネスでもっとも重要なもの、金の動きはしっかり書かれている。
アニメに関してこれといった実績がなかった独立プロデューサーが、なぜ完全オリジナルのテレビシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』を作れたのか。『ヤマト』の権利を西崎義展氏が握れたのは、『ヤマト』を作る金を彼が全額負担して成果を誰とも分け合わなくてよかったからだが、そんな金がどこから出てきたのか、西崎氏はどう立ち回っていたのか、ということが判ってたいへん興味深い。
そして、養子になった彰司氏をはじめ、多くの人がどんな風に西崎義展氏に関わり、振り回されたのか。私たちがテレビや映画館で作品を楽しんでいたとき、その裏側でどれほど波乱に満ちた出来事と壮絶な駆け引きが繰り広げられていたか。そういったことどもが、とことん書かれている。
また、西崎義展氏の浪費ぶり、とりわけ多くの愛人への使いっぷりには驚かされる。西崎氏は三度結婚しているが、いつも妻子はほったらかし。ある愛人には、マンションの家賃やゴルフの会員権や現金等で少なく見積もっても一億円以上の金を注ぎ込んだという。関係者が名前を記憶している愛人だけで10人はいるから、愛人全般に費やした金は10億円と見てもまだ足りないかもしれないのだとか。10億円といえば、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』の配給収入全額に等しい。
仕事関係でも愛人関係でも、基本的に金と権力で人間関係を支配したといわれる西崎氏だ。完全な支配を望むがゆえに、金を惜しむことがなかったのだろう。本書には、「愛人の中の本妻」と目された人物が「ヤマトの雪みたいにきれいな人」であったことや、その愛人を西崎氏が殴ったエピソードまで紹介されている。
西崎氏がとくに入れ込んだ愛人が旧華族の人妻・和子であり、腕には「和子命」という刺青までしていたそうだ。劇場版『宇宙戦艦ヤマト』のパンフレットの西崎氏の写真の下に刷り込まれた「和」の文字は、和子の「和」を意味するのであろうという本書の示唆は、「和」といえば大和の「和」くらいしか頭に浮かばないヤマトファンの思い込みを一蹴する。

西崎義展氏ほど毀誉褒貶の激しい人物も珍しいだろう。『西崎義展の狂気』という題は、常識の枠に収まらない西崎氏の行状を表現しているのだろうが、しかし、氏に関して興味深いのは、氏を貶したり恨みごとを云う人までもが氏を褒めていることだ。
たとえば、西崎氏がクラブやジャズ喫茶の司会者だった頃からの知り合いであるピアニスト・作曲家の宮川泰(みやがわ ひろし)氏は、インタビューに際してこう語っている。
「普通は『あの野郎、嫌なヤツだけど良いところもあるよな』って大体思うんだけど、オレにとって西崎は良いところが1つもないね。見つけられねえよ。」
宮川泰氏を西崎義展氏の大親友と認識する山田哲久氏は、六年間にわたって西崎氏の制作助手を務め、二人の関係を間近で見てきた経験から、この発言に対して次のように述べている。なお、山田哲久氏は西崎氏のそばで『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の制作助手や、『宇宙戦艦ヤマト2』『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』の制作担当、『メーテルリンクの青い鳥 チルチル ミチルの冒険旅行』『宇宙戦艦ヤマトIII』のプロデューサーを務め、ヤマトシリーズを支えてきた人物だ。『宇宙戦艦ヤマト 完結編』制作の途中でウエスト・ケープ・コーポレーションを退社し、その後、日本サンライズ(現サンライズ)に入社、映画『アリオン』や『ドキュメント 太陽の牙ダグラム』『ガンヘッド』のプロデューサーを務めた。本書の企画者、共著者でもある。
「まあ、100%の本心ではないと思いますけどね。私は宮川さんから『ぼくの才能を本当に絞り出してくれたのは西崎だ』って言われたことがあります。『宇宙戦艦ヤマト』をやりきって、もう新しい曲が出ないと思っていたけど、それでも死にもの狂いで西崎さんの厳しい要求に応え名曲が生まれた。宮川泰さんと阿久悠さんは西崎さんの戦友です。」
事実、宮川泰氏は同じインタビューの中で、西崎義展氏の関与しない『新宇宙戦艦ヤマト』(後の『大YAMATO零号』)の音楽を手がけることに関して、「考えてみるとヤマトのこれまでの6つか7つのシリーズでね、音楽はほとんど出尽くしちゃってるのよ。おしまいのころなんかももう苦労して苦労してね、ヤマトの音楽の流れから離れてもいけないし、といって二番煎じを作ってもいけない。(略)難しいですよ。しかもそれを僕一人でやるんだから」とこぼしている。
本書はこのような西崎義展氏の複雑な人物像を、多面的に描き出す。
西崎氏のプロデューサーとしての活躍ばかりを見てきたアニメファン、ヤマトファンからすれば、本書が突きつける乱脈経営の実態や卑怯卑劣な行為の数々には何より驚かされる。ひと言でいえば、悪いヤツだなぁという印象だ。
過失傷害、恐喝、詐欺などで警察に引っ張られた20代から、悪質な脱税で摘発された40代、銃砲刀剣類所持等取締法、関税法、覚せい剤取締法等の違反で実刑判決を受けて収監された60代まで、西崎氏はたびたび公権力の厄介になっているが、これらの事件はまだ可愛いらしい気がする。会社を作っては潰し作っては潰した西崎氏の行為の中でも、本書で述べられている第一期オフィス・アカデミーの倒産、JAVN(ジャパン・オーディオ・ビジュアル・ネットワーク)の倒産、ウエスト・ケープ・コーポレーションの倒産に至る際の、他人を騙し、部下に責任を押し付けて、自分だけとっとと逃げ出す振る舞いは、まったく卑劣極まりない。彼のために莫大な借金を負わされて苦しんだ者、会社を倒産に追い込まれた者、破産させられた者。西崎氏の人生は、そういう不幸を生み出すことの連続だ。
それでも多くの人が西崎義展氏の口車に乗り、苦楽を共にすることを選んだ。『宇宙戦艦ヤマト』の原案者だった豊田有恒氏は、自著の中で西崎義展氏への恨みつらみを吐露しながらも、新作の話を持ちかけられるとつい協力してしまい、宇宙戦艦ヤマトシリーズにアイデアを提供し続けたことを振り返り、西崎氏の"人たらし"ぶりを綴っている。
では、本書『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』から、印象深い記述をいくつか拾ってみよう。
西崎義展氏がアニメ業界で旋風を巻き起こせた秘密は、ショービジネス出身だったことにある。『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』の挿入歌「サーシャわが愛」の歌い手に、NHK紅白歌合戦の大トリも務めた歌謡界の大御所・島倉千代子さんを起用したのはアニメファンにとって驚きだったが、考えてみれば西崎氏はショービジネスこそ本業だったのであり、島倉千代子さんも彼が公演プロデュースを手掛けた歌手の一人に過ぎなかった。
本書の著者は、西崎義展氏の芸能プロダクションで一緒に働いた長島正治氏に取材している。
西崎の仕事ぶりは若い長島を大いに感心させた。いつもノートを持ち歩きチェックをおこたらない。(略)すべての費用を細かく書き出し、長島と二人で予算をまとめた。(略)西崎の緻密さには舌を巻いた。こうした手堅さ、客を引きつける企画構成、プレゼンテーションの巧みさが買われ、(略)さらに仕事は拡大していく。
「さすが日本舞踊の跡取り(西崎緑の血縁)は違う。舞台へのこだわりが半端じゃない。」
西崎義展氏は、日本舞踊の西崎流の初代家元・西崎緑氏の甥ではあったが、跡取りというわけではない。役者志望で劇団・文学座の研究生だったこともあるが、たいして舞台に立ったわけでもない。しかし、西崎氏に何度も煮え湯を飲まされた長島氏をしてこう云わしめてしまうほど、西崎氏の仕事は卓越していたのだろう。
興行の世界にトラブルはつきものである。(略)タレントの女問題でヤクザと揉めることなどは日常茶飯事だったという。ただし、どんなに乱暴な言いがかりでも、即座にトラブルを解決して幕を開けなければ公演プロデューサーは務まらない。生き残るためには「(女を)抱かせ、(酒を)飲ませ、(金を)握らせる」ことなど当たり前の世界である。もともと荒事をいとわない西崎ではあるが、こんな日常に染まっていれば、後年、虫プロやアニメの仕事ぶりに接して「甘っちょろい」と感じても当然であろう。逆にアニメ業界人から西崎を見れば、得体の知れないモンスターと映っても不思議はない。
西崎義展氏の芸能プロダクションは一定の成功を収めていた。しかし、西崎氏のワンマン支配は人心の離反を招き、事業にも悪影響が出てしまう。
ここで西崎氏は卑怯卑劣な行動に出る。不渡り間違いなしの小切手を発行し、不渡りになる直前にまとまった額の現金を持って自分だけヨーロッパへ逃亡したのだ。残された者たちの境遇は悲惨だった。小切手の不渡りのため、ある会社は倒産に追い込まれた。小切手は他人名義のものだったから、振出人になっていた人物は全額の支払い責任を負わされた。
長島正治氏にしても、一円の退職金も払われないまま社長が海外に高飛びしてしまったのだから、たまったものではない(後年、たび重なる西崎氏の仕打ちに怒った長島氏は、西崎氏に騙され金を巻き上げられた者たちが手を組んで反撃する際のキーマンになる)。
一年半の後に帰国した西崎氏は、広告代理店との繋がりを作り、その紹介で虫プロ商事に転がり込んだ。
西崎氏の虫プロ時代にともに仕事をした柴山達雄氏は、こんな言葉を聞かされたという。
「舞台は幕を上げたら最後、途中で下ろすことはできない。だから準備は真剣勝負で緻密にやる。俺は民音(民主音楽協会:引用者注)でその舞台のプロデューサーを長年やってきた。それに比べたらアニメの世界は甘い」
ヤクザ相手に命懸けで舞台の幕を開けてきた西崎氏にしてみれば、アニメを作りたいという純粋な気持ちだけで手塚治虫氏が立ち上げた虫プロなど、甘っちょろくて仕方なかったことだろう。
そんな西崎氏だから、手塚治虫氏から『海のトリトン』の権利を「ひっぺがし」、そのアニメ化作品を我が物として展開することができたのだろうし、アニメ業界でまだ手が付けられていなかった版権ビジネスという鉱脈を掘り当て、キャラクター商品や企業のノベルティーに活用することで、後の『宇宙戦艦ヤマト』制作の軍資金ともなる富を手に入れることができた。
このように書くと西崎氏がアニメ業界人を手玉に取った悪党のようだが、その働きぶりを高く評価する人もいた。
『ワンサくん』のスタッフだった柴山達雄氏は こうも云っている。
「みんな疲れ切っていても質の要求はうるさかった。朝方や深夜のラッシュ試写にも必ずやってくるし、これが本物のプロデューサーだと惚れ込んでしまった」

もちろん『海のトリトン』や『宇宙戦艦ヤマト』も素晴らしい作品だが、テレビアニメ初プロデュースということで、西崎氏がまだあまり口出しできなかった(相対的に富野喜幸(現、由悠季)監督の考えが反映された)『海のトリトン』や、豊田有恒氏、藤川桂介氏、そしてアニメ制作にはじめて参加した松本零士氏の情熱があればこその『宇宙戦艦ヤマト』(1977年に朝日ソノラマから発行された『月刊マンガ少年臨時増刊 TVアニメの世界』収録のインタビューで、西崎義展氏は松本零士氏の貢献がなければ『宇宙戦艦ヤマト』はできなかったと強調している)に引きかえ、前代未聞のミュージカル・テレビアニメ『ワンサくん』に挑んだチャレンジ精神と完成度の高さは、音楽畑を渡り歩いてきた西崎氏ならではのものであり、氏のショービジネスのプロデューサーとしての実績がプラスに作用した結果だと思う。
■「"特攻"は最初に決めていた。」
さて、私が本書を取り上げたのは、日本のアニメビジネスに大変革をもたらした西崎義展氏の足跡をたどりたかったからではない。『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』を読んでいて、どうにも気になる記述があったからだ。
その記述に言及する前に、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』について触れておこう。
1977年夏に劇場版『宇宙戦艦ヤマト』がヒットすると、西崎義展氏はさっそく翌年の夏に続編『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』を公開し、さらなる大ヒットを飛ばした。
両作のヒットが日本のアニメーション史、映画史を書き変える大事件だったことはいまさら私が述べるまでもないが、『さらば――』は大きな問題をはらんでいた。
どれほど力を尽くしても倒すことができない白色彗星帝国。万事休すとあきらめかけたとき、前作で亡くなり英霊となっていた沖田艦長が主人公古代進に語りかける。
「お前にはまだ武器が残されているではないか。戦うための武器が。(略)命だよ。(略)お前にはまだ命が残っているじゃないか。なぁ、古代。人間の命だけが邪悪な暴力に立ち向かえる最後の武器なのだ。(略)死んでしまって何になる、誰もがそう考えるだろう。(略)男はそういう時でも立ち向かって行かねばならないときもある。そうしてこそ、はじめて不可能が可能になってくるのだ。」
この言葉を受けて古代は特攻を決意し、敵に向かってヤマトごと突っ込んでいく。
『宇宙戦艦ヤマト』第一作のファンは、少なからずこのセリフに首をかしげたはずだ。沖田十三はこんなことを云う人ではなかったからだ。
『宇宙戦艦ヤマト』第1テレビシリーズの第1話、どれほど力を尽くしてもガミラス艦隊を倒すことができない沖田は、地球艦隊の撤退を決断し、異議を唱える部下に反転を命じる。このとき、自艦だけでも戦場に留まろうとする古代守(進の兄)に、沖田はこう云ったのだ。
古代「沖田さん、男だったら、戦って戦って戦い抜いて、一つでも多くの敵をやっつけて、死ぬべきじゃないんですか!」
沖田「古代、判ってくれ。」
古代「沖田さん、僕はどうしても逃げる気になれません。見逃してください。お元気で。地球のことをよろしくお願いします。」
沖田「……死ぬなよ、古代。」
沖田十三とは、決して命を投げ出さず、なんとしてでも生き延びて明日に備える人だった。その沖田が、「命が武器だ」などと云うはずはないのだ。

