『J・エドガー』 毛布をかけてもらうには?
【ネタバレ注意】
クリント・イーストウッド監督がJ・エドガー・フーバーの映画を撮る!
その報に接したとき、あまりにも上手い組み合わせに驚くとともに、傑作になることを予感してワクワクした。
なにしろ『チェンジリング』で米国の過去の汚点と捜査機関の問題を指摘し、『グラン・トリノ』で米国の現代社会の片隅を切り取ってみせたイーストウッド監督が、米国史上の怪物の一人である伝説的なFBI長官を描くのだ。
いったい米国のどんな暗部が描かれるのか、何が白日の下にさらされるのか、イーストウッド監督は絶大な権力を思うままに振るった男にどのようにメスを入れるのか。想像すればするほど期待は高まった。
けれども、映画『J・エドガー』は私が予想していたものとは趣きが違った。
たしかにレオナルド・ディカプリオ演じるジョン・エドガー・フーバーは、捜査機関の長たる権力を持ち、捜査官を武装させて華々しく犯罪者と戦い、有名な極秘ファイルをネタに大統領ですら逆らうことを許さなかった。彼は共産主義者や公民権運動家への憎しみに満ち、自分の考える国家像を実現するためなら卑劣な手段も辞さない奸物だ。
しかし、スクリーンの中にいるのは寂しい老人にすぎなかった。
結婚もせず、友人もほとんどおらず、家にいるのは犬とメイドだけ。そんな孤独な老人が、昔の自分を美化しながら思い出話をしているのだ。
なるほど、クリント・イーストウッドは私が思うよりもずっと老成し、優しい眼差しの持ち主だったのだ。恐るべき怪物フーバーを扱う手つきは、まるで『グラン・トリノ』の老いた自動車工に接するようである。
イーストウッドはフーバーを断罪するでもなく、英雄視するでもなく、ただ血気にはやった青年が偏屈な老人になっていく様子を描写する。
しかも出来事を時系列的に追うのではない。映像は彼の若い頃と老いたときとを頻繁に切り替わり、そのたびに彼の老いが印象付けられる。若い頃のシーンはフーバーがどうして今に至ったかを説明するためにあり、映画が主眼とするのは、強大な権力を握っても決して避けることのできない老いを迎えた一人の男だ。
それは凄腕ガンマンの役で鳴らしたイーストウッドが、『許されざる者』で銃を振り回すことを否定し、『グラン・トリノ』で暴力を封じ、『ヒア アフター』で穏やかに暮らすことの大切さに目を向けたことの延長にある。
劇中のフーバーは報道陣に囲まれ、銀幕に登場し、人々のヒーローになっている。そう、彼はイーストウッドらハリウッドスターと同じなのだ。
ところが、この男は穏やかな暮らしとは対極にいる。当年とって82歳のクリント・イーストウッドは、77歳で没したフーバーを通して、きれいな人生の幕引きなんてできない男の醜悪ともいえるエネルギーを描き出す。
そして栄光を独り占めにしたかのような彼が、一生を通じてさいなまれるのは人間不信である。みずからの望むように組織を作り、半世紀近く君臨し続け、逆らう者のいない世界を築き上げながら、自分が生み育てたFBIですら信用できず、彼の周りには副官と秘書しか残らない。
そのごく少ない愛情と忠誠のみが彼のかけがえのない財産であることを、彼はどれだけ理解していただろうか。
さらに、彼の寒々とした私生活を印象付けるのが、数ショットしか登場せず、セリフもほとんどない黒人のメイドである。
人種差別主義者のフーバーの家で働く黒人メイドは、1970年代でありながらあたかも南北戦争時代のような姿だ。その彼女は、半裸で倒れたフーバーを目にしながら毛布の一枚もかけてやろうとはしない。
フーバーは権力の頂点に達しながら、自発的に毛布をかけてもらうことすらできなかったのである。
『J・エドガー』 [さ行]
監督・制作/クリント・イーストウッド 撮影/トム・スターン
出演/レオナルド・ディカプリオ ナオミ・ワッツ アーミー・ハマー ジョシュ・ルーカス ジュディ・デンチ
日本公開/2012年1月28日
ジャンル/[伝記] [ドラマ]
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クリント・イーストウッド監督がJ・エドガー・フーバーの映画を撮る!
