『聯合艦隊司令長官 山本五十六』 映画を観る2つのポイント

 「その根拠を示していただきたい。」
 『聯合艦隊司令長官 山本五十六』の中で、山本五十六(やまもと いそろく)は何度も人々に問いかける。
 映画は140分のあいだ山本五十六を追い続け、その功罪を含めて彼がしたこと、云ったことを描き出すが、最後まで山本五十六は国がどうあるべきかを口にしない。
 彼は理念を振りかざしたり、「あるべき論」に突き動かされることなく、常に実現可能か否かを吟味するのだ。人と議論するときも、相手に意見の根拠を数字で示せと迫る。

■異なる意見・立場の人との議論を成立させる方法

 映画は、日独同盟を推し進めようとする陸軍及び海軍にあって、米内光政海軍大臣、山本五十六海軍次官、井上成美軍務局長の三人だけが、反対を唱えるところからはじまる。
 すでに1933~1934年の海軍良識派の追放によって山本五十六の友人・堀悌吉中将らが海軍を去っており、対米英戦争に抵抗する者はほとんどいなくなっていた。そんな中、薩摩長州が主流の軍において、盛岡、越後長岡、仙台(いずれも薩長と戦った奥羽越列藩同盟)出身の傍流である彼ら三人が抵抗を続け、いったんは日独の軍事同盟成立を押しとどめる。
 そこでも山本五十六が問うのは「根拠は何か」ということだ。

 本作の宣伝に当たって『太平洋戦争70年目の真実』という副題が付けられているが、70年経っても私たちが苦手とするのは、根拠を数字で確かめること、あるべき論に陥らずに実現可能性を吟味することだ。
 机上のディベートであれば「是か・非か」を論じるのも良いだろう。しかし、現実の施策を考える際には「可能か・不可能か」を突き詰めることが欠かせない。にもかかわらず、是非を論じ出すと「可能か・不可能か」という検討が置き去りにされ、ひとたび「是」となれば、「できない」とは云わせない空気が私たちにはあるのではないか。
 これは、「是・非」論と「可能・不可能」論の区別ができない日本的思考の弱点だと指摘されるところである。
 そして可能・不可能を論じることなく突き進めば、「欲しがりません勝つまでは」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」等の標語が登場することになる。国民みんなで我慢や節約を唱えるようでは、もう負け戦でしかないのだが。


 本作で山本五十六が日独同盟に反対して語るのは、この「可能か・不可能か」に尽きる。日米の戦力差、造船等の能力差、それらを数字で比較してみせる。

 「是・非」論に陥って迷走するのを防ぐには、「可能か・不可能か」を数字で議論することだ。
 この映画では軍人同士が戦争について語るので、航空機や艦船の数を挙げているが、違う立場の人が異なるシチュエーションで議論するときには、どんな数字を使えば良いのだろう。

 経営手法として知られるシックス・シグマでは、異なる意見・立場の人とでも議論を成立させるために、いったんすべての要素を金額に換算することを提唱している。世界中の誰もが価値の大小を認識できる数字は、金額ぐらいしかないからだ。
 面白いことに、金の話というと胡散臭く感じる人が必ず存在する。
 しかし、ただの紙切れが貨幣として流通できるのは、そこに人々の信用があればこそだ。無人島に漂着した二人の男が最後の食料を奪い合うとき、どんなに札束を積んでも相手は譲ってくれないだろう。金が価値を発揮するのは、人々が信用で結ばれた平和な世界だけなのだ。金額には換算しにくい価値もあろうが、貝殻や石を貨幣とした時代から数千年を経てもなお、人類はこれ以上の価値の数量化方法を編み出していない。

 そしてまた、「可能か・不可能か」を検討するには、金額的に見合うかどうかを議論すれば充分なはずだ。
 金額で表現できなくなったら、そこには「是・非」論が混ざり込んでいる。70年前と同じ過ちに陥る危険信号である。