1941年の夏、軍官民から選抜されたエリートたちが、総力戦研究所で二ヶ月かけて日米戦争のシミュレーションを行った。彼らがその専門知識と豊富なデータを駆使して出した結論は「日本必敗」。日米が開戦すれば必ずや大日本帝国が敗北するであろうことを、エリートたちは見通していたのである。当時陸相だった東條英機は、この報告を聞いて蒼ざめたという。そして、若手エリートたちにこう告げた。
「日露戦争でわが大日本帝国は、勝てるとは思わなかった。しかし、勝ったのであります。あの当時も列強による三国干渉で、止むにやまれず帝国は立ち上がったのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。戦というものは、計画通りにいかない。意外裡なことが勝利につながっていく。」
「止むにやまれず立ち上がった」「意外裡なことが勝利につながる」という東條英機の言葉と、「立ち向かって行かねばならないときもある」「不可能が可能になってくる」という沖田のセリフの、なんと似通っていることか。
1941年12月、首相になった東條は日米戦争を開始。戦局はほぼ総力戦研究所のシミュレーションどおりに推移して、大日本帝国は大敗北。数百万人の日本人が死ぬことになった。1941年夏の報告に間違いはなかったことを確かめただけの戦争だった。
『さらば――』の沖田のセリフは、まさに失敗するリーダーが、配下の者を破滅に導くときの言葉なのだ。
個人の長い人生においては、頑張ったおかげで不可能と思われたことが達成できたなんて経験もあるかもしれない。だが、個人的に頑張ることと、戦争指導者が部下に命じることとは違う(『さらば――』では、古代進の兄・守や父母ではなく、上司だった沖田が古代を説得している)。しかもここで「命を武器にする」のは、すなわち死を意味するのだ。
『宇宙戦艦ヤマト』第一作からのファンを裏切るような『さらば――』のラストに、松本零士氏は猛反対した。
このラストシーンに対して特攻の美化を良しとせず、たとえ負け戦でも生き残る意志、再建への闘いを描くべきであると主張したのが松本零士である。(略)議論は白熱したが、最終的には全権プロデューサーである西崎が押し切った。(引用者注:当時は制作助手だった)山田哲久によれば、西崎は「宇宙戦艦ヤマト」最後の作品として、ヤマトの消滅、古代進と森雪の死を当初から決めていたという。そして、その最期をいかに盛り上げるかの作劇が西崎の考えどころだった。思想以前に興行師としての勘で、この特攻シーンは必ず観客に受けると見抜いていたに違いない。
白熱した議論を押し切ってまで描いた特攻シーンはわずか8ヶ月後の『宇宙戦艦ヤマト2』の最終回で撤回されてしまうのだから、西崎義展氏にとっては「思想」よりも「受け」が大事だったのだろう。
だが、受ければ良いというものではない。『宇宙戦艦ヤマト』の最初期のファンクラブ、YA(ヤマト・アソシエイション)を立ち上げ、ヤマトファン第一期生といえる氷川竜介氏は、『さらば――』に接して次のように感じたという。
見逃せないのは「親を通じて戦争を知っているギリギリの世代」と自任する氷川たちにとって、やはりラストの特攻シーンは許容しがたいものだったことである。「死んで星になろうとする恋人たち」(古代進と森雪)に無邪気な感動の涙を流す観客を見て、氷川は言い知れぬ危機感を覚えたという。
氷川竜介氏は『宇宙戦艦ヤマト』本放映時に高校二年生。『さらば――』公開時はもう大学生だった。このとき「無邪気な感動の涙」を流した観客とは、たとえば1964年生まれで、学年でいえば氷川竜介氏の七つ下の山崎貴氏あたりの世代になるだろう。
実写版ヤマト『SPACE BATTLESHIP ヤマト』(2010年)を監督した山崎貴氏は、『宇宙戦艦ヤマト』本放映時に小学四年生、『さらば――』公開時は中学二年生だ。『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』の文庫版に寄せられた山崎貴氏の「解説」によれば、長野県松本市に住んでいた山崎氏は『さらば――』公開前夜に放送された「オールナイトニッポンスペシャル」から流れてくる東京の劇場前に並んだファンの声に耳を傾けながら、「遠くの方で同世代の人たちが凄く面白いことに参加している」と羨ましがったそうだ。
(なお、山崎貴氏の「解説」には、いくつかおかしな記述がある。これについては別の記事で触れるとしよう。)
山崎貴氏が手がけた『SPACE BATTLESHIP ヤマト』は『宇宙戦艦ヤマト』の実写版のはずだったが、途中から『さらば――』の実写版になっている。当初はヤマト実写化が自分にオファーされなかったために「のたうち回るほど嫉妬を感じ」たという山崎監督が、希望が叶って自分の手で実写化した結果が『宇宙戦艦ヤマト』よりも『さらば――』のラストを再現することだったのだから、『さらば――』がこの世代に与えたインパクトの大きさが判る。『SPACE BATTLESHIP ヤマト』の脚本を担当した佐藤嗣麻子氏も、山崎監督と同じ1964年生まれである。
『SPACE BATTLESHIP ヤマト』から三年後の2013年に山崎貴監督が発表した『永遠の0』は、映画の舞台こそ太平洋戦争に移したものの、『さらば――』を再びなぞるような特攻の話だった。この映画には『さらば――』とは無関係な原作小説があるのだが、原作では主人公が特攻しても敵艦に損傷を与えられなかったことや、主人公の遺骸が葬られたことまで描写されているのに対し、映画『永遠の0』は主人公が敵艦にまさに突っ込まんとするところまでしか描いていない。
ヤマトファン諸氏は憶えておいでだろうが、『さらば――』のラストは敵艦に突っ込むヤマトこそ描かれるものの、その特攻の結果は描かれない。画面の奥に遠ざかっていくヤマトが見えなくなり、思わせぶりな小さな光が輝くだけだ(それは白色彗星帝国の超巨大戦艦がヤマトの体当たりを受けて爆発したのかもしれない一方、満身創痍で攻撃できないヤマトでは超兵器で迎え撃つ超巨大戦艦に近づけずに撃墜されたのかもしれないし、ヤマトより先に突っ込んでいった反物質体のテレサが超巨大戦艦と反応して対消滅を起こしたのかもしれない)。
主人公を取り巻く人々の姿が次々映し出されながら、決定的な瞬間はあえて見せず、感傷的な主題歌で盛り上げる。映画『永遠の0』は忠実に『さらば――』のラストをなぞったといえる。
こうして『さらば――』に感動の涙を流した世代は長じて同様の作品を再生産し、より若い世代に感動の涙を流させて、氷川氏が言い知れぬ危機感を覚えたものをまた植え付けていくのである。
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『さらば――』のラストに松本零士氏が反対したのは、このような作品を作ることが氏の信念に反したからだろう。
松本零士氏に密着したドキュメンタリー番組『ザ・バイオグラフィー「松本零士」』(2018年12月)[*2]は、氏のこんな言葉を紹介している。
「みんなが楽しめるものを作りたい。未来への夢を描きたい。だから生き延びたい。生命は生きるために生まれてきた。これを原則にして描きたいわけです。」
『さらば――』の公開から40年を経ても、松本零士氏の信念は変わらない。主人公が死を選ぶようなことは、ましてやそれを「自分の命を、宇宙いっぱいに広がって永遠に続くものに変えに行く」と美化するようなことは、許せるはずもなかった。
本書は、その松本零士氏の思いが、氏や家族の体験に根差すものであると説く。
陸軍航空隊の戦隊長だった松本零士氏の父は、多くの部下や士官学校の同期生を戦争で失った。自身も1944年から南方の戦場で戦っていた。その頃、幼い零士氏は愛媛に疎開していた。
「もう宇和島のほうからね、延々とB-29の大群が広島・呉のほうへ行くわけですよ。私の頭上を通ってんですよ。で、行き帰りに爆弾は落とす機銃掃射はする。そういう現実の戦いを体験してるわけです。」[*2]
戦争が終わり、父は生還できたものの、公職追放になって一家は極貧生活に陥った。野菜を売ったりして、家族七人が食いつなぐ日々だった。
一方、松本零士氏より三歳上の西崎義展氏は、裕福な資産家の家に生まれた。父は大企業の役員を歴任、父方の祖父は東京女子薬学専門学校(現・明治薬科大学)の校長で正三位勲二等受章。大学に進む人がまだまだ少ない時代に、父も祖父も親類の男子ほとんどが帝大(東大)を出る家柄であったという。父の妹は日本舞踊の西崎流の創設者で、ラジオ番組にレギュラー出演する有名人だった。
裕福な名門家庭に生まれたことで弘文(引用者注:義展氏の本名)は鷹揚なボンボン気質を身に付けた。(略)戦後の成功者に多く見られる生活苦からの脱出、家族を食わせるための刻苦勉励というパターンを踏んではいない。理不尽な下積み生活を強いられなかったことで他人におもねるような卑屈さを持たなかった反面、弱者への共感やいたわりの心には欠ける。
(略)
西崎の「母方の祖父は海軍大将」だったと雑誌(「キネマ旬報」(引用者注:1983年3月下旬号))にはある。ただし母の旧姓と同姓の海軍大将は実在せず、他のメディアでは一切語られていないことなので事実かどうかは断定できない。「ヤマト」のプロデューサーとしては、祖父は大将クラスのエリート軍人がふさわしいという西崎流のリップサービスだったのかもしれない。ともあれ西崎の頭には、軍人といえば大将、という最高指揮官のイメージがあったことは確かだろう。その発想からすれば、特攻の理不尽さよりも犠牲的精神の崇高さに価値を見出しても不思議ではない。松本の父親が陸軍航空隊の生き残りであり、多くの部下と同期生を失ったことを考えれば、こうした環境、意識の違いが意見の対立につながることは必然である。
松本零士氏と西崎義展氏の意見の対立を、その幼少期からの環境、経験に求めたのは慧眼だと思う。多くの仲間を戦争で失った父の体験を知り、どん底の生活で生き延びることに汲々とした松本氏と、裕福な家庭でNHK交響楽団の定期演奏会に連れて行ってもらったりした西崎氏では、考え方が異なるのはとうぜんであろう。
私はここに、物語を構想する際に誰の視点で見ているかという問題も付け加えたい。
一般的には、受け手はもちろん作り手も主人公の立場で考えることが多いと思う。『さらば――』であれば、追いつめられた古代進の立場でどうすべきかを考えるはずだ。松本零士氏も、古代は特攻するべきか否か、主人公はどう行動するべきかという視点で考えたに違いない。
他方、『さらば――』のラストにおける西崎義展氏の視点は、沖田艦長にあったに違いないのだ。部下を死地に追い込むのは、西崎義展氏の人生そのものだからだ。
アニメ業界に入る前のショービジネス時代に、傾いた会社に部下を残し、自分だけ現金を持ってヨーロッパに高飛びしたことは前述したが、『宇宙戦艦ヤマト』が成功してからも、西崎氏は同様のことを繰り返した。西崎氏には大ヒット作といえばヤマトしかなかったから、なのに派手に金を使って手を広げたから、何度も危機に陥ったのだ。
ヤマトが波動砲を撃っても、ありったけの武器弾薬を注ぎ込んでも、白色彗星帝国を倒せず危機に陥ったように、西崎氏が『オーディーン 光子帆船スターライト』(1985年)を放っても、実写映画『パッセンジャー 過ぎ去りし日々』(1987年)を放ってもヒットには結びつかず、経営危機が迫ってきた。
『パッセンジャー』が失敗し、他の事業もうまくいかないJAVNの負債は77億円に達していた。この沈みゆく船に見切りをつけて部下たちが辞めようとしても西崎氏は辞任を許さず、「お前にはまだ命が残っているじゃないか」とばかりにもっとも忠実な部下を代表に就任させると全責任を押し付けて、自分は辞任して逃げてしまった。西崎氏にかわって代表に就いた部下は、超巨大戦艦に突っ込む古代よろしく会社の借金を個人保証して、自己破産に追い込まれたようだ。
ウエスト・ケープの子会社ジュピターフィルムズの代表に任命された山木泰人氏も辛酸を舐めさせられた。
山木氏は、制作を担当した『うろつき童子』シリーズのセールスが好調でウエスト・ケープに貢献していたが、西崎氏は自身が代表を務めるウエスト・ケープの支払いをジュピターに負担させたり、ジュピターの売上はウエスト・ケープに計上したりと、ジュピターの利益を吸い上げながら資金繰りのしわ寄せをジュピターに負わせるようになった。とうぜん、ジュピターの資金繰りはショートする。ジュピターに自己資金を投入し、運転資金の一部を個人の借り入れで賄ってもいた山木氏がたまりかねて談判すると、西崎氏は「ジュピターの代表はお前だろう。お前がなんとかする問題だろう」と相手にしない。さすがに山木氏は西崎氏と決別しようと辞任届を出すが、あろうことか西崎氏は『うろつき童子』の新作づくりを妨害し、自分への服従を求めてきた。
散々な目に遭った山木氏は、西崎氏と袂を分かった後もジュピターの負債を個人で支払わねばならず、借金を返し終わるのに15年近くかかったという。
老練な沖田艦長が若い古代を説得して強大な白色彗星帝国に突っ込ませる『さらば――』のラストは、部下を泥船企業の代表に仕立てて経営責任を取らせる西崎氏の人生とシンクロしている。
部下たちを自己破産や借金苦に追い込みながら、自分はタックスヘイブンとして名高いケイマン諸島に財産を移送していた西崎義展氏は、どんな考えでいたのだろうか。
『さらば――』のラストで特攻を決意した古代が、犠牲になるのは自分一人だけで良いと、島たちに向けて語るセリフがある。
「世の中には、現実の世界に生きて、熱い血潮の通う幸せを作り出す者もいなければならん。君たちは、生き抜いて地球へ帰ってくれ。そして俺たちの戦いを永遠に語り継ぎ、明日の素晴らしい地球を作ってくれ。生き残ることは、時として死を選ぶより辛いこともある。だが、命ある限り、生きて、生きて、生き抜くこともまた、人間の道じゃないのか。」
部下に犠牲を強いる一方、自分はとっとと逃げて生き延びる西崎氏は、自分自身に向けてこんな言葉を繰り返していたのではなかろうか。
■そこは違う
いよいよ、『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』の「気になる記述」について述べるとしよう。
本書は西崎義展氏の生涯をたどった伝記であって、氏が携わったアニメの作品論ではない。だから、アニメを作る上で氏がどう振る舞ったかは書かれていても、作品内容への言及はほとんどない。西崎氏の勝負作であろう『メーテルリンクの青い鳥 チルチル ミチルの冒険旅行』(1980年)[*3]に関しても、不発に終わったことが述べられているだけだ。
そんな中、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』だけはそのラストシーンまで解説されている。それだけこの映画のラストがファンにとっての「事件」であり、西崎氏のビジネス――ファンとの交流と動員――との関わりが大きかったからだろう。
そして、西崎義展氏の長いアニメ人生を綴った本書において、ほとんど唯一『さらば――』に関しては作品内容について著者がコメントしている。
特攻を美化するものとして物議を醸した『さらば――』だが、本書は次のように「擁護」する。
アニメで特攻に近いシーンを描いたのは「ヤマト」だけではない。「鉄腕アトム」は最終回で人類を守るため太陽に向かって特攻し、「風の谷のナウシカ」、「機動戦士ガンダム」でも命と引き換えに共同体を守ろうとするシーンが出てくる。もちろん「ヤマト」の設定が太平洋戦争に直結していることは確かだが、西崎だけが軍国主義者扱いされても、本人は面食らうだけだったに違いない。
たしかに、西崎義展氏は極端な軍国主義者といえるほど強烈な思想の持ち主ではないかもしれない。ヤマトの人気が絶頂の頃、西崎氏はラジオ番組のパーソナリティーまで務めていた。少しでもヤマトの情報を得たい私は、日曜深夜の文化放送『宇宙戦艦ヤマトと乗組員たち』を眠気を我慢しながら毎週聴いたものだ。期待に反して身辺雑記みたいな話が多く、ヤマトの情報はあまり聞けなかったが、そこでも軍国主義的な発言が出た記憶はない。『さらば――』のラストにしても、本書の見立てどおり、まず興行師として「この特攻シーンは受ける」と判断したのだろう。
しかし、だからといって『さらば――』を『鉄腕アトム』や『風の谷のナウシカ』や『機動戦士ガンダム』と同列に扱って良いとも思わない。
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太陽の異常活動のために灼熱地獄と化した地球。人類は地球を脱出して宇宙へ飛び立っていった。ロボットばかりが残った地球で、地球大統領に就任したアトムは、率先して災害対策にあたり続ける。それでも異常気象が進行し、機械の冷却すら難しくなってきたとき、アトムは太陽の活動を抑えるカプセルを手に入れる。これをロケットで太陽近傍に運び、太陽めがけて打ち込めば、地球の気温を元に戻すことができるのだ。危険な任務だが、勇気と責任感に篤いアトムは、みずからロケットの操縦を買って出た。アトムの身を心配し、「気をつけて」と声をかける家族たち。
この状況からお判りのとおり、アトムは特攻するつもりではなかった。
アトムは無事に太陽のそばに近づくと、ロケットからカプセルを発射した。後はカプセルを見届けて地球に帰るのみ。ところが、カプセルは隕石に衝突して、方向がそれてしまう。このままでは太陽の活動を抑えられない。地球の温度は上昇し続け、生物はおろかロボットも全滅してしまうだろう。カプセルの発明者はもう死んでいたから、やり直しもきかない。
咄嗟にロケットを飛び出したアトムは、カプセルにしがみつくと、みずからの力で太陽に誘導することにした。愛する者たちに心の中で別れを告げ、太陽に近づいていくアトム(この時点で地球に人類はいないから、アトムの行動は人類を守るためではない。)。
やがて地球の気温は平常に戻り、人間たちも帰ってきた。そこにアトムの姿はないが、お茶の水博士は信じていた。いつの日か、きっとアトムが帰ってきてくれることを……。
『風の谷のナウシカ』のナウシカは、暴走する王蟲の群れの前に単身立ちはだかった。『機動戦士ガンダム』のリュウ・ホセイはアムロをかばおうとして、アムロに迫るマゼラトップの前にみずから突入した。
アトムとナウシカとリュウに共通するのは、愛する者、大切な仲間の危機を前にして、咄嗟の判断で、みずから行動している点だ。愛する者のために命を投げ出す作品は、日本のアニメに限らない。外国の映画でもしばしばそういう描写は目にするし、自然界に目を向けても、ひな鳥を救うためにみずから囮になる親鳥や、我が子を守るために飢えた牡シロクマを引きつける母シロクマの例もある。いずれも自然な行動といえるだろうし、これをもってして「特攻を美化している」と云う人はおるまい。
『さらば――』が決定的に違うのは、みずからの咄嗟の判断ではないからだ。
『さらば――』では、古代をかばって森雪が撃たれたり、真田志郎が古代を帰還させて自分は爆死することを選んだり、その真田のために斉藤始が盾になって弁慶のごとく銃弾を体で受け止めたりしたが、(あまりに死者が多くて気分が良くないのはともかく)『さらば――』が「特攻を美化している」と云われるのは、それら「みずから」「咄嗟の判断で」犠牲になった者たちを指してのことではないだろう。
『さらば――』のラストは違うのだ。そこでは、どうすればいいか判らなくなった古代の前に、かつての上司、沖田艦長の幻が現れて、命を武器にして戦うようにこんこんと説得するのだ。この説得を受け入れて古代は特攻を決意する。まだヤマトは動くというのに、まだ島をはじめとする18名が一緒にいるというのに、古代は自分一人で特攻しなければならないと思ってしまう。そして今度は島たちに、自分を残して退艦するよう時間をかけて説得する。こうして特攻の準備を整えると、古代は敵国の人々を殺すためにおもむろにヤマトを発進させ、古代たちの長いお喋りのあいだなぜかじっと待っていてくれた超巨大戦艦に静かに突っ込んでいく。退艦したヤマトのクルーも全地球人類も、古代の決意の気高さを称えるように、特攻するヤマトを見送っている。白色彗星帝国の人々さえも、古代の決意を尊重するように、ゆっくりゆっくり近づくヤマトを静かに待ち受ける。
――こんなアニメは他になかろう。カプセルが壊れるのを目にして咄嗟に宇宙に飛び出したアトムや、アムロをかばおうと咄嗟に身を投げ出したリュウと、とても同列には論じられない。お茶の水博士やアトムの両親が太陽に突っ込むように説得することもないし、説得するはずもない。風の谷の人々も、ホワイトベースの面々も、ナウシカやリュウにそんなことをして欲しかったわけではないし、できるものなら引き止めたに違いない。上司に説得されて死にに行く『さらば――』とは大違いだ。
わずかに似た描写として思い浮かぶのは、山崎貴監督の実写映画『永遠の0』だ。あの映画も、上官の説得を受け入れて出撃していく特攻隊員たちを見ているうちに、はじめは特攻する気なんかなかった主人公までもが特攻しようと決意する話だった。
「アニメで特攻に近いシーンを描いたのは『ヤマト』だけではない」と本書には書かれているが、『さらば――』が何を描き、他のアニメが描いたのは何かをきちんと切り分けて考えれば、このような「擁護」が成立しないのは明らかだろう。
(「『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男』 山崎貴監督のここが違う」につづく)
[*1] 牧村康正・山田哲久 (2015年) 『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』 講談社
2017年に講談社+α文庫から加筆・修正した文庫版が発行された。本記事は文庫版に基づいている。
[*2] 『ザ・バイオグラフィー「松本零士」』 ヒストリーチャンネル 2018年12月22日放映

