『ツリー・オブ・ライフ』 信仰があれば幸せなのか?

 エデンの園の中央には、二本の木が生えているという。
 一つが知恵の樹、もう一つが生命の樹(Tree of Life)である。
 『旧約聖書』の『創世記』に登場する生命の樹は、孫悟空が食べた蟠桃(ばんとう)のごとく、その実を食べれば永遠に生きられるのだが、人間はこちらには手を出さず、神が禁じた知恵の樹の実を食べてしまう。
 神は、知恵の樹の実によって善悪を知るようになった人間が、生命の樹の実まで食べて永遠に生きることのないように、人間をエデンの園から追い出した。つまり、人間は知恵の樹の実を食べた罰として追放されたのではなく、永遠の命を手に入れないように、予防処置として生命の樹から引き離されたのだ。

 だがしかし、人はすでに生命の樹を手に入れているのではないか。
 そう考察するのが映画『ツリー・オブ・ライフ(The Tree of Life)』である。


 映画は、『ヨブ記』38章4~7節の引用から始まる。
 「わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。……そのとき、明けの星々が共に喜び歌い、神の子たちはみな喜び叫んだ。」
 『ヨブ記』については、『シリアスマン』の記事で触れたので繰り返すまい。『ツリー・オブ・ライフ』では、教会のシーンでわざわざ『ヨブ記』の解説までしてくれる。

 とはいえ、本作は『シリアスマン』ほど『ヨブ記』を忠実になぞってはいない。『ヨブ記』のように大きな不幸が訪れるわけではないし、事件が連続するわけでもない。
 主人公は、父への憎しみや母への軽蔑、兄弟の死の悲しみを経験するが、それは人間誰しも味わうものだろう。
 だが本作では、主人公はヨブそのものと目されている。なにしろ、主人公の名はジャック・オブライエン――Jack O'Brien、すなわちJ-O-B(ヨブ)なのだから。


 ところが、ジャックは聖書中のヨブほど深い信仰心を持ち合わせてはいない。
 彼の母は信仰に篤い人で、ジャックと弟たちに寛大に接する。一方、父は信仰なんかそっちのけで、ジャックたちに厳しく当たる。
 そしてジャックはいずれにも等距離なのだ。父にも母にも、愛情とともに嫌悪感を抱いている。
 ジャックは母ほど信心深くはないけれど、ときには「私が嘘をつかないようにしてください」と神に祈ったりもする普通の少年だ。

 もう一度、映画の冒頭に掲げられた『ヨブ記』の38章4~7節を見てみよう。
 38章はヨブの信仰心について述べた箇所ではない。ヨブの行いの是非について議論した箇所でもない。
 ここでは宇宙の誕生や世界の形成にかかわりえない人間の矮小さが語られている。

 信仰よりも富と名声を望んだ父は、挫折を味わい、富や名声よりも大切なものがあることに気づく。
 父の期待があったからか、ジャックは長じて実業家として成功するが、摩天楼から下界を見下ろしながら心は満たされない。
 2005年に制作発表された本作は、世界が米国発の住宅バブルに浮かれていた頃に構想され、2008年9月のリーマン・ショックより前に撮影が開始された。本作がリーマン・ショックの頃に公開されていれば、富や名声を追い求める人間の矮小さがより強く感じられたに違いない。
 主人公ジャックは、信心深さによってヨブになぞらえるのではなく、人間の矮小さの象徴としてJ-O-Bの名を与えられているのだ。


 そして映画は人間の矮小さをさらに強調するように、宇宙の歴史を紐解いてみせる。
 銀河と太陽系が生まれ、やがて地球が形作られる。広大な海の中で原始生物が誕生し、植物が陸に進出する。そして恐竜の時代を迎えると、海には首長竜のエラスモサウルスが、森には草食のパラサウロロフスや肉食のトロオドンが棲息した。
 約6550万年前にはユカタン半島への隕石の落下により多くの生物が絶滅し、時を経て現在の氷河期に至る。