 残念なことに、山本五十六らの反対にもかかわらず、日独伊三国同盟は成立してしまう。
 本作の監修を務めた半藤一利氏の著書『[真珠湾]の日』には、日独伊三国同盟締結時の山本五十六の憂慮と怒りの言葉が載っている。
 「実に言語道断だ。……自分の考えでは、この結果としてアメリカと戦争するということは、ほとんど全世界を相手にするつもりにならなければ駄目だ。もうこうなった以上、やがて戦争となるであろうが、そうなったときは最善をつくして奮闘する。そうして戦艦長門の艦上で討死することになろう。その間に、東京大阪あたりは三度ぐらいまる焼けにされて、非常なみじめな目にあうだろう。」[*1]

 残念なことに、山本五十六の言葉はほとんど当たってしまう。
 彼は戦争半ばで討死し、全国各地に爆弾が落とされ、東京はまる焼けになり、広島、長崎はまる焼けどころではない被害に合う。日本は、民間人が住む街を新旧爆弾の実験場にされるという、非常にみじめな目に遭うのだ。


■映画を観る上での二つのポイント

 過去の時代を描いた映画を観るときには、二つの重要なポイントがある。
 一つは、現代人に何を訴えるかということだ。鑑賞するのは現代の観客なのだから、作品は現代人に向けて作られているはずだ。単なるノスタルジーや、ネームバリューへの依存を超えて、現代の作品として観客にどんなメッセージを届けるのか。それが明確でなければ、わざわざ過去を舞台にする意味がない。

 その点、『聯合艦隊司令長官 山本五十六』は70年前を舞台にしながら、前述したようにセリフの一つ一つが今の私たちに響いてくる。
 不安定な内閣、「閉塞感」が覆うという世の中、数字での議論を置き去りにした是非論。作り手たちが今の日本と重ね合わせているのは明らかだ。そこで語られる言葉のすべては、現代人へのメッセージである。

 たとえば日独同盟推進派の軍人たちが日本語に訳されたドイツの本を読んで彼の国を知ったつもりになっている場面。
 実は翻訳段階で一部が削られており、原書を読まねば本の真意が判らないのに、軍人たちは日本語訳を信じ込んでいるところなど、現代の私たちが情報源も確かめないでWebページを鵜呑みにするようなものである。
 公式サイトの撮影日誌によれば、本作が企画されたのは東日本大震災より前とのことだが、震災を経てそのメッセージはますます重みを増していよう。


 重要なポイントの二つ目は、現代ならでは考察がなされていることだ。
 すでに過去の考察があろうとも、新たに発見された事実や、今でなければ考えが至らないこと、発言できないことがあるはずだ。もし過去の評価を上書きするような現代ならではの考察がないならば、新作なんぞ作らずに過去の作品をリバイバル上映すれば良い。

 では、本作の題材である戦争を、かつて日本人はどのように見ていたのだろう。
 それを端的に表した惹句がある。

 「巨大な組織が育てた一人の独裁者…その野望と狂気が日本を戦争へかり立てた!」

 これは1970年公開の堀川弘通監督『激動の昭和史 軍閥』のポスターに書かれたものだ。この惹句の下には東條英機に扮した小林桂樹さんのアップがあり、当時の人々が東條英機と軍部こそ国民を戦争へ引きずり込んだ張本人だと見なしていたことが判る。
 もちろん彼らの責任も大きいが、この映画そのものはポスターほど一方的ではなく、東條英機だって戦争を避けようとしたことや、戦争が始まって大喜びしたのは国民みんなであることも描いている。そもそも、ヒトラーが10年以上にわたって権力を掌握し続けたのに対し、日本は戦争中でも首相がころころ変わっていたのだから、独裁とはいいがたい。
 とはいえ戦後の長い間、軍部が暴走したから戦争になったとか、国民は被害者であるといった言説が流布していたのは確かである。