本書ではあまりにも『メーテルリンクの青い鳥 チルチル ミチルの冒険旅行』への言及が乏しいので、少々補足しておこう。
ショービジネス出身でアニメに関するバックグラウンドがなかった西崎義展氏は、ショービジネスの要素をアニメに注入すること――すなわちショービジネスとアニメの融合こそが自分にしかできないこと、自分の強みだと考えていたのではないかと思う。
そのためか、初のアニメプロジュース作品『海のトリトン』では、主題歌を歌う須藤リカとバックを務める南こうせつとかぐや姫の実写映像をオープニングに持ってきて、歌詞も「さあ歌おう 七つの海の音楽会」とあたかも音楽番組のノリだった。ところが本編は富野監督が紡ぐ凄惨な戦いの物語。のんびりした曲調の主題歌は早々にエンディング曲と交替することになり、元々エンディングだったヒデ・夕木の「GO! GO! トリトン」のほうが主題歌であるかのように認識されるに至った。
二番目の作品『ワンサくん』は、歌い叫ぶキャラクターの口の動きが歌詞ときっちり同期するという、当時のテレビアニメとしては驚異的に手のかかったミュージカル作品だったが、『海のトリトン』同様、視聴率は取れなかった。
ショービジネスとアニメの融合に連続して失敗した西崎氏はいったんこの路線をあきらめるのだが、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』と『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』のヒットで大成功を収めると、改めてミュージカル・テレビアニメに挑戦する。
キャラクター原案・松本零士、脚本・藤川桂介、音楽・宮川泰、総作画監督・芦田豊雄という『宇宙戦艦ヤマト』を成功させた最強メンバーを再結集させ、題材はかの有名な『青い鳥』の世界初のアニメ化。監督に招聘した笹川ひろし氏は、本書では代表作として『タイムボカン』シリーズが挙げられているが、むろん『タイムボカン』のギャグセンスが買われたのではあるまい。ギャグもSFもアクションも得意な笹川氏は、さらに『メーテルリンクの青い鳥』とよく似た趣向の異世界ファンタジー『ポールのミラクル大作戦』を成功させた実績があったのだ。こうして『ワンサくん』のときに豪語していた「日本のディズニーを目指す」という夢に再び挑んだ西崎氏は、またもオープニング、エンディングに歌手の実写映像を持ってくるという、『海のトリトン』のリベンジにも出た。そしてフジテレビ系の放映枠を得るバーターとして、それまで読売放送で放映していたヤマトをフジテレビ系に差し出すことまでした。美輪明宏さんを起用した唯一のテレビアニメでもある。
こうまでした『メーテルリンクの青い鳥』は不発に終わり、西崎義展氏がミュージカル・アニメを作ることは二度となかった。この路線で当てることができていれば、西崎義展氏の人生は違うものになっていたかもしれない。

著者/牧村康正・山田哲久
単行本発行/2015年9月8日 文庫版発行/2017年12月20日
ジャンル/[伝記]

