『アーティスト』の画期的なところは何か?

 こんな映画を観たかった!

 映画は、技術の進展とともに様々な要素を付け加えていった。トーキー(音声)もカラー(総天然色)も、後から加わった要素である。
 けれども現代の映画の作り手たちが、それらの要素を巧みに使いこなしているかは疑問である。
 多くの観客にとって、音声があることもカラーであることも当たり前だろう。
 しかし、それらの映画に、音声の必然性やカラーの必然性が本当にあるのだろうか。

 思えば、サイレントで監督デビューしたルネ・クレールがはじめて取り組んだトーキー『巴里の屋根の下』では、列車の音に声がかき消されてセリフが聞き取れない場面があったりと、トーキーの利点をあえて損なう挑戦的な演出がなされていた。
 また、モノクロ映画で巨匠の地位を確立していた小津安二郎監督も、カラー映画を撮るに当たっては画面に「赤いヤカン」を配する等、色への強いこだわりを見せた。
 ミヒャエル・ハネケ監督がモノクロで音楽のない『白いリボン』(2009年)を撮ったときに、「音楽を用いるのは自らの失敗を隠蔽する行為」だと語ったのも、本来映画は音や色がなくても構築できると考えてのことだろう。
 そんなことを念頭に映画を観ると、どうも無造作に音や色が付いているように感じることが多い。

 たとえば、映画をマンガに置き換えてみれば、日本人には理解しやすいだろう。
 日本は世界有数のマンガ大国だが、不思議なことに多くの作品が白黒だ。カラーで印刷する技術はあるし、マンガ家だってカラーページを描けるのに、フルカラーの雑誌は見かけない。欧米ではフルカラーのマンガが当たり前なことを考えると、たいへん興味深いことだ。
 これについては、水墨画に代表されるモノクロ文化の系譜と、東洋人と西洋人の虹彩の色の違いがもたらす機能差とを併せて、別の機会に論じてみたい。
 なにはともあれ、魅力的な作品を生み出すのに、色彩は必須の要素ではないということだ。


 だからトーキーでもカラーでもない映画『アーティスト』は、実験作でも前衛映画でもない。ごく普通の娯楽作であり、お馴染みのメロドラマだ。
 ただミシェル・アザナヴィシウス監督は、映画に色彩や音声が不可欠ではないと知っていたにすぎない。
 そして無造作に音や色を付けるくらいなら、そんなものはない方がよほど楽しめることを『アーティスト』は示している。

 本作は、そのはじまり方からして面白い。
 サイレント映画と同じ1.33:1の横縦比に、縦長の優美な文字で浮かび上がるタイトル。まさにサイレント映画そのものだ。
 このような作りは、映画への期待を高めるのにも効果的だ。
 なにしろ1910~1920年代の映画で、今なお見る機会がある作品は、映画史に残る名作に決まっているからだ。そのため、サイレント映画のようなスタイルを見せられると、さぁ名作がはじまるぞとワクワクしてしまう。

 とはいえ、『アーティスト』はサイレントに似せつつも、無音の映画ではない。役者の声や効果音がない代わりに、ほぼ全編にわたって音楽が流れている。かつてサイレント映画の上映では楽団の伴奏が付いていたのと同じである(日本では楽団に加えて弁士もいたから、「無声」でもなかったが)。
 そして、インストルメンタルの曲が続く中で、ここぞというところで歌声を聞かせてくれる。他のシーンでは聞けないからこそ、その歌声は心に響く。
 加えて、本作は効果音が皆無でもない。劇中、主人公の心情を表すポイントに絞って、厳選した音を聞かせてくる。これこそ名実ともに「効果音」というものだ。

 このような音声の使い方から判るのは、本作が普通の映画から音や色を引いていった「引き算の結果」ではないということだ。音や色がなくても面白いのが映画の原点であり、本作はそこに音声という効果を加えた「足し算の結果」なのだ。