その報に接したとき、あまりにも上手い組み合わせに驚くとともに、傑作になることを予感してワクワクした。
なにしろ『チェンジリング』で米国の過去の汚点と捜査機関の問題を指摘し、『グラン・トリノ』で米国の現代社会の片隅を切り取ってみせたイーストウッド監督が、米国史上の怪物の一人である伝説的なFBI長官を描くのだ。
いったい米国のどんな暗部が描かれるのか、何が白日の下にさらされるのか、イーストウッド監督は絶大な権力を思うままに振るった男にどのようにメスを入れるのか。想像すればするほど期待は高まった。
けれども、映画『J・エドガー』は私が予想していたものとは趣きが違った。
たしかにレオナルド・ディカプリオ演じるジョン・エドガー・フーバーは、捜査機関の長たる権力を持ち、捜査官を武装させて華々しく犯罪者と戦い、有名な極秘ファイルをネタに大統領ですら逆らうことを許さなかった。彼は共産主義者や公民権運動家への憎しみに満ち、自分の考える国家像を実現するためなら卑劣な手段も辞さない奸物だ。
しかし、スクリーンの中にいるのは寂しい老人にすぎなかった。
結婚もせず、友人もほとんどおらず、家にいるのは犬とメイドだけ。そんな孤独な老人が、昔の自分を美化しながら思い出話をしているのだ。
なるほど、クリント・イーストウッドは私が思うよりもずっと老成し、優しい眼差しの持ち主だったのだ。恐るべき怪物フーバーを扱う手つきは、まるで『グラン・トリノ』の老いた自動車工に接するようである。
イーストウッドはフーバーを断罪するでもなく、英雄視するでもなく、ただ血気にはやった青年が偏屈な老人になっていく様子を描写する。
しかも出来事を時系列的に追うのではない。映像は彼の若い頃と老いたときとを頻繁に切り替わり、そのたびに彼の老いが印象付けられる。若い頃のシーンはフーバーがどうして今に至ったかを説明するためにあり、映画が主眼とするのは、強大な権力を握っても決して避けることのできない老いを迎えた一人の男だ。
それは凄腕ガンマンの役で鳴らしたイーストウッドが、『許されざる者』で銃を振り回すことを否定し、『グラン・トリノ』で暴力を封じ、『ヒア アフター』で穏やかに暮らすことの大切さに目を向けたことの延長にある。
劇中のフーバーは報道陣に囲まれ、銀幕に登場し、人々のヒーローになっている。そう、彼はイーストウッドらハリウッドスターと同じなのだ。
ところが、この男は穏やかな暮らしとは対極にいる。当年とって82歳のクリント・イーストウッドは、77歳で没したフーバーを通して、きれいな人生の幕引きなんてできない男の醜悪ともいえるエネルギーを描き出す。
そして栄光を独り占めにしたかのような彼が、一生を通じてさいなまれるのは人間不信である。みずからの望むように組織を作り、半世紀近く君臨し続け、逆らう者のいない世界を築き上げながら、自分が生み育てたFBIですら信用できず、彼の周りには副官と秘書しか残らない。
そのごく少ない愛情と忠誠のみが彼のかけがえのない財産であることを、彼はどれだけ理解していただろうか。
さらに、彼の寒々とした私生活を印象付けるのが、数ショットしか登場せず、セリフもほとんどない黒人のメイドである。
人種差別主義者のフーバーの家で働く黒人メイドは、1970年代でありながらあたかも南北戦争時代のような姿だ。その彼女は、半裸で倒れたフーバーを目にしながら毛布の一枚もかけてやろうとはしない。
フーバーは権力の頂点に達しながら、自発的に毛布をかけてもらうことすらできなかったのである。

監督・制作/クリント・イーストウッド 撮影/トム・スターン
出演/レオナルド・ディカプリオ ナオミ・ワッツ アーミー・ハマー ジョシュ・ルーカス ジュディ・デンチ
日本公開/2012年1月28日
ジャンル/[伝記] [ドラマ]


tag : クリント・イーストウッドレオナルド・ディカプリオナオミ・ワッツアーミー・ハマージョシュ・ルーカスジュディ・デンチ