『宇宙戦艦ヤマト2199』 佐渡先生の大事な話
なのにブログで取り上げなかったのは、「云うまでもない」と思ったからだ。
私は反省しなければならない。
大事なことは、はっきり言葉にして伝えなければならないのだ。きっと判っているだろう、察しているに違いない、そんな期待や思い込みは、大事なことを埋もれさせ、誤りを定着させかねない。
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『宇宙戦艦ヤマト2199』は『宇宙戦艦ヤマト』のリメイクでありながら、大小様々な改変が試みられている。
本作の総監督とシリーズ構成を担当した出渕裕氏は、リメイクに当たってこう語った。
「長年ファンであった自分の中で良かったところはキチッと残しながら、それに対して、いくらなんでも今見たらそれはないだろうというような話も結構あるわけで、(略)それに対して(理屈を)付けてくことで、それが逆にただ付けて言い訳で終わるんじゃなくて、もっと面白い形に転換できるんだったら、それは積極的にやっていこうと」
その成果が、たとえばデスラーとシュルツの肌の色の違いだ。
オリジナルの『宇宙戦艦ヤマト』では、第11話を境にガミラス人の皮膚が肌色から青色に変えられた。そのため第9話で退場したシュルツら冥王星前線基地の人員は、ガミラス人でありながら青く描かれることがなかった。放映の途中で肌の色を変えるという大胆な設定変更に視聴者は困惑したが、『2199』ではシュルツたちを植民星出身の二等ガミラス臣民と位置づけることにより、ガミラス本星にいるデスラーたちとの肌の違いを説明している。
デスラーがかつての敵を自軍の一部として編入したため、肌の色の異なる種族がガミラス軍に交ざっているという説明を、出渕総監督は高校生の頃に考えていたのだという。
「『宇宙戦艦ヤマト』は画期的な作品でしたが、放映当時、十代だった私が見ても筋の通らないところが目に付きました。年上のSFファンが『宇宙戦艦ヤマト』はおかしいと指摘するので、私はヤマトを擁護して論争したものです。しかし、そんな私でさえ、あまりにもおかしいと感じることがありました。友人たちに反論しながらも、おかしいところは正したいものだと考えていました。
SFの魅力は、架空の世界であってもリアルに感じさせてくれることです。『宇宙戦艦ヤマト』の数々の非合理な部分を、論理的で納得できるものに変えていく。それが『宇宙戦艦ヤマト2199』で私がやりたかったことです。
私は十代の頃から三十年以上にわたって、どうしようか考えてきました。三十年のあいだ考えたことのありったけを、この作品に反映しました。」
『宇宙戦艦ヤマト2199』の魅力の一つは、多くのヤマトファンを何十年も悩ませ苦しめてきた数々のおかしな点に、まさにドンピシャな回答が示されたことにあるだろう。
科学考証に天文学者の半田利弘氏を、SF考証には日本SF大賞受賞作『ガメラ2 レギオン襲来』の鹿野司氏を迎え、艦艇の乗組員等の描写については海上幕僚監部に取材協力まで仰いで、「今見たらそれはないだろう」という部分を論理的で納得できるものに変えながら、『2199』なりのリアリズムを追求した成果が全26話にぎっしり詰まっている。
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面白いのは、あえて現実味を損なってまでケレン味も効かせていることだ。
たとえば第3話ではじめてワープする描写は、科学的な考慮よりもケレン味を優先した最たるものだろう。このときヤマトは、進行方向に発生させたワームホールに突入すべく猛烈に加速している。艦尾ノズルからまるで月ロケットのようにもくもくと何かを噴射し、艦体はガタガタ揺れる。
実のところ、ワームホールを潜り抜ければワープできるのだから、通常空間で加速しておく必要はない。本来は不自然な描写だろうが、凄まじく加速して、あまりの振動に乗組員が苦しそうにするからこそ、これから凄いことが起こりそうな緊張感を高めることができる。この描写があるからワープ中の静けさが引き立てられ、シーン全体が迫力あるものになっているのだ。
こういう「いい加減なこと」が許されるのは、それが作品世界に破綻をもたらさない範囲に留まっているからだ。
第3話では、通常空間での加速の描写がなくてもワープを描くことはできる。スター・ウォーズシリーズのように、宇宙船が一瞬にしてスッと通常空間から消え去る描き方でもいいはずだ。それをあえて、艦体がガタガタ揺れる描写にしたわけだが、そうしたところで物語上とくに大きな影響はない。影響の出ない範囲を見極めながら、あえて仰々しく描くのがヤマトらしくて楽しい。
第1話の冥王星会戦で、地球艦隊の放ったビームがガミラス艦の装甲に跳ね返されるときもそうだ。
本来は反射角の方向に真っ直ぐビームが進行するべきなのに、『2199』では跳ね返ったビームがグニャリと曲がり、当初の進行方向に戻ってガミラス艦を越えていく。
科学的にはおかしな描写だが、ビームを真っ直ぐ進行させずに、わざわざ旧シリーズの「ヤマトらしさ」「松本零士らしさ」を再現した心意気がファンには嬉しい(光の直進性や反射角の概念は小学三年生くらいで学ぶから、『2199』の客層には洒落でやっているのが判るだろう)。
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このようにケレン味たっぷり遊び心どっさりで楽しませてくれる一方、本作は重要な点では科学的にも社会的にも適切な表現になるように注意を払って作られている。
その最たるものが、オリジナルの第1テレビシリーズにあった「放射能汚染」という設定を消し去ったことだろう。
「放射能汚染」、「放射能に汚染された……」という云い回しは、『宇宙戦艦ヤマト』に限らず当時のフィクションでしばしば使われていた。だから、1970年代の子供はなんとなく「"放射能"という物質があって、それに汚染されることが"放射能汚染"なんだろう」くらいに思ったものだ。しかし、大人になれば「放射能汚染」という言葉が誤用であり、何も表現できていないことが判ってくる。せめて「放射性物質による汚染」等の表現にしておくべきだった。
言葉だけでなく、「放射能の地下汚染が進行し、人類絶滅まであと一年」という『宇宙戦艦ヤマト』の設定も、子供の頃はそういうものかと受け止めていたが、大人になって改めて考えると何を云っているのかよく判らない。
放射性物質が地下に進行していく? どんなメカニズムで進行するのだ?
いま絶滅を免れているのに、一年経つとなぜ絶滅するのだ? 放射性物質の特徴は、勝手に崩壊して時間とともに減っていく(放射性物質ではないものに変わっていく)ことなのに、なぜ一年経つと脅威が増すのだ?
「放射能汚染による人類絶滅まであと一年」という設定には、「放射能汚染」というなんだか凄そうな脅威と、絶滅が迫る悲壮感と、生存までの時間が区切られたサスペンスとが感じられ、娯楽作の背景としては面白いアイデアだったと思う。
だが、まともに考えれば、この設定を継承して説得力のある合理的な作品にするのは無理がある。
ましてや、オリジナル『宇宙戦艦ヤマト』では、第13話「急げヤマト!!地球は病んでいる!!」においてヤマトの乗組員たちが捕虜のガミラス人を調べ、身体的には地球人と変わらないと結論づけたにもかかわらず、最終回(第26話)「地球よ!!ヤマトは帰ってきた!!」においてガミラス人が地球人よりも放射線の強い環境を好むかのような描写がある(それゆえ、森雪がコスモクリーナーDを作動させて、ガミラス人とともに浸入した"放射能ガス"を除去する(放射性物質の濃度を減少させる?)シーンが見せ場になる)。
はたして、ガミラス人は地球人よりも放射線の強い環境を好むのか。放射線が弱まるだけで退却するものなのか。そもそも何のために地球を「放射能汚染」させたのか。汚染された地球に住みたかったのか、汚染されても住めるのか。
劇中の描写があまりにもチグハグで、筋のとおった説明を見つけるのは難しい。
このような状況だから、『2199』から「放射能汚染」の設定を消し去るのは――大英断だったかもしれないが――たしかに必要なことであった。
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1974年10月から放映されたオリジナルの『宇宙戦艦ヤマト』に、「放射能汚染による人類絶滅まであと一年」という設定を持ちこんだのは、SF作家の豊田有恒氏だ。
豊田氏こそは、『宇宙戦艦ヤマト』の世界観の設定とストーリーの骨格を考案した人物であり、朝日ソノラマからノベライズ本が発行された頃は豊田氏が「原案」とクレジットされていた。豊田氏が裏番組の原作も担当したことを理由に、「原案」よりも一歩下がった「SF設定」というクレジットにされてしまった経緯は、同氏の著書『「宇宙戦艦ヤマト」の真実――いかに誕生し、進化したか』[*1]に詳しい(なお、「原案者」豊田有恒氏は、人物設定や各種デザイン等を担当した松本零士氏こそ「おおよその原作者」であるとしている)。
同書によれば、西崎義展プロデューサーに請われて新作アニメの設定を作った当時、豊田有恒氏はSF作家に向けられた批難に憤っていたのだという。
1970年代、日本を揺るがす大問題は、大気汚染、水質汚染、土壌汚染等の公害であった。現在よりも規制がずっと緩かったこの時代、工場が出す廃液や煙が、国土を蝕み、人々を病気にして苦しめていた。『ゴジラ対ヘドラ』が公開され、放射性物質にまみれた怪獣ゴジラよりも、工場の廃液や煙を吸収した怪獣ヘドラのほうが恐ろしい脅威として描かれたのもこの頃だ。
同氏によれば、こうして多くの公害が社会問題化してくると、批難の鉾先がSF作家に向いたのだそうだ。SF作家はバラ色の明るい未来ばかり描いて売りまくってきたと、世間からみなされたそうなのだ。
SFの特徴の一つには風刺があり、実際には、人類の行く末に警鐘を鳴らすディストピア物や終末SFも数多く書かれている。バラ色の未来ばかり描いているなんて、とんでもない誤解である。
だが、そういう批難が起こってくると――少なくともそういう批難の鉾先が向けられていると感じた豊田氏は、豊田氏なりの回答として、「放射能」で破滅しかけている地球という舞台設定を考え出した。究極の公害として、地球規模の「放射能」汚染という背景を作り、『西遊記』をヒントにして、遥か遠い星に放射能除去装置を取りに行く旅を構想したのだという。
すなわち、『宇宙戦艦ヤマト』の「放射能汚染」とは、当時の公害の被害を誇張したものなのだ。地下の都市にこもっていても人類の滅亡が近づくのは、土壌汚染、水質汚染のイメージがあるからだろう。
有害物質が土壌に蓄積されただけなら、掘り返したり、そこで農作物を作ったりしなければ、ただちに人体に影響が出ることはないだろう。だが、有害物質が地下水に混入すると汚染は広く拡散され、井戸水を飲んだりすれば人体に健康被害をもたらしかねない。
こうした公害問題を念頭に置きつつ、原爆投下以来、日本人には恐怖の的である放射性物質をも織り込んだのが『宇宙戦艦ヤマト』の設定なのだ。「放射能の地下汚染が進行する」とは、地下水の汚染がジワジワ浸透するようなイメージに、放射性物質の恐怖を重ね合わせた、想像の産物であった。
こうして、バラ色でもなく明るくもない、絶望感でいっぱいの未来像がテレビを通じて発信された(豊田有恒氏が原作者として名を連ねた裏番組『SFドラマ 猿の軍団』も、人類滅亡後の絶望的な未来を舞台にしていた)。
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豊田有恒氏の著書『「宇宙戦艦ヤマト」の真実――いかに誕生し、進化したか』は、氏の記憶に基づいて書かれているから、出来事の正確な日付や詳細な前後関係の記述は乏しい。
たとえば同書には、1970年の大阪万博の後に生じた、高度成長とバラ色の未来に対する反省と反発、そしてSF作家に向けられた批難への、(豊田氏なりの回答である『宇宙戦艦ヤマト』のような)小松左京氏なりの回答が、極めつけの終末テーマ作品『日本沈没』(1973年)であると書かれている。
けれども、小松氏が『日本沈没』の執筆に取りかかったのは大阪万博よりも前、1964年のことであり、そこから9年もの歳月を費やして完成させた作品だから、西崎義展プロデューサーの依頼を受けてから設定の検討をはじめた『宇宙戦艦ヤマト』と同列に語るのはどうかと思う。小松左京氏は、1964年の段階で既に人類が滅亡の危機に瀕する終末テーマの傑作『復活の日』を発表しているし(同作執筆のために地震について調べたことが『日本沈没』発想のきっかけになっている)、日本がなくなって日本人が流浪の民になるアイデアは早くも1965年の『果しなき流れの果に』で披露している。
豊田有恒氏が西崎義展プロデューサーの依頼で新作アニメの設定を検討したのは、同氏の『「宇宙戦艦ヤマト」の真実――いかに誕生し、進化したか』によっても、牧村康正・山田哲久共著『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』[*2]によっても1973年だから、小松氏の諸作とはずいぶん時間の開きがある。豊田氏の本を読むだけだと、誤解が生じかねない。
とはいえ、『宇宙戦艦ヤマト』を作るに当たって原案者がどのような想いを抱いていたか、アイデアの源流がどこから来たかをうかがうには、同書は絶好の本である。
「人類絶滅まで、あと××日」というタイムリミットを設けたのは、『宇宙戦艦ヤマト』の10年ほど前に豊田有恒氏が脚本を手がけたテレビアニメ『エイトマン』の第26話「地球ゼロアワー」(1964年4月30日放映)の手法を流用したのだという。
30分ものの番組といっても、CMを除けば正味22分くらいしかない。そこで「地球ゼロアワー」では、間違って発射されたICBM(大陸間弾道弾)による東京の壊滅が22分後に迫り、これを阻止せんとするエイトマンの活躍を22分で描いたという。この間、番組では、東京壊滅までの残り時間があと何分何秒であるかをテロップで表示し、秒単位で破滅の時が迫ってくる趣向にした。
視聴者に大いに受けたこのアイデアを、テレビシリーズ全体に広げたのが、人類絶滅までの日数が毎回テロップで表示される『宇宙戦艦ヤマト』であった。
タイムリミットが切られているのは、緊迫感を盛り上げるうえで大層役に立つ。「放射能の地下汚染が進行し、人類絶滅まであと一年」という設定がどういう状況を指しているのかよく判らないことは前述したが、とにかく緊迫感が盛り上がるのは間違いない。
当時は、1972年に国際的なシンクタンク、ローマ・クラブが報告書『成長の限界』を発表し、人口増加や環境破壊、資源の枯渇によって人類文明は遠からず成長の限界に達するだろうと警告した頃だ。加えて、1973年には「1999年に空から恐怖の大王がやってきて、人類は滅亡する」という"予言"を紹介した本『ノストラダムスの大予言』がベストセラーになったりで、世の中は終末の予感に覆われていた。人口減に悩む今の日本とは対照的に、当時は人口増加が良くないことと考えられ、近い将来人類は増加する人口を支えきれずに破滅すると思われていたのである。
そんな世相に反応したのが『宇宙戦艦ヤマト』だった。人類滅亡の年とされる1999年を200年ほどずらした2199年、空から遊星爆弾が降ってきて、「究極の公害」によって地球の環境が破壊され、人類の滅亡が迫る。『宇宙戦艦ヤマト』の設定は、当時の流行を見事に取り入れたものだった。それは、当時の世相とは切っても切れないものであり、当時だから納得できる内容だった。
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同時にそれは、当時の世相におもねった設定と云えるかもしれない。
だが、さすがSF作家たる豊田有恒氏は、それだけで終わらせなかった。
豊田氏の構想では、地球を救う使命を帯びたクルーたちは、行く先々の星で様々な生命体と遭遇するはずだった。地球人とは似ても似つかぬ異星種族と接することで、クルーたちは宇宙の神秘と生命の不思議を思い知らされたことだろう。そしてたどり着いたガミラス星(豊田氏の命名案ではラジェンドラ星)で、クルーたちは地球人とは相容れない生命体に遭遇する。ガミラスの生き物は、放射線量の高い環境でしか生きられず、地球人が「放射能汚染」だと思っていたことは、ガミラスの生物が住みやすい環境に変えるための努力の結果だったのだ。

地球上にも放射性物質はゴロゴロしており、勝手に崩壊して放射線を放っている。私たちは日々放射線を浴びているのだが、地球の生物は数十億年にわたって浴び続けているから、もう痛くも痒くもない。
けれども、放射線の量が多くなると、体に変調をきたすであろう。
放射線を塩に例える話を聞いて、上手い云い方だと感心したことがある。
地球の海には多くの生物が棲んでいる。彼等は海の塩分のせいで死んだりしないし、ある程度の塩分は必要ですらある。ところが、塩分濃度が3%程度の通常の海に住む生物を、ヨルダン渓谷にある塩分濃度30%の死海に入れると、強い塩分に耐えられずに死んでしまう。少量なら毒でもなんでもないのに、大量になると害をなすのだ。私たち人間も、日々塩を摂取しているくせに、一気に大量に摂取すると体を壊す(食塩の半数致死量は3g/kg)。
放射性物質は危険でもなければ安全でもない。あらゆる物質と同じように、その特性に応じた取扱いをしなければならないということだ。物質が危険なのではなく、取扱いを誤れば危険なのである。放射性物質にもいろいろあるが、ものによっては私たちが日常生活で接する物質とは桁違いに慎重な扱いを求められることがあるから、そういう場合は特に注意が必要だ。
面白いことに、塩分濃度の高い死海にも、棲息する生物はいる。濃度が高いなら高いなりに、生きていくヤツはいるものだ。クマムシのように、高温でも低温でも、圧力が高くても低くても、宇宙空間で放射線にさらされたって生き延びる生物もいる。
ガミラスの生物も、私たち地球人より放射線量が多い環境で生きる設定だった。地球人がガミラス人だと思っていた連中は地球人に似せて作られたヒューマノイド型のロボットであり、グロテスクな巨大な植物こそがガミラス最後の生物だった。ロボットたちは、植物の移植先として地殻構造の似た地球を選び、放射線量をガミラス並みに高めようとしていたのだ。ガミラスの生物の生態として豊田氏の念頭にあったのは、放射線が多いと身体能力が向上するというホルミシス(放射強精)仮説であった。
地球の生き物とガミラスの生き物は、適した放射線の量が少し異なるだけなのだが、それは相容れない決定的な違いであった。
後年、同様のアイデアを活かして作られたのが『ガメラ2 レギオン襲来』である。地球の酸素濃度を自分にとって最適になるまで高めようとする宇宙生物レギオンと、大気中の酸素が20%程度に留まっていなければ生きていられない地球生物の攻防が、この映画では描かれていた。酸素はある意味で猛毒だが、酸素の解毒剤がなければ呼吸したくないという人間がいないように、すべては程度の問題なのだ。
『ガメラ2 レギオン襲来』は、決して共存できない宇宙生物と地球生物の衝突を通して、そんな異質な存在がいるかもしれない宇宙の広大さと、私たちが住む地球の環境の大切さを実感させた。

