『光のほうへ』 優れた映画を観る辛さ
2011年はデンマーク映画に痺れた年だった。
『アンチクライスト』、『未来を生きる君たちへ』と傑作続きのデンマーク映画だったが、特にKOパンチを食らったのが『光のほうへ』だ。とても優れた映画だから、それに相応しい言葉で表現しなければと考え続けたものの、遂に私は半年経っても記事にできなかった。
正直に告白しよう。私はこの映画の魅力を書き表すにはまったくの力不足だったのだ。
それでも、この映画の素晴らしさの片鱗なりとも書いてみよう。
『光のほうへ』を観てつくづく感じるのは、優れた映画を観ることの辛さである。
ここには何の救いもない。温かい家庭もない、篤い友情もない、充実した仕事もない、ただただ犯罪に決別できない心の弱さと、孤独に染まった暮らしがあるばかりだ。114分のあいだ、そんな映像がひたすら続く。
観ていても楽しくない。ワクワクしない。面白いとも云えない。
けれどもこれは優れた映画だ。主人公の悲惨な人生はまことにリアルで、作り物として距離を置くことができない。観るのが辛いのに、目が離せない。
たとえば『アンチクライスト』も、楽しくないし、ワクワクしないし、面白いわけでもない。しかしそこには美があった。陶酔するほどの不道徳と、悪の美しさに満ちていた。
『未来を生きる君たちへ』も、楽しくないし、ワクワクしないし、面白い映画とも云いがたい。しかしそこには大きな問題提起があった。この世界と私たちについて考えざるを得ない投げかけがあった。
けれども本作にはそれすらない。ただ剥き出しの、過酷な人生があるばかりだ。
映画は二人の少年がまだ乳飲み子である末弟の面倒を見るところからはじまる。
母親は酒飲みで、兄弟たちの面倒をみない。少年たちはそんな母を毛嫌いし、自分たちだけで乳児を育てようとしているのだ。
だが、それはうまくいかなった。少年たちに悪気はなかった。けれども、酒を飲み、末弟をほったらかしにしていた彼らは、結局のところ大嫌いな母親と同じことをしていたのだ。彼らはそれを嫌がっていたはずなのに、人間の駄目な部分が連鎖してしまう悲劇。
それからずっと、兄弟はまっとうに生きられない。その荒んだ暮らしとやるせなさを、映画は容赦なく描出する。
高福祉で知られるデンマークでありながら、こんな影の部分を抱えているのか――そういう感想を抱く人もいよう。
しかし、これは国家の福祉レベルとは関係ない。
人間には駄目なところがあり、更生できるチャンスをみすみす自分で潰してしまう。それはどこの国でもどんな社会でもあり得るだろう。
けれど、そんな彼らでも親子の情は持っている。守ろうとする愛情がある。
わずかに垣間見えてくるものが、すがりつきたいほど貴重に思える。
本作の原題は「SUBMARINO」。水の中に潜ってしまい、浮かぼうにも浮かび上がれない兄弟たちの苦しみを表していよう。
だからこそ水面は明るいと思いたい。いつか浮上できると思いたい。『光のほうへ』という邦題は、そんな受け手の気持ちを代弁している。
浮上できるかどうかは判らない。本作は、安易な救いを見せたりはしない。
しかし、それでも捨てようとしない愛情がある。いや、これから愛情に育つかもしれない兆しがある。
それを目にすることができただけで、私たちは幸せだ。
『光のほうへ』 [は行]
監督・脚本/トマス・ヴィンターベア 脚本/トビアス・リンホルム
原作/ヨナス・T・ベングトソン
出演/ヤコブ・セーダーグレン ペーター・プラウボー パトリシア・シューマン モーテン・ローセ
日本公開/2011年6月4日
ジャンル/[ドラマ]
http://bookmarks.yahoo.co.jp/bookmarklet/showpopup?t='+encodeURIComponent(document.title)+'&u='+encodeURIComponent(location.href)+'&ei=UTF-8','_blank','width=550,height=480,left=100,top=50,scrollbars=1,resizable=1',0);">
『アンチクライスト』、『未来を生きる君たちへ』と傑作続きのデンマーク映画だったが、特にKOパンチを食らったのが『光のほうへ』だ。とても優れた映画だから、それに相応しい言葉で表現しなければと考え続けたものの、遂に私は半年経っても記事にできなかった。
正直に告白しよう。私はこの映画の魅力を書き表すにはまったくの力不足だったのだ。
それでも、この映画の素晴らしさの片鱗なりとも書いてみよう。
『光のほうへ』を観てつくづく感じるのは、優れた映画を観ることの辛さである。
ここには何の救いもない。温かい家庭もない、篤い友情もない、充実した仕事もない、ただただ犯罪に決別できない心の弱さと、孤独に染まった暮らしがあるばかりだ。114分のあいだ、そんな映像がひたすら続く。
観ていても楽しくない。ワクワクしない。面白いとも云えない。
けれどもこれは優れた映画だ。主人公の悲惨な人生はまことにリアルで、作り物として距離を置くことができない。観るのが辛いのに、目が離せない。
たとえば『アンチクライスト』も、楽しくないし、ワクワクしないし、面白いわけでもない。しかしそこには美があった。陶酔するほどの不道徳と、悪の美しさに満ちていた。
『未来を生きる君たちへ』も、楽しくないし、ワクワクしないし、面白い映画とも云いがたい。しかしそこには大きな問題提起があった。この世界と私たちについて考えざるを得ない投げかけがあった。
けれども本作にはそれすらない。ただ剥き出しの、過酷な人生があるばかりだ。
映画は二人の少年がまだ乳飲み子である末弟の面倒を見るところからはじまる。
母親は酒飲みで、兄弟たちの面倒をみない。少年たちはそんな母を毛嫌いし、自分たちだけで乳児を育てようとしているのだ。
だが、それはうまくいかなった。少年たちに悪気はなかった。けれども、酒を飲み、末弟をほったらかしにしていた彼らは、結局のところ大嫌いな母親と同じことをしていたのだ。彼らはそれを嫌がっていたはずなのに、人間の駄目な部分が連鎖してしまう悲劇。
それからずっと、兄弟はまっとうに生きられない。その荒んだ暮らしとやるせなさを、映画は容赦なく描出する。
高福祉で知られるデンマークでありながら、こんな影の部分を抱えているのか――そういう感想を抱く人もいよう。
しかし、これは国家の福祉レベルとは関係ない。
人間には駄目なところがあり、更生できるチャンスをみすみす自分で潰してしまう。それはどこの国でもどんな社会でもあり得るだろう。
けれど、そんな彼らでも親子の情は持っている。守ろうとする愛情がある。
わずかに垣間見えてくるものが、すがりつきたいほど貴重に思える。
本作の原題は「SUBMARINO」。水の中に潜ってしまい、浮かぼうにも浮かび上がれない兄弟たちの苦しみを表していよう。
だからこそ水面は明るいと思いたい。いつか浮上できると思いたい。『光のほうへ』という邦題は、そんな受け手の気持ちを代弁している。
浮上できるかどうかは判らない。本作は、安易な救いを見せたりはしない。
しかし、それでも捨てようとしない愛情がある。いや、これから愛情に育つかもしれない兆しがある。
それを目にすることができただけで、私たちは幸せだ。
『光のほうへ』 [は行]
監督・脚本/トマス・ヴィンターベア 脚本/トビアス・リンホルム
原作/ヨナス・T・ベングトソン
出演/ヤコブ・セーダーグレン ペーター・プラウボー パトリシア・シューマン モーテン・ローセ
日本公開/2011年6月4日
ジャンル/[ドラマ]