 その点で、市井の人々が戦争を待ち望む姿を描いた本作は、20世紀には作りづらかったものであろう。
 2011年2月公開の『太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男』でも軍人より好戦的な民間人が登場したが、本作は一刻も早い開戦を望むのが国民の日常の姿であったことを描いて印象的だ。
 実際に日米開戦が報じられると、日本国民は快哉を叫んだ。前述の『[真珠湾]の日』には、喜びに湧き返る日本の様子がたっぷりと収められている。
---
首相官邸には、激励の声や電話が殺到し、当時の電話交換手の証言によれば、電話回線がパンクしそうなほどであったという。「よくやってくれた」「胸がスーッとした」「東条さんは英雄だ」「みんな頑張れ、オレも頑張るぞ」……それらはすべて泣き声に近いような声をはりあげていたともいう。
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 現在の私たちは、この戦争の行く末を知っている。だから『聯合艦隊司令長官 山本五十六』で、軍令部総長らが真珠湾の戦果を聞いて有頂天になる様を見て愚かしく思う。しかし、それは当時の国民みんなの姿だったのだ。


■あおらせるのは誰か

 映画は、人々を煽るマスコミの責任も取り上げる。
 前述の『激動の昭和史 軍閥』では、毎日新聞の竹槍事件をモデルとしたエピソードが描かれる。すでに戦況が悪化していた1944年、竹槍訓練なぞを実施させる軍に対して、毎日新聞は「竹槍では間に合わぬ」と批判する記事を掲載したのだ。
 竹槍事件の中心にいたのは新名丈夫記者だが、本作で似たような位置づけなのは、新名記者と半藤一利氏の名を組み合わせたとおぼしき真藤利一記者である。玉木宏さんが演じる真藤記者は、人々を煽る報道に疑問を感じている。
 けれども竹槍事件のような批判記事は書かない。竹槍事件は例外中の例外なのだ。

 たとえば朝日新聞は、日本が敗戦することを1945年8月10日には掴んでいながら、ポツダム宣言を受諾するまさに8月14日においてもなお、その社説で「一億の信念の凝り固まった火の玉は消すことはできない。」と主張し、最後の最後まで国民を鼓舞し続けた。[*2]

 本作では、日独同盟を推し進めて世の閉塞感を打ち破るべしと主張する東京日報の主幹に対し、山本五十六が「その閉塞感を煽っているのはあなた方ではないのですか」と切り返している。

 なぜ新聞は人々を煽るような記事を書いたのか。
 右翼の圧力、不買運動等もあろうが、読者が望んだことも見逃せない。
 朝日新聞を例に取れば、1931年の満州事変を機に発行部数はウナギ登りになる。1931年の1,435,628部が敗戦の前年には3,669,380部へと増加し、実に2.5倍以上の伸びだ。日中戦争の期間だけでも1.5倍になっている。
 読売新聞も「戦争は新聞の販売上絶好の機会」とばかりにそれまで手を出せなかった夕刊を発行して成功したというから、新聞は読者の要望に応えることで支持されたのである。[*2]
 そして静かに事実を伝えるよりも、センセーショナルな記事で読者の気持ちを昂らせるのは昔も今も変わらない。

 さらに、今や警戒すべきは新聞ばかりではない。
 私たちが目にする本や雑誌や映画が、真実を伝えているとは限らない。
 ましてやインターネットの発達は、情報を発信するための巨大な編集システムや輪転機を不要にし、新聞社に属さないフリーのジャーナリストでも、ジャーナリストでない人でも、いともたやすく発信できるようにした。そこには原稿をチェックする人も掲載の適否を判断する人もいない。
 だからこそ、情報の受け手であると同時に送り手にもなる私たちは、情報を吟味するだけでなく、情報を発信するべきなのかを自問しなければならないのだ。


■山本五十六の誤算

 本作の冒頭、日独同盟に反対する山本五十六は暗殺されるおそれがあるにもかかわらず、厳重な警護を付けようという意見に対して「普通でいいんだ」と聞き入れない。もしも自分が討たれても、それで人々が大事なことに気づいてくれれば良いと云うのだ。
 なるほど、世論がどれほど戦争を望んでいようとも、実際に暗殺事件が起これば、暗殺者を称賛することはないだろう。山本五十六が凶弾に倒れたとなれば、世間の同情が集まり、戦争反対の声も勢いづいたかもしれない。