放射線は危険で、放射性物質は忌むべきものと思い込んでる人が多い時代に、「究極の公害」として「放射能汚染」を設定しながら、長い旅路の末にたどり着いた宇宙の果てには「放射能」が多いことを好む生物がいるなんて(しかも怪獣ではない)ことを視聴者に突きつける。そして、「放射能」が多いのも世界のあり方の一つであると知らしめる。
この構想が実現していたら、どんなにかショッキングだったことだろう。このSF的どんでん返しは、『宇宙戦艦ヤマト』の評価を一層高めたに違いない。
ちなみに、豊田有恒原案、石津嵐著とクレジットされたノベライズ本では、ヤマトのクルーはイスカンダル星にたどり着くものの、放射能除去装置は入手できない。「放射能」を取り除くことはできないので、放射線が多くても生きていける体に「進化」するよう諭されるのだ。スターシャから肉体改造技術を授けられた古代進と森雪は、新生人類のアダムとイブになるべく地球に帰還するのである。
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だが、豊田氏の素晴らしいアイデアは、SFを解さない西崎プロデューサーによって阻まれた。この設定では感情移入できないというのだ。
また、西崎プロデューサーはヒューマノイド型でないエイリアンの登場を嫌った。その結果、出来上がった作品には、やや昆虫に似たビーメラ星人を除けば、地球人と寸分違わぬ(せいぜい肌の色を塗り分けるくらいしかできない)異星人が溢れることになった。
西崎プロデューサーのこの判断は、評価が分かれるところだろう。豊田氏のアイデアに従っていれば、きっとSF的興奮に満ちた面白い作品になったに違いない。けれども、地球人同様の気概を持った勇将ドメルや、カリスマ性たっぷりのデスラー総統の登場が『宇宙戦艦ヤマト』を盛り上げたのは間違いない。『宇宙戦艦ヤマト』があれほど人気を博したのは、異星人を含めたキャラクターたちの人間臭いドラマのおかげでもあった。
ともあれ、豊田有恒氏のアイデアを西崎プロデューサーが阻んだために、オリジナル『宇宙戦艦ヤマト』は中途半端なおかしな作品になってしまった。
ガミラスの攻撃を受けた地球は「放射能」に「汚染」されるが、ガミラス人と地球人は肉体的に変わるところがなく、ヤマトのクルーはガミラス人捕虜と交流できる。なのに、ヤマトに衝突したデスラー艦からガミラス人が乗り込んでくると、ヤマトに充満した放射性物質によってクルーたちは全滅の危機に瀕する。
いったいガミラス人はどういう環境を好むのか、何のために地球を放射性物質で覆ったのか、まったくわけが判らない。
『宇宙戦艦ヤマト』をリメイクするに当たって、「いくらなんでも今見たらそれはないだろう」という点を正そうと思ったら、オリジナルでの中途半端なおかしさをそのままにするわけにはいかないだろう。
とはいえ、いまさら豊田案を全面採用するわけにもいかない。地球人とガミラス人をまったく異質な生物として描き、とりわけガミラス人はロボットだったなんてことにしたら、『宇宙戦艦ヤマト』にはじまる全シリーズを否定することになってしまう。
さりとて、終盤での大どんでん返しがあればこその「放射能汚染」の設定なのに、どんでん返しを省いて序盤の汚染ばなしだけ繰り返したら、オリジナルと同じく矛盾の噴出を招いてしまう。
『宇宙戦艦ヤマト2199』の作り手は、激しいジレンマを感じたに違いない。
ここで、『宇宙戦艦ヤマト』を支える核となるアイデアは何かと立ち返ったときに、一年間で往復する旅という設定こそが重要であり、それさえ残せば良いと気づいたのは慧眼であった。
『宇宙戦艦ヤマト』の元ネタになった『西遊記』でも、なぜ三蔵法師と悟空たちが旅をすることになったのか、気にする人は少ないだろう。三蔵は、乱れた世に天竺の経典をもたらすことで衆生を救おうとするのだが、具体的にどのように世の中が乱れたかは読者の興味のあるところではない。『西遊記』にしろ、それを元ネタにした多くの作品にしろ、受け手が興味を持つのは未知の世界を旅する冒険と孫悟空のかっこいい活躍だ。
『宇宙戦艦ヤマト』の魅力も旅の行程こそにあり、地球の汚染がどんなものかを詳しく述べなくても作品は成り立つ。少なくとも、数々の矛盾を生じさせてまで「放射能汚染」にこだわる必要はない。
かくして『宇宙戦艦ヤマト2199』では、汚染された地球を救うためにヤマトは旅立つものの、その汚染とは何なのか、どんな物質が原因なのか、具体的な説明は省かれた。
これは正しい判断だと私は思う。
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「放射能汚染」という設定を払拭すべき理由は他にもある。
大量の放射性物質による汚染という状況をきちんと描くのは難しいのだ。全26話を汚染状況の説明に費やすならできるかもしれないが、地球の様子はせいぜい最初の1・2話で説明を済ませ、ヤマトは宇宙に旅立たねばならない。それっぽっちの時間で、放射性物質の特性や、放射線を浴びた場合の影響を(劇場での特別上映に足を運ぶファンばかりでなく)テレビの前の幅広い視聴者に理解させるのは不可能だ。
アンリ・ベクレルによる放射線の発見から100年以上の時を経てもなお、放射線及び放射性物質に関する人々の理解が深いとはいいがたい。宇宙は放射線に満ちており、人間はいつも放射線を浴びながら暮らしていることさえ知らない人がいるかもしれない。
そんな状況で中途半端に放射性物質による「汚染」なんて話をしたら、放射性物質は危険なもの、きたならしいもの、けがらわしいものと思い込む人が出るかもしれない。この世界のどこもかしこも危険で、きたならしくて、けがらわしくて、そんな中で日々の生活を送らねばならないとなったら、人は耐えられるだろうか。
1945年の原子爆弾の投下は、日本に甚大な被害をもたらした。犠牲の多くは、爆発の熱と爆風、衝撃波によるものだったが、投下時の放射線や投下後に存在した放射性物質が発した強い放射線を浴びて病気になった人も多い。放射性物質は勝手に崩壊して時間とともに減っていくが、崩壊過程で放射線を出すのだ。
だが、原爆がもたらした恐ろしいものはそれだけではなかった。人々の無知と恐怖心が新たな害を生み出していった。病気がうつると恐れたり(放射線を直接浴びた人しか病気にはならないのに)、被爆者から生まれた子供も病気になるのではないかと心配する人が現れて、深刻な差別を生み出したのである。
1970年に少女マンガ誌『りぼん』に連載された『キャー! 先生』は、明るく楽しい学園マンガだったが、物語が進むにつれて悲劇的な展開になっていった。ヒロインの麻子先生は、親が戦争中に広島にいたことから、被爆の影響が自分に遺伝しているのではないか、自分はいつか白血病を発症するのではないかという不安にさいなまれていた。そして、こんな自分は恋人と結婚して家庭をもってはいけないのだと苦しんでいた。この作品では、包容力のある恋人が深い愛で彼女を受け止めて、ハッピーエンドを迎えたが、現実にはそんな恋人(とその家族)ばかりではない。
長年にわたる綿密な、そして膨大な調査によって、被爆の影響の有無が明らかになった今なら、麻子先生に伝えることができただろう。心配しなくてよいのだと。たとえ両親が広島で被爆していても、その影響が遺伝することはないのだと。
白血病どころか、かつては、被爆したら子孫が奇形になるのが当たり前であるかのような残酷な表現も多く見られた。原水爆の恐ろしさを強調する作品をつくることが核戦争への警鐘になると考えられたのであろうが、このような表現は現実にいる被爆者やその子・孫を苦しめ、彼らへの差別を助長することになりかねなかった。
当時は科学的な知見が得られていなかったから、被爆者の子孫を奇形呼ばわりしても仕方がなかったのだろうか。いいや、反戦を訴えるためであろうとも、現に被爆した人やその家族が生きている社会において、人道的に許される表現ではあるまい。
良識ある作り手は、こうした作品を撤回したり(『火の鳥』のCOM版「望郷編」)、改訂したり(『火の鳥』の「羽衣編」や、『サイボーグ009』の「移民編」)することで、誤った表現の改善に取り組んだ。
『宇宙戦艦ヤマト』の遊星爆弾と「放射能汚染」の描写が、原爆投下を模しているのは明らかだ。
たとえ作り手が意図的にそうしたのではなくても、都市を丸ごと破壊する巨大爆弾や「放射能汚染」を描こうとしたら、アニメーターが思い浮かべるのは広島と長崎への原爆投下のイメージしかありえない。日本人なら誰だってそうだろう。だから第1話では、「遊星爆弾による放射能の汚染は、地球の表面はもとより、地下をも着実に侵しはじめていたのである」というナレーションに合わせ、巨大なキノコ雲がもくもくと昇る様子が描かれて、原爆さながらの様相を呈していたのである。
『宇宙戦艦ヤマト』のリメイクに当たって「放射能汚染」という設定を払拭するのは、人道的にもとうぜんの処置だと思う。過去の誤った表現を改め、差別が起こらないように多くの人が努力しているときに、原爆投下をなぞりながら「放射能」による汚染だの絶滅だのと恐怖を植え付けるような描写を繰り返すわけにはいかない。
こうした様々な要素を勘案すれば、『2199』から「放射能汚染」という設定を取り除くのは必然であったろう。
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ただ、オリジナルの『宇宙戦艦ヤマト』の印象は強烈だから、単に汚染物質について言及しないだけでは、少なからぬ観客・視聴者が今回も地球は「放射能汚染」に侵されてるのだと思い込むかもしれない。そこで、ダメ押しに用意されたのが、第2話の佐渡先生のセリフだ。
「放射線の方は、ま、大丈夫じゃろう。」
これは、乗機が墜落して地表に放り出された古代と島を診察したときの、佐渡先生の言葉である。
このセリフが意味するものを受け止めるには、人類絶滅まであと一年と迫った地球の状態について思いを馳せる必要がある。
たび重なる遊星爆弾の攻撃により、地球の海は干上がり、地球は汚染されていた。この汚染の描写として、第1話で敵性植物が毒素を放出する様子が描かれている。古代たちが地下都市に向かう際には、地中深くまではびこった根のようなものが見えるから、ガミラスがもたらした敵性植物が地表を、そして地下をも毒素でいっぱいにしていくのが、『2199』における「汚染」なのだと思われる。
地球人たちは、ガミラスが地球に侵攻した理由を、当初は地球への移住のためだと考えていた。敵性植物による土壌及び大気汚染は、地球人にとっては有害だが、ガミラス人には適した環境なのだろうと推測していた。
だが、ガミラス艦から連絡のためにやってきたメルダ・ディッツ少尉の体を調べることで、地球人とガミラス人には身体上の違いがほとんどないことが判明したため、ガミラスが行っているのはガミラスフォーミング――惑星環境をガミラスに都合良く改造して、移住できるようにすること――ではなく、地球人にもガミラス人にも有害な死の惑星にすることなのだと判ったはずだ。
ガミラスは単に版図を拡大する過程で地球に接触したに過ぎないのであり、恭順の意を示さなかった地球人を殲滅するため、生物兵器を送り込んだに違いない。爆弾の投下だけでは、惑星表面は焦土にできても地下都市の住民まで全滅させるのは難しい。地下深く根を張る敵性植物は、地底に逃げ込んだ地球人を駆除する最終手段なのであろう。敵性植物が繁茂する木星の浮遊大陸は、補給基地であると同時に生物兵器の生産場だったのかもしれない。浮遊大陸を放っておいたら、大陸まるごと地球に投下され、一気に毒素が浸透したかもしれない。
加えて留意すべきなのは、放射線の影響だ。
ガミラスの攻撃を受けて地球は青さを失い、赤く見えるようになっていた。
地球が青く見えていたのは、地球表面の多くを占める海が、青い光を残して太陽光を吸収していたからだ。海が干上がってしまえば、青以外の光を吸収するものはなくなってしまう。地球表面の厖大な水が消失するほどの事態だから、大気の組成もずいぶん変わったことだろう。
大気中の窒素や酸素の分子が、太陽光のうち波長の短い青い光を散乱させていたから、地球の大気は(空は)青かった。これも地球が青く見える原因だったが、地球が赤く見えるということは、大気の大部分を占めていた窒素や酸素の減少も考えられる。
これほど大気に変化が生じれば、宇宙から注ぐ放射線を弱めるフィルターとしての効果も薄れているかもしれない。ことによると磁場でさえ変化して、地表にはかつてない量の放射線が届いているのかもしれない。
だから地表に出るときは放射線からの防護が欠かせないのに、血気にはやった古代と島は勝手にコスモゼロで出撃し、挙げ句の果てに地表に放り出される破目になった。
おそらく彼らの防護服には、放射線を測定する個人線量計が取り付けられていたはずだ。佐渡先生は線量計と彼らの体を調べることで、「放射線の方は、ま、大丈夫じゃろう」と結論付けたのであろう。
このセリフは、本作が「放射能汚染」を前提としていないこと、とはいえ放射線の影響を考慮せざるを得ないほど地球の環境が変わっていることを同時に示して、実に効果的だった。
佐渡先生のセリフを聞いたとき、私はとても感心した。原爆投下後に日本人が背負った悲しみ苦しみ、「放射能汚染」という設定を使うことの是非、創作に携わる者がなすべきこと、してはならないこと――それらの想いが脳裏を去来し、私は感じ入ったのだ。

さらに、「放射能汚染」という設定を払拭するのと同じくらい重要な改変が、『宇宙戦艦ヤマト2199』ではなされている。
それを説明する前に、『宇宙戦艦ヤマト』の優れたネーミングについて触れておこう。
豊田有恒氏が新しいSFアニメの設定を考えたとき、作品に付けた仮題は『アステロイド6(シックス)』だった。その題名が『宇宙戦艦ヤマト』に変わったことは、作品を成功させる大きな要因だったと思う。『アステロイド6』も悪くはないものの、題名を聞いてもどんな内容か判らない。『宇宙戦艦ヤマト』なら、宇宙を舞台にした戦いの物語で、戦艦大和のような最大最強の艦が登場することが即座に判る。素晴らしいネーミングだ。
同様に、星間距離をどう表現するかという問題も、ネーミングセンスで解決された。
豊田有恒氏の前書によれば、当初は星間距離をパーセクで表すつもりだったという。パーセクは天文学で使われる単位で、約3.26光年に相当する。SFファンにはお馴染みの言葉だが、残念ながら一般の視聴者には通じにくい。光年だって難しいだろう。1光年は約9兆5千億キロメートルだが、1970年代の視聴者のどれほどがこの遠大な距離をイメージできただろうか。1パーセクと聞いても、とにかく「1」しかないのだからたいした距離じゃないだろうと思われたかもしれない。
視聴者に耳慣れない単位を出しても通じないし、宇宙的なスケールをキロメートルで表していたら何兆、何京という数字の連続になって、これはこれで判りにくい。
ここで名案を出したのが、松本零士氏であったそうだ。『宇宙戦艦ヤマト』内の世界では、「宇宙キロ」という架空の単位を用いることにしたのである。「キロ」であれば視聴者にも馴染みがあるし、本当のキロメートルではなく架空の「宇宙キロ」だから、厳密にどれくらいの距離かを議論する必要はない。
なんでもかんでも「宇宙○○」と名付けるなんて、宇宙アニメの先駆けならではの特権だが、実際にやってしまうとはたいしたセンスだと思う。
おそらくその延長線上にあるのだろう。誰が付けたか知らないが、沖田艦長の病名は「宇宙放射線病」であった。
これも優れたネーミングだとは思う。
前述したように、宇宙は放射線に満ちている。だから宇宙に行くときは、宇宙船の船壁や宇宙服で放射線を防ぎ、身を守る必要がある。けれども、沖田ほどの歴戦の勇士なら、戦闘中に宇宙に投げ出されたこともあっただろう。長時間にわたって宇宙を漂ったことがあるかもしれない。「宇宙放射線病」は、いかにも死線をくぐり抜けて来た勇士らしい病名だ。
しかし、ここで問題なのは、せっかく「宇宙○○」と名付けて架空の病気を演出しても、「宇宙放射線病」ではちっとも架空の病気に思えないことだ。
「宇宙放射線病」とは、宇宙の放射線病のことであろうか。放射線病といえば、少なからぬ人々の脳裏に浮かぶのは、原爆投下後に多くの人を苦しめた障害のことであろう。宇宙には放射線が溢れているのだから、宇宙で放射線病になるのでは架空の病気とは思えない。
はたまた「宇宙放射線病」とは、宇宙放射線による病気であろうか。これもダメだ。宇宙の放射線は、地球の放射線と区別して宇宙線又は宇宙放射線と呼ばれることがあるが、結局は放射線のことなのだ。だから宇宙放射線による病気とは、すなわち放射線による障害のことでしかない。
とどのつまり、「宇宙放射線病」という名前では、沖田艦長が放射線障害で死んだと表明するのとほぼ変わらない。せっかく「宇宙○○」と名付けたのが、これでは無駄になってしまう。
この病名を付けた人が、宇宙には放射線が飛び交っていることを知っていたかどうかは判らない。おそらくは、「放射能汚染」という設定や遊星爆弾が原爆のイメージを引きずっていることに呼応して、原爆投下後の病気をヒントに名付けられたのではないかと思う。「宇宙放射線病」は、「放射能汚染」という設定と表裏一体なのだ。
だからリメイクする上では、「放射能汚染」をやめるのと同じく「宇宙放射線病」もやめるべきだった。放射線障害を連想させる病気によってどんどん衰弱して死んでいく沖田艦長を、半年かけて延々見せるのは、「放射能汚染」と同様に残酷な設定だ。
おそらく「宇宙放射線病」と名付けた人は、架空の病気のつもりだったはずだ。であるならば、リメイクに際しては現実の病気を連想させない、完全に現実にはあり得ない病名にすべきだろうし、そのほうがオリジナルを作った先人の意にも沿うはずだ。
これらの考慮の末に、『宇宙戦艦ヤマト2199』の沖田艦長の病名は「遊星爆弾症候群」になったのだと思う。これなら現実の病気を連想させることはない上に、ガミラスとの戦争の犠牲らしい雰囲気も醸している。
『宇宙戦艦ヤマト2199』は、設定の細部に至るまで、一つひとつの用語までもが本当によく考えられている。科学的にも人道的にも物語の辻褄の上でも。30年以上考え抜いただけのことはある。『2199』は、30年以上の長きにわたり悶々としていたファンの気持ちをすっかり代弁してくれたのだ。
私は心底感服した。
けれども、私は大きな間違いを犯していた。『宇宙戦艦ヤマト2199』の第一章、すなわち第1話と第2話を見たときは判らなかったが、大事なことをおろそかにしていたのだ。

