『ミッション:8ミニッツ』 選ぶのは誰か?

 【ネタバレ注意】 (2011/11/3 改稿し再公開)

 公式サイトによれば、ダンカン・ジョーンズ監督は『ミッション:8ミニッツ』の内容に関する科学的データを徹底的に調べ上げたいという強い好奇心に駆られたものの、ストーリー性を重視することだけに集中するようにしたという。
 「観客は科学的な理論に悩まされる必要なんかありません。とにかくストーリー展開を心ゆくまで楽しむことができるはずです。」

 私も科学的な理論に悩まされたいなんて思わない。
 だからこそ科学的な面を相応に調べるなり、合理性に配慮するなりして、観客がストーリー展開を楽しめるように外堀を埋めておいて欲しかった。
 
 どうせ観客は、難解な理論や本当の新発見・新発明を求めているわけではないのだから、ゲッター線とかミノフスキー粒子といった架空の発見を持ち出して、作品内では筋が通っているかのごとく説明してくれればいいのだ。
 それを、劇中で"プログラム"を開発したラトリッジ博士が魔法の呪文のごとく「量子物理学」などと云いはじめるものだから、かえってもっともらしさが失われる。
 『ミッション:8ミニッツ』の物語上、重要な役割を果たすのは"プログラム"だが、これがどんな仕組みなのか観客には少々判りにくい。

 ラトリッジ博士が"プログラム"について語るセリフは断片的だ。
 物語は一見タイムトラベル物であるかのようにはじまる。
 しかし、どうやらそうではなさそうだ。
 ラトリッジ博士によれば、人間の脳は死の直前8分間の記憶が保持されるという。もちろん、死んでしまえば記憶も何もないのだが、死んでもしばらくの間は脳の働きが残留しており、そこから死の直前8分間の情報を引き出すことができるという。
 そこでラトリッジ博士は、爆弾テロで亡くなった列車の乗客の脳を手に入れ、8分間の記憶を引き出すことに成功する。爆弾テロであれば、脳はほぼ確実に爆発で吹き飛び、焼けてしまっただろうと思うが、映画の作り手はその点には触れたがらない。脳から記憶を調べることができるなら、全乗客の脳を調べれば犯行の手掛かりが得られるかもしれないが、映画は乗客の遺体、特に脳の状態には触れようとしない。
 とにかくラトリッジ博士は、死亡した乗客の脳から得た情報により、爆弾テロの直前8分間の世界を構築することに成功する。

 本作の主人公コルター・スティーヴンス大尉は、当初それを仮想世界だと考えた。コンピュータで電脳空間(サイバースペース)に再現したものだと思ったのだ。
 脚本家のベン・リプリーは執筆中に『マトリックス』のことを考えていたそうだし、ここまでならサイバーパンクの派生品として落ち着いたかもしれない。


 ところが、コルターに説明を求められたラトリッジ博士が口走るのが、「量子物理学」「並行世界」という言葉なのだ。
 量子論は、(おそらく物理学者の思惑に反して)しばしば並行世界の存在を説明するのに担ぎ出される。私たちの住む世界とは少し異なる別の世界が無数にあり、そこには別の私や別のあなたが暮らしているというアレだ。
 公式サイトで、脚本家ベン・リプリーが映画の世界観について述べている。
 「過去へのタイムトラベルを理論立てて考えるには問題が多すぎる。物理的に過去は変更することができません。これを突きつめると、私たちの現実とそっくりなコピーの世界、つまりパラレル・ユニバースという発想になる。特殊プログラム"ソースコード"は8分間だけ、このもうひとつの現実にアクセスできるミッションなのです。」

 つまり本作は、死者の記憶に基づく仮想世界を舞台にしたサイバーパンクではなく、死んだ人を媒介として、まだその人が生きている別の世界にアクセスする、ややオカルト的な物語なのだ。
 使命を負った工作員の精神を、死んだ人間の記憶に同調させ、別世界のその人間の精神に干渉する。工作員は、別世界の人間の肉体を乗っ取り、行動する。いわば、人間の魂(?)を媒介として憑依しているわけだ。したがって工作員の肉体は別世界に転送できない。
 劇中でラトリッジ博士が繰り返し述べているように、主人公が別世界で爆弾テロを防ごうが、列車の乗客を救おうが、本来所属しているこの世界には何の関係もない。ただ、別世界とこの世界はちょっと違うだけなので、この世界で銃があるところには別世界でも銃があり、別世界での犯人はこの世界でも犯人だろう。ラトリッジ博士は、まだ爆弾テロが発生していない世界(すなわち、この世界とは時間の進行が数時間ズレた世界)を探索することで、連続テロを阻止するための情報を得ようとしているのである。