 さらに本作は奥が深い。
 1910~1920年代のサイレントを彷彿とさせるだけでなく、1930年代以降に人気を博したミュージカルの要素も併せ持つのだ。もちろん、サイレント時代にミュージカルなんてない。
 ところがサイレントでもダンスなら楽しめるのは、大きな発見である。


 このように、本作が映画の原点とその効果のなんたるかを改めて知らしめたからだろう、なんと本作はフランス・ベルギー合作でありながら第84回アカデミー賞の10部門にノミネートされ、作品賞をはじめとする5部門を制することになった。
 非英語圏の国で制作された映画が作品賞を受賞するのは史上初のことである。

 ご存知のように、映像をスクリーンに投射して大勢で観賞する今の映画を開発したのは、フランスのリュミエール兄弟だ。はじめてストーリーのある映画を作ったのも、フランスのジョルジュ・メリエス。そしてまた1946年からはカンヌで国際映画祭を開催するなど、フランスは一貫して映画文化の発信地だった。
 ところが、ここに立ちはだかるのがハリウッドである。

 受け売りで恐縮だが、大塚英志・大澤信亮著『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』では、赤木照夫氏の『ハリウッドはなぜ強いか』の分析を紹介している。それによれば、ハリウッドが外国映画のリメイクを作り続けるのは、ストーリーの構築にかかるコストを削減するのとは別に、原作である外国映画をハリウッド市場から締め出す目的があるからだという。
 たしかに、クロエ・グレース・モレッツが出演する英語の『モールス』が観られるのに、わざわざオリジナルのスウェーデン版『ぼくのエリ 200歳の少女』を観る米国人はいないだろう。いや、米国に限らず、英語とスウェーデン語の市場規模の差を考えれば、同じ内容の英語版を作られたらオリジナルの売り込み先なんてなくなってしまう。

 これに抵抗しているのがリュック・ベッソンで、ベッソンはフランス映画をアメリカ映画に見せかけることで世界市場を相手にしている。

 その意味では『アーティスト』もしたたかだ。
 舞台となるのはハリウッドであり、主人公の人物像はダグラス・フェアバンクスをベースにしている。フェアバンクスは人気俳優であるとともに映画会社ユナイテッド・アーティスツの設立者であり、映画芸術科学アカデミーの初代会長でもある、まさにアメリカ映画黎明期の大物アーティストだ。
 そして本作は、実際にロサンゼルスでロケを行い、ヒロインのペピー・ミラーの家として撮影されたのはダグラス・フェアバンクスの妻でありユナイテッド・アーティスツの共同設立者でもあり映画芸術科学アカデミーのピックフォード映画研究センターにその名を残す大スター、メアリー・ピックフォードの家である(ペピー・ミラーのイニシャルはメアリー・ピックフォードを逆にしただけだ!)。
 ここまでアメリカ映画へのリスペクトを示されたら、アカデミー会員の頬も緩むというものだろう。作品賞も監督賞も主演男優賞も、どんどん持ってけ状態である。

 本作と同じく映画黎明期をテーマにした『ヒューゴの不思議な発明』が、本作より多い11部門にノミネートされて受賞を争いながら、視覚効果賞等の技術面での受賞にとどまったのは、アメリカ映画でありながらフランス映画をリスペクトしているのが、アメリカ映画の発展を目的とするアカデミー賞にそぐわないと判断されたのだろうか。

 いずれにしろ、非英語圏で制作された映画が、アメリカ映画の祭典であるアカデミー賞の頂点に立った。
 これはその記念すべき第一作である。


アーティスト コレクターズ・エディション [Blu-ray]アーティスト』  [あ行]
監督・脚本・編集/ミシェル・アザナヴィシウス
出演/ジャン・デュジャルダン ベレニス・ベジョ ジョン・グッドマン ジェームズ・クロムウェル マルコム・マクダウェル ペネロープ・アン・ミラー ミッシー・パイル ベス・グラント ジョエル・マーレイ エド・ローター アギー
日本公開/2012年4月7日
ジャンル/[ロマンス] [コメディ] [犬]
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