『宇宙戦艦ヤマト2199』の第2話を見てから5年後のある日、私は大きなショックを受けた。『2199』とは異なるスタッフの下ではじまった『宇宙戦艦ヤマト2202』、その特別上映の第2話で、「宇宙放射線病」が蘇ったからだ。
訓練飛行を休んだ加藤三郎を案じた月面航空隊の面々が、三郎と真琴の一人息子・翼について次のような会話を交わしていた。
「息子さんの病気、そんなに悪いのか。」
「宇宙放射線病の影響だ。」
「二次発症!?」
「ああ。真琴さん、自分のせいだって。月のサナトリウムなら、多少の進行は抑えられるって。藁をも掴みたい心境なんだろう。」
パンフレットや公式サイトの記載では、翼の病名は「遊星爆弾症候群」になっている。にもかかわらず劇中のセリフでは「宇宙放射線病」だった。
本来使われるべきは「遊星爆弾症候群」だったと思う。『2202』後半の回では「遊星爆弾症候群」と呼ばれているし、第2話のこの会話も「宇宙放射線病」ではなく「遊星爆弾症候群」でなければ明らかにおかしい。
病気の進行を抑えるために月のサナトリウムに来たのは、遊星爆弾の攻撃の標的にならなかった月ならば、遊星爆弾が地球にもたらした汚染を避けられると判断したからだろう。もしも「宇宙放射線病」であるならば、その病気の詳細は判らぬまでも、大気が放射線を妨げてくれる地球を離れて、容赦なく放射線が降り注ぐ月面に行くのは理にかなわない。
どういう経緯で公式資料と劇中のセリフが異なってしまったのか、誰が「宇宙放射線病」というセリフにしたのか、私は知らない。
これが何かのミスなのか、意図的にやったものなのかはともかく、このセリフにした人は、少なくとも「宇宙放射線病」という用語に含まれる「宇宙」「放射線」「病」といった言葉の意味を理解できなかったのだろう。ましてや、まとまって「宇宙放射線病」になったときに想起されるものや、その重みが判らなかったに違いない。
「宇宙放射線病」という用語をやめることがどんなに大切で重要だったか、『2199』の作り手がいかに思慮深く言葉を選んでいたかに思いを馳せることができたなら、こんな間違いはしでかさなかったはずだ。
しかも、この作品が上映されたのは、2011年に発生した大地震と大津波と、それらが引き起こした原子力発電所の事故によって不幸な家族が生まれ、まだ苦しんでいた頃だった。
被爆者とその家族に対する偏見や差別を防ぐため、良識ある作り手が作品を撤回したり改訂したりと努力してきたにもかかわらず、放射線についても人体への影響の有無についても適切に認識されているとはいいがたいことが明らかになったのが、2011年の事故だった。
原子力発電所の事故の後、事故の影響や被害の有無がハッキリしてきても、放射線の影響を恐れ、不安に駆られる人がいた。健康に被害が出るほど放射線を浴びたと思い込んだり、放射線の影響が子供に遺伝すると心配する人がいたのだ。
中には、片親が働き続けながら、一方の親が子供を連れて発電所から遠く離れた土地に「避難」する例も見られた。子供に放射線の影響が出ないようにと、母親が「汚染された」と感じた土地を離れた結果、家族が分裂してしまうといったことが、2010年代には起きていたのだ。
後世の人々は、その原子力発電所の事故程度では、一般市民に健康被害は起きないこと、放射線の影響が遺伝したりしないことを判らせれば良かったのにと思うかもしれない。しかし、当時は、一度思い込んで固まってしまった心を解きほぐすのは容易なことではなかった。
そんなところに、放射線による病気としか思えない「宇宙放射線病」の影響で寝込んでしまった子供が登場し、その影響を避けるために遠く離れた土地へ移り住んだ母親が描かれたのだ。まるで、現実の子連れ避難を助長するような設定だった。しかも『2202』では、片親だけでなく、両親ともに移り住んでいる。これでは、生活費を稼ぎ続けるために移住しなかった片親は面目がない。
現実の移住については様々な考え方があるだろうが、私は、正しい知識を持たずに行動するのを助長するような描写を発信することには共感できない。
その上、「二次発症」と来たものだ。
「二次発症」の詳細は語られていないが、宇宙放射線病(又は遊星爆弾症候群)がどういうものであれ、地球の表面、すなわち一度でも「汚染された」土地に戻ったら病気になりかねないと云っているようにも受け取れる。
詳細が語られていないだけに、いかようにも解釈できて、現実に不安にさいなまれて故郷に帰れずにいる人が、真琴の不安と心配を自分の思いに重ね合わせてしまう怖さがある。


たいへん残念なことに、「宇宙放射線病の影響だ」というセリフは、特別上映からさらに一年以上あとの2018年10月のテレビ放映でも訂正されることはなかった。
また、「かつて汚染されていた土地」に住んだら病気になったことについては、後の回でも何らフォローはなかった。
私は、このような描写がなされたことにショックを受けた。そして、私が大きな間違いをしでかしていたことに気がついた。
私はみんな判っていると思っていたのだ。「放射能汚染」の設定を払拭する必要性も、「宇宙放射線病」をやめた意義も、『2199』を見た人ならば、『宇宙戦艦ヤマト』のことを30年以上考え続けた人ならば、きっと判ってくれるだろうと。だから、そのことを改めて述べる必要も、意義を確かめ合う必要もないと思っていた。
大間違いだった。
良いことは、積極的に語っていかねばダメなのだ。その意味や意義を語り、確かめ合い、認識を共有していかねばダメなのだ。
作り手側の立場の人でも、いまだに「宇宙放射線病」という言葉を使ってしまうことがあるのだ。これは、長年の努力が、いつでも水泡に帰すかもしれないことを示している。
ちゃんと語っていこうと思う。良いことは良いと。声の大小は気にせず、どんなときでも語っていこうと思う。
[*1] 豊田有恒 (2017年) 『「宇宙戦艦ヤマト」の真実――いかに誕生し、進化したか』 祥伝社
[*2] 牧村康正・山田哲久 (2015年) 『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』 講談社

総監督・シリーズ構成/出渕裕 原作/西崎義展
チーフディレクター/榎本明広 キャラクターデザイン/結城信輝
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/菅生隆之 小野大輔 鈴村健一 桑島法子 大塚芳忠 麦人 千葉繁 赤羽根健治
日本公開/2012年4月7日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー] [戦争]

【theme : 宇宙戦艦ヤマト2199】
【genre : アニメ・コミック】
『宇宙戦艦ヤマト2199』の総括と『2202 愛の戦士たち』
返事を書いたらあまりにも長くなったので、別の記事にすることにした。
以下は、オブチ1号さんのコメントへの返信として、2202第二章上映後の時点で書いたものである。
【2017年8月15日にいただいたオブチ1号さんのコメント】(抜粋)
(前略)
これは私の印象でしかありませんが、作り手は「さらば」の衝撃に引きずられている面が強いかと思います。私は「さらば」が公開された当時は生まれてすらいなかったので皆さんが映画館で号泣したという話を聞いてもピンときませんが、その衝撃がすごかったということだけはわかります。その体験が名場面(英雄の丘や発進シーンなど)を完全に再現するという部分に現れている気がします。こうした場面はひどく感情を揺さぶるシーンであって作品の核となる部分でもあると思います。
ただ2199ではたとえこうした名場面であってもただ再現すればいいという作りではなかったと思います。熟考した上で再構築し、シーンとしてまとめる形です。2202では、作品を制作する時間的猶予の問題なのかあえて再現することにこだわっているのかわかりませんが(後者な気もしますが)、再構築する段階まで至っていない気がします。そのため皆様が議論されているような説明できない部分が多く残っていて違和感があるのではないでしょうか。
(後略)
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コメントありがとうございます。
オブチ1号さんは『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の公開当時まだ生まれていなかったとのことですので、少々昔ばなしなど交えながら思うところを書かせていただきます。
これまで『宇宙戦艦ヤマト2199』の記事をいくつも書いてきましたが、近頃、まだまだ大事なことが書き切れていなかったと感じています。
■『宇宙戦艦ヤマト』を生み出した時代
一つは、『宇宙戦艦ヤマト2199』のサブタイトルの付け方です。
たとえば第2話のサブタイトル「我が赴くは星の海原」は、明らかに私の好きなSF小説『我が赴くは星の群』(The Stars My Destination)(別題『虎よ、虎よ!』(Tiger! Tiger!))のもじりです。第3話の「木星圏脱出」は『宇宙戦艦ヤマト』の元ネタになったSF小説『地球脱出』(別題『メトセラの子ら』)のもじりでしょうか。第8話「星に願いを」はもちろんディズニーの長編アニメーション映画『ピノキオ』の主題歌ですが、第9話『時計仕掛けの虜囚』はSF小説――というよりスタンリー・キューブリック監督の映画で有名な『時計じかけのオレンジ』です。
このように、2199のサブタイトルにはSF小説、それも70年代に本屋に並んでいたSF小説のタイトルからの借用もしくはもじりが見受けられます。
この傾向は終盤まで続き、第20話「七色の陽のもとに」(=スタニスワフ・レムのSF小説『ソラリスの陽のもとに』)、第21話「第十七収容所惑星」(=ストルガツキー兄弟のSF小説『収容所惑星』)を経て、第25話のサブタイトルは「終わりなき戦い」(=ジョー・ホールドマンのSF小説『終りなき戦い』)となります。
ハヤカワSF文庫(現・ハヤカワ文庫SF)の創刊が1970年で、ハヤカワ・SF・シリーズ(いわゆる「銀背」)が刊行されていたのが70年代中盤までです。1974年にテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』が放映され、その後、数年にわたる再放送の繰り返しを経てヤマトが大ブームになったあの時代、SFやアニメが好きな人は本屋に行くたび、あるいは自分の本棚で、これらのタイトルを目にしていたのです。
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もう一つ重要なのは、松本零士氏へのリスペクトです。
第三章の記事で触れたように、第10話のサブタイトル「大宇宙の墓場」は<太陽の女王号>シリーズの同名タイトルからの借用です。また、第四章の記事に書いたように、第14話「魔女はささやく」は、主人公が"魔女"にたぶらかされて生命の危機に瀕するところから『大宇宙の魔女』へのオマージュと考えられます。いずれも松本零士氏の流麗なイラストに飾られた本でした。セレステラ宣伝情報相のキャラクターデザインが『処女戦士ジレル』に酷似し、ミレーネル・リンケが『大宇宙の魔女』の絵に似ているように、本作は随所で松本零士氏の画業を意識して作られています。
はるか未来の、宇宙の物語でありながら、漢字が多用されているのも松本零士氏らしいですね。林立する摩天楼の中に、デカデカと「中央大病院」という文字が掲げられているのを見たときは、ニヤリとしてしまいました。2199では、佐渡酒造先生が勤務する病院の名前はもとより、計器類の表示にも漢字が溢れていました。
かつて日本には、英語やカタカナ語を多用するほうが先進的という雰囲気がありました(今もそうかも知れません)。
しかし、1982年の映画『ブレードランナー』が人気を博してからは、未来を舞台にしたSF映画の背景等に漢字を散りばめるのは珍しくなくなり、日本でも(オリエンタリズムを込めてか)中華風の未来世界が描かれたりしました。ですが、それ以前から漢字表記が存在する未来世界を頑固に描き続けていたのが松本零士氏です。
劇中に漢字が多々現れる2199は、SF映画としても松本零士氏へのリスペクトとしても、よく考えられていると思います。
もちろん、計器類に漢字が表示されるのは合理的でもあって、現代のパソコン等の電子機器ですら多言語対応しているのに、22世紀末のヤマトのコンソールで、極東管区の乗組員が日本語を選択できないわけはないでしょう。
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松本零士氏の魅力といえば、美しい女性画も忘れてはなりません。今でこそ松本美女の代表はロングコートのメーテルですが、松本零士氏がイラストレーターとして腕を振るった70年代、氏が描くのはもっぱら女性のヌード画でした。『暗黒界の妖精』のカバーアート――祈るように手を組み、顔を上げた裸の女性――は、ほとんどそのままの構図で『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』のテレサのポスターに転用されました。
松本零士氏のマンガに登場する女性はよく脱ぎます。脱ぐシチュエーションは様々ですが、ヒロインの女神のような裸体を前にして、男性が圧倒されることが多いように思います。
『宇宙戦艦ヤマト』の女性キャラは森雪ぐらいでしたが、彼女も服が透けたり、アナライザーにスカートめくりされたりとエロチックな場面がありました。2199の作り手たちは、スカートめくりを再現するのは避けつつ、松本零士作品を貫くエロチシズムを現代なりに表現しています(現代の作品らしく、男性陣の水着姿も披露してバランスを取っています)。
『宇宙戦艦ヤマト』以前の松本零士氏の代表作の一つに、『セクサロイド』があります。ヒロインのユキをはじめとするセクシーな美女が入り乱れるとともに、宇宙に移住する「カミヨ計画」や、その計画が頓挫すると新エネルギー物質コスモナイトを巡る「ヤヨイ計画」が描かれるあたり、宇宙に移住する「イズモ計画」や波動エネルギーを利用する「ヤマト計画」が描かれる『宇宙戦艦ヤマト2199』への影響は大きいでしょう。
その他『宇宙戦艦ヤマト2199』では、松本零士氏のもう一つの特徴である戦記物を思わせるドラマも展開されました。
『宇宙戦艦ヤマト2199』の制作に松本零士氏は参加していません。しかし、2199のスタッフは、松本零士氏を『宇宙戦艦ヤマト』の監督として捉えるだけではなく、70年代から80年代にかけてのアニメブーム、SFブームの立役者としての氏へリスペクトを込めて、氏の多方面にわたる仕事を作中で表現しているのだと思います。
そして、これらの趣向は、名作SFを示唆するサブタイトルとともに、ハヤカワSF文庫や『セクサロイド』や松本零士氏の画集やムックが本屋に並んでいた"あの時代"を思い出させてくれるのです。