 けれど、ほどなく日本は開戦し、山本五十六は戦争半ばで死亡した。そして、このときすでに世間にとっての山本五十六は、戦争反対派ではなく真珠湾攻撃以来の英雄だった。
 朝日新聞は1943年5月22日のコラムで「(山本五十六の)戦死によって、皇軍将兵の士気はいやが上にも高鳴るものがある」と述べ、同5月23日夕刊には「(戦死を受けて)かえって鉄より固き米英撃滅の信念を植えつけられた」という投書を紹介している。死後、山本五十六は元帥を追贈され、「元帥に続け」「元帥の仇討ち」が国民の合い言葉になったという。[*2]
 このような取り上げ方は、山本五十六が喜ぶことではなかったろう。戦争が長期化する中で、彼は自分の身にもしものことがあったら国民がどう反応すると考えていたのだろうか。
 残念ながら、山本五十六の死は、国民の戦意をますますかき立ててしまったのである。


 そしてまた、生きていればやるべきこともあったろう。
 映画では描かれないが、山本五十六の死後、終戦間際に海軍傍流トリオの残る二人である米内光政と井上成美は日本の滅亡を食い止めるべく奮闘した。
 1945年、ほぼ全滅状態にあった海軍は、陸軍に統合されそうになるのだが、二人はこれに猛反発したのだ。[*3]

 海軍が陸軍に統合されるということは、海軍大臣、陸軍大臣二つの椅子が一つになることを意味する。陸海統合軍の大臣には、とうぜん陸軍の人間が納まるだろう。そうなれば、当時陸軍が主張していた「本土決戦」に反対する大臣がいなくなる。
 日本の内閣は連帯責任を負い、明治憲法制定から今に至るまで閣議の全会一致制を採用している。つまりすべての閣僚が拒否権を持っているのだ。
 だから海軍が独立していればこそ、内閣に大臣を送り込み、「本土決戦」に反対することができた。
 本土決戦をしていたなら、当時人口7000万人の日本国民のうち2000万人は死亡しただろうと云われている。ソ連の侵攻も樺太だけにとどまらなかっただろう。
 そんなことになったら、敗戦から6年で独立国に復帰することはできなかったかもしれない。
 日本列島にあるのは、今の日本国とはまったく異なるものだったかもしれない。それは国ですらなかったかもしれない。

 奇しくも、『聯合艦隊司令長官 山本五十六』が封切られた12月23日は、A級戦犯7名が処刑された日である。
 戦争の終わらせ方を模索していた山本五十六なら、どのように終わらせただろうか。

 今こそ私たちは、目と耳と心を大きく開いて、世界を見る必要があるのだろう。


参考文献
[*1] 半藤一利 (2001) 『[真珠湾]の日』 文藝春秋
[*2] 安田将三・石橋孝太郎 (1995) 『朝日新聞の戦争責任……東スポもびっくり!の戦争記事を徹底検証』 太田出版
[*3] 半藤一利・戸高一成 (2006) 『愛国者の条件 ――昭和の失策とナショナリズムの本質を問う』 ダイヤモンド社


聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-【愛蔵版】 (初回限定生産) [Blu-ray]聯合艦隊司令長官 山本五十六』  [ら行]
監督/成島出  監修/半藤一利
脚本/長谷川康夫、飯田健三郎
出演/役所広司 玉木宏 柄本明 柳葉敏郎 阿部寛 吉田栄作 椎名桔平 香川照之 益岡徹 袴田吉彦 五十嵐隼士 河原健二 碓井将大 坂東三津五郎 原田美枝子 瀬戸朝香 田中麗奈 中原丈雄 中村育二 伊武雅刀 宮本信子
日本公開/2011年12月23日
ジャンル/[ドラマ] [戦争]
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