 工作員として選ばれたコルター・スティーヴンス大尉が憑依する乗客が、教師のショーン・フェントレスひとりなのは、おそらく脳の損傷が少なく、記憶が再生できたのがショーンだけだからだろう。
 そしてまた、すでに死んだ人間の記憶に同調させる工作員も、誰でも良いわけではない。精神を他人と同調させるには、脳に電極を埋め込み、電磁気的な刺激を与える必要があり、そのためには頭蓋を切り開いて脳をいじらなければならない。健康な人間にそんなことをするのは許されない。
 したがって、工作員もまた、法的には死亡同然で、人権を主張することのない人間でなければならない。それがコルター・スティーヴンス大尉なのだ。


 本作はこれらのことをあまり丁寧には説明しない。脚本家も監督もスピード感を重視し、くどくど説明するべきではないと考えたようだ。
 しかし、ゲームを楽しむにはルールを正確に理解することが必要だ。これまでのことを理解すればこそ、あとのルール破りな展開が効果を上げる。
 なにしろ、映画はこのあと、並行世界にアクセスする作品ではなくなってしまうのだ。

 ダンカン・ジョーンズ監督は、インタビューに答えて「僕は、J.G.バラードやフィリップ・K・ディックの小説が好きなのです」と述べている。そう、ジョーンズ監督はニュー・ウェーブが好きなのだ。
 フランス映画にヌーヴェルヴァーグがあったように、アメリカ映画にニューシネマがあったように、60年代のSFにはニュー・ウェーブがあった。そしてSFは外宇宙より内宇宙を目指した。
 ヌーヴェルヴァーグやアメリカン・ニューシネマが長くは続かなかったように、SFのニュー・ウェーブも終息し、やがて電脳空間(サイバースペース)を跋扈するサイバーパンクが流行することになる。しかしニュー・ウェーブ好きのダンカン・ジョーンズ監督は、本作の舞台が電脳空間(サイバースペース)であるかのように幕を開けながら、その実、物語を内宇宙へ向かわせるのである。

 公式サイトによれば、ジョーンズ監督はベン・リプリーの脚本に多彩なアイデアを注ぎ込んだいう。
 さらに、オチはジョーンズ監督が付け加えたそうだ。
 こうして物語は、電脳空間、並行世界、内宇宙と変遷する。


 内宇宙――それが何を意味するものかは、著名なSF作品を読んでいただくしかない。もっぱら外宇宙に向かうスペースオペラばかり読んでいた私は、人に語れるほど詳しくはない。
 本作では、コルターがこう述べている。"プログラム"は別の世界にアクセスしているのではなく、新しい世界を作り出しているのだと。
 死亡同然のコルターの精神、すでに死んでいるショーンの残留する魂、無限の可能性の中から事件解明に役立つ世界を選び出す"プログラム"、これらが相互作用して、コルターが、ショーンが、生き続けるのに最適な世界を生み出したとしたら愉快だろう。
 原題が「Source Code」すなわちソースプログラムを意味することを考えれば、コルターはさしずめコンパイラーである。死者の記憶をソースプログラムとして入力し、コルターがコンパイルすることで、ロードモジュールとしての世界が生み出される。
 人間の認識する世界が、人間の認識の仕方に影響されるとしたら、人間こそが深遠な世界の素なのかもしれない。

 新しく生まれた世界で生きることにしたコルター=ショーンは、グッドウィン大尉にその世界のコルター宛てのメッセージを託す。「万事うまくいく」と。
 その世界のコルターはまだ意識のない状態だが、最適な世界が生み出せるものなら、そのコルターもきっとうまくいくはずなのだ。
 そしてまた、映画の作り手が示唆するのは、どの世界も誰かにとって最適となるように生み出されたのかもしれないということだ。万事うまくいくように。

 私たちの住む世界もそうかもしれない。
 万事うまくいく。


ミッション:8ミニッツ ブルーレイ+DVDセットミッション:8ミニッツ』  [ま行]
監督/ダンカン・ジョーンズ 脚本/ベン・リプリー
出演/ジェイク・ギレンホール ミシェル・モナハン ヴェラ・ファーミガ ジェフリー・ライト
日本公開/2011年10月28日
ジャンル/[SF] [サスペンス] [ドラマ]
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