それはまた、『宇宙戦艦ヤマト』が起爆剤となって生み出した時代でもありました。
現在盛んに出版されているライトノベルの源流ともいえるソノラマ文庫が創刊されたのは1975年のこと。その一冊目は石津嵐氏のノベライズ『宇宙戦艦ヤマト』でした。この小説がどれだけ売れたのかは存じませんが、さぞかし好評だったのでしょう。このあと石津嵐氏はソノラマ文庫から『宇宙潜航艇ゼロ』や『宇宙海賊船シャーク』等を刊行し、同じくソノラマ文庫では吉津實氏の『宇宙巨艦フリーダム』も刊行され、ひと頃は『宇宙○艦○○○』と題された作品が花盛りでした。もちろん、『宇宙戦艦ヤマト』のノベライズ、コミカライズも複数の著者の手によりあちらこちらの出版社から刊行されていました。
1977年には『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版第一作が公開され、興行収入21億円のヒットを記録。映画会社にアニメの興行価値を知らしめ、出版社にアニメ雑誌の創刊に踏み出させるなど、数々の伝説を生み出します。
翌1978年は、『スター・ウォーズ』と『未知との遭遇』が日本に上陸して「SF元年」と喧伝されました。これらハリウッド発のSF映画に対して、日本映画界からは(『惑星大戦争』、『宇宙からのメッセージ』という露払いとともに)『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が迎え撃つ形でした。
同時に『宇宙戦艦ヤマト』は爆発的な松本零士ブームを巻き起こし、テレビには松本零士氏が監督や原作やキャラクターデザイン等でかかわるアニメ作品が溢れ、劇場でも1977年の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』に続いて、1978年の『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』、1979年の『銀河鉄道999』、1980年の『ヤマトよ永遠に』、1981年の『さよなら銀河鉄道999 -アンドロメダ終着駅-』、1982年の『1000年女王』と松本零士氏がかかわる映画が毎年公開され、そのいずれもがヒットするという未曾有の状況になりました(さすがに1982年後半の『わが青春のアルカディア』で息切れしますが)。
『宇宙戦艦ヤマト』をリメイクすること、しかも松本零士氏の仕事やSFの出版状況に言及しながらリメイクすることは、"この時代"も思い出させてくれます。
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これらのことから窺えるのは、2199が単に宇宙戦艦ヤマトシリーズを再構築した作品ではなく、『宇宙戦艦ヤマト』を生み出した時代、そして『宇宙戦艦ヤマト』が生み出した時代の空気をも再現した作品であるということです。
2199を観ることで、当時を懐かしく思い出してまたSFを読む人がいるかもしれません。2199を手掛かりにして、往年の名作SFや松本零士氏の作品に触れようとする人がいるかもしれません。2199は、時代が生み出し、時代を生み出した『宇宙戦艦ヤマト』の足跡をたどり、同じ役割を果たすことを企図されていたのでしょう。
2199を観ているあいだ、私はたしかに"あの時代"の息吹を感じました。それがゆえに、とても気分が高揚しました。2199に時間も金も惜しまず付き合い続けたのは、2199が優れた作品であるばかりでなく、この興奮があったからです。
■2199に目を向けなかった人を呼び戻すための2202
他方、『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』を作るスタンスは全く違います。
第一に、2199を成功例とは考えていない、という点があるでしょう。2202のシリーズ構成・脚本を手掛ける福井晴敏氏は、2199がBlu-rayとDVDで50万枚を越えるヒットになったことについて意見を求められ、次のように答えています。
---
この点についていうと、今回の「2202」のもとになった「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」(以降、「さらば」)は観客動員数が400万人を突破しているんですよね。
(略)
そう考えると「実はまだ潜在顧客の10分の1も取れていない」という考え方もあるわけで、そこを掘っていかないといけないな、というのが今回の作品です。
(略)
「2199」はBD・DVDが50万本売れているとおっしゃいましたよね。
(略)
「ガンダムUC」は190万本でした。一方で「機動戦士ガンダム」、いわゆる「ファーストガンダム」の映画3部作は、「ヤマト」には最後まで勝てませんでした。ということは、「ヤマト」の方がパイが大きいということです。「ガンダムUC」が200万本近く売れているということは、「『2199』の50万本では足りないのではないか、もっと伸びしろがあるのではないか?」と、我々は考えているわけです。
(略)
つまり「さらば」で止まっているような休眠層が相当数いるわけです。
---

『千と千尋の神隠し』(2001年)の観客動員数2350万人や興行収入308億円、あるいは『君の名は。』(2016年)の観客動員数1898万人以上、興行収入250.3億円といった記録に比べれば、400万人の動員や興収43億円は大きな数字ではなさそうに見えますが、アニメーション映画を観るためにわざわざ映画館に足を運ぶのが珍しかった時代(せいぜい、子供にせがまれた親が小さな子を連れていく程度だった時代)にこれだけの観客を動員したのは画期的なことでしたし、このブレイクスルーがなければ今の日本のアニメーションの興盛はなかったかもしれないのですから。
2202の企画の初期段階で、羽原信義監督と福井氏は「今の時代にあった新しいことをやるべき。ただし、観客が『あ、この場面知ってる!』という映像的な記憶は随所に入れよう」と語り合ったそうです。
福井氏は、「基本的には観た人が「懐かしい!」、「 久しぶりにこれ観た! やっぱこれだよ!」と喜んでもらえる部分と、でも大きな筋の部分で「これどうなっちゃうの?」と先が知りたくなる部分がほどよくブレンドされているのが理想だと思う」とも語っています。
自身、『さらば―』で大泣きしたという羽原監督は、「英雄の丘」のシーンを例に挙げ、「このシーンは、『さらば』と同じカット割で忠実に再現しました。しかも、新しいシナリオで、乗組員の心情はより深く描けていると思います」と述べています。
2199も、現代風にアレンジされつつも、「あ、この場面知ってる!」という映像的な記憶が随所に入っていました。その上でシリーズ全体を再構築し、宇宙戦艦ヤマトシリーズとは直接の関係はない名作SFや松本零士作品にまで言及するという壮大なことに取り組んでいました。
2202は、そういう「余計な味付け」はせず、素材本来の味わいで楽しませる。大きな筋の部分で先が知りたくなるものをブレンドしても、作風は旧作からはみ出さない。2202の作り手は、そんなスタンスで臨んでいるのでしょう。
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だから、たとえばサブタイトルの付け方ひとつ取っても、より旧作に忠実です。
旧『宇宙戦艦ヤマト』のサブタイトルは、第1話の「SOS地球!!甦れ宇宙戦艦ヤマト」に見られるように、感嘆符の多用と命令形が特徴でした。「2201年ヤマト帰還せよ!」ではじまる『宇宙戦艦ヤマト2』も同様です。2202はこれらにならって感嘆符と命令形を採用し、「西暦2202年・甦れ宇宙戦艦ヤマト」(第1話)、「激突!ヤマト対アンドロメダ」(第5話)といった付け方をしています。
私は感嘆符と命令形を多用したサブタイトルが好きではありませんでした。旧作が放映されていた頃は、『マジンガーZ』のサブタイトルが「幻の巨砲ガレンを爆破せよ!!」だったり、『グレートマジンガー』のサブタイトルが「鉄也よ!! 地獄の闇から這い上がれ!!」だったりしました。タイトルにまで感嘆符と命令形を採用した『エースをねらえ!』や『ゼロテスター 地球を守れ!』が作られ、そのサブタイトルにも「鬼コーチにぶつかれ!」や「ゼロバギー変身せよ!」などと付けられていました。私は、やたら感嘆符が多いネーミングに飽き飽きして、無味乾燥に感じていました(だからこそ、ロボットアニメなのに「イセリナ、恋のあと」なんてサブタイトルが出てくる『機動戦士ガンダム』が衝撃的でした)。
ですから、2199の詩情豊かなサブタイトルが、(名作SFへのオマージュを抜きにしても)気に入っていました。
2202でサブタイトルを旧作のような付け方に変えたのは、2202が2199のセンスを受け継ぐよりも旧作のリメイクを目指したものであるという意思表示なのでしょう。
2202からは、松本零士氏を思わせるものも影を潜めました。もともと『さらば―』は『宇宙戦艦ヤマト』に比べて松本零士色の薄い作品でしたが、2202では計器類の漢字表記もめっきり減って、エロチシズムも見られなくなりました。
計器や標識を英語表記にしたのは、そのほうが先進的に見えるという判断なのかもしれませんし、海外セールスに有利であろうとの考えなのかもしれません(『ブレードランナー』や『月に囚われた男』を例に出すまでもなく、英語を使わないほうがカッコイイ・未来的という感覚は、海外発のものなのですが)。エロチシズムの許容範囲や許容量は意見が分かれやすいところですから、幅広い層へアピールするには手を出さないほうが無難なのかもしれません(第三章以降、テレサが服を着てるかどうかが注目ポイントかもしれません)。
その他、アーチストとしての松本零士を想い起させるものが、2202には見当たりません。旧作にないものはリメイク作にもないのが当たり前、なのかもしれませんが、こんなところも2199との断絶を感じさせます。
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最初は『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978年)のリメイクをただ担当してほしいというオファーだったんですけど、せっかくアニメで『宇宙戦艦ヤマト2199』(2012年)を劇場上映したばかりですし、そちらのお客さんを繋ぎとめずに1から単品で作るのはリスキーだろう……というわけで、続編という形で描かせてもらうこととなりました。
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福井晴敏氏はこう述べていますが、続編といっても2199の設定をいくつか残しているだけで、すっかり別の作品になった印象です。
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『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の大ヒットは、時代とシンクロした結果といえるでしょう。ヤマトブームに松本零士ブーム、さらにSFブームが重なって、それらの熱狂が最高潮に達したときに投入されたのが『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』でした。多くの人が宇宙のロマンに酔いしれた時代――1977年12月から1978年2月の『未知との遭遇』の公開直前まで、ピンク・レディーの『UFO』が10週にわたってオリコンチャートの1位をとり続ける、そんな時代でした。
『機動戦士ガンダムUC』のBD・DVDが190万枚以上売れたのは、ガンダムシリーズが30年以上連綿と作られ続け、ファンの裾野が世代を超えて広がっていたためでもあるでしょう。
いかに『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』がヒットしたとはいえ、たびたびのブランクがあるヤマトシリーズが、時代の援護射撃なしに再びヒットできるのか。2199の作風を離れて旧作に近づけることが、本当によりヒットさせる方策になるのか。私には判りません。2202を観ていても、(2019から)変えてしまって良かったのか、(旧作から)変えなくて良かったのか等々、疑問ばかりが浮かんできます。私はまだ2202を咀嚼できていないのかもしれません。
(承前)
翼くんは遊星爆弾症候群にかかっているし、(略)いいところがありません。
劇中のセリフによれば、加藤翼が発症しているのは遊星爆弾症候群ではなく「宇宙放射線病の二次発症」ですね。
パンフレットや公式サイトには「遊星爆弾症候群」と書かれているのに、誰が、いつ、なんのために「宇宙放射線病」にしたのか、なぜパンフレット等との乖離が生じたのか。詳細はこれから解明されていくでしょうが、私はこのことをとても注視しています。
これについて書き出すと長くなるのですが、もう充分長い文になってしまいましたので、ひとまず筆を置かせていただきます。

総監督・シリーズ構成/出渕裕 原作/西崎義展
チーフディレクター/榎本明広 キャラクターデザイン/結城信輝
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/菅生隆之 小野大輔 鈴村健一 桑島法子 大塚芳忠 麦人 千葉繁 赤羽根健治
日本公開/2012年4月7日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー] [戦争]
『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』 [あ行][テレビ]
監督/羽原信義 副監督/小林誠 原作/西崎義展
シリーズ構成/福井晴敏 脚本/福井晴敏、岡秀樹
キャラクターデザイン/結城信輝
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/小野大輔 桑島法子 鈴村健一 大塚芳忠 麦人 千葉繁 てらそままさき 神谷浩史 田中理恵 久川綾 赤羽根健治 菅生隆之 神田沙也加
日本公開/2017年2月25日
ジャンル/[SF] [アクション] [戦争]