 私はこれら一連のシークエンスを見て、正直なところ驚いた。これはきちんとした科学考証に基づいた映像である。進化論以降の自然科学を踏まえている。キリスト教原理主義者が見たら、いきり立つのではないか。
 米国はキリスト教色の強い国であり、学校で進化論を教えるのはけしからんと考える人も多い。
 2009年の世論調査では、進化論を信じる米国人はわずか39%しかいない。過去10年間に行われた調査においても、44~47%の米国人が、神が過去1万年ほどの間に、人間を現在のような形で創造したと信じていると答えている。
 本作は、さすがに人と猿が共通の祖先から枝分かれしたことを示唆するのは避けたものの、一見キリスト教を重視しているようでありながら科学的な描写を多々挿入して、一部のキリスト教徒の神経を逆なでしかねない。


 ここで改めて気になるのが、本作の題名『ツリー・オブ・ライフ(The Tree of Life)』である。
 樹木を生命神秘の中心とする考え方は『創世記』に限らない。ゲルマン神話の世界樹ユグドラシル等、いくつもの神話・伝承に見られるものだ。
 しかし、本作が地球の歴史や進化の過程を描くことから判るように、ここでのツリー・オブ・ライフとはエデンの園にあるような生命の樹ではない。それは生物の進化や分岐を図示した系統樹のことなのである。
 系統樹は、生物が進化の過程で枝分かれし多様な種になっていくさまを、あたかも大樹の幹から枝が分かれ、さらに小枝が繁るかのように表現した図である。あくまで進化のさまを図示したものなので、科学的な厳密さはないけれど、進化論を視覚的に判りやすく伝えるには優れた表現方法だ。
 そして映画『ツリー・オブ・ライフ』は、この進化の系統樹を映像で表現しているのだ。

 いまここにいる自分は、間違いなく両親がいたから存在する。父から受け継いだものも、母から受け継いだものもあり、人生で出会った多くの人から様々なものを受け継いでいる。それらの人々も、その両親や出会った人から何かを受け継いでいる。人の世はその繰り返しである。
 信仰に篤かった母も、信仰を軽んじた父も、系統樹の枝の一つであり、自分も一本の小枝、一葉の葉なのだ。

 いや、人だけではない。
 普段は用心深く森の中に身を潜めているパラサウロロフスの子供が、あるとき傷ついて川辺に横たわっている。それを見つけた肉食恐竜のトロオドンは、鋭い鉤爪をパラサウロロフスに向ける。しかし、トロオドンは幼い恐竜のさまを見て、襲うのをやめる。それはジャックの父のような厳しさなのか、母のような愛情なのか。
 いずれにしろ恐竜に信仰心などあるはずがない。そこにあるのは、彼らもまた進化の系統樹の一員であるという事実だけだ。


 面白いのは、本作での「戸」の扱いである。
 冒頭で引用された『ヨブ記』38章4~7節の直後、8~11節では、神の偉大さを示すためにこんな記述がある。

  海がふき出て、胎内から流れ出たとき、だれが戸でこれを閉じ込めたか。
  (略)
  わたしは(略)言った。「ここまでは来てもよい。しかし、これ以上はいけない。あなたの高ぶる波はここでとどまれ。」と。

 海を創造した神は、海が陸を飲み込まないように戸を閉てた。戸は、世界を分け隔てるものなのである。
 ところが本作では、戸をくぐり抜けることで新たな境地に至る。戸は、異なる世界を結ぶ入り口なのだ。死した弟と母への思いが、ジャックに戸をくぐらせた。そして彼は系統樹の一員たるすべての人に出会うことができた。

 信仰を持つ者も、持たざる者も、人間であろうと他の生物であろうと、悠久の歴史に連綿と続く系統樹の一員であることに変わりはない。
 人はエデンの園の生命の樹の実こそ食べなかったが、系統樹の一員たることで、永続する生命の流れの内にいる。
 そして肉親の死に打ちひしがれていたジャックは、生も死も大いなる系統樹を構成するものであることを悟るのだ。

[付記]
 本作に登場する恐竜については、田代剛大氏にご教授いただいた。お礼申し上げる。


ツリー・オブ・ライフ ブルーレイ+DVDセット [Blu-ray]ツリー・オブ・ライフ』  [た行]
監督・脚本/テレンス・マリック
special photographic effects supervisor/ダグラス・トランブル
出演/ブラッド・ピット ショーン・ペン ジェシカ・チャステイン フィオナ・ショウ ハンター・マクラケン ララミー・エップラー タイ・シェリダン
日本公開/2011年8月12日
ジャンル/[ドラマ]
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【genre : 映画

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