【theme : 宇宙戦艦ヤマト2199】
【genre : アニメ・コミック】
『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』 最大の弱点を克服した!
パズルのピースがはまるように、『宇宙戦艦ヤマト2199 追憶の航海』とピタリと合う、その構成の妙が心地好い。
テレビシリーズ全26話のうち第24話までのストーリーをまとめた(だから総集編ではない)『追憶の航海』に続いて公開された『星巡る方舟』は、第24話と第25話のあいだに位置する物語だ。
コスモリバースシステムを受け取り、イスカンダルを後にしたヤマト。沖田艦長はまだ健在で、バラン星の亜空間ゲートに向かい、大マゼラン銀河を航行していた(だから『追憶の航海』では沖田の死が描かれない)。ガミラスではデスラーが死亡したと思われており、バラバラになった軍を掌握する必要に駆られていた。
ともかくガミラスとヤマトとの戦いは終わり、一路地球を目指すだけだと考えていたヤマトクルーを襲う危機。それが『星巡る方舟』の大事件だ。
これは作り手にとって危険な挑戦だ。
第24話と第25話のあいだでは、誰が死ぬわけでもない。ヤマトが大きく損傷するわけでもない。地球を目指す状況に変わりはない。テレビシリーズの1エピソードと同列の位置付けになってしまうから、ダイナミックな展開は難しい。
けれども映画として公開するからには、112分の上映時間をもたせるだけの大きな事件が必要だ。観客も劇場映画には"テレビ以上"のものを期待する。
作品全体で一つの大きな物語になっている『宇宙戦艦ヤマト2199』で、この相反する課題を解決する難しさたるや、一話完結の刑事ドラマの劇場版とは比べ物にならないだろう。
本作公開に合わせて放映された『劇場公開記念!!「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」発進SP』において、出渕裕総監督は困難に挑戦した心情を語っている。
「あくまでテレビシリーズのときの、『2199』のときのお話の中に納まって破綻のない形にするっていうのがこだわったとこです。ヤマトの映画っていうと、どうしても次の話、次の話っていう、翌年に巨大な敵がまた攻めてきて、それをやっつけてみたいな形じゃないですか。」
「昔からご覧になってるファンの方には、驚きというか、こういう作り方ってあるのっていう、今までのヤマトの映画の作り方とは違う形になっていますけど、それはそれで新鮮な驚きとして捉えていただいて楽しんでいただければ幸いです。」
宇宙戦艦ヤマトシリーズを見てきたファンならば、出渕総監督の気持ちが痛いほど判るはずだ。
大マゼラン銀河からの侵略者ガミラス帝国を倒したら、アンドロメダ銀河から白色彗星帝国がやってきて、次には二重銀河の暗黒星団帝国と戦い、そうかと思えばいつの間にやら天の川銀河はガルマン・ガミラス帝国とボラー連邦に二分され、にもかかわらずディンギル帝国なんて勢力もちゃっかり存在している。
新作のたびに、どこにいたのか不思議なほどの大帝国が出現し、次から次へと地球を、ヤマトを襲う繰り返しに、シリーズ全体を通しての世界像が破綻していると感じたファンも少なくあるまい。
だから敢えて『宇宙戦艦ヤマト2199』の世界の中で新作をつくる。新たな大帝国は出さないし、『宇宙戦艦ヤマト2199』の大きな物語から逸脱しない。時系列的にも題名の2199年の範囲に留める。そういうことをやってみたかったのだろう。
たしかにヤマトの映画としては、とても新鮮な作り方だ。
■謎は明かされた!
この目論見を実現するため、出渕総監督はテレビシリーズの制作中から周到に準備を進めた。
新作映画の制作が決まったのは第五章(第15話~第18話)を上映している頃だったので、第六章(第19話~第22話)で『星巡る方舟』に向けた種まきをはじめたという。それが第20話での桐生美影の登場であり、フォムト・バーガーの生死不明の描写だ。
しかし、もっとも大きな仕込みは、テレビシリーズで張り巡らせた伏線を回収しなかったことに違いない。『宇宙戦艦ヤマト2199』には第七章(第23話~第26話)まで観ても語られない部分があった。
私は第四章(第11話~第14話)の感想にこんなことを書いていた。
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ましてや、前述したように旧ヤマトシリーズ全体を勘案しての再配置が行われているとすると、地球人やガミラス人の来歴についても深い配慮が期待される。
『宇宙戦艦ヤマト 完結編』のディンギル人が1万年前に地球から移住した地球人類であることや、ガミラス人が天の川銀河に栄えたガルマン民族の一支族であることからも判るように、ヤマトシリーズの世界観には、はるかな過去に行われた恒星間・銀河間の移住によって現在の星間国家が成立したという考えがある。
第四章では、ガミラス人と地球人に生物としての違いはないことが示された。
「我々はどこから来てどこへ行くのか。」
本作は、ゴーギャンの言葉を模したセリフをガミラス人に語らせている。
これからガミラス人について、地球人について、どのような由来が明らかにされるのか期待は高まる。
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第五章(第15話~第18話)の感想ではこうも書いた。
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これまで地球とガミラスの星間戦争を描くミリタリーSFのカラーが強かった『宇宙戦艦ヤマト2199』は、はるかな過去へと時間軸を伸ばし、文明の栄枯盛衰まで視野に入れた宇宙史の様相を呈してきた。
思えば、『宇宙戦艦ヤマトIII』には伝説の古代国家シャルバートが登場し、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』には銀河を回遊しながら星々に生命の恵みと試練を与える惑星アクエリアスが出現した。『宇宙戦艦ヤマト』シリーズは、人類の起源に遡るほどの時間的スケールを持つ作品だった。
続編ができるたびに未知の文明が登場するのはいささか辻褄が合わなかったが、ヤマトの世界を熟考した上でつくられた本作は、これら超古代文明をも包含するのだろう。
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そのため、最終章となる第七章に大いに感動しながらも、地球人やガミラス人の来歴が語られないことに、超古代文明の謎に触れていないことに、いささか拍子抜けした。
だが、それは作り手の計算だった。
超空間ネットワークを構築したといわれる古代文明アケーリアス、アケーリアスの末裔を称するジレル人。テレビシリーズでは詳しく語られなかった謎の数々が、遂に『星巡る方舟』で明かされた。
『星巡る方舟』まで観ることで、はじめて『宇宙戦艦ヤマト2199』は完結する。ようやく胸のつかえが下りた気分だ。
『2199』のアケーリアス文明は、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』の回遊惑星アクエリアスに相当しよう。回遊惑星アクエリアスが複数の輪に取り巻かれていたように、『星巡る方舟』に登場する「静謐の星」も幾つもの輪に取り巻かれている。その「静謐の星」の正体が、アケーリアス文明の超巨大恒星間播種船であるという設定には膝を打った。生命の芽を与えるアクエリアスの役回りを汲み取りつつ、巨大建造物を好むアケーリアスらしさもちゃんと備えているからだ。
加えて地球人もガミラス人もジレル人も(おそらくイスカンダル人もザルツ人も)アケーリアスの蒔いた種を起源とすることが明らかにされ、宇宙のあちこちに(生殖できるほど)酷似した生物が存在する謎も解明された。
科学的に説明がつく話ではない。アケーリアスの「種」とは具体的に何を指し、地球人やガミラス人やジレル人がいつ、どのように分岐したのか、厳密に考えれば辻褄は合いそうにない。たかだか七万年前に分岐した日本人とヨーロッパ人ですら外見が異なるのだ。科学考証の半田利弘氏がパンフレットに寄せたコラムで「ただし、ガミラス人と地球人のようにDNAまで全く同じというのは偶然が過ぎる感じです。しかも、うり二つの人物が何組もいるなんて!」と書いているのももっともだ。
だが、本作はそれで構わないのだ。
同根のはずの地球人やガミラス人やジレル人が対立したり差別し合うのは、ほんの一握りの人間を祖先とする私たち人類が、今さら異国とか異民族などと呼び合ってしまう現状のメタファーだからだ。人類は過去何度も絶滅の危機に瀕してきた。全人口が一万人くらいまで激減したこともあるといわれる。今や70億人を超えて世界中で増殖し続ける人類だが、絶滅の危機を乗り越えてきた私たちはみんな同根なのだ。
地球人とガミラス人とジレル人が種を一つにする仲間であることを認識し、文字どおり手を取り合って輪になる構図は、いささか芝居臭いけれどクライマックスに相応しい。
■ダガーム大都督は知的じゃいけなかった
とはいえ現実に目を向ければ、同根だから仲良くできるものでもない。人類最初の殺人は、カインとアベルの兄弟で起きた。相互の理解が進んでも、利害が対立したら争いは起きる。
本作では地球人とガミラス人が七日間の試練を乗り越えて協同することに成功したが、これはフォムト・バーガーが望むヤマトとの戦いに必然性がなかったからだろう。
七色星団海戦で多くの仲間を失ったバーガー少佐は、ガミラス本国の停戦命令を無視してヤマトを討とうと考えていた。その動機は復讐心という感情だから、古代進と苦楽をともにして生まれた連帯感が強まれば、復讐心は消えてなくなる。もはや戦う意味はない。
もしもヤマトとの戦いにガミラスの命運がかかっていたなら、個人的に地球人と親しくなってもバーガーは戦いを止めなかったに違いない。
「異星人とも理解し合える」――古代進が口にする理想を踏みにじるように戦いを仕掛けてくるのが、ゴラン・ダガーム大都督の率いるガトランティス軍だ。
パンフレット掲載のインタビューで、出渕総監督は作品のテーマに反するようなガトランティスの振る舞いをこう説明する。
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どうしても敵となる存在は必要ですからね。彼らだって同根のはずだし、野蛮で好戦的な民族だからといって戦って倒していいという理屈にはなりませんが、問答無用で襲いかかってきた以上どうしようもないということで、お目こぼしください(笑)。
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総監督は"お目こぼしを"などとへりくだるが、大いなる和(Great Harmony ~for yamato2199)を主題歌とする本作だからこそ、和を築くことの難しさを理解して臨まねばならないのだろう。安易な理想論で思考停止しては、真の調和は築けない。
ガトランティスの小マゼラン遠征軍大都督たる"雷鳴"のゴラン・ダガームは、宇宙戦艦ヤマトシリーズには珍しいキャラクターだ。
これまでの敵は主義主張こそ違えども、それなりに知的で洗練されていた。愚鈍そうなゲールでさえ、狡猾さを備えていた。だがダガームは野蛮で凶暴で、あまり知的には見えない。サーベラーに叱責される様は、まるで『勇者ライディーン』で妖魔大帝バラオに叱られる激怒巨烈や、『超電磁ロボ コン・バトラーV』で女帝ジャネラに叱られる将軍ダンゲルだ(ダンゲルも隻眼だし)。ダガームがこのような人物像にされたのは、問答無用で襲いかかるタイプとして描くためだろう。
加えてダガーム麾下のガトランティスの面々もこれまでにないタイプだ。出撃の際に太鼓を打ち鳴らしたり、豊かな髭を蓄えたり、頭に剃り込みを入れたりと、ガミラスには蛮族に見えるような異質な習俗が強調された。
この異質さはどこから来るのだろうか。
ヤマトシリーズの星間国家には、しばしばモデルとなる国があった。ガミラスはドイツ第三帝国、ボラー連邦はソビエト連邦、大ウルップ星間国家連合のSUSは米国を模しており、地球は日本そのものだった。
一方、本作のガトランティスは、ダガームが『三国志』の陸遜でお馴染みの大都督を称していたり、サーベラーが諸葛孔明と同じ丞相だったり、キスカ遊撃隊を指揮する"疾風"のイスラ・パラカスがフー・マンチューのような口髭であったりと、中国を連想させる要素が多い。これまでのヤマトシリーズでは、わずかにディンギル帝国の固有名詞がシュメール文明から採られていたり、大ウルップ星間国家連合のアマールが中近東を模していたりしたものの、アジア、特に中央アジア以東が主要敵国のモデルになるのははじめてのことだ。
本作においてガミラス、地球の共通の敵となるガトランティスは、ガミラスからも地球からも異質に見えなければならない。
その答えが中国とはたいへん面白い。本来漢民族は頭に剃り込みを入れたりしないから、ガトランティスのモチーフはモンゴル、満州を含めた東アジア・北アジア全般なのだろう。
そもそも『宇宙戦艦ヤマト2』(本作に火焔直撃砲が出てくるということは、『さらば宇宙戦艦ヤマト』ではなく『ヤマト2』を想起すべきだろう)のガトランチスの特徴は、一ヶ所に定住せず、宇宙を巡りながら資源を勝ち取ることだった。これは遊牧民の暮らし方に似通っている。ガミラスはガトランティスを蛮族呼ばわりしていたが、かつて遊牧民がユーラシア大陸全域にまたがるほどのモンゴル帝国を打ち立てたことを思えば、ガトランティスこそもっとも恐るべき敵なのかもしれない。
そう考えてハッとした。
これはまるで梅棹史観ではないか!?
世には西洋、東洋という言葉がある。西洋といえば欧米、東洋といえばトルコ以東(あるいは東アジア)を思い浮かべる人が多いだろう。このような分け方からすると、ユーラシアの東端に位置する日本は同じく東の中国に似ており、西の端に近いドイツは遠い存在ということになる。
梅棹忠夫氏は『文明の生態史観』及びそれに続く論文で、このような分類を一蹴した。「東南アジアの旅から―文明の生態史観・つづき」(1958年)では、下のような概念図で表現している。
ユーラシア大陸の中央には乾燥地帯があり、ここでは遊牧民が跋扈している。遊牧民の脅威にさらされる乾燥地帯の周辺では、中国(I)、インド(II)、ロシア(III)、イスラム(IV)といった専制国家が成立し、遊牧民に対抗している。ユーラシア大陸の端にある日本や西ヨーロッパは、遊牧民と専制国家の争いに巻き込まれることもなく、ゆっくりだが着実に文明を発達させてきた。したがって日本と西ヨーロッパは同様のポジションにあり、似た者同士なのである。
文明の生態史観を念頭に置けば、遊牧民と専制国家を模したガトランティスに対して、日本とドイツを模した地球とガミラスの方が連携しやすく見えるのはとうぜんだ。ガトランティスに比べれば、地球とガミラスは似た者同士なのだ。
ガトランティスの出現が梅棹史観を想起させるとは驚きだ。『宇宙戦艦ヤマト2199』の作品世界は一層骨太になったと思う。
■沖田を超えた古代進
『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』の工夫は細部にも至る。
まず注意を引かれるのは、オープニングの主題歌がインストゥルメンタルになったことだ。さすがである。
宇宙戦艦ヤマトシリーズの特徴であると同時に弱点なのは、第一作の主題歌『宇宙戦艦ヤマト』を超える曲を作りえなかったことにある。もちろん素晴らしい曲が数々作られはしたけれど、『宇宙戦艦ヤマト2』でも『宇宙戦艦ヤマトIII』でも主題歌は変えられず、もうイスカンダルは出てこないのに「♪銀河をはなれ イスカンダルへ」と歌われ続けた。
イスカンダルに到着した後を描く『星巡る方舟』でも、悪びれずにささきいさお氏の歌声を流すのかと思いきや、ボーカル部分を葉加瀬太郎氏のヴァイオリンで置き換えるとは考えたものだ。おかげで、馴染み深い主題歌を楽しみつつ、物語から乖離した歌詞に違和感を覚えることもなくなった。
私は第七章の記事で沖田艦長の戦術の変化に触れ、敵の前で逃げなくなったことを肯定的に受け止めたが、実をいえば一抹の寂しさがあった。『宇宙戦艦ヤマト』の素晴らしさの一つは、撤退をためらわないことにあったからだ。敵を前にしても撤退できることの大切さは、『SPACE BATTLESHIP ヤマト』の記事に書いたとおりだ。
本作では艦長、副長に変わって指揮を執る古代進が、敵を前にして逃げろと命令してくれた。テレビシリーズで我慢していたつかえが取れたような爽快さだ。
アケーリアス文明とジレル人の関わり方も愉快である。
ジレル人のセレステラとミレーネルが暗躍した第14話「魔女はささやく」に関連して、私はC・L・ムーアのSF小説や処女戦士ジレルについて記したが、『星巡る方舟』ではいよいよC・L・ムーアの代表作ノースウェスト・スミスシリーズでも名高い『シャンブロウ』が登場した。なんとジレル人が生き残っていた星の名がシャンブロウなのだ。
C・L・ムーアの『シャンブロウ』は、妖艶な宇宙の魔女に魅入られて取り込まれてしまう話だが、さすがに本作はそこまで艶っぽい展開にはならない。
代わりにシャンブロウに降り立った古代進たちは、奇妙なホテルに閉じ込められ、殺し合いへと駆り立てられる。スタンリー・キューブリック監督のホラー映画『シャイニング』を彷彿とさせる展開だ。『シャイニング』では閉ざされたホテルで次々怪現象が起こり、人々は狂気に蝕まれていった。本作では狂気を振り払い、いかに試練の七日間を乗り切るかが見どころである。
ちなみに『シャイニング』の主人公格の少年が超能力で意思の伝達を図ったり、霊的な存在を感知できたりするように、『星巡る方舟』の語り部となる桐生美影はクルー随一の言語学の専門家で、異星人の言葉にも反応できる。他者とのコミュニケーションがキーである本作において、多言語を操れることは超能力にも匹敵しよう。
かように『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』は、世界の映画やSF小説に目配せしつつ、これまでにも増して旧シリーズを見事に再現・変奏している。
『宇宙戦艦ヤマト2199』の作品世界は、ますます豊かになったのだ。
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総監督・脚本/出渕裕 原作/西崎義展
音楽/宮川彬良、宮川泰
出演/菅生隆之 小野大輔 諏訪部順一 中村繪里子 近木裕哉 園崎未恵 大塚芳忠 大友龍三郎 久川綾 麦人 鈴村健一 桑島法子 千葉繁
日本公開/2014年12月6日
ジャンル/[SF] [アドベンチャー] [戦争]

【theme : 宇宙戦艦ヤマト2199】
【genre : アニメ・コミック】